光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ウィリアム・スミス

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リチャード・パテルの場合 3

 リチャードは走っていた。ダンジョンの中を、必死に、無心に、我武者羅に。

 

 リチャードと一緒にダンジョンにいたのは、2人の男と1人の女だ。その顔はダンジョンの薄闇のせいか、よく見えない。リチャードたち4人は、ダンジョン内を当てもなく彷徨い歩いていた。

 やがて、ダンジョン内にあった僅かな光すらも消え、完全な漆黒がリチャードたちを包み込む。

 

 1人が言った「もう休もう」男の足には、包帯がぐるぐる巻きにされていた。

「そうね、そうしましょうか」女が同意した。

「いや、もう少し進もう」もう一人の男がそれを否定した。

「リチャード、お前はどう思う?」最初に喋った男がリチャードに聞いてくる。

「俺は──」

 

(俺は、あの時なんて答えたのだろうか……)ただひたすら、必死に走っていたのは覚えている。

 

 気が付くと、男が1人、減っていた。

 どこへ行ったのか、はぐれたのであれば、探さなくては。

 引き返そうとするリチャードに、男が声をかける。

 

「どうしたんだ?」

「1人足らない、探さなくては」リチャードは男に答えた。

「心配することはない、気にするな」男が答えた。男のバックパックにはミノタウロスの左脚部が押し込められている。

「そうよ、何も問題無いわ」女がそれに同意した。

 

 そして再び、走りだした。リチャードはミノタウロスの左脚部を見つめる。その脚は、さっきまでいた男と同じように、包帯でぐるぐる巻きにされていた。

 そしてしばらくすると、今度は女の姿が見当たらなくなった。

 

「おい! 今度は──がいない! 探さないと!」リチャードは男に叫んだ。

「心配することはない、気にするな」男が答えた。バックパックにはミノタウロスの脚部とシルバーバックの右腕が押し込められている。

「気にするなって、そんなの……」リチャードの言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 

 沈黙が辺りを支配する。ややあって男が走りだした。リチャードもそれに続く。リチャードはミノタウロスの左脚部と、シルバーバックの右腕を見つめていた。

 またしばらくすると、突如としてモンスターの襲撃を受けた。ワーウルフだ。

 

「クソォ! モンスターだ! 反撃するぞ!」リチャードは一緒にいたはずの男に言う。

 

 だがいくら声を掛けても、一向に返事がない。いつの間にか男もいなくなっていた。

 仕方なしにリチャードは1人で反撃する。ワーウルフは右脚部を負傷している。動きは鈍い。なんとかワーウルフを撃退したリチャード、決め手になったのは右脚部への一撃だった。

 

 ワーウルフの右脚部を、リチャードは見つめる。リチャードはそれを掴むと、バックパックに押し込んだ。バックパックにはミノタウロスの左脚部と、シルバーバックの右腕と、ワーウルフの右脚部が押し込められている。一人ぼっちになってしまったが、不思議と寂しくはなかった。

 

 リチャードは再び、漆黒の中を走り始めた。いくら走っても出口が見えない。ふと疑問が浮かんできた。

 

 バックパックに押し込められているモンスターたちはなぜ消えないのだろうか?

 

 その疑問に気付くと、突如として眩い光がリチャードを襲った。その光が収まると、リチャードの前には湖が広がっていた。その湖に映った姿を見たリチャードは、全てを理解した。

 

 そしてそこで目が覚めた。

 

 リチャードはガバッと起き上がり、激しく鼓動する心臓と荒い息を落ち着かせながら、辺りを見渡した。窓から差し込む薄光が、今が早朝であることを教えてくれる。どうやら、あれから今の今まで寝ていたらしい。それにしても──。

 

「……夢か」

 

 嫌な、嫌な夢だった。あの時の事を思い出す……。

 しばらく呼吸を整えていると、ダルフが部屋に入ってきた。

 

「ああ、起きたかリチャード、よく眠れたかね? その様子じゃ、そうでもなかったようだが……」

 

 そう言うと、ダルフは手に持っていたカップをリチャードに渡す。中身は温かいハーブティーだ。

 

「えぇ、少し昔のことを夢に見まして……ありがとうございます」

 

 リチャードはハーブティーを受け取ると、口に含んだ。ほのかなハーブの香りと、温かい味わいがリチャードを包み込む。悪かった気分が解れていく。そういえば、いつの間にかベッドに移動していたようだ。リチャードの記憶では、ソファで眠りについたはずだったが……。

 

「ベッドに運んでくれたのは、ダルフさんですか? ありがとうございます」

「いや、運んだのはオレじゃなくて、ルララさまの方だ。礼ならルララさまに言ってくれ」

 

 それは意外だ、見た目によらず力持ちなのかもしれない。そういえば、バカでかい斧を持っていても、疲れ知らずで走っていたな。

 

「んじゃあ、オレは朝食の準備があるから、用意ができたら来ると良い」

 

 そう言うとダルフは、部屋から出て行った。

 リチャードは一度大きく伸びをすると、全身の調子を調べる。

 全身、至るところが悲鳴を上げている。特に下半身が酷い。少しでも動かそうものなら、鋭い痛みがリチャードを襲う。いわゆる筋肉痛ってやつだ。

 

「いつつつつ! なんつー筋肉痛だ……ああ、何もしたくない!」

 

 とはいえ、このまま寝転んで何もしないわけにはいかない。仕事の期限は今日までだ。何としてでもやり遂げなくてはならない。気力を振り絞って、リチャードはベッドから立ち上がると、部屋を出た。

 

 家の奥からは、ほのかにパンのいい香りが漂ってくる。そういえば昨日は何も食べずに、寝てしまったな。それを思い出すと、リチャードの腹は空腹を訴えてきた。

 匂いに誘われ台所にたどり着くと、そこでは、ルララが忙しそうに調理をしていた。

 

 白と赤を基調としたエプロンに身を包み、大きな白いコック帽子を被ったルララは、物凄い勢いで料理を作り上げている。その隣ではダルフが出来上がった料理を小分けにしている。

 

「おお! リチャード来たか、ちょっとこっちに来て手伝ってくれ」

「なにをしているんです?」リチャードは2人に近づきながら聞いた。

「なに、さっき言っただろう? 朝食の準備だ」ダルフは手を休ませずにそう言った。

「そ、それにしては量が多い気が……」

 

 リチャードの目には、三人が食べるには量が多すぎるように見えた。まあ、もしかしたら、この二人はとんでもない大食漢なのかもしれないが。

 

「そいつは当然だ! なんせこれはオレたちの分じゃなくて、冒険者に売る分だからな!」ダルフは何でもないように言った。

「こんなに大量にですか?」

「ああ! なんせルララさまの作る料理は大人気だからな!」ダルフはまるで自分のことのように誇らしげに言った。

「それは……なんというか、凄いですね」これは正直な感想だ。

「なんでも、ルララさまの料理を食べると、不思議とステイタスが上昇するらしいんだ。それなもんで、売りに出すとすぐ売り切れになっちまうのさ」

 

 ステイタスが上がる食事なんて眉唾ものだが、人気があるというのは悪いことじゃないだろう。そういった雑談をしていると、調理をし終えたのか、ルララがこちらにやってくる。その手には、今まで作っていた料理よりも少し上等な食事が乗せられていた。良いタイミングだ。こちらも丁度、作業が終わったところである。

 

「さて、それじゃあ、オレたちもメシにするか!」喜びを隠そうともせずダルフが朗らかに言った。

「えぇ、もう腹ペコですよ」

 

 あの香りの中、空腹を我慢するのは正直拷問だった。

 

「ハハハ、昨日、何も食わずに寝ちまったからな! さぞかし腹が減っているだろうよ!! ルララさまの料理は美味いからな、楽しみにしているといい!」

「えぇ、楽しみです」

 

 そうして、三人は揃って食堂に向かった。

 

 

 

 *

 

 

 朝食はとんでもなく美味しかった。なるほどこれならば、人気が出てもおかしくはない。

 ダルフは素早く朝食を食べ終えると、さっさと外へ出て行ってしまった。なんでも、先程作り上げた料理を売りに行くらしい。

 残されたリチャードとルララは手持ち無沙汰になったこともあり、向かい合って今日の予定を話し合うことにした。とはいえ、実際のところは、リチャードが一方的に話すだけなのだが……。

 

「ここから下の階層は『大樹の迷宮』っていって、言っちまえば、巨大な樹でできた階層だ。だから『大樹の迷宮』って訳だ。単純だな」リチャードはおどけた顔で言った。

「それが19階層から24階層まで続いている。それで、今日の予定なんだが……そこで目ぼしいモンスターを見つけ、捕獲しようと思っている。俺のレベルからすると、ここらへんのモンスターが調教相手として限界だからな」

 

 リチャードは『どう思う?』といった表情でルララを見た。彼女の表情に変化はない。どうやら、問題ないようだ。

 

「問題はなさそうだな……んじゃあ、決まりだ。申し訳ないが、嬢ちゃんはモンスターの相手をしてくれ。俺は後方で待機して、目ぼしいモンスターを見つけたら……」そう言うとリチャードは、懐から小瓶を取り出した。中身は『睡眠薬』だ。

「こいつを投げつけて、モンスターを捕獲する。簡単だな!」

 

 そう、言葉にするだけなら実に簡単だ。だが言うは易し行うは難し、だ。リチャードの表情が、その時のことを想像し険しくなる。

 

「『睡眠薬』はこれ一つしかない。つまり、チャンスは一度ってことだ。そのために、俺はモンスターの注意を受けるわけにはいかない、基本的に、モンスターは嬢ちゃん1人で相手してもらうことになる。嬢ちゃんにはキツイ役割を頼むことになっちまうが、よろしく頼む!」

 

 そうだ、リチャードの作戦では、モンスターたちの標的になるのはルララの方だ。ルララとリチャード、どちらが危険かは考えるまでもないだろう。それでもルララは嫌な顔ひとつせずに頷いた。

 

「ありがとう、嬢ちゃん!」リチャードは笑顔を浮かべると、そう言った。

「それじゃあ行くか!」リチャードは立ち上がるとルララに言う。ルララもそれに続く。そのまま出て行くルララの後を、目で追いながら小声でリチャードは囁いた。

 

 

 

「ほんと……よろしく頼むぜ、相棒」

 

 

 

 *

 

 

 

 『大樹の迷宮』で主に出現するモンスターは、蜥蜴人(リザードマン)巨大蜂(デットリー・ホーネット)毒茸(ダーク・ファンガス)といったモンスターたちだ。どいつもこいつも一癖も二癖もある奴らばかりだが、リチャードたちが求めているのはもっとでかくて、珍しいモンスターであった。そう、例えば、ヴィーヴルや木竜(グリーンドラゴン)といったやつである。まあ、この2匹はリチャードの手に負えない手合いなので、候補には挙がっていないが……。あくまでも、それぐらい凄いやつって意味だ。

 

 探索中は昨日の反省を活かし、リチャードは出来るだけ目立たないように行動していた。この階層に至っても、どうやらモンスターたちはルララのことが視界に入らないのか、無視していた。そうであるならば、リチャードさえ見つからなければ、大した障害もなくダンジョン内を探索できるという訳だ。もし万が一見つかってしまっても、今日は放置されることもなくすぐにルララが助けてくれたので安心である。全く嬉しい限りだ。

 

 そういった感じで、リチャードたちは順調に探索を進めていた。残念ながらこれといった収穫はなかったが……。

 探索は昨日と打って変わって、のんびりと行われていた。先導するルララも時たま立ち止まるって、辺りを入念調べてみたりもしている。『大樹の迷宮』は、クエストでよく依頼される素材が取れる階層でも知られている。もしかしたら、ルララにも何か欲しい素材があるのかもしれない。

 

「なんだ? 嬢ちゃん。何か欲しいもんでもあんのか?」リチャードは聞いた。

【お金を稼ぎたいです。】ルララは迷わず答えた。

「そ、そうか」

 

 そういえば、ルララは朝から料理を売ったりして、金策には随分と熱心のようだ。もしかしたら、なにか金に困っているのかもしれない。それにしては、かなり上等な装備をしている気がするが、何か事情があるのだろうか? クエストを受注しまくっているのも、その辺りが関係しているのかもしれない。

 

「なあ嬢ちゃん。もし、良かったらなんだが、今回のクエストが無事に終わったら知り合いのアイテム屋を紹介しようか? 素材の買い取りとかもやっているとこなんだが、嬢ちゃんならいい取引相手になると思う」リチャードは、頭を掻きながら言った。そして、さらにこう続けた。

「もちろん、既にそういった商売相手がいるなら話は別だが……」

【はい。お願いします。】ルララはリチャードの言葉に間髪をいれずそう言った。思っていた以上に反応がいい。

「お、おう! じゃあそれが今回のクエストの報酬ってことでいいか?」

 

 実は言うと、リチャードはいまだにクエストの報酬を決めかねていたのだ。まあ、そんな優柔不断な男のクエストを受ける、ルララもルララなのだが。

 

 当然であるがヴァリスの報酬は、リチャードの懐事情を考えると不可能だ。それなので、取り敢えず一時的に保留にしようという形をとっていたのだが、ようやく、報酬らしい報酬を用意することができそうだ。これで、安心してダルフの家に帰還することができる。

 リチャードは懸念事項の1つが解消されて、僅かに胸を撫で下ろした。

 

 これで、あと残す課題はモンスターの捕獲だけだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 大樹の迷宮の最下層、24階層に辿り着いたリチャードたちは、いまだに目ぼしいモンスターを見つけることが出来ないでいた。これが、リチャード1人での探索であったならば、もうとっくに見つけられているのだろうが、ルララと一緒にいると、どうも感覚が狂ってくるのだ。

 

 ルララの圧倒的な戦力を目の前にすると、どんなモンスターでもまるで上層に生息する、コボルトやゴブリンのように見えてしまう。もはやリチャードの目には、すぐそばでいびきをかいている木竜(グリーンドラゴン)でさえも、脅威の対象ではなかった。思い上がりも甚だしいと言えば間違いないが、それほどの隔絶した実力をルララが持っているということだ。端から見れば完全に虎の威を借る狐状態であるが、そんな事リチャードは蚊ほども気にしていない、そういった意地や誇りといったものは、とうの昔に捨ててしまった。

 

 しかし、もういい加減いい時間だ。そろそろ決めてしまわないといけないだろう。帰還にかかる時間を考慮すると、もう幾ばくも猶予はない。

 それにしても……。

 

「嬢ちゃん、俺の気のせいならいいんだが……心なしか、モンスターの数が増えてきていないか? いや、俺の勘違いならそれでいいんだが……もしかして、もしかすると、食料庫(パントリー)に向かってません?」

 

 食料庫(パントリー)。それは、ダンジョン内に存在するモンスターたちの給養の場だ。

 ダンジョンに生息するモンスターたちのおもな主食は、まあ、ぶっちゃけ言ってしまえば『冒険者』ということになるのだが、当然のことながら、大量に存在するモンスターたちの需要を満たすほどの供給がなされている訳が無い。

 

 当たり前といえば当たり前である。冒険者たちは、なにもモンスターたちに喰われるためにダンジョンに潜っている訳ではないのだ。冒険者たちはモンスターを狩るために、ダンジョンに潜っている。よって、モンスターたちの腹に収まる冒険者というのは、当然の事ながらそんなに多くない。しかし、それではモンスターたちの空腹を満たすことは出来ない。

 

 そこで、モンスターたちの母とも言えるダンジョンが創り上げたのが、食料庫(パントリー)ということだ。

 食料庫(パントリー)は、ダンジョンの最奥部。ひときわ大きい大空洞の中に収められており、その中央には巨大な石英(クォーツ)が立っている。石英(クォーツ)には豊富な魔力が含まれており、そこから流れ出る液体が、モンスターたちの栄養源となるのだ。

 

 要するに、食料庫(パントリー)には腹を空かせたモンスターが大量にいるということだ。“奴ら”は、年中腹を空かせているので、食料庫(パントリー)は連日満員御礼で大繁盛だ。

 そして、そこは、ある意味ではモンスターを狩るには絶好の場所であると言える。まあ、至福の時を邪魔されたモンスターたちに、どんな逆襲を受けるかは知らないが、それを抜きにしたら、最高の狩場である。とはいえ、普通の冒険者だったらそんなことは絶対にしない。モンスターの大群の中に飛び込むような真似をしたら、命が幾つあっても足りないからだ。しかしそれも、普通の冒険者()()()()の話だ。ルララ・ルラがどちら側の冒険者に属しているのかは、今更言うまでも無いだろう。

 

 ルララの足は、リチャードの気が確かなら確実に食料庫(ソコ)に向かっていた。

 

(まあ、嬢ちゃんは、どう考えても普通の冒険者じゃねぇし、まあ問題はないだろ)リチャードはそんなことを思った。リチャードの感覚も大分おかしくなってきている。

 順調に食料庫(パントリー)へと進んでいくリチャードたち。しだいに樹皮状の壁面が少なくなっていき、岩や土といったものが露出し初め、ごつごつとした原始的な壁面へと変化していく。この変化は食料庫(パントリー)が近い証拠だ。

 

 しばらく進んでいると、通路が大きく開け、そこから赤い光が差し込んできた。石英(クォーツ)の光だ。

 

「ようやく着いたか。それにしても、なんだか様子が変だな」リチャードが呟く。

 

 リチャードの言う通り、食料庫(パントリー)の内部はいつも──と言ってもリチャードはここに来たのは初めてなので詳しくは知らない、あくまでも噂で聞いている限りの”いつも“という意味だ──と様子が違っていた。道中あれだけいたはずのモンスターたちが、まるで見当たらないのだ。

 

「そういえば、ここに来るまでも、食料庫(パントリー)に向かっているにしては、噂に聞いていたほどモンスターと遭遇する率はかなり少なかったな……」リチャードは今更ながらに、その異常に気が付いた。

 

(嫌な予感がするな……)リチャードは冷静にそう思った。

 

 そんなリチャードを尻目に、ルララはずんずんと進んでいく。

 その様子を警戒しながらも見つめるリチャード。ルララ方はというと、石英(クォーツ)に手を翳し何かしている。

 その様子を見ていたリチャードだからこそ、“それ”に気づくことができた。

 

「嬢ちゃん! 上だ!!」

 

 リチャードの叫び声と同時に、上空から、巨大なドラゴンが隕石の如く降下してくる。

 大気が震えるほどの轟音と共に落下してきたドラゴンは、そのままルララを押し潰す。少なくともリチャードにはそう見えた。

 

 ドラゴンは石英(クォーツ)を背にし、まるで“ソレ”を守るかのようにリチャードの前に立ち塞がった。

 ドラゴンは一見して、木竜(グリーンドラゴン)と同じ種族のように見える。全身を覆う鱗は緑色で、4脚で背部に大きな翼を持つ典型的なドラゴンの姿形をしている。遠目から見たら、見分けがつかないレベルである。

 

 だが、その巨大さは大きく違っていた。

 

 木竜(グリーンドラゴン)よりも一回りも二回りも、はるかに大きい巨体をしており、リチャードが今まで見たことのあるどんなモンスターよりも大きな体躯をしている。

 

(グリーンドラゴンの『強化種』かッ!!?)リチャードは巨大なドラゴンを見て、そう思った。

 

『強化種』

 

 基本的にモンスターは同士討ちを行わない。モンスターは本能的にどんな種族だろうと、同種の存在であると、仲間であると、同族であると、そう理解しているのだ。それ故に、同族を傷つけることはほとんどない。そう()()()()だ。何事にも例外というものは存在する。

 

 モンスターの中でも異端中の異端。同族を喰らい、その魔石を取り込むことによってさらなる進化を遂げた個体。そういったモンスターを、冒険者たちは『強化種』と呼んでいた。

 その『強化種』が目の前に……しかも最悪なことに、間違いなくグリーンドラゴンの『強化種』だ。

 

 リチャードはまるで金縛りにあったかのように、身動きが取れなくなっていた。まさに、蛇に睨まれた──、いや、この場合は“竜に睨まれた人”といった所か……。

 ここに来るまでに幾度と無く死にかけ、その度に生き残ってきたリチャードだったが、この時ばかりは本気で死を覚悟した。本能がリチャードに囁く。抵抗は無意味だ、死ぬがいい。

 

(クソォッ! こんなところで終いかよぉ!! ふざけるな! 俺はこんなところで死ぬわけには……)

 

 ドラゴンのアギトがリチャードを飲み込むために大きく開かれる。そして、いざリチャードを飲み込もうとしたその時──ドラゴンの顔面めがけて、猛スピードで大斧が飛んできた。

 ドラゴンの巨体が、その一撃で大きく揺さぶられる。相当な大きなダメージを受けたようだ。なんとかドラゴンは体勢を立て直すと、先程の一撃を加えた相手を睨みつけた。そこには、自らと比べるとあまりにも小さい存在がいた。ルララである。どうやら無事生きていたようだ。

 

 ルララは仲間であるリチャードから見ても、グリーンドラゴンと比べとても矮小で脆弱のように見えた。

 

 だが、トマホークの如き強烈な一撃を受けた、今のグリーンドラゴンの意見は違っていた。

 この小さき存在の脅威は計り知れない。今まで感じたことのない底知れぬ力を、確かにドラゴンは感じていた。

 ドラゴンは咆哮を上げると、ルララに襲いかかる。

 ドラゴンの攻撃をいつの間にか手元に戻ってきていた大斧で防ぎ、往なし、受け流すルララ。その光景をリチャードは、遠巻きに見ているしか出来ない。

 

 ドラゴンの攻撃は熾烈を極めていた。牙、爪、ブレスを用いた攻撃をしたかと思うと、咆哮による衝撃波や、その巨体を宙に浮かせて落下するという自らの巨体を最大限利用したプレス攻撃をするなど、多彩な攻撃を仕掛けていた。しかし、その全ての攻撃になんなく対応してみせるルララ。まるで、最初からどんな攻撃が来るか知っているかのようである。

 

 次元違いの攻防に目を奪われるリチャードだったが、ふとあることに気がついた。

 

(さっきから、全く反撃をしていない!?)

 

 そう、ルララは先程から全く攻撃を仕掛けていないのだ。

 

(しかし……一体何故ッ!?)

 

 思い当たる理由があるとすればそれは……。

 

(もしかして、嬢ちゃんそいつを捕まえる気か?)

 

 確かにこれだけの大物……いや、化物ならば、文句無しに怪物祭のメインとして使うことができるだろう。だが──。

 

(いやいやいや、冗談じゃないぞ、そんな化物!! 俺に調教できるわけがないだろう!! 無理無理無理! 死ぬ! 死んじゃう! 命がいくつあっても足りない!!)

 

 リチャードはそう視線で訴える。じっと見つめるリチャードに気づいたのか、ルララもこちらを見つめてきた。

 『アイコンタクト』──お互いの意思を目線だけで疎通させる高度なコミュニケーション術だ。

 

(そうだ嬢ちゃん! 俺たちは数多くの視線をくぐり抜けてきたもはや戦友といっても過言ではない仲だ! きっと俺たちならわかり合える! 撤退しよう!!)

 

 だがこの小人族(パルゥム)。人の気持ちを知ってか知らずか、微笑みながらウンウンと頷くと、堂々とドラゴンと相対し、戦闘を続行した。世の中どんなに仲が良くても、言葉にしなくては伝わらないものだってあるのだ。

()()()()()()()()()()』ルララの微笑みはそうリチャードに訴えているようだった。少なくともリチャードにはそう感じられた。こんな時だけ都合良く意思疎通できるだなんて詐欺である。

 

(ああ、クソォッ! まじか! マジでやるのか? もうどうなっても知らんぞ!!)

 

 ようやく覚悟を決めるリチャード。

 

「ええい!! もうどうにでもなーれ!!」

 

 人知を超えたドラゴンと冒険者の戦いに、1人のおっさんが殴りこみをかけていった。

 

 

 

 *

 

 

 

 ドラゴンの皮膚は厚く固い鱗で覆われ、リチャードには手も足も出なかった。まあ、実際には手も足も出しているのだが。リチャードの攻撃は、ドラゴンに蚊ほどもダメージを与えられていないように思えた。

 

 リチャードの得意とする武器は──特に無い。決して、『武器を選ばない』という意味ではない。そんな格好いい表現は、このおっさんには似合わない。本当の意味で武器を持っていないのだ。無手、素手、丸腰。おおよそ冒険者とは思えないスタイルが彼のスタイルだ。

 

 『信じるものは己の肉体のみ』というのが本人の弁だが、実は言うと、武器すら買う金がなかったというのが真相だ。もちろんそれは、彼が駆け出しの頃の話だが、それはいつの間にかリチャード独自の戦闘スタイルとなっていった。『人間やってみれば意外と何でもできるもんだ……』とは彼の言葉である。

 

 それなので、今、リチャードは見上げるほどの大きな巨体に対し、素手で果敢に挑んでいた。

 

(果たしてこれは、何か意味があるんだろうか?)

 

 先程から全くもって効果を感じられないことに、この行為の意味を疑問視し始めるリチャード。なによりも虚しくなるのは、何度も何度も攻撃を仕掛けているのに、ドラゴンに完全に無視されていることだ。まるで言外に『お前なんて、構う価値もない』と言われているようである。またそれが、限りなく真実に近いのだろうということが、ますますリチャードの気分を沈ませていた。あんなにビビっていたくせに、いざ無視されるとなると落ち込み始めるとは、中々に勝手なものである。

 

 そんな(よこしま)な思いが通じたのか、ドラゴンは突如としてリチャードに振り向くと、彼目掛けてブレスを吐いた。やったな念願の初攻撃だ、喜ぶんだリチャード君。

 

「ちょっ! そんないきなりかよ!!」

 

 叫び声を上げるリチャードだったが、ドラゴンの突然の攻撃に対応出来ていない。

 ドラゴンから発せられたブレスは、リチャードに寸分の狂いもなく着弾した。ドラゴンのブレスは、彼の鱗と同じように緑色をしている。そして着弾すると同時にあたり一面に巻き散らかされ、ブレスと同じ緑色の沼を形成した。

 

 直撃を受けたリチャードは一瞬、迫り来るブレスに走馬灯を幻視したが、意外や意外何ともなかった。

 

(なんだ? こいつ実は大したことないのか?)リチャードは暢気にもそう思った。

 

 とはいえ、いかにも最大の攻撃であるようなブレスを受けても、ぴんぴんしていたのだ。そう考えてしまうのも致し方ないと言える。もしかしたらこのドラゴンは、防御力は凄いが攻撃力は全然大したことないのかもしれない。

 

「いける! いけるぞ、嬢ちゃん!!」リチャードは全身緑色になりながら、緑色の沼に浸かった状態でルララに言う。たいへん立派なことに、攻撃の手は休めず行っていた。いわゆる、塵も積もれば山となる作戦だ!

 

 そんなリチャードを、ルララはあららといった表情で見ていた。

 

「ん? どうした嬢ちゃん?? そんな『あらら、やっちまったなこいつ』みたいな顔をし……グハァ!!」

 

 突然、血反吐を吐いて倒れるリチャード。薄れゆく意識の中、リチャードはルララの表情の意味を理解した。

 

(……ああ……毒……ね、確かに……物凄く毒々しい……色……してたもん……な)

 

 揺らいでいく世界の中で、リチャードはそう思った。

 

(すまん……嬢……ちゃん、あと……は……たのん……だ)

 

 意識を失い倒れるリチャード。どうやら最後の気力を振り絞って、何とか毒沼からは脱出出来たようだ。そして、その右手には『睡眠薬』が握られていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 リチャードは暗闇の中にいた。一人ぼっちだ。

 

 しばらくすると、ミノタウロスがやってきた。ミノタウロスは左脚だけを残し何処かへいってしまった。

 

 しばらくすると、シルバーバックがやってきた。シルバーバックは右腕だけを残し何処かへいってしまった。

 

 しばらくすると、ワーウルフがやってきた。ワーウルフは右脚だけ残して何処かへいってしまった。

 

 しばらくすると、マンティコアがやってきた。マンティコアはリチャードの前に座る。そしてリチャードに問うた。

 

『俺の左腕も欲しいか?』

 

 

 

 *

 

 

 

 目が覚めるとそこは、今朝と同じベッドであった。最悪の気分だ。

 毒のせいなのか、それともさっきの悪夢のせいなのか。きっとどっちもだろう。

 リチャードはベッドから降りると、台所へ向かった。

 

 リチャードが生きていたということは、誰かがここまで運んでくれたということだ。そしてその誰かとは1人しかいない。

 台所に着いたが、そこに人影はない。手持ち無沙汰になりっていると、背後から声をかけられた。この声はダルフだ。

 

「おお! 目が覚めたかリチャード、体の具合はどうだ?」朗らかに笑いながらダルフは言った。

「ええ、おかげさまで大丈夫です。あの、嬢ちゃ……ルララさん知りませんか?」リチャードは真っ直ぐに聞いた。

「まあ、そのなんだ、さっきまで死にかけてたんだから無理すんじゃないぞ。ルララさまなら、ちょいと立て込んでいてな、今は外だ。会いに行くんなら礼を言うのを忘れるんじゃないぞ。ここまで運んでくれたのはルララさまだからな」

 

 やはり、ここまで運んでくれたのはルララであったようだ。

 

「やっぱりそうですか。ありがとうございます、ちょっと行ってきます」

「ああ、行ってくるといい。きっと、度肝を抜かれるぞ」ダルフは意地悪そうな笑みを浮かべるとリチャードを送り出した。

 

 ダルフの言葉が少し気になったが、実は言うとなんとなく予想はついていた。

 

 外に出ると、案の定、街のど真ん中にさっきまで死闘を繰り広げていたドラゴンが、まるで子犬のように大人しく座っていた。その目の前にはルララが立っている。周りの住民は──ドラゴンを恐れているのか──遠巻きに様子を窺っている。

 

 その人だかりを突き進み、リチャードはルララに声をかけた。

 

「やぁ、嬢ちゃん。まさか本当に手懐けちまうとは驚きだ……俺なんかよりも、よっぽど調教師(テイマー)の才能があるんじゃないのか? それから、死にかけた俺をここまで運んでくれたんだろう? ありがとう。嬢ちゃんは命の恩人だ」

 

 そう言うとリチャードは頭を下げた。

 

【どういたしまして。】ルララは微笑みながらリチャードに言った。それに釣られリチャードも微笑む。

 

「それで……こいつが、今回の獲物ってことでいいのか?」リチャードは一応ルララに確認した。

【はい。お願いします】ルララはにこやかに答えた。

「ハハハ、こいつは……骨が折れそうだな……」乾いた笑いが漏れる。本番ではコイツと一対一で対峙しなくてはならないのだ。今から想像しただけでも絶望してくる。今は大人しいが、本番ではこうはいかないだろう。

 

「まあ、兎に角だ! 今回のクエストは大成功って訳だ! 改めてありがとう嬢ちゃん! 本当に、本当に助かった!!」

 

 大きく手を広げ、大袈裟に振る舞いながらリチャードは言う。

 

「んじゃ、帰るとするか! ダルフの爺さんにも挨拶しないとだな! あと、多分これが一番の問題なんだが……」

 

 リチャードはさっきから見ないようにしていた現実を直視し、ルララに言った。

 

「コイツ、どうやって持って帰ろう?」

 

 そう、リチャードはモンスターを捕獲することばかり考えていて、地上に上げる方法を、全然、全く、これっぽっちも考えていなかったのだ。

 ああ、ほんとどうしましょ? そんな風に悩みまくっているリチャードに、ルララが提案する。その瞳は『私にいい考えがある』と言わんばかりであった。

 

 

 

 *

 

 

 

 リチャードは、自分はおかしくなってしまったのだと、頭がいかれてしまったのだと思った。それほどに、目の前で起きたことが衝撃的だったのだ。

 

 ルララがドラゴンに近づき、手を(かざ)すと、たちまちのうちにドラゴンの姿が消えた。ルララ曰く『かばんにしまった』そうだ。

 なにそれ、ありえない! こわい! そんな夢の様なかばんがあったら、サポーターの商売は上がったりである。

 

 リチャードは「またまた、ルララさんは冗談がお上手ですね」なんて言っていたが、それならばと、目の前で何度もドラゴンを出したり入れたりしてみせた。心なしかドラゴンが嘆いているように見える。こんな光景を見せられた日には、流石に受け入れるしかなかった。

 まあ、この際細かいことは気にしないでおこう。運ぶ手段があるならば、それに越したことはない。そう必死に自分に言い聞かせる。

 

 リチャードとルララはそのまま一度ダルフの家に戻ると、彼にお礼と再会の約束をし地上への帰路に着いた。

 ふと、リチャードにここまで来た時の事を思い起こした。

 

死の行軍(デス・マーチ)

 

 嫌な予感がする。

 

「あの……ルララさん? もしかして帰りも急いで行きます? できたら私めはゆっくりが……ってぇえええええええええ!!!!」

 

 嫌な予感は的中した。リチャードの質問なんて聞いてもいないのか、猛然と開幕ダッシュをしかけるルララ。その後を、なんだか前にもこんな光景があったなぁと思いながら、必死に追いかけるリチャード。その顔は不思議と晴れやかだった。

 

 帰りにかかった時間は、来る時よりも短かった。

 

 

 

 *

 

 

 

 人も、モンスターの姿もない食料庫(パントリー)で、蠢く“影”が一つ。その影は次第に人に近い形をとり、やがて完全に人の形となった。だが“それ”は人の姿形をしているが、“人”ではなかった。その存在が静かに囁く。

 

「よもや、『守護者』を倒すどころか捕獲するとは……一体何者だ? まあいい、『計劃』には支障はない。それに、生きているのであれば幾らでも利用価値はある。ならば──」

 

 そう言うと、“それ”は煙のように消えた。後に残るのは、静寂と石英(クォーツ)の輝きだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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