神喰い達の後日譚   作:無為の極

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第8話 ハニートラップ

 

「ハニートラップ、ですか?」

 

 今回の対象は、クレイドルだけでなくブラッドも含まれていた。クレイドルは独立した組織が故に機密情報を扱う可能性があるかもしれないが、ブラッドに関してはそんな事実は何処にもない。ましてやそんな教導が何を意味するのかすら理解出来ないままだった。

 だからこそ、シエルの言葉が全てを表していた。

 

 

「ええ。ブラッドに関してはクレイドル程じゃないけど、やっぱり聖域の件があるのが一番ね。貴方達は気が付いていないかもしれないけど、あれは既に政治的な物じゃなくて人類が共有する物だと一部の人間が判断してるのよ。もちろん、現状はそうでない事は理解していても、貴族や本部からすればやっぱり隠してるって思う部分があるのは間違いないのよ」

 

 書類ではなく弥生の口頭で伝えられた事実に誰もが言葉を失っていた。当初の経緯を考えれば、確かに今後の大きな目標の一つである事に違いない。まだ農業に関しても萌芽したばかりの為に、事実上の手さぐりでしかなく、またそれに付随する小屋の件や、それ以外に関してもまだ始まったばかりと言える内容でしかなかった。そんな中で持ち込まれた内容と現状が一致する様な事は何処にも無かった。

 ハニートラップの言葉は知っているが、本来の内容を理解している人間は多く無い。未だ理解が追い付かないからなのか、ジュリウス以外の全員が固まったままだった。

 

 

「ですが、我々も今は農業の事業が一番の正念場を迎えていると言っても過言ではありません。萌芽している今は確実に経過観察する必要があります。時間をゆっくりと取るのは厳しいかと思いますが」

 

「その件なら問題ないわよ。実際には一度しかやらないし、今は誰もが厳しいスケジュールを縫うようにやってるのは知ってるから」

 

「そうでしたか」

 

 弥生の言葉にジュリウスは暫し沈黙を保ちながら、今後の予定の事を考えていた。何時もの様な適当な内容の任務でない事は命令書が物語っていた。通常のミッションと同じ書式である以上、これは今後の重要さを踏まえているに他ならない。

 未だ北斗は理解の範疇を超えているからなのか、反応は鈍いままだった。

 

 

 

 

 

「ジュリウス。ハニートラップって何だ?」

 

「北斗、何も知らないのか?」

 

「知らないから聞いている」

 

 弥生が去ったのを確認したからなのか、ブラッドは全員がラウンジのソファーへと腰かけていた。話題は先程聞かされたそれ。北斗自身が知らない事だからなのか、全員の視線が承諾したジュリウスへと向けられている。

 そんな空気を感じたからなのか、ジュリウスは改めてその内容を話していた。

 

 

「……これは由々しき事態かと。まさかここでもやるとは思いませんでした」

 

「って事は、ブラッドからは北斗とジュリウス以外にはギルとロミオ先輩もだよね」

 

「ブラッドとなっているのなら当然の話だな。だが、何でこんな時期なんだ?」

 

 シエルとギルは理解したのか、その言葉から予想される事実は確実な物であると判断出来ていた。機密情報が簡単に流出したとなれば今後の事もやりにくくなるだけでなく、妨害が入る可能性も否定出来ない。何故なのか?ではなく、だからこその思惑に気が付いていた。

 

 

「何だ?ハニートラップがどうだとか聞こえたけど、何かあったのか?」

 

「いえ。弥生さんから話があったんで、どうしたものかと相談してたんっスよ」

 

 先程の会話を聞いていたからなのか、ブラッドが集まる場所に来ていたのはハルオミだった。元々ブラッドが集まっている所に足を運ぶつもりは無かったが、時折聞こえる内容に何か感じる物があったからなのか、確認とばかりにギルに話しかけていた。

 

 

「ああ~あれか。……確かにこの面子なら大変そうだな」

 

「何をやるのか知ってるんですか?」

 

 ハルオミの言葉に何かしら知ってると判断したのか、北斗がハルオミに確認をしていた。ハルオミの表情を見れば何となく分からないでもないが、問題なのは正規の任務としての命令書の存在だった。

 目的と内容はともかく、農業でさえ正規の命令書を発行した事は記憶にすらない。今の極東では事実上の口頭だけでも同じ様な効果を発する事が殆どの為に、態々命令書の体裁を整えてまでとなったのは珍しい事だった。

 

 

「内容はともかくだが………確かに今のブラッドには必要かもしれんな。まだ分からないかもしれないが、敵は常にアラガミだけじゃない。悪意を持った人間ですら敵になるんだ。俺の記憶でもここでそんな話は無かったから、いよいよ本格的にやるつもりかもしれんな」

 

 何かの思惑を感じ取ったのか、ハルオミはそれ以上の事を話そうとはしなかった。確かに一日で終わらせるのは間違いないが、内容を考えれば何かと人間関係に皹が入る可能性も否定出来ない。

 該当する人間がブラッドにはまだ居ない事が大事にならない原因ではあるが、今の状況を考えればクレイドルは確実に何かしらの問題を孕むのは間違い無かった。筆頭はどう考えても銀髪の女性。最悪は何かしらのトバッチリが来る可能性を否定できない。となれば、今出来る事は戦略的撤退の一言だった。

 

 

「俺は用事を思い出したからここまでだな。まぁ、何をするかは知らんが、用心しておくんだな」

 

 既婚である以上、線引きが難しいのは間違いなかった。何かを想像したからなのか、それともこれ以上ここに居るのは危険だと判断したのか、ハルオミは早々にこの場を離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弥生さん。アリサから聞きましたけど、本当にやるんですか?」

 

「ええ。既に支部長の正式な命令書もありますので。……やっぱりサクヤさんもそう思いました?」

 

 弥生はサクヤから聞かれた事で、恐らくはアリサが何かしら話したんだろうと考えていた。確かに本来であればそこまでやる必要は無いのかもしれないが、今回の開催に関しては多少なりとも事情が変わった事が最大の要因だった。

 

 今の時点で極東支部に来るのは殆どが神機使いか技術者だった。純粋な技術の向上の為であれば、それに関しては今の所何ら問題は無い。それよりも懸念するのが上層部の意向だった。

 情報管理局が完全に撤退した今、防波堤となるべき人間がここは極端に少なかった。年齢がではなく、情報の漏洩がどれ程厳しい現実を見せるのかをここの人間は良く理解していない節が多々あった。

 交流を重ねれば、会話の中でそれらしい話題が出る可能性は当然の事ではあるものの、やはり慎重に事を運んだ方が良い結果をもたらすのは間違い無かった。既に聖域だけでなく、クレイドルが進めているサテライト計画も他の支部から幾つも問い合わせが来ている。となれば矢面に立つのは当事者でしかない。

 幾ら大丈夫だと口で言った所で、まだ若い人材が本当に自分を制御できるのかと言えば嘘でしかない。一部の人間は自制できるかもしれないが、全体を見ればやはり確認すべき事実に間違い無かった。

 

 

「ええ。本当の事を言えば、仕方ないかもとは私も思うの。実際にここは大半が十代後半から二十代前半の人間が多いのも事実だし、欲望をコントロール出来るかと言えば、即答は出来ないのよね」

 

「本能に従うのも悪くは無いですが、そろそろここも人の悪意がどれ程の物なのかを知っておいた方が良いかと思うんです。事実、これまでの危機は全て一部の人間の暴走が原因ですから」

 

「確かにそうね」

 

 余りにも思い当たる節が多すぎるからなのか、弥生の言葉にサクヤは反論すら出来なかった。これまでの極東の危機は事実上の個人の暴走でしかない。ましてや全てが本来であれば信頼すべき人間が起こした事実は世間的にも覚えの良い物ではなかった。

 当時のフェルドマンが放った言葉ではないが、全てが極東発では今後の信頼にも大きく影響を及ぼすと判断した結果だった。事実、発案した弥生も只やった訳では無い。無明やツバキ、榊にも案として出した結果での現実でしかなかった。

 

 

「アリサちゃんの心配は分からないでもないけど、実際にはエイジとナオヤは不要なのよね」

 

「それって?」

 

 弥生が不意に放った言葉にサクヤは驚いていた。今回の対象にも入っている2人が不要であれば、それは既にその事実を知っている事になる。アリサの為にと思って動いた結果は、まさかの回答だった。

 

 

「あの子達はそんな事でたじろがないのよ。それに近い事は何度かやってきてるから」

 

「だったら最初からそう言えば……」

 

「最初から2人を排除すると勘繰る人もいるから。アリサちゃんには気の毒だけどね……でも、あれなら………」

 

 一肌脱ぐつもりがまさかの回答にサクヤはそれ以上の事が言えなくなっていた。内容や手段だけでなく、以前にリンドウから聞いた事実がそれを物語っている。

 態々出る必要は最初から無かった事だけは間違い無かったと判断したからなのか、弥生の不穏な考えに気が付く事は無かった。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古ぼけた頭陀袋を引き裂くかの様な断末魔を上げながら、ハガンコンゴウは地面へと沈んでいた。既に斬り刻む様な部分が殆ど見当たらず、両腕と背後にあった羽衣の部分は痕跡すら残されていない。

 極東でも第二種接触禁忌種の一つに指定されているはずにも関わらず、目の前の銀髪の女性の相手にはならなかった。やり過ぎとも思える攻撃に同行したメンバーは敢えて何も言う事も無く、お互いが当事者に聞こえない様にヒソヒソと話をするだけに留まっていた。

 

 

「アリサさん。荒れてるよね」

 

「例の教導が今日ですから、無理もありません」

 

「何か言いました?」

 

「いえ。特には」

 

 聞こえたのか、アリサの言葉にナナとシエルは珍しく様子を伺いながらもマルグリットに助けの視線を送っていた。既に事切れたハガンコウゴウに怒りをぶつけるかの様に戦っていたのはアリサ一人だけ。あまりの苛烈な攻撃に、何時も冷静に戦うシエルも唖然としていた。

 

 

「アリサさん。そろそろそれ位にしないと、2人が怯えてますよ」

 

「私、何時もと同じです!」

 

 そう言いながらコアを抜き取ったアリサは新たな獲物を追いかけるかの如く周囲を見渡していた。ここで何かを発見すればすぐにでも行動に移るのは間違いないが、生憎とアラガミの姿は確認出来なかった。

 既に回線を開いていたのか、マルグリットはアナグラに通信を開始している。程なくして回収用のヘリが見え始めていた。

 

 

 

 

 

「マルグリットはコウタがあんな教導に行く事に何も言わなかったんですか?」

 

「私?特に何も言わなかったかな。大よそどんな事をするのかは知ってるつもりだけど、それが原因で何かが起こるとは思ってないかな」

 

 帰投のヘリに乗り込んだ事で漸くアリサは今回の教導の内容についてポツリと話しだしていた。ハニートラップに関してはクレイドルとブラッド、それ以外に一部の人間が今回の対象となっていた。

 内容に関しては知らされていないが、それが何を示すのかはアリサも理解している。もちろんエイジの事は信用も信頼もしているが、見ず知らずの女性がその為だけに接触する事は到底容認できない内容だった。

 

 発表されてからは偶々ミッションの兼ね合いであまり一緒に居る事が無かった事も影響しているのか、ゆっくりと話をする事すら出来なかった。特段、喧嘩した訳でも無ければ言い合いになった訳でも無い。ただアリサ自身の気持ちのやり場が無いまま時間だけが経過した事が今回のミッションに繋がっていた。

 

 

「普通のそれなら私も気にしてません。ただ、弥生さんがああまで言い切った以上、やっぱり心配しか出来ないんです。今回の事で私の事なんてって考えたら……」

 

 アリサの言葉に3人は思わず、絶対にありえないと声を大にして言いたい気持ちを押さえていた。普段の生活は知らないが、誰もが2人を見て邪推する様な可能性を抱く事は無かった。

 

 確かに普段の能力を鑑みれば、憧れる可能性はあるかもしれないが、冷静に見れば誰もが直ぐに理解出来た。普段ラウンジでカウンターの向こう側に居る際に見えるそれと、アリサが目の前に居る際の視線は明らかに違っている。もちろんそれだけでは無い。

 

 アリサは気が付いていないが、出された食事一つとってもアリサに出された物は確実に一手間かかっているのは間違い無かった。他の女性陣も羨ましいと思う反面、実際にそれを頼む事は容易ではない。分かり易く言えば、メニューに無いだけでなく、その名称が何なのかすら分からない為に頼む事も困難だった。もちろん、特別ではない。

 時折リッカやヒバリもアリサの料理を見て同じ物と言えば、同じ物が出される。近しい人間はそれで済むが、それ以外となればかなりハードルが高い事実があった。

 ナナやシエルもどちらかと言えば近い部類に入るのかもしれないが、やはり安易に頼めるかと言えば、言葉に詰まる。アリサはそれが当たり前となっている為に気が付く事が出来なかった。

 

 

「幾ら何でも考えすぎですって。コウタなんて何が起こるのかって私に言う位ですよ」

 

 マルグリットの言葉に思わずシエルとナナはええ~っと口に出していた。特殊な内容ではあるが、それを楽しみにするのは如何な物なのだろうか。何も知らないからなのか、それとも誤解をしているのかは分からない。しかし、今の2人にとってコウタの株は僅かに低下していた。

 

 

「しかし、今回の内容はどんな物なんでしょう?」

 

「マルグリットちゃんは予想出来るんだよね?」

 

「あくまでも予想程度ですが」

 

 2人の関心はアリサではなく内容に移っていた。態々銘打ってまでやる以上、ただではすまない。幾ら予想出来たとしても弥生が絡む以上、予想するのは困難とも言えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議室では正にその内容に関して開催されていた。当初はその有用性とそれを行う事についての手口や行動など、ごく一般的な座学となっていた。ブラッドのメンバーは完全に理解していないが、クレイドルはその言葉の意味を正しく理解している。

 当時の状況を全員が見ていると同時に当事者でもある。一部の悪意が引き起こすそれが何を意味するのかは考えるまでも無かった。

 

 

「では、ここからは実際に手口を実体験してもらいますね。じゃあ、最初に……コウタ君。良いかしら?」

 

「え?俺ッスか?」

 

 笑顔の弥生の表情を見たエイジは僅かに嫌な予感だけを感じていた。実際にそれに近い事は屋敷でもある程度は経験している。大よそのやり口も理解いているからこそ、警戒する事は可能だったが、明らかに含みを持つ笑顔は警戒心だけを高める結果になっていた。

 

 

 

 

 

「なぁ。コウタ、ヤバくないか?」

 

「ああ。あれだと陥落するかも」

 

 エイジとナオヤは周囲に聞こえない程度の音量で会話をしていた。実際に嘘だと理解しているにも関わらず、今のコウタはドギマギしていた。何も知らなければ問題無いが、厄介なのはその容姿と距離感だった。

 簡単に言えばあまりにもマルグリットに似た人物がコウタとの距離をゼロにしているだけでなく、女を確実に意識させるような表情と行動を伴っていた。

 

 今回弥生が召集したのは、自分が普段から知っている人物の中でもトップクラスを呼んでいた。極東に限らず、女を活かしたやり方は今に始まった事では無い。特にフェンリルの上層部ともなれば警戒は高いにも関わらず、易々とそれを乗り越えて一気に懐に入る事が可能な人選はある意味脅威だった。

 

 距離感を近くしながら時に耳元で囁くかの様に話し、時折触れる柔らかな双丘はあからさまにやっているのではなく、どちらかと言えば男の本能をくすぐるかの様に振舞う為に、嫌が応にも意識させられてしまう。

 緊張からなのか、用意された飲み物に手を付ける頃には既に状況は大きく変化していた。当初は警戒していたコウタも徐々にペースにのせられているのか、最後の方は視線が一方的に女性に向いている。身体を使う事無くその視線を奪う行為は誰もが理解出来なかった。

 傍から見れば距離感は近い事は近い出来るが、それ以外には特段変わった事は何もやっていないようにしか見えない。にも関わらず、コウタがああまで変化した事実はブラッドの全員が驚いていた。

 

 

「はい。そこまで。コウタ君は、ちょっと警戒が必要かもしれないわね」

 

 弥生の声で現実へと戻る。エイジの隣に座ったコウタは最初は視点が定まっていない様にも思えたが、時間の経過と共に正気へと戻る。記憶があったからなのか、暫くの間コウタは椅子にもたれながら天を仰ぐかの様に天井を眺めていた。

 

 

「あれは洒落にならないって」

 

 コウタの口から出た呟きでエイジとナオヤは理解していた。本人の警戒心を解くキッカケとなったのは出された飲み物に起因していた。何気なく勧められたそれに何かが入っていた可能性が極めて高い。本来であれば神機使いの代謝からはあり得ないはずだったが、用意されたそれはその代謝を易々と乗り越えていた。

 

 

「だろうな。完全にデレデレだったな。マルグリットに言ったら…」

 

「それ以上は言わないでくれ」

 

 冗談半分に言ったはずの言葉にナオヤは思わず驚いていた。確かに自分の彼女に似た人間が来れば多少の警戒は緩む可能性は否定できない。それを突破口にしてくる辺りに実践である事を理解させられていた。

 冗談半分だと思っていた空気が一気に変わる。人が変わる度にやり口が全て変わる為に、行動を見ての警戒は無意味となっていた。

 

 

 

 

 

「と、こんな感じで来るかもしれないから、確実に気を付ける様にね」

 

 肉体的には厳しくないが、精神的にはかなり厳しい内容に弥生の声を聞いた全員が安堵していた。エイジとナオヤに関しては大よそながらに推測した事もあってか回避出来たものの、やはりブラッドはジュリウス以外が事実上の陥落に近い物だった。

 終わりはしたが精神的には疲労困憊の状態に間違い無い。エイジとナオヤだけが辛うじて行動する事が出来たが、それ以外のメンバーは暫くの間は動く事すら困難な状況だった。

 

 

 

 

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