原点にして頂点とか無理だから ~ジャンボの日記~ 作:浮火兎
我が家は7人家族で、僕は5人兄弟の末っ子である。
といっても、僕は人じゃなくてポケモンだから、数には入らないのが普通。だけど皆が人間扱いしてくれるおかげで、僕は随分とピカチュウらしくない性質に育った。おかげで日下部家の末っ子を名乗れるくらいには、自分が人間らしく在ると思っている。
家以外にも僕を人として受け入れてくれた場所がある。シンクに引っ付いて昔から入り浸っていた、パパの研究室だ。
◇
「ジャンボー、これ資料刷ったからホチキス留め頼む!」
「ジャあ~ンボぉ~、腹へったぁ~!!」
「うるせぇ! ジャンボ、あいつの脳天かち割ったれ!」
次から次へと呼ばれる自分の名に、今こそ影分身の本領発揮とばかりに猛スピードで頼まれ事をこなしていく。通常の3倍速、更に分身込みで3乗の処理速度でもってしても終わらないのが、この研究室独特の修羅場である。
僕は所詮人間らしくあっても、彼らのように聡明な知能を持ってはいない。そう言ったら、カズハが「ジャンボ以下の私はどうなるのよ!?」って怒ってたけど。
相棒が彼らと肩を並べる研究員であるのに対して、僕は何もできない。頑張っているシンクを見て、僕にも何かできないかと率先して小間使いを買って出たのだ。
今回の修羅場も相当ハードらしく、全員が目の下に隈を作っていた。よって、常にコーヒーが欠かせない。一時間に一度、用意したコーヒーメーカーの元へ行き、サーバーを持って各員の机を周る。その際に承った雑用をメモして、優先順位の高いものから処理していく。
相棒のコーヒー好きが高じて、僕はコーヒーにはちょっとした拘りを持っている。それこそ中毒なシンクとは違い、飲むなら最高のものでないと嫌なのだ。自分の好みを追求した結果、オリジナルブレンドにまで達してしまったが、相棒含め研究所の皆にも好評を頂いている。修羅場は嫌だが、僕のコーヒーを飲めることだけが唯一のご褒美とまで言う強者もいる程で。正直、喜んでいいのかわからない。
新しい豆を引こうと給湯室の在庫を見れば、ストックが残り僅か、時間も朝一のパン屋が開く頃合だ。僕は財布の中身を確認して、頼まれたお使いと補充すべき消耗品をリストアップしていく。
「あーっもう! ジャンボー!!」
遠くから聞こえた相棒の八つ当たり気味な声に、ちょっと待ってーと返して急ぎ書き上げる。お呼びがかかった元へ向かえば、ぐったりと椅子に凭れ掛かったシンクの膝が空いていたので飛び乗った。パッと見でお疲れのご様子だと思っていたが案の定。乗った瞬間にぎゅうぎゅうと抱きしめられ、特大の溜息を吐いた彼女の頭をよしよしと撫でる。お疲れ様。
どうやら目薬が欲しかったようで、ぎゅっと目を瞑るシンクの眉頭を優しく指圧してあげる。眼精疲労に効く簡単なマッサージだが、しないよりはマシだろう。他の皆からも目薬を所望されたが、そんなに数があるわけもなく、そもそも目薬って目の病気が移るから貸し借りしちゃ駄目だし。消費が激しい理由はわかるが、とりあえずは蒸らしタオルで我慢してもらおう。
おしぼりを適度に濡らして絞ってレンジでチン。それぞれの机の上に配っていったけど、なんで一部の人たちは顔を拭いているのかな? せっかく作ったのに、もう! 顔洗いたいなら洗面所に行ってください!!
そんなに目薬がいいなら薬局にダンボール1箱分発注してやんよ、とヤケクソ気分でネット注文でポチリしたのはナイショ。
ぐぅと鳴いた僕のお腹をポンポンと叩いて、専用のリュックを背負う。新品の目薬を持ってシンクの所に行き、お使いと朝ごはんの買出しを告げて僕は研究室を出た。
大学を出て徒歩5分。学生の多くが利用するパン屋は始発が動き出したこの時間ではまだ人影も疎らで、店内には馴染みの人ばかりで助かった。
ポケモンが買い物に来ること自体は珍しくない。なぜなら人間のお使いやポケモン自ら買い物をする場合を考えて、ポケモン専用の支払いカードがあるからだ。
このポケモン専用の支払いクレジットカード――僕たちはポケクレカと呼んでいる――は購入したものを細かく明細記録していて、支払うトレーナーがきちんとチェックできるようになっている。野生で知恵を持ったポケモンが金品を略奪して使うといった事件も過去にあり、基本的にはこのカードがない限りポケモンだけでの買い物はできない。勿論僕も持っているが、今回は研究室名義なので現金払いの領収書をお持ち帰りだ。
僕はいつも通り大学発行のカードを見せて確認してもらい、商品を次々と選んでいく。トレイに山盛りになった菓子パンや惣菜パンをレジに置いて、サンドウッチコーナーからまた大量に手に取り会計する中へ入れてもらう。潰れても平気なものをリュックに仕舞い、他は大きな紙袋にまとめてもらい腕に抱えて店を出る。いつもありがとうね、とおまけでラスクを貰ってしまった。僕は大きく手を振って店を後にした。
そして次に向かったのが、喫茶店『蔓草』だ。ここはパパの実家で、おじいちゃんとおばあちゃんが二人で切り盛りする、コーヒーが自慢の小さなお店。僕はここで仕入れた豆を譲ってもらい、オリジナルブレンドを作っている。実は僕のブレンドもメニューに載せてもらっているので、購入金額を安くしてもらっている特典があったり。つくづく普通のピカチュウじゃありえない待遇だと思うけど、僕の相棒も結構な常識外れなので、そんな相方を勤める僕としてはこれでいいのだと思えてしまう。
慣れた扉を開けると、カランと鳴るベルが来店を知らせる。二人から歓迎の言葉を貰い、僕はいつものカウンター席に座った。予めメールで豆を買いに行くことは伝えていたので、今回は受け取るだけなのだが、差し出されたコーヒーをありがたく頂く。どうやら新作のようで、僕からの好反応を見たおじいちゃんはガッツポーズをしていた。朝ごはんも食べていくかと聞かれだが、皆が待ってるからと断って手提げ袋に入れてもらった豆を右手に持つ。紙袋は左手に抱え、増えた荷物に慎重になりながら足を進めた。道中を心配して付いていこうかとも言われたが、気持ちだけもらって大学へと戻る。
しまった……!!
僕は大学の研究棟に続く扉の前に立ち止まったまま、どうするか迷っていた。
このタマムシ大学は広く専門的な機関から依頼された研究も多い、つまり機密に溢れている。よって厳重なセキュリティがあり、うちの研究室も奥深くにあるためいくつかのゲートを通らねばならなく、僕は支給されたカードキーをどうやってリュックから取り出すか考えていた。
いやね、普通に荷物を降ろせばいいんだけの話なんだけど。両手塞がってるのわかってるなら、どうして前もって取り出しやすいようにしておくとか、手提げ袋に移し変えておくとかしなかったかなー……僕のアホ!
仕方なく紙袋と手提げを置いて、リュックを下ろす。カードキーを取り出している間に、ふと紙袋が倒れかかっていたのが視界の端に止まった。振り向くも遅く、中から飛び出たサンドウィッチが転がっていってしまう。慌てて取りに向かおうとしたが、荷物を放り出しては行けない。カードキーを手に持ってリュックを背負い直したところで、スっと横からサンドウィッチが差し出された。
「これはあなたのものですか?」
「ッ、ピッカチュ!!」
ボブカットの黒髪和服美女が、丁寧な所作で拾い物を渡してくれる。ありがとうございますと頭を下げれば、どういたしましてとこれまた丁寧に返された。
ポケモンに対してぞんざいな対応をする人は多くても、その反対は圧倒的に少ない。人間はどこかでポケモンのことを無意識に格下だと思っている節があるらしい。悲しい現実と相棒は言うが、僕はこれが普通と思っているのでそうは思わない。だが、丁寧に扱われるというのはやはり嬉しいものだ。初対面だが、僕は彼女に好印象を抱いた。
その後も美人さんは心配して紙袋を持って研究室まで付いてきてくれた。お礼にコーヒーとラスクを出したら、良い子だって褒められて嬉しかった。
どうやらその美人さんはジムリーダーだったみたいで、シンクがトレーナーだと知ると興奮して約束を取り付けていった。修羅場の途中で急遽入った予定にシンクはてんてこ舞いだけど、僕は反対に午後からジム戦でまた会えると思うとなんだかウキウキしてきちゃった。
歌いながら給仕する僕に、シンクがジト目で見てくるものだから「何さ?」と視線で問えば「べっつにー……」と不貞腐れた様子でプイっと顔を背けられる。
「綺麗なお姉さんに憧れるのはわかるが、ほいほい付いていくんじゃねーぞ」
あらま、焼きもち?
ご機嫌斜めの理由が珍しい拗ね方で、僕は舞い上がった心のままシンクの背中に飛びついた。「ごふっ」と言ううめき声など耳にも入れず、スリスリと甘える僕に無反応を貫くシンク。そんな僕たちを見て皆がニヤニヤしているを、シンクが怒って怒鳴り散らすまであと8秒。
シンク:コーヒー中毒。味の善し悪しはわかるが、基本的にブラックコーヒーなら何でもいい。
ジャンボ:コーヒーは美味しいのじゃなきゃ嫌。飲むときはブラックで飲む。砂糖が入ったものは別物と考えるのでコーヒー牛乳はコーヒーじゃない。甘い飲み物の方が好きで、いつもはココアなどを飲んでいる。