リヴァイアサン・レテ湖の深遠   作:借り暮らしのリビングデッド

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10-2 手を伸ばして、あなたから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこはあまりにも寒々としていた。

 

その寂寥感は物理的な圧力すらもっているようだった。

シンジはそこに足を踏み入れたとき、確かに寒くなるような感覚があったのだから。

 

夕闇に照らされた墓地はあまりに静かだった。

 

蝉の鳴き声すら聞こえず、街の喧騒すら耳に届かず。

まるで、この場所だけが現実とは切り離された別の世界のような、そんな気さえしたのだ。

だからシンジはその大きな背中が見えたとき、不思議と自然体で話しかけられたのかもしれない。

 

…父さん、と。

 

ゲンドウは振り返らなかった。

だからシンジは、無言のまま、そのあまりにも質素な墓に花をそえた。

 

二人とも何も話さなかった。

ただ、喪失感を寄せ集めて作られたようなその墓をぼんやりと見下ろした。

ゆるやかな風がシンジの輪郭を確かめるかのように、すっと撫でた。

 

「…母さんの」

 

不思議と落ち着いた声で、シンジは紡いだ。

 

「…母さんの写真、無いの」

「ああ」

 

その低い声には確かに威厳があった。

 

「…どうして」

「全て捨てたからな」

 

もう一度、どうして、とシンジは呟いた。

 

「必要ないからだ」

 

その低い声には何の感情も宿っていないようだった。

 

心が、冷えるような感覚があった。

一瞬、確かに凍えるような寒さを感じて、だから少し息を吐いた。

もちろん、その息は白くなったりはしなかったが。

 

遠くからうっすらとヘリの音。

 

父が踵を返す気配がした。どうやら迎えのヘリらしかった。

だから彼は何か言うべき事を探して。

でも、一杯あったはずのそれはどこかに消えてしまったようだった。

だから、シンジはもう一度囁いたのだ。

 

…どうして。

 

ヘリの音が大きくなるたび遠ざかっていく父の足音に耳を傾けた。

シンジはゆっくりと振り向いた。

 

ただただ、その広く大きい背を眺め。

 

でも、とうとう父は一度も振り向かなかった。

 

 

 

 

ガタン、と電車が揺れた。

 

車内にはほとんど人はいなかった。

 

どうしてこんな大きな街なのにこんなに人が少ないんだろう。

改めてそんなことを思った。

 

窓からは赤い夕日が見えた。

その光が少年の顔を赤く照らした。

ふと、デジャブ。

 

こんな景色を前に見たような。

 

どこだっけ、と考え、結局思い出せなかった。

するとますます夕日は赤くなった。

 

赤い

 

赤い

 

赤い。

 

その夕日が人の少ない車両を真っ赤に染めた。

まぶしくて目を開けてられなかった。

だから目を瞑った。電車の揺らぎが心地よかった。

 

まるで揺りかごのようにゆったりと揺れて。

 

 

思い出すはやさしい、母の声。

 

 

 

 

 

 

 

 

Ⅱ 『手を伸ばして、あなたから』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地平線はまだ明るかったが、どちらかと言えばすでに夜だった。

 

当然、再び足を踏み入れた中学校にはもうまったく人影は無かった。

それでもまだ校門が開いているのに安堵して、シンジは息を潜むようにゆっくりと靴を脱いだ。

 

その部室の扉をそっと開けた。

黒い影に融和するように、グランドピアノが置かれていた。

 

周囲を見回し誰もいないのを確認する。

そしてカバンから取り出したその楽譜をたてかけた。

 

窓の、赤い地平線を一瞬眺めて。

 

 

そっと、その音を弾いた。

 

 

まるで夕闇に溶けていくようだった。

 

まだ稚拙で、でも美しいその旋律の哀愁は黄昏の何かを構成する一つのようだった。

一秒毎に部屋は暗くなり、少年は影のようになって、薄く、薄く僅かな光を頼りに音を鳴らした。

 

もう影しか見えなかった。

ピアノと少年の形が同化して見分けが付かなくなった。

 

それでも何かに焦がれるように、ただ、ただひたむきに紡いで。

 

 

…ぱちぱちぱち…

 

 

弾き終えた後、余韻に浸りながら聞こえたその遠慮がちな拍手に、彼はとっさに振り向いた。

 

目を細めてその影を見た。

ゆるりと、僅かに、僅かに地平線の赤みがそのおさげの顔を照らしていた。

 

「…洞木さん?」

「あ、うん。あ、あの…ピアノが聞こえたから…」

 

すると、少年は一瞬の間の後あわててその楽譜をポケットにしまった。

 

その動作はあまりに乱暴で、楽譜が破けてしまいそうだった。

それを少し不思議に思いながら、何故か潜めるように彼女は言った。

 

「碇君って、ピアノ弾けるんだ」

「う、うん」

 

彼は顔を背けてひどくそっけなく言った。

それに少し首をかしげる。

 

「…綺麗な曲ね。なんて曲?」

「し、知らない!」

 

その上ずった声に彼女は目を丸くした。

彼はその楽譜をさらに深くポケットの奥へ。

 

「…知らない…」

 

ヒカリはその様子を怪訝に思って目を瞬かせた。

 

廊下はあまりに暗かった。

 

足元の影すらすでに暗い校舎に融和していた。

でも、窓だけが赤黒く照らされていて、人の居ない校舎を廃墟のように彩っていた。

 

「その…碇君、こんな時間まで何してたの…?」

 

下駄箱から自身の靴を取り出しながら彼女は尋ねた。

 

「…洞木さんは?」

「うん、クラス委員の仕事」

 

会話が途切れた。

何か気まずかった。

 

「惣流さんと帰ったんじゃないの?」

 

すると、彼がぼそりと呟いた。

 

ピアノ。

 

「え?」

「ピアノ…弾きたくなって、その…」

「…うん」

「もう一回、来たんだ、学校」

 

彼女は目を瞬かせた。

 

「そう…」

「…うん」

 

どちらかとも無く、同じ歩幅でアスファルトを歩いた。

すでに蝉すら鳴いてなかった。

あまりに静かで、ヒカリは何となくさっき彼が弾いた旋律を頭で鳴らした。

 

綺麗な曲だった。

 

まだ稚拙で、でもそれを補って余りうるほどの美しい旋律は、思わず聞きほれてしまうほどだった。

でも、少し寂しい曲、とヒカリは思った。

そう、綺麗だけど、あるいはだからこそ寂寥感を帯びたその旋律。

それは確かにこんな黄昏の時間によく似合っていた。

 

「碇君…さっきの曲」

 

少年は静かに、うん、と相槌を打った。

 

「本当に知らないの?題名とか…」

 

少しの沈黙の後、どうして、と彼は聞いた。

 

「…良い曲だったから。知りたいなって」

 

やはり少年は沈黙した。

 

それを怪訝に思って、でも黄昏の光はもう薄く、彼の表情は良く見えなかった。

やはり何となく気まずい空気があって、互いに黙って歩みを進めた。

すると、彼がそっと囁いた。

 

…『貴方』

 

「え?」

「…題名…」

 

さっきの、と。

ああ、とヒカリは頷いた。

 

『貴方』か。

 

その題名はあの曲にぴったりだった。

ならきっと、とヒカリは思った。誰かを想って作られた曲なんじゃないだろうか?と。

今度レンタルショップで探してみようかな、と彼女は思った。

 

「誰の曲?」

 

やっぱり、少年は沈黙した。

彼女は再び首を傾げた。

結局作曲者は教えてくれなかった。

二人は黙ったまま、もう夜寸前の道を歩いた。

 

分かれ道に来た。

 

じゃ、私こっちだから、と。

すると、あの、と少年がうっすらと囁いた。

 

「あ、あの…妹さん」

「…うん。」

 

それだけで伝わったようだった。

そう、と少年がうなだれるような気配がした。

すると、あの、と少年がもう一度、先ほどよりも仄暗く言った。

 

「あの…その」

「うん」

「…お見舞い…行っちゃ、駄目かな…」

 

彼女は目を瞬かせて。

どう答えて良いかわからなかった。

しばらく考えて、でも、と。

 

「…でも、妹まだ意識無いから…」

「…そっか」

 

沈黙。

 

彼の影がより暗くなっていくような気配がした。

それに少しだけ意識を向けて、ヒカリは地平線の青黒い残滓を眺めた。

 

逡巡。

 

そして、少年からその暗い気配を払うように、彼女は少し明るく言った。

 

「…いいよ」

 

彼が彼女に眼差しを向けた気配がした。

 

「え?」

「お見舞い。明日でも、明後日でも」

「…行っていいの?」

「うん」

「…あ」

 

…ありがとう。

 

その少年の囁きに、彼女は小さく頷いた。

 

 

 

 

「ただいま」

 

遅くなっちゃったな、と玄関でおずおず声を上げる。

 

すると、おかえり、とアスカの声がした。

どうやらゲームをしているらしかった。

 

「…ミサトさんは?」

「少し遅くなるってよ」

 

彼女はゲームの画面に見入ったままそっけなく言った。

そっか、と、ご飯どうしようかな、と彼は思った。

もう夕食の時間はとうに過ぎていたが、作るのはめんどうだった。

 

すると、ぐおおおおと大きな音が聞こえた。

 

凄い音だった。

猛獣的な唸り声にしか聞こえなかった。

えっ野犬的な何かが家に進入したのかな?と彼は不安になった。

 

すると、アスカが少し震えてるのがわかった。

ぼんやり観察していると、先ほどからゲーム画面が進んでなかった。

その上、こちらに背を向けている彼女の耳が真っ赤だった。

 

あっもしかして。

 

「アスカ、ご飯まだ食べてないの?」

「うっさいっ」

 

それに首を傾げて、少年は今更ながら台所の流しの残骸に気づいた。

どうやら自炊しようとして失敗したらしい。

なら出前でも頼めばよかったのに、と彼はさらに首を傾げた。

 

すると、その残骸の量が妙に多いのに気づいた。

どう考えても一人分の量じゃなかった。

 

それに少し目を瞬かせて、なんとなく彼女を見た。

やっぱりゲームに夢中になっているようだった。

でも、不思議とゲームの画面はさっきからあんまり進んでないようだった。

 

彼は、ふと気が変わって台所に立った。

残骸を片付けていると、彼女が意識をこちらに向けた気配がした。

 

「…何、あんたまさかこれから作るの?」

「うん」

「なんでよ、何かデリバリーすればいいじゃない」

「ん、じゃなんでアスカ先に頼まなかったの」

「なんでって…」

 

と彼女が返事に窮した気配がした。

彼は何となく柔らかい口調で、こう言った。

 

「何食べたい?」

「…なんでアタシに聞くのよ?」

「なんとなく。ハンバーグでいい?」

「これからそんな面倒なの作るの!?」

「うん」

「…うん、まあ、いいわよ…?」

「うん」

 

そして彼女はハンバーグを三人前平らげた。

 

やっぱり満足した猫、もといライオンのような雰囲気を醸し出してテーブルにつっぷして。

だから彼は洗物をしながらのんびり言った。

 

「ハンバーグおいしかった?」

 

すると、ぴく、と彼女が反応して。

 

何かの葛藤があるようだった。

激しい葛藤があるようだった。

 

だが、しばらくの後搾り出すようにこう言った。

 

「…まあ、お、お、」

 

おいしかったわよ…。

 

それを聞いて、彼はうれしそうにそっか、と呟いた。

するとしばらくの後、彼女が唐突に、ねえ、と口を開いた。

 

「…前から聞きたかったけどさ、あんたなんでそんな料理出来るの?まだ中学生よあんた」

「だってここに来る前暇だったからさ。ほとんど毎日自炊してたんだ」

 

彼女が少し声を上げて言った。

 

「…あんた叔父さん?のとこに居たのよね?」

「うん」

「なんであんたが自炊してんのよ?」

「ん?ああ、離れに暮してたから」

「…離れ?別々にって事?」

「そう、広い所でさ、庭に使っていない家があったからそこに住まわせてもらってたの」

「あんた一人で?なんでよ」

「あんまり歓迎されてなくて。好かれてもいなかったみたいだし」

 

一瞬間があった。

 

「その離れって…キッチンとかも付いてたの?」

「うん。トイレもお風呂も全部あったよ」

「食事はどうしてたのよ」

「生活費毎月貰ってたんだ」

「…自炊する前は何食べてたの」

「コンビ二とかスーパーの弁当。でも流石に飽きてさ、すんごい暇だったし自分で作るようになった」

「あんた、暇って、その暮らしで何してたの」

「ひたすら本読んだり、作きょ…」

 

と彼は慌てた様に訂正した。

 

「その、音楽、聴いたり、後ピアノ弾いたり」

「ピアノ?」

「うん、古いピアノで。使わないから離れに置いといたみたい。だからそれ弾いてたり」

 

夜は怒られるから昼間だけだけど、と。

 

「ゲームとかは?」

「いやTV無かったし」

「…TVが無い?」

「うん」

 

何故か彼女は声を潜めて呟いた。

 

「…携帯ゲームとかあるじゃない」

「うん。でもなんかあんまり興味なくて」

「…そこで暮らし始めたのは何歳?」

「7歳か、8歳ぐらい?だよ」

「TVも無い部屋で、一人で?…14まで?」

「うん」

「…でも、あれよ、そんな暮らしなら友達とか呼び放題だったんじゃない?」

「ああ、友達居なかったし」

「一人も…?」

「うん。小さい頃は大勢居たんだ。友達作るの結構得意だったんだけどさ。

 叔父さんの所行くから転校になって皆お別れしちゃった」

「…転校した先で作れば良かったじゃない」

「そうなんだけどさ。なんかぼーとしててさ」

「何ぼーっとって」

「うん…なんて言えばいいのかな。とにかくずっとぼ~としててさ。気が付いたら14歳になってた」

 

洗物をしながら彼は呟いて。

彼女がうんともすんとも言わなくなったのを不思議に思いながらのんびり続けた。

 

「小さい頃って中学生って信じられないくらい大人に見えなかった?」

 

さあ…と彼女は気のせいか遠慮がちに呟いた。

ああ、でも、と。

 

「でも確かにそうだった気がする。もうあんま覚えてないけど」

「だよね。自分も何時かああなるなんて想像出来ないくらい中学生って大人に見えたよね。

 なのに自分がその中学生になってるってなんか信じられないんだ。どうしても実感出来ないんだ」

 

笑われるかもしれないんだけどさ、と、やはり彼はぼんやり言葉を続けた。

 

「なんか…つい先月ぐらいまで7歳だった気がするんだ。

 なのにいつのまにか14歳になっててさ、自分でも本当…なんか凄い、びっくりしちゃった」

 

 

 

 

アスカはゆっくり湯船につかりながら、ぼんやりと独り言ちた。

 

「なんなのよ、あいつ…」

 

ちんちくりんの馬鹿シンジ。

同い年とは思えないお子様シンジ。

 

彼女は、ここに住み始めてからの事をぼんやり振り返った。

まだあの分裂する使徒を倒してから一週間もたってない。

それでも、その短い間でもここの生活は決して悪くないと思えた。

 

そう、彼女は不覚にも思っていたのだ。

この暮らし、悪くないわね、と。

そしてそれは、あの少年に起因するところが大きいのを、彼女はしぶしぶ認めてはいた。

 

自分もミサトも生活破綻者だった。

つまり身の回りの世話をしてくれているのはあの少年なのだ。

掃除や料理(洗濯は流石に自分でやっていた)そのほか細々とした事。

彼のその世話好きは決して不快ではなく、いや、むしろ。

 

もちろん、流石の彼女でも本来は同い年の男子に身の回りの世話をさせようなど思わない。

そもそも、同い年の男と(保護者つきとはいえ)同居しようなど発想すらしない。

 

あの少年だから、なのだ。彼女はやはり、しぶしぶ認めた。

彼にはそういう同年の男にあたりまえにある、あの不快でいやらしい感覚がまるでなかったから。

 

でも、まさかここまでなんて。

 

「…本当になんなのよ」

 

彼女は先ほどの少年の独白を反芻しながら思った。

 

あんた、それ虐待じゃない。

なのになんできょとんとしてんのよ。

なにぼへぼへっとしてんのよ。

なんなのよ、あんた。

 

わけわかんない。さっぱりわからない。

 

あの少年が、わからない。

 

 

『アスカちゃん』

 

 

ふと、脳裏によぎった母の声。

 

ママ、それアタシじゃないわ。

それただの人形なのよ。

アタシはここよ。

ねえママ、アタシはここよ!

 

ママ!

 

「うるさい!」

 

彼女は湯船に頭までつかって息を止めた。

 

うるさいうるさいうるさい!

 

うるさい…。

 

 

彼女は思った。

 

…どこ行っちゃったの、加持さん…。

 

 

そうして、彼女は限界まで湯船に沈み続けた。

 

 

 

 

何か声が聞こえた気がして、ふと風呂場に視線を向けた。

どうやら気のせいらしかった。

 

リビングでぼんやりしながらミサトさん遅いな、と思った。

 

もう10時を過ぎていた。

後は風呂に入って寝るだけだった。

しかたないので、会心の出来だったハンバーグにラップをして冷蔵庫に入れた。

 

がら、と風呂場の扉が開いた音がした。

 

次は僕だな、と思って振り向いて、彼は少し驚いてしまった。

彼女がバスタオル一枚だけの姿で立っていたからだ。

もちろんそんな姿を見たのは初めてだった。

 

「服、ないの?」

 

だから彼はそんな間抜けな事を聞いてしまったのだった。

彼女の眉が少し不機嫌にゆがんだ。

 

「無いわけないでしょ」

「うん…じゃなんで?」

「何がよ…」

「う、うん」

 

じゃあ、のぼせちゃったのかな?と彼はのほほんと思った。

まあいいや、と思い、彼女の横をすり抜けようとする。

と、彼女が身体をずらしてそれを妨害した。

 

「アスカ?」

 

彼は首を傾げて、彼女の瞳を覗き込んだ。

表情は極めて不機嫌そうだったが、その瞳は揺れていて。

 

そしてひどく暗く、頼りなかった。

 

今まで見たことのない彼女のその暗い色彩に、彼は眉をひそめた。

だから彼は心配になって、静かに声をかけた。

 

「…どうしたの、アスカ」

 

彼女は何も答えなかった。

その沈黙はどこか、彼女自身分かっていないような、疑問に思っているような、そんな感触があった。

そうして、しばらくの後彼女はぼそりと呟いた。

 

「…お母さんの、」

「…うん」

「お母さんの墓参り、どうだった」

 

彼はどう答えたらいいかわからなかった。

すると、彼女も自分は何言ってるんだろう?と疑問に思っているようなふしがあって。

でも、彼はおずおずと答えた。

 

「…父さんと、会えた」

「…そう」

「うん…」

 

彼女のその不機嫌そうな表情に、もう一度彼女の瞳を覗き込んだ。

それに宿る色にふと、感じるものがあった。

その色は、彼自身よく覚えのあるものに思えたから。

だから彼は声をかけようとして、すると彼女は。

 

「…なんでもない」

 

と言ってそっけなく部屋に消えた。

彼はただその変わり身に目を瞬かせた。

 

なんだったんだろう?彼は心底疑問に思った。

わからない。さっぱりわからない。

 

あの少女が、わからない。

 

彼はじっと、彼女が消えた先を見つめていた。

 

 

 

 

加持リョウジは、その巨大な扉の前に立つと、懐から赤いカードを取り出した。

 

…まるで血のような赤だな。

そう鈍く笑って、すると、その頭に銃を突きつけられた。

 

「…久しぶりね」

 

その懐かしい女性の声に、彼はシニカルに微笑んだ。

 

「…久しぶりだな、葛城」

 

8年ぶりか、と呟いて、彼は横目に彼女を見た。

外見は少なくとも、あの最後に会った日からあまり変わっていないように思えた。

彼は低く男臭い声でのんきに続けた。

 

「会いたかったよ。」

「じゃあ、今まで何してたのかしらね?」

「挨拶が送れてすまなかったな。りっちゃんは元気かい」

「何をしていたのか、と聞いてるのよ」

「お、会いに来なかったから拗ねたのか?」

 

側頭部に押し付けられた銃口が心持ち強くなった。

だが彼はそんなもの気にならないように平静だった。

 

「特殊任務ってやつさ。そんなに怒らないでくれ」

「アスカと一緒に来てから姿をくらませてた約一週間、その任務を遂行してたってわけ?」

「半分正解。半分は、どっちかっていうと趣味かな」

 

ミサトは目を光らせた。

 

「葛城がここにいるってことはりっちゃんにも筒向けか」

「そうね。でも、これは私の独断」

「だろうな。りっちゃんならもっと泳がせようとするはずだ」

「いいから答えなさい。」

「百聞は一見にしかずってやつさ」

 

彼女はその言葉に一瞬疑問に感じて、すると彼はそっとそのカードをリードに走らせた。

それに声を荒げようとして。

 

「いいから見とけ葛城。これは、おまえにだって無関係じゃない」

 

彼女の眉が怪訝そうにゆがんだ。

そして、その巨大な扉が開く。

彼女の瞳が大きく見開かれた。

 

それは、胸の真ん中を赤い槍で貫かれ、十字架に貼り付けにされた巨人だった。

 

あるのは胸から上と頭だけ。

更にその深紅の槍に貫かれた胸の左右は、乳房のように膨らみがある。

 

両手は鎖骨あたりから深く千切れ、胸から下も同じく。

どちらの欠損からも何か小さい、手や足にも見えるような物がごみゅごみゅ出ていた。

頭部に髪は無くのっぺりしていて、何故か銀色の仮面を被ってる。

 

その仮面がまた奇妙だった。

 

その形状はまるで人形の顔のようで、きっちり人間と同じような端正な目鼻立ちがあった。

にもかかわらず目が七つもあるのだ。左右に3つずつ、そして額の真ん中に、縦型が一つ。

そして口は紅を塗られたように赤く、まるで慈愛に満ちたような微笑みに固定されていた。

 

つまり、それは作りかけの巨大な女性人形そのものに見えた。

 

もし、ミサトがハンス・ベルメールという球体人形写真家を知っていたらそれを連想したかもしれない。

まさに、呪詛のような、怨念を体現したような、呪術的な畏怖そのものを具現したような。

 

ミサトは銃をもっていられなかった。

ぶるぶると指先が震えた。

 

そして加持はなんのこともないように、そっと口を開いたのだった。

 

 

「これが原初の母にして“最初の妻”、リリスさ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16/2/21


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