勢い良く振り下ろす刃は何の意志も感じる事無く、目標となった場所に的確に突き刺さる。既にどれ程の時間が経過したのか、その動きが止む様な事は一切無かった。
気が付けばどれ程の時間が経過したのろうか。ここで漸く男は持っていた刃を振るう事を止め、改めて後ろを振り返っていた。男の背後にはその痕跡とも取れる結果だけが残されている。
既に男の手によって作られた畝は数える事すら放棄すべき数になりつつあった。
「またやってるのか。ここはオラクルの恩恵が無いんだ。そろそろ休んだらどうだ?」
「北斗か。いや。ここはまだ開墾する必要がある以上、ここで手を止める訳には行かない」
北斗の声にジュリウスは背後を振り返っていた。北斗の手にはアナグラから持ってきたと思われる飲み物が両手に握られている。既に時間も押し迫る頃になりつつあると判断したのか、漸くジュリウスも作業の手を止める事にしていた。
「幾ら何でも作り過ぎやしないか?作物の成長が早いのも脅威だけど、数を増やすと今度はその管理がままならなくなるぞ」
「そうだな……だが、俺としては色々な物を植えてみたいんだ。教えて貰った事の結果が出る頃にはどうなっているのかが楽しみでな」
既に種を蒔いた物の一部が萌芽が始まっているからなのか、まだ小さな芽ではあるが、その結果はこれまで考えていた予想よりも遥かに早い結果をもたらしていた。
時間をかければ今度は芽が出た物を管理していく必要が出てくる。となれば必然的に開墾の時間が取れなくなるのは当然だった。だとすれば芽が大きくなるよりも一刻も早い開墾が至上命題となってくる。だからこそ、ジュリウスは自分の時間にゆとりがあれば直ぐにこの聖域での作業に没頭していた。
「実はあの聖域に関してなんだが、オラクル細胞の影響を一切受け付けない事が今回の調査で判明したんだよ。今はまだあの程度の大きさではあるが、今後は目に見える程の早さは無くても、拡大するのは間違い無い。そこでなんだが、君達さえ良ければの話なんだが……」
ジュリウスの救出後、榊の下に呼び出されたメンバーが聞かされた事実は衝撃的な物だった。オラクル細胞の発見から今日に至るまでに、既に20年以上が経過している。当時の事を知っている人間はまだまだ居るが、ジュリウス達が物心つく頃には既に今の様な有様となっていた。
今でこそ旧時代と言った言い方もされているが、ジュリウス達にとっては現状しか知らない為に榊の提案に対し、どう答えて良いのかが分からなかった。
「実は今回ブラッドを召集したのは、あの地で何が出来るのかを検証したいと考えている。これは極東支部だけの話ではなく、人類の未来に繋がる物だと考えて貰えれば助かる。榊のオッサンが言った様に、あの地はオラクル細胞の影響が出ない為に、我々としては農業を一つの計画として立案したい」
榊の言葉を遮るかの様にソーマが改めて説明をしていた。螺旋の樹の崩壊後、残された空間であり得ない体験した為に2人の博士の言葉を疑う者は誰一人居ない。自分達のこれまであったはずの腕輪が消滅し、細胞そのものが一度リセットされた事実は驚愕の一言だった。
その事実を否定する事が出来ない以上、提案された物に対しどう対処するのかがブラッドに委ねられていた。
「一つ質問があるんですが、どうして農業なんでしょうか?」
「北斗君。良い質問だね。実は今回の計画にあたって、君達も知っての通りだが、今サテライトが幾つか建設されている中で001号は食料事業に特化しているのは知ってるよね」
「まぁ、それ位ならば」
「僕達だけでなく、君達ゴッドイーターとしても食と言う物は馬鹿に出来ない。当然の事だが、生命体はすべからく何かしらの栄養を外的な要因で取り込んでいる。もちろん、人間にとっても当然の話だ。本来であれば口に入って栄養価だけを摂取すれば良いのも事実ではあるが、やはり口に入れる以上は満足度の高い物の方が良いのもまた事実だ。それに、今の極東の食料事情が良くなったのは、ここ3年の話なんだよ」
榊の言葉に、質問した北斗だけでなく他のメンバーも驚いていた。初めてここに来た際に食べた食事はフライアで移動していた頃の物よりも随分と上質な物だとは理解している。しかし、そんな短期間での変化だとは思ってもいなかった。
他の支部では未だにフェンリルから配給される食糧を配布したり、遺伝子を組み替えた味よりも量を優先した物が出回っている。移動要塞だった頃を思い出したからなのか、このメンバーの中ではジュリウスとロミオが一番理解していた。
「3年って、ここ最近の話ですよね?一体どうやって……」
「その件に関しては紫藤博士が色々と開発した結果なんだよ。事実、今実験的に配布している上級チケットの大半はここで普通に賄える物が多い。ここで作った物を各地に販売しているからと言えば、分かるね」
「え?それだと上級チケットの意味って……」
「ナナ君の想像通りだ。ここでの上級チケットは事実上の嗜好品が殆どになるね。知っての通り、チケットで交換するよりも外部居住区のマーケットで買った方が安くなってる物も多数ある。あくまでもあれは実験的な物だから今後も続けるかどうかは未定なんだよ」
ここ最近になって上級チケットでの報酬も可能となった事から、ナナだけでなく、他の人間も参考にと考える部分が多分にあった。実際に上級チケットの交換比率ナンバー1はアルコールの類だった。
クレイドルの報酬が時折それで払われる事もあってか、リンドウは積極的にそれをアルコールへと交換している。だからこそ、ラウンジでリンドウのボトルを見ると変わった物が多いのは当然の結果だった。このメンバーの中でギルだけがバータイムにラウンジに行く事が多かったからなのか、やけに珍しい品揃えが多いと記憶していた。
「そんな事もあってだ。実際に聖域にはオラクル細胞由来の植物は育たない事は既に検証済みだ。今後の展望はともかく、今後の流れを考えればオラクル由来の物ではなく、従来の物を使った方がより効果的になる。工業製品では無意味だから、こちらとしても検証の為の材料としてお願いしたい」
ソーマの言葉に誰もが即答する事は出来なかった。事実上の依頼ではあるが、ブラッドとて暇ではない。感応種の討伐任務は相も変わらず続くだけでなく、時折出没する神融種も厄介な代物でしかない。いくらクレイドルが居るとは言え、それも万全でない事を知っているからかこそ悩むのは当然だった。
「ソーマ博士が言う様に、本来であれば君達に頼むのは筋違いなのかもしれない。ただ、一度失った物を復活させると言うのは並大抵の努力をしても、どうしようもないんだよ。今、オラクル細胞由来の物が溢れているが、近い将来。いや、これから先の人類にとっての未来を考えると、それが不要になる可能性も出てくる。それだけじゃない。ギリギリの状態で保管している旧時代の種子も限界を迎えようとしてるんだよ。
今だけを見るのは容易い事だが、将来を見据えた行動をするのも必要なんだよ。もちろん、即断を求めている訳では無いから、よく相談してほしい」
榊の言葉の意味は誰もが理解していた。一度失った物が再び元の状態に戻る可能性は皆無だった。3年の間に食料事情が大幅に改善されているのは、既存の物を組み合わせた結果であって、それが発展する可能性はあまり高く無い。事実、聖域でのオラクル細胞由来の種子が芽吹く事が確認出来ていないだけでなく、未来に繋がる軌跡をここで絶てば、何らかの禍根が残る可能性も否定出来なかった。
「榊博士。その件に関してですが、お受けしたいと思います。ゴッドイーターは人類の守護者であって破壊者ではありません。折角の機会を頂いたのであれば、その機会を存分に活かしたいと考えています」
「ちょっと…そんな簡単に承諾して良いのかよ?」
「ロミオ。これはブラッドに依頼された物かもしれないが、俺個人としてもやってみたい考えがある。事実螺旋の樹を作り、その後の騒動を起こしたのは紛れも無く俺自身の取った結果だ。罪滅ぼしとはいかないが、未来に繋がる軌跡を閉ざそうとは思わない。俺個人の我儘だと言われればそれまでだが、それでもやってみたいんだ」
「ジュリウス。悪いがその考えに俺は反対だ」
ジュリウスの言葉を遮るかの様に発言したのは隊長でもある北斗だった。これまでの事を考えると、反対する道理も無ければ任務外での内容の為に問題になる事は無い。だとすれば賛成しても良いとさえ思っていたシエルやナナ、ギルだけでなくリヴィも驚いていた。
「北斗。それはどう言う意味だ?」
「言葉の通りだ。それにジュリウス。一つだけ勘違いしてるぞ」
北斗の言葉にジュリウスは珍しく怪訝そうな表情で北斗を見ている。既に周囲の状況が悪くなりだしたのか、その空気はどこか剣呑としている様にも感じていた。
「さっきの言葉はジュリウス一人だけの話だ。勝手に決められては困る」
「だよね。ジュリウスってさ、見た目は冷静沈着の様にも見えるけど、案外と視野が狭くなる事もあるし、一度こうだと決めたら突っ走るからね。そう言う意味では北斗より質が悪いかもね」
「確かにそうかもな。隊長の変更だって勝手に決めたのもジュリウスだったからな」
北斗の考えを読んだからなのか、ナナは合いの手を入れるかの様に北斗の言葉に呼応する。それを聞いたからなのか、ギルまでも言葉を告げていた。
まだ返事が無いままに勝手に進めた事を自覚したのか、ジュリウスも珍しくバツが悪そうな表情を浮かべている。それが答えだったのか、榊とソーマもこの状況を見守っていた。
「そうだ。コウタさん。榊博士から聞いたんですけど、極東支部の食料事情が良くなったのってここ3年の位の話だって聞いたんですけど、本当なんですか?」
支部長室でのやり取りはその後何の障害も無く決定していた。既に準備に入ったからなのか、その後の榊はソーマと共に何かをやっている。既にブラッドとしてもやるべき事が無いからと、一先ずはラウンジへと向かっていた。
「3年ね……確かにそう言われればそうかもな。俺がここに入った頃の話だったけど、確かにそうかも」
「因みに当時ってどんな物が出てたんですか?」
「当時は遺伝子を組み替えたジャイアントトウモロコシとか、味の分からないレーションが多かったよ。実際にプリン味のレーションなんて、ただベタ付くだけの甘い物だったから、記憶に残ってるよ」
コウタの言葉に何かを想像したのか、ナナの表情は言葉では言い表せない物となっていた。ラウンジも無ければ食料の配給も各自で何かしら賄う必要がある。その結果として食事事情は個人によっては随分と隔たりが存在していた。
「そうだったんですか……だとすれ、ば当時に比べれば今はやっぱり良いんですよね?」
「ああ。当時はラウンジも無かったから、随分と苦労したよ」
コウタの言葉にムツミは苦笑いをするしか無かった。ここが出来た当初から居るムツミの記憶では厨房施設を作ったまでは良かったが、人選に難航した事実がある事を知っている。しかし、その前となれば知らないのも当然だった。コウタの言葉に当時の事が容易に想像できるのか、何時もの様に下拵えをしながらも、その意識はコウタ達の会話に向かっていた。
「じゃあ、コウタさんも自炊とかしてたんですか?」
「コウタがそんな事する訳ないじゃないですか」
ナナの質問に返事をしたのはアリサだった。既に書類の仕事が終わったからなのか、いつも手にするタブレットも持っていない。休憩だからなのか、食事に来たからなのかコウタ達の会話を聞きつけてここに来ていた。
「アリサだって同じだろ。どれだけエイジにお世話になったと思ってるんだよ」
「当時の事はもう良いんですよ。それよりも書類の〆切は明日ですよ」
「やっべ……って誤魔化すなよ」
コウタの言葉にその場に居たナナだけでなく、ブラッド全員がその状況を一瞬にして理解していた。材料があれど調理が出来なければ無意味でしかない。ましてやコウタが自炊なんて言葉はこれまでに聞いた事が一度も無かった。
しかし、アリサの言葉で漸く納得出来たのか、先ほどの榊の言葉にもリンクしている。今はエイジだけでなくムツミも居る以上、食材の質が向上すれば自然と食事のレベルも上がるのは明白であると同時に、今の環境がどれだけ恵まれているのかを改めて感じ取っていた。
「そろそろ芽が大きくなれば間引きの必要もあるな」
「折角大きくなってきたのに抜くなんて酷いよ」
「ナナ。気持ちは分かるが、このまま大きくなれば最終的にはお互いの栄養素を奪い合う事になる。そうなればお互いが発育不良のままで終わってしまう。辛いかもしれないが、これも確実に大きく成長させる為なんだ。それに種子の数は限定されている。貴重な物を提供するのであれば、拘るのは当然だ」
ジュリウスの言葉だけでなく、ロミオの知り合いの老夫婦も同じ事を言っていた事が思い出されていた。決して何でも悪い訳ではなく、数を調整する事で栄養を確実に回す。その結果、確実な収穫を求めるやり方を選択していた。
元々の種子の数が限られている以上、初めての状態でもそれなりに結果を残す必要があった。
「そっか……そうだよね」
「ナナ。決して間引かれた物が悪い訳では無い。生存競争の果てと言えばそれまでだが、中には本来であれば間引く必要の無い物だってあるんだ」
どこか納得していないと判断したのか、ジュリウスは改めてナナに説明をしていた。無数の畝の表面にはまだ芽吹いたばかりの物もあればそれなりに大きくなってきている物もある。全部を確実に収穫するのが本来は最上ではあるが、実際にはそれは困難でしかなかった。
ここに来るまでにも幾つもの苗が病気になり、悪天候によって流されている。自然の前に対して人間の努力はちっぽけな物でしか無い。いくら土砂を押さえようとしても、聖域では超人的な力は発揮されない。これが自然と戦うのだと改めて感じる事がこれまでに幾度もあった。
そんな結果をナナも知っているからこその気持ちである事を察した結果だった。
「だが、近くにそれ以上の物があればそれを優先するのが本来の筋道だ。人間とは違い、植物はその場から逃げる事は出来ない。強大な力がそこにあればやがて淘汰されるのは必然なんだ。だとすれば、我々が出来る事はそれを如何に効率的にするのかだ」
明らかにダメだと分かる物は仕方ないが、中には惜しい物もある。間引く以上は仕方ないが、それでもとの考えから、間引いた物を丁寧に取り出す。まだ根が広がっていないからなのか、ジュリウスは一度間引いた物を再び他の場所へと植え直していた。
「これならどうだ?これであれば、最初よりも条件は悪いかもしれないが、無にはならないだろう」
「……そうだよね。少しでも多くの作物を作るのが目的だもんね」
先程までの落ち込みが嘘だったかの様にナナの機嫌は急上昇していた。間引いた物が改めて育つのかは現時点では判断する事は出来ない。だとすれば、その可能性に賭けるのも悪くは無いだろうとの考えがそこにあった。
「思ったよりも育成が早いですね」
「そうじゃな……ここは他の地域よりも成長促進が早いな。本来であればもう少し時間が必要なんじゃが……」
ジュリウスは老夫婦と共に畝を眺めていた。少し前まではまだ土の色をしていたはずが、気が付けば既に萌芽で緑に染まっている。隣にいた老夫婦もやはりこの光景を目にしたからなのか、少しだけ困惑気味に笑っていた。
「まだこの地は完全に解析された訳ではありませんし、恐らくはまだそう言った物を育てた事が無い土地だからなのかもしれませんね」
「確かに可能性は否定できんのじゃが……」
「まぁまぁ。そんな事を今言っても何も始まりませんよ。予定よりも早いならその分収穫も早くなる訳ですし、今後もこの調子ならまだ沢山の物を作る事も可能ですよ」
「確かにそうじゃな。まずはこれを収穫せん事には何も始まらんからな」
ジュリウスと老爺の心配するやりとりを他所に老婆は事も無く話す。確かに成長の度合いが早ければ、次は種子となる物も新しくなる。命の連鎖をこうやって繋いで行く事は人間の本来の有り方なのかもしれない。
榊とソーマの言葉に何かを思う事が漠然としていたからなのか、ジュリウスは珍しくその光景をボンヤリと眺めていた。