Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
「こんなことが本当に実現可能なのですか……?」
思わず声に出しながら、何度も何度もその決して薄くない資料を読み返した。
十分、二十分と時が無情に経過していくが、書かれている内容はちっとも変わってくれない。それどころか、細部まで読み込むことでこの計画の胆となる部分も見えてくる始末。
この資料にリスクとリターンは具体的に書かれていないが、確かにこれはハイリターンだ。そしてある程度の知識があれば、超ハイリスクであることも読み取れる。
アメリカ国内にあるとある秘密大学の秘密大図書館の秘密地下書庫――その更に地下にある大深度秘密資料室にて、青年は柄にもなく青ざめていた。
従軍時代に紛争地帯で敵陣の只中に置き去りにされた経験もあるが、ここで知りえた事実の方が青年に与えた衝撃は遙かに大きい。
「納得してもらえたかね?」
目の前にいる講師はじっくりと時間を掛けて青年を観察していた。それこそ、この部屋のドアを開けて一時間以上資料を読み耽っているその姿を子細に。飽きもせず。愉しげに。
「納得なんて……」
できるわけがない。
それでも露骨に反論できないのは、青年が駆け出しながらも魔術師であるからに他ならなかった。
目的に対して貪欲であり、犠牲を顧みず、そのためならばどんなことだって行う魔道への歩み。
まだその道に入って日は浅く、代も重ねてすらいないため魔術刻印すら持ってはいないが、彼には魔術とは全く関係のないところで生まれ持った才覚があった。しかもこの計画であれば青年は長年無縁と思ってきたその才覚を生かすことができ、駆け出しの魔術師でありながら大成することが約束される。
命を賭けるという覚悟は必要ではあるが、リスクの大部分は他人が肩替わりしてくれるし、リターンに関しても人生を十回やり直してもお釣りがくる。同時に、本来なら十代かけて積み重ねるべき血統すらもここで手にすることができる。これは並の貴族でも得られるモノではない。
喉が渇いてしょうがない。
こんなチャンスが今後あるとも思えず、そして断れば消されるだけ。消されるのが記憶か人生かは知らないが、資料を見せた講師は青年が引き受けない可能性を欠片も考慮していない。
「質問をしても、よろしいでしょうか?」
「何かな?」
「何故、自分が選ばれたのでしょうか?」
「ふむ。魔術師にとって自惚れとは大切だよ? 自分に自信が持てなければ魔道を歩もうなどとは思わないからね」
その言葉はまるでお前は魔術師に向いていないとでも言っているようにも聞こえるが、そうした他意は講師にはない。もとより青年に頓着していないようにすら見える。
「だが強いて言うなれば、君が候補者の中で最も選考基準を満たしていたからだ」
「選考基準について伺ってもいいでしょうか?」
「身元が確かであり、従軍経験もあり、一定基準の魔道を修めている。ああ、ついでにいうとそうした合格者は他にもいるが、計画中枢にいる人物として声をかけたのは君だけだ。最大の理由は分かっているとは思うがね」
「………」
嘲るような講師の物言いに、青年は何も言うことはできない。
計画の初期段階に対サーヴァント部隊の育成が含まれている。そして青年が持つ才能とは、即ち魔術師の育成に他ならない。
最近有名となりつつあるロード・エルメロイⅡ世と比べると見劣りするのは確かだが、青年であれば『戦闘技能を持った魔術使い』に限った育成で彼をも凌ぐ実力を持つ。白羽の矢が立つのも当然であろう。
既に青年はその歳で己より遙かに高位の魔術師を更なる高見へ送り出したことがある。それがかつての部下であったことも含めて調査は進められていた。というより、その元部下がこの計画に青年を推薦した可能性も高かった。
若干の背景が分かってくると、余裕が少なからず出てくるものだ。落ち着いてこの計画を見直せばこれがどれほどの規模のものなのか予測もできる。
スノーフィールドにおける“偽りの聖杯戦争”計画。
元は別の計画に利用される筈だった“偽りの聖杯”を冬木の聖杯戦争を参考に作り替えた模造品。
こんなことが計画されていると知れば協会と教会、双方が黙ってはいないだろう。よく今日まで彼らの網にかかることなく騙し仰せたものだと感心すらする。
寒いくらいの地下書庫だというのに、冷や汗が頬を伝って滴が落ちた。
静寂の中に跳ねる水滴は自分の無力さを感じさせた。
「……再度、お尋ねします。これは、本当に可能なのですか?」
「可能だからやるのだろう?」
呆れたような物言いではあるが、やはり講師は青年を諦めさせるつもりはない。
「これは……世界を滅ぼしかねない――いや、世界を滅ぼすものです」
もはや言葉を言い繕っても仕方がない。
願望機として世界の破滅を願えば世界を破滅させる、というものではない。これは、世界を滅ぼす単一機能しか持ち得ない。ありとあらゆる保険を掛け、その機能の一端を解放するだけにしても、万が一の可能性で世界は滅びることになる。
その可能性を多いとみるか少ないとみるか、それは個々人によるだろう。
「だから失敗しないように、計画が立ち上がったのだろう? まあ、僕はオブザーバーとして、可能だ心配はないこの手に乗らない手はない、と耳障りの良い美辞麗句を囁いただけだけどね」
そんな講師の言い方に一体“上”がどれほどリスクを理解しているのか疑問が残る。
大方、この文字通り桁違いのリターンだけで押し通す腹づもりなのだろう。この様子では根回しは終了し予算も組まれていたとしてもおかしくはない。
「……先生は、この計画に参画されないんですか?」
考えてみれば、この講師がただのオブザーバーというのも納得のいかない話だ。自分よりもよっぽど魔術師らしい魔術師は、魔術師らしく己の欲望に正直だった。
「馬鹿かね君は。船名がタイタニックなんて豪華客船に乗るわけないだろうが。美味しいとこだけ戴いて不味いところは人に押しつける。それが世間の常識と我々魔術師の常識の共通点だろうに」
「先生らしいです」
通用しない皮肉に嘆息して、もう一度資料に目を通す。
これ以上この講師に質問したとしてもどれほどの答えが返ってくるのか、逆に底が見えた。だからこそ、そのギリギリの質問は今のうちにしておく必要がある。契約書にサインしてしまえば、今後この講師と話す機会もないだろう。最期の時に暢気に茶飲み話できるとも限らない。
「先生、契約をする前に質問しますけど」
「ん、何でも聴いてくれ。答えられる範囲ではあるがね」
「もし、自分が失敗した場合、どうなりますかね?」
そこで講師は一瞬だけ呆けた後、今まで一度として見たことない大爆笑を青年の前で数分間見せ続けた。
青年としては至極まともな質問ではあったが、講師は一流の冗談だと思ったらしい。まあ、軍人崩れの魔術師が真面目な顔して問うてくるのだ。答えは知っていて当然だし、わざわざ聞くようなことではない。
結局、講師は青年の質問には答えなかった。
そんな会話があったことを、署長はうっすらと夢の最中に思い出していた。
あれが一体何年前の話だったのか定かではない。全ては自分の妄想で、ひょっとすると自分はこの計画のために造られたホムンクルスではないかとすら思う。滑稽だとは思うが、絶対にないと言い切れないのがこの業界の怖いところである。
意識の覚醒は瞼の開閉よりも早かった。時間帯を腹具合や喉の渇きで推測しようにも、昨今の疲れと不摂生が祟ってまるで分からない。だが幸いといっていいのか分からないが、ロープによって拘束された両手足の硬直具合から数時間以上、半日未満と推測できる。
おそらく途中までは両手首と足首をくっつけるように縛って逆エビ状態で搬送していたのであろう。そのせいかどうにも背骨が悲鳴を上げてならない。
重い頭を無理矢理回転させて耳を澄ませる。猿ぐつわも目隠しもされてはいない。自然な動作でわずかな音を出しその反響を頼りに部屋の大きさを推測するが、これはどうにもよく分からない。小さいようにも思えるし、大きいようにも思える。
だがそれでも迂闊なことを署長はしない。慎重に慎重を重ねて周囲の情報を視覚を除いた四感で収集する。
部屋の中には……誰も、いない。
そう結論を出したのは約五分後。ゆっくりと薄目を開けて顔を動かさない範囲で周囲を探り、安全だと判断してからはまずは目に見える足首の縄を確認する。ロープの巻き数が多いほど緩めやすく縄抜けの余地が生まれるが、しかしこれはどうにも難しい。戦友の中には関節を外して脱出する雑伎団のようなやつもいたが、あいにくと署長にそんなスキルはない。
「ちっ、なら……」
と、背中に位置する手首を縛るロープをベッドとの感触で確かめようと上を向くが、
「よう」
実に自然な態度で、視界の隅でキャスターが椅子に逆座りしながら顎を背もたれに乗せ、右手を軽く挙げて挨拶してきた。街中で偶然出遭ったかのようなさり気なさだが、そんな偶然があるならこの世は即座に滅びた方がいい。
「……悪趣味な奴だな。いつからそこにいた?」
「多分マスターが起きる五分くらい前からだ。だから一〇分くらい前からかな?」
いつ起きたのかもキャスターにしっかりと確認されていた。就寝時と起床時の見分け方として唾液の嚥下量というものがあるが、そんな喉の動きでも見ていたというのか。相当な暇人である。
「演技かどうかは見てりゃわかる。仮にも俺は劇作家だぜ?」
普通の劇作家は現場に出て役者の見立てをすることはない。それは監督の仕事だ。
「……いや、嘘だろ」
「反応が遅いな。いつもならもっと早くに突っ込みが入っている頃合いだぜ?」
「おかげで目が覚めつつあるさ」
重い頭を自覚する。これは魔術などではなく薬禍によるものか。だとすれば自己制御をいくら徹底しようが身体のどこかから必ずボロはでる。演技が無駄である以上、ここからは捕虜として動くべきか。
……だからといってジュネーブ条約に基づき認識番号を言ったところでどれほどの意味があるかは不明である。今までの経緯を考えれば無意味でしかない。
署長が誘拐された以上、
元々猫の鈴として“上”に押し付けられた経緯のある男だ。反目せずとも信頼関係などあるはずもなく、署長を助け出そうと動くような殊勝な男ではない。むしろ今後発生するであろう責任問題を署長に押し付けるべく、積極的に署長を殺しにくることだろう。
味方は一気に敵となった。
秘書官を含めた腹心数名ならなんとかまだなるだろうが、署長が副官の立場であったのならとっくに拘束するか餌として野に放つかの二択を考える。
状況確認は終了した。
もうこれ以上になく詰まされている。三手詰めというところだろう。初心者にも易しいレベルである。
「……しかしわからんな、キャスター」
「ん? 何がだ?」
解せない、と署長はキャスターを睨み付ける。
――何故、裏切った?
――敗色濃厚だぞ?
――令呪はまだ一画残っているぞ?
署長の脳裏に数々の質問が思い浮かぶが、その全ての答えにキャスターは笑ってこう答えるだろう。
――その方が、面白いだろ?
そんな決まり切った答えを聴きたくて質問するわけではない。分かりきっている答えなど、傾聴に値しない。
署長が理解できないのはただ一つ。
「お前は、裏方でこそ活躍するサーヴァントだ。何故表に出ようとする?」
劇作家は名声こそ手にすれ舞台に上がることはない。スポットライトの当て方に口を出しても、スポットライトの中に入りたいわけではないのだ。
キャスターは組織という手足があって、初めて活きるサーヴァントだ。例え他のサーヴァントと同盟を組んだとしても、彼本来の実力が発揮できるとは到底思えない。
「あー……それか」
痛いところをつかれたなぁ、とばかりに後頭部を掻くキャスターは教師に叱られる悪ガキの態度によく似ていた。
痛む腰に力を入れ、足を振り上げ下ろす力で上体を起こす。これで視線の位置が同じになった。わずかではあるが、キャスターにはプレッシャーになったことだろう。案の定署長から目線を逸らしてみせる。
元から嘘吐きのキャスターではあるが、嘘をつかずに黙るのはまた珍しい。
「……つまらねー人生より、面白い人生の方が良いと思ったから、かな?」
「なんだ、存外つまらん理由だな」
「ほっとけ。俺だってもう少し傍観者でいたかったさ」
そう言ってキャスターは自然に席を立った。そしてそのまま部屋を後にしようとするキャスターに思わず声が出る。
「おい、私に何か話が合ったんじゃなかったのか?」
「いや、今のとこ何もねぇよ?」
あっさりと告げるキャスターの言葉に嘘はない。では、何故ここにいたのか。
「ただ、一応俺はサーヴァントでアンタはマスターだ。状況は変わっても関係が変わってないことは理解しておいて欲しくてな」
十二分に関係は変わったように思えるし、無理矢理変えさせたのはお前だと言いたいところだが、キャスターの中ではここで自らが上位に立ったとは思っていないらしい。
「俺が説得する必要もなく現状を正しく認識してくれているようだから、俺から言うことは何もねえのよ」
「私はまだ色々と聞きたいことがあるし、待遇の改善を求めたいのだがね」
皮肉気味に手首に巻き付けられたロープを見せつけるが、キャスターとしてはこれ以上ここにいるわけにもいかぬらしい。
「そのロープはもうじき外すよ。その前に兄弟に会わせたい人物がいてな」
「誰が兄弟だ。……それで、一体誰に会わせてくれるんだ?」
うんざりした様子で署長は一応の突っ込みを入れつつ、キャスターに探りを入れてみる。
キャスターは気分屋ではあるが、それでいて計算高い男でもある。裏でこっそり裏切るならともかく、ああも真っ正面から堂々と裏切る真似を簡単にする男ではない。その行動には必ず意味があり、意義がある筈なのだ。
自然と、署長は身体が強ばっていることに気付く。
これから会う者が誰かは知らないが、このキャスターをして裏切らせしめた者である可能性が非常に高かった。そんな者が只者である筈がない。
いいだろう、と自由の利かぬ手足であっても背筋を伸ばす。舐められればそこで終了する恐れすらある。すでに元の鞘には戻れぬ身、生き延びるためならなんだってするしかない。
だがそんな署長の気構えも、キャスターによって粉砕される。
「ああ、気構えなくてもいいぜ。今から会うのは確かにこの偽りの聖杯戦争での重要人物かも知れないが、本人に自覚がないからな」
「……どういうことだ?」
「つまりは、こいつ、だよ」
キャスターが開け放ったドアの先には、一人の……東洋人がいた。
「この“偽りの聖杯戦争”におけるイレギュラー。七番目のサーヴァント、宮本武蔵の元マスター様だ」
キャスターの紹介に、署長は自らが何故誘拐されたのかを悟った。
パワーバランスや、情報を引き出すために署長は誘拐されたのではない。
この“偽りの聖杯戦争”の裏を知っている者として、現状を分析するアナリストとして、署長は誘拐されていた。
「は……、はは、……ははは、ははははははははははっ」
思わず、笑いがこみ上げてくる。
既に諦めていたとはいえ、これは想像以上のカードを引いてしまった、と署長は込み上げる笑いを抑えることができそうにもなかった。これは“上”どころか、“偽りの聖杯”をもひっくり返せる大チャンスだ。
全てを署長は納得した。
聖杯戦争のシステムが根本から覆される可能性が出てきたのだ。そんな手札を見せられたのなら、キャスターが裏切るのも仕方がない。署長がその気になってしまうのも、無理はない。
キャスターは良い働きをした。きっと“上”がこのことを知れば、さっさと処分するよう言ってくるに違いない。誘拐されない限り、署長はこの東洋人と話す機会は得られなかっただろう。
「いいだろうとも東洋人――私は何だって答えよう。キャスター、長い話になる。茶菓子くらいは用意してくれるのだろう?」
仰せのままに、と自らの高揚を押さえ切れそうもない署長に肩を竦めてキャスターは去って行く。
この聖杯戦争の準備をしてきた段階から、署長はここまで歓喜に震えたことはなかった。
これまでは軍人として必要とされたことはあっても、魔術師として必要とされはしなかったのだ。そんな己を不甲斐ないとすら思っていた。
だがそうではなかった。群体の長としてではなく、個として署長が必要とされる場所があったのだ。
もはや署長に迷いはない。自らがどういった立ち位置になるのか不明ながら、足元を確認するよりも先に駆け出すことに躊躇はなかった。
「時間がもったいない。私のことはどうせキャスターから聞いているのだろう。それで、君の名は何と呼べばいいかな?」
署長の問いに、東洋人はしばし戸惑いながらもつたない英語で口を開いた。