リヴァイアサン・レテ湖の深遠 作:借り暮らしのリビングデッド
・Ⅲ 『力の象徴、その禍々しさの必然。“レッドドラゴン”』
…第一種警報発令、職員はただちに…
二人ははっと顔を見合わせた。
「第一種警報!?なんで…」
「神様が、来たの?」
「いや…そんなはずは無い。まだ半年余裕はあるはずだ…ならエヴァ?それこそなんで今更…」
彼は眉をひそめ厳しい表情で呟いた。
出会ってから初めて見たその顔は、つまり彼をしてもイレギュラーな事態が起こってるのだ、と彼女を納得させた。
「…行くわ」
その静かな口調には、確かに揺ぎ無い芯のような物があった。
彼は、ふと彼女を見つめると、どこか寂れたように微笑んだ。
「そっか」
「うん…」
「…そりゃ、いきなりだもんね。別にすぐに決める必要はないさ」
「いいえ」
彼女ははっきり否定した。
「…出来れば逃げたい」
「なら…」
「でも駄目」
「どうして」
「だって私が逃げたら」
彼女は彼をまっすぐ見つめて言った。
「貴方だって、死んでしまうもの。」
彼は、と、胸を突かれた。
「第一種警報ならエヴァが必要だから。行くわ」
「…そっか。」
「うん…」
少しの間見詰め合う。
すると彼は、どこか人を安心させるような優しい笑みを浮かべた。
「じゃあ、おじさんが近くまで連れてってあげるよ」
と手を差し出す。
うん、と彼女もそっとその手を取って。
でも、いつまでたっても彼は動こうとしなかった。
彼女は目を瞬かせながら首を傾げる。
彼もその様子に首を傾げた。
「ん?」
「…どうしたの?」
「どうしたって何が?」
「行くんでしょう?」
「うん」
「なら早…く…」
ふと、肌に触れる空気が変わっている事に気がついた。
けたたましく鳴り響いている警報も気のせいか遠くから聞こえて。
ひんやりとした、その空気に覚えがあって。
彼女はそっと、辺りを見回した。
見下ろせば巨大なシャッター。
セントラルドグマの入り口。
彼女は振り向くと、目を細めながら彼を見つめた。
「あれ?あんまり驚いてないね」
彼はその眼光が見えないかのようにけろけろっとのたまった。
「…嘘つき」
「何が?」
「何が最終号機を見せて、よ。何がセントラルドグマは無理、よ。
貴方、私に頼らなくたって最初から見れたんじゃない」
「そうでもないよ。流石にセントラルドグマだけは僕でも気づかれずに潜入するのは難しい」
満更からかってる口調でもなく彼は続けた。
「第一言ったじゃない。君とお近づきになりたかったってさ」
彼女は少し深呼吸して、そっと聞いた。
「…貴方は、何?」
「えらい漠然とした質問だね」
彼は目だけで僅かに笑った。
「それに答えるには、まず人の定義とは何か、から始めないといけないかも」
「教えてくれるわね。貴方の事、全部」
「うん…良いよ。後である事ない事全部話してあげる」
「だから無い事は話さないでくれる」
「えっなんで」
「なんでと聞くの…?」
そして彼は、深い声でそっと言った。
「だから無事、帰っておいで。」
ふたりは深く見詰め合って。
「…うん」
彼女は彼の手をきゅ、と握った。
彼も、きゅっと握り返し。
そして一瞬の後、彼女は背を向き勢い良く駆け出した。
そっと後ろを振り向く。
彼が手を振っていた。
視線を戻して、でもすぐにもう一度、振り向いて。
でも、もうそこには誰も居なかった。
彼女は、迷いを振り払うようにただ走った。
・
「本当にエヴァシリーズなの!?」
「間違いありません」
発令所で伊吹マヤは愕然としながら声を上げた。
目の前の巨大なモニターにマハの解析画像が表示される。
確かに、キャリアーにつるされた巨人の姿。
「…どうして?今更エヴァなんて…最終号機に勝てるわけ無いじゃない」
「更に解析、臀部に突起、ヘカトンケイルユニットと推測」
「向こうもか…変な輸送の仕方してるわね?キャリアーに固定じゃなくただ吊るしてるだけ…」
「進路そのまま、約1289秒後第三新東京領域に侵入…どうします、副司令」
「レイを釈放、ただちに最終号機に」
「あれ…副司令、ラストチルドレン独房に居ません…」
「なんですって?」
すると突然聞こえたその通信。
『副司令。最終号機の搭乗許可を』
その声にマヤは愕然とした。
「レイ!?貴方どうやって…」
『とにかく、許可を』
それにマヤは一瞬だけ躊躇して。
・
レイはプラグ内でゆっくりと呼吸を整えた。LCLが肺を満たす。
初めて経験する異常事態に体が硬くなってるのを自覚する。
胸元に仕舞った赤い玉を、その銀と黒のカラーのプラグスーツの上からそっと撫でた。
そしてふと、一昨日の彼の言葉を思い出した。
『エヴァが子供しか乗れないのは、その透明な腕で動かすから』
あの、感覚で、動かす。
レイは、ゆっくりと手を伸ばしてみた。
まるで、エヴァの心に触れるように。そっと。
・
「シンクロ率上昇!?あ、安定、シンクロ72%で固定!」
「…72?」
「記録…19%も更新です…」
マヤは度重なるイレギュラーに一瞬自失しかけて、でもやはり一瞬で気をとりなおす。
「レイ、今は何も聞かない。行けるわね?」
『はい。敵機のデータを』
「今送る。いい、相手はエヴァよ。こちらの呼びかけに答えない以上、遠慮は必要ないわ。良い実戦訓練の機会と思いなさい」
『はい』
そして声を張り上げた。
「ではエヴァンゲリオン最終号機、出撃!」
・
雪が降るその海が、突然割れた。
大きな水しぶき。
かつて芦ノ湖と呼ばれていたそこで、彼はそれをじっと見ていた。
彼の深海のように青暗い瞳が、射抜くように海面から現れたそれを見た。
そのシルバーとダークグレーの装甲で統一された巨人の形相は、かつて初号機と呼ばれたエヴァに似ていたかもしれない。
まるで一角のような巨大な角、ダブルアイ、そして口。そう、確かに系統としては初号機の直系と言っても良かったろう。
だが、その額には第三の瞳。
そして背中にはまるで船頭のような巨大な突起。
その突起に左右二つずつ、系4つの折りたたまれた腕のようなものがぶら下がっていた。
そして全身のペイントも奇妙だった。
装甲の上に、左右非対称な色の線でポイントされているのだ。
正確には右側、頭部の右目から右足にかけて蛍光色の目が痛くなるような鮮烈な赤い線が走り、その左側は同じく蛍光色の青の線。そして第三眼から真ん中や腹部の装甲などには、やはり蛍光色の紫の線でポイントされている。
それは一種の神々しさと同時に、自らの毒を誇示するためにエキセントリックな肢体をした毒蛇のような、あるいは何か魔術の術式のような、そう言った呪術的な畏怖を見るものに強烈に与えた。
そして何より異常なのが。
その両腕が、まるでエジプトのミイラのように胸で交差され完全に拘束されている事だったろう。
ふと、そのエヴァが目を開けた。
その金色の瞳は、疑いようがないほど理知的な、知性のきらめきを放っていた。
そしてその瞳がぎょろりと動き、彼の青い瞳を射抜く。
彼の青い瞳と、金色の巨大な瞳が交差した。
・
『レイ、送ったデータを見れば分かるとおり、相手もヘカトンユニットを積んでる。こちらも4本動かすわ』
「4つ?」
『今の貴方のシンクロ率なら問題ない。フル稼働は何度も訓練してるでしょう。ただしハーモ二クスの負荷には気をつけて』
「了解」
最終号機の背の突起からぶら下がったそれが、形を変える。
折りたたまれた腕、という形容は正しいようだった。
それはシステム制御された、正真正銘の腕だった。
すると海面に4つの水しぶきが上がる。
エヴァの周囲に現れた巨大なカプセルが口を開き、中から現れたそれぞれ二対のライフルとサムライソードを背の腕で取る。
胸で交差され拘束された本来の2つの腕に、剣と銃を構えた背中から生えた4つ腕。
その姿はまるで、神話に出てくる阿修羅かカーリーのようだった。
・
そのエヴァキャリアーは吹雪の中を静かに飛行していた。
「そうね、夏が良いわ」
『夏?』
そこからぶら下げているのは、紅色の巨人。
その巨人の中で、青黒い髪のおかっぱの幼女は囁いた。
「そ、夏。もう冬は飽きちゃった。だから夏が見たいわ。あんた知ってんでしょ?」
『そりゃアタシが日本に居た頃はずっと夏だったしね』
「夏ってどんなだった?」
『…綺麗だったわ。冬とはまた違う種類の綺麗さでね。何もかもが生命力に満ちてて、輝いてて。
なのにどこか透明で、何もかもが透き通って…夏はね、一度経験したら、一生忘れられないわよ』
「うん…良いな。夏、見せてよ」
『そんなんで良いならいくらでも見せたげるわよ。休暇とって南の島でも行きましょ』
「約束だかんね?」
『良いわよ。だから、あの気の狂った化け物をぶち殺しなさい。』
「あいさ~」
『準備良いわね?』
「ぱーぺき」
『では、レッドドラゴン出撃!』
「了解。レッドラ出撃しま~す!」
そして解き放たれた竜神が空を翔けた。
「レッドドラゴン音速突破。超音速、目標到着11秒前!10、9…」
「いいわね、データ収集、ミクロン単位もこぼすんじゃないわよ」
そうドイツ語で命令しながら、彼女は赤みのある金髪を書き上げ、キャリアーの窓から空を見下ろした。
視界を落とした先には雪化粧。
彼女は何時もの癖で右の義眼をまぶたの上からかつん、と指先で叩くと、それを隠すようにサングラスをそっとかけた。
・
「は!?あ、ちょ、超音速…来ます!3、2」
「何?なんですって!?」
オペレーターの報告にマヤは思わず聞き返す。
「1、0!!」
レイは、最初空が光ったように見えた。
その光源がATフィールドの巨大な翼だと認識する前に目の前に。何か、鉄のような、巨大な…。
遅れて、何かが引き裂かれるような感覚。まるで、衣服を無理やり破かれるような。
その感覚にぞくりと鳥肌を立てて、ようやく、その目の前の塊を認識する。
それは根元で千切られた、鉄塔だった。
ATフィールドを三枚も破って、それはようやく最終号機の目の前の最後の一枚で、止まったのだった。
レイの背筋を、ぞわりと戦慄が走った。
そして遅れてソニックウェーブのすさまじい轟音が鳴ると、一面の雪景色が吹き飛んでいた。
そのまぶしさに一瞬目が眩む。
見上げると嘘のような青空と太陽。
その太陽の中に、何か…
『レイ避けて!!!』
ぐにゃり、と視線がゆがむ、耳をつんざくような轟音と、LCLですらカバーしきれない衝撃が彼女を襲った。
・
「最終号機被弾、ヘカトン左腕一番、二番大破!!装甲中破!」
「なんっ」
遅れてやってきたその衝撃にマヤは舌を噛んだ。
発令所のそこかしこで悲鳴が上がる。
マヤは愕然とした。
パイロットの次元が、違う。
冷たい予感が彼女の背筋を走った。
・
空から襲い掛かったそれは、やはり投擲された鉄塔だった。
海面の水しぶきがエヴァの背丈よりも高く上がる。
レイは何とかその痛みと自失から立ち直ると、爆発しそうに鳴り響いてる心臓の鼓動に駆られるように、太陽に向けて残った右副手のポジトロンライフルを連射した。
確かに何かが蠢いてる影。
駄目だ、全部避けられてる!
するとオレンジ色の二対の翼が羽ばたくのが一瞬だけ見えて、ついで約二キロ前方に水しぶき。
を、認識したときには目の前が真っ白になり警報が鳴っていた。
加粒子砲!?無意識に展開していた複層ATフィールドで防いで、ライフルで前方を連射する。
何か、衣服が薄くなって行くような感覚。
ああ、これが中和か、とその感覚に納得する。
という事は相手もATフィールドを展開していると言うことだった。
つまり一応命中はした。
なら、とレイはここぞとばかりに右二番副手のエクスターミネートソードを投擲するイメージ。
ヘカトンケイルユニットはそれを正確に再現して見せた。
何かを破いた感覚。
やった!当たった!
目の前を白く染めていた加粒子砲の熱が止まった。
視界が甦る。前方の海面が蠢いていた。
レイが投擲したソードを刃から掴んでいる、何か巨大な尻尾のような…。
いや、ような、じゃない。
…尻尾だ。尻尾?
そして水しぶきとともに海を割るようにして現れたのは。
そう、尻尾のある、まさに悪魔のような形相の、全身に血のような紅の装甲を纏ったエヴァだった。
レイはただ、ぞっとその形相を見つめた。
なんて、禍々しい。
それは系統としては、エヴァ弐号機の複眼型と、エヴァ参号機を合わせたようなそれだった。
きっちりと口のあるつるりとした頭部に、側頭部両面にまるで悪魔のそれを模したような二つの角。
さらに左に三つ、右に二つ、計五つの目がある奇形の、まさに凶悪な、そして恐ろしく筋骨隆々なエヴァだった。
恐らく最終号機より一回りは大きい。質量に換算したらどれだけ差があるか。
がっちりした二の腕は下手をすると通常のエヴァの腰ほどに太く、その腕の筋肉の筋は装甲を破きそうなほど盛り上がっていた。
最終号機がアスリートだとするなら、まるで重量級の格闘家のような。
まさに、力そのものを体現したようなエヴァ。
このとき、レイはそのエヴァにとある絵画を連想した。
詩人ウィリアム・ブレイクが描いた、確か。
“大いなる赤き龍”
その絵画から抜き出してきたようなエヴァが咆哮した。
その咆哮が、新しい神話の始まりを告げる福音だった。
15/6/26