◇◇0
椚が丘中学校旧校舎に続く山道を、制服に身を包み、薄い色の金髪をひとつにまとめた小柄な少女が傾斜などものともせずに駆け上がっている。
少女はしばらく速さを変えずに走っていたが、前方に二人のクラスメイトが並んで歩いているのを確認すると加速してその前方に回り込んだ。
「おはよー!渚、杉野!」
「あ、おはよう湯島」
「おう。おはよう!」
「ん。じゃー私は先に行くね!」
立ち止まらずにその場で足踏みをしていた少女、湯島春が振り向いて校舎へと駆けていくと、挨拶されたうちの一人、野球をしていて体力の多い杉野友人がどこか圧倒されたように口を開いた。
「毎朝の事だけど元気だなー」
「うん。しかも麓から一度も立ち止まらずに校舎まで走っていくんだって」
「スゲー体力だな……」
本人から聞いたことを杉野と一緒に歩いていた潮田渚が言うと、杉野は呆れたように春の後ろ姿を見やったのだった。
◇◇1
椚が丘中学校旧校舎グラウンドにひとつだけある水道で汗を洗い流すことは、春の教室に入るまでにする習慣のひとつだ。
旧校舎まで走った後、カバンを持ったままグラウンドに行き、顔を洗った後に取り出したタオルで顔を拭いた後、そのタオルの裏側を使って首筋についた汗を拭うのだ。
春が首を拭いていると、背後から風が吹いた。
「ジョギングですか?感心ですねえ」
声をかけられ驚いた春が振り返ると、殺せんせーがもこもことしたファー付きの服を着込み、何かの箱を持って立っていた。
「先生、どうしたのその格好?」
「ヌルフフフフ。本場イタリアに行って買ってきたジェラートです。」
溶けないように成層圏を飛んできました。と言って笑う殺せんせーに運動後の春が食いつく。
「ジェラート!?美味しそう!一口ちょうだい!」
「にゅやっ!?ダメですよ苦労したんですから!」
「ケチだなー」と頬を膨らませる春に、白々しく「ジェ、ジェラートが溶けてしまうので急がねば!」と言ってそそくさと職員室に向かう殺せんせーだった。
◇◇2
時間は流れ、放課後。
殺せんせーが校舎裏で咲いていた花を引っこ抜いたことから始まったハンディキャップ暗殺大会が失敗に終わり、その帰路の山道である。
岡野ひなた、片岡メグ、倉橋陽菜乃、湯島春の四人がまとまって下校していた。
「そういえばさー」
倉橋がおもむろに口を開く。
「駅前に新しいケーキ屋さんが開店してたよねー」
「あ、あそこ?美味しいのかな?」
岡野ひなたが興味津々といった様子で答えた。大雑把で、小学生の時は男子グループに混じって遊んでいた彼女も女子らしく甘いものが好きなのである。倉橋が、にこにこ笑いながら返事をした。
「わかんない。店内で食べることもできるらしいし、ちょっと食べに行かない?」
「行く!」
「ちょっと。寄り道するつもり?」
食べに行くつもりの倉橋と岡野へ片岡メグが呆れたように言うが、倉橋は「ちょっとくらいいいじゃーん。メグちゃんも行こうよー」とどこ吹く風だ。片岡も女子らしく甘味に興味があったのか「まあ、少しなら……」と行くことを決めたようである。
と、ここで倉橋が春の方に体を向けて言う。
「春ちゃんもどう?」
「んー。私は今日用事あるからー」
「ええー。前もそう言って断ったじゃん」
前回と同じ断りかたをした春に倉橋が不満そうな様子で言った。春が倉橋の誘いを断るのはこれで三度目のことである。
春に文句を言おうとしていた倉橋だったが、そこに片岡がストップをかける。
「まあまあ。湯島さんにも事情があるんだし」
「そうそう。強制するのはよくないよ」
「むむー……」
悪い空気を感じ取ったか、片岡の後に岡野が続けて言うと、倉橋も納得はしたのか文句を飲み込んだ。
「ごめんね。倉橋さん……」
春が申し訳なさそうに謝ると倉橋は冷静になったのか、少し残念そうに「いいよいいよ」と片手をひらひらさせて答えた。
◇◇3
「悪いことしちゃったな……」
山道での一幕の後、椚が丘駅の前で三人と別れた春は駅の構内で独りごちた。
本当に用事があって誘いを断ったのならばいくらか罪悪感が薄れたのだろうか、と考える春だったが、考えても意味のないことだと思考を強引に打ち切る。
春は倉橋の誘いに限らず学校内の全ての誘いを断っている。その理由は全て『勉強をするため』である。
遊ぶ暇があるならば勉強をしなければならないのだ。自分の不足を自覚した時からずっと春は放課後を遊ぶための時間ではなく勉強するための時間として活用していた。
今日は何を勉強しようか。E組で『アホ』と思われている少女は今日も寄り道して勉強をしに家の近くにある図書館へと向かうのだった。
湯島春は習慣的に勉強を欠かしていません。
しかし成績は低いし、テストの点もE組で最下位争いをしています。