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椚が丘中学校旧校舎、E組教では朝のSHR前ということで穏やかな空気が流れ、生徒達はそれぞれ朝の時間を楽しんでいた。
「ええーっ!?湯島さん今までで一度も漫画を読んだことないの!?」
「う、うん……」
漫画大好き少女である不破優月の迫力に圧倒されたように頷いたのは湯島春だ。
大声をあげたことで何事かとクラスメイトの視線が集まるが、皆一様に春の姿を見ると納得した表情で視線を戻した。春の奇行にE組生徒が大声でツッコミをいれるのはよくあることなのだ。
「へ、変だった?」
「いや、イメージと違ってたから、意外に思っただけかな」
「そうそう。漫画好きそうなイメージだったから」
不安げに聞く春に対し、まだ衝撃から覚めていない不破に代わって潮田渚が言うと、続いて杉野友人が言った。その発言に春は少しむっとした様子で反論する。
「それは偏見だよー。大体今は漫画よりも暗殺だと思うよ?」
「お、おう……」
正論で返された杉野や、発言を聞いていた茅野カエデと渚は『湯島に正論を言われた!?』と強い衝撃を受ける。普段からの奇行が目立つ春に諭されてしまった杉野は特に強い衝撃を受けたようで、立ち直るのに時間がかかりそうだった。
「そんなことより、湯島さんが漫画を読んだことがないってことの方が重要よ!そんなの人生の半分以上を損してるわ!」
不破がきっぱりと言い放つ。しかし春はだけどさー、と反論した。
「うーん。漫画に興味ないしー。漫画を読んでも暗殺の役には立たないじゃない」
またも正論で返す春に、不破は芝居がかった動きで指を突きつけた。
「その考えは甘いわ湯島さん!」
「え、えー?」
この教室では珍しいことに、春が困惑した様子を見せる。それを隙と見た不破はさらに言葉を畳み掛ける。
「いい?暗殺対象は他でもない殺せんせーだよ?マッハ20の超生物が相手なら、私たちは常識を捨てて新しい発想で挑まなければならないと思うの」
「う、うん……」
まずは常識から外れない範囲で論の土台を建て。
「でもね、私達の発想力には限界がある。色んな状況をシュミレートするところから始める分、
「確かに……」
徐々に論を展開していき。
「そこで漫画よ!漫画にはあらゆる状況が存在するわ!すでに状況がシュミレートされているの!」
「おお!」
疑問を持てないように一気に畳み掛ける!
「例えば、この漫画よ!」
「んー?何これ、手裏剣?」
自分のカバンから今朝買ってきたジャンプを引っ張り出した不破は、とあるページを開いて春に見せる。そのページでは、青年が棒状の刃物を複数本同時に投げ、様々な角度でぶつけて向きを変えることで青年から死角に置かれた的の中心に当てるシーンが描かれていた。
「そう!正確には手裏剣じゃなくてクナイなんだけど、まあいいわ!湯島さん、これって投げるものをナイフに変えたら暗殺に応用できそうじゃない?」
しかもかっこいいわ!と興奮したように言う不破に、春も興奮した様子で確かに応用できそうだしかっこいいかも!と楽しそうだ。
春は反省したように不破に言う。
「漫画を読んでも暗殺の役には立たないって言葉は取り消すよ不破さん。漫画は暗殺の役に立つんだねー」
「いいのよ湯島さん。ところで、今度私のお気に入りの漫画を貸してあげようか?」
「いいの!?」
「いいのよ。お気に入りの漫画を読んでくれる人が増えると私も嬉しいしね」
「ありがとう、不破さん!」
「嫌だわもう、優月でいいわよ!」
「うん!私も春って呼んで!」
「春ちゃん!」
「優月ちゃん!」
うまく漫画文化の布教を果たした不破と、まんまと漫画文化を布教されてしまった春はひしっ!と抱き合っていた。
自分達も一緒に会話をしていたはずが、いつの間にか完全に置いてけぼりにされた茅野、渚、杉野は苦笑いをしてその様子を見ている。と、そこに突然殺せんせーが背後から声をかけた。
「いやあ、仲良きことは美しきかな。ですねえ」
「うわっ!殺せんせーいつからそこに!?」
渚が驚いて言うと、殺せんせーは触手で教室前方にかけられた時計を差した。時刻はいつも殺せんせーが教室に入る時間から数分が過ぎている。
話に集中しすぎてチャイムや扉の開いた音を聞き逃したらしく、渚が周りを見るとクラスメイト達が着席してこちらを見ていた。
「いやあ。本来ならば止めなければならなかったのですが、青春の匂いがしたので様子を見ていたんです」
何やらメモを取る殺せんせーに、「それでいいのか担任教師!」とと着席して様子を見ていた他の生徒達がツッコむ。
「あ、それは別として不破さん。あまり学校に勉強に関係ないものを持ち込まないように!春さんも、今度からは時間までに着席しておいてください」
「は、はい」
「はい……」
声をかけられてから注目されていると気がつき真っ赤になった二人は、注意を受けるとそそくさと自分の席に着席するのだった。
◇◇1
「あ、烏間さん……じゃなくてせんせー!」
午後の体育の授業で停学明けの赤羽業が殺せんせーの触手を破壊した日の放課後、旧校舎の廊下を歩いていた烏間はある女子生徒に呼び止められた。以前に何人かの女子生徒にされたように、また暗殺には関係ない自分のプロフィールでも聞かれるのだろうか、と思いながら烏間が振り向くと、呼び止めた生徒が自分に駆け寄って来て自分から一歩ほど離れた場所で立ち止まったところだった。
「なんだ?」
「あー、ちょっと、待ってくださいー」
この生徒は、と烏間は相手の情報を思い返す。昼のナイフ授業では一番飲み込みが早かった生徒で、同時に烏間の技術に対して一番すごいすごいと騒いでいた生徒だった。名前は湯島春。
春は手のひらを烏間に向け、烏間を探して乱れていた呼吸を整えるために数回深呼吸をすると口を開いた。
「対先生ナイフを貰えますか?」
できれば10本ほど、と言った春に烏間は怪訝そうにしてどのような使い方をするのかを聞く。それは備品の消耗に関する報告書に理由を書くためでもあったし、両手で持ったとしても一度に二本しか使用しないナイフをどうして10本も必要とするのかという疑問からくるものでもあった。
その問いに春はよくぞ聞いてくれました、と言わんばかりの様子で返答する。
「忍者みたいに投げます」
「……」
烏間は片手で顔を覆った。ナイフを投げるのは忍者ではなく曲芸師だろう。
この生徒は自分をからかおうとしているのか、とも思ったが、その眼差しを見るにどうも本気での発言らしく、その分たちが悪かった。
「……忍者はナイフを投げない」
「ええっ!?」
絞り出した烏間の言葉に本気で驚いた様子の春。
どっと疲労感が増すのを感じながら烏間はさらに疑問をぶつけた。
「ナイフを投げるのはいいとして、そもそも誰に習うつもりだ」
「一人で練習するつもりですが……?」
烏間は春の素人考えにもう一度片手で顔を覆った。自分も投擲の技術は修めているが、狙い通りに投げられるようになるまでは結構な練習を要したのだ。投げナイフは端から見ると簡単そうだが、普通に振り回すよりもかなり難度の高い技術なのだ。
この少女が独学で練習を重ねたとして、暗殺で実用できるレベルに到達するまでに一年以上経過してタイムリミットを過ぎてしまう可能性が高かった。
「……俺が教える」
「えっ……?」
何か変なことを言ったかと不安そうな顔をしていた春に烏間は言うと、春が意外そうな声を出した。
「もちろん、直接見てやれるのは俺の手が空いている時間に限るが、独学よりは速い上達が見込めるだろう。……?」
続けて言った烏間は、何故か驚いた顔で自分をまじまじと見ている春に気づいた。
「どうした?俺が指導することがそんなに意外か?」
「あ、い、いえ。何でもありません。早速指導をお願いします!」
「……ああ、そうだな」
あんなに驚いておいて何でもなくはないだろう、と内心で思いつつも烏間はナイフを取りに向かうのだった。
「……今日は手が空いていないので、指導は明日からだがな」
ついでにそそっかしい生徒の勘違いを訂正して。
漫画の内容はジャンプの『NARUTO』より、うちはイタチです。
湯島春は忍者に詳しくないため、見せられた漫画で勘違いして忍者は変わった形状のナイフを投げるものと勘違いしました。