リヴァイアサン・レテ湖の深遠   作:借り暮らしのリビングデッド

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3-2 彼女のおもひで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・Ⅱ 『彼女のおもひで』

 

 

 

 

 

燃焼されたLCLが喉と肺を焼いていた。

 

その幼い少女はその焼け焦げたような、あるいは凍結されたようなプラグから何とか抜け出すと、首を掻き毟るように液体を吐き出した。あまりその年頃の少女に相応しくないあえぎで更に激しく咳き込む。

ひゅー、ひゅーと喉が鳴っていた。

 

これはちょっちやばいかも。

 

「…み…ず…」

 

思わず海水をすくって飲もうとし、と、いや、それはやばいと躊躇して、でも、と。

 

突然、目の前にミネラルウォーターが差し出された。

 

少女は寸分の躊躇もなくそれを奪うと貪るように喉を鳴らして飲む。

彼は、青黒い目でその少女の様子を観察すると、隣に座って袋からもう一本ミネラルウォーターを取り出した。

 

自分も飲もうかと蓋を開けると、それを横から掻っ攫われる。

少女は二本目でようやく満足したらしく、残りの水を頭からかぶると、ぐでっと仰向けに横たわった。

 

「うえ~死ぬかと思った。誰か知らないけどサンキュー」

「どういたしまして」

 

彼は柔らかくそう言うと、袋からりんごと果物ナイフを取り出し、剥こうとした寸前やはり少女に掻っ攫われてしまった。

流石に彼も苦笑いした。

 

「しかし、良く生きてたね君。左手の直撃食らったのに」

「あ~、頑丈に出来てっからねえ。しっかし勝ったと思ったのになあ」

「もう少しだったね」

 

そんなやり取りをしつつ、しゃり、とりんごを一口、少女は周りを見た。

 

四方には海。

 

プラグはどうやら小さな島に乗り上げたようだった。

もしゃもしゃとりんごを両手でほお張りながら、少女は改めてその男を観察してみる。

 

見た感じ二十そこそこぐらいで、細身で背が高い。

着古したフードつきのコートにデニムと貧乏臭い格好だったが、さらりとした短い黒髪や纏う空気はとても清潔な印象を与えた。

顔やスタイルも中々で、まあ、服装を抜きにすれば十分良い男だった。

 

少女はもう一回周囲を見回す。

 

陸が割りと遠くに見えた。

その小さい島はもちろん橋なんぞ架かっていないし、見回した限り船すらない。

つまりここまで来るには泳ぐぐらいしか方法は無いはずだった。

もちろん、その男の服はまったく濡れていなかったし、濡れた形跡すら無かった。

 

彼女は目の端にその男を捕らえながら、りんごにむしゃっとかぶりついた。

 

「あんたネルフ関係者?」

「うーん。まあ、そんなもんかな?」

 

彼は100円ライターで煙草に火をつけながらそう答えた。

中性的で繊細な風貌に反して、そんな仕草が妙に似合う男だった。

 

「あたし捕らえにきた訳?」

「いいや?単にどんな子がパイロットか見てみたくてね…それに、個人的な頼みもあってさ」

「どんなよ」

「君の組織と接触したい」

 

少女は瞬きをした。

その様子を見ながら彼は言葉を重ねる。

 

「僕はまあまあこの界隈には精通してるんだけど、正直ね…君達の存在はまったく知らなかったんだ。

 あんなエヴァが建造されてた事も、そんな規模の組織か機関か、そういうのが存在してる事も」

「それただ単にあんたが情報通気取ってるだけじゃない?」

「もしかするとそうかも。でも…十中八九、ネルフ上層ですら今回の事は寝耳に水なはずだ。

 マハシステムすら、ああ、知ってるよね?あれすら察知出来ないなら、可能性はただ一つ」

 

彼は能面のように無表情になると、静かに口を開いた。

 

「ゼーレ…まだ、存続してるんだね?」

「まあね」

「あれっ?」

 

彼は思わずかくっと肩を落とした。

 

「何?」

「いや…そんなあっけなく肯定するとは思わなくて…」

「馬鹿ねえ、それ以外考えられないじゃない。あんたの推測通りよ。

 なら隠す理由がないし、第一、それを知ったってどうにかできるもんじゃないでしょ」

 

ううん…確かに、と彼はうなった。

 

「第二に、あたしの性格は知り尽くされてんの。だからあたしが知ってる事は大して重要な情報じゃないってことよん」

「…なるほどね。君はあくまでパイロットか…」

「そゆ事。でも、あんたの望みは叶えられると思うわ」

「君達との接触?」

「そ。どうせあたしの救助に来るだろうしね。あたしレアだから、代わり居ないのよ」

 

彼は改めて少女の乗っていたエントリープラグに意識を向けた。

それは波打ち際で無様に座礁して、まだじゅわじゅわと音を立てていた。

 

「確かに…手の直撃食らって、まだ形を保ってるって凄いね」

「やっっったら頑丈に作ってるからねそれ。結構新技術のオンパレードみたいよ。あたしは詳しくないけど」

「でも、流石にLCLがあんな蒸発してるんじゃ…つかよく生きてたね君?」

 

彼は呆れたような感嘆したような口調でそう言った。

 

「まあね。色々強化されてっからね」

「強化?」

「そ。多分あたし一人で国が傾くくらい金かかってるわよ」

「…なるほど、大事にされてるんだ」

「ちょっち違うけど…まあ、とにかくあたしはレア物なのよ。」

「そりゃチルドレン適正がある子なんてレアだもんね」

 

と、彼は改めてまだ幼さの残る少女に目を向ける。

 

「にしたって…いくらなんでも君若いね。その若さであんな戦い方が出来るなんて凄いもんだ」

「生憎見た目ほど若くはね~わよ。多分22か、3ぐらいじゃない」

 

その冗談に彼は苦笑いした。

 

「それは…えらい若作りだね。見た感じ10歳くらいにしか見えないよ」

「そりゃそうよ。そんぐらいで止めてっからね」

「止めてる?」

「そーよ」

 

彼は、すっと目を細めた。

 

「…つまり、成長を、止めてる?」

「そそ。ね、レアでしょあたしって」

 

彼は何か思案するように、おずおずといった感じで呟いた。

 

「つまり…君は、つまり、一生…エヴァに乗れるって事?」

「多分ねえ。少なくとも上の連中はそういう思惑なんでしょ」

「信じられない…」

 

その心底から吐き出された深い呟きに、少女は首を傾げる。

 

「…そんな方法があったなんて…というより、そんな技術が開発されてたなんて…」

 

彼はぐったりと仰向けに横になった。

 

「せめて十代のうちに知りたかった…」

「ふん?あんた元チルドレンかなんか?」

「そうかもねええ」

「なーによ。どったのぐったりしちゃってさ」

「いやあこの世の無常さにね。ちょっと挫けそう…」

「あ~渡る世間はヒスババアばっかだもんね。あたしも帰ったらめっちゃ怒られるわ。世知辛くてやってらんね」

「唄でも歌わないと生きてけない感じだよねえええ」

 

彼はふんふんふんと第九を歌い始めた。

 

「あら重症ね。慰めてあげましょっか?」

「いやあ、見た目小学生じゃ流石にちょっと」

「何あんた熟女趣味?」

「意外とそうかも」

「変わった奴ね~。男は大抵若いほど喜ぶってのに」

 

と少女は食べ終えたりんごの芯をぽいっと海に放る。

そして彼のすぐとなりにごろんと横になり、彼の咥え煙草をひょいっと掻っ攫って大きく吸った。

 

彼は、そんな少女を横目に改めて観察する。

 

青み掛かった人形のようなおかっぱの黒髪はとても艶やかで、触れてみたいと思わせるほどよく手入れされている。

完全に東洋系だろうその顔立ちも端正で、大人になったら相当な美女になるだろうと見る者に確信させた。

流暢な日本語を聞く限り日本人かもしれない。

 

オレンジと黒を基調にしたオーダーメイドのプラグスーツも良く似合っている。

特定の趣味があればきっと見とれてしまうような、そんなエキゾチックなアジア系美少女だった。

 

その上、吸うと言うより飲むという感じの堂に入った煙草の吸い方は、その幼い少女に異様に似合っていて。

確かにそっちの趣味が無くとも何かぞくりとするような、妙に背徳的な色気があった。

 

ふと、彼は眉をひそめた。

 

彼は低く、深い声で、何故か内緒話するように小さく囁やく。

 

「…さっき、多分と言ったね?」

「あにがよ」

「年齢。多分22か3だろうって」

「ああ、あたし昔の記憶無いのよ」

 

少女は世間話するような気楽さでそんな事を言ってのけた。

 

「7歳くらいのとき、まあそれも多分だけど、そんぐらいの時記憶無くしてふらふらしててね。

 んでまあ色々あって今の組織に所属して…で3年後に固定手術受けて、だから肉体年齢はそんぐらいなの」

「…じゃ、君が無くした記憶って、つまり、サードインパクト前?」

「そそ。インパクト前の事はさーっぱり思い出せなくてさ。多分そん時の事故かなんかで記憶無くしたんでしょ。

 なのに日本語とかドイツ語とかぺらっぺらに喋れたのは我ながら不思議だったけど」

 

ふむ、と彼は唸って、どこかぼんやりしながら、ふとこんな事を言った。

 

「ところで…僕が言うのもなんだけど、君さっき会ったばかりの男にいくらなんでも口軽くない?」

「まあ一応命助けてもらったかんね。」

 

少女はあっけらかんと続けた。

 

「それに、あたしはエヴァ乗って暴れられればどうだっていいの。それ以外どーでもいいのよ…。」

 

どうでもいいのよ~ん、と彼女はもう一度呟いた。

 

「それにさっき言ったでしょ?上もあたしの性格分かっててきっと重要な事は教えてないもん」

「そっか…なら、今回の襲撃も?」

「あの化け物ぶっ殺せ言われただけよん。理由なんて知らない。残念だったわね」

 

その口調に嘘を感じなくて、やはり彼は思案するような様子でぼんやりとそう、と相槌を打った。

その様子を奇妙に思いながら少女は彼を観察した。

 

「で、あんたほんとにネルフ関係者?」

「ううん…どう言えば良いかな?無関係じゃ無いけど。まあ…限りなく中立に近いネルフ派って所かな」

 

ふ~ん、と少女は鼻を鳴らして、少しの後口を開く。

 

「じゃ、あたしを匿ってくれたら救助来た時、話通してあげるわ。あんたが何者で何たくらんでんのか知らないけどね」

 

ふ~ん、と彼も真似するように鼻をならし。

 

「…良いよ。取引成立。」

「んじゃしばらくよっろしく~」

 

少女はやはりあっけらかんと声を上げると、プレゼントとばかりに彼の口に煙草を戻す。

サンキューどうも、とばかりに彼はその半分まで短くなった煙草をふかしながら空を見上げた。

 

彼は改めて芯からため息混じりに呟いた。

 

「にしても凄い景色だね…」

「ね。噂に違わない化け物だったわ」

 

彼女も彼のすぐ隣で寝そべりながらしみじみと言った。

 

どういう作用なのか彼にも分からなかったが、空がまるで鏡のように光り、ところどころ凍ったままの海面が逆さに映りこんでいた。

その光景は一見空に海が出来たような、あるいは実は最初から海で、初めてその姿を暴かれたような、そんな感想さえ抱かせた。

 

「そういえば、君が空から投げたあれ…」

 

ふと、彼は何か思い出したように呟いた。

 

「ああ、そこらにあった鉄塔よ」

「あれさ、もし最終号機が避けてたら洒落にならなくなかった?」

「まあ最低でもこの国は壊滅的だったかもねえ」

「…よくもまあそんなさらっと…」

 

彼は呆れながらそう呟く。

それに彼女はやはり何のこともないように返答した。

 

「だって避けっこないと思ったし」

「どうして?」

「どうしてって…何となく。甘ちゃんが乗ってるような気がしたからさ。避けないだろーなって。

 第一さ…あんなのすらさばけないんじゃ神様なんて勝てっこないじゃない」

「ああ…やっぱり知ってるんだ」

「そりゃあね。一応チルドレンだし。その程度は知らされてるわよ」

 

よいしょ、と少女は彼の咥え煙草をもう一度奪うと、やはり旨そうにぷか~と煙を吐いた。

彼は、ん、と顎をしゃくった。

はいよ、と少女は手に持ったまま煙草を一口彼に吸わせる。

 

「…確かにそうだね」

 

その煙を吐き出して彼はしみじみ言った。

 

「エヴァ一機に苦戦するようじゃ…」

「そゆこと」

「でも、凄いエヴァだね。あんな強いエヴァは、それこそ殲滅戦争後期しか見た事ない」

「そ?」

「S2機関積んでなくてあの強さなら…歴代最強のエヴァかも。あれはなんていうの?」

「レッドラ」

 

彼は目を瞬かせて聞き返した。

 

「…れっどら?変な名前だね。何語?」

「ちゃうわよ。レッドドラゴンの略。」

「…レッド、ドラゴン?」

 

彼はやっぱり眉をひそめ怪訝そうに聞き返した。

 

「そ。でもなんか俗っぽくてさ。レッドラってあたしは呼んでんの」

「もしかして…ブレイク?」

「ブレイク?」

「詩人兼画家のウィリアム・ブレイク。それから取ったの?」

 

少女はきょとんとし。

あーと声を上げた。

 

「あの背中見せた悪魔の絵?あーなんか言われてみればイメージ合うわね」

 

あたしはてっきりゲームからつけたのかと思ったわ、と少女は呟いた。

 

「ゲーム?」

「ああ、あたしの上司がね。行き遅れのヒスババアなんだけど、ゲーム好きなのよ」

「…その上司が、付けたの?」

「そう。何よあんにゃろ、いっちょまえにインテリ面しやがって」

 

彼は何か目を細めて、じっと少女を見た。

 

しばらく少女を目を細めて見つめていた彼が、突然口を開いた。

 

「君の上司って…もしかして日系のクウォーター?」

「ほうよ、ドイツとの。いけすかねえーーーの」

「…右目が義眼、もしくは眼帯…とか?」

「知り合い?」

 

彼は、少女のその人形のように綺麗に切りそろえられた前髪に手を伸ばす。

そしておもむろに真ん中わけにして。

 

ひどく、ひどく憔悴したかのようにその手を引っ込めた。

 

「なになに?どったの」

「…確かに。どうりで誰かに似てると思ったよ」

 

彼はそんなことを言った。

 

少女は首を傾げながら不思議そうに眺め。

煙草をぴん、と弾いて捨てた。

彼は、その動作にどこか疲れたように笑った。

 

「笑っちゃうよ。そんななりして煙草の吸い方同じなんだから」

「ふん?何よさっきから一人でぶつぶつ」

「いや…君の実年齢、教えてあげようか」

「ほーん。いくつ?」

「44歳」

「うへ、あたしそんなババアなの?」

「ついでに君の名前も当ててあげる」

「はあ?いや無理だって。あんたが何者でも知らないわよ。あたしトップシークレットだもん」

「ミサト」

 

そのおかっぱの少女は大きく目を見開いた。

 

 

「葛城ミサトちゃん…だろ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「碇シンジ君ね?乗って」

 

車の走行音に振りむいて、ようやく見つけた、とその背の高い女性が車から降りたとき。

シンジには、現実感など何も無かった。あるはずも無かった。

 

ただぼんやりと、夢を見ているような、あるいは自分が出演している映画をスクリーンで見ているような。

まるで、不思議の国のアリスの世界に迷い込んだような、そんな曖昧な感覚しか無かったのだ。

 

その現実感の消失は、すぐに痛みという根源的な恐怖を伴ってシンジを襲うのだが。

 

それでもやっぱり空は信じられないくらい綺麗で。

その太陽の光でシンジの足元にはその女性の影が出来ていた。

ふと、その女性の作った影が、やはり何か、ぽっかりと、底なしの穴のように見えて。

それに一歩でも足を踏み入れたら、もう二度と生涯、戻ってこれないのだと、そんな感覚があって。

 

だからその影に足を踏み入れたとき、シンジの何かがはっきりと囁いたのだった。

 

 

もう二度と、戻れなくなったぞ。

 

 

その声は確かに事実だった。何時だってその声はシンジに真実しか囁かないのだ。

 

あえて車に乗らず振り切って逃げる、という選択肢もあったのかもしれない。

だが当然この時のシンジにそんな選択肢の存在に気づけるわけも無く。

 

確かに、この瞬間碇シンジの運命は決定されたのだった。

 

「そういえば名乗ってなかったわね」

 

その背の高い女性は車を運転しながら陽気に呟いた。

シンジは助手席でやはりぼんやりとその言葉に耳を傾ける。

 

「葛城ミサトよ」

 

その人はサングラスをはずすと、シンジにそう言って。

 

「よっろしくね?」

 

 

そして、ぱちりとウィンクして見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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