光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ウィリアム・スミス
暖かい陽の日差しが頬に優しく照りつける中、軽快な足取りでメインストリートを行く。これが見た目麗しい淑女や元気ハツラツな女冒険者であったならば、振り向く者も多いだろうが、残念ながらその人影は、もう四十になろうかというおっさん──リチャードであった。
リチャードは朗らかな日差しの中、昨日、別れ際にルララと示し合わせた集合場所へと向かっていた。目的は、前回のクエスト報酬を支払うためだ。
昨日までとは違い、ぼさぼさだった髭は綺麗に切り揃えられ、寝ぐせがつき放題だった髪はきちんと整えられている。しかし、着ている服だけは昨日までと一緒だった。ちゃんとした面構えに、薄汚い格好のちぐはぐさは不思議なハーモニーを奏で、リチャードの存在を無駄に主張していた。
リチャードがここまで身だしなみを整えた理由は、ルララに会うため……などでは勿論なく。メインイベンターとして恥ずかしくないように、団員たちにより整えられたためだ。
『今年のファミリアの顔となるメインイベンターが、無精髭で伸び放題の髪型をしていては、沽券に関わる』とは彼の団長シャクティの言葉だ。
その言葉はリチャードにも十分理解できるので、そこは素直に受け入れた。そもそも別に、あの見た目に何かこだわりがあるわけでもないのだ。服装がそのままなのは『これから用意する』とのことらしい。そういった方面にはリチャードはとことん疎いので、全面的にファミリアに任せるつもりだ。適材適所、こう言ったことはしっかりとした知識のある人間に任せるのが一番で、幸いガネーシャ・ファミリアには、そういった知識の豊富な団員が多数存在している。だてに毎年、大規模な祭典を開いている訳ではないのだ。
ややあって、リチャードは集合場所に到着した。約束の時間までは、まだ30分程ある。団員たちに唆されて早めに来てみたが、少し早すぎたのかもしれない。これではまるで初デートに浮かれる少年の様だ。
ルララの姿はまだ見当たらない。まだ来ていないようだ。これは当然である。多くのクエストを抱えているルララは、ミリミリの時間配分で行動している。約束の時間に遅れることはないが、早めに来るということもないだろう。30分後、時間ぴったりにルララは来た。
ルララは、昨日までの赤と黒の野性的なキュイラスではなく、白の生地と茶色の革で出来たカフタンを着ており、ぱっと見ではどこにでもいる少女に見えた。これが、あの巨大なドラゴンをも服従させた超一流の冒険者だとは、どんなに観察眼が優れている者でも想像できないだろう。それを、リチャードだけは知っていた。
僅かな優越感を感じながら、リチャードはやってきたルララに声をかけた。
「よぉ嬢ちゃん。流石だな、時間ピッタリだ」手を上げながらリチャードは言った。
【こんにちは。】【よろしくお願いします。】無機質な声でルララが応える。
「ああ! 元気そうで何よりだ、お互いにな。んじゃ、早速だが行くとするか」
リチャードとルララはのんびりと立ち話でもして、世間話に花を咲かせる様なそんな色っぽい関係では間違ってもない。挨拶もそこそこに、本日の目的を達成するために移動し始めた。
*
おおよそ1時間ほど歩いた先に、目的地はあった。こんなにも時間がかかった原因は、お察しの通りだ。寄り道は冒険者の嗜みである。
リチャードは後ろからついて来るルララに振り向くと、「ここが前に言っていた、買い取りもやっている、知り合いの道具屋『トリスメギストスの道具屋』だ」と言った。
まわりの建物と比べると二回りほど大きく、外観も手入れが行き届いているのか、綺麗に塗装された木造の三階建ての建物である『トリスメギストスの道具屋』は、設計者の好みなのか無駄な装飾は少なく、地味な印象を与える。店の入口である大きな扉の上には看板があり、二匹の蛇が絡まった杖が三本と、
『トリスメギストスの道具屋』は掲げられた見事な看板が一応の威厳を示しているが、他の多くの店と違い派手な外観をしておらず、あまり商売気のない感じだ。もしかしたら客商売が本業ではないのかもしれない。
その扉を迷うことなく開けると、リチャードたちは中に入る。
店内は魔石灯で灯されており、適当に並べられた商品はどれも変わった形をしていた。ざっと見ただけでも用途不明な物が目立つ。外観と同様、あまり商売にやる気のない様子が店内からマジマジと醸しだされている。当然のことながら、客の姿は見当たらない。
そんな店内を、リチャードは慣れた様子で進んでいく。店の奥にはカウンターがあり、そこには、これまたやる気の無さそうな店員らしき男が舟を漕いでいた。
店員らしき男は黒い短髪のヒューマンで、間抜け面しながら幸せそうに寝息をたてており、終いには「むにゃむにゃ、アスフィ団ちょ……う、結婚してくれぇ。むにゃむにゃ」なんて寝言まで言っている。随分とだらしがないが、この男が店番なのはリチャードには都合が良かった。
リチャードは、そんな間抜けな寝言をかましている、数少ない彼の友人──キークス──に呆れ返った顔をする。
(仕事中に居眠りとは、いい身分になったな……)
自分だってつい最近までは同じような状況であったくせに、それを無視してリチャードはそんな事を思った。取り敢えず仕事場にはいるこの男に比べれば、むしろリチャードの方が酷かったというのに。
基本リチャードは過去を見ないで未来を見つめる男だ。見つめ過ぎて足元がお留守すぎるのだが、それは、まあこのさい置いておこう。
いつまで待っても起きる気配のないキークスに対しリチャードは──気持ちは大変良く分かるし、申し訳ない気持ちでいっぱいだが──その安らぎのひと時を終わらせるために、行動を起こすことにした。
「オイ! キークス、居眠りしている場合じゃないぞ! 起きろ、客だ!! でないと愛しの団長様に言いつけるぞ!」
「うぉおッッ!? そ、それだけはご勘弁をぉお!!」
突然の大声に、驚き悲鳴を上げ飛び起きるキークス。
大声を上げたのが、リチャードであることを認識すると胸を撫で下ろし言った。
「な、なんだリチャードか、驚かせやがって……そ、それで、今日はなんの用だ? 悪いが、この間のクエストの依頼なら無駄だぞ。一応、団長にも聞いてみたが『そんな高難易度のクエストは受けられません。死ぬ気ですか?』って言われちまったよ。まあ、俺達は弱小ファミリアだからな、危険は冒せんのさ。それとも金の無心か? それこそ無駄だぞ、お前のファミリアに借りはあっても、お前には何も無いからな」寝起きで動揺しているのか、キークスは矢継ぎ早に言った。
「違う、今日はそんな用事で来たんじゃないさ」リチャードは答えた。
「じゃあ、なんの用でうちに来たんだ? お前がここに来るのは決まって、何か問題を抱えている時か、金が無い時かだ」
キークスの言葉にリチャードは一瞬、ムッとした表情を浮かべたが、すぐにそれを引っ込める。今までのリチャードであればキークスの言葉は図星も図星であったのだが、今日はそうではない。彼の言葉は言いがかりも甚だしいが、それをいちいち気にするほど、“今の”リチャードの心は狭くないのだ。今のリチャードにはそういった精神的余裕がある、そう、この”新生”リチャード様には、な!
リチャードはニヤリと笑みを浮かべ、ドヤ顔で言った。
「言っただろう? 客だって。まあ、今回俺は紹介で客は別にいるんだ……かなりの腕利きでな。素材やらドロップアイテムやら、たくさん持ってるんだが、買い手がいないらしくて。お前のところだったら、そういったアイテムの買い取りもやっているだろう?」
「まあ、そういった話なら大歓迎だが……お前が紹介とは珍しいな、こりゃあ明日は槍でも降るかな?」おどけた調子でキークスが言った。
「かもな」それに答えるリチャード。ドヤ顔が憎らしい。
「……」
「……お前少し変わったな……」キークスの声には驚きの色がある。そういえば髪と髭も剃ったようだ。そのせいだろうか? 随分と印象が良くなった気がする。まあ、それをわざわざ言ってやる気はないが。
「それで、その紹介したい客はどこにいんだ? 見たところ見当たらないが」
そう言うとキークスは店中を見渡す。一見してそれらしき客はいない。普通の客もひとっこ一人いないが。
「ああ、そこからじゃ見えないか」
そう言うとリチャードは振り向くと、後ろで控えていたルララを抱き上げる。カウンターの向こう側にいるキークスからは死角になって、ルララの姿が見えなかったのだ。
「紹介しよう! 彼女の名前はルララ・ルラ!
【よろしくお願いします。】
まるで、アフリカのサバンナに住むライオンのように高々とルララを掲げるリチャードと、無い胸をこれでもか! という感じで張るルララ。それは、まるで生命の循環を称えているかのようであり、
おっさんと見た目少女──いや幼女が創り出す奇っ怪な光景は、少なくとも、超一流の冒険者が出すものではなかった。超一流(笑)なら話は別だが。だから、まあ、次にキークスがとった反応は仕方のないものだった。彼は悪く無い。
「……プッ……ブハハハハハハハハハハハハハ」大爆笑である。
「ヒヒヒヒッ! そ、そのお嬢ちゃんが、超一流の冒険者ぁ? フハハハ! バカも休み休み言ってくれ! いいか、超一流ってのはな、ぱっと見ただけでそうと分かる、高貴なオーラ? みたいなもんを纏っているんだぜ! ロキ・ファミリアのリヴェリア様然り、アイズたん然りなぁ! 悪いが、そのお嬢ちゃんからはそういったオーラが感じられねぇ。良いとこ……そうだな、うちのニーナと同じぐらいなもんだ」
キークスは同じファミリアに所属する、小人族のニーナのことを思い浮かべながら言った。
流石に『ちょうど胸もそんぐらいだな』とは、両者の名誉のために言わなかった。大は小を兼ねる、良い言葉だ。
それに対しリチャードは、冷ややかな目でキークスに言った。
「まあ、言っていればいいさ。そう言っていられるのも今のうちだからろうからな……」その瞳には同情の色が僅かに見て取れる。
「な、なんだ、意味深に言いやがって」その雰囲気にたじろいだキークスが言う。
「まあ、見てみりゃわかるさ『百聞は一見に如かず』ってな、いちいち説明するよりも見たほうが早いだろう? 嬢ちゃん!」
リチャードの声がけとともにルララはカウンターに寄りかかると、とりあえずこれを、といった感じでキークスの前に鉱石を置いた。
ゴトっ、と音を立てて置かれた鉱石はキークスのこぶし大ほどの大きさがあり、何かの成分を多量に含んでいるのか深い青色をしている。
「それじゃあ、お手並み拝見といきますかね」
キークスはそれを手に取ると、早速鑑定に取り掛かった。その目はこれまでとは違って真剣そのものだ。どっかの誰かとは違って、仕事は真面目にやるらしい。え? さっきまで居眠りしていた? 知りませんね。
「なるほど、確かに見たこともない鉱石だな。だが、そこら辺の石ころを青く塗っただけのものかもしれない。お嬢ちゃん、ちょっと悪いが少し、弄ってもいいか?」
手にとって観察していたキークスは、それだけでは判断しかねると理解したのか、ルララにそう聞いてきた。
【はい。お願いします。】ルララは迷いなくそう答えた。
「ありがとよ、お嬢ちゃん。んじゃあ早速」
そう言うとキークスはまず、ピックを取り出すと、念のため再度ルララに聞いた。
「これから、この鉱石の表面を少し削って、含んでいる成分を調べる。そのために少し傷をつけることになるがいいか?」
ルララはキークスに向き合い素早く頷いた。言外に早くしろと言外に訴えているに思える。よほどこの鉱石の品質に自信があるらしい。
「おーけぃ、大した自信だ」ルララの反応をそう捉えたのか、キークスは言う。
そうしてピックを鉱石に押し当てると、表面をガリガリと削った。だが削れたのは鉱石ではなくピックの方であった。
「んなっ!?」驚きの声を上げるキークス。その顔を見て「それ見たことか」という顔をするリチャード。ルララはあいも変わらず真顔だ。
「おいおい、このピックはミスリル製だぞ? それが、まだ精製もされてない鉱石に負けるなんてありえねぇだろ! そんなもん──」
『そんなもん、アダマンタイトぐらいしかあり得ない』そう言おうとしたが、その言葉は最後まで紡がれることはなかった。言わずとも、理解してしまったのだ。これがアダマンタイトの原石であると。それもかなり高純度の。なるほど、どおりで見たことが無いはずだ。
「え!? っちょ! まじか!?」
いやいや、そんなはずはない。キークスはそう思った。これがもし本物なら、こんな弱小ファミリアなんかに持ち込む意味が無いからだ。もっとランクの高い。それこそ、鍛冶専門のファミリアであるヘファイストス・ファミリアや、ゴブニュ・ファミリアにでも持って行った方がよっぽど利益になる。そっちのほうが両者ともに幸せになれるし、彼らなら泣いて喜んで大金を支払うだろう。てことは、これは我がファミリアを狙った、悪質な詐欺の可能性がある。だがキークスにはこれが本物であるか偽物であるか、判断することが出来なかった。いや、正確には、本物であると認めたくなかったというのが正解かもしれない。
それに、こんなレア素材を買い取ろうものなら我がファミリアは、一気に破産に追い込まれてしまう。それほどの価値が、この握りこぶし大の鉱石にはあった。
それをこの小人族は『とりあえずこれを』といった感じで出してきたのだ。キークスは目の前が真っ暗になりそうになった。
「見てみりゃわかる」リチャードの言葉が真実であったことを理解した。
「団長ぉお!! 団長ぉおお!!!!」
もはや、“これ”は自分の処理能力を超えている。そう判断したキークスは、頼みの綱である自らの頼れる団長に助けを求めた。
「アスフィ団長ぉおお!! 今すぐ来てください!! と、とんでもない客がきました!!」
彼の叫び声が『トリスメギストスの道具屋』──彼ら、ヘルメス・ファミリアのホーム──中に響き渡った。
*
団員からの緊急要請に答え、カウンターへとやってきたヘルメス・ファミリアの団長──アスフィ・アル・アンドロメダ──は、柄にもなく緊張した表情を浮かべていた。
原因は目の前にあるアダマン鉱石だ。
オラリオでも随一の
より精細な検査を彼女自ら行った結果、既に、この鉱石は間違いなくアダマンタイトの原石であると判明している。客人が詐欺やペテン師である可能性は、これで完全に消えた。正真正銘これは本物だ。
そうであるならば、この商談は何としてでも成功させなくてはならない。こんなレアアイテム逃す手はないだろう。放任主義で、よく行方知れずとなる主神の代わりにファミリアを預かるものとして、このチャンスは絶対にものにしなくてはならない。
「それで、今回のお持ち頂いた鉱石の買取り価格ですが……100万ヴァリスになります」
少し考え、アスフィはルララにそう提示した。
アスフィが提示した値段は、少しでも
取りあえず、これは軽いジャブだ。これで相手の反応を見る。最悪これで帰るような相手なら、この商談はこれまでということだ。しかし、アスフィには勝算があった。わざわざこんなファミリアに売りに来たのだから、何か切羽詰まった事情があるのだろうという事は簡単に推測できる。そうであるならば、まずは思いっきり値段を下げて足元を見る。アスフィの作戦はそういった感じだった。最初に提示した値段が低ければ低いほど、後の印象に影響を与え商談を有利に運ぶことができる。
(まずは一手目、さあどう出ますか?)
そう思うと、アスフィはルララたちをちら見した。
案の定、リチャードとルララは信じられないといった表情をしている。二の句も継げていない。当然だろう。おそらく、死に物狂いでこのアイテムを手に入れ命からがらここまで持って来たはずだ。そんな命をかけてまで手にしたアイテムが、
ここまではアスフィの予想通りだ。だが──。
「す、凄いぞ! 嬢ちゃん! なんだか良くわからんが、物凄い値段がついたぞ!!」
【やったー!】
だが、この反応は予想外です。
ちら見したアスフィの瞳には、ありえない値段に、ありえない反応をする、ありえない人間が映っていた。
今回のお客様は、アスフィが想定していた
全く鉱石に関する知識のないリチャードは、その──彼の中では──非常に高額な値段に歓喜の声を上げ、さらに続きを促した。
「よっし、じゃあドンドン行こう!」
【わかりました。】
(えっ!? ドンドン!?)
そして、その声とともに、今度は、ありえない光景がアスフィの前に広がった。
アダマン鉱石が乗せられているカウンターの上に、次々と乗せられていく数々のレアアイテムたち。中にはアスフィすらも見たことのないアイテムが混じっている。
(あれはドラゴンの粗皮? それに鱗まで!? あっちはグリーンドラゴンが守護しているという宝石でしょうか? こ、これなんて、見たこともない宝石の原石です。ですが非常に高い魔力を感じます。こ、これは!! 嘘、あれは!! そんな!?)
乗せられていくアイテムたちは、どれもこれもアダマン鉱石に勝るとも劣らない、超激レアアイテムばかりだ。その中には鉱石ではなく、きちんと精錬されたアダマンタイトまである。
悪夢のような、または、アイテムメイカーとしてはある意味天国の様な光景を前に、目を白くするアスフィ。それを尻目に、ここぞとばかりにアイテムを並べていくルララ。カウンターの上がアイテムでいっぱいになるまで、それは続いた。
(これら全てを買い取れというのですか!? えっ!? 正気ですか?)
流石にこのレベルのアイテムをぽんっと出す冒険者相手に、これ以上嘘を付いたら、どんなことになるのか想像もできない。
アスフィは思った。こんなことになるのであれば、変な意地を張らず、素直に『うちじゃ買取りできません』と言うのであったと。小さなファミリアだから舐められてはいけないと、少々喧嘩腰で商談に望んだのも仇になった。あるいは、稀代のアイテムメイカーとして、レアアイテムを求める欲が出たのが不味かったか。アスフィは心の中で自らの選択が間違いであったことを素直に認めた……だが。
だが、ここまできてもう引き下がることは出来ない。こうなったら、最後の最後まで貫き通すしかない。
アスフィの額からは、緊張からか汗が流れ落ちる。相手は超激レアアイテムを多数所有する、おそらくは第一級クラスの冒険者。間違いなくアスフィよりも実力は上だろう。一手でも間違えれば、その瞬間、首と胴体がお別れしてもおかしくはない。まあ、既に一手ほど間違えちゃってる気がするが、なに気にすることはない。
「こ、これらも買い取り希望でしょうか?」努めて冷静さを装ってアスフィは言った。その声は僅かに震えている。間違いなく動揺していた。
【はい、お願いします。】そんなことを気にする素振りも見せずにルララは答えた。
「わ、わかりました。少々お待ちください」
そう言うとアスフィは、ルララたちの目の前でアイテムの鑑定を始めた。
震える体を必死に押さえ込みながら、慎重に作業を進めていくアスフィ。もし万が一傷でもつけようものなら、一瞬でこのファミリアは崩壊するだろう、細心の注意を払う必要があった。なんて綱渡り……。しかも、そのレベルのアイテムがごまんと並べられているのだ。先の見えない勝負に、目が眩みそうになる。一体これはどんな罰ゲームだ。
(これは、見たこともない金属ですね……ですがアダマンタイトにも負けないほどの魔力を感じます。それからこれは、何でしょうか? 何かの血? 物凄く禍々しいです。そして、うそ、これはまさか、エリクサーでしょうか? それがまるでポーションの様に大量に……もうやだぁ)
カウンターに置かれたアイテムを一つ一つ手に取り、念入りに鑑定していくアスフィ。見れば見るほど、常識はずれなアイテム群だ。もはや、レアアイテムのバーゲンセール状態だ。
最後に残った、異常なまでに風属性の魔力が篭った結晶体を鑑定し終えると、アスフィは観念した。
ああ駄目だ……アダマン鉱石を相手にするだけでも、一杯一杯なのに、何だこれは? こんなの相手するのは無理がある。不可能だ。もうお家に帰りたい。あ、お家はここだった。
「お、終わりました」もはや半べそ状態でアスフィは言った。
「おお! それでどんな感じだった??」
【楽しみです!】
アスフィの異変に全く気づいていないリチャードとルララ。その言葉は、アスフィには死刑宣告のように聞こえた。
「し、しめて……いっ……」
「いっ!?」
「いっ、一千万……ヴァリスになります!!」
言った! 言ってやった! 言ってやったぞぉおお!! さぁどうだ!!?
「お、おおおおおおお!!! 一千万!! 一千万ヴァリスだってよ、嬢ちゃん!! やばいぞ、大金持ちだ!!!」
【やったー!】
『やったー!』のは私の方だ! やったああああああ!! 生き延びたぁあああ!!!! 勝ったぁああああああああああ!!!!
思わず立ち上がって両手を高く掲げるアスフィ。それに釣られ、リチャードとルララも同じように両手を掲げた。YATTA! YATTA! YATTA! いや~生きてるって素晴らしい!!
「やべぇえ、あんな笑顔の団長みたことねぇ」
その様子を、奥の作業場から見守っていたキークスは、団長の今まで見たこともない満面の笑顔を見て、そんなことを呟いていた。
*
「はい、それでは約束の一千万ヴァリスになります」
その後の商談は、トントン拍子に進んでいった。アスフィはここに来てようやく、相手がド素人の“鴨”だと理解したようだ。というか、鴨どころか鴨が葱背負って鍋まで持ってきて自分で料理し始めた感じの相手だった。アスフィがしたことは、出来上がった料理を美味しく頂くだけだった。
それならばもっと値段を下げようかとも考えたが、これ以上欲を出すのは控えることにした。下手に薮をつついて蛇でも出てきたら、大変だからだ。
ファミリアの金庫から約束のヴァリスを持ってこさせ、リチャードたちの前に置くアスフィ。ドンと置かれた大量のヴァリスがカウンターの上にそびえ立つ。さっきまであった、アイテム群は既に片付けられている。
こうして、積み上がったヴァリスを見ると、一千万ヴァリスというのは物凄い大金だと感じる。まあ、さっきまであったアイテム群に比べると、見劣るどころの話ではないのだが。
「やばいな、俺、こんなにヴァリスが積み上がっているのを見るのは初めてだぞ」
【/happy】【やったー】【ハウジング】【ください。】
まあ、それでも相手が喜んでいるのだ、問題無いだろう。あんまり水を差すのも失礼だろうし……。
「それでは、本日はありがとうございました。またのお越しをお待ちしています」
この短い時間でここ数年のファミリアの収支と、ほぼ等しい額を稼いだアスフィは、ほくほく顔だ。あとは余計なことを言い出す前に、さっさとお引き取り願おう。
「ああ! 今日はありがとう。次があるかは、まあ、それは嬢ちゃん次第だが、こんだけ稼げたんだからまた来るだろう。な! 嬢ちゃん」
【はい、お願いします。】【また会いましょう】
いえ、今日あなた達が稼いだのは本来の百分の一くらいです。でもそんなことは言いません。冒険者道は弱肉強食なのだ、慈悲はない。騙される方が悪いのです……諸行無常。
「はい! その時は是非、我がヘルメス・ファミリア『トリスメギストスの道具屋』へお越しください! お待ちしております」
そう心にも無い事を言うと、アスフィはリチャードたちの姿が見えなくなるまで頭を下げ続けた。
しばらくして、リチャードたちの姿が完全に見えなくなったのを確認すると、アスフィはようやく頭を上げた。
「しかし、とんでもない客でしたね……団長」そうアスフィに声をかけるのは、キークスだ。
「全くです、死ぬかと思いましたよ。もう二度とゴメンです」溜息をつきながらアスフィは、カウンターにのしかかり脱力した。
「ハハハ、大変でしたね」
「大変でしたねって、元はといえば、キークス、あなたのせいですよ?」
「そ、それは……でも俺のおかげでもあるんですよ? リチャードは俺の知り合いですし」
「それは、まあ、そうですが……」
「そうですよ。だからもっと俺を褒めて下さい」
「キークス……あなたという人は……まあ良いでしょう、こちらに来なさい」
これは怒られるか、と思っていたキークスだったが、意外や意外、アスフィは怒るどころかキークスを褒めてくれるようだ。近づくと頭をなでなでしてくれた。
アスフィの柔らかく、細い指がキークスの頭に添えられる。そのまま彼の頭を撫でる。あまりの気持ちよさに、キークスは目を細めた。ああ、俺、今、幸せの絶頂の中にいる……ここは天国だ……。
どれくらい、そうしていただろうか……できれば一生そうしていたかったが、キークスの頭から、アスフィの手が離された。
「も、もういいでしょう?」恥ずかしさのあまり赤面するアスフィ。
「え、えぇ。ありがとうございました」
物足りなそうにするキークス。こんな機会は滅多にないのだ、もう少し堪能していたかった。
微妙に気まずい雰囲気があたりに立ち込める。
「そ、そういえば、なんというか末恐ろしい冒険者でしたね!」
そんな雰囲気を打破するために、キークスは無理矢理話題を出した。
「え? えぇ、できることなら、一生関わりたくない相手でしたね」
未だに少し、ぼーとしているアスフィは慌てて同意した。
元々、このファミリアは、あまり目立ちたくない者たちが寄り集まってできたファミリアだ。無用な争いやトラブルはご遠慮したいのが本音だ。
高レベルの冒険者なんて、いるだけでトラブルの元になる。そんなものに関わるのはご免だ。ただでさえ、自由奔放な主神に苦労しているというのに。
ああ、主神の顔を思い出したら、なんだか余計に疲れてきた。
「今日はもう閉店とすることにしましょうか」急激な疲労感に見舞われたアスフィは、そう提案した。
「お! いいんですか?」キークスは嬉しそうに言う。退屈な店番をやらなくてすむなら大歓迎だ。
「私も今日は疲れましたし、それに……」そう言うとアスフィは店内を見渡した。
「見たところ客もいないようですからね」
リチャードとルララが去った店内には、誰もおらず、閑古鳥が鳴いていた。見慣れた、いつも通りの、我がファミリアの日常が戻ってきていた。それが今はとても愛しく思える。
誰もいない店内を見ると、ファミリアの財政状況が危ぶまれるが、今日来たお客のお陰で、それも、しばらく心配する必要はなさそうだ。
「感謝しますよ。小さな冒険者さん」
アスフィの声が静かに響いた。その後待ち構えている苦難の事など知らずに……。
今回出てきた『トリスメギストスの道具屋』はオリジナル設定です。