Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
変化は目に見えて分かり易かった。
ティーネは椿の身体を抱きしめながら、周囲をゆっくりと見渡す。
一日中夜であるこの世界であっても光源は多いが、それでも埋め尽くせぬ闇は確かに存在している。そしてティーネはその闇が、徐々に広がっていくのをハッキリと確認していた。
周囲に満ちる名状し難き瘴気。熱くもあり、寒くもあり。放置された水槽が放つような湿った汚臭が蠢き犇めいていく。這いずり忍び寄る気配を感じながら、それでも周囲は静寂に満ちている。
ランサーもそのことに気がついたのだろう。やや手こずりながらも何とか五人の傀儡を無力化し、慌てて上空へと飛翔していく。
月をバックに槍を持つその様はまさしく天の御使いであり、反対に地面に蠢くライダーは地獄の亡者を彷彿とさせていた。両者の関係を考えればあながち間違ってはいないだろう。
身震いしそうな寒気が、自然と襲ってくる。両者が漲らせる魔力が遠く離れたティーネ達にも伝わってきたのだ。
先に仕掛けたのはライダーだった。
ティーネには町が海と化し、波がうねったように見えた。
極玄の塊。
普段は霞となって宙を漂うだけというのに、その濃度が最大限に圧縮されると、こうも粘性を持った重油へとライダーは変質する。重油の例え通り、そこに火を放てば燃え盛らんばかりの本性が発揮される。
これこそがライダーの本性にして本能。小細工など元より考えず、ただ死を振りまくだけの単純な呪にのみ染められた、ただの物量。街全体を呑み込む圧倒的な魔力量を力任せに相手にぶつける、宝具ですらない突撃。
ライダーが震える。ただそれだけで、それを眺めるティーネの全身は自然と瘧がついたように震えが止まらない。
別にライダーは何もしていない。これは、人類のDNAに刻まれた『死』が自然と表層に表れただけに過ぎない。
顕現しただけで世界を浸食するライダーは、全てを捨て去りながらも標的となる存在だけは忘れはしなかった。
消耗したとはいえ、未だライダーの魔力量は他のサーヴァントをまとめて足しても桁違い。そして迫り来る魔力の波は足元濡らす細波などではなく、高さ一〇〇メートルを優に越す大海嘯である。故に受け止めるには土台無理であり、全方位からの強襲はランサーに回避を許さない。
これは単なる魔力による攻撃などではない。魔力そのものが本体ともいえるライダーにとって、これほどの魔力を動員した強引な手法は最終最後の自爆攻撃。攻撃が成功してもしなくても、残った魔力がゼロに近ければライダーは自らを維持できず消滅することになる。
「ショウブダ、ランサー」
「ははっ! その気迫、嫌いじゃないよ、ライダー」
どこから放った声なのか、全方位から聞こえるライダーの声にランサーも応える。
「やはり君との決着はこんな形になると予想していたよ」
そんな危機的な状況に合って、ランサーは涼しげな顔で自らを取り囲む闇色の粘塊を一瞥する。何者をも屈服させる病を前に、ランサーは小細工など用いない。
同じ土俵に上がったのは、むしろライダーの方だった。
「その物量こそ君の最たる武器だ。だが、それは僕も同じこと――!」
そして、ランサーは自らの宝具の封印を解いた。
七つの頭を持つ不定なる竜の槍が、その姿を七色の輝きへと変えていく。
封印を解かれ、主の命令の声を今か今かとその槍は猛っていた。龍が一つ解放されるごとに光は色を帯び強くなり、雄叫びの如き共鳴が響き渡る。余りにも巨大なその身を無理に縮め、狭きこの隠れ身から現世へとその姿を顕現させてゆく。
七色の輝きはそして最後に、混じり、濁り、濡れ光るような漆黒へと昇華され行く。
同じ黒であっても、両者の黒が交じり合うことは有り得ない。
最初に零れ落ちたのは、小さな一滴。
だがそれは決壊するダムの最初の一滴に過ぎなかった。
「――さあ、始まりの時間だ。全てを呑み込み地に満ちよ!
創生の名を刻みこめティアマトよ!」
主人の声に、ティアマトは声なき歓喜の咆哮をあげる。
これこそがあらゆる生命の原典、生命の記憶の開始点。
我ら生命が一体どれほどの年月を掛けて今日まで生きてきたのか、その記録は全てティアマトへと保存されている。
滴の一粒一粒が生命の記憶であり、死の記録。
その力は確かに積み重ねられた有限なれど、果てはない。
それは確かに全ての魔術師が欲して止まぬ“根源の渦”と同質の存在。
原初の海水は進化の歴史に連なるありとあらゆる生命を内包する。この水に触れた存在はこの星の生命である以上、決して抗うことを許されず、最終的に触れた存在を自らの一部と化す強制権を持っている。
世界を切り裂いた剣が乖離剣であるのなら。
生命を切り裂いた槍が創生槍――。
それが今ここに、振り翳された。
「――
ティアマトから決壊するように放たれる濁流は、ランサーを呑み込まんとするライダーと拮抗する。
だが所詮はただの魔力。そしてただの疫病。全ての生命、全ての進化を内包したティアマトは、全てにおいてライダーの上位存在。例えどんなに強化し魔力を集めようとも、ライダー如きちっぽけな存在が受け止められるほど小さなものではない。
時間が止まったかのように拮抗したのは、ほんの一時に過ぎなかった。
ライダーという器に注がれたティアマトの濁流は、あっけないほど簡単にライダーという器にヒビを入れ、次々と決壊させてゆく。
街を呑み込むライダーではあったが、世界を埋め尽くすランサーに勝てる道理などどこにもなかったのだ。
押し負け倒れゆくライダーに追い打ちを掛けるように、ランサーはライダーをティアマトが放つ原始の海の底へと力尽くで押し沈めていく。
周囲を見渡せば、ティーネ達がいる隔離病棟以外は全て混沌の海へと還った。海から時折巨大な暗闇が立ち上がり、ライダーが最後の力を振り絞って抵抗しているのがわかるが、それもまた時間の問題。
スノーフィールド全体を覆い尽くさんばかりの暗闇は、その最後の力すらも尽き、混沌の海原に静かな凪が訪れていた。
決着は、ついた。
これ以上にないほどランサーの完全勝利であり、
これ以上にないほどライダーの完膚無き敗北だった。
「――やれやれ。僕としたことが、意外と手こずってしまいました」
翼を収め、ティーネと椿の傍に降り立つランサーは当初見た時よりも幾分小さくはなっていたが、それでも二人を一瞬で屠るだけの余力はあった。
「いやだな。警戒しなくても結構ですよ」
にこやかな顔ではあるが――その視線はライダーのマスターである椿に向けられている。その手にはまだ令呪一画があり、つまりはまだこの混沌の海の底でライダーが完全に消滅していないことを意味している。
もはやライダーが起死回生の一手を持っているとは思えないが、万が一、億が一、無限に一つの可能性はある。
「この子を殺すのは、止めてもらえますか」
「それが一番手っ取り早い方法なのは御存知ですよね?」
ランサーの確認にティーネは黙って頷く。ティーネの服を握り締める椿のその手を、ティーネは優しく包み込んだ。
「見逃して貰えるのなら、面白いものをお見せしましょう」
「へえ?」
ティーネの言葉にランサーは興味津々と言った風に頷いてみせる。
「では、つまらないものであれば、斬り殺しても構いませんね?」
「………」
ランサーの冗談とも本気とも取れる発言を無視しながら、それでも虚勢を張ってティーネは視線の先を海となったスノーフィールドへと向ける。
ティーネとフラットによって既にこの病院の地下付近が怪しいことは発覚している。あとはどこから侵入し何があるのか確認するだけだが、ランサーとライダーの戦いでその確認の手間が省けた。
上層にあった建物がなくなれば、あとは地下だけ。その地下もランサーの一撃に浸食され、もうじき底部を露出させることだろう。
おそらく地下に設置されているのは――この偽りの聖杯戦争を開催することになった“偽りの聖杯”そのもの。
さすがにこの海の中に飛び込み調査するわけにはいかないが、地下施設を軒並み浸食していった海水は程なくしてその正体を浮かび上がらせる。地下に広がる大空洞に安置される“それ”を、赤裸々に暴いてみせる。
「――は、こ?」
最初に感想を述べたのは椿。直方体のその形は大きさこそ一〇メートル近いものだが、確かにそれは箱と呼べる代物だった。
声こそ出さなかったが、ティーネにはその箱の正体に心当たりがあった。だがそれがこの箱なのかと問われれば、分からないとしか言いようがない。確かめる術も皆無である。
椿に至ってはそれが一体何なのかまるで分からず、ただその様子に見入るだけ。
二人して詳細を掴めぬ中、そうではない者がここに一人いた。
「まさか……いや、そんな……ありえない!」
先ほどまであれほどの強さを誇示してランサーだというのに、その動揺具合は見ているティーネが不審に思うくらいに酷いものだった。
あれがこの偽りの聖杯戦争の元凶。
なまじ確証が持てなかっただけに、ランサーの様子にティーネは確信を深める。
「ランサー、あなたはあれが何か、知っていますか?」
「……あれは、……“終末”、ですよ」
探るようなティーネの問いを、ランサーは斟酌する余裕もないようだった。
もうこれ以上直視に耐えられないとばかりに踵を返したランサーは、吐き出すようにティーネの問いに答え、そのまま階下にいる筈のマスターの元へランサーは歩き始める。
すでに落ち着いてはいるようだが、その背中にはあらゆる思いが交錯しているのが分かった。
「お気に召しましたか?」
「……面白いものとはとても言い難いですね。ですが、つまらないと大それた事は言えそうにない。いいでしょう。この世界からマスター共々脱出できるのであれば、見逃しましょう」
「心配は無用です。この夢の世界をあなたの海が満たしました。飽和状態になったこの世界は数分もすれば維持できずに崩壊することでしょう」
「そうですか」
ただそれだけ頷いて、槍のサーヴァントはティーネと椿の前から姿を消した。性格からしてマスターの介護について礼を言うかと思ったが、それを相殺しても余りある仕事だったらしい。
もしくは、未だ動揺しているだけなのか。
今ここでランサーを追いかければ、もっと色々と情報が得られそうである。けれども、ティーネの手は椿を抱きしめるために使わねばならなかった。
ティーネの思いを、椿は敏感に感じ取る。
「お姉ちゃん……もうすぐ、いなくなるの?」
「ええ、そうね。フラットはこの世界を飽和させるものがあればすぐにでも、と言っていたわ」
ライダーもそのことを狙って最後の大勝負に出たのであろう。
ライダーにとって、この世界を埋め尽くし壊すことができればそれで良かったのだ。第一の令呪、第二の令呪、それぞれに逆らうことなく椿の命令を遂行しようとしたからこそ、あんな無謀な賭けに出たのだ。
生き残るだけなら、もっとマシな選択肢などいくらでもあるというのに。
この混沌の海のどこかに、まだライダーは生きている。だがそれも時間の問題だ。椿が作り出したこの世界が崩壊するまで、ライダーが生き残れる保証はない。
「もう、会えない?」
「いいえ。現実に戻ったらフラットがあなたを起こしに行くからすぐ会えるわ。そうね。できればその時にでも、さっきの答えを聞かせてちょうだい」
「家族になるってやつ?」
「そう。私の妹になってくれると嬉しい」
そういって抱きしめるティーネに椿はまだ困惑したままであったが、椿の両手はティーネの腰にしっかりと抱きついていた。
この椿の夢の世界が消失するほんの数分ではあったが、二人はそうして抱きしめ合っていた。