「お、あんたも一人かい?」
若い男はカイムにふと声をかけた。とある喫茶店で、コーヒーを口にしていた時だ。清掃の隅々まで行き届いた、雰囲気のいい店だった。まだ昼間だからかだろうか、客はまばらで、友達どうしで語り合うものがちらほら見えるだけ。確かに一人でいるカイムは少し異質な存在であった。
「まぁ、独りぼっちどうし、少し話でもしませんか」
男はカイムの返事を聞かずに隣に寄せてくる。そういう人物なのであろう。カイムは黙って荷物をどけた。若い男は名をジュザというらしい。大学を出て、小説家を目指しているという。まだまだ駆け出しだ、誰が認めてくれるわけでもない、とにかく数の勝負ですよ、と男は付け足す。一本でも認められれば、今なら大作家にでもなれましょう。とジュザは軽快に笑う。この喫茶店がある国は、つい最近政府がかわったばかりだ。いわゆるクーデタで、固く国を閉ざしていた政府が倒された。今は先進国に追いつこうと全国民が躍起になっている、そんな時期だった。
「でもね、こうも思うんです。こうやって皆が皆努力していて、はたして先進国に追いついたとき、一体この国はどうなるんだろうか、ってね。僕はね、そこで止まってしまってはダメだと思うんです。追いついたなら今度は自分達が導いてやろうという気概が大事なんです。しかしこのまま限界ギリギリで走り続けていてはいつか倒れてしまう。追いついたと思ったら急に失速してしまう。だからね、僕は本を書くんです。そうなってはいけませんよ、時には休養も大事ですよ、とね。」
まぁそれをはっきり文面に出してしまっては政府につかまってしまうから、いかにそれとなく伝えるかが大事なんだ、とジュザは続ける。そう、この国の人は生き急ぎ過ぎている。とカイムは感じていた。それは永遠を生きるからわかるのだろうか、それとも昔どこかで同じような境遇の国を見てきたからだろうか。それは分からないが、生き急ぎに警鐘を鳴らそうとしている、それはもしかしたら伝わることはないかもしれない、それともそもそも誰も本として出版させてくれないかもしれないが、ジュザという男を嫌いにはなれなかった。まだ若いのだろう、前途に明るい希望を抱いている。その夢は大抵は社会の波にのまれて消えてしまうのだ、と意地悪く言うこともカイムにはできたが、終わりのない生を生きる自分が言うのもな、とそれを飲み込んだ。すると、でもね、とジュザは続けた。
「自分にはね、その倒れる姿を見ることはできないんです。」
彼は重い病に侵されていた。肺をやられる、それも治療法の確立していない病気だ。カイムはその病気を知っていた。この国よりもっと南で300年ほど前に発生した、恐ろしい病だ。その病が原因でほろんだ国があることだって覚えている。水の豊かな、美しい国だった。今では見る影もないが。
「どうしても認めたくないですよね、そんな病気に自分がなってるなんて。でもね、わかるんですよ。弱ってる自分っていうのがね。ただ歩くだけで息が上がる、何気ない階段で呼吸が苦しくなる……それも日に日に悪化してるのまでね。」
「病院に入ったのか?」
「行くわけないでしょう。だってわかりきってるわけですからね。」
「でも治療法がないわけじゃないんだろう」
「あぁ、あのね。きれいな空気で過ごすってやつですか。ごめんですよ。死ぬ場所くらい、自分で選びたい。何日かもわからない延命のためにむざむざ余生を捨てるのはいやだ。あなたにもわかるでしょう?」
わかるよ、とカイムはうなずく。__分かるはずもないというのに。永遠を生きるカイムにとって、それは一生の悩みでもあるのだから。___わかる日はこない。ジュザはうんうんとうなずくと、
「だからね、ふと思うわけですよ。自分が警鐘を鳴らす意味はあるのか?他の誰かも同じように考えるかもしれないし、間違いなくその人は僕より長生きするだろう。それなら、死人の言うことを誰が聞くのか、とね。」
そんなことはない、とは言えなかった。なによりジュザもその言葉を受け取りたいとは思えなかった。ジュザはハッとしたように
「そんな目をされないでください。自分は何も最初に警鐘を鳴らした人物なんていう名声は欲しくない、欲しくないんです。ただこの残りわずかな命をなにかに使えたらって、そう考えてるだけなんです。他の方の活躍ででもいい、皆が気付いてくれたら___」
「っと。話が熱くなってしまいましたね。だいぶ時間がたってしまった。しかし不思議だ。これほど人に自分のことを話したことなどそうはないよ。なぜだろう……あなたが何でも知ってるような雰囲気がしたからだろうか……」
そんなことはない、自分だって生きた限りのことしか知らないよ、と笑って返す。1000年の生を言っても信じてもらえるとは思えないし、自分だって長年のせいでわからないことなど星の数のようにあるのだから。
ふと店に眼を向けると、俄にざわついていた。気づかぬうちに、夕食時になっていたようだ。
「店の邪魔にならんよう、僕は帰らせていただきます。今日はお話を聞いてくれて、どうもありがとう。僕は作品が煮詰まったときは大抵ここに来る。またあなたとお話しできることを楽しみにしているよ!」
二人は手を振って別れた。カイムはまだ旅の合間の休憩中だ、明日も来ようと心に決めた。
しかし毎日喫茶店を訪れても、ジュザとは会えなかった。