リヴァイアサン・レテ湖の深遠   作:借り暮らしのリビングデッド

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6-2 暖色の貴方、寒色の僕

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーつまりね、その、見られたらしいっぽいのよ」

「何を見られたですって?」

「あーだから、ええと…その」

 

サードチルドレン観察日誌を。

 

研究室に響いたそのミサトの呟きに、しばらくの沈黙が流れた。

 

そして、リツコは心底からため息をついた。

ため息をついた。

ため息をついた。

 

「3回もため息つかなくたっていいっしょ!?」

 

ミサトが拗ねた様に抗議の声を上げる。

リツコはそれはそれは可哀想のなものを見る目でさらに4回目のため息をついた。

 

「4回て…」

「いいかげんにしてくれる?」

 

これ以上幸運を逃がしたくないの、と泣き黒子のある目を細めてミサトを睨む。

 

「どうせ貴方の事だからしまい忘れでもしたんでしょう」

 

う、とミサトが呻いた。

リツコはついに5回目のため息をついた。

 

「だから言ったでしょうに。こそこそ監視してる方が、知られた時ショック受けるだろうって」

 

うう、とミサトはぐったりと机につっぷした。

 

「なるほどね…それでシンジ君、先のシンクロテストさぼったのね?」

「多分…そういう事なんだと思う…」

「呆れた…」

 

リツコはもう一度ため息をつきそうになって、危うくそれを止める。

ここ数日不運続きなのにこれ以上幸運に逃げられてはたまらなかった。

 

「それで…どうするつもりなの貴方」

「ううん、だから、それを相談しにね…?」

「さぼりは許せないけど、それはそれとして素直に監視を隠していたこと謝ったら?」

「でもさ、どう謝ったらいいのよ?これからもシンジ君の監視は続けなきゃいけないわけで…」

「だから、それを正直に話しなさいよ。保安上の問題からも監視しないわけにはいかないって。

 チルドレンは貴重だもの。シンジ君は、ちゃんと話せば納得してくれるんじゃない?」

「そう…かしら?」

「多分ね。資料を読んだ限り、そういう子だと思うわ」

 

ふん、とミサトは腕を組んだ。

その様子を横目に、リツコは少し真剣な口調で言った。

 

「ねえミサト…貴方一体どうしたいの?」

「え、何が?」

「シンジ君の事よ。貴方彼とどういう関係を築きたいの?」

「そりゃ…」

 

とミサトは言葉に詰まった。

 

「ねえ、貴方がネルフに入った理由って何?」

「そんなの…あんたは知ってるでしょうが」

「ええ、だから聞いてるの。貴方はシンジ君をどうしたいの。」

「どうって…」

「何かを得るにはね、何かを犠牲にしなければいけないのよ。人が両手で抱えられる量なんて決まっているの」

「…そんなの、知ってるわよ。」

 

ミサトのその真剣な口調に、リツコはとうとう6回目のため息をついてしまった。

ああ、昨日と今日だけでどれほど幸運が逃げたかしら、と頭の隅で考えた。

 

「ねえ、貴方最初は復讐のためにシンジ君の事利用するつもりだったわよね?」

 

ミサトはそれに思わず目を泳がせて、そして沈黙で答えた。

 

「なのに突然一緒に暮らすだなんて言い出して。その時点でちょっと妙だと思ったのよ。

 貴方、どうして道具にする予定だった子にそんな入れ込んじゃったの?」

「入れ込むって…そんな事無いわよ。それにその言い方だと私ショタコンの変態女みたいじゃないの」

「茶化さないで。ねえミサト…貴方、ちぐはぐよ?」

 

その口調にははっきり心配するような響きが合って。

 

「やってる事が支離滅裂よ。…貴方はどうしたいの?シンジ君とどういう関係になりたいの。

 なんで復讐の道具と家族ごっこなんてしちゃってるのよ。本当に貴方はどういうつもりなの?」

 

ミサトは何も言えなかった。

 

「…こないだも言ったけど、やっぱりシンジ君と暮らすの止めなさい。シンジ君のためにも、貴方のためにもよ」

 

そんな事はミサト自身わかっていた。

私は、おかしい事をしている。

 

そう、何もかもリツコの言うとおりなのだった。

ミサト自身本当にわからないのだ。

 

確かにシンジという少年はミサトにとっては決して嫌いではない、むしろ好感を持てる子だった。

それは彼と暮らし始めた初日に考えた通りだった。

そう、嫌いじゃないと思ってしまった、だから一緒に暮らす?

 

おかしいでしょう、とミサトは思った。

 

それは過程がすっぽり抜けてしまっている。

一段抜かしどころじゃない。五段、あるいは十段くらい抜かしまくってる、とミサトは我ながら呆れた。

 

そう、ミサト自身何度も疑問に思っているのだ。

好感を持てる子だからって、昨日まで知らなかった子と暮らすなんて…。

 

ミサトは、内省をしない。

 

彼女は常に衝動と共にあった。

彼女は何よりも直感と衝動を重んじる女性で、理屈は常に後からついて来る。

 

そして、その生き方はミサトにある種の速度を与えていた。

 

そう、彼女は内省をしない。

それをしていたら間に合わないから。

考えたら速度が落ちてしまう。

それじゃ間に合わないのだ、どうしても。

 

彼女が望むのは速度だった。

願っているのは突破する速度だった。

 

速く、早く、一ミリでも前へ。

そうでなければ、たどり着けない。

 

そしてその在り方の成否は、現在の彼女の社会的地位が全て物語っていたのだった。

そう、彼女の直感、衝動は、ただの一度も彼女を欺いた事がないのだ。

 

そして自分の衝動は、あの少年と一緒に暮らすという選択をした。

道具に利用するつもりだった少年と。

 

どうして?と彼女はもう一度思った。

だが、速度を得るために己の心を犠牲にしてきた彼女には分かるわけがなかったのだ。

 

彼女は、それをあの日、あの場所に置いてきたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

・Ⅱ『暖色の貴方、寒色の僕』

 

 

 

 

 

 

 

「たっだいまー…」

 

小さく呟いて、ミサトはぐったりしながらリビングのテーブルにつっぷした。

ビールが飲みたかったが、まだ朝だったのでぐっとこらえる。

 

おかえりなさい、と小さな声が聞こえた。

 

「おはよ。起こしちゃった?」

「いえ、もう起きるつもりでしたし…」

 

と、ミサトは首を傾げた。

シンジの目元にはっきりとくまが出来ていたからだ。

どうやら一睡もしてない感じだった。

 

「どうしたのシンジ君…もしかして私が居なくて寂しかった?」

「はあ」

 

シンジのその生返事に、今のはちょっち外したかしら、と内心後悔してしまう。

 

「…眠れなくて。何か、食べますか」

「そうね、何か軽いものでも…ああ、でも出前なんてまだやってないか」

 

作ります、とシンジは小さく言うと冷蔵庫を開ける。

中には買った覚えの無い野菜やその他もろもろ。

 

「…シンジ君、貴方料理できるの?」

「はい…簡単なのなら。朝ですし、野菜炒めとかで良いですか」

「う、うん…じゃ、お願い出来る?」

 

シンジの料理の手際は見事だった。

 

ただの野菜炒めとはいえ、逆にシンプルだからこそ美味しく作るには割と難しかったりする。

そのぱっと手際よく作った豚肉入りの野菜炒めは、家庭料理に飢えていたミサトには絶品だった。

トーストを4枚も平らげ、コーンポタージュ(流石にインスタントだ)を飲んでほっと一息つく。

 

「おいしかった…」

 

ミサトはしみじみ言った。

まだもそもそ食べてる途中のシンジに話を向ける。

 

「でも驚いた。貴方料理上手いのね」

「そうでしょうか…」

「私なんかより全然上手いわよ」

「…あっちに住んでたとき暇だったんで、よく作ってたんです…」

「…そう」

 

彼の資料を思い出した。

それで、触れていいのかわからず、ミサトは少し迷っていると、シンジが小さな声を出した。

 

「エヴァって…」

 

その声質には何か、恐怖のような色彩が宿っていて。

 

「エヴァって…何なんですか」

 

重みのある沈黙が流れた。食後にはあまり思い出したくなかった。

というより、ミサトはそれをあえて考えないようにしていたのだ。

前日の初号機による零号機の殲滅は、まさに惨劇と言ってよかった。

ミサトは思わず鳥肌を立てぶるりと震えてしまった。

 

「その…前に説明したとおりよ」

「よく、わかりません…」

「…怖い?」

 

シンジは、少しの間の後、はっきりと、はいと頷いた。

うん、とミサトも頷いた。

当然だった。自分が彼の立場でも恐ろしいだろう。

下手すると戦う事がよりも、自分の乗っている兵器の方が、怖い。

 

「実を言うとね、私もエヴァの事良く分かってないのよ。私は科学者じゃないしね。

 でも一つだけはっきりしているのは、使徒を倒すには、エヴァが必要だって事よ」

「その…使徒ですけど、それだってどうして来るんですか」

「それは…その、機密でね」

 

そうですか、とぼんやりと彼は呟いた。

その憔悴したような様子に流石に心配になる。

まさか精神汚染?は、昨日きっちり検査したから無いはず。

じゃやっぱりあの惨劇?でも、彼は意識を失っていたから目撃はしてないし…。

 

「シンジ君…貴方、その、どうしたの?」

 

なんでもないです、とやっぱりぼんやりしながら囁いて、ふとミサトは思いつきで彼の額に手を当てる。

 

熱い。

 

「ちょっとシンジ君、貴方凄い熱あるじゃない!」

「え…?」

 

ミサトは立ち上がり冷蔵庫から氷を取り出す。

シンジはぼへぼへと自分の額に手を当ててみた。

 

「ああ、もう、早くふとんに入って!学校には連絡しとく。今日は休みなさい」

「え?あの、でも」

 

と、食べ終えた食器を持って立ち上がるとめまいがして。

その後のことはふわふわしてぼんやりとしか思い出せなかった。

 

冷たい。

 

すべすべしてて、ひんやり気持ちいい。

綾波かな?と咄嗟に思って、ああ、でも彼女が居るわけないし。

だからシンジは間抜けな事に、こんな事を呟いてしまったのだ。

 

“お母さん”

 

 

「起きた?」

 

 

ふ、と我に返って、目を開ける。

 

まだ慣れない天井に、影。

ミサトさんが覗き込んでいた。

あの、と声を上げようとして、咳き込んだ。

 

「良いから寝てなさい」

 

額にすべすべした感覚。

それがシンジの額と前髪をすっと撫でて。

ミサトさんの掌ってひんやりしてて気持ちいいな、などと思ってしまった。

 

「…シンジ君、もしかして一昨日の、その、独房…寒かった…?」

 

ミサトは氷水にタオルを漬けながら、おずおずといった口調でそう言った。

 

「あ、いえ、昨日溺れちゃって」

「溺れた?」

 

そのあまりに予想外な返答にやや声を高める。

 

「どうして?」

「あ、あの」

 

と、シンジは何か言いかけて、でも口を閉じた。

それにミサトははっきりと眉をひそめる。

 

「どういう事?シンジ君」

「あ、あの、その…湖が、綺麗だったから…」

「…それで、泳ごうとしたの?」

「あ、いえ、で、その、足を滑らしちゃって」

 

ミサトは何を考えたのか、心配そうに眉を八の字にしてシンジを見つめた。

それにシンジは目を泳がせる。

嘘のつけない子なのね、と思いながら、ミサトは彼の額にタオルを乗せた。

 

「…そう。」

「…はい」

 

心地よくない沈黙が流れて、それを破ったのはミサトだった。

 

「ねえ、シンジ君…」

「はい…」

「エヴァに乗るの、止める?」

 

と、シンジはミサトをまじまじと見返した。

ミサトはベッドに寄りかかって静かに言った。

 

「貴方が本当に嫌だって言うなら、それでもいいのよ」

「でも、だって、僕しか…?」

「うん、本来は零号機も稼動予定だったんだけどね、それはああなっちゃって、正式に破棄されたのよ。

 つまり稼働中のエヴァは初号機一体だけ、で、初号機なら、レイも乗れるの」

 

その時シンジに渦巻いた感情は、きっと彼にしか分からなかった。

いや、正格には彼にすら良く分からなかったかもしれない。

 

「もちろん、今回みたいに片方が病気になったりする事もあるでしょうから、貴方が居てくれる事に越した事はないんだけれど」

 

ミサトは、どこか感情を殺したような声で続けた。

 

「それでもね…貴方が本当に嫌なら…無理しなくてもいいのよ。」

「でも、でも、リツコさんが…」

「そんな事はどうでもいいの。なんなら私が掛け合っても良いわ。だからね、シンジ君」

 

本当に嫌なら、帰りなさい。

 

その言葉に、はっきりシンジの顔が強張った。

だが、ベッドに寄りかかっていたミサトにはその表情は見えなかった。

 

 

 

 

シンジは寝入っていた。

やっぱりどこか気まずい沈黙の後、ミサトは立ち上がってシンジを見下ろし優しく言ったのだ。

 

眠りなさい、と。

 

するとシンジは、やはりとてもつぶらな目でミサトを見上げて、こくりと頷き、すぐに寝息を立てた。

やはりどこか子犬のような、あるいは幼子のような動作だった。

 

何となくその可愛い寝顔を見つめて、静かに部屋を出ると、かしゅ、っとビールの缶を開けた。

徹夜だったがどうせ目は冴えてしまったし、今日は振り替え休日なので別にいいか、と缶を傾ける。

あまり、喉越しは心地よくは無かった。

そしてあの少年の事を考えた。

 

『お母さん』

 

もちろん、熱にうなされて呟かれたその少年の言葉をはっきりと聞いていた。

 

母親か。

私は一生そんなものにはなれないわね、とぼんやり思う。

 

シンジは、あまりに華奢だった。

まるで繊細さの塊のようだった。

 

肩幅は狭く、胸板は薄く、背もミサトの顎くらいまでしかない(ミサトが女性にしては長身なのもあったが)。

部屋に運ぶために朦朧としていたシンジを抱き上げたとき、そのあまりの軽さにミサトは衝撃を受けたのだ。

 

本当に、子供なんだ。

 

改めて実感する。

本当に、あの子は子供なんだ。

あんな子供に戦わせて…。

ぎり、とミサトは唇を噛んだ。

 

だが、シンジから感じられる幼さは、14歳という年齢を考えれば異常に思えた。

自分もあんな感じだったろうか?とミサトは考えて、その時期を犠牲にしてしまった彼女には分からない。

でもやはりシンジは、外見そのものもとても中学生には見えないが、それにしてもその性質は、はっきりと無垢で。

 

『幼子』

 

そう。

ミサトはあの少年に、どうしても、幼子という印象を持ってしまうのだった。

 

少年の境遇は資料で知っている。

だから、そうなる理由も、ある程度の推測は立てられる。

だが所詮そんなのは知識にすぎなかった。ただ、少年と接するたび実感するだけだ。

 

なんて、純粋な子。

 

まだ出会って一週間も経っていないが、シンジという少年の本質を感じるには十分だった。

そして、その少年の純粋さが尚更ミサトの罪悪感に拍車をかけ、同時に彼女の何かにはっきり触れてくるのだ。

 

「14歳か…」

 

それはミサトにとっては永遠に過ぎ去り、失ってしまった年月だった。

もう、取り戻せない、過去。

手に入れることが出来なかった、過去。

 

速度が欲しい。

 

突破する速度が欲しい。

 

あの壁を突破するための。

 

ミサトがその時期、あの白い壁を虚ろに眺めながら願っていたのはそれだけだった。

だから、彼女は全てを捨ててきたのだ。

 

突破するために、全てを。

 

 

 

 

 

 

シンジは熱にうなされながら思った。

 

僕は、やっぱり要らない子なんだなあ。

そんなのは分かっていたけど。

もうとっくに分かっていたのだけれど。

 

うん、知ってたけど。

 

やっぱりかあ、と彼は思った。

これからもエヴァに乗れといわれて、どうしてあっけなく頷いたのか自分でも良く分からなかった。

でも蓋を開けてみれば簡単だった。

 

『もしかしたら』と希望を持ってしまったのだ。

 

もしかしたら、もしかしたら。

だれかが、僕を必要としてくれるんじゃないか。

そんな訳、無いのになあ。

 

ああ、帰りたいなあ。

 

シンジはただ思った。

 

 

帰りたい。

 

帰りたい。

 

帰りたい。

 

 

でも何処へ。

 

 

 

 

 

 

『何処へ』

 

 

綾波の匂いがした。

 

すっと静謐な、どこか清潔な良い匂いだった。

 

浅く触れ合った身体と、見分けがつかなくなった鼓動と呼吸を思い出した。

 

 

 

 

『私には、貴方が、必要よ』

 

 

ミサトさんの匂いがした。

 

女の人の、とても柔らかく良い匂いだった。

 

そっと撫でてくれた額の感触を思い出した。

 

『私には、必要よ』

 

 

必要よ。

 

 

貴方が。

 

 

「シンジ君?」

 

 

 

 

は、と目を覚ます。

 

ミサトさんの心配そうな顔。ミサトさん?と声をかけようとして、ふと、その表情が気になった。

まるで、泣きそうな顔をしていた。

ミサトはそっと呟いた。

 

「…どうして、泣いてるの、シンジ君」

 

シンジは首を傾げた。

すると、彼女は手を伸ばし、彼の頬の涙を優しくぬぐった。

その感触が気持ちよかった。

 

「ごめんね、シンジ君」

 

突然そんな事を言われてやっぱりきょとんとしてしまった。

 

「やっぱり、エヴァ降りなさい…何としても私がお父さん説得してみるわ」

 

シンジはそれに答えず、ぼんやりと言った。

 

「ミサトさんは、どうして僕と一緒に暮らそうだなんて思ったんですか…?」

 

と、彼女は言葉に詰まった。

彼はじっと、彼女の言葉を待った。

 

「実を言うと…その、私にも良く分からないの」

 

ミサトは一言一言確かめるように紡いだ。

やはり、彼はじっと彼女を見つめて、耳を澄ませた。

 

「でも、多分、多分ね…」

 

ミサトは迷ったすえ、こう言った。

 

「独りが寂しかったから…だと思う。」

 

それにシンジはこう答えた。

 

「…どうして、僕だったんですか」

「それは…」

 

ミサトはそのまま口をつぐんだ。

 

「僕、邪魔ですか」

「そんなわけないでしょう!」

 

彼女は思わず声を上げて。

 

「…そんなわけないでしょう。私は…」

「僕がエヴァに乗るの、迷惑ですか」

「だから、そんなわけないわ。正直私は貴方に乗ってほしい。でも、そんなの貴方に要求す」

「いいですよ」

 

ミサトは虚を突かれた。

 

「ミサトさん、使徒を憎んでるって…」

「…ええ。父の、仇だもの。」

「だから復讐したいんですよね」

「…ええ」

「そのために、エヴァと、チルドレンが必要なんですよね」

「…ええ」

 

彼女は一瞬迷い、だが何かを振り切るように言った。

 

「そうよ。だから、私にはエヴァが必要なの」

「じゃ乗ります」

 

再び虚を突かれて。

 

「シンジ君…?」

「僕がミサトさんの復讐に協力するの、迷惑ですか」

「そんなわけ…」

「じゃあ、乗ります」

「シンジ君…どうして?」

「駄目ですか」

「だからそんなわけ!」

「じゃあ、乗ります…」

 

駄目、ですか。

 

無表情に呟かれたその言葉に、ミサトはどう言葉を返していいのか分からなかった。

ただ、何故?という疑問が渦巻いていた。

 

ミサトの狡猾さと誠実さが激しくせめぎ合いをしていた。

 

そう、自分は彼に乗って欲しい。戦力は一人でも多いに越した事はない。

それにはっきりと彼のその才能はレイより上。

そう、なら何としても、彼には乗ってもらわなくては。

使徒に勝つためになんとしても。

 

理由はわからないけど、でも彼がそう言ってくれるのなら、例え熱にうなされたゆえの言葉だったとしても。

利用できる。ここでなし崩しに、と。

ああ、でも、と彼を見つめた。

 

彼はやっぱり、無垢でつぶらな幼子のような瞳で、ミサトをじっと見ていた。

 

その眼差しは、やはりはっきりとミサトの琴線を撫でてきて。

そしてミサトは迷いの末、最も卑怯で中途半端な選択をした。

それを半分自覚した上で。

 

「…私は、貴方を利用しようとしてるの」

「はい…」

「復讐の道具にしようとしているの」

「はい」

「その癖、それを貫けないで、こんな風に貴方に話して、それで免罪符を得ようとしてる。卑怯な、最低の大人よ」

 

シンジは黙って耳を傾けていた。

 

「監視だって…見たんでしょ?観察日誌」

「はい」

「それだってちゃんと言わなきゃいけないのに、後回しにして、結局貴方傷つけちゃって」

 

彼は沈黙していた。

 

「でも、それでも、やっぱり私…」

 

貴方に乗って欲しい。

 

「…はい」

 

そのあっけない言葉に、ミサトはやはり信じられないように彼を見た。

 

どうして?

 

彼をまじまじと見た。

彼の眼差しはやっぱりつぶらで。

そこにはミサトに対する拒絶も、軽蔑も、まったくなくて。

ただ、ありのまま自分を受け入れてくれていると、ミサトには感じられたのだ。

 

何故?なんで?どうして?

どうして、そんな目で見るの。

なんで私みたいな大人を拒絶しないの?

 

ただ疑問だけが渦巻いて、でも。

その眼差しが愛撫する心地よさに、甘い痺れのようなものすら感じてしまって。

ミサトはその心の震えに耐えられなくなって、その眼差しから逃げるように目を伏せた。

 

「…僕、ここに居てもいいですか」

 

その呟かれた言葉に。

ミサトははっきり頷いた。

 

「ええ…私は、貴方に居て欲しい。」

 

それはやはり正真正銘偽りの無い言葉だった。

それが、復讐を果たすために、という意味があったとしても、確かにミサトの本心だった。

 

だからシンジは、どこか安心したように微笑んで。

 

「…はい」

 

そして、目を閉じて眠りについた。

 

ミサトは、その初めて見た彼の笑顔に泣きそうな顔をした。

その笑顔は、本当に無垢な、幼子のそれだった。

 

その意味に、確かにある洞察が出来てしまって、でもどうしてそんな優しい笑みを自分に向けてくれるのか分からなくて。

ただ、心の震えに耐えるようにミサトは歯を食いしばった。

 

ミサトがシンジという少年にある種の入れ込みを見せてしまうのは、きっと簡単だった。

 

欠けた心の形にかっちりとはまったのだ。

 

碇シンジという少年の境遇、性格、そのあり方から何もかも全てが。

ただ、激しくミサトの琴線に触れてかき鳴らしていたのだった。

ミサト自身すら、自覚しないままに。

 

そして、次の日その使徒が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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