神喰い達の後日譚   作:無為の極

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第152話 未来への経験 (後篇)

 

 帰投中のヘリの中は色々な意味で重苦しい空気が蔓延していた。クレイドルの面々は各々がやるべき事をしている。既に視線は手元にあったタブレットに向かっていた。

 何も知らない人間であれば、幾ら救助されたとは言え何かしら会話をするとでも思ったかもしれない。だが、部隊長であれば三人が何をしているのかが直ぐに理解していた。

 

 情報の共有化とフィードバック。これはクレイドルがこの支部に来る事が分かった時点で部隊長クラスの人間に出された指示だった。

 ここ数ヶ月。特に討伐を専門にしている部隊の人間からすれば、突然のアラガミの強化は目に見える程に分かりやすかった。これが新人であれば何も分からない。だが、中堅以上の人間であれば明らかにこれまとは違ったアラガミの反応に違和感を持っていた。

 

 極東エリアとは違い、欧州の支部の殆どで大型種の討伐任務が出る事はこれまでは殆ど無かった。

 当然ながら中型種がメインとなる為に、必然的にゴッドイーターの能力は小粒な物になりやすくなる。本当の事を言えば、その時点でイレギュラーが発生した瞬間、全滅の可能性が高かった。

 勿論、フェンリルとて漫然と過ごしている訳では無い。本部の政治的な動きはともかく、少なくとも支部の過半数は教導を強化する事に舵を切っていた。

 その一番の目的地は極東支部。大型種が当然の様に出没するこの地域は、自然とアラガミの生存競争も激化していた。

 今回救助されたリーダーもまた、日程の調整が済めば極東支部での教導を予定していた。そんな中での邂逅。先の戦いもまた、一度は確認したいと考えた末の言葉だった。

 

 

「先程はすみませんでした。本当の事を言えば、戦闘を見せた方が早かったんですけど」

 

「ああ。こっちも無理を言った自覚はある。そう構えないでくれ」

 

「そう言ってもらえると助かります」

 

 一通りの手続きが完了したからなのか、アリサが不意に先程のチームのリーダーに話しかけていた。

 本当の事を言えば、アリサとて実戦を見せた方が早い事は完全に理解している。だが、支部長代理の立場から考えれば、到底容認出来る様な内容では無かった。

 助けられた当人は知らないが、今のアリサは戦闘に関しての全権限を一時的に持たされている。下手をすれば、アリサの言葉一つで極東支部の立場がどうとでもなる可能性があった。

 

 

「今回のメンバーは新人の方が殆どだと聞いていましたが、実際にはどれ位なんですか?」

 

「どれ位……ね」

 

 アリサの何気ない言葉にリーダーの男もまた少しだけ考えこんでいた。実際に今回のミッションで漸く片手を超える程度。他の支部から見れば明らかに新兵はおろか、まだ訓練性とも取れるキャリアだった。勿論、査問じみた内容の会話ではない。本当の意味で純粋に知りたいだけの話だった。

 だからこそ、アリサもまた何となく聞いたに過ぎない。それ程までに単純な話だった。

 

 

「この話を聞いたからって、何かする訳じゃないですよ」

 

「そうか。本当の事を言えば、まだなりたてと言った方が正解だな」

 

 誤魔化した所で支部長に聞けばそれで分かる内容。事実、男が所属する支部長は他の支部長に比べて野心はおろか、実際に現場の事を本当の意味で理解していない可能性があった。

 フェンリルの規定では偏食因子を受け入れてから四十八時間を経過した時点で実戦に出る事となっている。しかし、この内容はあくまでも最低限の基準。現場の事をよく理解している人間であれば、この内容がどれ程無茶なのかを理解していた。

 

 一番の要因は戦闘経験の有無。幾らオラクル細胞の恩恵を受けたとしても、その精神までもが変貌する事は無い。超人的な肉体能力を持ったとしても、肝心の精神が脆弱なままの為に、実際にはその数割が初戦で命を散らす事が多々あった。

 そんな中で、極東支部が公表した内容は他の支部の人間を驚かせていた。完全に自分の物にするまで戦闘能力を高める。その中で合格した者だけが実戦に投入されていた。

 本当の事を言えば、そのやり方が一番合理的だった。ある程度の実力を持つ事が出来れば、小型種はおろか、一部の中型種が出たとしても新兵だけで対処する事が出来る。それ程までに戦闘技術が洗練されていた。

 その結果、極東支部に於いては。新兵ではあるが、技術だけを見れば他の支部の曹長に匹敵する程だった。

 

 戦闘技術が上がればその分だけ、討伐の数字が積み上げられる。その結果として生存率も向上していた。それを理解するからこそ、アリサの問いかけの事実を見抜く。気が付けば新人は完全に疲れ切っている為に眠りについているが、アリサ以外のエイジとソーマもまた既に作業を終わらせていたからなのか、その視線は男へと向いていた。

 

 

「お宅らも知ってるとは思うが、ここ最近のアラガミはこれまでとは少々違ってる。少なくとも自分がまだ中堅の頃では絶対ありえない位だ」

 

 男の独白ともとれる言葉に、アリサだけでなく、エイジとソーマもまた真剣に話しを聞いていた。そもそもクレイドルの活動を鑑みれば、今回の内容は明らかに趣旨が違う。勿論、ゴッドイーターとしても責務があるのは事実だが、それでも明らかに違うと言い切れる程に今回の出張は異例だった。

 

 

「それに関しては私達も理解しています。実際に、この支部に限った話ではありませんが、欧州の支部周辺には今回の様なアラガミが出没した記録は本当の意味で無いに等しかったですから」

 

「……そうか。だから今回の内容だったのか。漸く腑に落ちたよ」

 

 まるで再確認するかの様な言葉に三人は内心では苦笑するしか無かった。実際に極東支部からの派兵は本部が警戒している事もあってか、かなり限定的な部分が多分にあった。

 武の力だけでなく、経済にまでそれなりの力を持つ様になれば、少なくともこの世界の一翼を担う事は可能となっている。

 幾ら本部に政治力があろうとも、肝心の戦闘能力が無ければ無力な一般人を、ひいては自分達の命を護る事すら困難になって来る。幾ら表面上を整えて誤魔化したとしても、実際にはそれなりに厳しい事をやっていた。

 

 当然ながら、何も知らない一般人であれば誤魔化す事は不可能ではない。だが、内情を知るゴッドイーターからすれば、完全に茶番でしかなかった。その結果として、極東の最強の戦力を一時的とは言え外部に吐き出す。多少の政治工作によって極東支部の影響力を僅かでも貶める。それが本部の透けて見える狙いだった。

 結果としてその作成は功を奏していた。確かにエイジとリンドウを派兵された事によって極東支部の戦力は一段も二段も下に下がる。その結果として自分達の影響力を高めるはずだった。

 

 

「恐らくは今後の踏まえて本部も判断したのかもしれませんね」

 

「……どうだろう。少なくとも俺の目から見て本部がそんな殊勝な事をするとは思えんが」

 

「本音と建前があるのは当然です。実際に極東支部が周囲からどう思われているかは知ってますから」

 

「流石はその若さで支部長代理を名乗るだけあるな。戦闘だけでなく政治にまで意識が無いているとは」

 

 アリサの何でもない言葉に、男は内心驚いていた。どう見繕っても、アリサはまだ二十代になったばかりの様に見える。これが従来のフェンリルであればあり得ない人事だった。

 少なくとも本部周辺の支部ではありえない結果。極東ならでわなのか、それとも支部長の英断なのか。その真意を知る事は無かった。

 

 

「私はまだまだ名ばかりなので。少なくとも私一人では到底できませんから」

 

 そう言いながらアリサは無意識の内に左手のリングに視線が動いていた。少なくとも今の極東には頼もしい仲間だけでなく、永遠を誓った伴侶が居る。少なくともアリサにとっては自分は単なる代役でしかないとさえ考えていた。

 代理とは言え、対外的には管轄外の内容であっても採択を迫られる。極東支部がどんな場所なのかを知れば知る程に恐れ多かった。

 アリサとて、最初から二つ返事をした訳では無い。少なくとも当時のあの状況を考えればある意味では仕方ない事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忙しい所すまないね。そう言えば君達がこうやってそろうのは随分と久しぶりの様な気がするよ」

 

「オッサン。そんな耄碌した様な言いぐさはどうでも良い。俺達を呼んだ真意は何だ?」

 

「ソーマ。少しはユーモアを持った方が良い。少なくとも常に張りつめたままの状態からは碌な結果は得られないだろうからね」

 

 榊の言葉に、ソーマはそれ以上何も言う事は出来なかった。事実、研究とは前に進めば進む程に険しい出来事が次々と湧いて出る。本当の事を言えば、そのどれもを完全にクリアするのが一番。だが、そんな悠長な事をするだけの時間など早々無かった。

 研究職でありながらもゴッドイーターとして戦場に立つ。本当の意味でそれを実行出来る人間は皆無だった。一人だけ心当たりがあるが、その人物を考えれば自分の感情など子供の癇癪と何ら変わらない。それを知るからこそ、ソーマもまた榊の言葉に反論は出来なかった。

 

 

「さて、今回君達を呼んだのは他でもない。実は極東以外のアラガミが最近になって少しづつ能力が上方修正され始めてきたんだ」

 

「上方……修正ですか?」

 

「そう。ここではそんな傾向は無いんだが、特に本部に近い欧州付近では、これまでに見かける事が殆ど無かったアガラミが出没する様になってね」

 

 アリサの呟きをそのまま意見としてとったからなのか、榊は改めて状況を説明していた。

 実際に極東支部に於いては、榊が言う様にアラガミの強さにはそれ程変化を感じる事は無かった。人類の天敵とも呼べるアラガミの中でも、弱肉強食の法則は存在する。当然ながら小型種であれば大型種の餌でしかないケースが多々あった。

 食物連鎖の頂点とも呼べるアラガミであっても、精鋭で選りすぐったゴッドイーターにとっては天敵たる事はあり得ない。その結果として、本当の意味での頂点は存在しなかった。実際にゴッドイーターが討伐すれば、確実にコアを抜き取る為にアラガミの体躯はそのままオラクルの塵となって霧散していく。その結果、他のアラガミが捕喰出来る事は無かった。

 

 そんな中での例外は、アラガミ同士による対決。コアを抜き取る程の高度な知識を持つアラガミは早々居ない。その結果として、死肉となったそれを捕喰する事が殆どだった。

 過酷な環境下で進化しても、さらなる天敵とも呼べる極東支部のゴッドイーターはまさにアラガミの天敵だった。捕喰する事によって更なる力を身に着け、その結果として自分達の目の前に対峙する。だからこそ、極東支部に関してはそれ程アラガミの脅威度が変動する事はなかった。

 とは言え、極東基準のアラガミは他の支部からすれば、そのどれもが最悪な相手でしかない。ある意味では食物連鎖の頂点に立つのは皮肉にも捕喰対象でもある人類だった。

 当然ながらその結果、アラガミが捕喰する事による進化はかなり限定的だった。だが、それはあくまでも極東の中での話。他の地域ではそんな特殊な事情は存在しなかった。

 

 

「この件に関しては、既に幾つかの実証データが揃い始めている。当初は測定ミスかとも思ったんだけどね」

 

 榊はそう言いながらも目の前の端末を操作する。元々用意してあったからなのか、そこには誰もが見れば一目で分かる様に情報が整えられていた。

 

 

「君達には今さらだが、改めて説明すると、この画面の右半分は半年前の数値を示す。それに対して、左半分が、ここ一ヶ月の数値なんだよ。で、これが変異種のそれだね」

 

 榊の言葉を裏付けるかの様に表示された数値は明らかに異質だった。

 実際に右の数値とオラクル細胞が発する波形は完全に整っている様にも見える。だが、左側のそれは明らかに波形が歪んでいた。

 数値としては分からなくとも、波形を見れば明らかに違和感だけが残る。しかし、最後に榊が見せたのは極東支部でも見られる変異種のそれだった。単体で見れば分かりにくいが、並べて見れば一目瞭然。その言葉の奥にある物が何なのかは考えるまでもなかった。

 

 

「……他の支部でも極東と似た様な進化をしてるって事か。明らかにこの波形は進化直前のそれに酷似してる。そうだろ?」

 

「流石はソーマ。よく研究してる事が分かるね。ソーマが言う様に、これはアラガミが更に進化を遂げる直前に酷似してるんだよ。事実、今はまだ問題が表面化していないが、こちらの予測が正しければ近い将来、何らかの形でこの世界が変貌するかもしれないね」

 

「榊博士。それを防ぐ手立ては……」

 

「アリサ君の言いたい事は分からないでもない。だが、この件に関しては僕自身が如何こう出来る問題では無いんだ。確かに終末捕喰を乗り切った君達やブラッドであれば回避出来る未来はあるかもしれない。けど、その舞台がここである証明は出来ないんだよ」

 

 榊の無慈悲な言葉に、アリサもまたそれ以上の言葉が浮かばなかった。確かに極東支部に於いては二度の世界の危機を救っている。だが、それは偏に熟達した人間が居る事が前提の話だった。

 物語ではない現実。そこに仮定は存在しなかった。

 

 

「で、俺達を召集したのは、そう言う事か?」

 

「流石に察してくれたかい。そうなれば話は早い。今回の要件は、正にこの件に関する事になるよ」

 

 その言葉に全て察したからなのか、榊はそれ以上の言葉を口にする必要は無かった。

 この場にまだ来ていないエイジの事を考えれば、今後どんな事を予定しているのかは考えるまでもない。当然ながらそのメンバーの普段の行動を考えれば、必然でしかなかった。

 だが、その案には大きな問題を孕む事になる。前回とは違い、今後予想される内容は、明らかに個人のキャパを超える可能性を秘めていた。

 

 勿論、榊とてその可能性を考えないはずがない。だが、三人には敢えて説明しなかったが、最悪の未来は恐らくはそう遠い未来ではない事に間違いは無かった。幾らゴッドイーターと言えど、機械ではない。戦いが長きに亘れば疲労だけが蓄積する。その結果がどうなるのは考えるまでも無かった。

 今出来る最善策を取るには、一旦、クレイドルとしての活動を停止する必要がある。ある意味では苦渋の決断だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の件、間に合って助かった。本当の事を言えば、あの男を失うのは我が支部にとっては痛手でね。本当はこんな事を言うのは支部長失格かもしれん」

 

「状況と今後を考えればある意味では仕方ありません。それに、優秀な人材を失う事がどれ程痛手を被るのかは僕らも良く理解してますから」

 

「……君にそう言ってもらえると助かる。今後は我が支部は君達の活動に対して出来る限りの配慮をさせてもらうよ」

 

 何も知らない人間が聞けば憤ったかもしれない。それ程までに支部長の言葉は衝撃的だった。しかし、見方を変えればそれは事実でもあった。極東の最大戦力がこうやって他の支部に出向くとが可能なのは、偏にブラッドの存在があったからだった。

 

 一時期の様な差別的な雰囲気はアナグラには存在しない。戦力を考えればクレイドルを外してはあり得ない選択だった。近年では他の支部との情報交流は盛んになっていた。一番の要因でもあった神機兵の試験運用が破綻した事による弊害は他の支部にも大きな衝撃を与えたままだった。

 既に神機兵計画そのものが最初から無かったかの様に本部は扱っている。当初の鳴物入りだったそれが完全に肩透かしに終わった事によって更なる危機感を募らせていた。

 本当の事を言えば、本部もまた様々な衝撃が内部を駆け巡っている。その結果として、これまでの規定を破るかの様に再度ゴッドイーターを強化する方向に舵を切っていた。

 

 

「とは言っても、君達の内容は事実上の形骸化してる様な物なんだがな」

 

「ですが、規則ですから」

 

 支部長の言葉の内容が全てだった。本部が舵を切ったのは、偏にエイジやリンドウが本部周辺で活動した際の教導の結果だった。これまでは退役した人間が教導教官とする事が一般的だったが、極東に限っては完全にその限りではなかった。

 高い殉職率と、生存している人材の強力な実力。これが本部周辺の支部であれば、真っ先に警戒したかもしれない。だが、生憎と極東と言う地域はそんな政治的な野心を抱く程に余裕は無かった。勿論、今の支部長でもある榊の性格も加味しているが、実際には実利を取る事を優先していた。

 

 対外的には教官の為の審査がある。だが、エイジとリンドウに関しては完全に結果を伴っている為に、無意味な物でしかなかった。その対案として出たのがアリサの司令官代理。クレイドルでの指揮経験はあっても、それ以外の部隊指揮はこれまで未経験に等しかった。榊の意図した物が何なのかは派兵される前に聞かされている。今回は、そんな思惑に沿った内容だった。

 

 

「では、当初の予定通りここでは教導を頼む。それと……」

 

「私なら、対外的にはアミエーラで構いませんので」

 

「そう言ってもらえると助かる。階級だけで判断するには、ここでは難しい問題なんでな」

 

 今回の内容に伴い、一部名称の変更が為されていた。一番の変更点はアリサの名前。極東の考え方であれば結婚後は相手かこちらのどちらかに苗字が統一される事になる。アリサとしてはエイジの名をそのまま受けていた。しかし、対外的には色々と問題が生じる。その苦肉の策としての結果だった。

 

 

「こちらも助かる。実際に如月大尉の名は何かと有名なんでな」

 

「私の立場であれば、誉め言葉ですから」

 

 支部長の言葉にアリサは笑みを浮かべていた。事実、エイジの名は本部の若手を中心に完全に浸透している。一人のゴッドイーターとしては微妙な感情だが、妻として考えれば誇らしさが先に出ていた。

 

 

「では、済まないが、こちらとしても協力出来る事は積極的にさせてもらう事にする」

 

「よろしくお願いします」

 

 それ以上の言葉は不要だった。事前に用意された内容は既に確認済みとなっている。後は実践するだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかとは思ったけど、あれ程だとは思わなかった……」

 

「最初は脅しだと思ったんだけどな……まさかあれが通常だなんて」

 

 クレイドルが来てから数日が経過していた。

 元々今回の内容は極東支部の中の問題ではなく、対外的な部分でここに来る事になっていた。本当の事を言えば今回の内容は不要でしかない。しかし、総合的な見地からすれば、デメリットはどこにも無かった。

 一番の要因は対アラガミの最前線で戦う為の技量が手に入る事。極東で通用する実力を得ることが出来れば、必然的に他の支部ではエース級になれる程だった。

 事前にエイジの教導がどれ程なのかは知られている。しかし、聞くだけと実践するとでは天地の差があった。

 常に体力だけでなく、精神までもが追い詰められ、戦闘をしながらも思考を止める事は許されない。僅かでも躊躇すれば待っているのは絶望の未来だけだった。だからこそ誰もが教導を終えてから何かをする事は許されない。それ程までに追い詰められていた。

 

 

「これだけなら最悪だけどさ……」

 

「だな。アミエーラ少尉の事だろ?非番の日には食事でも誘うのはどうだ?」

 

「成程。普段の教導の成果の確認を名目にするんだな」

 

「それ位しか癒しがないんだ。その程度ならやるに決まってる。あとは日程の確認だな」

 

「任せておけ。その位の事なら簡単に調べれる事が出来るんだ」

 

 肉体の限界を超えてまで乗り越える事が出来たのは、偏にアリサの存在だった。若くして支部長代理にまで上り詰めた実績だけ見れば、完全に高嶺の花。磨き抜ければ美貌と羨むスタイル。何も知らなければ確実に自分の見た目を理解しているはずだった。

 しかし、当のアリサはどちらかと言えばそれを嵩にする事は一切無かった。サテライト計画によって培われた経験は伊達ではない。只でさえ支部長代理として戦場に赴けば、確実に折衝は必然だった。

 エイジの教導による限界ギリギリの教導の後のアリサは清涼剤に等しかった。だからこそ、誰もが一時の夢を見る。左手の薬指に鈍く光るその存在を察知すれば、予測出来る事は単純だった。これが何時もであれば真っ先に気が付くはずの事。にも拘わらずそれに気が付かない程の教導だった。これならばアラガミと対峙した方が何倍もマシ。それ程の内容だった。

 

 

 

 

 

「マジか………」

 

「それ以上は何も言うな。立ち直れないだろ」

 

 教導を終えたばかりの人間は誰もがうつろな目をしたままに、狭い廊下をゆっくりと歩いていた。ここは通常の支部とは違い、教導を主とした目的の支部だった。

 ここは他の支部とは違い、護るには厳しく攻めるのも苦労する様な地形が殆ど。その結果、自然と教導を行う事がメインとなっていた。

 当然ながらぼんやりと出来る程に余裕がある訳では無い。極東程ではないが、ここは欧州の中でもわりとアラガミの出没する数が多くなっていた。そんな事もあってか、この支部には本部を除く多種多様な支部から人が来ていた。

 

 

「だってよ……アミエーラ中尉がまさか……」

 

「それ以上は言うな。言うと悲しくなるだろうが」

 

 通常は一兵卒の人間が多い支部の中で、アリサの存在は異質だった。元々支部長を務める人間の殆どがゴッドイーターではなく、一般の人間が多い。当然ながら現場の事を何も知らないケースばかりだった。

 そんな中で司令官候補として一時的に赴任したアリサの存は、殆どの人間を驚愕の感情で占めていた。現場を知る人間が上に立つ。その意味がどれ程なのかを自然と感じ取っていた。

 勿論それだけではない。アリサの見た目もまた十分に目を惹いていた。

 只でさえエイジの厳しい教導を受けて心身共に限界を迎えた人間に対して、些細な気遣いともとれるアリサの行動は完全に虜にする程。これが同じ階級であれば、確実に声をかける程だった。しかし、制服の襟に付いた司令官の証。それがあるからこそ、誰もが声をかける事が出来なかった。

 声をかける事は無理でも、自分の心にまで嘘つく必要は何処にも無い。恐らくリンドウやソーマが見れば確実にマッチポンプだと思う程だった。

 

 そんな甘い考えは僅か数日の話。きっかけは本当に些細な出来事だった。幾ら教導で来ているとは言え、多少の休暇は必要とされる。偶然にも一人のゴッドイーターが市街地でアリサを見かけた所から始まっていた。

 当初は声をかける事が出来るかもしれないと考えながら、視界の中に常に捉えている。あとはタイミングを見計らうだけ。まさにその瞬間を狙ったはずだった。

 

 

「だってよ……世の中理不尽すぎるだろ」

 

「それ異常は言うな!言うだけ空しくなる………」

 

 偶然見かけたのはエイジとアリサが腕を組んで歩く姿だった。実際に男達は真実を確認する為に後ろから追いかけている。本当の事を言えば、この時点で止めておけば傷は浅かったのかもしれない。幾ら腕を組んでいた所で、当人の仲がどれ程なのかは分からない。しかし、醸し出す雰囲気が既に深い物であるのは必然だった。

 本能では認めていたのかもしれない。だが、感情はそれを否定していた。だからこそ確認する。それが更に傷を拡げる要因となっていた。

 追いかける度に次々と浮かび上がる事実。既に二人の仲は親密さを通り越していた。ここに極東の人間が一人でも居れば、確実にまだ序盤でしかないと口にするかもしれない。それ程までに仲睦まじい姿だった。

 

 

 

 

 

 暫くの間、アリサに好意を持った人間は悶々としていた。これが通常であれば口説き文句の一つも口にするかもしれない。しかし、エイジの教導はそんな軽口を叩く余裕すら奪っていた。

 心身をギリギリまで追い込む事によって限界の上限を拡大する。その結果として生き残れる可能性を高めていた。そんな技量を尊敬するからこそ休日の行動を口に出来ない。そんなジレンマを撒き散らしていた。

 だからこそ、目の前の光景に口を挟む事が出来ない。認めたくない現実。まさにその状況が繰り広げられていた。

 

 

「でもよ、お似合いと言えばそうなんだよな……」

 

「確かにそうだな」

 

 同じ方向を歩く二人の距離感はほぼゼロ距離。恋人や夫婦と言うよりももっと深い部分で繋がっている様にも見えていた。

 少し調べれば直ぐに分かる事実。そんな文面ではなく、その空気が関係性を表していた。

 

 

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「は、はい。俺の事なら大丈夫です!」

 

 そこに拡がる光景は何時もと同じだった。事実、二人の関係性を知ったからと言って自分との距離が縮まる可能性は皆無。本当の事を言えば、士官候補生が一兵卒に声をかけるだけのゆとりが無いのも事実だった。

 覚える事は、初期のクレイドルよりも多い。そんな苦労をアリサは表情に出す事なく振舞っていた。

 声をかけた人間がどんな感情を抱くのかはアリサとて理解している。それもまた司令官としての人心掌握の訓練だった。

 激化するアラガミとの戦い。その先にあるのは紛れも無く厳しい生存競争の成れの果てだった。

 

 

 

 


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