支部長室では何時もの光景なのか、榊はお茶をすすりながらここ最近の状況を思い出していた。新種の出現によるデータの採取の為の折衝や、今後この極東支部で起こるであろう可能性などやる事はいつも山積している。
既に先だって執り行われたタツミとヒバリをモデルにしたドレスのオーダーは極東支部の新たな資金源となっていた。事実、榊が支部長になってからは研究室はもっぱらソーマが利用する事が多く、また、レトロオラクル細胞の研究に関しても一任している為に現時点で差し迫る様な物は無かった。
生涯研究職でありたいと思う反面、自分だけが突出した所でどうにも出来ない事実がある。元々無明は研究職ではなく、あくまでも自分が実践している部分を論理的に発表し、周囲に情報として広く知れわたらせる手段の為に発表をしている。もちろん、それが人類にとって重要な物であると言う認識はそのままだった。
「榊支部長。どうされましたか?」
「弥生君か。いや、ここ最近は中々は研究職としてよりも支部長としての役割の方が些か多くなっている様でね」
「ですが、ソーマはまだまだ駆け出しですし、当主は純粋な研究職と言う訳でもありませんから」
お茶と大福を出しながら弥生も改めてここ最近の状況を思い出していた。事務方としてのやるべき事は弥生もある程度の責任範囲の中でこなしている為に、実際に支部長にまで直接の仕事が来る事はそう多く無い。
重要な決済が迫られた場合は榊の手を煩わせる事になるが、それ以外の段階であれば、大よその事は処理されていた。もちろん、これまでにもあった突拍子もないイベントに関しても独断で行っているのではなく、榊の了承を得た物だけを実行していた。
「そう言えば、最近は顔をあまり見ないが、どんな状況なんだい?」
「何時もと何も変わりません。ここ最近は研究の為の資材調達で出ている事が多いようです」
屋敷は元からフェンリルの傘下に収まっている訳では無く、実質的な独立した物となっている。その為に外部のアラガミ防壁のアップデートや新たな研究など、費用に関しては極東支部と言えど費用の負担は何もしていない。その結果、無明自身が自らの手でアラガミのコアを収集し、常にそれを更新し続けていた。
そもそも屋敷そのものもそう大きい訳では無い。時折新たな住人とも言える人間を保護するも、結果的にはサテライトへ促す事も多く、以前よりはそこに住む子供の数は少なくなっていた。
「お世継ぎの事もあるからね。僕としてはもう少し落ち着いてほしいと思ってるんだが」
「それは無理ですね。実際に当主がやる事によって自治が維持されてますから」
「そう言えばそろそろなんじゃないのかい?」
「そうですね……まだ少しだけかかりそうだとは思いますね」
ツバキは事実上の産休の為に支部内に居る事は無かった。元々アナグラの居住区にはゴッドイーターとその家族、そして外部居住区ではなくフェンリルの一部の幹部がそこに居住していた。
既に一部のサテライトの防衛も支部並に強化された事もあってか、一時期の様な息苦しさは解消されていた。そんな中でツバキも本来であれば居住区での生活を余儀なくされていたが、やはり防衛の面だけでなく環境の面から考えて屋敷での生活をしていた。
「しかし、ここも漸く次世代の空気が流れつつあるのは喜ばしい事だ。そう言えば、例の件なんだが僕としても未来の戦力の為に少しだけ前に進もうかと思うが、やってくれるかい?」
「例の件ですね。了解しました。早速その手配を開始します」
榊の了承を得たのであれば、後はそのまま実行するだけだった。既に用意された幾つかの案は既にゴーサインが出ている。それを確認したからなのか、弥生は支部長室を後にしていた。
「はい、皆さん。明後日ですが、フェンリル極東支部の内部見学を開催します!」
「マジか!一度行きたかったんだよ」
「やった~早く明後日にならないかな」
ムツミは担任の言葉に驚いたままだった。ここはムツミが通っている学校。一時期はラウンジの兼ね合いで通信教育を選択していたが、エイジが戻ってきた事によって時間を調整しながら学校に通う事が出来ていた。
周囲は全員ではないがムツミの環境をおぼろげながらに理解している。しかし、実際に支部内の話をする機会は無に等しかった。
一番の要因は情報の漏えいに伴うセキュリティの問題。ラウンジは実質的なアナグラの社交場の様な部分が多分にあり、その際には時折作戦の話も出ていた。もちろんムツミには関係ない部分も少なからずあるが、やはり生活の中心とも言える場所での労働には細やかな制約も付け加えられていた。
詳しくは分からなくても、周囲の人間がその言葉の意味を知れば何かと問題も出てくる。だからなのか、学校の担任からもそんな話が出た事によって周囲もその件に関してだけは敢えて話す事は無かった。しかし、担任が言った様に見学に行くのであれば話は変わってくる。突然出た話に何時もとは違った意味でムツミも楽しみにしていた。
「ねぇ、ムツミ。ゴッドイーターの人ってやっぱり怖い人が多いの?」
「そんな事は無いよ。面白い人も居れば真面目な人もいるし」
「この前の広報誌に出てたエイジさんって、作るお菓子とか結構おいしいのかな」
「ロビーに行けば誰でも貰えるよ。でも数は多く無いけど」
「それって誰でもなの?知らなかった……」
「って事は明後日は何か貰えるのかな」
作戦ではなく、同級生の単純な質問にはムツミも答えていた。人物像程度であれば広報誌にも載っているだけでなく、一部のゴッドイーターは実名が寄せられている為に隠す必要は無かった。
広報誌は基本的には一般向けに出されている物は事実上の週刊誌に近い物が多く、時には何かしらの娯楽やプレゼントのコーナーもある為に、ここの人間であれば誰もが一度は目を通す事が多かった。そんな中でもエイジが作るお菓子は、大人だけでなく子供にも絶賛されていた。
実際には個数限定でアナグラのロビーに行くと誰もが貰える。学校がある為に子供が貰える機会はそう多く無かった。
「って事で明後日にはいくつかの学校がここの見学に来る事になったから君達にも頼みたい事があるんだよ」
榊の言葉に集められた人間はまたかと言った表情を浮かべていた。事実フェンリルの極東支部としての一大イベントでもあるFSDは当初は神機使いとの交流を基にした物。最近では予算の兼ね合いもあってかFSDの当初の理念から逸脱し始めていた。
事実上の独立採算による支部の運営は生半可な考えでは出来ない。予算があろうが無かろうが、アラガミが襲い掛かる事に対し、生涯対策を取り続けるしかない。
もちろん今は良くても近未来で全滅では話にすらならない。だからなのか、次世代の有望な人間に知ってもらう為にも、今回持ち込まれた企画の承認をしていた。もちろん該当する人間は安全を取り計らう必要もあった為に、それなりの人間が選ばれていた。
「因みに対象となるのはどんな人なんですか?」
「今の所は外部居住区の学校の幾つかを予定している。年齢的にはまだまだだが、近い将来の戦力とイメージ戦略を考えた結果だね」
「因みにムツミちゃんが通ってる学校の生徒も来るから、皆少しは気を使ってね。でないと恥をかくのはムツミちゃんだから」
「了解しました」
エイジの言葉に榊と弥生はあっけらかんと回答をしていた。学校の見学となれば何かと気を使う事は格段に多くなる。その内の一つがムツミが通う学校である以上、気を使うのは当然の事だった。
「でもさ、見学って言われても、俺達は何をすれば良いんだ?」
「特別な事はしなくても良いみたいだよ。案内関係は弥生さんか他の人みたいだしね」
「コウタの場合は少し周囲の様子を確認した方が良いかもしれませんね」
支部長室から出たエイジとアリサ、コウタの3人はラウンジで何時もの如く話をしながら先程の内容について考えていた。そもそもFSDが支部と住民の交流であれば、今回の様な見学会は必要無い様にも思える。しかし、今後の事を考えればそれもまた一つの方法である事を理解していた。
ゴッドイーターは誰もがなれる仕事では無い。むしろ適正があったとしても真っ当に退役出来るのかと言われれば、誰もが言葉に詰まる結果だった。生存率が高まったとは言え、未だ退役した人間はそう多く無い。イメージ戦略である事に違いは無いが、それは今回の見学とはまた違った結末でしかなかった。
「そうだね。コウタの場合、外部居住区にも顔は知れ渡ってるだろうから、少しは気を付けた方が良いかもね」
アリサの言葉に何かを思い出したかの様に出た言葉と同時に、コウタの前にはジンジャーエールが出されていた。今日のラウンジはエイジの担当だったからのか、人は何時もよりも若干多い。決してムツミが劣っている訳では無く、純粋に無茶な注文はしないと言った自主的な思惑がそこにあった。
「俺の事よりもエイジ、お前の方が大概だと思うぞ。広報誌は意外と外部居住区でも読まれてるからさ。家に帰るとそんな話は結構聞くぜ」
「そうですよ。エイジはもっと自分の事をしっかりと認識した方が良いです。実際にこの前の本部に行った時だって………」
アリサの言葉に当時の状況を思い出していた。アリサが言うあの時は最後の懇親会とも取れるパーティーの事だった。元々護衛で来ている為に本来であれば部屋の隅で周囲を護る事が本来の役目ではあったが、実際には部屋の片隅ではなく、むしろど真ん中とも取れる場所に位置されていた。
伊達に本部でも仕事をしていた訳では無い。部屋の片隅から中心にかけて移動するのはゴッドイーターであれば然程時間を要する物ではない。にも拘わらず、一部の要望によって中心地で護衛と言う名で配置されていた。元々懇親会にアリサは重きを置いていない。
確かにサテライトの事は幾つかは聞かれたが、実際にはあまり関心を示している様にも見えず、むしろアリサ個人に関心が高い様にも思えていた。事実、シオとアリサだけが着物を着ているのには訳があった。
懇親会でのそれは実際に商品を見せる場でしかなく、その結果として極東に注文が寄せられる事になる。以前であればツバキがそれを担っていたが、流石にあの状態で参加する訳にも行かず、結果的にはシオがその役目となっていた。
しかし、シオは良い意味で純粋な部分が多分にあり、魑魅魍魎が住まう政財界の会の集まりにはストレスが溜まるからとの思惑もあった。アリサも事前にその役割を聞かされていたが、やはりアリサとてストレスは溜まっていく。そんな中でエイジの周囲に集まる女性陣を見て平然と出来る事は無かった。
「あの時はアリサと同じ意味だよ。実際には結構シビアな部分もあったしね」
「それは……そうですけど…」
その後の事を思い出したのか、アリサはそれ以上の言葉を告げる事は無かった。
「でも、今回の件は対象が小学生なんだし、気にする要素は無いんじゃないの?」
「何言ってるんですか!対象はそっちじゃなくて引率の先生に決まってるじゃないですか!」
突然の言葉にエイジとコウタはそれ以上何も言う事は出来なかった。幾ら何でも飛躍しすぎ。平常運転と分かっていてもコウタは呆れる事しか出来なかった。
「ようこそフェンリル極東支部へ」
準備期間があったからなのか、見学会は滞りなく開催されていた。元から弥生がアテンドする事により、次々と施設の中を紹介されていく。広報誌でもいくつか掲載されていたものの、やはり実際に目で見る光景とは違うからなのか、子供達の表情にはどこか期待する様な物が浮かんでいた。
ロビーでは何時もと変わらない光景が広がっている。既にミッションに出た部隊もあるからなのか、ヒバリだけでなくフランもまた自分達の任務につくかの様にオペレートに集中していた。このまま何も問題無く見学会は終わるはず。そんな空気が流れた瞬間だった。
「はい……了解しました。直ちにその様にします」
弥生の耳に飛び込んだのは緊急を要する情報。これまで問題が無いと思われた部隊の緊急出動要請が発動していた。
ここ最近はアラガミの発生にイレギュラーが無かったからなのか、それとも偶然なのか本当の意味は分からない。しかし、内容を考えれば事態は急を要する結果となっていた。
「皆さん。申し訳ありませんが、緊急事態が発生しましたので、ここから速やかに場所を移動します」
本来であればロビーだけでなく支部全体に警報がけたたましくなる予定ではあったが、今回の見学会の関係で音声は全てシャットアウトされていた。状況が分からないままに誘導される子供だけでなく、引率した先生もまた緊張感で表情が強張っていた。
「了解しました。直ぐに出ます」
緊急事態になってからの移動は『神速』の一言に尽きていた。元々何かを用意していたエイジは直ぐに移動を開始する。既にヘリポートには状況を確認したアリサとコウタ、ソーマが準備を始めていた。
「ここから3キロ先でヴァジュラの大群らしい。他の部隊にも要請をかけているが、時間的には厳しいぞ」
ソーマの言葉に3人は改めてレーダーを見ていた。アラガミを現すビーコン反応は全部で8。それらすべてがヴァジュラであるとなれば苦戦は必至だった。
本来であれば問題になる事は無い。しかし、ここに子供が居る以上、下手に危険である事を口にする訳には行かなかった。資材を次々とヘリに搭載していく。他の部隊が合流した際の物資補給の為に作業員の手が止まる事は無かった。
「一体どうなってるんだ?」
「何だろうね。何だかさっきから慌ただしくなってるみたいだね」
誘導された子供達は純粋に心配していた。ここはアラガミの襲撃が割とと多い事は住人であれば誰もが知っている。事実アラガミがどんな物なのかは何となく理解していても、外部居住区に元から住んでいる子供は実際に見る機会は殆ど無かった。
これまでの広報としての放送の中で見る機会はあっても、実際には何も知らない。そんな状況があったからこそ、どこか不安な空気が漂っていた。
「ムツミは、アラガミって見た事あるのか?」
「私は無いよ」
「でもあんまり心配して無いみたいだよ」
「それは、ここの皆の事を信頼してるから……」
不安の空気は会議室内を徐々に浸食していた。何も分からない物に対し、恐怖感はあっても安心感が沸き起こる事はどこにも無い。当然襲撃された事によって一部の生徒は軽いパニックに陥っていた。
ここは絶対安全な場所。理性ではそう考えても、本能は恐怖心に駆られていた。それはムツミとて同じ事。幾らゴッドイーターと言えど、何かが起こって捕喰される可能性がある事を知らない訳では無い。これまでにも危機的な状況をこの目で見てきたからなのか、他の子供に比べればその部分だけは若干耐性がある程度だった。
その後の放送は何も起こらない。だからなのか、偶然会議室に入った映像を誰もが一斉に見る事になっていた。
「す、スゲェ……」
誰かがポツリとこぼした一言は正に今、外部で戦っている場面だった。純白の制服を身に纏ったゴッドイーターはお互いの行動を完全に理解しているからなのか、邪魔する事無く連携を組んでいた。
流麗とも取れる剣閃は一瞬にしてヴァジュラに多大なダメージを与えているからなのか、本来であれば純白までは行かないにせよ、その白いはずの躯体は血で真っ赤に染め上げられていた。
時折バチバチと音をたてながら放出する雷球はまるですり抜けるかの様にエイジの身体の背後へと抜けていく。戦っている場面を見た事が無かった為に、恐怖心に染まりつつあった子供達の様子はゆっくりと変化していた。
幾つものフェイントを入れながらヴァジュラの視線を固定させる事なくアリサは疾駆する事で急激に距離を詰めていた。フェイントから始まる緩急を付けた攻撃は、さながら演舞するかの様に優雅に攻撃を繰り出していた。
遠心力を十分に発揮させる斬撃は確実にヴァジュラの命を削り落とすかの様に斬撃の痕だけを一つ二つと刻みつけていた。
その一方ではエイジが一気に懐に入ると同時に突き立てた刃はヴァジュラの腹部を縦に斬り裂いていた。臓物らしき物が零れ落ちる前にコウタの銃撃が発砲音と同時に全てが着弾している。他の支部であれば確実に総力戦であるにも関わらず、今の子供達の網膜に映っているのは僅か4人のゴッドイーターだけだった。