リヴァイアサン・レテ湖の深遠   作:借り暮らしのリビングデッド

7 / 41
“青”
3-1《空が海でないとなぜ言えるの》


 

 

 

 

 

 

 

 

その少女は、まるで蜃気楼のように思えた。

 

 

アスファルトからは湯気のように放射された熱が空気を少し歪ませていた。

だからだろう、まるで陽炎のような、幻のような、そんな風に感じたのは。

 

50mぐらい離れた道路の真ん中。

 

そこに無造作に立っている少女は、それほどに儚かった。

目の錯覚?ついそんな事を考えてしまって、だからシンジは目を瞑る。

 

『現在、この電話は使えません、至急シェルターに…』

 

耳に当てっぱなしの公衆電話の受話器が無機質な声を繰り返し伝える。

それを無視して、シンジはゆっくりと目を開けた。

 

まだ、居た。

 

少しずつこちらへ、どこかふらふらと歩いてくる。

その子はオーソドックスな半袖のセーラー服を着ていた。

多分自分とあまり変わらない年齢だろう。問題は服装から上だ。

 

妙に、白かった。

 

最初帽子を被っているのかと思った。

だが違う。髪が、白いんだ。

 

ショートカットの白い髪。

 

その時シンジは、不思議と脱色しているのかな?などという発想はしなかった。

ただ白い髪をした女の子なのだな、とありのままを当たり前のように受け入れた。

 

その白い少女から何故か一瞬も目が話せない。

どうしてこんな所に居るのだろう?と自分を棚に上げて考えた瞬間。

 

ばたり。

 

少女はアスファルトの上に崩れ落ちた。

あっとシンジは口を開けた。

 

「あ、あの、大丈夫ですか?」

 

まだ耳に当てっぱなしだった受話器を急いで置き、衝動的に走りよった。

 

少女は何も話さなかった。

伏せた顔のせいでシンジには頭部しか見えない。

近くで見ると信じられないほど白い。

肌もとても白いが、その少女の髪はさらに肌よりも白かった。

 

「あ、あの?」

 

少女はやはり応えず、ゆっくりと顔を上げる。

目が合って、息を呑む。

 

紅い。

 

シンジは吸い込まれるようにその瞳に見入った。

その子のアーモンド形の目はまつ毛すら白く、その瞳は血のようで、その血の海に浸るようにシンジの幼めの顔が写っていた。

 

白いまつ毛の赤い瞳と、黒いまつ毛の黒い瞳が交差した。

 

少女はゆっくり手を伸ばした。

 

あ、と我に返って、支えるために右手を差し伸べる。

少女がシンジの手を握った。

 

その子の手はとてもひんやりしていた。

冷たく透明な水に手を浸したように気持ちよくて、シンジの何かをゆるりと揺らした。

すると少女は突然、指と指が交互に絡むようにきゅっ、と手を握った。

 

きょとんとして、問うように少女を見た。

少女はまだ、シンジの瞳を無表情に見つめていた。

そして少女は、まるで慈しむように、指を強く絡め。

 

『現在避難警報発令中!現在避難警報発令中!住民は直ちに最寄のシェルターに…』

 

シンジの意識に、ヘリコプターの爆音とスピーカーの声が突然入ってきた。

 

 

 

 

「やっぱり繋がんないや」

 

シンジは不慣れな左手で携帯を操作して、ふ、と息をついた。

 

「あの、シェルターの場所…知らない…よね?」

 

隣に立つ白い少女に話を向ける。

ただ無表情に、シンジから目を逸らそうとしない。

やはり、何も話そうとしなかった。

 

もしかしたら喋れないのかな?まだ一度もこの少女の声を聞いていない。

その子はただシンジを見つめていた。

ただ、ただ、ひた向きに見つめていた。

 

じっとその子の瞳を見つめ返して、綺麗な目だな、とシンジは思った。

どうして紅いんだろう?こんな綺麗な目見たこと無い。

 

「避難警報ってさっきのヘリが言ってたけど、何かあったのかな」

 

やっぱり彼女は何も答えず、眉一つ動かさず彼を見つめていた。

だから彼は、そっと空を見上げた。

 

ひどく綺麗で、太陽が眩しい。

 

でも空が狭いな、とシンジは少し残念に思った。

高層ビルのせいで空が窮屈だった。

空と大地が7、3ぐらいの割合が一番好きなのに。

これだけ高いビルの屋上に行けば、もっと綺麗な空が見えるかな。

 

シンジは頭を降る。

 

「行こう。シェルター探そうよ」

 

少女はやっぱり何も言わない。

だがさっきまでと同じように、シンジが手を引くと素直についてきた。

 

まるで互いの指と指を絡めるようなそれを、何故か少女は頑として離そうとしなかった。

右手に彼女のひんやりと心地良い、すべすべした掌の存在を確かに感じて。

 

シンジは、きゅっと彼女の手を握った。

 

その子も、きゅっと手を握り返した。

 

 

 

 

 

日はあまりに強く、地面に色濃い影を作っていた。

 

空を仰いだ後の目にはその影はあまりに黒くて、一瞬まるで底なしの穴のように見えてしまって、シンジはつい影をよけて歩く。

白い少女もそれを真似る様にひょいと影をよける。

 

喉がからからだった。

 

だから飲み物買ってくる、と少女に伝えて、でもやっぱり少女は頑なに手を離そうとしなくて。

不慣れな左手で自販機のジュースを買う。がちゃん、というその音すらも夏の何かを演出しているようだった。

 

サイダーを少女に差し出す。

でも少女は相変わらずシンジを見つめるだけで受け取ろうともしなかった。

 

炭酸嫌いなのかな…?

 

でも少女は良く見ると汗一つ掻いてなくて。

別に喉渇いてないのかな、と納得し、左手でやはり不器用にプルタブを空けて仰ぐように飲む。

 

美味しい。

 

こんな暑くて眩しい日は炭酸に限る。

 

炭酸のそのしゅわ、とした感覚は、やはり夏の何かを構成する一つのような気がして。

飲むたびに何か、シンジの琴線をすっきりとさせてくれて、それを飲むと夏の景色がより綺麗に見える、そんな感覚すらあった。

 

 

 

 

産まれた時から聞きなれている蝉の声は、それでもその眩しさに比例するようにうるさかった。

 

だがその生命力に満ち満ちた声と、どこか透明な青い空に浮かぶ見事な入道雲は、

何万回経験してもやはりシンジの胸をときめかせふんわりと満たして。

まるで、その熱も眩しさも蝉の声すらも、ただ空を綺麗に見せるためだけに存在してる、時にそんな錯覚すらしてしまうのだ。

 

周りを見回す。

やはり誰も居ない。

 

誰も居ない街とその景観にシンジは強く惹かれた。

 

日中の人が居ない街を歩いてみたいと、シンジは何度か夢想した事があったから。

だが流石にこの街に来てからまだ一度も人に会っていない、というのは。

 

と、そこまで考えてシンジは右手を見た。

相変わらず少女の手はひんやりすべすべしていて気持ちよかった。

 

左手でもう一度携帯を取り出して電波状態を確認。

やっぱり繋がらない。

 

避難警報発令だとか言っていた。

つまり何かがあったのだろう。

それにしては静かだけれど。

 

でも、シンジにはシェルターの場所など分かるはずも無い。

 

少女を振り返る。

汗一つ掻いていないその横顔がやはり不思議だった。

 

 

 

 

シンジはブランコに座ってサイダーを飲んだ。

少女も手を繋いだまま、隣のブランコにちょこんと座る。

 

ふと、飲みかけのサイダーを少女に差し出してみた。

 

少女はようやくシンジから目を離すと、それ見て、おずおずと手に取った。

そしてシンジを真似るように、こくりと飲む。

それから、やはり真似るように、それを差し出した。

 

シンジは受け取るとやはりこくりとサイダーを飲んだ。

炭酸が喉を通る感覚が気持ちよかった。

 

ぎこぎことブランコを鳴らす。

手を繋いだままの隣の少女も、やはり真似するようにぎこぎこ鳴らす。

 

繋いだままの手が振りほどかれないように、少女とタイミングを合わすように同じリズムでブランコを揺らした。

 

 

ぎこぎこ。

 

ぎこぎこ。

 

ぎ~、ぎこ、ぎ~、ぎこ。

 

 

手を繋いだままブランコをこいで、そのさび付いた金属の音すらも夏の景色に溶けていった。

 

彼は思った。

このままシェルターが見つからなかったらどうなるんだろう?

そもそも避難警報って…地震とか、もしかして津波とか?

 

なら、このまま死んでしまうのかもしれない。

 

 

僕は、死んでしまうのかな?

 

 

ふ、と少女を見た。

 

繋いだ手はひんやりと、やはり清く透明な水面の傍に居る様な、そんな清潔で静謐な心地よさで。

シンジは、心でその子に語りかけてみた。

 

 

僕は、死んじゃうのかな。

 

 

ぼんやりと空を見上げていた少女は、まるでその声が聞こえたかのように振り向いた。

とてもとても澄み切った、とてもとても綺麗でつぶらな瞳がシンジの何かを柔らかくなぞった。

 

だからシンジは、彼女のつぶらな瞳を見つめながらそっと呟いた。

 

 

「別にいっか」

 

 

 

 

 

 

「高いとこから見れば何かわかるかもしれないから、行こ」

 

シンジにとって、空を見る事は殆ど生きる事と同義だった。

どういう意味かと言うと、食事や排便や睡眠が生きる事に必須であり、すなわち生きる事と同義である。

 

つまりそういう事だ。

 

だから運良くビルの屋上への進入に成功し、広くて綺麗な青い空を見上げて、その物体が惚れ惚れするような入道雲を割るように出てきた時。

シンジは、自分の空想そのままのような光景に目を疑ったのだ。

そういう空想を、幼い時から、極たまにする事があったから。

 

思わずシンジは左手で不器用に目をごしごしした。

 

空を見上げた。

 

更に目をごしごしした。

 

もう一度空を見上げた。

 

その時のシンジの内面は驚き3割、不信1割、そして感動6割と言ったところだろう。

シンジはただぽかーんと口が開きっぱなしだった。

そして、きらきらと目を輝かせた。

 

だって鯨だ。

 

鯨が空を飛んでるのだ。空を、泳いでるのだ。

雲をぼっと割って、信じられないくらい巨大な鯨が、ぞっとするほど青く綺麗な空を泳いでる。

 

「ああ…」

 

なんて、なんて…。

シンジは感動のあまり吐息のような声を洩らした。

ただ感動に身を震るわせながら、飽きる事無くその鯨に見入ってたシンジの冷静な部分が、

ようやくこの現象は何事なのだろう、と答えを出そうとした。

 

夢?なのかな?

真っ先に思いついたのは当然それだった。

 

まあそうだろう、こんな未知の現象に出くわした場合、そう疑うのが一番合理的だった。

勿論、例によって例の如く頬をつねる。めっちゃ痛くてつい目頭に涙が光った。

 

あれ、夢、じゃないの?

 

今度こそ、シンジはすっと冷静になった。

じゃあ、人工的な乗り物とか?この光景が夢で無いなら、それが最も現実的じゃなかろうか。

その鯨を目を細めてよく観察する。

 

確かに、シンジが知っている鯨とは形が少し違うように見えた。

薄い、とても薄い水色をしていて、ひれが四つも合って、そして…透明だった。

 

透明。

 

その巨大な鯨の向こう側の入道雲がうっすら見えた。

 

まるで水でできたような、透明な、空を泳ぐ、巨大な鯨。

 

それは確かにシンジの琴線をかき鳴らすような光景だった。

だからその感動を分かち合おうと、隣の少女に呼びかけようとして。

 

ぱしゃん。

 

 

…ぱしゃん?

 

 

手が冷たくて右手に視線を合わす。

透明な液体で濡れていた。

 

「…あの?」

 

少女は居なかった。

 

居ない、居ない。

 

何処にも居ない。

 

 

ただ地面には、何かをぶちまけた様な水溜り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新世紀エヴァンゲリオン

『リヴァイアサン・レテ湖の深遠』

 

 

・青Ⅰ 《空が海でないとなぜ言えるの》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その咆哮はまさに本能を、根源を揺さぶるような原初の畏怖で満ちていた。

 

レイの全身が悲鳴を上げていた。細胞の一つ一つが叫んでいた。

ただ全細胞が大声で警報を上げていた。あれから、逃げろ、と。

そのすくみが隙を作った。

 

そのエヴァはサーベルを掴んだままの尻尾を大きく振りかぶると、轟音とともにそれを投擲した。

複層ATフィールがやぶかれる、1、2、何とか3枚目で止めて、が、目の前に紅のエヴァが居なかった。

 

どこ!?

 

目の前が暗転した。

遅れて左側に圧力、システムがヘカトンユニットの損傷を告げる。

 

そしてシンクロ率72%の痛みがレイを襲った。

 

 

 

 

そのレイの悲鳴が発令所に響き渡った。

 

「マハで援護!メギド使って!出力20%」

 

マヤは大声でそう命令しながら、モニターに写る紅のエヴァを睨み付けた。

十中八九、あの尻尾がヘカトンケイルユニット。

その推測はマヤに何ともいえない気味悪さ、不気味さを感じさせた。

 

ヘカトンケイル・ユニットはその名の通り、複数の義手をチルドレンに出来る限り負担をかけず制御させるシステムだ。

パイロットは特定のイメージを描けば、その脳波を読んだユニットが大半の動作を最適化して自動で動かしてくれる。

 

あくまでも、腕、なのだ。

 

確かに理論上、尻尾で腕の代用をさせる事は可能だが、それは一から新たに制御プログラムを作る事を意味している。

試作実験等を含めて、手間と費用があまりに掛かりすぎる。費用対効果がまるで取れてない。

なら誰がわざわざ腕の変わりに尻尾をつけようなどと考えるか?

 

そんな連中は古今二種類しか居ない。

ただの馬鹿か、あるいは、特殊な思想を持つ人々か、だ。

答えはあのエヴァの性能を見れば明白だった。

 

つまり、何かしらの神秘主義、あるいは魔術的、思想的、宗教的な理由であのエヴァを作った連中がいる。

その事実は確かに、マヤにある種の未知、理解し得ない他者に対する恐怖を抱かせた。

 

「出力20%準備完了、メギド発射!」

 

 

衛星から発射されたその熱の線が紅のエヴァのATフィールドを紙のように貫いた。

が、とっさにオレンジの羽根で羽ばたいて距離をとる。

 

最終号機の首筋がほとんど千切れかけていたが、数秒で傷口が盛り上がり完治した。

レイは、プラグの中で痛みと恐怖と喉の渇きにあえいだ。

 

「メギド外れました!再装填359秒!」

 

どうする?その様子を見ていたマヤは目まぐるしく思考を走らせた。

 

S2機関はもう存在してない、ならきっと活動限界はあるはず。

ならそれまで何とか引き伸ばす?

 

だが、昔のように3分以下というのは希望的観測だろう。

あれから15年経ってあらゆる技術は進歩してる。

 

なら、とマヤは、とっさに判断を下した。

 

「両手封印解除、レイ、『手』を使いなさい」

 

 

『『手』を使いなさい』

 

その命令にレイの体がぴくりと震えた。

 

彼女はとっさにその廃墟都市を振り向いた。

 

『こちらのロックは解除した、今しかない!早く!』

「…了解、片手だけ、使います」

『別に遠慮する必要ないわ。多少世界の形変わったってかまわないから、両手使いなさい』

「片手だけ、使います」

『レイ!』

 

レイはシステムを起動、封印を解除する。

 

『…レイ。』

「片手だけ、使います」

『…いいわ』

 

マヤは、ぞっとするほど毒々しい声で続けた。

 

『貴方の好きになさい。でも…帰ったらただで済むと思うんじゃないわよ』

 

 

『ちっ、手を使う気ね…作戦失敗よ。データは十分取れた。今回は引きなさい』

 

その舌打ち交じりの通信に少女は沈黙していた。

 

『…ちょっと!?聞いてんのミ』

 

少女はぱちりと通信を切った。

 

「せっかく噂の『手』を使ってくれるんだし…試さない手は無いわよね?」

 

ちろり、と舌なめずりしながら、少女は楽しそうに呟いた。

 

 

がきん、と音が鳴った。

 

ミイラのように胸の前で交差されていた最終号機の両腕が、ゆっくりと拘束を解かれていく。

その両手の、それぞれ赤と青のラインがまるで血液のように脈動し光り始めた。

 

『レイ、S2の出力フルで行く。良いわね?』

「…50%で」

『いい加減にしろ!』

「都市に影響が出るかもしれません」

『あんな廃墟どうだっていいわよ!命令よ、これは譲らないわ。いいわね…』

 

マヤのその有無を言わせない、あまりに迫力のある声にレイは思わず言葉に詰まった。

目の前のモニターにウィンドウが開く。

 

“S2 出力 78.48239%”…

 

見る見るうちに数値が上がっていく。

 

彼女は祈った。

 

「当たって…お願い」

 

その両手のラインは、良く見ると胸の真ん中、つまりコアがあるらしい場所から引かれていた。

そのコアから血液が送られるかのように、どくん、と右手の赤いラインが更に脈動し輝きを増していく。

 

最終号機は、その右手を空に向けて突き出した。

その掌は、奇妙な形をしていた。

 

指が、六つもあったのだ。

 

その六つ指の、奇形の掌が、赤く光った。

 

 

空が、消えた。

 

そう表現するしかなかったろう。

 

最終号機の右手が赤く光ったとたん、その方向にあった空や雲や光すらの全てを飲み込んで。

色すらも焼き尽くして、そこは一瞬ブラックホールのように真っ黒になった。

 

その亜光速に達する熱の余波をおかっぱの少女が回避できたのは、ほとんど勘だった。

後数瞬遅かったら、少女の乗っているエヴァごと文字通り塵になっていただろう。

流石のその少女も、かの『右手』の破壊力に戦慄して。

 

でも、心底から楽しそうに微笑んだ。

 

 

「外れた!?」

 

レイは愕然とした。

 

周りの視界は煙で覆われていた。

足元の海面が、煮立っていた。

その海面が蒸発する煙で最終号機は白く覆われた。

 

 

「駄目です!アンノウン回避!無傷です」

 

マヤは激しく舌打ちした。

あそこまでATフィールドの翼を上手く使われたんじゃ、的が小さすぎるか。

だからマヤは躊躇無く叫んだ。

 

「S2機関第二層までリミット解除!」

 

 

レイの目の前のウィンドウの表示が変わった。

 

“S2-Ⅱ稼動 135.36764%”…

 

S2-Ⅱ?135%??

 

彼の言葉が脳裏をよぎった。

 

『最終号機は、十二機のS2機関を積んだ、正真正銘の化け物』

 

ああ、やはり彼の言う事は本当だったんだ、と彼女は納得した。

 

つまり。

 

今まで、十二のS2機関の内たった一つしか使っていなかったという事実に。

それを今の今まで自分が知らなかった、という現実に、ただ愕然としたのだった。

 

 

「レイ、説明は後でするわ。もう一度使って。今度は視界一杯に届くはずよ、相手が空を飛んでる内に早く!」

「あ、駄目です!アンノウン地上に降りました!」

「くそ!」

 

読まれたか?とマヤは戦慄した。

今の出力で地上に向けて使ったんじゃ地球に尋常じゃない被害が出る。

この場合、S2の出力をもう一度落とさなければ…。

 

だが。

 

「え?アンノウン上空へ…超音速…」

 

マヤは目を瞬かせた。

 

 

 

レイもその紅のエヴァの行動をレーダーで追跡して、思わず声を漏らした。

 

「何…?」

 

 

 

レッドドラゴンはその名に相応しい巨大なオレンジの翼をはためかせ、数秒で大気圏に到達して見せた。

 

その尻尾に巻かれている、三つの鉄塔。

わざわざ地上に降りて引きちぎって来たそれを手に持ち、ATフィールドを鉄塔に巻きつけた。

まるでコーティングされたように鉄塔が光り輝く。

 

「避けたらもしかすると地球ぶっ壊れちゃうかもしれないから、気をつけてねん?」

 

その腕が膨らみ、装甲を跳ね飛ばした。

そして凄まじい咆哮と共に、投擲。

1つ、さらに東に距離をとって、2つ。

 

その投擲された鉄塔以上の速度で地上すれすれに滑空すると更に最後の一つを横から投擲した。

 

 

「アンノウンより何かが発射され…え、質量…」

 

そのオペの報告を聞いたとき、マヤは愕然とした。

 

「上空より2、北北東より1…到着…約26秒前…。

 この速度と質量では一つでもこぼしたら…最低200キロ四方壊滅です…ジオフロントも持ちません…」

「…メギドは?」

「まだです!装填まで164秒…」

 

マヤは青ざめた。

 

 

『聞いていたわね、レイ』

「…はい…」

 

レイは声が震えるのを隠せなかった。

 

『いいわね、全部落としなさい。一つでもこぼしたらみんな死ぬわ。』

 

レイの手ががくがく震えていた。

 

『到達まで18秒…貴方に全て任す…』

「…はい」

『…別に恨まないわ、レイ。』

 

そうしてマヤは通信を切った。

 

レイは目を泳がせて、その上空の摩擦熱で赤く輝くそれを見た。

 

二つの槍のような何か。

そして横からも、光。

 

どうやって?上空の二つを『右手』で落とす、でも、距離がありすぎる、つまり、多分二回使わなければ。

でも、それじゃ間に合わない。

なら、両手を使って一本ずつ、そう、出来る。

でも、その場合横から来るのを落とせない。

ヘカトンケイルはもう大破、つまりライフルも使えない、用意する時間も無い。

 

どうする?つまり、でも。

彼女はもう一度都市を振り返った。

 

なんて美しい廃墟都市。

きっと、彼もあそこに居る。

 

だから彼女は、腹を決めた。

 

 

右手が赤く輝いた。

 

空が、暗黒に包まれた。

S2機関を二つまで解放して放ったそれは、先ほどの比ではなかった。

 

投擲された鉄塔の一本が跡形も無く消え去った。

 

海面が煮立った。

水位がはっきりと下がった。海が蒸発したのだ。

 

だが、やはりもう一本には届かない。

だからレイは、ついで左手、やはり六つの指のそれを掲げ。

 

一面が、白く染まった。

 

先ほどまで煮立っていた海面は一瞬で凍りつき、波の形のままその姿を停止させた。

空気中の微生物に至るまで氷ついて空を嘘のように白く光らせ。

 

そして、投擲されたもう一つも凍りつき、ぱきん、と粉々になった。

 

後一つ。

 

左手は使用したばかり、右手はようやく熱を冷まし、後4、5秒で使える、でも。

警報がけたたましく鳴っていた。

 

やっぱり間に合わない!

その光がもう目の前に迫って。

 

だから、レイは第三眼を覚醒させた。

 

 

全てがスローだった。

 

時間の全てが緩やかになり。

 

ようやく、右手が再使用できて。

まるで焦らされる様な速度でその右手をゆっくりと移動させ、もう目と鼻の先に迫っていたその鉄塔(またしても!)を掴み。

 

やはり一瞬でそれは蒸発した。

 

レイは深く深く、安堵の息を吐いた。

そして、ふと、何の気なしに後ろを振り向いて、ひ、と声にならない悲鳴を上げた。

 

振り向けば、モニター一杯に広がる、五つの奇形の瞳。

あの紅のエヴァが、左後方から接近し、まさに最終号機のエントリープラグを手にかける寸前だったのだ。

 

「…ぐ、か、は…」

 

レイは呼吸困難にあえいだ。

 

あまりの恐怖に、呼吸が出来なかった。

僅かに失禁すらしてしまった。プラグスーツのそこが濡れて気持ち悪い。

ただ嗚咽をもらして、吐きそうになるのを何とか堪えて。

ゆっくり、やはり焦らされるように、左手を紅のエヴァの胸部に向け。

 

そして、第三眼を閉じた。

 

 

「よっしゃ勝ったああああれ勝ってないっ!?」

 

おかっぱの彼女は勝鬨を上げる寸前、その異常に気づいた。

けたたましい警報に合わせ脱出警告が視界一杯に広がり、だから彼女は寸分の迷いすらなく実行した。

 

 

一瞬だった。

 

警告を上げる前に、その紅のエヴァは最終号機に背後から近寄って。

マヤは無駄だと思いつつ叫んだ瞬間、まるでコマ送りのように最終号機が『ぶれた』。

 

あの子、使った。

 

その数瞬後、最終号機と紅のエヴァが交差し、ロケットのように紅のエヴァが吹っ飛ぶと、数キロ地点で轟音を立てて止まった。

 

「…あ、アンノウン信号消滅!投擲物も消滅!無事です!最終号機、チルドレンとも無事です!」

 

わっ!と発令所が歓声に包まれた。

マヤは、それを尻目にぐったりとコンソールの端に腰をかけた。

 

「気象庁に連絡、すぐに調査を。海面がどれぐらい蒸発したか、今後どんな異常気象が起こるかその他もろもろマハと解析させて。それと回収班急がせて。即アンノウンの回収、調査を」

 

マヤのその何かに耐えるような恐ろしい声に、浮き立っていた職員たちがすぐさま準備に取り掛かった。

 

「それと、あの子第三眼使ったわ。どれぐらい時間を『延ばした』のか知れないけど。

 だから世界各国と連携して即調査に乗り出して。特に宇宙の観測は念入りに。あと、ラストチルドレンと最終号機を回収後、

 精神汚染、侵食含め徹底的に異常が無いか検査するのよ。今回を無為にしないで。あらゆるデータを取りなさい」

 

はい、とオペレーター達が緊張気味に返事した。

そしてマヤは、ぞっとするほど低い声で呟いた。

 

「たったエヴァ一機に…ほぼ全ての切り札を使ったのか…」

 

ぎり、と唇を噛む。

 

マヤのその表情は、まさに、滴り落ちるほどの毒に満ち満ちていた。

 

 

 

 

レイは胎児のように丸まって泣いていた。

 

プラグスーツの上から、その胸に仕舞った赤い玉をなでる。

そうしてただ引きつるように、声を上げて泣きじゃくっていた。

 

その涙は、LCLに溶けて、誰にも気づかれず消えていった。

 

 

 

 

その空は黒と白が混じり、交互に入れ替わるような、まさに想像を絶する景観だった。

 

最終号機はその神話か幻想の世界のような光景の中で、ただひっそりと立っていた。

この神がかり的な空を作り上げた張本人だと自覚すらしてないような自然な姿勢で、ただ無造作に立っていた。

 

それは確かに見るものに凄まじいインスピレーションを与えるような絵であった。

 

もしこの光景を才能ある芸術家が見たら、きっと偉大な創作を行ったに違いない、

あるいは才能が無い人物すらも偉大な芸術家にするかもしれない、そう信じさせるほど壮大で未知の光景だった。

 

 

戦闘は終わった。

 

ラストチルドレン綾波レイは初陣をどうにか勝利で飾ったのだった。

 

 

たとえ、それがほとんど結果論に過ぎなかったのだとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

15/7/2


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。