Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
その宝具の名はその開発コードをそのままとって《ノア》と名付けられている。その名からも分かるように、元となったのは旧約聖書の創世記に登場するノアの方舟そのものである。
アララト山で発掘された断片は既にその機能を失いつつあり、キャスターの力量を以てしてもその断片が真価を再現するには至らなかった不遇の宝具である。だが、かつて世界を滅ぼした大海嘯『ナピュシュティムの大波』に耐えるべく作られたこの宝具は、現代においてなおその機能を所有者不在のままに効果を発揮する。
その効果は、
「局所的時間停止――いや、時間遅延ってところかな」
そんな結論を、ランサーは罠にはまる前から気づけてはいた。
ギルガメッシュ叙事詩にも登場する方舟である。実を言えば生前にその作り方を耳にしたこともある。確か当時の触れ込みは時間遮断の域にあった筈だが、皮肉にもどうやら長い年月で劣化しきってしまったらしい。
とはいえ、別段懐かしさからランサーはこの
最初は、であるが。
「しかし、困ったことになりました」
だがこうして情報収集している間にきな臭い話になってきた。
時間としてはランサーが捕獲されてから約半日後のこと。詳細は不明であるが、どうやら親友の手によってスノーフィールドの街は大惨事になっているようである。実際に見ていないので何ともいえないが、街がゴーストタウンと化したという話はあちこちから聞こえてくる。もちろん、それだけならランサーにとっては些事に過ぎない。
問題は、その直後にこの結界に囚われた者がランサーだけではなくなった、という話を耳にしたからである。しかもそれが一人どころではなく、全員が知己ともあれば尚更である。いや、まだ知古程度であればまだランサーも悩まずに済んだともいえよう。
召喚されてから、ランサーが助ける義理を持ってしまったの者が複数人いる。己がマスターを保護し助けたティーネ・チェルク、フラット・エスカルドス、繰丘椿の三名だ。他のマスターや親友を除くサーヴァントならば、容赦なく見捨てるつもりであった。
だが、捕まったマスターは事もあろうに無視するわけにはいかぬ者ばかり。
ティーネ・チェルク。
フラット・エスカルドス。
そして――
さすがのランサーもどうしようと悩まざるを得なかった。これは何かの試練だろうかと思わなくはないが、単純に敵がこちらの予想よりも数枚上手であっただけだろう。
ランサーが銀狼と長時間離れて行動していたのは、単純にその方が見つかる可能性が低くなるからだ。
森の中でランサーがいればどうしたって目立つし、どんなに素早く動けようと視線という網の目を全てかいくぐるのは不可能に近い。街中に出てこない限り銀狼は単体で行動していた方がよっぽど安全な筈であった。
マスターの状況を完全把握していたわけではないが、ランサーは然程心配してはいなかった。銀狼も銀狼で怪我が治ったばかりの体力不足もあって、よほどのことがない限りあの場から動くことはしない。むしろ、何か動かざるを得ないような事態があればパスを通してその感覚は結界の内外を問わずに共有できる筈。
だというのにそれすら、ない。
外界での時間はわずか一日足らず。その間に銀狼の位置を特定し気付かれる間もなく捕獲してみせるその手際は鮮やかを通り越して異常過ぎる。これはもはや練度がどうとかの域ではない。
すぐさま結界を壊しマスターをはじめ他二人を助け出さなかった理由は、そうした不可解な状況を早急に打破すべく、情報収集が必要と感じたからだ。力任せに何とかできる状況ではない。
幸いにも結界に囚われた、ということはその身の安全は保証されているともいえる。
しばらくは、であるが。
「……やれやれ」
状況把握に努めようと耳を欹てても入ってくる情報は真偽も分からず、どれもこれも断片的な上に暗雲立ちこめるものばかり。やはり場所柄、入ってくる情報にも限界があった。
ランサーが封印されているのはスノーフィールド中央地下にある格納庫内の片隅である。
普通こういった捕虜を幽閉するのは狭い独房と相場が決まっているが、諸事情によりそうもいかなかったらしい。情報源たる見張りの愚痴によると、ランサーを捕らえた
だがそのおかげで
格納庫に出入りする人通りは意外に激しい。
ランサーが封印されているとはいえこの地下格納庫は当然のように大型重機や魔力の香り漂う航空機が鎮座していたりする。出入りしているのはそうした機器の整備兵なのだろう。封印されたランサーに危機感すら抱いていない者も多く、中には静止したランサーを写真に撮る者まで出てくる始末。程度は低くとも雑談だけでも情報には事欠かない。順調すぎて罠を疑いなくなるくらいである。
その雑談から他三人の状況を推測するに、ランサーのものよりもかなり小型の
結界を解いて殺していないところから、彼らの役割は人質なのだろう。
サーヴァントであるランサーはこうして封印するだけで意味はあるが、捕まえたマスターについては他のサーヴァントを釣る餌とする必要がある。特にティーネと銀狼が捕まったとなれば親友が動かぬ筈もない。
簡単に予測できるだけに、敵の作戦は明白だった。
狙いはアーチャーただ一人。親友をおびき寄せ罠に嵌め、自らの優位を持って殲滅する。いくらマスターを必要としない単独行動スキルがあるとはいえ、マスターをあっさり殺されることがあれば、英雄王の名に傷が付く。見え見えの罠であろうと、この挑発に親友は乗らざるを得ないだろう。
作戦の詳細までは掴めなかったが、決行日時と場所は掴んだ。そしてひっきりなしに格納庫で人が駆け回り、運搬用トラックが何台も出て行っているところから、かなりの数の実働部隊がこの作戦に参加するらしい。
慌ただしいことだと思いながら、ランサーはその時を待つ。
本来ならもっと時間がかかると踏んでいただけに、計算違いではある。何でも、スノーフィールド市内における重要拠点が奪われたとかで、作戦が前倒しになったせいらしい。敵も計算違いのようであれば、つけ込む隙はそこになるだろう。
アーチャーが罠に飛び込むのは確定だ。後はバーサーカーとアサシンが乗り込む可能性が高い程度。けれども罠の中央にいる筈のマスター達に辿り着いても、この
だからこそ、ランサーは作戦開始丁度一〇分前に無造作に槍を振るった。
元来、
「「――――!!」」
二人の見張りは異変には気付いたが、それ以上のことには気付けなかった。声を出すことすらできず、その首は床へと無慈悲に落ちていった。当然だ。あの時間の檻の中にあって通常通りに動くことなど予測できる筈もない。
彼らにとって不幸だったのは時間遅延という機能上、
ランサーが突いたのは
例えオリジナルの方舟がもつ時間停止の結界であっても、許容量を遙かに超える種を蓄えるこの創生槍には効果がない。
だからこそ、ランサーにとってこの結界は『例外』なのである。
振るう一撃で
「……さて、残り一〇分で作戦開始。なら急がないとね」
この場が地下にあることは把握済み。可能ならこのまま地下深くに降下して“偽りの聖杯”をどうにかしたいところである。したいところではあるが、その前にマスターである銀狼を殺されてはランサーが消滅してしまう。アーチャー以上にランサーも無視できないのだ。
この地下格納庫を壊したのは脱出路を作るというだけでなく、時間稼ぎの意味もある。
どれだけ時間が稼げるかは不明だが、この惨状を作り出したのがランサーだと確認できなければそれで良い。作戦開始一〇分前という時間も狙ったのもそのためだ。そして横合いからイレギュラーが飛び出す頃合いとしても丁度良い。
作戦開始は正午きっかり。それまでにランサーは崩れゆく地下格納庫から脱出し、罠が張られたスノーフィールド南部砂漠地帯を強襲せねばならなかった。
落ちてくる天井の鉄骨を眺め見ながら、ランサーは天井を貫き、南へと駆けだした。