Fate/strange fake Prototype   作:縦一乙

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day.02-02 女医

 

 

 ようやく一息ついたのは、時計の短針が一周半過ぎ去った頃だった。

 

 スノーフィールド中央病院はこの地域で一番大きな総合病院だ。それだけに設備も最高のものであるし、スタッフも一流の人間が二十四時間三百六十五日常時一〇〇人近い体制で働いている。

 職員専用の休憩室で眠気覚ましのコーヒーを炒れている女医も、その一人だ。まだ若く実績には乏しいが、年齢に似合わぬ知識と技術を評価されこの病院で数年ほど勤務している。

 そうは言っても大病院で若手、となれば貧乏籤を引きやすい立場である。それ故に、今彼女は体力の限界に挑戦することになっていた。

 

 原因は昨日に起こった麻薬グループと警察との攻防だ。一連の事件の経緯について彼女は何も知らないが、かなりの大事件であることは推測が付いていた。

 

 運ばれてきた急患の数は彼女が把握しているだけで両手の指では足りないほど。

 彼女が執刀した手術も大小合わせて五件、その内一件は半日がかりの大手術である。他の勤務医も似たようなことを言っていたのだから、最終的な死傷者数はかなりのものだろう。

 

 幸いにも既に山は越えて彼女の出番は必要とされていない。例え必要とされていたとしても今の彼女は前日からの連勤で使い物にならないほどに消耗している。今はもう自分が寝ているのか起きているのか自信がないくらいである。

 

「……けど、あの子の様子くらいは見ておかないとね」

 

 自身を奮い立たせるために気を抜くと落ちそうになる瞼に活を入れてみる。頭は霞がかかったようであるが、不思議と肉体は自身の思い通りに動いていた。

 

 女医があの子と呼ぶのは意識不明の少女のことだ。

 名前は繰丘椿。女医がそこそこ腕を上げ、このスノーフィールドにも慣れた頃に運ばれてきた患者で、彼女が初めて正式に担当した患者でもある。

 

 本来であれば腕が良いとはいえ彼女の手に余る患者ではあるのだが、『経過観察』程度であれば経験の浅い彼女でも十分であると病院上層部は判断したらしい。つまるところ厄介毎を押しつけるのに丁度良かったのであろう。

 

 女医にできるのは、ただ脳波のチェックと簡単な身体検査のみ。その他のことについては治療も含めて上の許可が必要だ。

 それだけに、何もできぬ自分を不甲斐なく思う。

 

 眠気覚ましのコーヒーを胃に入れて、女医は彼女が眠る除菌室へと赴くべく立ち上がる。もう眠たすぎてコーヒーの味すら感じることはできなかったが、彼女を診察しなければ安心して眠ることもできない。

 

 少女の診察は日に三度行われる。病院がてんてこ舞いな状態であってもそれは同様に行われたが、行ったのは看護師や研修医であって担当である女医ではない。やはり些細な兆候を探し当てるのは担当医師である自分の役割なのである。

 

 女医が普段使用している診察室から彼女が眠る除菌室は結構な距離がある。院内感染を防ぐ名目で感染患者は別病棟に隔離してあるためだ。

 当然ながら人通りは少ないし、一般病棟に比べて入るのにも厳しい制限がある。例え親族といえども病棟内に入るためにはそれなりの手続きが必要としている筈なのだが――

 

「あら?」

 

 除菌室の手前にあるロビーの長椅子に、一人の少女が俯いたまま座っていた。

 辺りは電灯が切れているのか薄暗く、柱の陰となった場所には何やら黒い霧が佇んでいるようにも感じられた。

 まるで、黒い霧が少女を見守っているかのよう。

 

 女医は不審に思いしばしその足が止まった。

 この病棟は見舞客を放置するようなことはしない。必ず入り口から出口まで看護師が傍らに付き添い、念入りな消毒は無論、看護師と同じスモックを着せられるのが普通である。幼い少女が普段着のまま一人で放置される状況など有り得ないのである。

 

 通り過ぎることは簡単だっただろう。女医は早く帰って眠りたかったし、仮に話しかけずとも看護師に一言言えば済むことだ。だがマスクもしていない少女の俯いた横顔を見れば、女医としては無視することもできなかった。

 

「――椿ちゃんの、妹さんとかかしら?」

 

 女医がそう判断したのも無理からぬこと。少女の容姿は女医がよく知る繰丘椿と酷似しており、またすぐ側にはその当の椿の病室があるのだ。関係者であろうことは想像に難くない。

 

 あの子に妹がいたかしら、と思考を巡らせるがどうにも疲れた頭では思い出せそうもなかった。結局思い出せはしなかったが、妹でなければ親戚か何かであろう。似ているというだけで声をかけるには十分すぎる理由だ。

 

「え? あっ――」

 

 女医の声に慌てて頭を上げた少女は驚いた声を上げた。

 まるで話しかけられたことが意外であったかのような反応。そんなことを疑問に思うが、少女の瞳に溜め込まれた涙を見れば問いただす気も失せる。

 子供のカウンセリングは専門外であるが、経験がないわけではない。

 

「はじめまして。私、椿ちゃんの担当のお医者さんなのよ」

 

 女医はにっこりと椿とよく似た少女に笑いかける。いきなり椿の名前を出して良かったか一瞬考えるが、子供相手であれば問題ないだろう。

 だが、女医の言葉に少女は身体を硬くした。

 何か、核心に触れる言葉を聞いたかのように。

 

「あの、えっと」

「あら、別にいいのよ。慌てなくて」

 

 何か言葉にしようと慌てる少女をなだめるように、女医は少女の前で腰を落として視線の高さを合わせる。後ろで黒い霧がわずかに揺れ動いたことには気付かない。

 

「英語、分かるかな?」

 

 日本語が話せれば良いのだが、習得していないものは仕方ない。まあジェスチャーだけでもコミュニケーションを成立させることはできるだろう。

 女医は疲れて弛緩した顔を無理矢理動かし、分かり易い笑顔を浮かべてみる。

 

 まじまじと女医が少女の顔を見れば、椿と双子と言っても過言ではないほどに似通っていた。

 違うとすれば髪や健康状態くらいだろう。入院中に髪が伸びてしまった椿と違って少女の髪は首回りまでしかないし、血色だっていい。体つきも少しばかり小さいようにも感じられる。

 入院してきたばかりの――いや、入院する前の元気だった頃の繰丘椿を想像するなら、こんな感じだろうと女医は思った。

 

「いえ、英語、少し分かります」

 

 タイムラグを置いてネイティブとはほど遠い舌足らずな話し方で少女は答える。

 英語に慣れていないという様子ではない。慣れていないのは誰かと喋ることだ。繰丘椿の両親を自然と思い出した。

 

「それは良かったわ。あなた、お名前は? お父さんかお母さんはどこ?」

 

 なるべく問いただすような真似はせず、子供が答えやすいよう声は穏やかに。質問内容も教科書に載っているような定型文で答えやすいものを。それは子供とのカウンセリングの常套手段であるのだが、

 

「……答えにくければ、答えなくてもいいのよ?」

 

 少女の顔を見れば質問の回答を諦めるより他はない。

 少女は女医の質問に答えようと口を開けはするのだが、何か考えがあるのかわずかに幾度か息が漏れるだけ。結局少女の口から何かが発することはない。

 

 少々困ったことになってしまったが、そこまで問題ではない。

 元より本格的なカウンセリングをしたかったわけではなく、浮かぬ顔の少女を放っておけなかっただけの話。どちらにしろ一人でいる少女を病棟の外に連れ出すことに違いはない。そしてそれは自分の役割ではない。

 

「えっとね、この場所は大人の人と一緒でないと入っちゃいけないの。私と一緒に外に行きましょう?」

 

 少女の手を取って促してみるが、少女の顔に変化はない。

 無理強いはあまりしたくないため周囲に看護師の姿を探してみるが、誰もいない。そもそも、女医はここに辿り着くまで誰ともすれ違っていないことに気付いていなかった。

 

 常時人がいてしかるべきナースセンターにすら、誰の姿もない。

 

「――先生」

「あら。何かしら?」

 

 少女の口から質問の答えに代わって問いかけがある。

 拒絶されているわけでないことに安堵しながら、女医は応じる。

 

「あの……あそこ、繰丘椿って書いてあるけど」

 

 少女が指さしたのは繰丘椿が眠る除菌室。

 入り口横のネームプレートには『TSUBAKI KURUOKA』の文字がある。

 つたない英語であったが、繰丘椿の固有名詞の名は滑らか。言い慣れているということは、やはり関係者か。

 

「なんで、その子はここにいるの?」

 

 少女の声は震えている。何か知ることを怖がっているようにも見える。

 答えるべきか否か、女医は逡巡した。

 この病棟のことは病院のパンフレットにも載っている。別段答えて困ることでもないが、だからといって馬鹿正直に全てを話すことははばかられるし、子供相手に小難しく説明することはあるまい。

 

「……ちょっと、身体の具合が悪いの」

 

 女医は言葉を選びながら説明する。

 

「この建物は目に見えないほど小さな生き物が原因で病気になってる人が休んでる場所なの。椿ちゃんも一年前に倒れて、ずっとここで眠っているの」

「……一年、も」

「ええ。身体に異常はないから、目が覚めればすぐに良くなるわ」

 

 少女の顔を見ながら女医は最後に希望的観測を述べてはみたが、……少女の顔は驚愕というより絶望といった色がある。

 例えるなら、死んだことに気付かぬ幽霊が死んでいることに気付いたような、そんな顔。

 

「……大丈夫?」

 

 女医のどの言葉が地雷であったのか、女医自身に判別はつかない。だが話さないというのも酷ではある。この程度の話であれば、調べればすぐにわかること。

 別段自分が話さずとも噂好きの看護師に聞けば、そこそこ口を濁しながらも嬉々として話してくれるだろう。

 それこそ、植物状態から経過観察の経緯、未発見細菌に対するモルモットであるところまで。無責任に。面白可笑しく。

 

「私……もう、帰ります」

 

 女医に対する応えなのか、少女はのろのろと長椅子から立ち上がった。

 それは女医としても望ましい行動であるのだが、いかんせん一人でこの病棟から出すわけにはいかない。

 慌てて逃げるように立ち去ろうとする少女の腕を掴もうとして、

 

「……タトゥー?」

 

 その紋様に気がついた。

 

「いやっ! 離してっ!」

 

 タトゥーに触れられて多少痛むのか、それとも触れることそのものを忌避するのか、少女の声は湿り気を帯びていた。泣かれると厄介だと思いながらも、だからといってこの手を離してしまうわけにもいかない。

 

 女医の脳裏に走ったのはこのタトゥーの原因。

 細菌感染の病気に限らないが、罹患することによって身体にタトゥーのような痣ができることがままにある。もしタトゥーの原因が病気によるものなら、急いで処置する必要がある。

 何せ繰丘椿が感染している細菌は未知の代物。何が起こるか分からないことだらけなのだ。

 

 だが、女医が少女にタトゥーを問いただすようなことはできなかった。

 何故なら女医の後ろでは黒い霧が女医に覆い被さるように蠢いていたからである。

 

 

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