上層部の杞憂とは別にカリキュラムは大よそながら予定通りに進んでいた。
元々は実地で覚えた極東支部のメンバーとは違い、座学と実践を同時に行うやり方は手間がかかるものの、その分馴染むのは早かった。
手さぐりでやっている割にはの前提はあるが、それでも教導で来ている人間もまた支部の精鋭だからなのか、どんな事でも学ぼうとする意欲を持っていた。
「流石にああまでだと、後半は大変そうかもな」
「ああ。今まで碌に学んだ事もないし、まさかあんな風に緻密に計画しているとは思わなかった」
「後半はどうなるんだろうな」
「だな………」
ここに来た当初は割と遠慮する部分が多分にあったが、今では完全に馴染んでいるのか、今回の件でここに来ている人間の殆どがラウンジに足を運んでいた。極東支部とは違い、他の支部ではゴッドイーターの平均年齢はそれなりにある。その結果、何時もよりもバータイムのラウンジは少しだけ人の数が多かった。
「いや、そんなに心配しなくても良いぞ。やる事は基本的には同じだからな」
「雨宮中尉。お疲れ様です」
「そんなに畏まらなくても良いって。リンドウで十分だからさ」
「ですが、我々からすれば、中尉が教官である事に違い無いですから」
「そうか……だったら教官命令だ。俺の事はリンドウで良い」
半ば強引とは言え、リンドウの言葉にカウンターの端に座ってい居た人間は恐縮していた。
基本的に雨宮教官と言われれば、ここに居る人間の大半はツバキの事を指している。尤もツバキ自身はフェンリルに対しての登録は変更しているので然程気にしていないが、中堅からベテランからすればそう呼ばれると何となく背筋が寒くなる為に、リンドウに関しては何時もと同じ接し方をしていた。
「……分かりました。リンドウさんと呼ばせて頂きます」
「……まぁ、それなら良いか」
年齢では無く、経験からしてもリンドウのキャリアは極東だけでなくフェンリル全体から見てもベテランの領域だった。本来であれば現役の引退も視野に入る。にも拘わらず、未だ続行しているのは偏に経験からくる戦闘時の指示や教導、纏める人間の少なさが原因だった。
何も知らない人間からすれば、リンドウやソーマの実績は尋常ではない。討伐のスコアはエイジの方が上だが、キャリアと言う点では他のゴッドイーターの追従を許す事は無かった。
半ば伝説じみた結果をもたらすからなのか、リンドウの事は割と知られている。だからこそ、バータイムで飲みに来たリンドウを見たからなのか、カウンターに座っていた人間は恐縮した態度を取っていた。
「弥生さん。俺には何時ものを頼む」
手慣れたオーダーだったからなのか、弥生もまたリンドウのキープしていたボトルのキャップを開ける。古酒独特の香りが周囲に広がる。ラウンジがまだ食事をする時間とは違い、この時間のリンドウはビールよりもブランデーを好んで飲む方が多かった。
「今日は良かったんですか?」
「ああ。サクヤからも許可を貰ってるんでな」
口数少ない会話なのは、偏に隣に座った事による質問を受ける為だった。
実際に教導の時間に指示をする事は多々あるが、その殆どは時間外になるケースが多い。特にクレイドルの中でもリンドウが一番実地に顔を出すのがその要因の一つだった。
「しかし、事前に情報は得てましたけど、ここに来ての内容は結構大変でした」
「そうか?あんなもんだろ?」
「リンドウさん達は当たり前の様にしてますけど、あれを現場レベルでとなると俺達としては大変としか言えません」
アルコールが入った事によって先程までの緊張した空気が無くなっていた。
実際にリンドウが顔を出したのは、研修中のゴッドイーターの様子を伺う事が目的だった。
元々クレイドルの理念だけを伝えた所で、現場が回る訳では無い。それ所か、既存の支部の内容の一部までもが影響を及ぼす為に、生半可な内容のままにする事は許されなかった。
事実、現場の人間に対してオラクル細胞学やアラガミの行動原理を教える必要は殆ど無い。本来であれば、榊やソーマが学会で示したレポートを読めば理解出来る程だった。
実際に命を賭けた職場では、自分のストレスを溜めこまない様に、それぞれが工夫を凝らしている。ノルンの中にあるアーカイブはまさにその典型だった。
当然ながら学ぶよりも先に自分を満たさなければ話にならない。その為に、何となくは知っているが詳細は知らないゴッドイーターが殆どとなっていた。
当然ながら余程の変人でも無い限り、学業として学ぶ人間は居ない。その結果、実技を繰り返しながらも、その意味や特性を叩き込むのにソーマは悪戦苦闘していた。
「まあ、何にせよ慣れだな。俺なんて未だに良く分かってないからな」
「リンドウさんがですか?」
「当たり前だろ。お前らは俺を何だと思ってるんだ。それに現場の最先端には他の人間が戦力として出てる。俺の出番なんて早々無いからな。年齢的には楽したいんだよ」
そう言いながらリンドウは自分のグラスを傾けていた。リンドウが実際に本当の事を言っているのは間違いないが、その実情は僅かに違っていた。
エイジだけでなく、アリサやソーマもまた現場には出たままになっている。サテライトの候補地を見つけながら転戦するのは、極東では最早常識の行為だった。
その為に、全員が一定以上の知識を持っている。その上でアラガミを討伐している事を知ってるからなのか、二人組は驚愕の表情でリンドウを見ていた。
「そうそう。言ってなかったが、明日は一日だけ休日を設けている。その後はアラガミとの実戦の予定だ。今の内にしっかりと休んでおけよ」
その言葉を聞いた二人の顔は僅かに青くなっていた。
雲一つ無い空はこれからのミッションを現すかの様だった。
これが通常の任務であれば、それほど気にならない天候。しかし、今回の実践は本当の意味での実戦となっていた。
「事前に説明した通りだが、念の為におさらいするぞ」
リンドウの言葉に誰もが注目をしていた。
元々今回の内容は実戦ではあるが、厳密には違っている。対象となる人員を如何に安全にアラガミから回収させる為の行動原理を叩き込む事だった。
本来であればアラガミではなく、シミュレーションを使用するのが筋ではあるが、アラガミと言えどどんな挙動をするのかはリンドウ達であっても分からない。
その結果、高難易度ミッションではなく下位から中位の間位のミッションで実践する事になっていた。
実際にゴッドイーターを一般人と想定する程極東支部に人員の余裕は無い。その為に、ある程度疑似的な行動にする事にしていた。
挑発フェロモンを利用する事によりアラガミの行動を一定にする。その際にそこからどうやってアラガミを引き離すかを前面にしていた。
幾ら挑発フェロモンを使用しても直接の攻撃を受けてまでそれに固執する個体は無い。その結果を持って判断する運びとなっていた。
「以上が今回の作戦の趣旨だ。万が一強固な個体が出ても、それはこちらで対処する。あくまでも討伐がメインじゃなくその場から引き剥がす事がメインになる。それを忘れるなよ」
リンドウの言葉にその場にいた全員が周囲を見渡していた。
気が付けばエイジとソーマ、ブラッドから北斗が周囲を固めている。万が一感応種が出たとしても万全の体制を取っている事を確認したからなのか、全員の表情に僅かではあるが、安堵が浮かんでいた。
当然ながらそれとアラガミとの戦いは別の話。
最悪は介入するかもしれないが、余程の状況が大前提の内容。討伐よりもある意味では厳しい事を誰もが理解していた。
コンゴウの背中のパイプから吐き出す圧縮した空気は弾丸となってそれぞれに襲い掛かっていた。
不可視の弾丸を回避するのは困難ではあるが、コンゴウのそれには一つだけ大きな特徴があった。
砲撃はするが速度はそれ程ではなく、着弾する瞬間に周囲の大気を大きく巻き込む。
その結果、着弾した瞬間の破壊力は抜群だが回避出来ない物ではなかった。
撃ち込まれた瞬間、誰もがその場から大きく回避する。群れを為せば厄介ではあるが、単独の今となっては脅威はそれ程では無かった。
盾で守るのではなく、回避した為にコンゴウには大きな隙が生じている。その結果、此方が予定する行動を遮る様な障害は無くなっていた。
今回から教導の内容は大幅に変更されている。本来であれば全員が最低限でも全部を軽くでも触る予定だったが、想定よりも遅い習熟だった為に暫定的に今回の様な形を取っていた。
一番の理由は時間の問題。
他の地域と極東地域のアラガミの質にかなりの差があった事だった。
基本的には中尉クラスの人間が参加しているものの、いざ戦場でとなった際には予想よりも低い結果となっていた。
仮に緊張した事を加味しても、新種が出れば誰もが同じ状況になる。
極東でも新種討伐は苦戦を免れないが、他の地域では最悪は部隊の消滅までもを視野に入れる必要があった。
ゴッドイーターとアラガミのミスマッチを嘆いた所でアラガミが遠慮などはしない。そんな結果だからこそ榊もまた頭を抱える結果となっていた。
効率を求める以上はある程度の素養を伸ばすしかない。その結果としてこれまでの内容を把握し、内容を分担する事に決めていた。
「油断はするな!ここは俺達の支部じゃないんだからな!」
「了解!」
隊長格と思われる人間の檄に同じチームのメンバーの声が鋭く響く。
初見では感じられなかった感覚がリンドウにも伝わっていた。
少なくともリンドウの目視では、中位の中でも上の部類の強さに該当する。口を出しても良かったが、今のチームの士気の高さを考えれば敢えて言う必要は無いと判断していた。
下手に口にすれば誰もが動揺する。これが通常の討伐であればやれない事は無いが、これはあくまでも一般人の救出任務。
自分達が経験しているミッションから見れば格段に難しい物だった。
着弾した瞬間を逃す事無く一人の男がコンゴウの右腕を斬りつける。今回のミッションは最初は討伐ではなく、アラガミを誘導する為の効果的な攻撃方法を行う事を優先していた。
アラガミからすれば、人間はただの餌でしかない。当然ながら天敵と捕喰対象が同列だった場合、アラガミの殆どは本能を優先していた。
当然ながら僅かでも行動に澱みがあれば被害は瞬時に拡大する。そうならない為にアラガミの注意を引き、対象から意識を外す事が目的だった。
最終的には討伐はするが、その前段階でこちらのやりたい事を優先させる。危険ではあるが、ある意味では合理的な内容だった。
斬りつけられた事によってコンゴウの意識が挑発フェロモンが設置された場所からゴッドイーターへと移る。常に一定以上の距離を取りながらもその場から人知れず離す事に成功していた。
「取敢えずは合格だ。このまま一気にケリをつけるぞ!」
「了解!」
リンドウの言葉に研修中のゴッドイーターは各々が気炎を上げる。これまでにも数度交戦した為にこの地域のアラガミの強度は何となく理解してていた。
少なくとも自分達の支部では上位に入るアラガミも、ここでは精々が中位か下位でしかない。
周囲にクレイドルの人間が待機しているが、それは保険の代わりでしかない。当然やるのは自分達がメインだった。
強引に攻め込めば手痛い反撃を受ける可能性が出てくる。そうならない為には手堅い戦法が必要だった。
求められるのは漠然ではなく確実な結果。ある意味では通常の教導以上の結果が自然と求められていた。
「基本的にはこれをそのままでも問題はありませんが、それ以外の工夫は各自でお願いします」
戦闘訓練を兼ねた教導の傍らで、アリサを中心に一部の人間は炊きだしや人心掌握の手法を学んでいた。
アラガミからの脅威に怯えながら生活を続ければ、幾ら健全な人間であっても心のゆとりが失われて行く。その結果、自分だけでなく周囲にまで多大な影響を及ぼす可能性があった。
只でさえ精神的にゆとりが無い場面で、何かのキッカケがあればそれは周囲に伝播する。その結果として待っているのは更なる混乱だった。
当然ながらアリサの様に現場を幾つもこなした人間であれば、回避や宥める手段は幾つもある。しかし、何も知らない人間はなす術も無く呆然とするより無かった。
そうなれば自分達にも開く感情が及んでくる。誰もが良い結果をもたらさない未来よりは、今出来る最善をこなした未来に近づける手段を早急に学んでもらうより無かった。
その結果、一番手っ取り早く本能を満たし、精神を落ち着かせる。これまでに培った経験を参加者全員に余す事無く教えていた。
「このままでも良いなら、その方が手っ取り早いんじゃないですか?」
「本当の意味で時間が無いならそれも有りです。ですが、意外と人は見ています。仮に自分達が同じ立場だった場合にどう思うか?を念頭した方が良いですよ。全部とまでは行かなくても、それなりに体裁を繕える位の事はした方が有効です」
「そうでしたか」
同じ場所でも立場が違えば考え方が違うのは当然だった。
実際に極東支部に置いてはある程度のゆとりがある今は、些細な事でも対処する事は可能となっている。しかし、それはあくまでもここ数年の話。
まだアリサがここに来た当初はそれ程ゆとりがある様には思えなかった。
ある意味では平等ではあるが、決して恵まれているとは思えない環境。皆が等しく冷遇された環境だった為に、外部からの人間にはどこか排除する様な気質が漂っていた。
極東支部が割と大らかに動けるようになったのはここ最近でしかない。サテライトと言う受け皿があるからこその対処だった。
自分が庇護下に居る事が出来る事で精神的な負担は大幅に減る。それだけ人間の持つ感情はある意味では厄介だった。
質問された事に答えながらアリサもまた幾つかの食材を簡単に切り刻むと、そのまま鍋へと投入する。手間としてはそれ程ではないが、やはり見た目における印象は大きく異なっていた。
口では答えないが、見たままの感情がそのまま答えとなっている。だからなのか、質問した人間もまたアリサを食い入る様に見るしか無かった。
何を入れたのかは分からないが、先程以上に鍋からは芳醇な匂いが周囲に広がる。
口からただ栄養を流し込むよりも効率は悪いが、落ち着くには抜群だった。
誰もがその内容にだけでなくアリサの手際に視線が集まる。アリサもまた最初の頃を思い出したからなのか苦笑交じりに周囲に視線を動かしていた。
「これで本過程における教導は完了とし、以後各自がそれぞれ精進する様に」
ツバキの言葉と同時に誰もが今回の教導の完了を実感していた。
当初から予想された様にクレイドルとしての最低限の内容を把握するだけに終わったのは偏に時間の無さが原因だった。
実際にエイジやアリサ、リンドウ達が今の様に最初から活動出来た訳では無い。それそれが紆余曲折した結果、最適化出来た結果だった。
実際に学んだ人間もまた、想像以上に内容を詰め込まれたからなのか、精神的な負担は大きな物となっている。
戦闘だけでなく、周囲の状況を見極め確実に対処する。ある意味では一つの支部が判断する内容と大差無かった。
事前に来る際には、求められた曹長以上の階級の意味はそこに集約されている。まだ新人の状態で指示を出したとしても現場が混乱するのは当然の事だった。
人間誰でもが自分よりも優秀な人間をそう簡単に認める事は出来ない。自分の力量を正確に理解し、周りに認められる頃には既に手遅れでしかない。
緊急時であっても混乱をもたらさない様にしたのが階級制度だからだ。今ならその意味が理解出来る。そう考える事が出来ただけでもある意味では進歩していた。
「それと、今後の事もある為にクレイドルの教導修了者にはそれぞれ制服を与える事になっている。これは各支部長にも既に話は通してある。貴君らがこれを身に纏うかどうかは各自の自由だが、その理念だけは決して失わない様に」
周囲の状況を確認したからなのか、更なる追加としてツバキは制服を各自の数だけ用意していた。
フェンリルの制服とは違い、純白の制服に背負うのは狼の牙ではなく月桂樹の葉。ゴッドイーターから見れば明らかに違う紋章は全員の視線を奪っていた。
「今回は大変だったよ。裏方だったけど、準備が大変でさ」
「そう言えばコウタはそうでしたね。すっかり忘れてましたよ」
「うわ、そんな事普通言わねえぞ」
「コウタですから、問題ありませんよ」
厳しい教導が終わった事でラウンジは当初とは違った雰囲気に包まれていた。
実際に今回参加して居る人数はそう多くはない。勿論、ここが共有の場である為に他の人間もまた事実上の無礼講となっていた。
そんな中、エイジとムツミはカウンターの中で常に動き回っている。
これがムツミ1人では無理だと判断した結果だった。
それぞれが今回の内容を振り返っている。教導を受けた人間だけでなく、今回の内容を教える側もまた色々な意味で教えられる部分があった。
「お前ら、そこまでにしておけ。言いたい事があるならこれが終わってからでも構わないだろう」
「ソーマだって本当は面倒とか思ってたんじゃないんですか?ほら、何かにつけてシックザール博士とかソーマ博士とか言われてたの、俺見てるんだぞ」
「………コウタ、まさかとは思うが僻んでるのか?」
「んな事無いって。実際には俺だって何かにつけて相談とかされたんだからな」
純白の制服は正規の人間しか着る事が出来ない物。極東支部の人間はそれ程意識した事はなかったが、今回参加した人間はその限りでは無かった。
事実、コウタだけでなくマルグリットやエリナ。エミールもまた裏方としてミッションが無かった際には常に動き回っていた。
表に出るだけが全てでは無い。コウタとて理解はしているが、内心はソーマが突っ込んだ通りだった。
「誰もが一丸となってやれたからこそだよ。それにコウタの事はツバキ教官だって知ってるから」
3人の為に用意したのか料理をもったエイジが大皿を持っていた。
既にここに来ている人間もまた、エイジがカウンターの中で作業をしている事を理解している。誰もが一度は面食らったが、それもまた直ぐに日常と化していた。
「まあ………俺は基本的には裏方専門だからな」
「裏方があっての事だよ。でないと今回のこれは成功しなかったと思う」
「そっか………」
エイジの言葉にコウタがそれ以上は何も言えなかった。
少し離れた所でアリサの『コウタはちょろい』なんて言葉が聞こえはしたが、敢えてそれに突っ込む事は無かった。
当初はどうなるのかすら危ぶまれたものの大成功した事実は後々の受け入れを更に強化する結果となっていた。