Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
スノーフィールド市内、その路地裏は昼間だというのに薄暗く、腐った水と放置された生ゴミが異臭を放っていた。
市の発展と共に無秩序に形成されてきたこうした路地裏は、広範囲にわたって犯罪の温床となっている。その気になれば駆除することも容易であるが、どんなものにもゴミ箱が必要とされる場面は多い。
スノーフィールドの治安が良い理由は、こうしたゴミ箱を用意していることにあった。
人気もなく、また目も届きにくい。土地が空くたびにビルを建てるという無計画な開発っぷりで、路地が複雑に入り組んでいる。市内地図はかろうじてこの路地裏も掲載してあるが、ゴミで塞がっていたり建物の取り壊しや違法建築やらのせいで地図を作成して三日もすれば改訂が必要となるだろう。
そうした世界から、街から、日常から切り離された空間は、その上更に常識と呼ばれるものまで切り離されようとしていた。
アートと称する壁の落書きに、新たな赤い彩りが加えられる。
絵筆の如く振るわれる二刀は狭い路地裏であっても十全にその威力を発揮していた。
路地裏を疾風の如く駆け抜け、足止めせんと出現する魔術師達を次々と切り刻んでいる鎌鼬の正体は、東洋のツインソードサムライ、サーヴァント・新免武蔵藤原玄信――宮本武蔵その人である。
江戸時代初期の兵法者であり、二刀を用いる円明流、後の二天一流の開祖といわれ、生涯に六十余りの試合を行い、その全てに勝利したと云われる極東の剣聖。
偽りの聖杯戦争、その第一回戦はその七番目のサーヴァント・宮本武蔵と令呪を狙う魔術師達という変則的なカードで始まった。
わずか十分足らずでこの戦闘に参加した魔術師達は三〇チームを超え、そして今なおその数は増え続けている。聖杯戦争序盤でなければ共闘する手もあったろうに、この突発的な乱戦ではそれも難しい。
戦場は混沌としている。しかし目的ははっきりしているだけにその後の推移を考えるに難しくない。狙いとなる令呪を持つマスターが一人である以上、勝ち残るのはただの一チームのみ。それ以外は悉く敗者となることだろう。
「――っ!」
再度、二刀が振るわれる。
不幸にも餌食になった魔術師は一体何が起こったのか分からぬまま、意識を刈り取られた。仲間が倒されたことに気づけた者が一体何人いたことか。集団のど真ん中に突如現れたサーヴァントに咄嗟に対処できた魔術師は一人としていない。
「御免」
必要であれば人を斬ることに躊躇いはない。だが本意でもない。わずかばかりの謝罪を胸に宮本武蔵は一息の間に残る魔術師達を戦闘不能に追い込んでいく。
実を言えば、宮本武蔵は決して強いサーヴァントではない。それどころか、この聖杯戦争においては弱いと言ってもいい。
敏捷さこそ目を見張るパラメーターではあるが、その他の基礎能力値はかなり低く、魔力を秘めた分かり易い宝具を所持しているわけでもない。
聖杯戦争の召還とは異なる召還方法をとっているため、対魔力や気配遮断といったクラススキルも所持していない。
外国にあっても比較的知名度の高い英霊ではあるが、いかんせん知名度の恩恵にだって限度もある。
だがそんな武蔵だからこそ、たかが魔術師と侮ることもない。
実際、この場で争う魔術師のクラスは決して低いものではない。さすがに代行者クラスの魔術師はいないようだが、数で補った強さは戦い方次第でサーヴァントと相対しうるものである。
なればこそ、戦術は明瞭。
武蔵に後手は許されず、狙うべきは先手必勝。敵より早く居場所を察知し、初撃で混乱させ、各個撃破へ持ち込む。敵に先を取られぬよう個としての機動力を活かして動き回り、相手の土俵では決して闘わない。
およそ英雄英傑に似つかわしくない戦い方ではあるが、これにより六チーム二十余名の魔術師があっさりと脱落している。武蔵の後ろ姿にうまく誘導され、他の魔術師とかち合い戦闘となったチームも少なくない。
結果だけ見れば最小の労力で最大の成果を上げているようにも見える。
ただ――
その事実に、当の武蔵は決して喜んでいるわけではない。
いかに常人離れした魔術師といえど、スタンドプレイが基本である集団など関ヶ原を落ち延びた武蔵の敵ではない。当時のことを思い起こせば、この状況がお遊戯にすら感じられる。そんなものを英霊たる武蔵が誇る気になれるわけがない。
サーヴァントと相対できるのはサーヴァントのみ。
その事実に早々に気がついた――気付かされた武蔵の心境は如何程のものか。強者との戦闘を渇望するのは強者として自然のこと。武蔵とて例外ではない。
この戦場に他のサーヴァントが直接介入してくる可能性は皆無に等しい。
何故なら彼らにとって外野の魔術師は腐肉に群がる蛆のようなものだ。それが自分以外の敵へと食らいつき、その上相食もうとしているのだから文句の出よう筈がない。座して見るだけで漁夫の利を得られるなら、動くマスターなどいるわけがない。
故に、武蔵は考えていた。
この戦場で武蔵に求められる役割は二つあると考えている。
一つ目の役割は、マスターを安全な場所へ離脱させること。召還された状況が状況なだけに当然とも言えるが、戦場からの脱出だけを鑑みれば他に適した英霊はたくさんいる。あえて武蔵が召還された――選ばれた理由は、それとは別にあると見るべきだろう。なればこそ、二つ目の役割は、マスターへの貢献にあるべきだ。
幸いなことに、二つの役割について武蔵は何の制約を受けていない。自ら考え実行することが許されている。
武蔵召還より25分――弱い故に魔力効率の良い武蔵である。この調子ならばあと5分といわず15分はなんとか現界可能であろう。戦場は武蔵の手によって十分以上に混沌としており、あとは賞品となるマスターが不在であっても互いに勝手に殺し合ってくれることだろう。戦線を離脱する魔術師が多ければ多いほど、後々のマスターの障害は少なくなる。
ここが境界線。
これ以上戦闘を続ける必要性はあまりなく、
これ以上戦場に居続ける意味もさほどない。
つまり、この引き際である七度目の襲撃は唯一、武蔵個人の意思によるもの。
これを武蔵の我欲ととるのはいささか早計であろう。何せ、武蔵は最後の最後で当たりを引くことに成功したのだから。
「――ほう」
思わず、感嘆の声を武蔵はあげた。
七度目にして武蔵が狙った獲物は三匹の怪物だった。
一人は怖気るような気配を振りまく魔術師で、
一人は怪異の如き殺意を抱く娼婦のような黒い少女、
そして最後の一人はそんな二人に囲まれて平然としているだけの青年。
狭い檻の中で二匹のライオンは互いに威嚇し合い、ウサギは隠れもせずに暢気に遊んでいる――そんなちぐはぐな印象が相応しい。
一見しただけの武蔵にとってこれがどういう状況なのか皆目検討がつかなかったが、まずは明らかな脅威であるライオンを仕留めようとするのは自然なことだろう。
そして七度、狭い路地裏を武蔵は一息に駆け抜け――そして目標を見誤ったことに遅ればせながら気がついた。
武蔵の一撃によって、魔術師が倒れ伏す。
白目を剥いたその相貌からして既に意識はなく、その怪我の有様は即死していないと言うに過ぎない。放置しておけば程なく死ぬだろう。そしてその魔術師の背を踏みつける形で武蔵は尚もこの状況を信じられずに――その余韻を楽しんでいた。
武蔵が振るうは二刀――故に同時に相手にできるのも刀の数と同じである。だというのに、計算が合わない。二刀を振るったというのに、倒れたのは、ただの一人。
武蔵のもう一刀は、どこにでもあるようなナイフ――それも女子供が果物相手に使うようなナイフによって受け止められていた。
切っ先はナイフの半ばまで食い込み、もはや武器としてどころかカトラリーとしてすら用をなさない。幾人もの魔術師を違わず斬り裂いてきた必殺の一撃が、かような少女の細腕に防がれた事実に、武蔵は歓喜せずにはいられない。
「その技、誰ぞ指南されたか」
「さあ。知らないわ」
武蔵の歓喜に黒い少女は素っ気なく、応じてみせた。
防御というものは、素人が考えるよりもはるかに難度の高い技術である。先んじて放たれた一撃を何の工夫もなく正面から受け止めるだけでは、純然たる物理学に則って弾き飛ばされるのがオチだからである。
武蔵の持つ武器は確かに宝具ではない。しかしながら、切れ味鋭い日本刀であることに変わりはない。下手な――というよりよほど上手く衝撃を受け流さねば、ちゃちなナイフで日本刀を受けることなどできよう筈もない。
名残惜しみながら、武蔵は魔術師を貫いていた刀を引き抜き黒い少女を横に薙ぐ。これを受け止めるのは黒い少女の力量からすれば難しくないが、刀を濡らす魔術師の血糊が少女の顔めがけて飛び散った。
視界を奪われることを嫌ったことで両者の拮抗は崩れ、黒い少女は大きく後ろへと後退した。間髪入れず一刀を投擲することでその追撃とするが、黒い少女はあっさりと片腕を盾にその一撃を防ぎきる。
この近距離、鋼鉄すらも射貫くであろうその威力をもってしても、どうしてかその華奢な繊手の掌から肘までしか貫けない。
更にその身をもって吶喊をしかけることで三撃目とすることもできるが――武蔵はあえてそれを選ばず、その場に留まることを選択した。
「……情けをかけたつもり?」
「ここで追い打ちをかけるは無粋に過ぎる」
黒い少女の背後、そこには武蔵がウサギと例えた青年がたたずんでいる。一連の攻防についていけていないのか、この状況に合って未だに構え一つ取ることもせず、それどころか危機感を抱いている様子もない。
黒い少女が武蔵の投げた一刀を受け止めねば、今頃青年の首は胴から落ちていたかもしれないというのに。
「フラット、治療を頼む」
「え? あぁ、うん」
黒い少女は掌から肘まで貫通した刀を無造作に引き抜き捨てると、ものの数秒で元の状態へと再生が果たされる。さすがにここまで無茶な回復となると、生身の人間であるとは考えにくい。
「随分と珍妙な業を持っているようだ」
「……慧眼、恐れ入る限りだ」
ただの人間ではそうそうお目にかかれない技巧と、異常な回復力、加えてわざわざ庇いだてした背後のマスターらしき人間――ここまで状況証拠が出そろえばこの少女の正体がサーヴァントであることは確実。
問題は、この近距離であっても、黒い少女を武蔵はサーヴァントとしてはっきりと認識できていないことか。ステータスを隠蔽する偽装能力というのも過去にあったと言うし、そもそもサーヴァントと認識させない能力があってもおかしくはない。
しかも、それだけでもない。
武蔵は目線を逸らすことなく黒い少女と周囲に七対三で気を配る。戦闘になればこの配分は致命的ともなりえるが、仕方がなかった。
奇襲とは相手に悟られることなく一撃を入れるための策である。いかに実力があろうとあっさり防がれるほど、武蔵の奇襲は生温くない。
偽装能力だけでも大した能力であるが、最低でもあと一つ、この黒い少女は何らかの宝具やスキルを用いている筈である。だが、注意して見てはいるものの、その手がかりとなるものは見当たらない。
黒い少女はもはや使い物にならなくなったナイフを捨てて、懐から新たなナイフを取り出し両手に構える。武蔵も空となった片手に新たな得物を手にすべく壁に這っていた鉄パイプを斜めに寸断して即席の短槍を拵えた。
武蔵が片手に持つ一刀は別として、両者が構える得物は聖杯戦争にしては珍しい、殺傷能力の低い武器である。常人を遥かに超えるサーヴァントの肉体に対して、致命打を与えにくいナイフは戦闘向きでなく、元が鉄パイプである武蔵の短槍は錆によってその強度すら怪しい。
黒い少女が左足を前に出し、ナイフを胸の前で構える。
敵に晒す面積を減らし、身長差を意識した防御の構え。準備は整ったぞ、と姿勢で示す。後は、武蔵が攻めるのを待つばかり。
これはあからさまな挑発であろう。
「面白い――」
思わず漏れ出た言葉に、武蔵はつい背中の荷物を忘れそうになる。
目的すら忘れて、戦いに没頭したくなる。
ならば、許される範囲で楽しむことにしよう――
思考と同時に、武蔵の足が、地面を噛む。
既に初撃で武蔵は手の内を晒してしまっている。これではもう意表を突くことは難しいだろう。達人相手に二番煎じは通用しない。むしろ愚策とすら言える。
だからこそ、楽しむにはもってこい。
武蔵の愚策に、黒い少女の動揺が空気を介して伝わってくる。黒い少女の視線が、武蔵を追ってわずかに角度を上にとる。
かつての聖杯戦争では高層ビルの壁面を舞台とした戦いもあったらしい。
サーヴァントといえども重力の影響を受ける筈だが、垂直であれ逆さであれ、腿力を込めて踏める足がかりさえあれば、何の問題もない。人を圧倒するパワーを持つサーヴァントにとってその程度のこと得手不得手はあるにしろ、決して不可能ではないのだ。
だが、ここは鉄筋が幾つも入った高層建築の固い壁面ではなく、路地裏の汚く脆い違法建築だらけの襤褸屋である。足場を探すのに困ることはないが、少し力を入れただけで穴が空くこと請け合いである。
スピードを得るため力を込めれば足場を壊しかねないし、かといって力をセーブすればスピードが得られず、とても戦闘どころの話ではない。避けようのない空中で闘おうとするより、盤石な地面を支えに全力を出した方がサーヴァントにとって遥かに闘いやすいといえよう。
こんな場所で戦闘を可能とする程の三次元機動を行うサーヴァントなど――
宮本武蔵をおいて、他に誰がいようか。
足場となりうる場所を瞬時に判断する見識眼、肉体への力配分を最適値に設定する制御能力、移動に伴う空気抵抗を殺しながら逆に利用すらする曲芸機動――並のサーヴァントであれば選択肢にすらあがらぬ下策である。
そんな下策ではあるが、これにより武蔵は多くの魔術師を無防備な頭上から奇襲することに成功していた。黒い少女には防がれたものの、頭上の優位に変わりはしない。
思い出して欲しい。第五次聖杯戦争時、武蔵のライバルと名高い佐々木小次郎は、地力で圧倒的に勝るバーサーカーをして地形の優位とその技量だけでついに突破せしめぬ快挙を成し遂げていたことを。
「――参る!」
一声叫び、さながらピンボールが壁に跳ね返るが如く、武蔵は宙へと舞い踊る。跳躍と飛翔を織り交ぜた立体的な疾走をもって人の形をした稲妻は黒い少女へ襲いかかった。
……もし、ここで無理にでも二人の勝敗を占おうとするならば、それは両者とも切れるカードに何があるのかによる。
武蔵の奇襲を黒い少女は一度防ぎきっている。しかも今度は奇襲ではない。
武蔵にとっても、先と今では事情が違っている。対象は二人ではなく一人である。
そして両者とも、鬼札を出していながらその実は伏せられたまま。
果たして、勝利の女神は誰に微笑んだのか。
最後まで地に立っていた者か、
漁夫の利を得たつもりの者か、
全て目論見通りと笑った者か。
決着は――