神喰い達の後日譚   作:無為の極

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第154話 葛藤

 

 アップテンポな感じの中にどこか懐かしさを漂わせる曲がラウンジの中を彩っていた。旧時代のジャズと呼ばれた音楽を聞く人間は早々多くない。だが、今日のラウンジには珍しくその曲を聞き入れる人間が居た。

 既にミッションを終えたからなのか、緊張し、張りつめた空気は存在しない。普段であれば寛ぐ為のスペースであっても、そんな空気をも経とう人間が居れば自然とそんな雰囲気が漂っていた。

 だからこそ、今日の様な空気は珍しい。だからなのか、何時もと違ったラウンジの空気は完全に落ち着いた空間を作っていた。

 

 

 

「あら、貴方がこんな時間に珍しいわね。何か重大な事があったかしら?」

 

「何も無い。偶にはこんな空気に浸りたいと思っただけだ」

 

 女の言葉に声を掛けられた男は気にする事無くグラスをゆっくりと回していた。球体の氷は簡単に溶ける事は無い。男もまた、それを知っているからこその行動だった。琥珀色の液体をそのままゆっくりと飲み干す。

 宴会の様に流し込むそれではないからなのか、琥珀色の液体特有のピート香は鼻腔に余韻を残していた。

 

 

「私にも同じ物もらえるかしら?」

 

 女の言葉にカウンターの女性は僅かに笑みを浮かべて返事をしていた。

 事実、ここの空間を支配しているからこそ、普段であれば誰もが耳にする事が無い曲が室内に響く。昼間とは違うゆったりとした雰囲気のピアノの音は、周囲の空気を穏やかな物へと変えていく。この空気を当然とばかりに、女もまた出された液体のグラスを口にしていた。

 

 

「そう言えば、明日の支部長の要件は何かしら?」

 

「こんな場所で無粋ですね。ジーナさんは既にご存じじゃないですか?」

 

「あくまでも噂でしかないわ。それに、貴女が目の前に居るなら聞いた方が効率的だと思ったんだけど」

 

 ジーナの言葉に、バーテンダーの着る白いシャツとベストの姿の弥生は僅かに周囲に目をやっていた。秘書の立場であれば支部内の情報の全てと言っていい程に把握している。ただでさえそんな立場である以上に、フェンリル本部でも情報網を構築していた。

 これがだたの一兵卒であれば、簡単に躱している。だが、普段はここに来る事が少ない防衛班の隊長が揃っているのは、偏に明日招集がかけられているからだった。

 

 

「カレルも気になるでしょ?」

 

「気になった所で何かが変わるわけじゃない。それに、最終的に判断するのは俺だ。今さら気にした所で同じだ」

 

 ジーナと弥生の会話にカレルが入る事は無かった。ジーナだけではない。カレルもまた独自の情報網で大よその事を理解していた。防衛班が呼び出される可能性は限られている。以前に召集されたアラガミの暴走であればこれ程ゆっくりと出来るはずが無かった。

 グラスの中の氷を溶かす様にグラスをゆっくりと回す。琥珀の液体で融けた氷は僅かに音を立てていた。

 

 

 

 

 

「……成程な。だから俺達に声がかかったって事か」

 

「実際には色々な思惑が絡んでるんだけどね」

 

「いや。それでも参考になった。一晩でも時間の猶予があるだけマシだな」

 

 弥生の言葉にカレルは自分の知る情報と新しい情報を加味していた。弥生は立場上、守秘義務はある。だが、今回口にした事は機密でも何でもなかった。恐らくは明日の午後以降であれば誰もが耳にする事実。だが、実際には色々な思惑を孕んだ結果だった。

 

 

「私達としても、本当の事を言えば護りたいとは思ってる。でも、今回の事に関しては一概にそうだとは言い難いのよ」

 

「いや。俺のやっている事を考えれば、ある意味では合理的だ。本当の意味で考えるなら、ある意味では転機なのかもしれない」

 

 弥生の申し訳ない言葉にカレルはそれ以上の事は何も言えなかった。事実、カレルの一番の投資先でもある病院の経営はある意味では行き詰っていた。

 一番の要因は病院に納入されるはずの医薬品。これまでに何度か厳しい状況が続く事はあった。カレルが経営する病院の大半は特権階級の人間ではなく、普通に住んで居いる住民が殆ど。当然ながら報酬となる支払いもまた、利益を出すまでには至らなかった。

 当然ながら同じ業界に生きる人間からすれば、カレルの経営する病院は目の上のたん瘤に近い。暴利を求めるのではなく、純粋に医療としての報酬だけを求めていた。当然ながら一部の特権階級の人間以外の大半がカレルの病院に足を運ぶ。その結果が今に至っていた。だからこそ、権力を持つ人間はその志を破壊しようと考える。アラガミと言う人類の天敵を前にしても人間のもつ強欲な考えが無くなる事は無かった。その結果として、一時期はかなり厳しい状況にまで追い込まれていた。外科的な治療が望めないのであれば、頼るのは薬による緩慢な治療。費用と命を天秤にかければ自ずとどちらに傾くのかは考えるまでも無かった。

 

 

「勿論、今回の件に関しては完全に裏は取ってるわ。だからこそ、その点に関しては安心してくれても良いわ」

 

「あんたがそこまで言うんだ。俺が出来る事はただ信用するだけさ」

 

「あら、随分と信用されてるのね」

 

「俺はあいつらみたいに能天気じゃないんでな」

 

 弥生の何気ない言葉に、カレルはそれ以上の言葉を口にしなかった。一時期薬品が手に入らなかった際、手助けしたのは弥生だった。入手困難とまで呼ばれた薬剤を当然の様に用意した際、カレルは一瞬だけ横流しを考えていた。しかし、弥生の立場を考えればそんな面倒な事をする必要はない。何よりも、薬剤に書かれた伝票は紛れも無い正規品だった。

 幾らアラガミとの戦いをしながらも自らの才覚を振るうとは言え、ある意味では限界がある。本当の事を言えば、カレルも経営する病院の事を考えながらアラガミと戦うのは難しい物があった。手に入らない物資。増える患者。幾ら金を積まれても、肝心の治すだけの手だてが無ければ名医もまた無力だった。だからこそ、カレルもまた自らの出来る事を率先する。その先にあったのは、ある意味では絶望に等しい結果だった。

 その事実を知ったのは限りなく偶然に等しい結果。しかも、最悪とも取れる状況だった。アラガミが跋扈する様になってからは球体全の様な政治力は何の力にもならなくっていた。その代わりに台頭したのは、フェンリルの中でのパワーバランス。極東支部に限らず、その権力はある意味ではかなりの物だった。小さな支部の長程度であれば、殆どの事は握りつぶす事が出来る。事実、カレル個人にはなんの感情も持たなかった。敢えて言えば、少しだけ目障りな程度の存在。その気になる物を完全に潰す為のそれだった。当然ながら、何の権力も持たない一般人や、一介のゴッドイーターではフェンリルの中枢に立ち向かうだけの権力は持ち合わせていない。その結果がカレルの病院を厳しい物へと追いやっていた。

 

 単なる個人の感情であっても、影響力は絶大。そうなれば待っているのは複縦の未来だけだった。そんな厳しい状況を打破したのは、極東支部の秘書でもある弥生の存在。何をどうするのかではなく、何をどうしたのか。純然たる結果だけを完全に叩きつけられていた。

 現場はその事実を知らなくても、カレル自身が理解している。その結果として今があった。当然ながら弥生もまた、そんな裏事情を口にする事は無い。お互いが不可侵を貫いたが故の結果だった。

 

 

「詳しい事に関しては、明日、榊支部長から話があるわ。貴方はその事実を、どう受け止めるかだけよ」

 

「言われるまでもない。俺も世間と言う物を理解してるからな」

 

 特定の単語が無くても、何を指しているのかは容易に想像が出来ていた。何を指しているのかは直ぐに分かる。だからこそ、カレルもまた、それ以上の事を口にするつもりは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知ってるかもしれないが、実は今回、フェンリルの学会がここで開催される事になった。これまでは本部で開催されていたんだが、これからは各支部の特色と雰囲気を掴む為に持ち回りになったんだ。それで、今回の警備に関してはこの支部の精鋭を抽出する事になった」

 

 榊の言葉に、招集された誰もが当然の様な顔を見せていた。今回支部長室に呼ばれたのはクレイドルとブラッド、第一部隊と防衛班の隊長クラスだけ。下手に全員を召集しよう物ならば、支部長室が溢れるのは既定路線だった。

 実際に前線に出る人間まで招集した所で緊張感が維持できる保証はどこにも無い。これがクライドルやブラッドまでなら可能だが、防衛班にまで広がれば、それは不可能に近い物だった。

 本部の人間を守護する意味。それは偏にその支部の戦闘能力と、戦術に関する実力の確認の意味合いもあった。実際にゴッドイーターに求められるのは人類の盾でもあり、剣でもあるその能力を如何なく発揮する事。そこには一片の感情も存在しない。それ程までに合理的だった。

 しかし、こそれはあくまでも建前での話。本部の人間が集まれば、自然とその警備体勢は決められていた。

 

 

「本当の事を言えば、君達の負担が大きくなる事を良しとはしていない。だが、我々にもそれないの事情がある。君達にには済まないと思っている。今回の報酬に関してはその意味合いが強いと判断してくれれば助かる」

 

 

「って事は、今回の報酬はかなり期待出来るって事なんだよな」

 

「そうだね。少なくとも今回の内容が完遂する事を前提に考えれば、相応の報酬だと思うよ」

 

「今回の報酬額は随分と張り切ってるみたいだが、その点は大丈夫なのか?」

 

 シュンの興奮した言葉を無視するかの様にカレルの言葉に感情は籠っていなかった。事実、ゴッドイーターの報酬がどれ程高額なのかは考えるまでも無い。少なくともカレルの知る中で、これ程までに高額な報酬のミッションにお目に叶った事は無かった。だからこそ警戒する。シュンの様に能天気に考える事が出来る程カレルは純粋では無かった。

 

 

「今回の件に関しては、完全の本部主体の事だからね。少なくとも我々の懐が痛む様な可能性は無いと考えている」

 

「そう言う事か……」

 

「でも、君に関してはその限りでは無いと思うよ」

 

 何気ない榊の言葉。その言葉の真意が勘なのかは、この場で確認する術は無かった。事実、榊は既にカレルの返事がどうであろうとも影響が無い様な表情をしている。防衛がの部隊長がそろうこの場では、それ以上の追及をする事は難しかった。

 

 

「何だよ!俺達には何も無いのにカレルにだけはあるのかよ!」

 

「シュン。少しは落ち着いたら?元から貴方に関係が無い事をこの場で言っても仕方ないんじゃない?」

 

「でもよ………」

 

 榊の言葉にいち早く反応したのはカレルではなくシュンだった。今回の内容は防衛班として考えた場合、あまりにも異質すぎていた。元々ゴッドイーターの殆どは自分達のミッションに対する事だけで精一杯となる事が多い。例外は多少はあるが、カレルもまたその例外の一人だった。

 病院経営は当初の内容を大きく逸脱していた。自分の報酬を基に投資する事によって自分へのリターンを当初は目論んでいた。他の支部とは違い、極東支部は治安が良い。そうなれば相応の治療をすれば報酬もまた相応の物が期待できるのは予想していた。しかし、そんな未来への感情は意図も容易く瓦解する。それ程でまでに医療に対する物は低い内容だった。

 実際に外部居住区であっても、医療に関しては厳しい物があった。医療にかかる費用ではない。純粋に住民を全て受けとめるだけのキャパが無かった。それに加え外科的な医療が極めて厳しい。全く出来ない訳では無い。ただ、人手が圧倒的に足りなかった。

 アラガミと言う人類の天敵から怯える様に生きる生活は、少し先の未来よりも目先の事を優先する。その感情が先に出ていた。だからこそ医療に関する面は厳しい物となる。カレルもまたそんなリスクを勘案した後の判断だった。

 

 

「シュン。だったら、俺のやっている事に投資するか?」

 

「は?そんな事出来る訳ねえだろ!」

 

「だったら、この話はこれで終わりだ。少なくともこの話の大半は誰にも関係が無いと思うが」

 

 カレルの言葉にシュンはそれ以上何も言えなかった。榊の言葉で割り増しで報酬が貰えると思った程度の判断。だからこそ、カレルは何の感情も載せる事無く事実だけを口にしていた。

 カレルが何をしているのかは、防衛班の部隊長は誰もが知っている。だからこそ、カレルとシュンのやりとりに他のメンバーが口を挟む事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学会の本当の意味を知る人間はそう多くは無い。対外的にはアラガミに対する人類の立ち位置と、これまでの様に防衛する手段を公表する場だった。勿論、これが只の建前であるはずが無い。集まった人種を見れば、勘の良い人間であれば誰もが簡単に想像出来る事だった。

 

 

「今回の内容は中々有意義な物だったと思うが」

 

「しかし、理論はあくまでも理論だ。結果を伴わない理論を重視する人間はいないだろう」

 

「そうだな……倫理。いや、端的に言えば結果がどうもたらすかだろろう」

 

 実質的に学会の開催日程は、そう長くはない。これまでの実用から言えば、精々が一週間にも見たない日程だった。そんな短期間の開催では、その殆どが有用性の高い物を要求される。ましてや今回は本部ではなく極東支部。その中での発表する人間の重圧は相当な物だった。

 『観測者(スターゲイザー)』と呼ばれた榊を筆頭に、実戦主義で知られる紫藤。そんな巨頭を押しのけて発表したのはソーマだった。

 既に幾つかの論文は認められている。しかし、本当の意味での名は未だ無名に近い物だった。

 

 

「だが、今は亡きヨハネスの息子だ。相応の結果を早急に出すだろう」

 

「指導者が指導者ならば、そうだろうな。勿論、我々も負けるつもりは毛頭無い」

 

 学会のやや波瀾含みの内容は発表者にとっても厳しい物だった。実際に使い回された内容であれば、確実にその論文の不備を突くような質問が飛び交う。実戦と言う名の現実と、どれだけ向き合えるかによっては、その論文の意味合いは大きく変わっていた。

 そんな中で、目立つ程ではなが、一定の関係者にとっては大きな事実。何時もとは違った内容だったからなのか、その論文そのものに注目する様な人間は一握りだけだった。

 

 

 

 

 

「相変わらず厳しい質疑は疲れる」

 

「当然だ。既に駆け出しだと思っている人間はこの場には居ない。お前は既にフェンリルの中でも確実に認められているんだ。これからはゴッドイーターとしての能力ではなく、博士としての能力を注目するだろう」

 

「俺がか?だとすれば……面倒だな」

 

「ある意味、これは必然だ。慣れるしかないだろうな」

 

 学会の後は、お決まりの懇親会だった。元々学会の内容が厳しいのは今に始まった事ではない。人類の天敵とも呼べるアラガミとの生存競争に遅れる事は許されない。仮に遅れたとなれば、待っているのは人類の全滅。幾ら終末捕喰を回避しようとも、アラガミの脅威が緩くなる事はなかった。むしろ、あれを二度も回避した為にアラガミの攻勢は強くなったとさえ感じていた。

 これまでであれば、極東でしかお目にかからないとされたアラガミが他の地域でも出没し始めている。流石に感応種の様な特異なケースは無いが、それでも変異種の様なアラガミは度々出没していた。

 幸か不幸か、極東支部の様に大型種ではまだ感知されていない。精々が中型種までだった。大局的に見れば大した事は無いのかもしれない。だが、現場からすれば悪夢でしかなかった。変異種の大半は知能が高く、現地のゴッドイーターの裏をかく様な行動をする。その結果、緩やかに殉職率が高くなっていた。

 急激に高まればフェンリルも警戒する。しかし、緩やかである為に、その事実に気が付くのには時間が必要だった。当然ながら殉職だけでなく、治療が必要な数も増えていく。その結果として、民間に出回る薬品が品薄になっていた。

 

 

「だいじょうぶ。ソーマのことはわたしにまかせて!」

 

「そうだな。ソーマ、シオの事は頼んだ」

 

「……分かった。だが、良いのか?」

 

「それはシオが決める事だ。その結果が今だ」

 

 懇親会の殆どはパートナーと同伴だった。紫藤の傍にはツバキが居る。既に社交界でも知られているからなのか、既に紫藤だけでなく、ツバキに粉をかける人間はいなかった。その代りに増えたのはソーマに対して。

 若き才能を煌めきだす存在を周囲が放置する事は無い。だからこそ、ソーマの周りには必然的に華や蝶が集まっていた。勿論、その意味をソーマもまた理解している。本当の事を言えば、有象無象が集まった所で、なびく事は無い。だが、万が一の事を考えて紫藤はシオを表に出していた。

 元、特異点と言う名のアラガミである事を知る人間はいない。寧ろ、屋敷で鍛えられた立ち振る舞いをするからこそ、違う意味で注目を浴びていた。

 紫藤博士の義理の娘。極東支部の心臓部に近い存在。だからこそ、紫藤もまたシオとソーマを一緒にさせていた。お互いの視線を一つにまとめる。その結果として管理が容易だった。

 

 

「そうか。だったら俺の出来る事をするだけだ」

 

「そうしてくれ。その方が助かる」

 

 お互いが何をどうすれば良いのかを理解していた。だからこそ、この場ではそれ以上の会話をする必要が無い。そんな二人に割ったのは一人の男の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、俺にはどんなメリットがあるんだ?」

 

「我々の出来る最大限の事をしたいと思う。だが、今回の件に関しては、ある意味では本部でも注目されている。我々としてはその結果を示したいと考えている」

 

「だが、これは考え方によっては体のいい人体実験じゃないのか?」

 

「そう言われると我々は否定できない。だが、旧時代より医学の進歩には犠牲が付き物だ。厳密に言えば、それにしか縋れない。そんな環境がある」

 

「……一度、相談させてくれ。俺は医療そのものに関して詳しい訳じゃない。少なくとも俺の一存で判断出来る内容じゃない」

 

 カレルの言葉は至極当然の事だった。今回の話は榊経由ではあったが、実質は個人的な内容だった。学会で紫藤とソーマに話しかけたのは新進気鋭の医学博士。今回の内容もまた、ある意味ではオラクル細胞を有効活用した内容だった。

 実際にオラクル細胞の有効活用は実験するまでもない事。ゴッドイーターの治療内容を見ればある意味では予測出来る内容だった。しかし、それはあくまでもゴッドイーターの数値。一般の人間に対しての内容では無かった。

古来より、新薬の結果には相応のサンプルが必要不可欠。本当の事を言えば、いきなりの人体実験は禁忌に等しい行為だった。

 

 しかし、それはまくまでの余裕がある人間の話。少なくとも本部以外の支部であれば、ゴリ押しをすれば実現が可能だった。だが、本部からのゴリ押しの結果を周囲が本当の意味で納得する事は無い。少なくとも立場を活かした作られた数値であると判断していた。

 そんな中、唯一とも取れるのが極東支部。榊や紫藤のビックネームが不確かな内容に介入しないはずがない。その結果としてある意味ではお墨付きがあるのと同じだった。

 

 

 

 

 

「で、今回の件だがお前としてはどうなんだ?」

 

「随分と突拍子の無い話しだと思ったが、まさかそんな裏があるとはな」

 

 カレルの言葉に医師として従事していた男は、ある意味では予想していた。新薬の開発は医学の進歩。当然ながらそんな光の蔭が必ず存在する。この男も、ある意味では光の道を歩いて行くはずだった。順風満帆。まさにそんな最中の事件だった。

 当初、新薬の開発をになってた男は些細な事で梯子を外されていた。万全を期したはずの新薬に想定外の副作用。まだ、この時代がオラクル細動と対峙し始めた頃のマーナガルム計画に酷似した内容だった。一度でも表に出た論文は更なる改良を繰り返す。表には出なくても、自然とその内容は洗練されていた。

 だが、フェンリルの上層部はそれを良しとはしなかった。過去の遺物でもあり、人類の光でもあるそれを改良した物。それが表に出れば、必ず禁忌もまた表に出る可能性があった。だからこそ、極秘裏に裏工作をする。その結果、男はカレルと出会うまでは完全に燻っていた。

 

 

「俺の過去の事は知ってるよな。俺は確かに資金面でも事はお前に対して気にしていた。だが、それとこれは別だ。今の俺はあくまでも雇われた身。経営しているのはお前である以上は判断はお前が下すんだ」

 

 普段とは違う表情。少なくともカレルの前に立つ男は、何時もの弱気な雰囲気を持ったそれではなく、完全に医師としての目をしていた。

 内に秘める感情。少なくともカレルの知る中で、こんな雰囲気を醸し出した事はこれまでに一度も無かった。

 言葉は少ないが、その態度が雄弁に物語る。カレルはそんな男を見て一つの決断を下していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、最近はあまり言わなくなったのね」

 

「何をだ?」

 

「何時もなら必ずと言っていい程、愚痴……ではないけど、それなりに言葉が出てたと思うけど」

 

 ジーナの遠回しな言葉の意味をカレルは正確に理解していた。言葉にしていたのは病院に関する事。その大半が医薬品に関する事だった。旧時代に比べ、医薬品の効果と数は確実に比例していなかった。

 幾らフェンリルが元は製薬会社だったとしても、製造のキャパシティは存在する。特に薬効が高い商品程、富裕層に優先的に配布されていた。数が揃わない所に、偏った配布となれば、後はどうなるのかは考えるまでも無い。その結果が最下層の住民に皺寄せとなって表れていた。

 本来であればカレルの病院もその限りではない。幾らゴッドイーターの身内とは言え、それは当人ではない。あくまでも心の平穏の為に外部居住区に住む事が出来る権利があるだけだった。経済的には安定していても、必ずしも必要な物が手に入るとは限らない。だからこそ、カレルもまた自身の持つコネクションを最大限に利用していた。

 しかし、大元を管理されていしまえば、生殺与奪は握られたも同然。だからこそ、今回の取引は最大限の譲歩を獲得していた。

 

 オラクル細動を使った新薬の実験。健康体ではなく、事実上、余命宣告を出す程の患者に対しての処方だった。勿論、当人と家族の許可を取った上での治験。その対価としてこれまで入手が困難だった医薬品の安定供給だった。

 

 

「色々あったんだ。少なくとも今回の件に関しては俺自身、改めて知る部分が多分にあった。結果的には満足している」

 

「……そう。なら良かったけど」

 

「どうしたんだ?普段ならそこまで気にする事は無かったと思うが?」

 

 カレルの疑問は尤もだった。事実、カレルの事業に関してジーナは全く関与していない。これまでの感覚であればスクなん区とも自分の事以外に関心を持つ事は皆無だった。にも拘わらず、そんな言葉を口にする。カレルもまた、些細な疑問として言葉にしていた。

 

 

「深い意味は無いわ。ただ、私の目に届くそれが以前よりも良くなってた様に感じたから」

 

 カレルの言葉にジーナもまた、正確に答えるつもりは無かった。事実、防衛班は極東支部の中でも一番住人と接する機会が多い。その中で以前に比べれば格段に雰囲気が良くなっている事は明白だった。医薬品が下々に回る事が分かってから、些細な怪我や病気でも気に病む事は無くなっている。その結果が自然と表情に出ていた。勿論、全員が助かる訳では無い。時には厳しい内容であっても、これまでの様に突き放される事は無くなっていた。その結果が今に至る。何も知らない人間であっても、おの雰囲気は以前とは格段に異なっていた。

 

 

「そうか………だが、俺に出来る事なんて些細な物だ。後は現場がやるだけだ」

 

 ジーナの言葉を否定するかの様にカレルは出されたグラスの液体の一気に飲み干していた。アルコール度数が高いからなのか、喉が焼ける気がする。だが、カレルはそんな事を無視するかの様に何時もと同じ雰囲気を纏っていた。

 

 

 

 

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