Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
基地付属の避難シェルターは割と地表付近に存在している。爆撃などを考えれば全くの無意味であるが、シェルターは竜巻などの自然災害を想定されたものなので、一時利用であればこれくらいで十分であると判断されたらしい。
収容人数はシェルターひとつあたり数千人。しかし人間のライフスタイルをまったく考慮せず、通勤ラッシュの電車の如く鮨詰めに収納すれば、八〇万市民全員を収容することも不可能ではない。
数日間飲まず食わずで立ちっぱなし。空調こそ機能はしていたが、トイレにもいけない状態で衛生面が保たれている筈もなかった。過酷な状況であるが、
目の前をゆっくりと虚ろな目をしたまま前進していく市民を前に、繰丘椿は複雑な心境にあった。
『何を考えているのですか?』
椿の心境を敏感に感じ取ったライダーが声をかける。ここで黙って見過ごすのは簡単だが、次が巡ってきた時に理解者が傍にいるかは限らない。
「……私はね、ライダー。この戦争が始まって、楽しいと思ってしまったんだ」
『はい』
肯定ではなく相槌として、ライダーは応じた。
孤独であった椿をライダーが最初に癒やした。ティーネが、フラットが、銀狼が、椿の心の支えとなった。アサシンに窮地を救われ、南部砂漠地帯で
この数日間は間違いなく椿にとって充実した日々だった。幸せだと思ってしまった。こんな戦争でもいつまでも続けていたいと、心のどこかで願ってしまっていた。
「けど、それは間違いなんだなって、改めて思ったの」
改めて、と椿は言った。それはかつて、そう思ったと言うことだ。それは一体いつのことだろうとライダーは思う。
椿の目の前で倒れる椿と同年代の子供がいた。何事もないようにすぐに起き上がるが、傍らで子供の転倒に巻き込まれた老人はそのまま蠢くばかりで、起き上がることはできなかった。
体力のない者はとうの昔に限界を迎えている。残念だが、そうした者を一人一人救出していく余裕はない。せめて踏まれぬよう通路の横に運んでやりたかったが、それすらも許されることではなかった。
時間は有限だ。目の前にいる助かる見込みのない命より、すぐ傍らにいる助かる可能性の高い命を優先するのは、仕方のないことだった。
この戦争で椿はまだ人が死ぬ様を直接見たことはない。無自覚に人を殺しかけたこともあるし自覚して人を傷つけたこともあるが、それはこの戦争参加者として仕方ないと割り切って考えていた。
けれどもその考えは余りに自分本位だった。この人達は違うのだ。椿と同じように巻き込まれながらも、抗う術を持つことは許されなかった。
身体が動かぬ苦しみを椿は知っている。
時間を奪われた哀しみを椿は知っている。
自らの意志がない不条理を椿は知っている。
そんな自分が、無自覚にもこの状況を作り出し片棒を担いでいたのだ。
椿が楽しんでいた影に、無関係であった筈の彼等に犠牲を強いていたのだ。
ライダーを効率よく扱い、戦争を早期に終結させるべくもっと積極的に動いていたのなら、この惨状を引き起こすことはなかったのかもしれない。
『……椿はよくやっています。椿がいなければ、犠牲者はもっと増えていた筈です』
椿が何か重く受け止めていると思い、空々しいと思いながらもライダーは椿を慰める。
当初ヘタイロイが立てた脱出計画では市民の移動に時間と手間がかかることから、どんなに頑張ったところでせいぜい数千人の脱出が限度である。しかし椿がこの場に駆けつけたことで、市民の脱出スピードは飛躍的に向上していた。
収容されている市民にライダーを“感染”させ、その脳内に脱出のためのプログラムをインストールする。
「それは、ライダーがやったことだよ。私じゃないよ」
『椿がそう思わなければ、私が動くことはありません』
突き放すような椿にありきたりな言葉しか吐けぬ自分をライダーは嫌になる。
その気になればライダーは椿を眠らせるだけで、この身体の操作権を簡単に奪える。セロトニンを分泌させ、少し眠りを促すだけであっさりと事は成就するだろう。それは戦闘中に椿が起きぬよう昨夜の襲撃を凌いだことで実証されてしまっている。
後ろめたさから、ライダーは椿が眼を醒ましてからろくに会話もできなかった。椿にしても何か思うところがあるようで、まるで人が変わったかのように子供らしい態度は鳴りを潜めていた。
「……打ち歩詰め」
突然に口にした言葉に、ライダーは椿が何を言いたいのか分からない。
先程から椿の内心を読み取ろうと苦心しているのだが、令呪の命令で繋がっておきながら、一定以上の深さになるとまるで見えないのだ。脈拍や発汗のモニターもしているが、何故だろう、そのデータにライダーは不安を感じてならない。
『キャスターとの将棋の話ですね? それがどうかしたのですか?』
打ち歩詰め――持ち駒の歩兵を打って相手の玉将を詰みの状態にすることである。駒の動きだけを見れば別段なんの問題もない行為であるが、しかし将棋のルールとして、この打ち歩詰めは禁じ手なのである。
繰丘椿は打ち歩詰めによって、キャスターに勝利していた。
繰丘椿はルール違反によって、キャスターに勝利していた。
つまり、椿は敗者だった。
「勝つためには、何をしたっていいのかな?」
『無知が悪いのです。椿は悪くありません』
椿の質問に解答を微妙にずらしてライダーは答えた。
こんなマイナールールを将棋をさしたこともない過去の英霊が知るわけもない。周囲でゲームの行く末を見守っていたティーネや
気付いたのは繰丘椿、ただ一人。
後ろめたさを感じながら、それでも彼女は勝利を選んだ。キャスターを騙し、自らを偽った。
悪い前例を作ってしまった自覚がある。自分は今後、同じような状況に陥れば、きっと同じような間違いを選択してしまうだろう。
いや。今もまた、間違いを選択している最中か。
『椿、一度足を止めてください』
「そんな暇はないよ。私の一秒で一体何人感染させることができるのか、分からないライダーじゃないでしょ」
ライダーの進言にも椿は止まらない。
まずい兆候だと、ライダーは思う。
こうしている間にも、椿は風のような早さで基地内を駆け巡っている。ライダーは空気を介して“感染”もできるが、その効力は些か弱い。集団感染を引き起こすにはなるべく距離を縮める必要があった。
現在まで脱出プログラムをインストールし実行できるまで強く感染しているのが約二〇万人。感染具合がまだ弱くプログラムが実行できないのが約一〇万人。感染だけなら然程難しくはないが、このままだと残りの五〇万人については命令を発することもできず、その殆どが見捨てられることになる。
『椿、この短時間で五〇万人に命令を下すのは不可能です』
「けど私にできることはこれくらいなの」
ライダーの“感染”は魔術でも宝具でもスキルですらない、ただの特性だ。そこに魔力は必要としないが、脱出プログラムのインストールとなると、情報発信と情報書き換えのために少ないながらも魔力を消費する。感染者から魔力は回収できるとはいえ、そのためのフィルターとなる椿の身体には確実にダメージが蓄積される。
水滴だって長い年月をかければ岩を穿つのだ。水滴が集まり滝となれば、もっと簡単に岩は耐えきれなくなる。
分かりきった結論に、ライダーは椿を説得しながら考え続ける。天秤は、まだ傾き始めたばかり。完全にダメになる前に、手は打たねばならない。
ここで椿を眠らせることはできる。しかしこの状況下で眠らせることには不確定要素も多く、何より今後の両者の信頼関係にも影響が出る――。
ふと、今後という発想が自然と出たことにライダーは苦笑した。今日を乗り越えられる保証もないというのに、後のことを考えるなど愚かなことだ。死ぬ可能性の方が高いし、“偽りの聖杯”がなくなればライダーも消滅する可能性が高い。
椿の生存を第一とするならば、今後のことなどどうでもいいではないか。
『――椿』
「…………」
ライダーの呼びかけに椿は何も答えない。
わずか十数分で四つのシェルターを巡った椿の魔術回路は限界に近付きつつあった。
破格の性能を持つ椿の魔力回路であるが、この短時間での酷使に回路の形成を助けていた脳内細菌が死にかけている。本人に負担がないため自覚症状は出ていないが、自覚できた頃にはもう手遅れとなる。そうでなくとも、今後の椿の成長過程に悪影響が出るのは間違いない。
ここが分水嶺とライダーは覚悟する。
最後に一言、別れの挨拶をしようとライダーは意思伝達装置を操作しようとした。
椿のために自己を犠牲とするライダーの思考も結局椿と同類であるが、そのことにライダーは気付かなかった。もしかして気付けたのかも知れないが、その機会をライダーは逸してしまった。
あるいは、ライダーが選択を迫られたこのタイミングを読まれていたのかも知れない。
周囲を椿と同速で奔る銀の鎖が、視界に入った。
椿が駆けていたのはシェルター間を繋ぐ通路のひとつである。
発電施設や空調施設の間を縫うようにして簡易に設置されたものであり、通路というより足場と称した方が近い。その不安定さと周囲の危険性からこの施設内に市民は収納されていない。網目状に拡がるパイプや遮蔽物もあり、それだけに待ち構える場所としては都合が良かった。
油断した、と思う間もなく反射的にライダーは椿の身体を強化し防御を固める。しかし警戒していた鎖は椿とは異なる場所に巻き付いていた。
「――? あれは?」
ライダーに遅れて椿がその鎖に気がつく。鎖は椿の進行方向に大きく×印を作りその場を通行止めにする。これではさすがの椿も止まらざるを得ない。
敵意がないのは一目瞭然。それでいて、高い魔力の篭もったこの鎖は宝具と見迷うこともない。巻き付いた鎖を辿って後ろを振り返れば、鎖に引っ張られるように高速移動する見慣れた装備の男がいた。
「伝令です! お二人ともお待ちください!」
男の口から発せられたのは慌てたような高い声。立ち止まった椿にライダーは交代を要請するが、椿はその必要性をまだ認めなかった。
背後から現れたのは、見覚えのある顔。南部砂漠地帯で最初に遭遇した若い
砂漠地帯でも行われていた
「何かあったんですか?」
「はい、移動を中止して大至急この周辺エリアの警戒にあたってください」
かつて倒されたことがありながらも律儀に敬礼しつつ、若い
その要請に椿が歯噛みするのを、ライダーは感じ取った。
「基地内メインシャフトから地上に向けて移動震源が確認されました。状況から考えて敵の反攻作戦に間違いありません」
「メインシャフトは封鎖されてたんじゃないんですか?」
「はい。ですから、奴ら充填剤注入してまで築いた強固な壁を内側から崩してきているんです」
実に思い切った策であろう。短時間で突破できぬ壁と分かっていればそこを警戒することはない。他の場所にこちらが兵力を回したところで、封鎖されたルートを強引に突破することで、簡単に地上へ戦力を送ることができる。そうなると基地に浸透しているこちらの戦力を上と下から挟撃することができる。
それに、硬化した充填剤を短時間で突破するなど常識的には考えられない。土竜爪をはじめとして
これらを使用されると、この周辺でまともに戦えるのはライダーくらいだ。
『椿。事態が事態です。急ぎ確認する必要があります』
「……分かってるよ、ライダー」
五〇万人の市民に感染させようとするなら、先に障害となる敵を確認し排除しなくてはならない。リスクヘッジに甘く、可能性があればその最善を求めるが、現実問題として立ち塞がれば、椿はその順番を間違えない。
椿の思考に、ライダーは異論を唱えない。二人の会話も、口内での呟きと骨伝導によって行われている。目の前の男には、全く聞こえていなかった。
二人の意見は一致していた。
「じゃあ、ライダー。お願いするね」
『任されました』
そして椿の命令と同時に、ライダーは