Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
年相応の寝顔をして、幼子が眠りに落ちる。
しかめられた眉間や額には、びっしりと汗が浮かんでいる。顔面の筋肉にも強い緊張がみられていた。背負う必要の無い責任を、彼女はその小さな双肩に乗せていたのだろう。
夢の世界でも、夢を見ることはできるのだろうか。ほんのわずかな時間であっても、その重責から逃れられれば良いと、願わずにはいられない。
そんな思いを胸に秘めながら、ティーネ・チェルクは、その顔に張り付いた仮面を捨て去った。
椿がこのティーネが偽物と断じた理由のひとつである、慈愛の笑み。それが崩れ、普段の仏頂面へと表情筋が動きを止める。少しだけ安堵したようにも見えるが、それもまたすぐに消えてなくなる。
そこにいるのは、原住民族長としての機械の如き少女だった。
「――さすがは族長様だ。結構な演技派じゃねえか」
「それは関係のあることなのですか?」
そんなティーネを、その背後から拍手で讃える者がいる。ティーネは振り返ることなく、その姿を銀狼の瞳の中に見る。
元より、銀狼は視線の先はこの男にあった。たまたまその視線の途上にティーネがいただけで、実際にこの世界に先に顕現したのはキャスターの方である。
「関係大ありだろ。二枚舌と演技力は政治家の標準装備だぜ?」
「私は自分が政治家だなんて思ったことはありませんよ」
族長と言っても、ただのお飾りだ。多少他者より秀でていようと、所詮そこまで。周囲に助けて貰わねば、何もできぬ小娘に過ぎない。
今回だって、他力本願でしかなかった。
「あなたにはまた助けられたわね」
言って、ティーネは傍らの銀狼の頭を撫でる。
椿は上手く騙せおおせたが、銀狼には最初から気付かれていた。だからこそ、銀狼は椿がティーネを消すのを押しとどめていた。いかにキャスターの助けがあったとはいえ、この世界の創造主に拒絶されれば居座り続けることはできない。
息を吸い、そして吐く。
現実と寸分変わらぬ感覚。そこには違和感もない。しかして現実のティーネは肺を痛め人工呼吸器の補助が必要な状態である。すぐに治るとはいえ、馴染むまで違和感を拭い去ることはできないだろう。
このティーネは、繰丘椿が作り出した幻像、などではない。
手術を終えたばかりの、未だ予断の許さぬティーネ・チェルク本人である。
そしてその背後にいるキャスターも、正真正銘の本人である。
宝具
一応、これらの事実は魔術師たちにとって無視できぬ事実である。
人の脳には当然ながら物理的な接続はない。だというのに特定の人間の夢世界に侵入できるということは、普遍的無意識の海がこの先に広がっているという証拠である。意識の接続、情報の統合、その方法さえ確立しちまえば神と呼べる者との対話だって不可能ではない。
「魔術師が根源を目指すわけだぜ。繰丘の一族は掘り当てちまったのかもしれねぇ。銀の鍵は全ての意志が有している――」
「そうですか」
などと講釈を垂れ無邪気に喜ぶキャスターに、魔術使いでしかないティーネはさほど興味を抱けない。
テレビを見るのにその機能を理解する必要はあるまい。重要なのは、この夢世界へ侵入できたという一点だけだ。しかもその山は既に越えてしまっている。油断などはできないが、幾ばくかの余裕はできた。
彼女の世界に土足で踏み入った罪悪感はあるが、背に腹は代えられまい。
「素直に私達が本物だと話したかったのですが」
「そいつはやめとけ。俺達はいわば密入国者だからな。バレても大丈夫である可能性もあるが、良くて強制送還ってとこだろう」
そして悪ければ殺される。
繰丘椿は理屈や理論に頼ることなく、感覚だけで魔術を成り立たせている。無理な齟齬を生じさせてしまえば、ゲシュタルト崩壊しかねない。夢世界でそんなことが起これば、生きて帰れる保証があるはずもなかった。
「密入国者でしかできないことをしに来たんだろ? 感動の再会は次の機会にまでとっておけ」
「わかってますよ」
こちらもまたティーネは軽く流す。自分のミスで彼女をいらぬ窮地に追い込んだのだ。面と向かって会いにくいところでもある。騙せるだけ騙し、目的を達成できればそのまま消えるとしよう。
もっとも、その時間は酷く短いのだろうが。
いや、あるいは果てしなく長いのか。
「……それで、念のため確認しますが」
「ちげーよ。俺じゃねえ」
まだ本題も言い出さないうちにキャスターは否定する。互いに視線を交わせば、考えることは一緒である。というより、誰しもそれは思うことなのかも知れない。
「ライダー、ですね」
「だな」
ティーネから零れた言葉にキャスターが同意する。
ペイルライダーとは、調和と安定を崩す存在である。『病』故に、地上に存在するあらゆる生命に対して『変質』を強制する。影響範囲は広大であり、環境すら変質させることも珍しくはない。その『変質』が極まり、適応した時、進化の系統樹にあらたな枝葉が伸びることになる。
そんなライダーのマスターであるのだから、一定の変質があったとしても決しておかしくはない。
一定、であれば。
「ツバキってのは他家受粉で結実するために変種が生じやすいんだとよ」
「何が言いたいのですか?」
「さてな。しかしあの両親がそう名付けたんだ。そういう資質は最初からあったんだろうよ。もしくは、そういう起源なのかもしれねぇな」
突き放すような言い方のキャスターに、ティーネは気分が悪くなる。
繰丘の魔術はあらゆる意味で強力だ。だからこそ、その受け皿となる者は繰丘の毒に耐えうる素体でなければならない。
以前に繰丘邸内を調べたことを思い出す。
あの実験に耐え、そして生き残った。ただそれだけで繰丘椿がどういった存在であるのか、わかるというもの。ライダーの『変質』だって、彼女にとっては何てことのないことなのかも知れない。
いや、あれを『変質』と一括りにしていいのかすらティーネには疑問である。
ティーネが椿と最後に会ったのは、ほんの数日前。
数日。
男子三日会わざれば刮目してみよ、などとあるが、しかしどうだろう。幼き時分にパンを三日放置し、色合いがすっかり変わってしまったことを何故か思い出す。永続的に不変である存在など、どこにもないということか。
「私の知っている椿は、実年齢より幼い可愛い娘だったのですが」
「俺の認識だと、もう少し上だな。少し聡い子供ってところだった」
年齢的には変わりないお前が言うのか、というツッコミを殊勝なことにキャスターは口にしなかった。それくらい重大なことなのである。
繰丘椿は、『変質』した。
より正確には、『成長』してしまった。
『変質』と『成長』。似て非なるこの言葉の意味を、二人は考える。
「喜ぶべき……ことなのでしょうか?」
「仲間としては喜ぶべきなんだろうよ」
では、家族としてはどうなのだろうか。
キャスターの意見にティーネはなんとも複雑な気持ちである。
ライダーと出逢う前の、成長する前の椿であれば、年相応の感情と知識で現状を嘆き悲しみ受け止めることができなかったであろう。
しかしどうだろう。今の椿は不相応な自制心と不自然な知性をもって、ティーネを偽物であると判断している。数日前の椿では、とてもそんな高度な判断はできなかったであろう。
原因はライダー――より正確には、ライダーの宝具。
一人はみんなのために。みんなは勝利のために。
「かの究極にして至高の大傑作、三銃士に出てくる言葉だな。けど『敗北したのは一人のせい』ってのが本当の意味なんだぜ?」
「その口を閉じなさいキャスター。あなたが言うと洒落になりません」
意味は一緒じゃねえかなー? などとぼやきながらキャスターはひとまず黙った。
元来ライダーは、『変質』をもたらし強制する存在であり、『進化』の
成長とは、経験によって成り立つものである。特に人間は『教育』という手段により知識をより適切で効率的な形で受け取り、知恵として活かす手段を高いレベルで確立させている。人格形成はそうした経験の蓄積によるものであり、一朝一夕に獲得できないが故に貴重で尊いものなのである。
一を聞いて十を知るのならまだ良いだろう。
一も聞かずに百を知るのが、果たしていいことなのか分からない。
ライダーの
ライダーはマスターである繰丘椿に『寄生』するサーヴァントだ。ライダー単独ではなんの力も持っていないため、椿というフィルターを通さねばライダーは力を行使することができない。
畢竟、ライダーが力を行使すれば、フィルターである椿に必ず影響が出る。
感染者十万人分の知識と経験が、繰丘椿に流れ込んでいる。人間が経験できるほとんど全ての経験を繰丘椿は受信しているのだろう。
「まさしく睡眠学習というやつですね」
「ベッドの上で学習してるってわけだな――すいません、卑猥な言い方をしたことを真摯に反省するのでその手に石を持つのをやめてください」
誰に許可を得て口を開いた、とティーネは睨むが、専門家でもない自分が分かることなどたかが知れている。夢世界では無力だと先般思い知ったばかりでもある。癪に障るが、キャスターの意見は聞いておく必要がある。
「椿はこのままで大丈夫ですか?」
「今すぐ心配になるようなことはないだろうよ。理解して意図的に情報を取捨選別しようとしているのなら別だが、所詮無意識領域で情報を受け取っているだけだ」
影響は少ない、とキャスターは判断する。
もっとも、これは繰丘椿だから、という条件がついているからだ。夢世界に現実世界の投影などしている椿である。その許容量は世界でも指折りだろう。いずれ何とかせねばならないだろうが、早晩どうにかなる可能性は低い。むしろ短期間での決着が明確であるこの状況なら望むべきものですらある。
「問題とするなら、それはどちらかというとお前さんの方だぜ」
「一体何が問題だというのです?」
キャスターの危惧に、ティーネは眠る椿の頭を撫でながら返してみせる。
「現実世界のお前さんの身体は、自身の莫大な魔力によって治りつつある。その魔力をお前さんはこの世界に入り込むことに使ってるんだぜ。タイムリミットを考えれば、かなり厳しい状況だ」
実際、ティーネの命が助かった理由はそこにある。“偽りの聖杯”の巫女としてか、今の彼女には莫大な魔力が流れ込んでいる。まるでティーネの命を強引に繋ぎ止めんとしているようにすら思えるくらいだ。
その回復に使うための莫大な魔力を用いて、彼女は椿の夢世界に侵入している。
これだけの魔力をそのまま回復に使えば、早朝には完治していることだろうが、そのまま使っていないので治るわけがない。すぐに動けるようになるかもしれないが、後遺症はその後の彼女の人生を大いに苦しめるだろう。
そうでなくとも、長生きはできまい。
「今更です。ここで動けぬことの方がよほど問題でしょう」
最善を選ぶのではなく、最悪を回避するためにティーネは動いている。死んで当然の状況なのだから、バーサーカーのように殺されることを前提に動くべきなのだ。生き残る者にだって順序がある。
彼女にとってこの選択肢は覚悟するものですらない。
「……今の繰丘椿の学習能力は危険でしかないぜ。一挙手一投足からお前が本物のティーネ・チェルクだと名探偵みたく見抜きかねない。繰り返すが、本物だとばれれば何が起こるかわからないからな」
珍しく口を酸っぱくして注意するキャスターであるが、肝心のティーネはキャスターのアドバイスをおざなりに聞いていた。聞き入れぬわけではないが、時間の問題であるとティーネは思っている。
椿の夢と宝具
「仮に椿が気付かなかったとして、いつまで私はこの夢に居続けることができますか?」
「居続けるだけなら逸話通り一生を終える時までいられるだろうよ。この変化のない世界でどれほど耐えられるかは保証できないが」
俺なら一時間だって耐えられないがな、とキャスターはHAHAHAとアメリカ人のように笑う。耳障りな笑い声に椿が起きねば良いとキャスターに石を投げつけながらティーネは思う。
「とはいえ、一応魔力的な限界もあるからな。この調子で魔力を消費し続ければ、半日で族長から即身仏へ昇格だ。身体の回復を考えれば一時間が限度だろう」
一時間、と口の中で繰り返す。
現実世界の一時間が、この夢世界で何時間にあたるのかはまだ不明だ。
「そこは心配するな。現実世界から魔力量をモニターしておいてやるから、危険域に達する前に起こしてやるよ」
「……一緒にこの世界を調べるのでは?」
「……俺は俺でやることがあるんだよ」
その顔に面倒だと書かれていたが、仕方なく嘆息してティーネは了承した。
二人で調べれば効率的なのだろうが、リスクだらけの夢世界に貴重な戦力(?)を使う訳にもいくまい。
ティーネは他にできることがないからしているだけ。片やキャスターは他者のバックアップを得意とする英霊なのだから、非戦闘時の今こそ最も活躍すべき時である。
それに、キャスターにはライダーのフォローもする役目もある。
ティーネが椿にその正体をばれてはいけないように、椿もライダーに夢世界を気付かれてはならないのだ。
現実世界でその事情を知っているのはキャスター一人。他に任せられる者などいるわけがない。
じゃあ帰るぜ、と踵を返して立ち去ろうとするキャスターに、ティーネはふとした問いを投げかける。
「キャスター」
「あんだよ?」
「刹那主義のあなたにしては、随分と慎重ではないですか。面白そうだからと、あっさりとバラすのではないかとヒヤヒヤしてたのですが」
この夢世界への侵入ははっきり言ってリターンが期待できるものではない。むしろリスクばかりであり、魔力の無駄遣いと言ってしまえばそこまでだ。
合理的な方法論で物語は面白くならない。かといって遠回りすれば良いというものでもない。多少のリスクを許容すれば、実にキャスター好みのシナリオへ昇華することもできる。
ティーネの疑惑に、キャスターは中空を見つめる。自らを振り返り、自分が何故こんな紳士的な行動をとっているのか思い返しているのだろう。そしてやおらティーネを見つめ返して口を開く。
「二人とも立派な戦力だからな。さすがにここまでくれば迂闊な真似はできねーよ。それに……」
「それに?」
「椿っつー名前を聞くと、息子の愛人を思い出してな」
「……椿をこの歳で死なせはしませんよ」
「まったくだ。あと十年は経たないと手が出せん」
「台無しです。さっさと帰れ」
大袈裟に肩を竦めながらキャスターは言葉以上に五月蠅い余韻を残しながら夢世界から退場する。このまま現実世界からも退場して貰いたい気分にもかられるが、そうはいかないのが現実である。
「さて……これで私は私の目的をこなすしかありませんね」
傍らで律儀に佇み続ける銀狼にティーネは声をかけ、自分と然程変わらぬ体躯の椿をよっこらせと持ち上げる。
ティーネ・チェルクには目的がある。
そのために、この世界にやって来たのだ。繰丘椿が何とかして情報を持ち帰ろうとしているのと同様に、ティーネもまた、情報を持ち帰ろうとしている。
とはいえ、その前にやることが一つできていた。
前回より悪化していることにやや頭を痛めながら、ティーネは眠り続ける椿に注意をしておく。
「椿。例え世界に一人だけだとしても、裸で外に出てはいけません」
まずは彼女に下着を身につけさせようとティーネは思った。