昨日までの戦闘が嘘だったかの様に、本部内にある訓練施設は一部を除いて静寂を保っていた。
時折聞こえる剣戟の高音と、荒い息遣いだけが妙に響く。時間はまだそれが暁を迎える前だったからなのか、まだ明るさと薄暗さとの狭間だった。
「昨日のあれは大変だったみたいだね」
「はい。お蔭で苦戦しました。シエルの援護で何とかなりましたが」
「教導じゃないから2対1でも問題無いけどね。そもそもアラガミと単独なんて早々するもんじゃないから」
これまでであれば教導の際にこうまで話をする程の余裕は殆ど無かった。
事実、昨日の戦闘もあってか、本来であれば休息を言い渡される。しかし、先日の青年の言葉もあってか、エイジは独り休むつもりもなく、何時もの日課とばかりに鍛錬に勤しんでいた。
型を確かめるかの様にゆっくりと自分の体内の内側を意識させる。そんな矢先に来たのが北斗だった。
何時もの様に短い礼と共にお互いが距離を取る。それがいつもの開始の合図だった。
今の北斗ではエイジに対し、攻撃は殆ど当たる事は無い。時折当たっても僅かに掠る程度。自分が『墜ちた者』と対峙した事によってその差は多少でも埋まったかと思われていたが、結果的には特段の変化は何処にも無く何時もと同じだった。
3回に1回は必ずと言っていい程に吹き飛ばされる。力で強引にではなく、態と理解できるかの様にその部分だけを意識させていた。
梃子の原理の様に作用点がそのまま力点以上の効果をもたらしていた。
「ここで一度休憩しようか」
「もうそんな時間ですか」
エイジの言葉に北斗もまた時計を見て確認していた。気が付けば時間はそろそろ7時にさしかかる。
早朝からの教導は誰の目にも止まる事無く終了してた。
「そう言えば、一つ聞きたい事があったんですが」
北斗とシエルは身支度を済ませるとそのままエイジ達が居る部屋へと移動していた。
元々本部でもゴッドイーター用のラウンジだけでなく食堂も完備されている。
通常であればそこでの朝食がこれまでだった。当初北斗は何も考える事無くそこに行こうとしたものの、結果的にそれを阻止したのはシエルだった。
先日の状況が直ぐに解消されたとは到底思えない。仮にそのまま行ったとしても落ち着いて食べる事が可能かと言われれば否定するしかなかった。
只でさえ人付き合いが苦手なシエルからすれば人が多いここは拷問に近い。だからなのか、内線を繋げるとそのまま北斗を引き連れて移動していた。
「聞きたい事?」
「はい。実はこっちが墜ちた者と対峙した際に、エイジさんの名前が出たんです。ひょっとしたらベースとなった人間と面識があったのかと思ったんですが」
「……実際に見てないから何とも言えないけど、面識と言う点であれば心当たりがありすぎて分からないと言うのが本当だろうね」
「そうですか……」
北斗の質問にエイジは改めて記憶を辿っていた。
元々教導をしていたのは若手を中心とした殆どの人間。仮に相手が記憶していたとしても、こちらは顔も何も見ていない為に聞かれた所で返事のし様が無かった。
何故そんな話になったのかは分からない。しかし、朝の教導の際にも聞いた話から考察すれば一つの仮説が浮かび上がっていた。
「……これはオフレコでお願いしたいんだけど、あの墜ちた者は基本的には実験的に作られた物であるのは知ってるとは思うけど、その中で戦闘に関するデータはコピーされた物だと思う」
「コピーってそんな事が可能なんですか?」
「僕も詳しい事は分からないんだけど、実際に兄様から聞いたのと戦った感触がそうだと感じただけなんだけどね」
エイジの言葉に北斗とシエルは驚愕の表情を浮かべていた。
元々アリサはその話を聞いていたからなのか、特に驚く事は無い。しかし、当のアリサもまた初めて聞いた際には十分に驚いていた事実があった。
「ですが、機械じゃないんですよ。そんな事が可能だとは思えません……」
「これはあくまでも仮定の話なんだけど、オーバードースさせる事によって人間としての機能は殆ど失われてるらしい。それと同時にアラガミと同じだとすれば、記憶という名でデータ化し、脳に直接送り込む事が出来れば理論上は可能だって」
「それって……」
「そう。どう考えても非人道的なやり方だよね。でも、ビューラーをそれを実行した。そして結果的には脳に記憶として定着させる事に成功したんだと思う。
アラガミは確かに構造器官がどうなっているのかは完全に解明された訳ではないんだけれど、人間であればある程度の事は解明されている。
だとすればまだ曖昧な時に植え付けれる事が出来れば可能性は高いんだろうね」
驚愕の回答に北斗とシエルは驚くしかなかった。
理論上でも可能であれば新兵が瞬時にベテランになる。生存率がどれ程向上しようが、現実は非情だった。
今の時点で対アラガミの手段はゴッドイーターによる神機での戦闘のみ。神機兵に関しては未だプロジェクトそのものが凍結されている為、それ以外の手段は何もなかった。人的資源は未だ限定的。そんな事実があるとすれば、最悪ゴッドイーターの一部はモルモットになる未来しか無かった。
「だけど、実際には幾ら脳が覚えていたとしても、肉体とのリンクが確立されてなければ、結果的には応用は無理だろうね。機械的に覚えた物は実戦では通用しないから」
そう言うと同時にエイジは味噌汁を啜っていた。朝食の会話としては不適切ではあるが、流石に機密情報を公の場で話す訳にはいかない。どこで誰が話を聞いているのか分からない状況下ではエイジ達が居る部屋で話すのが一番だった。
当初は盗聴の可能性もあったが、部屋に入ってしばらくして万が一の可能性を考えて完全に調べていた。反応が無かった事から大丈夫だろうと判断した結果だった。
「確かに……そう言われればそうですね。身体が覚えて無ければスムーズには動かないでしょうね」
北斗は改めて当時の状況を思い出していた。当初は確かに荒々しい剣筋だった事は記憶している。しかし、時間が経つと同時にその剣筋は徐々に整いだしていた。
終盤に関しては完全に教導で対峙しているのと変わらない。その状況はまるで極東に戻ったと錯覚する程の技量だった。
「まだ時間はあるんだ。難しい事は兄様や榊博士に任せれば良いだけの話だよ。それよりも、これからの予定はどうするつもりなの?ブラッドは確か聖域の状況報告でここっだたはずだけど?」
「その件でしたら先日の段階で既にフェルドマン局長には伝えてあります。ですから我々は自由になるかと思います」
「折角ですから、お二人で本部の居住区をデートしたらどうですか?ここは極東には無い珍しい物もありますよ」
「あ、アリサさん。そんな……私達は……」
アリサの突然の言葉に反応したのはシエルだった。
そもそも今でさえ北斗と同じ部屋で緊張はおろか、所々挙動不審になっている部分が多分にあった。
無理を言えば部屋の交換は容易い。ロビーでそう言えば良いだけの話。しかし、そんな状況を惜しむ自分もまた存在していた。一方の北斗は今一つ何を考えているのかは分からない。しかし、何時もと違う事だけは間違い無かった。
「僕らも教導とは言っても実際には丸一日はやらないからね。精々が午前中だけだから、午後からは緊急ミッションさえ無ければ割と自由なんだよ」
幾ら教導とは言え、ミッションを受注しない事には報酬が増える事は無い。
一時期はエイジも一緒にそのまま同行する事もあったが、緊急時に直ぐに動く事が出来ない弊害がそこにあった。
そんな事も踏まえ、今は遊撃としての立場を取っている。その結果、ゆとりを持てる時間を増やす事に成功していた。
「色々とお騒がせしました。心より感謝します」
「礼には及ばん。それよりも今後の事を少しだけ考えた方が良さそうだな」
「確かにやるべき事は山積してますね」
無明の言葉にフェルドマンは小さく笑うしかなかった。
今回の件は本部内に於いても何かと物議を醸すには十分過ぎていた。本来であれば戦場の指揮は尉官級が執り、部下として曹長以下の人間が動くのが当然だった。
当初はコンゴウが数体出ただけだった為に事態は大きく広がらなかったものの、やはり数が尋常では無くなった時点で部隊としての亀裂はそのまま確執へと変化していた。
指揮を執るはずの人間が前線に出ず、現場の要でもある曹長が居ない部隊は次々と消耗し続けていた。
決して曹長レベルが尻込みしたのではなく、バラバラだった戦線を維持する方にシフトしたのはある意味では当然だった。
新兵に近い人間だけで戦場が維持出来る程甘くは無い。ましてや未知のアラガミからの攻撃を受けながらでは本来のパフォーマンスすら発揮出来ないのは仕方の無い結果。
幾らブラッドが優れていても、焼石に水の状況では手の施しようが無かった。
「保身が過ぎて部隊が壊滅では、幾らなんでも醜聞が過ぎるぞ」
「ええ。ですので、今回の件に関しては我々の方で捜査を開始しています。それと同時に今回の戦闘に於いては一定以上の戦果を出した人間を昇格させる手筈も出来ていますので」
「そうしてもらわないと、何かあっても常に我々が出張る事は早々可能では無いからな」
無明とフェルドマンの話は今後の本部内部の一新を促す事になっていた。
幾ら尉官級とは言え、上層部からの命令が出ない以上は勝手に飛び出す事は難しい。事実、今回の戦闘を指を咥えて見ているのは何故だと一部から声が出ていた。
これがまだ新兵レベルであれば訓戒程度で済むが、尉官となれば話は変わる。現場に変な動揺をさせる位ならばと涙を飲んだケースもあった。
全員では無いにせよ、そんな声があったからこそ、今回の件に関しては尉官級に対しての処分は行われなかった。
「そう言えば、リヴィは元気にやってますか?」
「リヴィか?それなら元気ににやっているようだ。それに最近は舞踊もかなり様になっていると聞いている。良ければその旨手配しよう」
「リヴィがそんな事をやっていたとは………我々は彼女に甘えすぎていたので、正直な所あの件以降はどうなっているのかは気になる部分は幾つかありました。今回の件でもブラッドの隊長からも現況報告を受け、少しは安心しましたが、まさかそんな事までやっているとは思いませんでした」
無明のまさかの言葉にフェルドマンは驚きながら自身の心情を吐露していた。
確かに対象者が所有している神機で処分するのが現状では最適であるのはある意味では当然の話。それはフェルドマンだけでなく、フェンリルの技術者全体の認識だった。
しかし、それば所有者の神機に浸食される矛盾が孕む。完全にアラガミ化してからの討伐であれば今度は部隊の人間の命が脅かされる。それが一番の原因だった。
事実極東では最悪は無明が全て始末している為に、それ程忌避感は少ない。
今回の様に完全な人型だった場合、本当に斬る事が出来るのはある意味では未知数だった。
それと同時に今回の件に関してはアリサが実行している。支える者か物があるのであれば、問題は無いだろう。少なくとも無明はそう考えていた。
「俺は基本的には何もしていない。ただ環境を提供したに過ぎない。残りは本人の資質だろう。実際にここでやっている教導の始めも些細な出来事から始まった物だからな」
「ですが、現実として実を結んでいるのであれば評価するのは当然でしょう。何よりも数字がそれを表してますから」
フェルドマンが言う様に今回の昇格を可能とした人間の大半は元々エイジがここで教導した人間ばかりだった。対人戦とアラガミとの戦いは確かに異なるが、現状ではエイジとの対人戦をこなせる人間の数字が突出している事が多かった。
僅かな空気から攻撃のタイミングを読み、半ば偶然があってもギリギリで攻撃を避ける事が出来れば、それよりも動きが遅いアラガミの攻撃を避けるのは容易い事だった。
生還率が上がると同時に撃破数も比例するかの様に伸びていく。今回のケースが集大成とばかりに花を開かせていた。
「本部での事は我々の関知する事ではない。予定通り、期限の日にはここを発つ。それまでには今回遭遇した変異種のデータを少しだけリンクしておこう」
「そうして頂けると助かります」
お互いが言いたい事が終われば後は日常の会話だけだった。
元々無明は紫藤の名前でしかここには示していない。一研究者として、今回の件とは別件で来ている事になっている。既に表向きの要件が完了しているからのか、それ以上慌ただしくなる事は無かった。
「あっ、これ可愛いですね。シオちゃんとマルグリットにどうですか?」
「そうだね。だったら、コウタとソーマには……」
「あの2人なら適当でも大丈夫ですよ。どうせ何渡しても同じ反応ですから」
「手厳しいね。だったらリンドウさんはどうするの?」
「レン君とサクヤさんの分だけで十分です。リンドウさんはお酒でも買えば良いですから」
教導をし、時折ミッションをこなしたものの、最終日だけは折角だからとエイジとアリサはお土産や観光にと居住区に足を運んでいた。
元々土産を買うつもりはなかったが、今回の任務は予想外に厳しい内容だった事から、ここで一旦気分を刷新した方が良いだろうと判断した結果だった。
既にあれからそれなりに時間が経過はしているが、アリサの心が完全に回復しているのかは本人以外に何も分からない。
自分の前で気丈に振舞う事は無いとは思うが、それでもアリサの事を考えれば何かしたいと思ったのも事実だった。
そんな事もあってか、折角だからと観光を兼ねてと繰り出していた。
アリサは常にエイジと腕を組みながら店頭の品を覗いている。周囲からすれば胸やけするほど糖分をばら撒いているかの様だった。
「そう言えば、北斗とシエルはどうしたんだろうね?」
「詳しい事は分かりませんが、私達は外に出るとは言いましたけど」
買い物をしながらエイジはふと思い出しかの様に口を開いていた。
実際に北斗が本部の人間と対戦する事は全く無かった。一番の要因は北斗自身が人に教える程のレベルに達していないと考えているだけでなく、実際に聞かれた際にはどう答えて良いのかが分からない点だった。
それと同時に北斗がエイジとやって分かったのは、教導の際には完膚なきまでに叩きのめすのではなく、常に弱点を意識させギリギリまで追い込む事を意図的に出来る点だった。
実際に北斗もそれがどれ程大変な事なのかは理解している。自分が外に出ている以上、何らかの理由を付けて同じく外に出るのではと考えていた。
「実際にゴッドイーターだけじゃないけど、他の支部に行くケースは早々無いからね。折角他の支部に来たなら多少は出ても良いとは思うんだけど」
「それについては同意しますけど、せめて私と一緒の時はそんな事考えて欲しくないんですけど」
「ゴメン。そんなつもりじゃないんだけどね」
そんな事を言いながらもアリサの表情に怒りは見えなかった。任務が長く続けばその分ゆっくり出来る時間は削られて行く。
只でさえ、ここは何かと精神的に疲れる事は多い。厳密に言えばアリサが見逃せばいいだけの話だった。しかし目の前で迫られて何もしない程アリサも寛大ではない。
自身の夫を誘惑する位なら自分の感情の趣くままに従った方が何倍もマシだと判断していた。
だったら更なる虫よけをすれば今日が最終日。明日には極東に戻るからと実に合理的な考えだと自分に言い聞かせ今を楽しんでいた。
「俺達も折角だし、ブラッドの皆に買っていかないか?」
「そうですね。特にロミオ辺りは買わないと何か言いそうですから」
エイジとアリサに触発されたからなのか、北斗とシエルもまた居住区へと繰り出していた。
元々観光はおろか、極東支部でさえもゆっくりと出歩いた事は数える程しかなかった。
あの戦い以降は農作業が増えた為に更に時間が削られている。元々訓練以外には感心を示す事が少ない北斗からすれば、それほど気になる事はなかった。
勿論、シエルもどちらかと言えばそれに近い物がある。事実2人だけで出歩いたのはあの護衛任務依頼が来て以来だった。
「そう言えば、こうやって歩くのは久しぶりだな」
「そうですね。私の記憶だとあの護衛任務以来です」
最初はお互いの距離感が掴めなかったが、時間の経過と共に何時もの様になりつつあった。
それと同時に以前の事を思い出す。ここは極東でない為に、2人に視線が集まる事は殆ど無かった。
だからなのか、お互いが少しづつリラックスし始めている。お土産を買う頃には変な緊張感は無くなっていた。
「これなんかナナさんが好きそうだと思いますよ」
「そうか?寧ろこっちだと思うが」
「それも良いですね」
こちらもまた何も知らない人間から見れば、お互いがデートしている様にしか見えなかった。
時折シエルに飛ぶ視線はあるが、右腕を見たからなのか、直ぐに視線が外れていく。
ここではゴッドイーターに対しての偏見は無いが、どちらかと言えばお互いが同じ職種である為に心の拠り所になりやすいケースが多く、その結果結婚に至るケースが多々ある。
仮に何かしたとしても身体能力が最初から異なる為に、最悪は逆に制圧されてしまう。そんなケースが度々あった為に、腕輪をした人間に絡む剛の者は居なかった。
そんな視線に気が付く事も無く、北斗とシエルもまた極東に戻るまでの束の間の平和を満喫していた。