最近は計画が予想以上に上手くいっているからなのか、随分と人の数が多くなっていた。主にサテライトに住む子供達。数こそ多くは無いが、普段であれば体験する機会が少ない為に、普段は静かな聖域は騒がしくなっていた。
その中に、本来であれば計画の肝となるべき人間の声は聞こえない。ここではアラガミの脅威に怯える事が無いからなのか、どこか隔絶した雰囲気があった。
旧時代。まだオラクル細胞が発見される前の文明時代。そこにはアラガミの様な人類の天敵とも言える存在は無かった。
その為に余程の事が無ければ戦禍に怯える必要すら無い。ある意味では懐かしいとさえ思える空間だった。
一組の老夫婦は収穫をしている子供達の姿に目を細める。自分達の残された時間はそう多くはない。だが、目の前で収穫をしている子供達は、まだこれらの人生が続く。今の状態がどれ程続くのかを考えたからなのか、不意にこの場に居ないブラッドのメンバーの事を思い出していた。
「また、随分と大きく育ったものじゃな」
「こんなに大きい野菜を見たのは初めて!」
「これって直ぐに食べる事出来るのかな」
初めての収穫だからか、誰もが興奮気味に話しをしていた。実際に種を蒔いたのは子供達とブラッドのメンバー。ここ最近に関しては、時折専門と思われる人間も足を運ぶ機会があるからなのか、多少なりとも手を入れていた。
農作業は何も畑や水田だけではない。果樹もまたその一つだった。ここ以外の場所ではオラクル細胞の影響を受けている品種が多い為に、まともに成長するのかすら分からなかった。
畑の経験はあっても果樹に関してはそれ程経験していない。その為に極東支部から技術者が派遣されていた。
「直ぐでも良いけど、少しだけ天日干しした方が美味しくなるのよ」
「……そっか。じゃあ、また今度だな」
「そう。次に来た時には美味しく食べる事が出来る様に準備しておくから」
「本当?」
「ええ。本当よ」
老婆の言葉に子供も素直に納得していた。これが食料が何も無いのであれば、今直ぐにでもと言った感情が先に出るかもしれない。だが、食料事情が改善された今、味を追求するだけのゆとりがあった。
まだ数年前であれば考えられない事態。クレイドルの推進するサテライト計画の本領を実感していた。
当初、ブラッドからの農業支援の話が来た際には驚愕以外に何も無かった。当時は聖域だとは聞いていなかったが、初めてその大地に足を下ろした瞬間、懐かしい気持ちが蘇っていた。周囲には防壁が無い。幾ら広大なスペースであっても防壁の存在で閉塞感があるのは当然だった。
事実、サテイラト計画での対象から自分達は敢えて外している。老い先短い自分達よりも前途ある人間の方が余程良い。だからこそ、アラガミから隠れる様にひっそりと住んでいた。
当然ながら普段の生活もまた苦しい。どこに所在地があるか分からない者の為に配給そのものが殆ど無いから。そんな暮らしをして数年が経った頃だった。一人の黒い腕輪の青年との邂逅。当時はまさかこんな状況になるとは考えていなかった。
だからなのか、ここ最近忙しくなった彼等を見ていない。子供との作業も良いが、やはりブラッドのメンバーとの作業もまた格別だった。
「じゃあ、久しぶりの団欒に!」
初めて野菜を収穫したカレーパーティーを彷彿させるかの様にロミオの言葉が部屋中に響いていた。以前とは違い、既に季節は秋から冬に差し掛かっている。今回の鍋料理もまたその中の一因だった。
ロミオの音頭と共に事前に熱が加わった具材は何時でも食べる事が出来る。事前に用意された物を使ったからなのか、事実上の初めての料理にも拘わらず、誰もが満足できる味わいだった。
事前に用意された割り下は熱を加えられた事によって甘辛い匂いが室内に充満していく。老夫婦だけは懐かしさを覚えたが、ブラッドを中心に、他のメンバーは興味津々だった。
これまでに食べた事が無い料理がある事は既に知られている。極東支部の内部ではそれ程ではないが、サテライトに関しては完全に料理の点に於いてはまだまだだった。
極東支部に関しては最初から完成されたアーコロジーだった為に自家製造は不可能ではない。配給に頼る頃は育成速度が早く、また色々意味での品種改良が可能な物を優先していた。その結果、初期の頃の様な最低限度のカロリーを摂取できる物から遺伝子を組換えた野菜へとシフトする。その結果、極東に限らず、他の支部でもジャイアントトウモロコシに代表される科学的に肥大化された物資が支給されていた。
当然ながら調理方法をまともに知らない人間にとってはその違いは変わらない。その為に、完全にゴッドイーターから好評だとは言えなかった。
だが、ある時期からその不満は一気に解消される。女神の森に代表されるサテライト計画の推進だった。最初のサテイラトを食料プラントとして利用した事により、これまでの様に数が足りなくなる事は激減していた。それと同時にその恩恵は極東支部だけでなく、女神の森も受ける。一度動き出した歯車は止まる事無く、そのまま予定通りに回転し始めていた。
屋敷での試験運用された食料を極東支部のプラントで稼動させる。その結果、極東支部を中心にサテライトにも満足できるだけの品が行き渡る事になっていた。新しい食料が出れば調理方法にも工夫が生まれる。だが、その速度はそれ程早くは無かった。
一つのメニューを作る際には幾つかの食材が必要となる。その結果として、ゆっくりと食糧事情は好転する事になっていた。そんな中で今回用意された鍋はそんな食糧事情を無視するかの様に用意されている。だからなのか、誰もがはやる心を押さえつけ、用意された鍋をジッと見ていた。
ロミオの言葉に誰もが真っ先に鍋へと箸をやる。そこにはマナーと言う言葉が最初から存在しなかった。
「これは………中々味わい深いな。ロミオはこんな物を隠していたのか」
「だから、リンドウさんだって……」
「いやいや。リヴィちゃんの言う通りだよ。甘辛いのに、この溶き玉子を絡めたらまろやかになるんだよ」
「ナナ。肉ばかりじゃなくて野菜も食べると良い。この味が染みた野菜はここで取れた物だ。十分に味わうと良い」
事の発端はロミオの一言。元々ラウンジで鍋料理が出る事は無かった。元々極東では気にしないが、他の支部から来た者からすれば一つの鍋にそれぞれの端やフォークをつつく習慣は無かった。提供する側からすればそれ程面倒ではない。だが、食べる側からすれば余程親密でなければ出来なかった。
食材が豊富になっているからと言って、全員にもれなく提供出来る程の数は無い。その結果として、やったとしても個人の部屋で食べる程度だった。
ロミオは偶然屋敷で口にしたに過ぎない。だが、あの時の空気が心地よかった。
これまでクレイドルのリンドウやエイジは話すには良かったが、余程の事が無いかぎり近づく事は無いと考えていた。サテライト計画だけでなく、歴戦の猛者。誰もが事実上の一騎当千と呼べる程だった。当時もそうだが、今になればその実力は痛い程に分かる。教導の際にも未だ北斗だけでなく、ギルもまたエイジには致命的な一撃を当てる事が出来ないままだった。そんな自分達だからこそ無意識のうちに圧倒的なオーラの様な物を感じる。それ程までに隔絶していた。
コウタとは趣味が合う事から付き合いはあったが、リンドウやエイジ、ソーマに関してはその限りではなかった。
だが、ふとした際に同じ鍋を食べた事によって、ロミオの心理的な何かがほぐれていく。それを感じたが故の結果だった。だが、周囲はそんな心情を微塵も考えていない。これまでに食べた事がなかった料理を自分も食べたい。そんな欲望のままに突っ走った結果だった。
「ジュリウス。気持ちは分かりますが、肉は時間が経つと固くなります。なので、早めに食べるか、入れるのを少し待った方が良いですよ」
「シエルの言う通りだ。だが、野菜も悪くは無いな。これならアルコールが欲しくなるな」
「って言うか、お前ら少しは自重しろよ!他が食べられないだろ!」
最初に投入された具材をあらかた食い尽くす前に次の具材を入れる。それが鍋料理の鉄則だった。だが、誰もが食べる事に注力している為に、次の概念が無い。その結果、ロミオがせっせと野菜や肉を入れていた。
「ロミオ。生卵でこれなら茹で卵を入れれば格段に良くなると思わないか?」
「思わねぇよ!それ、おでんだから!」
「じゃあ、次はおでんパーティーだね!楽しみだな」
「ナナ。それはまだ早いって。さっき入れたばっかりだぞ」
「大丈夫。元々生で食べる事が出来るんだから」
「意味ないじゃん!ジュリウス、それまだ早いから!」
「む。まだ早いか」
ロミオの言葉など無視するかの様にナナは少し前に居れた豆腐を掬っていた。味が染みるなどと言った悠長な雰囲気は無い。それ程までに勢いが凄かった。
リヴィにツッコミを入れた瞬間、ナナの意見が炸裂する。少なくとも普段ラウンジ食べる際にはここまで賑やかになる事は無かった。この場にエイジが居れば間違い無くお疲れ様。と言う言葉が出る程にカオスな状況が続いていた。
室内の空気がざわつくのは何時もの事だが、今日に限っては何かが違っていた。まだブラッドが全員揃う少し前。ジュリウスが家族だと言っていた頃に戻ったかの様だった。
「何だかブラッドって変わった人が多いよね」
「うん。広報誌では何回か見たけど………確かにそうだね」
「彼等はあれが本当の姿なんじゃよ」
「そうそう。神機使いと言っても、何も特別な事は無いのよ。彼等も私達を同じなんだから」
今回のゲストとして呼ばれたのは以前に収穫を手伝った子供達だった。これまでに広報誌と言う媒体でゴッドイーターを見た事は幾らでもある。だが、ブラッドに関しては初見だった。だからこそ今回の招待の際には緊張したが、鍋を囲む様子を見たからなのか、その感情は完全に無くなっていた。老夫婦からすれば何時もと変わらない姿。だが、子供達かあすれば意外の塊だった。
今回のすき焼きに関してはロミオの意見ではなく、具材や調味料を用意したエイジの意見をそのまま採用していた。
幾ら大きな鍋であっても野菜に熱が通るまでには時間がかかる。ましてや食欲旺盛なゴッドイーターであれば尚更だった。肉をメインにしても良かったが、場所を考えれば野菜もまた主役だった。幾ら一つだけ良くても、全体が悪ければ味の調和は起こらない。その結果、それなりで終わる可能性が高かった。自分がその場に居れば調整も可能かもしれない。だが、ロミオが動くのであれば不要だと判断した結果だった。
その結果、参加人数を伝えた所鍋が二つ用意されている。普段からラウンジの仕事をしているからの助言だった。ロミオも当初は半信半疑だったが、今なら分かる。もし、一つしか無ければ確実に戦争になっていたからだった。
僅かでも想像したからなのか、ロミオの躰は僅かに震える。だが、それに気が付いた人間は誰も居なかった。
「あ~。お腹いっぱいだよ」
「当たり前だろ。どれだけ食ったんだよ」
満足に包まれたナナは無意識の内にお腹をさすっていた。実際に用意されたのはブラッドの分だけでも一人頭三人分相当。その全てが完全に胃に収まったとなれば、ナナの行為は当然だった。実際に用意されたのはすき焼きの食材だけではない。集まるメンバーの事を考えたからなのか、エイジはそれ以外の物も用意していた。
このご時世。ある意味、贅沢と思える食事は娯楽に近い物があった。本当の事を言えば極東支部の中だけでも色々とやれない事はない。だが、周囲と比べれば本当の意味で是と捉える事が出来るのかは微妙だった。
サテイラト計画を推進するクレイドルは、ある意味では世界の真の姿を直視している。サテライト拠点は未だ人類に対し、完全に網羅されている訳でない。当然ながら常に命の危機に怯えながら暮らす人々の表情を知るからこそ、大きく羽目を外す真似はしなかった。
支部のラウンジの中にも最低限の娯楽施設は存在する。それに関しては特に思う事は無かった。人類の守護者と言えど同じ人間である事に変わりない。
力無き人間が怯えるのとは違い、ゴッドイーターは常にその最前線での戦いを強いられる。殉職率が高く、アラガミによっては本能を揺さぶられる事もある。そう考えれば最低限度の息抜きが出来る施設は当然だと考えていた。
食事に関してはある意味ではその限りではない。幾ら同じ食材を使っているとしても、調理によってその姿が変わる為に、本質的な物は見えなかった。幾ら支給され、購入できる食材が同じであっても作り方一つでその先に出来る物は大きく変わる。料理を知る人間であれば常識的だとしても、それはある程度のゆとりがあればこそ。ギリギリの生活をする人間にとっては贅沢品の様にも映ってた。
事実、サテライト拠点に入植する人間や職人への炊き出しもまた、そんな意味を持たせていた。事前に用意された物が一般でも手に入りやすい凡庸品から作り出される物を口にする。その時初めて自分達はアラガミからの脅威に怯えない可能性を理解していた。
今回の食事に関しても同じ事。すき焼きの材料そのものも特段特殊な食材は何一つ無い。それ所か聖域で作られたそれだけで構成されていた。ブラッドや老夫婦は兎も角、サテライトから来た子供であれば、これまでに見た物を口にする。その結果として、これが特別では無い事を無意識の内に知らせていた。
「そうか……では、ナナの分のこれは私が頂くとしよう」
「ちょっと待った!ほら、甘いものは別腹って言うよ!」
「………ナナさん」
リヴィの言葉に反応したのは本能から来る何かなのかもしれなかった。傍目で見れば別で用意されたのは小さなケーキとタルト。それ程特別な素材ではなく、本当に手軽に手に入る物で作られていた。
アナグラであっても早々見る機会が少ないお菓子。ここで逃せば次の機会が何時になるのかは全く不明だった。
ラウンジでも幾つかのお菓子類は提供されているが、そのどれもがエイジやムツミの時間が空いている際に造られる物が殆ど。事前に依頼すれば可能だが、だからと言っておいそれと頼む事は無かった。
一番の理由は純粋に時間の都合。ラウンジの大きさと中に入れる数を考えれば時間は事実上あって無いに等しい。簡単なクレープ程度であれば問題は無いが、それ以外になれば準備に時間が必要だった。
お菓子に限らずデザート類も普段から提供はされるが数は少ない。事前に出るタイミングが分からない事もあってか、全員が漏れなく口に入る事は無かった。
そんな中、ラウンジでも口に入らない物が目の前にある。普段であれば理知的な側面を持つシエルやリヴィもまた、少しだけ雰囲気が変わっていた。
ナナが食べ無いのであればその分が自分達に回ってくる。ナナもまたそれを理解した為に最低限の確保に走っていた。
「まさかこの歳になって改めて食べる事が出来るとは思わなかったな」
「そうですね。それだけ良くなってきているんじゃないですかね」
子供達だけでなく、ブラッドのメンバーもまたアナグラへと戻ったからなのか、ログハウスの中は何時もと同じ静寂が広がっていた。厳密に言えば、若干の寂しさもまたそこにある。一番の要因は旧時代に口に出来た物を改めて口にした事だった。
アラガミが闊歩してからの時代を知るからなのか、子供達に比べて、年齢が高い者程当時の状況と無意識の内に比べていた。物が有り余る時代であれば直ぐに捨てる様な食材であっても、命の危険にさらされた状況では文句を言う事すら出来ない。
事実、まだアラガミがそれ程脅威だと思われていなかった頃はそんな考えを持つ人間が圧倒的だった。近代兵器であればアラガミの様な物は如何とでも出来る。それが根拠だった。
しかし、現実は予想に反するかの様に厳しい物だった。これまでの歴史の中でも圧倒的な戦力を持っているはずのそれが全く通用しない。フェンリルが開発した神機が世間に出るまでは、一方的に蹂躙されていた。その結果、人類の数は一気に減少し、既に地球上での最大の勢力では無くなっていた。命に危険を感じながらに安心して食料を生産できるはずが無く、その結果として最低限のカロリーだけが摂取できるまでに落ち込んでいた。
当然ながら不満はあれど打開策が何処にも無い。誰もが不満を持ちながらも生き延びる為には仕方ないと考えていた。
事態は短期間の間に大きく変化している。極東支部の肝煎りとも呼ばれたエイジス計画、そして終末捕喰の回避。その結果としてサテライト拠点が希望の光となっていた。
だが、拠点に入れる人間の数は決まっている。だからこそ老夫婦は入植を辞退する事によって次代を優先していた。そんな中、一人の青年と会う事によってこれまでの生活環境が一変する。まさか今の時代に安心して農業に従事するとは考えていなかった。
当初はサテライト以上の待遇に辞退した。だが、支部長でもある榊からも農業経験、若しくはそれに従事した者はこれからの未来に必ず役立つからと言われた事によって、自分達の存在意義を改めて考えていた。
データから引っ張れば出来ない事は無いかもしれない。だが、それだけで農作業は簡単に出来るはずも無かった。当然ながらそこに至るまでの経験も要求される。態々データ化するまでも無いが、やはり、やった方が良い物も幾つかあった。だからこそ自分達の出来る限りの事を後世に伝える。そんな使命感を持っていた。
「そうじゃな。こうやって安心してお茶を飲める。これもまた贅沢じゃな」
出されたお茶をすすりながらも、ログハウスから見える大地には色々な農作物や果樹が植えられていた。オラクル細胞に絡む物ではない植物。それがどんな価値を持つのかを正しく理解していた。
聖域が今後どうなるのかは分からないが、少なくとも人類はまだ諦めた訳では無い。寧ろ、これからが本番だと言わんばかりだった。
その為には最前線で戦うゴッドイーターの血が必ず流れる。アラガミと戦うのは無理でも、大地を相手にする農業もまた一種の戦いだった。確定してない未来に向かって抗い続ける。
ある意味ではゴッドイーターよりも厳しい物だった。だが、そこに悲壮感はない。今日の食事の光景を見たからこそ老夫婦もまた明日に向けての可能性を考えると、穏やか気持ちが広がっていた。