リヴァイアサン・レテ湖の深遠   作:借り暮らしのリビングデッド

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1-3 あなた、誰?

 

 

 

 

 

『私は貴方よ』

 

その何時も通りの返答を聞いて、レイはまたあの夢かと了解した。

 

14歳になった前後から見始めるようになった夢。

青い湖の水面に下半身を浸した、白いプラグスーツの自分。

 

だが、もちろんレイはそんなプラグスーツは知らない。

普段彼女の着ているプラグスーツは銀と黒のツートンを基調に赤、青、紫でポイントされている。

幼い頃からそのデザインはさほどには変わっていない。

 

だが、夢に現れる自分は何時いかなる時でもその白いプラグスーツを着ているのだった。

今のところ、少なくとも記憶にある限りでは一度も例外は無い。

 

つまり、次に彼女=自分が言う言葉も何時も通りなのだった。

 

『私と一つにならない』

 

(どうして?)

 

『寂しいでしょ。とても寂しいでしょ』

 

(だから?)

 

『私と一つにならない』

 

何時もこの繰り返し、この夢は一体何なのだろう?

一度誰かに相談しようかと悩んだ事もあったが、結局止めた。

何故なら、ある種の人達は必ず憶測で決めつけるから。

 

分からないという事すら分からない人達。

理解出来ない、という事もきっと永遠に理解出来ない人達。

把握出来ないという状況にすら耐えられない、とてもとてもか弱い人達。

その種の人々はレイにとって、吐き気をもよおすほどの嫌悪の対象だった。

 

『寂しいの。とてもとても寂しいの。だから一つにならない。私と一つにならない』

 

やはり繰り返し彼女=自分は訴えかける。

ただただ切々と訴えかける。

 

寂しい。

寂しい。

寂しい。

 

一つになりたいの。

 

(お願い、もう、解放して)

 

『どうして。寂しいでしょ』

 

(そうだとしても、叶えてあげられないの)

 

『どうして。一つになりましょ。私と一つになりましょ』

 

だって。

 

(私は多分、貴方じゃないもの)

 

突然、白が振ってきた。

 

雪?

 

雪が、降ってる。

雪が、溶ける様に、その青い水面に吸い込まれる。

 

おかしい、今までこんな事あったろうか?

 

気が付くと、白いプラグスーツの私=彼女は消えていた。

それでも、そのか細い声だけはどこか深い場所から聞こえた。

 

『寂しいの。寂しいの。ねえ寂しいの』

 

まるで幼子のように無垢で、切ない声。

それに今までにないような強い憐憫を感じて、思わずレイは足を水面に踏み出しかけた。

 

その時、あのメロディーが流れた。

雪そのものを体現したかのような旋律。

 

ああ、なんて、なんて美しい曲。

 

 

そしてまるで浄化されるように、全部真っ白。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・Ⅲ 『あなた、誰?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしてこんなに落ち着くのだろう。

 

レイは、その小さな海の中で深呼吸しながらつくづくそう思った。

まるでシャボン玉のようなあぶくが、ぷくぷくと浮かんで消える。

 

どうして、こんなに落ち着くの?

 

それこそ幼い時から数え切れないほど潜ってきたその海は、レイにとっては確かに帰るべき処だった。

それとの同調は、レイに常に新しい感覚や未知のひらめきを与え、あるいは思い出させてくれた。

それは深い深い深遠の、それこそ本来は僅かな求道者だけが到達できる瞑想のようだった。

 

自己とは何かの枝葉に過ぎない。

その根元を潜った時、迎えてくれるのは何時だって、いと深き原初の海に他ならなかった。

まだ、その原初の母とへその緒で繋がっているのだ。

 

そう、辿り着くのは、同じ場所。

 

今日は何処まで潜れるだろう。

レイは、まるでその命綱のようなへその緒を頼りに、奥へ奥へと潜っていった。

 

だが。

 

『調子悪いわね、レイ』

 

スピーカーから女性の声。

それにレイは一瞬で引き戻されてしまった。

 

目を開ける。

 

細長いカプセルか、巨大な魔法瓶のようなその内装。

羊水で満たされたその海の中で、様々なデータを写したウィンドウがいくつも開いている。

そのウィンドウの光と屈折がレイの顔をより幻想的に照らしていた。

 

今日はまだ限界まで試していないのに。

それに僅かな不満を感じながら、でもそれを表に出さずレイは静かに答えた。

 

「申し訳ありません、副司令」

『…まあ良いわ。そういう日もあるでしょう。上がりなさい』

「はい」

 

同調が切れ始めた。

それと引き離される時のその寂寥感は、きっと誰にも理解してもらえなかった。

 

まるで漁の網にかかった魚だ。

 

ああ、海から引き戻される、寂しい。

また、陸に上がるの、何のために。

 

あんなにも、息が出来ないのに。

 

 

陸は、とてもとても、息苦しいのに。

 

 

 

 

 

 

「誤差の範囲だけど少しだけシンクロ率が下がっているわ。ハーモニクスの負荷もいまいち」

 

伊吹副司令は発令所でそう静かに呟いた。

 

「何かあったの?レイ」

「特に」

 

マヤはいつも通りの黒い長袖のセーラー服と蒼いマフラーを羽織ったレイをしげしげと観察した。

 

「副司令は、昔オペレーターだったと聞きました」

 

突然ぽつりと呟かれたレイのその言葉に、マヤは少し目を開いた。

 

「ええ、そうよ。実は技術部のオペレーターだったの。

 それが今じゃ副司令なんてやってるんだから世の中分からないわね」

 

可笑しそうにマヤは笑った。

哀愁のような表情が過ぎった。どうやら昔を思い出しているようだった。

公私を完全に分けてみせる伊吹マヤが、他者にそんな表情を見せるのは珍しかった。

 

「でも、そんな事誰も知らないはずよ?何処で聞いたの」

「…ただの噂です」

「へえ、何処から洩れたのかしら」

「あの」

「何?」

「…近く、発令所や上層の人事に変更があるんですか」

 

それにマヤは不思議そうに返した。

 

「いえ、そんな予定はまったく無いけど…どうして?」

「…別に。何でも、ありません」

 

そう言ってレイは口をつぐんだ。

マヤは少し首を傾げてしばしレイを観察する。

 

そして傾げたままどこか寂れたように微笑んだ。

それは妙齢の女にしか出来ないような、深みのある笑みだった。

 

「…まあ、いいわ。今日はもう帰りなさい。送らせるから」

「いえ、一人で帰ります」

「そう?なら勝手になさい…」

「はい…」

 

レイはすっと目を逸らし。

 

結局、何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

空気が寒い。

 

だがその夕闇に混ざる空気はどこか清々しかった。

 

レイはそのすっとした空気が好きだった。

それは地上でしか感じられない気配に満ちていたから。

まるで息継ぎするように、レイは顔を上げてそれを胸いっぱいに吸い込む。

 

レイがその荒れ果てた中学校に再度足を踏み入れたのは、つまり空が濁っていたからだった。

 

そう、だってこの空では今日は夕暮れを堪能できそうに無いから。

せっかく陸に上がった労力が無駄になってしまう。

 

つまり、そういう事なのだ。

 

その部屋の様子は昨日と殆ど変わらなかった。

ピアノに、乱雑に置かれた楽器。

もちろん誰も居なかった。

 

息を吐く。

その吐息に混じっている感情が何なのか彼女自身良く分からなかった。

 

ピアノの前に座り、音を確かめてみる。

確かに古びているにしては音程も狂ってはいなかった。

そうしながらぼんやり今朝の夢を思い出した。

 

目が覚めた時、あのメロディーの余韻がまだ胸でたゆっていた。

自分はようやくあのメロディーの全容を知ったのだ。

期待していた通りの、美しい曲だった。

それに改めて心が震えるような感動を覚えた。

 

と同時に、何ともいえない切なさが胸を締め付けた。

夢の自分。どうして、あんな声で訴えるの?

幼子のように無垢で、純粋で、切ない声。

 

『寂しいの』

 

『寂しいの』

 

『寂しいの』

 

「どうして、寂しいの?」

 

そう囁いて、彼女は何故かもう一度部屋を見回した。

赤黒い夕暮れに彼女の影だけが映っている。

 

当然、誰も、居なかった。

 

その影がまるで彼女の心を写したかのように少し揺らいだように見えた。

 

その自分の行動が良く分からなくて、だから彼女は少し息を整えると、そっと音を鳴らした。

もう一度、今度はあの旋律をなぞるように。

 

全部、真っ白になるように。

 

 

ぱちぱちぱち。

 

 

その拍手が聞こえたのは、彼女が一応どうにかその曲を弾き終えてからだった。

 

まるで稲妻が落ちたように彼女は身を震わせその方向を見た。

 

「割と上手いんだね。君がピアノ弾けるなんて知らなかった」

「…どう…して…」

 

彼が、昨日の彼女と同じ窓際に座っていた。

夕闇の影が邪魔していて顔が良く見えない。

だが何故か、その睫毛の長い深海のような瞳だけは良く見えた。

 

「君があんまり集中していたからさ。邪魔しないようにってね」

 

そう、なのだろうか?

 

本当に何時の間にか彼が部屋に入って来て、自分が気が付かなかっただけなのだろうか?

彼が座っているその窓際はピアノの前面で、入り口はその後ろ、つまり正反対の場所にあるのに?

 

そこまで考えて彼女は自分に呆れた。

実際彼が目の前に居る以上、それ以外考えられないだろうに。

どうやら自分は集中するとまったく周りが見えなくなるらしい。

 

「でも君じゃまだ指が短いね。それじゃ弾きづらいだろう」

「…そう、ね」

「ピアノは指が長いのも才能の内だからね。ピアニストに男が多いのは単純に手が大きいからさ」

「そうなの?」

「という説を今思いついたんだけど、実際の所どうなの?」

 

…知らないわよ。

 

彼女は、目を細めて責めるように彼を見た。

彼も、目を細めてくすりと笑った。

 

 

 

 

「知ってる?ここは昔は芦ノ湖って名前の湖だったんだよ」

「…聞いたこと、ある」

 

ぼんやりとくわえ煙草で海を眺めてる青年と少し距離をとって、彼女も夕闇に照らされた波を眺めた。

海鳴りは相変わらず優しく、その波の音は聴覚を通り過ぎて彼女の内面を直接揺らしてくるような感覚があった。

 

ゆったり、優しく、まるで揺り篭のように。

 

「ところで、君が一人で来たって事は僕のこと報告してないんだね」

「…まだ、貴方に聞きたい事あるもの。」

「等価交換と言ったろう」

「どうして、最終号機を見たいの」

「それも教えると思う?君なら可能だろう。君は司令と副司令に次ぐ実質No3の権限をもってるんだから」

「…なんでも知ってるのね」

「まさか。僕が知ってるのは自分が何も知らないって事だけだ…よっと」

 

彼は適当な棒切れを拾うと、砂浜に昨日の彼女のように楽譜を書き始めた。

 

青年の様子や口調からは、昨日の別れ際のような冷たさやそっけなさは感じなかった。

それに何故か、本当に何故か、まったく意味不明な事に安堵のような感覚を抱いてしまって、彼女はそんな自分に少し眉をひそめた。

 

その感覚を払うように頭を振る。

ふと蒼いマフラーがまた落ちて、やっぱり煩わしげにぽいっと肩に戻すと、そっと口を開いた。

 

「…貴方、副司令の知り合いって昨日言ってたわね」

「言ったっけ?」

「ならどうして副司令に頼まないの?」

「うん?」

 

彼はそっと微笑んで言った。

 

「…マヤさんが、見せてくれるわけないからね」

 

マヤさん。

 

どういう関係なのだろう、と一瞬考えて。

でもその思考を隅に追いやって、彼女は変わりにこう言葉を重ねた。

 

「…貴方の名前、教えて」

「どうして?」

「等価交換なんでしょう。なら貴方は私の名前知ってるのに、フェアじゃないわ」

「だから昨日教えたじゃない」

「…お魚さん?」

「そう」

「それを信じろとでも言うの」

「満更嘘ってわけでもないよ。昔そんな感じのあだ名で呼ばれてた事がある」

 

その言葉に、彼女は彼の姿を改めて観察した。

 

昨日とまったく同じ服で、やはり貧乏くさい上、服装そのものは大変、こう、汚いとすら言える格好だった。

もしやあの中学校に泊まったんだろうか?なら風呂も入っていないのかもしれない。

にもかかわらず、その涼やかな目元やさらりとした短い髪は、やはり見るものにとても清潔な印象を与えるのだった。

 

確かに、と思う。確かに言われて見ると、魚というのは彼のイメージに良くあっていた。

繊細でシャープな印象の顔立ちや、青くひんやりした深海のような瞳や、纏う雰囲気から漂う清潔感や。

そう、何かこの青年には、湖だとか海だとかに生息する水族のような、そんな印象があった。

 

彼女はどこかおずおずと彼に呼びかけてみた。

 

「…お魚…さん。」

「なに、レイたん」

「…それ、やめてくれる?」

「えっ。じゃアヤナミたん?」

「たんから離れて」

「どうしてさ」

「どうしてと聞くの…?」

 

そんなやり取りをしながら、彼女はふと、思いつきで。

 

「…白いプラグスーツを、知ってる?」

 

どうしてそれを話そうと思ったのか自分でも分からなかった。

もしかしたら誰かに聞いてもらいたかったのだろうか?

 

あるいは、と。

 

彼なら、何か知っているのかもしれない。そう、囁くものがあったから。

だから彼女は、今まで誰にも話した事がないそれを、昨日会ったばかりの彼にそっと切り出したのだった。

 

「白い、プラグスーツ…?」

 

彼は、少し眉をひそめて聞き返した。

その様子に彼女の直感が囁いた。

 

この人、知ってる。

 

「夢を見るの」

「どんな?」

「白いプラグスーツを着たもう一人の私の夢」

 

彼のその表情に隠し切れない驚愕が張り付いた。

 

やっぱり。

 

「貴方、知ってるのね。あれは何?」

「…何って、僕が分かるわけ無いじゃない。自分が出てくるんでしょ?なら専門家にでも分析してもらった方が良い」

「そんなプラグスーツ私知らないの。見た事も着た事も無い。私が着てるのとまるでデザインが違うもの」

 

青年が無表情になった。能面のようで、まるで内面を覗けなかった。

彼の何かに触れたのだ、と直感して、だから彼女はここぞとばかりに切り込んだ。

 

「あれは何なの?…いえ、あれは、誰?」

「…自分が出てくる夢って君自身が言ってるじゃないか」

「見た目は私とそっくりよ。でも違う。あの子、私じゃない…多分」

「…どうして、そんな風に思うの」

「分からない。根拠なんてない。でも、その夢の私は私であって、私じゃない」

 

沈黙が流れた。

 

彼は煙草を取り出すと、ゆっくりと火を点け、そして大きく吸うと、数秒息を止めた。

そしてやはりゆっくりと吐き出す。まるでそうする事で心を落ち着かせようとしているようだ、と彼女は感じた。

 

ふと煙草というのは、そういう対話の中で無理なく有利な間を作れる、

駆け引きに便利な小道具なのかもしれない、と彼女はぼんやり考えた。

 

「具体的に、どういう風な夢なの?」

 

彼女はそれを言うのに一瞬躊躇して、でも、正直に答えた。

 

「…寂しいって、訴えるの」

「夢の君が、君に対して?」

「そう。だから一つになりましょうって訴えるの。私が拒絶しても、何度も何度も」

「そっか…」

「知ってるのね貴方。教えて」

「僕が知るわけ無いじゃない」

「馬鹿にしないで。そんな様子を隠しきれてない癖に、私がそれを信じるとでも思うの」

 

その言葉に彼は少しだけ笑った。

どこか、自嘲のようなものを感じさせる笑みだった。

 

「…等価交換、と言ったろう」

「何をすれば良いの」

 

すると、彼の纏う空気が変わった。

まったくの能面で彼女に向き合うと、深い、とても深い声で囁いた。

 

「おいで」

 

その意味を図りかねて彼女は僅かに首をかしげた。

でも躊躇しつつ、彼女はおずおずと彼に近づいた。

夕闇の中で彼の目だけが鈍く光っているように見えた。

 

「マフラーをとって」

 

彼女の足がぴたりと止まった。

そこでようやく、つまり、ある可能性を洞察して、彼女の瞳が揺れた。

 

「マフラーをとって。次はスカーフも」

 

はっきりと動揺している自分を感じながら、抗議しようとして、でもつぐんでしまった。

彼はあまりに無表情で、からかっているようには彼女には見えなかったから。

数瞬の躊躇の後、悩んだ末に、彼女はマフラーをおずおずと外した。

 

「それからもっと近くに」

 

その言葉にそっと、怯えるように一歩彼の懐に踏み込んだ。

その一連の自分の行動が信じられなかった。

男の体臭に混じって、煙草の不思議と嫌いではない匂いが鼻をついた。

 

彼がそっと手を伸ばして、彼女の首筋をなぞる様に撫でた。

初めて男の指に触られる感覚にぞくりとして、彼女の体が僅かに震えた。

彼のその繊細で長い指が少しずつ撫でるように這い上がって、顎に、そして唇に触れて。

 

赤い、ビー玉のような、不思議な模様のガラス球を彼女の目の前に差し出した。

 

「おじさん本当に心配になっちゃうよ。こんな男にそんな無防備になっちゃってさ。」

 

からかわれた。

 

彼女の頬がまるでりんごのように赤く染まった。14年の彼女の人生でそんな表情はきっと初めてだった。

彼女は深甚な怒りと恥辱が腹の底から湧き上がって、とっさに彼を平手打ちしようとして。

でも手を振り上げたまま止まってしまった。

 

彼があまりにも優しい、慈愛に満ちたような瞳で彼女を見つめていたから。

 

その眼差しが本当に優しくて。

彼女はきっと生まれてから一度もそんな瞳を誰かに向けられた事が無くて。

だからつい、彼女はおずおずと、振り上げた手を下ろしてしまった。

 

すると彼はその振り上げかけた彼女の手を取って、掌にその赤い玉をきゅ、と握らせた。

 

「あげるよ。とても大切な物だけど、君にあげる」

「…どうして」

「…きっと、君を守ってくれるよ。例えば、僕みたいな怪しいおじさんからだってね」

 

そして彼をそっけなく背を向けて、また、砂浜に楽譜を書き始めた。

彼女は呆然とその姿を眺め、手に握られた小さな玉を見た。

 

形容できないような、深みのある美しい赤い色だった。

彼女にはどうゆう分類の赤なのかすら、分からなかった。

いや、でも強いて言えば、と彼女は思った。

 

そう、強いて言えば。

 

 

エヴァの、コアの赤に似ていた。

 

 

彼女は彼に向き合って、そっと囁いた。

 

「貴方は、一体、何者なの?」

「君は、一体、何人目なの。」

 

…何人、目?

 

どういう、意味。

だがその言葉は確かに、確かに、レイの何かをゆるく揺らした。

 

「知らなくて良いよ。世の中、知らなくて良い事ばかりで満ち満ちているからね」

「貴方は私の何を知っているの」

「君が知る必要は無いよ」

「そんな思わせぶりな言い方で知りたくならないと思うの」

「ああ確かに。僕の悪い癖だね」

「一体何を、知っているの」

「この世は知らない方が良い事ばかりだと言ったよ」

「どうして。それを知ったらどうなるの」

「決まってるじゃない」

 

彼がようやく彼女に目を向けた。

 

雲が切れた。

 

その切れ間から覗く夕日が赤くまぶしくて、彼の表情が見えなかった。

だがその影の中で、やはり冷たさを感じるやや切れ長の、青みかかった瞳だけがうっすらと見えた。

 

赤と青の瞳が交差した。

そして彼はゆっくりと、こう囁いた。

 

「きっと、僕のように、なってしまうよ。」

 

それは先ほどとは比べられないほど深い、深い、とても深い声だった。

まるで深海の底から浮かび上がってくるような、深い深い、声だった。

 

彼女は何も言えなかった。

ただ彼の目を見つめて、でも彼は興味を無くした様にまた砂浜に楽譜を描き始めた。

 

きっと、僕のように、なってしまうよ~…

 

彼はもう一度そんな風に呟いて。

彼のその動く影だけが映った。

 

濡れた砂浜が彼の動きを真似するように逆さまに映していた。

一瞬どちらが影なのか彼女は分からなくなった。

 

赤い。

 

赤い。

 

赤い。

 

全て赤かった。

先ほどまでの夕闇が嘘だったように切れ間から覗いた夕日が何もかもを赤く照らした。

 

彼女はもう一度掌の赤い玉を見た。

 

夕日の赤と、その小さな玉の赤が、まるで境界線をなくしたように融和していて。

まるで夕日にすっと溶けて消えていってしまいそうだった。

 

ああ何て赤くて眩しい。

 

 

ざざあ、ざざあ、と寄せ返す波すら赤く染まって。

 

 

 

その血のような背景に、ただ、対になっている彼の二つの影だけが動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15/6/18

21/3/25一部矛盾のある描写を修正。


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