リヴァイアサン・レテ湖の深遠   作:借り暮らしのリビングデッド

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13-1《虚無は美しく》

 

 

 

 

 

 

伊吹マヤは大変若々しい女性だった。

 

もう24歳だというのに大学生はもちろん、下手すると高校生でも通ってしまう。

それは顔立ちそのものが大変に童顔な所も大きい。

 

卵形の丸い輪郭に、くりくりとした可愛い丸い目、そして控えめな低めの鼻。

唇がやや薄めなのが残念だが、それもまた彼女のどこか肉感のない透明さを後押ししていた。

 

体は細く痩せ型で、よく言えばスレンダー、悪く言うと貧相。

だがそのすらっとした体系はやっぱり肉感がなく、やはりどこか少女っぽい。

 

更にすっきりした栗色のショートカットもその印象をずいぶんと後押している。

短い髪は、それが似合う女性をとても若く見せるからだ。

 

だがそれだけでも無かった。

彼女はその表情や、話し方や、歩き方など些細な動作一つ一つが妙に少女じみてるのだ。

その纏う雰囲気やあどけなさは確かに十代の少女特有のそれだったと言える。

 

まるで歳を取るのを忘れてしまっているような。

 

つまり彼女の性格外見、その全てが少女のような軽さと透明さを発揮しているのだった。

それは、彼女のかなり重度の潔癖症に寄る所も大きかったろう。

だが確かに彼女は、とても魅力的な女性に他ならなかった。

 

しかし、世の中というのは良く出来ており、どんな物も常に一長一短なのだった。

 

彼女は確かに少女じみた魅力を宿していたが、それは逆を言えば。

致命的なぐらいに色気が足らなかったのである。

 

ぶっちゃけ、処女なんじゃないの?

 

それはもう殆どネルフ内で公然の事実と認識されている事だった。

いや、下手したら、と一部女性達の間の噂によれば。

 

女性の同僚と時に色恋や下的な話題になる時があるのだが、マヤはそんな時妙に影が薄いのだった。

別に話を振られても慌てたりせず、それなりに色々話したりするのだが、それがどうも良く聞くような平凡な話ばかりなのである。

そして更に深く聞こうとすると絶妙な返しなどで話を逸らすのだ。

 

つまりぶっちゃけ。

ぶっちゃけ。

 

男と付き合ったことすらないんじゃないの?

いやでもキスとか、せめて…手を繋いだ事位はある、よね?

 

ね?

 

…そう、だから息吹マヤにその手の話で深入りするのは、自然発生的なタブーの一つだった。

流石ネルフだけあって関係者はみな一流の人材であり、聡明で空気が読めるのである。

 

そう、だって、彼女なら本気で有り得たから。

 

 

 

 

マヤは恋をした事がまったくない。

 

初恋すら、無い。

 

もちろん処女だしキスも男と手を繋いだ事も無い。

別に男が嫌いなわけではない、学生時代男友達もそれなりに居た。

 

実は彼女自身良く分からないのだった。

もしや自分は同性愛者なのではないか、と疑った事もある。

 

尊敬する先輩を思い出す。

 

仮に、仮にだが、先輩がそういう趣味だったとして、自分に関係を迫ったとする。

恐らく自分はさほど抵抗無く受け入れるだろう。

何故なら人として尊敬してるし、何より先輩はきっと大して深い感情で迫るわけではないだろうから。

 

じゃやっぱりレズなのだろうか、と首を傾げるのだが。

 

彼女はリツコを人として尊敬しているが、それはやっぱり恋慕では無い。

そして彼女は上記のように初恋すらした事が無い、

つまり異性はもちろん同性に対してもそういう情動を抱いたことが無い。

 

彼女が処女なのは無論潔癖症によるものだが。

実はそれは行為よりも、関係に対して最も発揮されているのだった。

 

告白された事は何度もある。

それでも男性と付き合ったりして性的関係を持とうとしなかったのは、

恋愛感情が無かったのもそうだが、何よりもその後の関係にひたすらに嫌悪感を覚えたからだ。

 

関係、と言うものに対しての嫌悪。

 

人間嫌いじゃ無いくせに、人との深い関係を何故か忌避してる。

理由は分からないし、それは別段異性に対してだけ発揮される訳でもない。

 

彼女は友人は多く居たが親友は一度も出来た事は無い。

彼女自身が望めばそういう関係になれたかもしれない人は居たが、やはり望まなかったのだ。

 

彼女の人間関係は常に広く浅く構築されている。

 

決して人付き合いが嫌いと言う訳でもないし、苦痛を感じる訳でもない。

だが、別段好きでもないのもまた事実だった。

彼女はうっすらと感づいてる事があった。

 

自分はもしや、人を愛せないのではないか?

 

家族に思いを馳せる。

平凡で幸せな家庭だったし、彼女は家族を好いている。

だが、別段愛してもいないのだった。

 

どうして私はこんなに、虚ろなんだろう?

 

明るい、少女のような彼女がそんな虚無を抱いているなど誰も知らない。

リツコや家族だって知らない。誰一人知らないし、別段知って欲しくも無い。

なのに、それを知られたくないから普段それを演じてるわけでも決して無いのだった。

 

私は何なのだろう?

 

空だ。彼女は自身のその穴の深さに少し身震いした。

 

どうして、私は何も、何一つ欲していないのだろう?

どうして、人を愛する事すら出来ないのだろう?

どうして、こんなに満たされないんだろう?

どうして、こうまで潔白である事を望むのだろう?

 

一体、何故?

 

親や家庭が原因ではない。

別に学校やなんやで何かトラウマがあったわけでもない。

 

なら多分、そういう事なのだろう。

 

彼女は少女のように若々しく透明で、明るい女性だった。

だがそれの源泉はつまり、空虚さだと誰も気づいていない。

 

本気で落ち込んだり、暗くなったりする事すらないほど、彼女は空虚なのだった。

 

そしてその空虚さ、欠けた心は彼女をある道へと必然的に進ませる。

だが彼女はまだ自分の未来を知らない。

 

それがはっきりするのはサードインパクトが起こり、夏と長いお別れをした後だったのだから。

 

 

 

 

 

 

青ⅩⅠ 《虚無は美しく》

 

 

 

 

 

 

・Ⅰ

 

 

 

 

その光の鞭を使う使徒は、やはり海から現れた。

 

昆虫のような、あるいは海老のようなその外見はまさに未知の深海生物のようで。

シンジは改めて使徒、という生物に漠然と海洋生物である、という印象を持つのだった。

 

パレッドライフルで爆煙に注意しつつ連射連射。

ATフィールドはかなり中和されていたがそれでもあまり効いていないようだった。

 

『シンジ!』

 

アスカの声。

何をしようとしているのか一瞬で洞察して、プログナイフを取り出し使徒に接近する。

 

使徒がこちらに目標を定めた。光の鞭をふるい、でもなんとかライフルでガードして足を止める。

それだけで十分だった。

 

使徒の死角から赤い影。

 

そして、ソニックグレイブが後ろから使徒のコアに突き刺さった。

 

 

「お見事!」

 

ミサトはケイジに戻った二人に掛け値なしの賞賛の言葉をかけた。

 

それも当然だろう。

今回、運よく都市侵攻前に発見、分裂する使徒と同じく海岸での迎撃戦。

そして蓋を空けて見たらたった二分で撃破。

 

当然被害は。

 

「エヴァ、都市部施設その他まったくのゼロ。ここまでの完勝は初めてね」

 

同じくわざわざケイジまで足を運んだリツコも賞賛する。

そんな二人に、アスカはつまらなそうにふん、と鼻をならした。

 

「あたりまえでしょ。アタシらにかかればこんなもんよ」

 

アタシ『ら』。

それにミサトとリツコは思わず顔を見合わせた。

 

「シンジ君もご苦労様」

「…はい」

 

エントリープラグから出てきたばかりのシンジも少しはにかみながら頷いた。

ミサトはその動作の幼さと完璧な勝利の高揚に、ついつい頭を撫でたくなり手を伸ばして。

 

「ミサト。んなことより参号機のチェックするんでしょ?」

 

まるで機を制するようなタイミングのその言葉に、思わず手を遊ばせてしまった。

それを横目にリツコが口を開く。

 

「そうね。それで、参号機の初の実戦はどうだった」

「ん…こないだも言ったけどやっぱ弐号機とは違うわね」

 

アスカは少し思案しつつ。

 

「まだ違和感はあるんだけど、それでもやっぱり身体が軽いの」

「確かに参号機は最新型だから、素体の性能は弐号機より上よ。

 筋肉、瞬発力、その他基本的な測定値は弐号機より約13%も高いわ」

「アタシのシンクロ率はどうだった?」

「最初のテストより少しだけ上がってたわ。まだ元の数値より遠いけどね」

「それであの軽さなら、やっぱ弐号機より性能いいのね」

 

そう言ってアスカは新しく自身の愛機になったそれを見上げた。

 

赤と黒のツートンで塗装された巨人。

その顔は、どちらかといえば初号機に似ていた。

人と同じ位置にデュアルアイ、そして口。だが頭部に角はなく、つるりとしている。

 

わざわざ彼女用にカラーリングを施した、エヴァンゲリオン参号機。

 

それをしばし見つめ。

 

 

それから、ふん、と息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

3、

 

2。

 

1…

 

ハイッ

 

 

ジャジャンジャンジャンジャーン♪

 

 

 

 ♪ 泣きたいときは俺を呼べ~ 俺の熱で乾かしてやる

 

   寂しいときは俺を呼べ~ 俺の炎で逃げちまうさ

 

   凍えたときは側にいな~ 俺のハートで暖めてやる~

 

 

   体は大人 心は炎 頭の中身は 1・4・歳☆

 

   シゲル シゲル 俺はシゲル

 

   正義の味方 シゲルくうぅ~ん~… (エコー) ♪

 

 

 

…。

 

 

…ぱち…ぱち…ぱち…

 

四番まで続いた(約6分半の)その歌が終わって。

とてもとても控えめな拍手がネルフ本部の休憩室に響いた。

 

それに答えるかのように青葉シゲルは得意げに手を上げた。

 

「どうよシンジ君。俺の魂の一曲」

「あ、は、はい…」

 

あの、その…と。

 

流石のシンジ少年も何を言ったらいいかわからずに。

すると、同じく呆れつつ拍手をした日向マコトが見かねて助け舟を出した。

 

「おい…シンジ君が困ってるだろ」

「え、そうですか?」

 

シゲルは不満そうにギターを担ぎながらマコトに敬語で話す。

 

「せっかくシンジ君のために作ってきたんですけどね…」

 

おっかしいなあ、とばかりに頭をかく。

 

「シンジ君。俺の歌、変?」

「あ!い、いえ、あの…その、個性的な、う、歌じゃないかなあって…」

「そう?」

「は、はい…す、素敵だと思います…」

「そっかあ!」

 

シゲルはニカッと笑うとばんばんとシンジの肩を叩く。

 

「シンジ君」

「は、はい」

 

そしてすっと目を細め真剣な口調でこう言った。

 

「嘘は、いけないな。」

 

 

…どうすればいいの…?

 

 

傍目にもオロオロしている少年が流石にかわいそうになって日向は再び助け舟を出した。

 

「こら青葉君。いいかげんにしろよ」

「はいはい」

 

するとやはりにこやかに笑って冗談だよ、と改めてシンジの肩を叩いた。

 

差し出されたコーラを飲む。

 

「しかし凄いなシンジ君は」

 

同じくコーラを飲みながらシゲルはしみじみと言った。

 

「こないだの使徒は一人で倒しちゃうし、今回も完勝だもんなあ」

「まったくだよな。本当にたいしたもんだ」

「い、いえ」

 

大人二人からの賞賛にシンジは思わず頬を赤くした。

 

そもそも大人に不慣れなシンジ少年はどうしたらいいかわからず。

でも、ほんのり暖かくなる胸に、やんわりはにかんだ。

 

「こ、今回はアスカも居たし、とどめ刺したのアスカだし」

「でも、咄嗟に使徒を引き付けたフェイントは見事だと思うよ」とマコト。

「まさにあ、うんの呼吸ですよねえ」

 

シゲルもうんうんと頷き。

 

「で、アスカちゃんとどこまで行ったの?」

 

そのシゲルの陽気な質問にマコトは思わず苦笑いした。

あんまりからかうなよ、と。

 

「どこ…?」当然少年は意味を図りかねて。

「どこって、あっちやこっちやそっちだよ」

「おいおい…いやまあ俺も正直気になるけど」

「ですよね?一緒に暮らしてるし、コンビネーションは完璧だし。

 ぶっちゃけもうキスくらいしちゃったとか?」

 

すると、少年の頬がみるみる赤くなった。

それにマコトとシゲルは目を丸くして。

 

「マジか!やるなあシンジ君!」

 

シゲルがうれしそうに肩をばんばんたたき。

 

「あ!いえ、その、あの」

「…ううん。最近の子は進んでるなあ…」

 

なぜかマコトがため息混じりにぼそりと呟いた。

すると、明るい少女のような声。

 

「あれ?みんなして何してるんですか?」

「ああ、シンジ君の性教育。」シゲル

「…中学生でか…いいなあ…」マコトはぼんやりと。

 

するとマヤは無表情に男衆を見下ろして。

 

不潔…と呟いた。

 

 

 

 

リツコは研究所にていつものようにコーヒーを淹れつつ口をきった。

 

「でも意外ねアスカ」

「何がよ?」

「参号機よ。もっと喜ぶかと思ってたわ」

 

わざわざあの子のために塗装まで変えたのに、と。

そのぼやきにミサトはコーヒーを啜りながらぼそっと言った。

 

「そう?喜んでたじゃない」

「ええ、だから予想ほどじゃなかったってこと」

「まあ…でも、弐号機はあの子にとって特別だったからね。

 まだショックから立ち直れてないのかも。私が気になるのはむしろ、シンクロ率の低下よ」

「そうね」

 

リツコも相槌を打ち。

 

「そりゃアスカは弐号機以外乗ったことないし、新しいエヴァに慣れるまで多少は下がるとは思ってたけど…」

「17%以上の下落。私もここまでとは正直予想外だったわ」

 

リツコはやんわりとため息をついた。

 

「やっぱエヴァのシンクロって機体によって相当違うの?」

「私はチルドレンじゃないからはっきりとは言えないけど」

 

とリツコは前置きして。

 

「でもね、エヴァのシンクロはコアを介して行われる。つまり、コアとの親和性が一番大切なはずなの」

「参号機のコアは…」

「弐号機のものよ。ほぼ無傷だったし、一切いじってない」

「なのに…か」

「…そうねえ。このままならあっという間にシンジ君に抜かれるわね」

 

ミサトはふむ、とため息をつき。

 

「…アスカ、チルドレンであることにプライドもってるから、シンジ君にシンクロ越されたらどうなるかしら」

「それをケアするのは貴方の仕事でしょ?」

「そりゃ、まあ、そうですけどお」

 

リツコはまあ、意外と平気かもしれないけど、と心で独り言ちた。

ミサトには伝えていない保安部からの報告書を思い出す。

あのアスカがねえ?とリツコは面白そうに、少し笑った。

 

「何一人で笑ってんのよあんたキモいわね。キモいわよ?」

 

キモいからコーヒーおかわり。

その言葉と同時にカップを差し出したミサトに、ぴきりと眉をゆがませた。

自分でやんなさい、といつも通りのつっこみを入れる。

 

「でも、一番気になるのはさ」

 

ミサトは声を潜めて真剣な口調で言った。

 

「…レイとの関係よ。」

「それは…そうでしょうね」

 

リツコも真面目な口調で目を伏せた。

 

「だってさ、チルドレンに対する暴行。普通ならアスカ罰せられてもおかしくないっしょ」

「レイがそれを望んでないもの」

「…それも意外でさ。私あの子の事はさっぱりわからないし」

「あの子なりに罪悪感を覚えてるのかもしれないわね。弐号機を大破させたのは自分のミスだって」

「…でも不可抗力でしょ。あの子の責任じゃないわ…命令に従っただけだもの」

 

むしろ、と。

自分にこそ責任があると言いたげのミサトの口調を横目に。

 

「まあ、いいじゃない。貴方も降格にならなくてすんだわけだし」

「…まあね」

「納得してないのね?」

「…被害が大きすぎてさ。素直に喜べない」

 

その被害をもたらしたのが、もしかしたら加持君かもしれない。

それも当然引っかかってるんでしょうね、とリツコは納得した。

 

「そういえばあれから加持君には会ったの?」

「ん…」

 

言葉を濁したミサトにため息をつきつつ。

 

「…もしもの場合、わかってるわねミサト」

「…わかってるわよ。」

 

と、ミサトはぼそりと呟き、目を伏せた。

 

 

「あの、その、綾波は…」

 

オペレーター組に一通りからかわれた後、シンジは遠慮がちに呟いた。

 

「怪我の調子は…?」

「ああ、それはまったく問題ないのよ。」

 

マヤが相変わらず少女のような声で。

 

「そもそも無傷だったし、シンクロのせいで体が錯覚しただけ。翌々日にはもう完治してたわ」

 

シンジ君のおかげよ、とマヤは柔らかく言った。

とシンジは少し照れて。

 

「あの、でも最近全然学校に来ないし…」

「うん、実は今ね、色々実験に付き合ってもらってて…」

 

マヤが少し言葉を濁したような感じがして、シンジはきょとんとした。

 

「後2、3日もすれば実験も一段落つくから、学校行けると思う」

「…そうですか」

 

少し安心したようなシンジの様子に、マヤはやはり柔らかく微笑んだ。

 

「…優しいのね、シンジ君って」

「…えっ、い、いえ」

 

照れたような様子を見せる少年に彼女は改めて意識を向けた。

 

あまり背の高くないマヤより更に背が小さく、女の子のような顔をして清潔感があって。

その年齢の少年にありがちの性的な不快さもまるで無い。

あらゆる方面に潔癖な彼女は、それだけでもシンジという少年に好感を持つに十分だった。

 

そして、とても優しい子。

だから彼女はつくづくと言ったのだった。

 

「シンジ君みたいな子がチルドレンでよかった…」

 

マヤの笑顔とその言葉に、安心感のようなものを感じつつ、でもシンジは首をかしげた。

するとマコトが続ける。

 

「そうだなあ。俺もそう思うよ」

「俺もっすよ」

 

やはりその大人たちの言葉に虚を突かれ。

それからシンジの胸に暖かいような痺れが広がった。

 

「おや、おそろいだなあ」

 

すると突然聞こえたその男臭い良い声に、シンジは少し嬉しげに声を上げた。

 

「加持さん」

「よ、シンジ君。使徒戦滅見事だったよ」

 

それにシンジははにかんだ。

 

「ア、アスカが居たからです」

「それでも君がいなきゃああも上手く行かなかった。君は誇っていいんだぞシンジ君」

 

その言葉にシンジの頬が赤くなって、嬉しそうに、でもおずおずと頷いた。

 

 

「シンジ君、加持さんに懐いてるみたいだなあ」

 

休憩が終わり三人で発令所への廊下を歩く。

マコトはしげしげと言った。

 

「なんかちょっと悔しいな。俺らのほうが長い付き合いなのに」

「そうですね…私たちが褒めるより嬉しそうでしたし」とマヤも。

 

すると、シゲルはこんなことを言った。

 

「俺はあの人、嫌いですけどね。」

 

マコトは意外そうに口を開いた。

 

「どうしてさ?悪い人じゃないだろう、多分」

「日向さんそれでいいんすか?」

 

え?と意味が分かってない様子のマコトを見て。

彼のミサトへの思慕に気づいてるシゲルはちょっと呆れた。

 

すると、マヤがなぜか声を潜めて呟いた。

 

「…青葉君は、どうして…?」

「いやあ、ただのカンだよ」

「ただのカンで人を嫌うなよ…」マコト。

「そうですかね?人を好きになるのも嫌いになるのも理由なんて必要ないんじゃないですか」

 

その言葉に、マコトは思わずうーん、と唸った。

 

「…あの人は、信用できない。俺のゴーストがそう囁いてます」

「また意味の分からない事を…」

 

呆れたようなマコトを尻目に。

マヤは少し興味深そうに、今まであまり関心が無かったその長髪の同僚を観察した。

 

 

「シンジ君、レイちゃんの事気にしてました」

「そう?まあ、数日したら登校させるわ」

 

暗い、水族館のような広い部屋。

その中心に裸のまま液体に浸かる白い少女を眺めながら、マヤはリツコにそっと呟いた。

 

「その、近く編入予定の四号機は…?」

「まだパイロットは決まってないわね。順当に行けばレイだけど…」

「計画の進行次第、ですか」

「そ。碇司令からレイは計画を最優先させるように言われてるし」

 

少しの躊躇の後、マヤはおずおず口にした。

 

「先輩は尊敬しています。でも」

「ダミープラグが実用化されれば、子供に戦わせる必要もなくなるのよ?」

 

それは、と口を塞ぐ。

 

「エヴァのオートメーション化。子供を犠牲にしないためにも必要なのよ」

 

それだけではないけどね、とリツコは独り言ちた。

 

「何かを得るには何かを失わなければいけないのよマヤ。

 代償なしに得られるほど世の中優しく出来てないの」

 

問題は何を差し出し何を得るかの取捨選択ね。

そう続けるリツコに、マヤはうなだれて。

 

すると、その暗い気配を払うように、マヤは話を変えた。

 

「そういえば…加持さんの件、本当にいいんですか?」

「証拠はないもの。そうである以上は、ね。」

「でも…シンジ君、加持さんに懐いてるみたいです」

「アスカもね。彼、昔から妙に子供や動物に好かれるのよね」

「その、もし、万が一加持さんが先の犯人なら…」

 

ふむ、とリツコはマヤに眼差しを向けた。

 

「シンジ君たちの事が、心配?」

「…はい」

「…そうね。」

 

なら、と。

 

「貴方がシンジ君たちのこと少し構ってあげたら?」

「私が、ですか?」

「貴方あの子たちのこと嫌いじゃないでしょう」

「それはもちろんです、けど」

「あの年頃の子はね、大人ってだけで警戒するし、心も開いてくれないの」

 

たまに加持君みたいなのも居るけど、と。

 

「私じゃ無理ね。でも貴方なら多分平気だと思うわ」

「そう…ですか?」

「ええ。貴方若いもの」

 

幼く未熟、とも言うかもね。

外見も中身も、とリツコは心で囁いた。

 

「貴方ならあの子たちもあまり警戒しないかもしれないし。

 貴方が罪悪感や自分の無力さに嘆いてるなら、人任せにしないで自分に何が出来るか考えなさい」

 

 

 

 

アスカはいつもの赤いプラグスーツで三度目のその海にもぐった。

 

まるで南海のエメラルドグリーンの海。

確かに、弐号機と同じ気配を感じて少し緊張を解く。

 

でも、やはり違和感があった。

何か突然自分の身体が大人になったような。

あるいは赤の他人の身体に乗り移ったかのような。

 

そんなよそよそしさを感じて、眉をひそめた。

 

 

「悪いわねえ。シンジ君と一緒に帰れなくて」

 

再びのシンクロテストを終えたアスカに、ミサトは労うように声をかけた。

 

「なんでよ?」

「だって、いつも一緒じゃない」

 

ミサトは少しからかうような口調で。

するとアスカはそっけなく言った。

 

「そんなのただの義務よ。同居してるんだからわざわざ別々に行動するのもめんどうでしょ」

 

真面目な口調。

その言葉はミサトにはまんざら冗談には聞こえなくて。

 

…シンジ君との関係は良好だと思ってたけど…?

と、思わずちょっとだけ眉を下げた。

 

ミサトは、他者の機微に鈍感な女性だった。

 

それは単純に自分のことで精一杯で、あまり他者に頭のリソースを割く余裕がないからでもある。

でもやはり一番の理由は、思春期を完全に無為にしてしまったのが大きいのだろう。

 

十代の中盤から後半。

 

それはまさに人との関係を学ぶ上で一番大事な時期に他ならなかった。

自分だけじゃなく周りも未熟な環境で、一緒に学び成長していく。

その通過儀礼を満足に得られない人は、大人になっても他者との関係を構築することが困難になってしまうのかもしれない。

 

ミサトも同じく。

 

その頃の年齢の自分を知らないことも含め、ミサトは実はアスカがよく分からなかったのだ。

もちろん白い少女に比べればよほど親近感はもてるのだが。

14歳の少年少女。それはミサトにはまさに未知であり。そしてつくづく痛感するのだ。

 

自分が失ってしまった、その時間のあまりの重さを。

 

 

 

 

「あ、シンジ君」

「マヤさん?」

 

帰り道。

 

残念ながら今日は曇りだった。

灰色一色の空。

 

曇りでも美しい空はあるのだが、今日のそれはシンジ少年でもあまり美しいとは思えず。

少ししょんぼりしながら歩いていると、軽に乗った伊吹マヤに声をかけられたのだった。

 

「今から帰り?」

「はい…マヤさんも?」

「そう。ずっと残業続きだったから今日は早く帰らしてもらったの」

 

すると彼女は、その、と少し遠慮がちに言った。

 

「…どうせなら送ってくわ、シンジ君」

「え…?」

 

少しだけ迷って。

でも使徒との戦いで疲れていたし、何より灰色の空は退屈だったから。

 

 

だからシンジは、おずおずと頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16/3/22


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