一章
理亞。と声がしました。
かつて私が呼ばれていた名前。それはとても懐かしい声で再生されています。
暗闇の中。それでもどこから聞こえているか分かる、光のような声。
私の記憶が、母だと結論を出します。私を呼んでいるのはお母さんなのです。
私は母の声に喜び、その元へ向かおうとします。
しかし身体が動かない。
仰向けのまま身体を伸ばし、固定されているように身動き一つとれません。
そこで分かりました。これは夢なのだと。
よくよく考えれば有り得ないことです。母は地球人なのですから。
困惑していると、優しく語りかけるような母の声は次第に元気を失っていきました。
最終的には途切れ途切れとなり、弱々しい吐息も耳に入るようになります。
それでも母は私の名前を呼び続けました。懸命に、何度も。私がやめてくれと思うくらいに。
お母さんが死ぬ。そう分かっていても、何もできません。できなかったのです。
私はお母さんを――
「リーアちゃん!」
「はいぃぃ!?」
至近距離で炸裂した、爆撃の如く大声。それと同じく急に肩へ重量を感じ、私は飛び起きました。
目を開くと視界の隅に、鮮やかな色をした羽が見えます。これは確か……。
「ロロナさん?」
ロロナさんの帽子に付いていた羽ですね。出会った時のインパクトが強いのでよく覚えています。
目を擦りつつ顔を横へ。するとやはりロロナさんがいました。ベッドの横に座っており、ジッと私を見つめています。
アランヤ村に帰還して一日後。旅の疲れを癒やすべく睡眠をとっていたのですが、まさかロロナさんが私のアトリエを訪ねてくるとは。何かご用でしょうか。
「うん、私。朝早くにごめんね」
「別にいいですよ。ロロナさんと会えて嬉しいですし」
起き上がる。ベッドの上に座り、私は欠伸をもらしました。
ロロナさんは手を身体の前で握り、真剣な顔をしています。事情は分かりませんが、なにやら必至な様子。来訪が嬉しいのは事実ですし、ここは話を聞いておくことにします。
「あのね、トトリちゃんにリーアちゃんは師匠の弟子だって聞いたんだけど……本当?」
表情とは対照的にのほほんとした口調で問います。
師匠の弟子。つまり、アストリッドさんの弟子かということですね。
ふむ。私を訪ねてきた理由が分かりましたよ。
コートは着ていないのに、何故だか汗が止まりません。焦ってますね、私。
「え、ええ。形式的にそうなるといいますか、自称といいますか」
「このアトリエに師匠がいたっていうのも本当なのっ!?」
否定しない私に、ロロナさんが身を乗り出して喰いつきました。
「はい……そうですね」
「それで最近出ていったのも!?」
「で、ですねー」
あああ、トトリさんに説明してしまった手前、嘘を貫くこともできません。
いつか説明しようとは思ってましたよ?
依頼の件で嘘をついたのを忘れていそうな期間を空けてですが、きちんと話す気でいました。
けどこんな早くバレるなんて。
地図ではアランヤ村とアーランドの街はかなり離れていたのに、どうやってこんな短期間で……。あ! トラベルゲートですね! あれならたった一日でも私のことを話し、アトリエを訪れることも可能です。
一ヶ月近くかかる道のりをたった数分で行き来とは。錬金術士、おそるべし。
これで私はロロナさんに嫌われ――
「そっか……もう手遅れなんだね」
あれ? なんかしょんぼりするだけですね。
リーアちゃんの嘘つき! とか言わないのかな。
「あの。私前に会ったとき嘘を言ったのですが、怒らないんですか?」
「え? だって師匠に何か言われたんだよね? リーアちゃんが理由なしで嘘言う筈ないし」
なんでそうなるんですかねー。
出会ったばかりの私より師匠の評価が低いってどうなんでしょ。
まぁ、アストリッドさんに何か言われたのは事実なんですけども。
しかしそれでアストリッドさんのせいになるというのも納得がいきませんね。仕方ありません。わざわざ馬鹿みたいですが……。
「けど、ロロナさんがアストリッドさんを探していると知った上で、嘘を選んだのは私です。なので私にも責任はあるかと思います」
「いや、悪いのは師匠だよ! こそこそしないで出てくればいいのに、きっとほむちゃんを独占したいだけなんだよっ、楽したいから」
アストリッドさん、ロロナさんに何をしたらこんな評価をいただくんですか。
こうも力説されると、私は悪くないのではという気すらしてくるから不思議です。
「それにもう半分諦めてたんだ。師匠って、狙ったときは本当に姿を現さないから」
「あはは、なんとなく分かります」
がっくり肩を落とすロロナさんに同調します。
物欲センサーならぬ感情センサーとでも例えましょうか。
人が油断しているときばかり出現し、必要としているときは消える。本人にとって都合が良く、他人にとって都合悪い神出鬼没。それが彼女です。
それでも、たまにいいこともするんですけどね。
「だから嘘とかも怒ってないよ。師匠が無事だってはっきり分かったなら、それで十分かな」
……心配はしているみたいですね。良かった。本気でアストリッドさんが嫌われているのかと思いましたよ。
ロロナさんの苦笑を見て、ホッとする私。
「あ、そうだ。リーアちゃん、あれから錬金術はどう? 何か作ってみた?」
ロロナさんがパッと表情を変えます。
素晴らしい切り替えの早さ。彼女は気にしていないと言ってましたし、私もあまり自己嫌悪しないようにしておきましょう。帽子をかぶり、話に乗ることにします。
「いえ、冒険には出たのですが、あれから何も作れてません」
「そうなの? じゃあ、今やってみる? 私が見ててあげるよ」
「え、いいんですか?」
有り難い提案です。私が思わず聞き返すと、頼れる先輩は力強く頷きました。
「後輩の面倒を見るのも、先輩のお仕事だからっ」
若干子供っぽいのが不安ですが、悪魔を倒したトトリさんの師匠です。錬金術の腕はすごい、筈。
「ありがとうございます。ではお願いします」
そうと決まれば早速調合です。立ち上がり、近くの壁に立てかけてあった杖を手にします。レシピは確か……ポーチの中ですね。
テーブルの上に置いてあるポーチからレシピ本を取り出し、私は目星をつけておいたページを開きました。
「まずはヒーリングサルヴというものを作ろうと思うのですが、どうでしょうか」
ヒーリングサルヴ。レシピによると傷薬のようです。
それほど強い効果は出ないと書かれていましたが、通常の薬よりは即効性が強いのだとか。簡単な部類に入るようですし、自分にぴったりでしょう。
「うん、基本だね。材料は揃ってるかな?」
「はい、一応採取はしたので……あ」
レシピを再確認し、問題発見。
材料不足です。『マンドラゴラの根』がありません。
……。えっと、目星つけといて今更なんですけど、マンドラゴラ? なんとファンタジーな。
「どうしたの? 何か足りない?」
「あ、はい。マンドラゴラの根がなくて」
私の言葉に、あるある、とロロナさんが懐かしそうに頷きました。
「採取できない材料だね。それなら、なくても仕方ないかな。ちょっと待ってて」
ロロナさんがポーチから何かを取り出しました。
猫の形をしたバッグのような物です。
なんだか可愛らしく、ロロナさんにぴったり――という声は心の中におさめておきます。トトリさんが18歳なのですから、ロロナさんの年齢は……ねぇ?
皆さん、そして私の夢を守るためにもそのようなリアルの描写はノーサンキューなのです。可愛い方は可愛い。イケメンは自重。これこそ世の真理。
「あったあった。はい。品質も特性もパメラのところと同じだから、ずるじゃないよ」
ロロナさんがネコさんバッグから、マンドラゴラの根らしきものを取り出しました。それを三つほど私に手渡してくれます。
品質は30くらい。特性は皆無。
手と足、胴体、そして頭。人間の形をしていますが、へたの先から枯れた葉っぱが生えており、植物なのだと一目で分かります。
これで顔が可愛ければそれなりに見られたものとなっていたでしょう。
しかしロロナさんから渡されたそれは、断末魔が聞こえてきそうな、ひどく恐ろしい顔をしていました。
迷わずポーチへボッシュート。使用するとき以外、顔を見るのはよしておきましょう。
「ありがとうございます。あの、パメラって何ですか?」
「パメラはパメラだよ。アランヤ村でパメラ屋さんって見なかった?」
にこにこ笑って説明するロロナさん。
そういえばパメラ屋さんというものを見かけたような。確か、広場の近くにありましたね。
マンドラゴラの根を扱っているなんて、どんなお店なんですかね。てっきりパメラというものを売っているお店なのだと思ってましたが。
先程貰ったマンドラゴラの根は採取できないようですし、お世話になることが多くなりそうです。パメラ屋さん、覚えておきましょう。
「それじゃあ、張り切って調合しよう! 見ててあげるから頑張ってっ」
材料も揃ったところで調合開始。ロロナさんがテンションを高めて釜の近くにスタンバイします。
何日かぶりの調合。果たして、うまくいくのか。そして見習い錬金術士は、調合の果てに何を見るのか――
と、典型的かつ壮大な感じでハードルを上げておきます。
これなら、失敗してもギャグぐらいにはなりそうです。
○
案外、あっさりとできました。
一日を費やしてヒーリングサルヴは完成。順調と言うしかないペースでできあがりました。
「うん。上手にできたね、リーアちゃん」
ロロナさんは自分のことみたいに喜んでますけど、私はまだ実感がわきません。
あれだけ中和剤で失敗したのです。こんなあっさりと成功してはあの日々がなんだったのかと言いたくなります。
嘆息し、私は調合したヒーリングサルヴを見ます。テーブルに置かれているそれは、はっきり言ってダメダメな仕上がりでした。
品質は39くらい。特性はマジックグラスに付いていた『カッコイイ』の一つ。
発揮される効果は低そう。塗ればかすり傷が治る程度ですかね。
……まぁ、クオリティはどうあれ、完成したのです。素直に喜ぶとしましょうか。
「そうですね。まさかこんなあっさりできるものだとは思いませんでした」
まったく嬉しさを込めない棒読みで私が言うと、ロロナさんがなにやら考え込むようなポーズをとります。
「うーん。これなら中和剤止まりだったのが疑わしいレベルなんだけど……どうしてだろう?」
「自分でもよく分かりませんね。ロロナさんがいたからでしょうか」
真面目に考えてそれくらいしか思いつかないです。
少しですが、調合の際にアドバイスを貰いましたし。意味不明な擬音ばかりでしたがタイミングを把握しやすくはなったので、決して無駄ではなかった筈です。
もしくは、私が中和剤作ることだけすごく苦手だったとか。
「……ま、いっか。できたんだもんね」
深く考える私の前で、ロロナさんがあっさり思考を放棄します。
結論が出ない以上、私もそうするしかありません。考えるのを止め、完成したものを忘れずにポーチへ入れておきます。
効果が低くても、私くらいの体力なら全快するかもしれません。
「ありがとうございました、ロロナさん。これで少しは錬金術が上手くなった気がします」
数値にして、レベルが1くらいは上がりましたね。頭でっかちだったのが、ちょっと器用になりました。
「どういたしまして。錬金術士が増えて私も嬉しいよ」
ロロナさんが杖を手にしにっこり笑います。その笑顔には善意意外に何もなく、見ていてこちらも癒やされます。
優しいお方です。顔にそれが如実に表れております。
眼鏡かけた誰かさんとは大違いですね、まったく。
「じゃあ私はそろそろ帰るね。錬金術頑張って」
「はい。また会いましょうね」
ポーチを肩にさげて帰っていくロロナさん。お礼の気持ちを込めて頭を下げます。
思いがけない来訪でしたが、すっかりお世話になりました。
バタンとドアが閉まります。
ロロナさんがいなくなり、また一人です。
さて……私はどうしますかね。
一人、アトリエで思考します。やるべきことは多くあるのですが、優先度を考えなければ。出かけたり、調合をするだけで日数がどんどん過ぎていきますからね。
「そういえば依頼がまだありましたね」
思い出しました。
たるリス討伐。最初に受けた依頼のもう片方です。
たるリスがいるのはニューズの林。
名前にニューズが付くくらいなのですから、ニューズが採れるはず。そしてニューズはクラフトの材料にもなる素材です。
これは行くしかありませんね。
クラフトは攻撃に使えるみたいですし、弱い私にはうってつけです。
そうと決まれば突撃。杖とポーチを装備し、勢いよくアトリエから出ていきます。一人になったことを憂いている時間はないのです。
「あ、リーア」
太陽が眩しい無人島の朝。
思わず帽子を深く被ったところで、奇遇なことにピアニャさんと出くわしました。
彼女は私を見ると、嬉しそうに目を輝かせます。
「おはようございます、ピアニャさん。私に何か御用でしたか?」
ちょうど出かけるところだったのですが。
こちらへ駆け寄ってきたピアニャさんは元気よく頷きました。
「うん。今日遊べる?」
おおう。なんてタイミングでございますか。
本格的な冒険と可愛い女の子。
どちらをとるべきなのか……ゲーム業界の苦悩を見た気がします。
「あー……のですね、わたくし、今日はお出かけしようかと思いまして。遊べないかもしれません」
悩んだ末、私は先に決定したことを選択します。
よくこうして、友達に誘いを断れられたものです。先に予定が入っているから、と。断られた側は意外と落ち込むんですよね。嫌われてるんじゃないかとか思ったりして。
ピアニャさんにそんな思いはさせたくないのですが、今回ばかりは仕方ありません。
幼女ときゃっきゃうふふしてて何年も過ぎてましたー、なんて笑えません。やるべきことはやらないといけないのです。
断る側も辛いのです。ピアニャさんもそれは分かってくれる筈。
「お出かけ? ピアニャも行っていい?」
私の心配とは裏腹に、落ち込むことなくピアニャさんが尋ねてきます。
懐いてくれているみたいで嬉しいです。しかし外は危険な世界。ピアニャさんのようないたいけな少女が出ていけば、あっという間にお持ち帰りされてしまうことでしょう。
なので断じてノー。私は首を横に振ります。
「すみません。私は村の外に出るつもりですから。ピアニャさんは連れていけません」
「なんで? リーアが行けるならピアニャも行けるよ?」
「いや、でも外は危険で――うぐぅ」
ピアニャさんが我儘のように言った台詞。それに反論しようとして、私は思い当たります。
錬金術士として彼女は、私より高レベル。フラムなるものを作れるのですから、私より強いかもしれないです。
なのでピアニャさんの疑問ももっともでして……。
今日日子供に論破されたのでは年下に示しがつきません。考えて、勝てそうな主張を用意します。
「あのですね。錬金術で作ったものは確かに強いと聞きます。ですが、外では単純な肉体での戦闘力も大切になりましてね。大人げないですが、私はアイテムなしでもモンスターをほいほい消し去り――」
「リーア14歳でしょ? ピアニャもう13歳くらいだよ」
なんですと!?
くらい、というのが気になりますけど、13? 私と大して変わらないじゃないですか。こんな小さくて可愛らしいのに、私とたった一歳差……ああ、羨ましい。
「――じゃなくて、駄目です。ピアニャさんまともに武器も使えないでしょう」
いけないいけない。
若さに嫉妬するおばさんの気分を理解してしまうところでした。ダークサイドというやつです。
私は必死になってお断りしようとします。けれどピアニャさんは意地になっているのか、少しくらいしか話を聞いてくれません。
「ピアニャも行きたい! もっと外を歩いてみたい!」
仕舞には語気を強めてだだをこねる始末でした。
私の言うことは聞いてくれそうにありません。溜息を吐く。ここは他人を頼ることにします。
「分かりました。ではツェツィさん達がいいと言えば連れていきます」
子供に言い聞かせるには親です。あれは絶大な効果があります。
ピアニャさんを溺愛している彼女のこと。必ずやツェツィさんは同行を阻止してくれるでしょう。
もしツェツィさんがいいと言っても、私のパーティーにはギゼラさんがいます。だから、危険のことはそれほど考えなくても大丈夫なはず。
まったく隙がない二段構えの策です。我ながら惚れ惚れしますね。
ピアニャさんは私の思惑に気づいていないようで、この妥協案に快く賛同します。
計画通り。私達はヘルモルト家へ向かうことになりました。
○
「駄目! 絶対駄目よピアニャちゃん!」
予想通り、ツェツィさんは常識のある保護者っぷりを発揮してくれました。
村の外へ出たいとピアニャさんが一言言ったらこれですよ。入り口の前に立つ私は、あまりの即答っぷりに同情の念すらわいてきました。
まぁ、普通の保護者ならそうですよね。魔物がいる場所に可愛い子を出そうという発想はしないでしょう。
けど……。
「ピアニャも外を見てみたいのに……」
なんでですかね。
さっきまで私に反論していたピアニャさんが、涙目になりながら弱々しく呟いているのを見ると、とても罪悪感が……。
保護者の効果は確かに絶大だったのですが、効きすぎて可哀想に見えてきます。
無人島で過ごしてきた私には、ピアニャさんの気持ちが分かります。
13歳。一年前の私は、無人島という檻のような場所から、何故だかとても出たいと思っていました。
無人島が安全で、不自由のない場所であっても、私は何かを求めていたのです。
それが原因で無鉄砲に海へ飛び込んだりして――療養中だったギゼラさんに迷惑をかけたことも。
それを考えると、彼女の頼みを無下に断る――ましてや、保護者に言いつけるような行為は正しいと言えないような気がします。
もう手遅れなので後悔しても仕方ないんですけどね。
「すみません、リーアさん。迷惑かけたみたいで」
今にも泣き出しそうなピアニャさんの頭を撫で、ツェツィさんは困ったような表情をします。
絶対駄目と言いながらも自信がなさそうな、後ろめたさを感じさせます。
やはりツェツィさんも罪悪感を抱いているのでしょうか。
「いえ、そんなことは。……ただ、意外ですね」
首を横に振り、ピアニャさんを見ます。
外を見たい。その気持ちを主張する彼女からは執念に近いものを見た気がします。
「ピアニャさんが意地になるなんて」
「それほど、あの村で過ごした日が長いってことさね」
欠伸混じりの声が聞こえます。
リビング横のドアから、寝起きらしいギゼラさんが出てきました。髪が跳ねていて、目もまだ眠そうに半開き。だらしない格好ですが、それでも何故か確固とした覇気のようなものを放っています。
「あの村、ですか?」
「船で大陸を渡った先にある、最果ての村。この子はそこからここに来たらしいし、外に興味を持つのも自然な道理さ」
すぐ駆け付けたツェツィさんに髪を梳かされつつ、ギゼラさんが語る。
そういえば、メルヴィアさんからそんな話を聞いたような。
トトリさんが倒した塔の悪魔。それが暴れる際の被害を、最小限に収めようと置かれたのが生贄。生贄は一定の周期で塔に捧げられ、彼女らが集まって最果ての地に村ができあがった……らしいです。
なるほど。ピアニャさんの顔はツェツィさん達とあまり似ていないと思ってましたけど、彼女は最果ての村出身なのですね。
あそこは厳しい環境で、村に住む女性は他に行く場所を知らなかったと聞きます。
生まれたときから鎖された場所で何年も過ごしてきたのでしょう。
――さっき言った、気持ちが分かるは撤回です。私の場合とは違いすぎます。
ピアニャさんの意地もなんとなく分かる気がします。あくまで私は本人ではないので、なんとなくですが。
「まさかお母さん、ピアニャちゃんが外に出ていいとか言わないわよね?」
髪を整え、顔をタオルで拭き、ギゼラさんの身なりを綺麗にしたツェツィさん。一息つくと彼女はギゼラさんの肩を押して椅子に座らせます。
こうして見ると駄目人間ですね、ギゼラさん。
「いいんじゃない? 本人が行きたいって言うなら。何事も経験って言うし。ツェツィ、ごはん」
そんなあっさりと……。
無人島にいた時と少しも変化がない態度に、私は肩を落として嘆息しました。そして娘に躊躇なくご飯を要求するのはどうなんでしょ。
「お母さん! またそんなこと言って。ピアニャちゃんにもしものことがあったら、村の人達に顔向けできないじゃない」
「大丈夫だよ、そんな心配しなくて。トトリはピアニャの歳くらいから冒険を始めたんでしょ? なら問題ないと思うよ、あたしは。少なくとも昔のトトリよりは強そうだし」
「確かにそうだけど……」
「否定しないんですね」
ピアニャさん以上に弱い状態から、悪魔を倒すほどになるなんて、トトリさんの成長ぶりが怖いんですけど。
しかし13歳から冒険ですか。中々危険なことをしていたんですね。
「頭もいいし、これからさ。ねー? ピアニャちゃん」
「え? う、うん」
すっかり駄目だと思っていたピアニャさんも、結論が逆転しそうな展開に困ってます。
涙を拭きつつ、きょとんとした表情で頷きました。
結局、ピアニャさんも冒険についていくことになりそうです。彼女の意思を尊重するならば、それで問題ないでしょう。しかし……保護者の方はどう思うか。
ツェツィさんはしばらくギゼラさんをジト目で見ていましたが、
「はぁ……とりあえずご飯作るから」
やがて諦めた様子で嘆息し、台所へ向かっていきました。
トトリさんが冒険に出たときもこんな感じだったのですかね。なんだかんだ言って、親は子の想いを叶えてあげたいものです。
「やった。多めで頼むよ、ツェツィ」
「うるさい。黙ってて」
若干不機嫌ですけど。
「ちぇー。つれない態度だねぇ」
「いきなり出てきてどんでん返しですから、仕方ないと思いますよ」
誰だって不機嫌になります。
指摘されると、ギゼラさんは何故か愉快そうに笑います。そして手招きしました。
「いつまでそこに突っ立ってるつもりだい? リーアもこっち来てゆっくりしなよ」
「私冒険に出ようとしてたんですけど?」
「あたし抜きじゃあはじまらないでしょ。ほら、早く」
すっかり護衛を頼まれる気でいます。まぁ頼むんですけどね。
断ってやりたい衝動に駆られますが、言われた通り彼女の隣に座ります。すると私の肩に手を置き、ギゼラさんはウインク。
「というわけで、今回はリーアとあたしとピアニャで出ようか」
「なにがというわけで、ですか。まだいいと言われたわけじゃないのに」
ツェツィさん不機嫌になってますし、どう見ても許可してくれた雰囲気ではありません。
それなのにどうしてこの人は、そんなことをいえるのでしょうか。
「大丈夫だよ。ああ言って、ツェツィは止めないから。ね、グイード?」
「いきなり架空の人物を持ちだすのはどうかと思い――」
「そうだね。多分問題ないと思うよ」
誰もいないと思っていた場所から声がしました。
入り口近くの席。いつからそこにいたのか分かりませんが、男性がそこにいました。
トトリさんやツェツィさんより少し明るめのウェーブがかかっている茶髪、うっすらと生えた顎髭。素朴、というかこれといった特徴の見当たらないお方です。顔は悪くない筈なのですが、それを特徴と思わせないというか。
とりあえず、無害そうな人なので安心しました。
「どなたです? この人」
「あははっ、やっぱり気づいてなかったんだね。グイード。私の旦那さ」
「えっ、こんな普通そうな人があなたの旦那さんなんですか?」
もっとごつくて、誰にも負けたことなさそうな漢、みたいなのを想像してたんですけど、意外です。
「うん。私にはもったいないくらいの旦那だよ」
ずいぶんのろけますね。まだまだ女の子ということですか。
楽しそうに話すギゼラさんから視線を逸らし、私はグイードさんへ頭を下げます。
「す、すみません。失礼な話ですが、見落としてみたいです」
「気にしなくて大丈夫だよ。何日も僕に気づいてなかったしね」
何日も……と言うと、私がヘルモルト家を訪れたときにいたんですよね。全然気づかなかった。
「初めて会ったのは釣りをしていた時かな。錬金術の本を見ていたから、また村が賑やかになると思ったよ」
そんな日から会ってたんですか。
この方は本当に気配を消すのが得意みたいです。存在感ばりばりなギゼラさんと、その対称とも言えるグイードさん。その二人が夫婦なのですから、世の中分からないものです。
「ま、家の旦那の存在感はともかく、ツェツィが話を止めたときは頷いたも当然なのさ」
「トトリが冒険者になるときもああだったから。きっと心配なんだろうね、ピアニャのことが」
「諦めた、の方が正しい気がしますけど……どうなんでしょう」
時には強引さが必要だと人は言います。
しかし、今回は人の命がかかっていること。そう易々と決めてよろしい問題ではありますまい。
「大丈夫さ。そんな危ない場所に行くわけでもない。それに本人が行きたがっているんだ。止める理由はないだろう?」
「うーん……」
ピアニャさんへ視線を向け、唸ります。
トトリさんは13歳で旅をしたと言いますし、私は彼女と1歳しか違わない。
頷きたい。ですがそうして、後々ピアニャさんにもしものことがあったら責任が……。
責任、私ちょっと嫌いです。『責任、とってね……』みたいなロマンチックな展開ならばっちこいなのですけど。
「ピアニャさん。外は危ないですけど、本当にそれでいいんですか?」
迷った挙句、私は再度ピアニャさんへ尋ねます。
彼女は迷うことなく頷きました。
「うん! リーア、お願い!」
「――分かりました。では一緒に行きましょう」
ピアニャさんのまっすぐな目に負けました。これだけ本人が望んでいるのです。断れるは筈がありません。
こうなれば彼女にもしものことが起きないよう、努力するとしますか。
「わーい! ありがとう、リーア!」
「良かったね、ピアニャ。迷惑かけないように用意するんだよ?」
「うん。ピアニャ頑張るよ」
ギゼラさんに頷いて、ピアニャさんはリビングから去っていきました。やる気満々です。空振りを心配するところですが、彼女はしっかりしていますし心配無用でしょう。
――いい区切りです。私は立ち上がり、テーブルに立てかけていた杖を拾います。
「さて。私もちょっと準備してきますね。村の広場で集合しましょう」
「ああ、いいよ。ピアニャはあたしが連れてくるから」
お邪魔しましたとツェツィさんとグイードさんに声をかけ、私はヘルモルト家をあとにします。
目指すは村の広場。そこにあるお店です。
『パメラ屋さん』。
そこに錬金術と関係するものがあるなら、もしかしたらすぐ使えるものもあるかもしれません。お金はありませんが、見ておいて損はないはずです。
準備と言いましたが、正確には『気になること』ですね。
まぁ、冒険を前に気がかりを失くすこともある意味準備と言えるでしょう。
冒険を前に酒場で依頼の報告、ついでにパメラ屋さんとやらを見ておこうと思います。
○
「いらっしゃいませ~」
パメラ屋さん。そう記された看板のあるお店に入ると、妙に間延びした声が店内から聞こえました。おっとりさを前面に出したような声です。けれどもそれほど間抜けに聞こえません。
どうやらその声は、カウンターにいる女性が発した模様です。
大人みたいで、それでいて少女のような可愛らしさを感じさせる笑顔。紫色の長い髪。女性らしいスタイル。大人みたいで少女みたいな、不思議な印象を受ける方です。
この方がパメラ……さんでしょうか。もっと魔女みたいな人を想像していたんですけど、これはいい意味で期待を裏切られました。
「初めまして。パメラさんですか?」
「そうよ~。あなたはリーアかしら? トトリから聞いたわ~。アストリッドの弟子なのよね?」
既に話が回っている……トトリさん、結構おしゃべりさんなんですね。隠すことではないですが。
「ええ、まぁそう名乗らせてもらってます。今日は挨拶しに来ました」
「聞いた通りしっかりした子ね~。感心しちゃうわ~」
全然感心してなさそうなのほほんとした口調でパメラさんが言います。
この人も良い人そうで安心しました。
私は苦笑を返し、店内を見渡します。店にはお客さんが一人二人いて、村の規模から考えるとそれなりに盛況しているように思えました。
ゲラルドさんのお店と違い、活気も華もあります。ただ置いてある品はよく分からないものも多いですけど。
「ここでは錬金術に関係したものも売っているそうですね」
「そうよ~。けどちょっと都合があって量販店の機能はなくしてるの」
量販店? なんでしょうか?
とても便利な響きなのは理解できますが。
「チェーン展開も視野に入れてるから、楽しみにしていてね」
「は、はぁ。よく分かりませんが、頑張って下さい」
錬金術の素材を扱っているお店が増えるならば万々歳です。これからこのお店がどうなっていくかは分かりませんけど、期待するとしましょう。
激励しつつ、視線を棚へ。
すると驚くべきものを発見しました。
二つに割れた卵から覗く、不気味な二つの目……あれは『時空の卵』!
アストリッドさんのレシピ本にも書かれていたものです。あれを使えば、か弱い錬金術師でも常人の何倍もの行動をできるとかなんとか。特性によっては六倍もの効果が出るらしいです。
とても欲しい……。
しかしあれは上位の道具。私では買えるか分かりませんし、使えるかも不安なレベルです。
でもあれがあれば物凄く活躍できるんでしょうね……。
「どうしたの? そんなに一点を見つめちゃって」
「あ、あの、あれは商品なのですか? なんだか10個くらいは置いてありそうですけど」
「あれ? あれは商品だった物よ~。さっき言った量販店にトトリが登録したものなの~」
終了した量販店に登録されていた商品。つまり、もう買えないもの。
……ま、まぁいいですよ。気にしてません。落ち込んでません。元から買えるお金なんて持ってないんですから。
「ごめんね~。片づけておくべきだったわ~」
「気にしなくて大丈夫ですよ。全然落ち込んでませんから」
大丈夫と言いながら、私、今かなり声に抑揚がないと思います。
大人っぽいとはいえど、私も14歳。精神的にはまだまだ子供なのです。
「あ、そうだ~。これをあげるから元気出して」
不貞腐れたような私に気を遣ってくれたのか、パメラさんが何かをカウンターから取り出しました。
日本でも見慣れた紙袋に入っているそれは、小麦粉でした。それをうんしょうんしょ言いながら五つカウンターに載せ、パメラさんは微笑みます。
「これ、試作品なの~。良かったらお料理とか錬金術に使って」
なんか申し訳ないですね……誰かから何かを貰ってばかりな気がします。
しかし貰えるのだから頂いておきますか。あっさりお礼を言って、私は小麦粉をポーチへ入れていきます。
小麦粉はパイを作る材料ですし、アトリエには一応オーブンもあります。錬金術にも料理にも使えるならば、貰っといて損はありません。
「ありがとうございます。小麦粉は作ろうか悩んでいたものなので、とっても嬉しいです」
「元気がでたわね~。よかったわ」
現金な人ですよね、私。
けど皆さん何か貰えたら嬉しい筈です。それが善意によるものであれば尚更。
そして送り主が美少女なら、なんであれ歓喜するものです。
貰った物をしっかりポーチに詰め、私は頭を下げます。
「えっと、それでは今日は帰りますね。お金ありませんし。なんか物乞いに来たみたいですみません」
「気にしないで。あとで感想聞かせてくれればそれで十分いいから~」
これで商売ができているのかと不安になる優しさを見せ、パメラさんが手を振りました。
お金が貯まったら、真っ先に何か買いに来ましょう。
お店を出て、私は密かに誓うのでした。
○
さて。気がかりも失くしましたし、後は依頼を報告するだけです。
パメラ屋さんを出た私は少し重くなったポーチに手をやり、歩き出します。ゲラルドさんのお店は今日どれくらいお客さんが来ているのでしょうか。パメラ屋さんと比較するのが楽しみです。
「そこの人。ちょっと待ってくれないかな?」
性格の悪さを脳内で露呈していると、横から声がかかりました。
「はい? なんです?」
道案内ならできないですけど、私に何の用ですかね。
反射で返事をしながら横へ振り向きます。気さくに笑う女性がそこにいました。
「いきなりごめんね。ちょっと時間いいかな?」
長く青い髪。それをポニーテールにしている、凛とした雰囲気の方でした。
身長は私より低く、スタイルは平均的。顔立ちが中性的で、雰囲気も相まりなんだか女性にモテそう。
服装はシャツとショートパンツの上から、マントを着用。すこし色合い的には地味ですが、マントにはピアニャさんを彷彿とさせる民俗っぽい模様が描かれており、結果的に彼女の与える印象は強いです。
ボクという一人称も強烈ですね。容姿に似合ってるからこそ、そこが目立ちます。
「はい、ちょっとならいいですよ」
快く頷きます。
これほどのボクっ娘と話せるならば、むしろ長時間でも大歓迎です。
「ありがとう。ボクはヴィント。海の向こうから来たんだ」
「海の向こうからですか……」
となるとまさか、トトリさんの話に出てきたあの村の……?
ピアニャさんみたいな雰囲気がありますし。
私が復唱すると、ヴィントさんは頷きました。
「うん。そこからはるばるトトリさんって錬金術士に会いに来たんだけど、アトリエがどこにあるか分からないかな?」
これもう確定ですね、多分。この方はあの村からアランヤ村を訪れたに違いありません。
お礼を言いにあちらの住人が海を渡ってくるなんて、いい話じゃありませんか。
「トトリさんのアトリエなら、ここからまっすぐ登っていけばすぐですよ。頑張って下さい」
「え? うん、頑張るね」
道を大きくボディーランゲージで示します。
何故頑張る? みたいな感じできょとんとされましたが、これでいいでしょう。私ができることはこれくらいですし、それに全力を込めるべきなのです。
「では私はお邪魔なので、これで」
英雄との再会。その場面に私は不要です。
キリッとした顔でクールに去ろうとする私の肩を、ヴィントさんが掴みました。
「あぅ。……なんですか?」
変な声が出ます。微妙にかっこがつきませんね。
「ごめんね。けど今度お礼をしたいからさ。君の名前を聞かせてくれない?」
「リーアです。リーア・マツバラ」
私が名乗ると、ヴィントさんは何度かリーアと呟き、
「ん、リーアだね。覚えておくよ。案内ありがと」
明るい笑顔を浮かべ歩いていきました。
彼女とはまた会う気がします。去っていくヴィントさんの背中を見送り、私はなんとなくそう感じました。
この章から出てきたヴィントさんは原作にいないオリジナルキャラです。しかし立ち位置というか、設定は原作にあったものになる予定です。
そして最近、『リーナのアトリエ』なるものの存在に気づきました。