Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
――目が覚めれば、そこには見慣れた天井があった。
目覚める直前の感覚を思い出す。
若い頃、戦闘機に乗って耐G訓練を受けたことがあったが、その時と似ている。もっとも、自分の何倍もの圧力に身体が悲鳴を上げるのは同じだが、軋む頭蓋が破裂する瞬間は二度と経験したいものではない。
「……今回の死に様は、格別だな」
署長は起きると同時に傍らへ手を伸ばした。そこに誰かいるかを確認した訳ではない。ただなんとなく、彼女ならそこにいるだろうという直感があった。
「君は、生き残ったか」
「いいえ。残念ながらアーチャーと共倒れになりました」
長年連れ添った秘書官は、当然のようにそこにいる。差し出された署長の手にミネラルウォーターと報告書を渡してくる。
この短時間で報告書を作ったのかと一瞬驚いたが、時計を見れば時計の長針は四周もしていた。
どうして早く起こさないと他の部下ならば叱責しているところだが、そこは秘書官の思いを汲んでおく。生き残れなかったということは、彼女もあの戦いで死んでしまったということだ。
精神的に疲れているのは彼女も同様。むしろ休息時間が短い分、署長より疲れている筈だ。
喉を通るミネラルウォーターは、温かった。その事実に、彼女が署長の傍にどれくらい前からいたのか分かるというものだ。
「この宝具も史実ほどではないな」
「そのようですね」
茶化すように強がる署長に秘書官も微笑して同意した。
宝具、
粟粥を煮ているわずかな時に人生の栄枯盛衰全てを味わったという『邯鄲の夢』。この唐代の故事をキャスターは昇華し、精緻な仮想シミュレーションを行う宝具と化したのである。
これにより
ただし、夢の中での怪我や死は、夢から覚めた後も尾を引きかねないリアリティがある。今ここで寝袋から起き上がることができない者は、全員夢の中で壮絶な死に方をした者ばかりだ。
肉体の疲れはゼロであるが、精神的な疲れは圧倒的である。
この宝具の試運転には留置所の犯罪者が使われた。
宝具解放時間はわずかに一〇秒。だというのに、一割がその後自殺し、二割が精神病院へそのまま入院、三割がノイローゼとなり、四割が罪を悔い改め発覚していない過去の罪まで自白してきた。その後に教会の門を叩いた者は数知れず、再犯者は皆無である。まさかスノーフィールドの治安の一端がこんなところで保たれているとは誰も思いもしないだろう。
その気になれば一瞬で数万時間を体験できる宝具である。あまりの性能に署長は慌ててリミッターを付けざるを得なかった程だ。そのリミッターの出力を見極めるために署長が一体何度この夢の世界で戦ったのか、数えるのも馬鹿らしい。
署長は既にこの宝具で三桁近くも殺されている。他の
重たい身体に鞭打ち、署長は無理を押して自らの執務室へと足を運ぶ間に報告書に目を通した。
「失敗、だな。アーチャーを倒せても相討ちでは意味がない」
目を通した資料を執務室の机の上に投げ、署長は感想を述べた。疲れ切った精神が更に疲弊していくのが感じ取れる。
署長が倒れた後は秘書官――アント1が指揮を引継いでいる。
この時点で部隊戦力は五割を切り、現有戦力での打倒を諦めたアント1は生体宝具《シュレディンガー》を解放。あらゆる可能性を内包したコントロール不可能な生物兵器によってアーチャーを倒すことには成功。ただし、その後要塞までまるごと呑み込み暴走したシュレディンガーは、空爆による飽和攻撃を受けるまで暴れ回ったという。
まったく以て、頭が痛い。
とりあえずシュレディンガーは封印だ。いくらなんでも危険過ぎる。それにこの作戦も見直し――いや、ベストな状況でこれでは、そもそも廃案にするしかない。もっと別の手を考える必要があるだろう。
それよりも、署長には思うところがある。
「……君は、どう思うかね?」
「……申し訳御座いません」
ヴィクトル・ユーゴーの手紙のように、あまりに端的な質問に秘書官は誤解することなく、顔を伏せて詫びた。
質問が分からなかったからではない。
問題点が、はっきりとしていたからだ。
実戦では足下の小石一つ、飛び出た釘の一本に至るまで、不確定要素が山ほど関わってくる。一〇〇の実力も、七〇出せれば上等と言えよう。
署長の手元にある資料の中には、各員のバイタルデータもある。アーチャーと対峙する直前まで各員のパフォーマンスは通常値よりも高くあった。それが、アーチャーと遭遇後、見る間に低くなり、最低値は通常値の三割にまでパフォーマンスが落ちている。
原因は明らかだろう。
チラリ、と秘書官に視線をやるが、秘書官は顔を伏せたまま未だ微動だにしない。
彼女のバイタルデータが著しく落ちたのは署長が死んだ直後だ。思い返せば、無謀にも彼女は確実に死ぬと分かっている状況で、署長を助けようと動いていた。一個人としてその行動は素直に嬉しいものであるが、組織として考えた時、彼女の無謀な行動は褒められたものではない。
「あまり頭を下げる必要はない。今までも言ってきたことだが、一朝一夕に直るものではないのだから」
慰めるように署長は語ってみせるが、内心では頭を抱えたいところだ。
本番である聖杯戦争は既に始まっている。この弱点を短時間で矯正するのが不可能ならば、ここで論うのもあまり良い手ではない。戦後を鑑みれば薬に頼りたくはないが、場合によっては仕方がないだろう。
少なくとも、今回の演習で弱点が明確になっただけでも良しとしなくてはならない。
「……現在、原住民達はどうなっている?」
これ以上の話題は危ないと、署長は敢えて話題を逸らしてみせる。これ以上この秘書官に頭を下げられると、男としても立つ瀬がない。
「はい。外観からは原住民達に変化はありませんが、ティーネ・チェルクの容態に変化がありました。原住民の中枢付近では鼻が利く者から動きが活発になりつつあります」
「ヒュドラの毒か」
「おそらくは」
署長の確認に秘書官は頷いてみせる。攻めるなら今とばかりのタイミングだが、それにしては解せない。
瞬殺されたとはいえ、ヒュドラと至近距離で遭遇したのだ。毒に当てられたことにアーチャーが気付いていない筈がないし、宝物蔵には解毒剤もある筈。事前に飲ませておけば、容態が急変するようなこともあるまい。
「罠か?」
欺瞞情報の流布は古来より使い古されてきた手だ。しかし署長の言葉に秘書官は首を横に振った。
「いえ、容態が急変したのは硬度の高い情報ですし、情報の秘匿レベルも高すぎます。罠として機能させるには効果的とは思えません」
そしてふと、署長はあることを思い出す。机の上に放り投げた資料に再度手を伸ばし、同時にパソコンのロックを解除して、上位権限でのみアクセスを許される資料に目を通し始める。
「何か、疑問でも?」
「ああ。アーチャーの挙動に気になることがある」
ログを確認してみれば、アーチャーは
アーチャーが盾を取りだしたのは防御のためではない。自らの姿を隠し、
「……最悪だな」
「はい。これではアーチャーの予測が的確すぎます」
シミュレートが正しいとするならば、アーチャーは一目でこちらの思惑と作戦、そして練度を見抜き、更に初見である宝具の威力を正しく推測できていることになる。それはいくら英雄といえどでき過ぎといえた。
だが、もしこのシミュレートが正しいとすれば、アーチャーが予めティーネに解毒剤を飲ませなかった理由とリンクすることができる。
些か予想の斜め上かつ最悪なことだが、ここを読み間違えると大変なことになりかねない。
「至急、アーチャーの動きに警戒するよう通達。一般隊員から原住民への接触も二十四時間の制限を加える」
「署長はアーチャーが独自に動くとお考えですか?」
署長の命令に秘書官は手を動かしながらも確認を取る。
聖杯戦争においてマスターの役割は基本的に後方支援である。前線を担うのがサーヴァントであるのだから、役割分担としては順当だろう。特に情報収集に関しては現代社会に生まれた者でなければ対応しきれるものではないし、数に頼らねばできぬことも多い。
真っ当に考えれば、アーチャーが独自に動くのはデメリットこそあれ、メリットはないのだ。
秘書官の確認に署長は即答しかねていた。
否定する要素は多い。考え過ぎと言われればそれまでだ。
ただ、今のアーチャーはマスターという束縛から解き放たれた状態にある。これがアーチャーが意図したものか確認が取れない限り、迂闊に動くこともできない。
最悪、原住民の情報が署長に筒抜けであることを、アーチャーに悟られている可能性もある。
「……可能性だ」
長く沈思しながら、ひねり出した答えはありきたりなものだった。その返答に秘書官が納得するわけもないが、納得する必要もない。何か言いたげな秘書官であったが、彼女は事務的に対応し、そのまま署長の命令を履行するべく退室していった。
退室していった秘書官の後ろ姿を思い出しながら、署長は「スマン」と呟く。長く連れ添ったからといって、何でも話すわけにはいかないのだ。
秘書官も“上”が絡んでいることに気付いているだろうが、だからといって迂闊に漏らしていい情報ではない。この地に住まう住人にプライベートが皆無と知ったところで気分が悪くなるだけで良いことなど一つもない。
“上”にとってこの聖杯戦争は檻の中で行われている猛獣同士の殺し合いでしかない。
戦中であってもその可能性は否定しきれず、戦後であれば尚更だ。
フェイズ5に移行しておきながら守りに入った署長である。その行動を“上”がどう捉えているのか気になるが、気にしていては何も始まらない。その心配は申し訳ないが秘書官に押し付けておくことにする。
できることならもう一度
仮に、であるが。
もしここで、署長が再度
この署長の余裕のなさが、夢世界でのライダーとの遭遇を回避し、結果として