「ここが例の場所か。思った以上に木が生い茂ってるんだな」
「ほら。ぼやぼやしてると直ぐに日が暮れるわよ」
「お前ら、早くしろよな」
聖域は基本的には特定の人物以外は侵入が制限されていた。未だ完全に調査が終わっていない事だけでなく、周囲をオラクルの山脈に囲まれている為に、今だ生態系が確立されていない事がその原因だった。
幾ら人類の天敵とも言えるアラガミの生息が確認出来ないからと言って、脅威が全く無いとは言い切れなかった。見た目は穏やかでも、人類に対し有害な物が無いとは言い切れない。まだ水辺と平地以外に人の手が入る事はなく、本来であれば山間部にその声が響く可能性は無いはずだった。にも拘わらず、男女3人の声が当たり前の様に響いていた。
時折聞こえるのは木を切り倒す音と引き摺る音。既にどれ程の時間をそうしているのかと思う程に手際が良い音が響き続けていた。
「これで依頼された材料は全部か?」
「図面を見た限りだとそうだけど、作るのはクニオさんじゃないんだよね。だとすればギリギリすぎるのも拙く無い?」
「確かに言われればそうだけど、流石に鋸を入れるのはクニオさんじゃないのか?素人が墨付け通りに出来るとは思えない」
「やっぱり少し多めにしようか」
そう言いながら再び男女の影は山間部へとその姿を消し去っていく。これが当たり前だからなのか、程なくして追加の材木が運ばれていた。
「よう、お前ら。例の小屋の件だが材料の調達が終わったぞ。明日からだが、現場には来れるのか?」
「緊急のミッションが無ければ可能です。時間はどうしますか?」
「そうだな……移動にはヘリを使うんなら正規の時間の朝一だな」
以前に相談していたログハウスの建設は、ゆっくりではあるが確実に進んでいた。既に農業を営んでからそれなりに時間が経過していたが、肝心のログハウスに関しては思った以上に計画が進まなかった。
計画の当初はただ作業用の荷物を入れ、人の休憩出来るスペース程度の話で進んでいたが、想定外の出来事によってその計画は大きく変更を余儀なくされていた。
ここに来て作物の成長の度合いが想定よりも早くなりつつある事から、誰かが事実上常駐する必要があると判断されていた。当初はジュリウスが一人でと言った案も出たが、ここからアナグラを経由して討伐に向かうには余りにも非効率だからとブラッド全員が却下していた。その結果、老夫婦がここの様子を見る結果になっていた。
当初は夫婦共に遠慮していたが、作物の育成に対する知識と、ロミオが一時的とは言え、お世話になった事からもサテライトや外部居住区に住まないのであれば、ここはどうだろうとの提案が出た結果だった。
そんな計画の変更はそのまま設計にまで影響を及ぼす。建築するだけでなく給排水の手配に住環境の整備。気が付けば事実上の一軒家と大差ない仕上がりになる事が決定されていた。当然用途が変更された以上、それに付随する設備やコストも大きく変更される事になる。当初の予定よりも大きくなった予算に対し、ロミオが増額した分を自分で払うと言った話も出たが、これも偏に農業の一環であるからと、ジュリウスが声を大きくした事で更なる時間を要していた。
「えっと……朝一番って事は」
「巡回のタイミングだから6時頃だな」
「そんな時間なの?」
「何だ?起きるのが辛いなら起こしに行くぞ」
クニオの言葉にナナはただ驚いていた。これまでにも農場に足を運んだ際には材木があった記憶はどこにも無い。にも関わらず準備が出来たと言うのであれば、それに従うしか無かった。
しかし、想定外の時間にそれ以上は何も言えない。普段よりも早く起きる時間である以上、思わず声が出たのは当然の結果だった。
「そこまでしなくても大丈夫だよ。ミッションだったらもっと早く起きる事もあるからね」
「そうだったな」
「どうでも良いが、明日だからな。誰も遅れるなよ。寝坊したやつは置いて行くぞ」
クニオは既に材料が運ばれたからなのか、漸くここからが本番だとばかりにこれまで以上に気合が入っていた。度重なる図面や仕様の変更にストレスが溜まっていたのかもしれない。明日にも関わらず、何もしなければこれからでも向かうのではと思う程だった。
一方のブラッドもまた、これからの作業を待ち遠しくしていた。新たな建築物が出来る事によって農業の事業が更に過加速するだけでなく、まだ図面でしか見た事が無い物が実際に出来るまでを手掛けるのは誰もが興味津々だった。
「でもさ、材料っていつ持って来たんだ?一昨日の時点では無かったよな」
「確かにそう言われれば、そうですね。しかし、クニオさんがそう言う以上は間違いなんて事は無いかと思います」
未だ理解の範疇を超えた事実に、思考が追い付いていない。ログハウスを建てる程であれば材料が少ないなんて可能性はあり得なかった。
「すまないが、この依頼を聞き入れて貰えないだろうか?」
「無明殿が頭を下げる必要はありませんので。我々の力が必要であれば幾らでも融通します。しかし、何故我々に?」
老爺は無明の言葉を聞き入れると同時に、一つの疑問があった。山間の木の伐採であればフェンリルにもそれを簡単に出来る者は幾らでもいるはずだった。にも拘わらず、態々ここに来てまで頼むのであれば、何かしら問題があるのかもしれない。今回の件で用意された報酬はこれまで知りうる中でも高額の部類に入っていた事が拍車をかけていた。
「今回の現場は少々普通とは異なる場所になるからだ。もちろんアラガミの心配は無いのだが、事を大きくしたく無い。だからこの報酬にはそれも含まれている」
「なるほど……アラガミの心配が無いのであれば我々としては気になる事はありません。では3人を派遣させましょう」
「そうか。では済まないが頼んだ。日程は1週間後からになる。迎えのヘリを寄越すから後の事は任せた」
「我々も本業故、精一杯やらせてもらいますので」
無明と老爺の間に商談が成立していた。フェンリルの組織を使わないのであれば、自分達も素性を隠す必要はどこにも無い。山の民としての本業は今まで培ってきた技術を惜しみなく発揮できる。人知れず結ばれた契約にお互いが安堵していた。
ここは元々人が容易に住む様な地域では無かった。アラガミから逃れるかの様に山間部に細々と暮らすここの住人は、人知れず山での生活によって生計を立てていた。もちろん自給自足の生活ではあるが、それでも時にはfcが必要となる場面が幾つもある。時折無明から依頼される内容でその費用を賄っていた。既に話を聞いていたからなのか、2人の男と1人の女性が姿を現す。まるで当然だと言わんばかりに先程の依頼の事を口にしていた。
「さっきの人って無明さんですよね?だとしたら、また何か依頼だったんですか?」
「ああ。内容は簡単だ。極東支部周辺の木を材木にして建築したい物があるらしい。だが、場所は秘匿事項になるから他言は無用だが、大丈夫か?」
「秘匿事項なんて今に始まった事じゃないから大丈夫。ここに来るヘリに乗れば良いんだよね?」
「そうだ。期限は2週間だ。お前達ならば心配する事は無いだろう。頼んだぞ」
「了解。任せておいてよ」
老爺の言葉に男女はそのまま姿を消していた。元々ここでの生活が長い為に苦にはならない。しかし、場所が場所なだけに、それなりに何かが起こる事だけは間違いない。誰も居ない部屋に老爺は一人お茶をすすりながら座っていた。
「ここが例の……う~ん。壮観だね」
「ああ。話しには聞いていたが、まさかこうまで凄いとはな」
「とにかく今日から依頼された日時までやるぞ」
3人が降り立った場所は、アラガミはおろかオラクル細胞すら存在しない地域でもある聖域。無明の依頼に秘匿事項があるのは当然だと理解しているからなのか、3人はそれ以上の言葉を口にする事無く作業を開始していた。周囲を見渡し使える木の確認をしていく。用意された図面を元に次々と伐採した木を横倒しにしていた。
「そう言えば、北斗は元気にしてるのかな?」
「確かブラッドとか言う部隊に配属されたって話しだけどな」
「まぁ、あいつが簡単に死ぬ様な事はないだろ」
周囲の状況を確認しながらもここが極東支部に近いからなのか、以前は一緒に過ごした仲間でもあった北斗の名前が不意に出ていた。終末捕喰の事件以降、ブラッドの名前を聞く事は度々あったが、最近では個人名を記す事は少なくなりつつあった。
子供の頃から何かに付けて刀代わりに棒を振っていた一人の少年が、世界を救う様な部隊に配属された事実は今でも話に出てくる。まだそれ程時間は経っていないからなのか、それともここが極東支部に近いからなのか、3人は終始その話題で持ち切りだった。口を動かしながらも的確な衝撃を当て、芯となる材木を次々と切り倒す。
木から木へと飛び移りながらも視線は常に次の物を物色していた。ここに何も知らない人間が居れば、その姿を確実に目にすることは不可能な程だった。
当初の予定よりも木材の加工は早く終了していた。本来であれば木によっては加工が難しい物もあるが、この聖域に生えているそれはそんな癖は一切無かった。伐採された物は次々と樹皮を剥いて乾燥させていく。下手に生木の状態にしておくよりは歪みは少ないだろうと、当初の依頼には無かった事までが完了していた。
「どうやらあれみたいだな」
一人の青年が上空を飛ぶヘリを見つけたのか、2人もそれにつられて空を見上げる。小さな機影のヘリは徐々にその姿を大きくしていた。到着すると同時に黒い腕輪をはめた人物が次々と出てくる。そんな中で未だ記憶に残る一人の青年を見つけたからなのか、3人は思わず駆け出していた。
「北斗じゃねえか!生きてたのかよ!」
「何で、お前達がここに?」
「俺達は無明さんからの依頼でここに来てるんだ。材木の準備をしてくれってな」
聖域に降り立った瞬間、北斗の視界に入ってきたのは懐かしい顔ぶれだった。まだフライアに招聘される前までは全員で過ごしていた日々が思い出される。懐かしい顔を見たからなのか、北斗は珍しく周囲の気配を察知する事を忘れていた。
「北斗!久しぶりだね」
北斗の背中に柔らかい物が当たると同時に何かが一気に背中にのしかかる。背後からの行動に振り向くは出来ないが、その声と行動が誰なのかを物語っていた。
「ああ。久しぶりだな。まさかお前まで来ていたなんてな」
「何を他人行儀な……もう本当にそんな所は変わってないんだから」
女性の唇が北斗の頬に触れる。まるでそれが当然だと思ったからなのか、北斗は嫌がる様な素振りを見せる事は無かった。
「ねぇ、あの人達って誰なんだろうね。北斗の知り合いなのか……な」
北斗の様子を見たナナは遠目で眺めながらシエルに話しかけていた。何時もであればどこか冷静なはずのシエルの表情が怖い。動物的な何かで察知したからなのか、シエルの注ぐ視線の向こう側を恐る恐る見ていた。自分達と同年代の女性が北斗の頬にキスをしている。それを見たからなのか、隣に居るシエルからはドス黒い何かが立ち込めていた。
「あ、あの……シエルちゃん。大……丈夫?」
「何がですか?私は何時もと同じですよ」
そう言いながらもシエルの視線は北斗と女性から外れる様な事は無かった。既に何かを感じたのか、ナナはゆっくりとシエルから離れて行く。ここならばシエルの行動範囲から離れたから問題無いだろうと思った瞬間だった。
「北斗も隅には置けないな」
その光景を見ていたジュリウスの言葉に、周囲の空気は凍り付いていた。ナナだけでなくロミオやギルまでもがシエルの状況を感じ取って距離を置いている。空気を読まなかったジュリウスはどこか温かい目で見ているが、周囲はそれどころでは無かった。
ジュリウスの言葉に何かが降臨したのか、シエルはまるで呼応するかの様に足取りを荒く北斗の下へと進みだしていた。
「北斗。顔見知りなのは良いのですが、この方達はどなたでしょうか?」
「…ああ。こいつらは俺の住んでいた所の友人だ。皆気のいい奴だから仲良くしてくれ」
シエルの気迫に何かを感じたのか、北斗はそれ以上の言葉を避けていた。表情にはあまり出ていないが、明らかに今のシエルの表情には怒りが浮かんでいる。初めて顔合わせしたにも関わらず何故怒りを覚えてるのかは分からないが、今は下手に何も言わない方が賢明だと判断していた。
「そうでしたか。私は北斗の第一の部下のシエル・アランソンと申します。今回の件で何かとお世話になった様で」
怒りを抑えたからなのか、シエルの言葉は何時もよりも機械的だった。明らかに何かしらの意識が女性に向けられているからなのか、それを察知したのは北斗だけではない。3人も原因が分からないなりに回避しようと穏便に挨拶をするしか無かった。
「俺達は今回の件で依頼されてここに来ているんだ。少し予定より早かったが、明後日まではここに居るつもりだから宜しく」
「そうでしたか……宜しくお願いしますね。久しぶりに北斗に会ったから恥ずかしい所み見せちゃったみたいで申し訳ない」
お互いが握手するも、シエルが握る手には力が入っていた。ゴッドイーターの力であれば確実に手が握りつぶされる程の力ではあるが、ここは聖域。超人的な力は発揮できなくとも、かなりの握力に青年は苦笑するしか無かった。
「そう言えば、依頼されたって話だったけど、いつの間に」
「話そのものは2週間位前だぞ。何んでも今回の件で発生した場所で実験的にする事があるからって。場所は何も聞かされてなかったんだが、アラガミが居ないって聞いてたから、安心してやれたぞ」
「そうか。で、あれが今回の以来の内容って事か」
北斗が視線を動かすと、そこにはログハウスの建築の為の木材が積まれていた。既に乾燥まで終えているからなのか、直ぐにでも建築が可能な状態になっている。ここが聖域だと聞かされていなかったからなのか、物珍しさの方が優先されていた。
「ああ。ギャラも良かったし、お前の顔も見れたからな。皆何だかんだと心配してたから、偶には顔の一つも出しておけよ」
「そうだな……まだ今の状況が落ち着かないからな。近々時間が取れれば顔の一つも出すさ」
懐かしさの方が勝ったからなのか、今の北斗はブラッドに居る時とは違った表情を浮かべていた。まだ戦いに身を置く前の話。思えば随分と遠くまで来たものだと珍しく望郷の念に駆られていた。
「ところで、お前の周りの女って皆美人ばかりだな。それに何だあの巨乳の姉ちゃん。お前の女なのか?」
「何を馬鹿言ってるんだ。シエルが俺の女な訳ないだろ。向こうの方が迷惑がるだろ」
「そうか?少なくともそんな風には見えなかったがな。まぁ、楽しくやってるなら良いけどさ」
既に作業そっちのけの話は少しづつ脱線している。顔馴染がまさかこうまで突っ込んだ話をしてくるとは思ってもなかったからなのか、北斗は終始押され気味だった。
「北斗。そろそろクニオさんが鋸で切るそうなので、来てほしいのですが」
「ああ。そろそろ行く。すまんが、また後でな」
「ああ」
シエルから呼ばれた事で北斗はクニオの下へと歩き出す。気が付けば、幾つかの材木が適切な長さへと切り揃えられていた。
「あの、先程の方達は北斗の同郷の方なんですか?」
「ああ。俺がまだフライアに来る前に住んでいた所の仲間だ。久しぶりだったから作業そっちのけだったな。すまん」
「いえ。気にしなくても大丈夫です。私達もまだ何もしてませんでしたから」
先程の件があったからなのか、北斗はシエルの表情を観察していた。既に先程の様な剣呑とした感じは受けない。一体何が原因なのかが何も分からないままだった。
「なぁ、さっきの件だが、何かあったのか?」
「え……」
突然聞かれた言葉が何を指しているのかはシエルにもすぐに分かっていた。事実、あの場面を見た後は記憶が定かではない。これまで自分の感情に殆ど向き合った事が無かったからなのか、あの時感じた感情が何なのかはおぼろげながらに理解できる。しかし、確証が無いまま言葉には出来なかった。
ある意味今はチャンスなのかもしれないが、それでも言い淀むのは仕方の無い事だった。
「いや。ああまで怒っているシエルを見た事が無かったからな。俺が何かしたのかと思ってな」
「いえ。北斗は悪くありませんので気にしないでください」
決して何かを疑っている様な表情はしていない。北斗が純粋に聞きたいから聞いているのだと言う事はシエルも理解している。しかし、自身でさえも御しがたい感情を口にするにはまだ覚悟が足りないままだった。
「でもな……気になるだろ」
「この件は、少しだけ時間をください。必ずお答えしますから」
「そうか。無理に聞いてすまなかった」
「いえ。私の方こそ申し訳ありません」
お互いが言い合う頃には全員がクニオの下に到着していた。大事にしたい気持ちと、口にする事での関係の変化。恐らくはこの問題を解決するには何かしらの覚悟が必要だとシエルは考えながらも作業を開始していた。