神喰い達の後日譚   作:無為の極

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第12話 小さな料理人

 ぐつぐつと煮えたぎる中身と、変化を知らせるであろう音を聞き漏らさないと言わんばかりに、一人の少女は寸胴から視線を外す事はしなかった。煮えたぎる鍋の中には何か茶色い紙の様な物が踊っているかの様に上下に激しく動いている。一定のリズムを刻むかの様な動きに対し、額から汗が流れ様が、熱気が顔を襲おうが微動だにしない。

 既に時間の概念はどこにも無く、真剣勝負をしているかの様に一心不乱にタイミングを計っていた。

 

 

「今だ!すぐに掬え!」

 

「はい!」

 

 男の指示によって茶色い紙の様な物が網で掬いあげられる。それと同時に鍋の火を止めると、先程まで荒れ狂うかの様に動いた水面がゆっくりと穏やか物へと変化している。それに呼応するかの様に、鍋の中からは完璧に出た出汁の匂いが少女の鼻孔を擽っていた。

 

 

「これが完全に出汁が出尽くした状態だ。これよりもタイミングが早かったり、遅かったりすれば、今度はそれに出汁が吸われていく。時間も大事だが、自分の目で見て判断する事が重要だ。これさえ問題無ければ後は何とでもなる。ちゃんと練習するんだ」

 

 男は少女の父親よりも年上の様に思えていた。やや白髪交じりの頭ではあるが、スッキリと帽子の中で纏まっているからなのか、僅かに見えるだけ。

 どれ程の技量と時間が今に至るまでにかかったのかを物語る程に眼光は鋭い物があった。何も知らなければ強面の様にも見えるが、少女に注ぐ視線は厳しさの中にも優しさが見える。目の前の出汁の出来に満足しているからなのか、何時もとは違い、その表情は優しく見えていた。

 

 元々ここに師事する事になったのは些細なキッカケにしか過ぎなかった。趣味の延長だったはずが、気が付けば10歳にも満たない年齢にも関わらず、一国一城の主の様に仕事をしている。周囲からすればまだ小さいのにと思うかもしれないが、本人にとっては年齢など関係無いと考えている節があった。

 

 

「ありがとうございます」

 

「そう言ってくれると俺も嬉しいよ。所で最近はあまりここには見ないが、若嫁はちゃんとやってるのか?」

 

「そうですね……ラウンジでは最近見ませんね。でも部屋では多分エイジさんもいますからやってると思います」

 

「そうか。偶にはここで修業する様に言っておいてくれ。一度どんな状況なのか確認したいんでな」

 

 割烹着を来た壮年とも取れる男性は屋敷に常駐する板長だった。ここで扱う食事は来客や、何かがあった際に必ず担当するだけではなく、屋敷に住む人間の調理に関する事も教えていた。

 事実、エイジだけでなくナオヤもこの男性から指導を受けた事があると最初に聞いた際には少女も随分と驚いていたが、厳しい中にも的確な指示に納得したからなのか、今では驚く様な事は少なくなりつつあった。

 

 

「帰ったら言っておきます」

 

 出来上がった出汁の結果に満足したのか、ムツミは笑顔で話を続けている。既に時間は夕闇が迫りつつあった。

 

 

 

 

 

「え?板長がそんな事を言ってたんですか?」

 

「はい。今度どんな状況なのかを確認したいらしいです」

 

「そうですか……」

 

 屋敷での指導を受けたムツミは何時もと変わらずラウンジで食事を作っていた。目の前には休憩で来ていたアリサがどこか諦観じみた表情を浮かべながら、哀愁が漂っている様にも見える。

 元々アリサの腕前がどれ程の物なのかを知っていたムツミからすれば、その言葉を意味を正しく理解していた。

 

 確認したいとは、即ち料理をまともに作れるのかと暗に言っているだけでなく、かなり苦労しながら教えたが故に心配しているとも感じていた。当初アナグラで料理を作り始めた際にアリサにも少しだけ教えた記憶があったが、アリサの料理の腕前はどこかチグハグな面が多かった。

 まともに作れる物もあれば、口にするのもおぞましいと感じる物まで多岐に渡っている。当初は疑問に感じたが、時折口から出る料理の教導にムツミもどこか関心を寄せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日からお世話になります。千倉ムツミです」

 

「ここの支部長のペイラー・榊だ。先だっても話した通りだが、君にはここのラウンジを任せたいと考えている。ゴッドイーターが故にかなりの量を食べる人間もいるから十分に気を付けてやってくれるかい?」

 

「はい!頑張ります。でも、気になった事があったんですが」

 

 ムツミがここに採用される経緯になったのは親戚の叔母がここで掃除をやっていた事に起因していた。

 元々ラウンジを作ったまでは良かったが、肝心の料理を作る人間の人選に難航した事から、一度採用の試験を受けてみてはどうだろうとの安易な考えが発端だった。ムツミは料理を作るのが得意だけあって、家でもかなり作る事が多く、また近所でもその腕前がどれ程の物なのかは良く知られていた。そんな中で何気に応募した採用試験の結果を聞いた際には飛び上がる程に驚いていた。

 

 極東支部はこれまでにも何度か求人を出した事はあったが、一定の期間を過ぎると必ず求人が出てくる。採用の条件は年齢問わず、どんな人間でも可となっている事が印象的だった。

 応募の条件からすればかなりアバウトな内容にも関わらず、支部の仕事である為に応募は常にひっきりなしの状態だった。にも拘わらず、一定の期間で出る求人はある意味では特異とも取れていた。

 何も知らない人間からすれば、余程環境が過酷なのかと考える人間も多く、ムツミも最初はそう考えていた。しかし、叔母から聞かされた事実によってムツミは一つの決心をしていた。応募の条件がアバウトなのは純粋にその料理の腕前だけを優先した結果だった。

 

 事実、ムツミも最初は断られると考えていたが、好奇心に勝てる道理はどこにも無く、応募した際の試験会場の案内が来た際には随分と驚いていた。厳しい試験が待っているかもしれない。そんなムツミの覚悟は一気に霧散していた。

 実際には現場で料理を作るだけで終わり、その後は自宅に採用の通知が送られただけだった。そんな経緯もあり、ムツミも榊とは今が初めて顔を合わせる程度しかなく、条件も今になって漸く聞かされていた。

 

 色々と細かい説明を確認しながら聞いて行く。そんな中で、事前に現場を覗くと違和感があった事が思い出されていた。ラウンジそのものは出来てから時間は経過しているが、何人もの人間が調理している様な雰囲気はどこにも無かった。

 鍋や器具を見ても丁寧に片づけられ、包丁に至っては触れればすぐに切れるかと思う程の存在感が出ている。少なくともここに居た人間の腕前は尋常じゃない事だけは間違い無かった。そんな人間が居るにも関わらず採用を続ける事にムツミは疑問を持っていた。

 

 

「答えられる範囲であれば大丈夫だよ」

 

「あの……調理場を見たんですが、どれも丁寧に片づけられてました。包丁に至ってはかなり使い込んだ様にも見える物が幾つかあったんですが、何故その人は居ないんですか?」

 

 仮にその人物の予備の為であれば悲しくなると考えたのか、榊はムツミの真剣な表情を見て暫し考えていた。確かにあの包丁の持ち主がここに居ないのは間違いないが、いつ戻るのかと言えば榊にも判断出来ない部分が多々あった。

 今まで応募してきた人物の料理を誰もが関心なく見ている事実がある以上、疑問を持つのは当然の事。今回応募してきたこの少女の料理だけは他の人間もどこか関心を寄せていた事を思い出していた。

 

 

「今はとある事情でここには居ないんだ。元々彼の私物は置いてあるが、今は手入れだけは他の人物がしてるだけでね。君には今後の事も含めて長期に亘って務めて欲しいと考えているんだ」

 

 ムツミが考えて居た事を看破したのか、榊は事も無く伝えていた。手入れされた包丁を見ればどれ程のレベルなのかは何となく分かる。前任者の後釜である以上、安穏とは出来ないと考えていた。

 

 

 

 

 

「あれ?新しい人ですか」

 

「コウタ君。ノック位したらどうかしら?今は来客中なのよ」

 

 榊とムツミが話をしている最中、不意にドアが開けられていた。ヘアバンドに白い制服。最近出来たクレイドルの人だとムツミはおぼろげながらに見ていたが、ここは極東支部の支部長室である以上、疑問に思う事は無い。今になって改めてここに採用された事を自覚していた。

 

 

「すんません」

 

「すんませんじゃなくて、すみませんでしょ。コウタ君。仮にも第一部隊長なんだから、言葉遣いはしっかりとね」

 

「分かりました。以後気を付けます」

 

「そうね。そうしてちょうだい」

 

 優しくたしなめられたからなのか、コウタと呼ばれた青年にムツミは親近感を抱いていた。これまでにも何度か広報誌を見た事があったが、実際にゴッドイーターをこの目で見た訳ではない。どこか他人事の様にも思えていたが、今のやりとりが功を奏したのか、既に緊張した雰囲気はどこかへと消えていた。

 

 

「丁度良かったわ。コウタ君、今度ラウンジの調理を担当する千倉ムツミさんです。今後は彼女がここの専任になるので、皆にもそう伝えてくれるかしら?」

 

「はい……」

 

 榊の隣にいた秘書の弥生の説明にコウタは珍しくムツミを凝視していた。詳しい事は分からないが、エイジの後釜である以上、それなりのレベルにある事は間違い無い。しかし、今回の件に関してはタイミングもあってか、ムツミの料理をコウタは口にしていなかった。

 

 

「言っておくけど、エイジとは方向性は違うけど、レベルはかなりの物よ」

 

「マジ……んん。そうですか。じゃあ、今後は楽しみですね」

 

「そうね。これで私もお役目御免だわ」

 

 先程の様な空気は既に無くなっていた。ここでは年齢に対しての忌避感や見下すなどのマイナスの感情はあまり無かった。ゴッドイーターの平均年齢が高く無い事が起因しているからなのか、目の前の事に対し、かなりフラットな目で見る事が多かった。

 弥生からの説明でコウタは楽しみだと言っている。このやりとりを見たからなのか、ムツミは早く厨房に向かいたいと考えていた。

 

 

 

 

 

「あの、どうでしょうか?」

 

 ムツミは渾身の出来だと思えるオムライスをコウタの前に出していた。厨房の設備そのものは新品の様にも見えるが、前任者の手入れもあったからなのか初めて使ったにも関わらず、長年使い込んだ様な感覚があった。

 

 コンロにも変な癖はなく、当たり前だと言っているかの様に炎が舞う様に出る。本当に自分が使っても良いのだろうか?ムツミはこれまでに感じた事が無い様なプレッシャーを感じながらも、コウタの要望に応えるべく調理を開始していた。

 出されたオムライスに意識が向かっているのか、コウタのスプーンは止まる事は無かった。大盛とオーダーを入れた為に、通常の量の倍の大きさで作っている。にも関わらず、そのオムライスはみるみる形を無くしていた。

 

 

「うん。旨かったよ。あいつの料理も良いけど、これもまた良いと思うよ」

 

 一気に食べたからなのか、コウタは出された水を一気に飲み干す。ガツガツと食べている様にも見えたが、自分の提供した料理に満足できたと感じたからなのか、珍しくムツミは小さくガッツポーズをしていた。

 

 

「そう言えば、前任の方の話を聞かされてなかったんですが、一体誰なんですか?」

 

「あれ?榊博士から聞いてないの?」

 

「はい。何でもとある事情で居ないとしか……」

 

 何気なく話した言葉にコウタは珍しく苦々しい表情を浮かべていた。決してムツミの料理の事では無く、そのとある事情の理由と、それを聞いたとある人物の感情を考えると平穏な生活を送る事は出来ないと感じ取っていた。

 時期的にはそろそろ帰ってくる様な話は聞いている。しかし、具体的な事を何一つ聞いていない以上、コウタは該当する人物の傍に近寄る事だけは止めておこうと考えていた。

 

 

「なるほど……別に隠すつもりは無いんだけど、ここの専任じゃないから、多分、説明しても何とも言いにくかったのかもね。ここが出来てからはずっとエイジがここに居たんだよ」

 

「エイジさんって……あの如月エイジさんですか?」

 

「あれ?知ってるの」

 

「だって私、本持ってます。あんなに凄い料理やお菓子を作るのに、レシピが凄く簡単なんです。私もかなり読み込みました」

 

 どこか興奮している様な素振りを見たからなのか、コウタも最初は驚いていたが、徐々にこれまでの事を思い出していた。自分もプリンやパンナコッタを作ったが、そんなに難しいと考えた事は一度も無かった。

 むしろこんな材料で良いのかと思う程にシンプルな物だけで作られたそれは、今でも記憶に残っている。時折実家で作るそれは今も妹のノゾミが嬉しそうに食べている事が思い出されていた。

 

 

「まぁ、ゴッドイーターやってるから、戻る時期は不明なのは仕方ないよ。ここには長期でって事だろ?そのうち帰って来たら話をすると良いよ。俺はあいつとは親友だからな」

 

「そうなんですか!」

 

 まだ帰らぬ友の事を言われたからなのか、コウタの言葉にムツミも表情が明るくなる。まだ始まったばかりではあるものの、どこか期待を胸に今は頑張ろうとムツミは一人考えながら下拵えを始めていた。

 

 

「コウタ、こんな場所で油を売る暇があるなら書類の提出をして下さい!」

 

「あれってまだ期限に余裕あったよな?」

 

「何を馬鹿な事言ってるんですか。もう期限はとっくの間に過ぎてますよ。こんな事なら弥生さんとツバキ教官にも連絡しておきますよ」

 

「それだけは勘弁して……」

 

 弥生とツバキの名前が出た事でコウタの表情は先程とは打って変わって何かに怯えている様にも見えた。目の前に現れた女性に頭が上がらないからなのか、コウタは直ぐに書類の件で退出する。突如として起こった出来事に、ムツミは下拵えの手が止まっていた。

 

 

「……ああ。お見苦しい所見せましたね。私はアリサ・イリーニチナ・アミエーラです。弥生さんからは話は聞いてます。エイジの後任みたいですね」

 

 コウタに見せた表情とは変わり、ムツミを見る視線は優しい物だった。突如として起こった嵐の様な出来事は既に無くなっているからなのか、穏やかな空気が流れている。何かを思い出したのか、アリサはムツミに飲み物を頼んでいた。

 

 

「あ、今日からなんですか?」

 

「みたいです。コウタがさっき食べてましたから、間違い無いですよ」

 

 アリサの前にアイスティーを出したと思ったら、今度はロビーに居た女性が休憩なのかここに来ていた。先程作ったかと思えば今度は飲み物の注文が出る。次々とオーダーされるからなのか、ムツミは榊の言葉を思い出しながら手を動かしていた。

 

 

 

 

 

「え?アリサさん、そうなんですか?」

 

「ええ、まぁ」

 

 休憩がてらに来ていたヒバリから自己紹介を受けた際に、アリサがエイジの恋人である事を告げられていた。最初は綺麗な人位の認識のはずが、どこか尊敬されている様な視線をアリサは感じていた。

 詳しい事は分からないが、エイジの名前が出た以上、無関係ではいられない。変に誤解される位ならばとアリサも自分の事を話していた。

 

 

「やっぱり、アリサさんもお料理は上手なんですよね?」

 

ムツミの憧れるの様な言葉にアリサは気まずい気分になると同時にヒバリはどこかニヤニヤした様な表情を浮かべている。確かに食べている姿は見る事はあっても作っている姿を見る事は殆ど無い。

 そんな事実を良く知ってるからこそヒバリは笑みを絶やす様な事はしなかった。

 

 

「私はそんなに上手じゃありません。結構出来栄えにムラも多いですし、最近は任務の方が忙しいのでゆっくりと習いに行く暇が無いんです」

 

 ここで誤魔化した所で後々嘘だと思われるのは嫌だと判断したのか、アリサは珍しく自分の事を話していた。

 以前に屋敷に居た際に、時間のゆとりがあるからと習った覚えはあったが、かなりのスパルタだった記憶だけが残っている。厳しい指導にアリサも挫けそうになった事は一度や二度ではない。失敗続きでもずっと付き合ってくれた板長に頭が上がらないままだった。

 今の時点で作れるものはかなり限られる。事実上の片手間以下の料理を人様に出す程、今の腕前は誇れる物では無かった。

 

 

 

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