光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ウィリアム・スミス

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リチャード・パテルの場合 6

 夢の中で、リチャードとマンティコアが向き合っていた。

 

 マンティコアが言う「俺の左腕も欲しいか?」と。

 

 リチャードは答える「いいやその必要はないよ」と。

 

 マンティコアは少し寂しそうな顔をして、夢の中に消えた。

 

 リチャードも少し寂しそうな顔をして「さよなら」と言った。

 

 

 

 *

 

 

 

 怪物祭の当日、リチャードはいつもより少し早い時間に覚醒した。

 

 いつもであれば、このまま二度寝と洒落こむところであるが、今日ばかりはそういってもいられない。昨日までの疲れを残さないために、昨夜は早めに床についたのが良かったのか、大して苦労せず、リチャードは寝床から抜けだした。

 

 軽くストレッチを行い、身体の調子を見る。多少、筋肉が張っているが、これは起きたばかりで、身体が固くなっているためであろう。その証拠に、少し動かしただけで、固まっていた筋肉がほぐれてくる。

 

 調子は……うむ! 悪くない。

 

 昨日まで行っていた、準備やリハーサル、そしてダンジョン探索の疲労は、十分抜けたようだ。意気込むあまり、最後の最後まで訓練に勤しんで、疲労困憊で結局碌なパフォーマンスをすることができない、というのは結構ありがちな話であるが、そういった事態はなんとか回避することができたようだ。

 

 そういった調整に関しては、意外に、リチャードは上手かった。まあ、ただ単に手を抜くのが上手いともいえるが、そういった能力が、案外、こういった大舞台では重要であったりする。そういった意味では、ガネーシャの人選は最適だったといえるだろう。

 リチャードは静かに寝室から出ると外に出る。乳白色の光が、朝霧のかかるオラリオの街中を、幻想的に照らしている。その中でリチャードは一度大きく伸びをすると、歩き出した。

 

 ゆっくりと、しかし、確かな足取りで、一歩一歩噛みしめるかのように進むリチャード。特にあてもなく、気の向くまま足の向くまま歩んでいく。

 

 頭の中にあるのは、今日の怪物祭のことだ。

 

 会場となる円形闘技場、そこに至るまでの道筋。

 対峙する巨大なドラゴン、その巨体から繰り出される攻撃。

 会場一杯にいる観客、彼らから発せられる声援や歓声。

 そして、常にその中心にいる自分。

 

 今日起こるであろう、ありとあらゆることを想定し、その結果をイメージしていく。その際、なにもかもが完璧に上手くいき、理想的な結末へと至るようにイメージするようにする。

 

 ふと、ドラゴンに食い千切られ絶命する姿が頭によぎる。

 

 それを、ブンブンと頭を振って頭の中から追い出す。

 こういった日は、どうしてもネガティブなイメージが湧き上がってくるが、極力ポジティブなイメージを考えるように努める。始める前から負けていては、決して勝つことはできないのだ。

 

 不安要素や、心配事、起こりうるアクシデントなども思案し、その対応策を練り、一つ一つ潰していく。どんなに事前に完璧な準備をしていても、本番では何が起きるかわからないのだ。なにか起きた時に、精神的に動揺していては、本来の実力を十分に発揮することは出来ない。唯でさえ、リチャードの実力を100%発揮できたとしても、対応するのが難しい相手なのだ、出来る限りのことはしておく必要がある。

 

 だからといって、考え過ぎるのもいけない。肉体と一緒で、脳も使いすぎれば機能不全に陥る。結局、身体を動かすのは脳なのだ。そこが疲れていては、とっさの判断や、柔軟な対応、限界を超えた動きをすることはできない。考えるんじゃない、感じるんだ。

 この複雑なジレンマに対し、自分の中で落とし所を見つけなくてはならない。

 

 清々しい早朝の空気の中で、リチャードは上手いこと“それ”が出来たようだ。昨日までと違った、まるで別人のように凛々しくなった表情から、それが察せられる。

 ファミリアの本部に帰ってくると、リチャードは共同の浴室に行き風呂に入る。これは、昨日団員たちに断りを入れて、事前に用意しておいたものだ。

 

 いつもより熱くした湯は、リチャードの体温を急激に上昇させ、それに伴って、血管が広がり、循環する血液量が増加していく。多くの血液を得た筋肉が覚醒し始め、反応速度が上がっていくのを感じる。関節のこりがとれ、動きが滑らかになっていく。

 徐々にではあるが、確実に、リチャードの肉体は休息の状態から、戦闘態勢へと移行していった。

 

 風呂から上がると、朝食を摂った。

 

 肉や、野菜など、腹に残るものはあまり食べずに、パンや米といった、消化のいい炭水化物を中心に水分を多めに摂取する。

 食事を終えると、トイレに行きたくなってくる。消化器系が十分に機能している証拠だ。

 

 本番で緊張し、胃が痛くなるなんてことになったら目も当てられないが、この調子なら問題は無さそうだ。

 

 怪物祭は正午から始まるが、自分の出番は祭典の最後──クライマックスの時だ。まだまだ時間は十分にある。

 僅かな緊張感と、リラックスした気持ちが混ざり合い、心地良い高揚感が微かにやってくる。

 精神状態も悪くないようだ。であるのであれば、後は人事を尽くして天命を待つ──だ。

 

 大舞台を前に、リチャードの肉体も精神も最高潮に達しようとしていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 怪物祭が行われる円形闘技場の片隅に、特別に用意された控室で、ガネーシャ・ファミリア団員たちは今か今かと出番を待っていた。各々割り当てられた部屋で、各チーム、ないしは個人の最後の調整を行っている。

 

 リチャードの部屋には、彼一人しかいない。その中でリチャードは、何をするということもなく、ただ、ぼうっとしていた。

 打てる手は全て打った、後は本番に望むだけだ。今更、慌てて何かすることはない。

 なので、リチャードは本番まで脳を休ませることにしていた。そういったのは大得意だ。

 

 リチャードの服装は、昨日までとは全然違い、綺羅びやかな儀式用の服装である。これは、今日のために特別に用意された特注品だ。贅沢にかつ繊細に施された装飾や刺繍から、この服が非常に高価であることがわかる。

 生まれてこの方、こんな高価なものを着たことがないリチャードは、若干の着心地の悪さを感じていた。

 

 こんな格好俺には不釣り合いだ──そう考えるリチャードであるが、端から見れば十分に似合っていた。まさに馬子にも衣装といったところだ。

 とはいえ、そんな些細なことを気にしている場合ではない。この程度のことで心を乱してはいけない。これぐらいは想定の範囲内だ。

 

 静寂に包まれる控室。微かに聞こえる歓声をBGMに、リチャードは静かにきたるべき時に備え過ごしていた。

 

 そんな、リチャードの元に訪れるものがいる。

 軽くノックされる扉。

 団員の誰かだろうか? そう思いながらリチャードは「どうぞ」と言った。

 

「なんだ嬢ちゃんか……」

 

 中に入ってきたのは、意外や意外ルララであった。これはちょっと想定外の事態だ。だが、悪いことじゃない。一人で集中するのもいいが、誰かと会話をして、緊張をほぐすのも良いことだ。それが例え、相手が無口な冒険者であってもだ。

 

「どうしたんだ? 嬢ちゃん。まさか応援しにきてくれたのか?」朗らかに笑いながらリチャードは言った。

 

 恐らくはそうであろうとリチャードは思った。部外者であるルララが、こんなところまでくる理由は、それぐらいしか思いつかないからだ。

 ルララはうんうんと頷くとリチャードの服装を見て、クスクスと笑った。

 

「ハハハ、昨日とは見違えるだろ? どうだ? 似合ってないだろ? まるで成金みたいだ」

 

 立ち上がってルララに自らの姿を見せるリチャード。その場で一回転すると再びルララと見合った。

 ルララは頭を左右に振ると、右手を前に差し出し親指を立てた。ルララ的にはいい感じのようだ。

 

「そうか……まあ、そういって貰えると、準備した甲斐があるってもんだ」褒められて、照れくさそうに言うリチャード。

「それにしても、よくここまで来れたな……」リチャードが今いる控室は、関係者以外立入禁止になっている。部外者であるルララが、ここまで来るのは難しいはずだ。

 

 リチャードの疑問にルララは不敵な笑みで答えた。どうやら、まともな方法でここまで来たわけではないらしい。

 

「あんまり褒められたことじゃないが……それでも嬉しいぜ。嬢ちゃんがいるだけで百人力だからな」

 

 本来であれば、関係者として注意すべきなのだろう。だがそれよりも、ルララがここにいるという心強さの方が、団員としての義務感より勝った。

 

 そこからは他愛もない話をした。今日はこれまで何をしただとか、昨日のリハーサルはきつかっただとか、今日はこんな感じで戦おうと思っているだとか、そんな話だ。

 会話の殆どにおいて、リチャードが一方的に話しているだけであったが、ルララも時折頷いて相槌を打つなどして会話を楽しんだ。不安と緊張を紛らわせるかのように、リチャードは饒舌に喋った。

 

「俺はさ……昔、仲間を見捨てたことがあるんだ……」ふと、リチャードはそんなことを言った。

 

「……6年前にな、闇派閥(イヴィルス)の使徒っていう邪神を崇拝する奴らとの抗争が27階層であってな。今じゃ『27階層の悪夢』だなんて言われているが……その抗争に俺も参加していたんだ……」

 

 過去に思いを馳せるようにリチャードは語る。 

 

「その時には俺にも相棒がいてな……狼人(ウェアウルフ)の気のいいやつでな、良く一緒に馬鹿をやったもんさ……」昔を懐かしむようにリチャードは言う。

「奴らは兎に角、凄えしぶとくて、多くのファミリアが協力してなんとか奴らを追い詰めたんだが、追い詰められた奴らは、最後の悪あがきに大規模な怪物進呈(デスパレード)を仕掛けてきてな……」

 

 その時のことを思い出したのかリチャードの表情に影が射す。あの時の27階層はまさに地獄絵図といった光景だった。

 

「大量のモンスターたちに強襲を受けて仲間とは散り散りに、気づいたら周りにはモンスターだらけで、仲間は俺とあいつの他には2人の冒険者しかいなくてな……必死になって抵抗したんだが数の暴力には敵わなくて……結局、俺たちはモンスターたちから逃げ出して、なんとか凌いだんだが、逃げた先がどことも知れぬところでな」

 

 意図的に引き起こされた怪物進呈(デスパレード)は、階層内を劇的に変化させ、階層中を文字通り迷宮めいた状態にさせていた。リチャードたちが所持していた地図は全く意味をなさなくなり、縦横無尽に入り乱れる通路のせいで、今、何処にいるのか全くわからなくなっていた。持っていた食料も元々戦闘をしに来ていたのだ、ほとんど持っていない。

 

 遭難──リチャードたちは、考えうる最悪の事態に遭遇していた。

 

「最初に犠牲になったのは足を怪我した冒険者でな……次は俺たちよりレベルの低かった女冒険者……それで……次は……」

 

 リチャードがここにいて、相棒である狼人(ウェアウルフ)の冒険者はここにはいない、その事実だけで次に紡がれる言葉が察せられた。

 

「……結局生き残ったのは俺だけでな、それ以来、俺はやる気も気力もなくして……後は嬢ちゃん知っての通りさ……」

 

 リチャードが助けだされたのは、『27階層の悪夢』が発生して2週間が経ってからのことだった。助け出された時の彼は、モンスターのものなのかヒトのものなのか判別不能であったが、食い千切られた右腕と両足を抱いていたという。その様子から、彼が壮絶な体験をしたことは容易に想像できた。

 

「生き残った俺は、死んじまったあいつらのためにも精一杯生きなきゃいけなかったんだろうが、なにをやっても手につかなくてな。団員のみんなも、俺の境遇を察してくれたのか特になにも言わなくて、それで結局ずるずると惰性でここまで生きてきたってことさ、情けないことにな」自嘲気味にリチャードは言う。

「嬢ちゃんと出会う前までは、俺は生きていながらに死んでいたも同然だった。だけど、嬢ちゃんのお陰で、まあ、随分と時間が掛かっちまったが、ようやくあいつらの墓に手向けが出来そうだ」

 

 壮絶な過去の経験を話しているにも関わらず、これまで会話の間ずっとリチャードの表情はどこか晴れやかだった。今日までの体験により、彼は彼なりに過去のことを乗り越えることができたらしい。本番前にこんな話をして、精神的に不安定になる可能性があったが、問題なかったようだ。

 

「なんだが湿っぽい話になっちまったな……ただ、なんとなく嬢ちゃんに知っておいてほしいと思ってな……悪かった」

【気にしないでください。】

 

 そう微笑みながら言うルララを見てリチャードは思う──この小さな冒険者の過去にはどんなことがあったのだろうか?

 小さな身体に見合わぬ、凄まじいほどの実力。それを持つに至る道程には、一体どんなことがあったのか、リチャードには想像もつかなかった。

 

 そんなルララがリチャードに近寄り語りかける。今までこんなことはなかったので、リチャードは少し驚きながらもルララの言葉を聞いた。

 

【これをあなたにあげましょう。】

 

 

 

 *

 

 

 

 円形闘技場の地下にある大部屋には、至るところに檻が設置されていた。中には、今日この日のために用意されたモンスターたちが入れられており、来るべき出番を興奮しながら待ち構えている。

 そんな物々しい雰囲気の中に、それに似つかわしくない絶世の美女──いや美女神がいた。

 

 彼女はまるでウィンドウショッピングを楽しむかのように、モンスターたちを物色中だ。

 本来であればモンスターたちを警戒し警備すべき団員たちは、既に、彼女の異常なまでの美貌により、文字通り骨抜きにされており無力化されている。ここには彼女の行動を阻むものは一人もいない。

 一通り吟味し終えた女神──フレイヤは、あるモンスターの前で静止した。全身が真っ白な体毛で覆われ、極限まで肥大化した筋肉は圧倒的な迫力を与えてくる、その瞳は真っ赤に燃える炎の如く赤く、まるで恋い焦がれるかのようにフレイヤを見つめていた。彼女の美貌は、例えモンスターであっても有効のようだ。

 

 このモンスターに惹かれたのは、彼女が恋い焦がれる想い人と容姿が似通っていたからだろうか? 白い体毛に赤い瞳は彼女の想い人を連想させた。もっとも、彼女の想い人は全身の至るところから毛は生えていなし、筋肉もこんなゴツゴツしてないが。

 

「白い髪に赤い瞳……まるであの人のようね……いいわ、貴方に決めた」

 

 そう言うとフレイヤは手に持っていた鍵束──鍵束は警備員から奪った──から、このモンスター──シルバーパックだ──の鍵を選び出し錠を解こうとする。

 だがそれは……。

 

『このまま音もなく殺してやろうと思っていたが……気が変わった。白い髪に赤い瞳の冒険者について話してもらうぞ、神フレイヤ』

 

 突如として彼女の背後に現れた、紫の外套の仮面に阻まれた。

 

「──ッな!!」

『大人しくすることだな……少しでも不穏な動きを見せたら、その瞬間にその首を掻っ切るぞ』

 

 その声は、ありとあらゆる性別、年代の声が重なっているように聞こえた。

 フレイヤの首筋に当てられた鋭い爪が、彼女の柔肌を僅かに傷つける。そこから彼女の鮮血が流れ落ちてくる。抵抗は出来ない。

 

 オラリオに住まう神々は、本来の能力を封じられ無力な存在となっている。下界に降りて人々と暮らすために、神々自ら設けたルールだ。もちろんそれは、フレイヤにも例外なく適用されている。今の彼女はどんな冒険者よりもか弱い存在であった。

 

『それにしても不用心だったな、神フレイヤ。貴方ほどの存在が護衛も付けずにこんなところに来るなんて、些か考えなしだと言わざるをえまい』

 

 圧倒的優位立った仮面の男は、余裕の声でそう言った。

 

「あらどうかしら、貴方が思っているようにいくかしら?」それに対しフレイヤも余裕の声で答えた。

 

 彼女は無力であるが、それでも最大で最強の武器を持っていた。彼女の“美貌”だ。

 モンスターすらも魅了する彼女の美貌は、どんな存在であっても彼女の虜にする。だからこそ彼女は一人でこんなところまで来られたのだ。

 この仮面の男も例外では──。

 

『悪いが私には貴方の『魅了』は通用しないぞ? 私は既に()()()()に『魅了』されている身でね』

「なっ!?」

 

 フレイヤの『魅了』が通用しないなんて、オラリオに降り立って以来これが初めてのことだ。これが愛しき想い人であったなら感涙ものであったが、あいにく相手は、今にも彼女を刺殺しようとしている敵対者だ、とてもじゃないが歓迎できるものじゃない。

 

 このままでは彼女はさしたる抵抗も出来ずに、良いようにされてしまう。いわゆる絶体絶命のピンチというやつだ。

 

「だったら……これならどう?」

 

 しかし、そうであるならば、今の彼女にはある特例が認められる。自らの心身が危機に瀕したときに限り『神力(アルカナム)』の解放を認めるという特例が。

 フレイヤの全身が眩いばかり銀色に光輝く。本来彼女が持つ『神力(アルカナム)』が解放された証拠だ。

 

『なるほど『神力(アルカナム)』の解放か……確かに神の力を前にしては、この私といえでもひとたまりもないな……だが、残念だったな──それも想定の範囲内だ』

 

 そう言うと仮面の男はフレイヤに無理矢理、腕輪を付けた。その様子は、まるで彼女が咎人であるかのようだ。

 腕輪を付けられた瞬間、フレイヤの銀色の発光が瞬く間に消え、元の無力な存在へと戻ってしまう。

 

「え……そんな!?」

 

 想定外の事態に為す術もないフレイヤ。

 最早、奥の手すらも封じられたフレイヤに残されているのは、背後にいる仮面の男を憎々しげに睨みつけることだけだった。

 

『さて、無駄な抵抗も済んだところで本題に入ろうか? もう一度聞こう()()()()()()()()()()()について知っていることを話してもらおうか?』

「誰が貴方なんかにっ!!」

 

 フレイヤは愛と美の女神だ。そんな彼女が、自らの身の可愛さに愛する者を差し出すなんてありえない。例え命に代えてでも、彼女は愛するものを守るのだ。

 

『……なるほど、流石は愛の女神と言ったところか、その決意には敬意を払おう。残念だが、貴方の命を頂くだけでも十分過ぎる成果と言える』

 

 オラリオでも有力者であり最大規模のファミリアを有するフレイヤをここで打倒することは、彼らの積年の悲願を達成するのに大きな足がかりとなるだろう。

 先日のロキ・ファミリアといい、最近はかなりツキが向いてきているようだ。順調過ぎる現状にほくそ笑む仮面の男。

 

 気がかりがあるとしたら、やはり件の白い髪に赤い瞳の冒険者か……。

 

『さて……では、さよならだ、神フレイヤ』

 

 仮面の男はフレイヤに止めを刺すために行動した。

 

(オッタル、ファミリアのみんな……それに“あなた”……ごめんなさい……)

 

 瞳を閉じフレイヤは“その時”を待った。

 

 

 

 *

 

 

 

「リチャード出番だぞ」

 

 控室で待機していたリチャードに伝令が来た。遂に彼の出番が来たようだ。

 控室から出て、伝令に来た団員と共に会場へと向かう。

 

「そういえばリチャード、衣装はどうしたんだ? 支給された衣装はそんなんじゃなかっただろう?」

「ああ、ちょっとな……」

 

 途中、団員から衣装について聞かれたが、リチャードは曖昧な返答をした。

 

「まあ、その格好なら特に問題ないか……じゃあ頑張れよ、リチャード!」

 

 団員も集中している様子のリチャードに対し、深く追求せずリチャードを送り出した。

 リチャードの格好は大きく胸元が開かれた赤いコート姿であり、支給された衣装にも劣らないほど良い衣装であった。その手には、珍しいことに格闘武器──ナックル──が握られている。

 

 まあ、これならば問題あるまい、どうやら密かに用意していたようだ、全く憎らしい演出をする。

 

「ああ、行ってくる」静かに、呟くようにリチャードは団員に言った。

 

 さあ、リチャード・パテル一世一代の調教ショーの始まりだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 円形闘技場のアリーナ内に降り立ったリチャードを待っていたのは、割れんばかりの大歓声だった。しかし、それは一瞬にして恐怖の悲鳴へと変わった。

 

 リチャードに続いて、巨大なドラゴンがアリーナ内に現れたからだ。

 

 想像していた以上に巨大なドラゴンに、恐怖する観客たち。だが、それに立ち向かうであろう一人の調教師の勇姿を想像すると、瞬く間に恐怖の色は消え、期待と興奮が混ざりあった歓声を送った。それは、本日一番の歓声だった。

 

(勝手だな……)

 

 リチャードは勝手に盛り上がる観客に対して、随分と身勝手だが、まるで他人事のようにそう思った。

 

「ふぅううううう……はぁあああああ」

 

 一度大きく深呼吸をすると、リチャードは構えた。

 それを待ち構えていたのか、ドラゴンも大きな咆哮をあげる。

 それが合図となって、リチャードとドラゴンの戦いの火蓋は切って落とされた。 

 

 まず、最初に仕掛けたのはリチャードだ。

 

 リチャードは、持てる最大のスピードを持ってドラゴンの懐に潜り込んだ。

 巨大なドラゴンの懐に潜り込むなんて、一見無謀にも思える行為だが、圧倒的に体格で劣るリチャードに取れるベストの選択肢はこれだった。

 

 ドラゴンのアギトに魔力が集中する。ブレスの兆候だ。

 

(ここだっ!!)

 

 更に距離を詰めてドラゴンのブレスを回避する。

 そうこれだ、このための超接近戦だ。

 

 ブレスを吐き大きな隙を晒すドラゴンに、渾身の一撃を見舞うリチャード。手にしたナックルがドラゴンにめり込む。

 先日の戦いの時には全くと言って手応えのなかった攻撃は、ドラゴンの皮膚に、皮に、肉に、骨に伝わり大きなダメージを与えた。

 

「そうはいくか! ヘイヘイ! どうした、どうしたドラゴンちゃん! びびってんのか!?」

 

 それをバックステップでギリギリ回避するリチャード。発生した衝撃波によりノックバックされ、さらにドラゴンとの距離が開く。

 立て続けにブレスを吐こうとするドラゴン、だがそのブレスはあらぬ方向へと飛んでいく。

 ブレスが着弾した場所には、特別に設置された囮──木人が設置されていた。

 

(知ってる、知ってるぜ! てめえのブレスは2種類!! 一つは最大敵対者に向けて一直線に出されるものと、もう一つはそれ以外に向けて出されるやつだ!!)

 

 アリーナ内には先程と同様の木人が、多数設置されている。これらが囮となり、リチャードの代わりにブレスを受けてくれるのだ。このドラゴンの習性を利用した戦法は、どうやら上手く機能しているようだ。

 

 木人へ発射されたブレス痕には、大きな緑色の毒沼が形成されており、その沼に僅かにドラゴンが浸かっている。

 ルララ曰く、毒沼は人体には有害だが、ドラゴンには有益なものらしい。浸かっている間は無制限に回復し続けてしまうらしい。

 

(そうはいくか! ヘイヘイ! どうした、どうしたドラゴンちゃん! びびってんのか!?」

 

 そう言ってリチャードはドラゴンを挑発する。その意味を理解したのかは分からないが、ドラゴンは怒りの咆哮をあげてリチャードに突っ込んできた。

 ドラゴンから繰り出される攻撃をものともしないリチャード。だが、幾つかの直撃をもろに受け、追加効果として毒を受けるリチャード。

 

 しかし、それも対策済みだ。

 

 素早く、『トリスメギストスの道具屋』で特注した解毒薬を懐から取り出し、自身に一気にぶっ掛けるリチャード。瞬く間に解毒され万全の状態へと復帰する。

 そして、お返しとばかりにドラゴンに猛攻を仕掛けていく。リチャードの攻撃は見た目以上に重く、そして高い威力を秘めていた。

 

 ドラゴンが咆哮をあげる、ただしそれはさっきまでの怒りに満ちた咆哮でなく、苦痛に満ちた咆哮であった。

 あきらかに怯んだ相手に、しかし、リチャードは油断なく構える。今は優位に立っていても、一瞬の判断ミスで逆転しかねないのがこの戦いだ。依然として、薄氷の上を歩いていることには変わりないのだ。

 

 それにしてもLv.4にランクアップしたからといって、こんなにも優位に立てるものだろうか……いや、それはありえないだろう。

 ドラゴンの推定Lv.は4~5だ。少なく見積もってLv.4だとしても、同じLv.4であるリチャードが単独で優位に進められるはずがなかった。基本的に、同レベル帯であるならば人とモンスターでは、モンスターのほうが有利だ。ましてや今回の相手はドラゴンである。その傾向は極めて強いと言えるだろう。

 

 それでも、リチャードが優位に立っている理由。その秘密はリチャードの装備品にあった。

 

 

 

 *

 

 

 

 【これをあなたにあげましょう。】

 

 その言ったルララの声は、相も変わらず抑揚がなく無感情であった。

 差し出されたのは……何と言えばいいだろうか……ゴツゴツとした厳つい物体だった……形状から考えるにこれはナックルだろうか? 握り手があることから、それが察せられる。

 

 その他にも、胸元が大きく開いた赤いコートと、指輪などのアクセサリーが渡される。腕輪に耳飾りに首輪……指輪なんて2つもある。

 

「悪いが嬢ちゃん、その……気持ちはありがたいんだが……見ての通り、もう衣装は用意されているんだ。使えるとしたら……そうだな、このナックルぐらいだな」そう言いながらリチャードは、ナックルを装着してみせる。

 

 その瞬間──劇的な変化がリチャードを襲った。

 

 凄まじい(ステイタス)が、ナックルから流れ込んでくる。リチャードのステイタスが恐ろしいほどに急激に向上していく。

 今までに体験したことのないことに、衝撃を受けるリチャード。

 まさかと思い、恐る恐るコートを手に取り袖を通す。

 

「──ッ!!」

 

 先程と同様の現象がリチャードを襲う。

 現在、ステイタス向上がどれほど起きているのか、リチャードには見当もつかない。だが、少なくとも今神聖文字(ヒエログリフ)をみたら、度肝を抜かれるほど向上しているはずだ。

 

 ステイタスの向上は、例に漏れずアクセサリーを装着した時も起きた。普段であれば、こんな装飾品を着けるなんて、女々しくて嫌がるリチャードであったが、この現象を前にしてはそんなこと言えるわけがなかった。

 渡された装備品を、いつの間にか全て装着していたリチャード。もはや彼には、さっきまで着ていた衣装を着て出場するなんて、考えられなかった。

 

「しかし良いのか? 嬢ちゃん……これ凄え高いんじゃ?」

 

 そうだ、こんな凄まじい能力を持つ装備品が安いはずがない。リチャードだって冒険者になって長い。そんな冒険者人生のなかでステイタス向上の効果がある装備なんて一度だって聞いたことも見たこともなかった。相当なレアアイテムのはずだ。

 

 リチャードの疑問に、ルララは微笑みで答えた。どうやら良いようだ。気前良すぎて、この子の将来がちょっと心配になるが、それほどのレアアイテムを譲るのに相応しいと、ルララに思われているのだと考えれば、悪くない気分だ。

 

 あまり恐縮しても話が進まないだろう……それに今はできる限りのことをしておくべきだ。ありがたく貰っておこう。

 

「そうか……ありがとう嬢ちゃん。全く、最後の最後まで世話になりっぱなしだな」

 

 

 

 *

 

 

 

 ──これが、今のリチャードの強さの秘密だ。

 

 ルララから貰った装備品は、リチャードのステイタスをLv.5以上へと押し上げていた。

 冒険者にとってLv.1の差というものには、埋めることのできない隔絶した大きな差がある。それを埋めきるルララの装備品が、どんなに規格外が理解できるだろう。

 チートとも言えるリチャードの装備品だが、そんなもの指摘するものはどこにもいない。いるとすれば相対しているドラゴンぐらいだが、あいにくリチャードにドラゴン語の知識はない。どんなに抗議したところで馬耳東風、馬の耳に念仏だ。

 

『ギャァアアアアアアア』

 

 ドラゴンが苦し紛れにブレスを仕掛ける。

 それを敢えて、敢えて受けようとするリチャード。

 慢心や、油断ではない……余裕でもない、ただ大丈夫だ──そういった確信があった。

 

 リチャード目掛けて、一直線に向かってくるブレス。

 

 まるで何かに導かれるように、リチャードは手を前に出した。

 そのまま、感じるがまま、思うがままに、手を大きく回転させ──そして見事に“ソレ”を受け流した。

 自ら放ったブレスを回避されるどころか、受け流されたドラゴンは、最後の悪あがきにリチャードに突進する。

 

 迫り来るドラゴンを迎え撃つようにして、リチャードは渾身の正拳突きを繰り出した。

 カウンター──リチャードの一撃は見事にドラゴンに決まり、もはや打つ手がなくなったドラゴンは頭を垂れて沈黙した。

 

 沈黙したドラゴンをみとめると、リチャードは自らの懐を探った。そして取り出したのは……睡眠薬だ。本来であればモンスターの捕獲に使うはずだったもの、結局使わずじまいだったもの、それを最後の締めで使おうと決めていた。

 リチャードは睡眠薬をドラゴンに投げつけた。ドラゴンは睡眠薬が当たると、さしたる抵抗もなく眠りについた。

 

 最初から最後までイメージ通り、完全無欠の調教ショーだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 今年の怪物際も大盛況の内に終了し、特に最後のドラゴンの調教ショーは例年にないほど盛り上がりを見せた。

 そんな最大の立役者とも言えるリチャードは、一人沈みかけた夕日の中、とある場所を訪れていた。

 

「ここまで来るのに6年も掛かっちまったよ……待たせて悪かったな、ダトリー」

 

 そう言いながらリチャードは、目の前にある墓石に語りかけた。

 ここは冒険者の墓地。“あの事件”の犠牲者もここで静かに眠りについていた。

 

「あの事件以来、どうにもここには足が向かなかったが、ようやく決心がついたよ……」

「なぁダトリー、随分と時間がかかったが俺もLv.4になったよ。それにさ、今年はまさかのメインイベンターに選ばれてな……ほら、二人で良く話しただろう? そういや、それでいつも喧嘩してたっけな……」

 

 昔を懐かしみながらリチャードは語る。

 

「メインイベンターになれるのは一人だけだからな、どっちが先になれるか争ったもんだ……勝負は俺の勝ちだな」

 

 ニヤリと笑うリチャード。それに答える者はいない。

 

「お前がいなくなって、腑抜けちまったがなんとか立ち直れたよ。切掛けになったのはルララ・ルラって言う小人族の冒険者でな、俺の腰ほどもない身長のくせに、俺がびびって竦んじまってるドラゴン相手にも果敢に挑んでいてな。その姿を見たら、色んな悩みが吹っ飛んじまったよ」

「お陰でこうしてもう一回頑張れる気になれた、ついさっきもそのドラゴン相手に一戦やってきたところだ。結果はまあ、俺がここにいるんだ。それで分かるだろ?」

「まあなんだ、餞別って訳じゃないが飲んでくれ」

 

 そう言うとリチャードは、墓石に懐から出した瓶の蓋を開け、中身を墓石にかけた。

 流れ落ちる液体が墓石を伝い、地面に広がる。広がった液体からアルコール臭が漂って……来なかった。

 

「ハハハ! どうだ驚いたか? 酒かと思ったか? 残念でした! そうだよ、余った解毒薬だよ!!」

 

 なんとも罰当たりなことをするリチャードだったが、リチャードとその相棒であるダトリー・ウォトンの間柄はそんなものだった。

 ひとしきり笑い終えると、リチャードは再び墓石と向き合った。

 

「まあ冗談はこれくらいにして、本命はこっちだ」

 

 今度は、ちゃんとした上等な蒸留酒を取り出して墓石にかける。

 

「さて、俺はそろそろ行くよ。なんせこの後は後夜祭があるからな、今日の主役が遅れちゃいかんだろう? じゃあまたな」

 

 後ろを向き墓石の前から立ち去るリチャード。ふと空耳であろうか、どこかの誰かから何か言われた気がした。

 

『頑張れよ、相棒』

 

 リチャードの耳が確かなら間違いなくそう聞こえた。

 その声にリチャードは答える。

 

「ああ、頑張るよ、相棒」

 

 しばらくは悪夢を見ることもなさそうだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「それで一体何を企んでいたんだ?」

 

 アイ・アム・ガネーシャ内にあるガネーシャ専用の私室では。部屋の主人であるガネーシャと、そして美の女神フレイヤがいた。

 円形闘技場で偶然フレイヤを発見したガネーシャは、大慌てで彼女を隔離した。なんせ美の神であるフレイヤは、いるだけで人々を魅了するのだ。多くの人々が集う円形闘技場に彼女のような存在がいては、大混乱間違いなしだ。

 

 そういった混乱を未然に防ぐために『神の宴』を開いたのだ。

 

 珍しく出席したフレイヤに目を丸くしたガネーシャであったが、怪物祭に出席するか否かを聞いた際に、否と答えられたので特に今日は招待することもしなかった。言ってくれれば、特別に用意した来賓席を用意したというのに。

 ただ、ガネーシャがフレイヤを見つけた時の彼女の様子から、どうやら単純に観戦に来たわけではないようであった。

 

 となると、フレイヤはあそこに何か企みがあって来たに違いない。何かと付き合いが長いガネーシャはそう判断した。なんせ、オラリオ二大ファミリアの主神であるフレイヤとロキは、トラブルメーカーとして有名だからだ。

 

「フレイヤよ、黙っていては何もわからんぞ?」

「……ええ、その、悪かったわ。ごめんなさい」

「──ッ!!?」

 

 ガネーシャに稲妻の如く衝撃が走る。

 あのフレイヤが……あのフレイヤが! 謝った! なんということだ、天変地異の前触れか?

 

「お、お前が謝るなんて……珍しいこともあったものだな。一体何をしたのだ?」

 

 彼女は謝る程のことだ、きっととんでもないことに違いない。

 

「私だって悪いと思ったら謝ることもあるわよ……それに今回は何もしてないわ」ムッとした口調でフレイヤは言う。なんだくそう、可愛いじゃないか。

「今回は……ね。まあいい、それでは()()()()と思う理由を聞かせてもらおうか?」フレイヤに魅了されないように気を張るガネーシャ。神といえども、彼女の魅力に抗うのは難しい。

「それは……そうね、貴方の団員にも迷惑をかけてしまったから言うわ。忍び込んでモンスターを暴走させようとしたの」

「んな!? そんなことしたらお前、一大事じゃないか! もし何かあったらどうするつもりだったのだ!?」ガネーシャの声には怒気が混じっている、『群衆の主』であるガネーシャには看過せざることだ。

「ええ、だから万が一を考えてうちの子達を何人か闘技場に行かせていたわ。それに、暴走させようとしたのは一匹だけ……でも結局、そんなことしなかったわ。いえ出来なかったのよ」

 

 言葉尻が段々と弱々しくなっていくフレイヤ。こんな彼女を見るのは初めてだ。

 

「何かあったのか?」怒りを引っ込めたガネーシャが優しく問う。

 

 暫くの静寂の後、フレイヤは静かに語りだした。

 

 

 

 *

 

 

 

『さて……では、さよならだ、神フレイヤ』

 

 仮面の男はフレイヤに止めを刺すために行動した。

 彼女の生命を奪うために鋭く尖った爪が襲う。だが、その凶刃が彼女に届くことはなかった。

 その代わりにフレイヤを襲ったのは轟音と衝撃波だった。

 

「きゃあ!」思わず悲鳴を上げるフレイヤ。

 

 けたたましい音を立てて、地下の薄闇へと吹っ飛んでいく仮面の男。その男と入れ替わるかのように、現れたのは白い髪に赤い瞳をした小人族の冒険者──ルララだった。

 その姿を見たフレイヤは、仮面の男が言う『白い髪に赤い瞳の冒険者』が、彼女のことであるのを一瞬で理解した。

 フレイヤの様子を見つめるルララ。その瞳は全てを見透かすように透き通っている。

 

『なるほど、やはり神フレイヤと関係があったか。守護者を暴走させようとここまで来てみたが、寄り道はしてみるものだな、随分と収穫の多いこととなった』

 

 吹っ飛ばされた仮面の男が音もなく再びフレイヤたちの前に現れた。

 圧倒的なプレッシャーがフレイヤを襲う。さっきまでの男とは段違いの迫力に、気圧されるフレイヤ。どうやら相手は本気を出してきたようだ。

 

「お生憎様、この子とは初対面よ」フレイヤは敵対心剥きだしで気丈にもそう返した。

 

 その間にもフレイヤは、その明晰な頭脳で現状を分析し続けていた。

 こちらの戦力は神力(アルカナム)を封じられた神と、そして何やら相手と因縁がありそうな冒険者の二名。

 

 申し訳ないがフレイヤ(私は)戦力に含むことはできない。元々武闘派ではないフレイヤは、例え神力(アルカナム)が封じられてなくても碌な戦力とならないことを自分自身がよく知っていた。

 対して相手は謎の仮面の男一人。彼から発せられるプレッシャーから察するに、最低でも第1級の冒険者であることは間違いない。オッタル(オラリオ最強戦力)を身近に置くフレイヤの判断だ、かなり正確であることに疑いの余地はない。

 

 単純な人数比率ではこちらが有利だが、フレイヤの考察では若干こちらが不利であると考えられた。

 

『ほぅ初対面だったとは……まあいい。二人諸共ここで──ふぐぁあ!!』

 

 仮面の男の不穏な言葉は、ルララの持つ大斧の一撃で阻まれた。

 再び後方へ吹っ飛ばされる仮面の男。あ、これは勝敗が見えたわ。

 

『貴様! 不意打ちとは卑怯だ──ぎゃぁああああ!!』

 

 懲りもせず再び姿を現した仮面の男の言葉を、聞くこともしないで再び吹っ飛ばすルララ。その様子は少し苛立ち気味だ。

 さっきまでの緊迫した雰囲気はどこへ行ってしまったのか、恐らく仮面の男と共にどこか彼方へ吹っ飛んでいってしまったようだ。どうせなら仮面の男(あいつ)も一緒にどこかに行ってしまえばいいのに……。

 

 そう思ったフレイヤの願いが通じたのか。再々々々度姿を現した仮面の男が二の句を継げる前に、ルララの止めの()()が彼に叩きこまれた。

 何かを高速で削り取る、耳を塞ぎたくなるような嫌な音が地下室内に響き渡る。その音にはフレイヤは聞き覚えがあった。

 

 かつて神々を恐怖のどん底に突き落とした忌むべき凶器『チェーンソー』、その恐るべき武器そっくりの轟音が大斧の一撃から発せられていた。

 秘められた威力も、チェーンソー(それに)遜色ないものがあったようだ。

 

 仮面の男は、自身の生命力を大量に削りとった一撃に、生命の危険を感じとり、堪らず退却を選択する。

 

『グッ!! まさかこれ程とは……今回は退くとしよう。さらばだ神フレイヤ、白髪赤目の冒険者よ……なんだと!?』

 

 だが、そんなこと()()が許すはずがなかった。

 逃げ出そうとする仮面の男の身体に、鎖が纏わりついてきて拘束し彼の自由を奪う。

 鎖は見る見るうちにルララに引き寄せられ、仮面の男はルララの目と鼻の先まで引っ張られた。

 

 ルララの射程圏内に強引に引き寄せられた仮面の男は、自身の選択ミスを呪った。

 ああ、そうだ、彼女の実力はよく知っていたはずだった。彼女と相対した瞬間、脇目もふらず一心不乱に逃げ出すべきだったのだ。だが、しかし、もう遅い。

 

 冒険者からは逃げられない。

 

『クソォ! クソぉ! 冒険者めぇえええええ!!!』

 

 そして止めの二撃目が無慈悲に仮面の男に叩きこまれた。

 仮面の男が二回目の轟音を聞くことはなかった。それ以外の音も未来永劫聞くことはないだろう。

 

 ルララの目の前には、物言わぬ屍となった仮面の男()()()()()が横たわっている。やがてそれもモンスターが消滅するように夢のように消えた。

 

 

 

 *

 

 

 

「謎の仮面の男に、神力(アルカナム)を封じる拘束具、そして白髪赤目の冒険者か……フレイヤ……君の話でなかったら信じないところだ」

 

 一部始終を静かに聞いていたガネーシャはそんなふうに言った。

 

「私もよ、ガネーシャ。当事者でなかったらこんな荒唐無稽な話、とてもじゃないけど信じられないわ。でも、私の話は本当にあったことよ、これはファミリア(私の子たち)の名に誓って言えるわ」

 

 神々にとってファミリアは自らの血を分けた同胞も同然だ。そのファミリアの名を出されてしまっては、どんな話でも信じるしかなかった。もっとも今回の話は、そんなことしなくても信じるに値するが。それほどまでに、フレイヤの様子は普段とはかけ離れていたのだ。

 

「それにしても、円形闘技場の地下でそんなことがあったとは……何者か知らんが我が領域内で好き勝手やるとは万死に値するぞ!」

 

 怒りに震えるガネーシャ。それとは反対にフレイヤは心配そうに言う。

 

「私が気になっているのはロキのところよ……あの子ファミリアができて随分と大人しくなったけど、仮面の男(ヤツ)の言葉を信じるならロキ・ファミリアにも何かあったみたいだし……このところ静かだったから気になっていたのだけれど……あの子無茶してないかしら」

 

 同じ神話体系出身のフレイヤとロキは、反目しあうファミリアとは違い、お互い厚い信頼を寄せていた。

 フレイヤにとってロキは、手のかかる可愛い妹のような存在だ。その彼女(ロキ)の身に何か起きたのかもしれない。フレイヤは気が気でなかった。それは、その、いろいろな意味で。

 

 ロキは天界にいた時は、退屈凌ぎに他の神々を扇動して殺し合いをさせようするぐらいの問題児だったのだ。そんな彼女の身に何かあったら何が起きるかわかったものじゃない。

 

「そういえば『神の宴』にも来なかったな、ロキの奴は……ヘスティアの奴が来たというのに彼奴がこないとは珍しい物だと思ったものだ」

 

 だからこそ、ガネーシャはそのことを良く覚えていた。

 

「少し本格的に調査する必要があるわね……ロキのことに関しては私の方で調べてみるわ」

 

 大規模ファミリアを預かる神らしく、カリスマを発揮しながらフレイヤは言う。

 

「であるならば俺は、ギルド──ウラノスのところか……後は()()か……」

 

 フレイヤの神力(アルカナム)を封じた腕輪──拘束具を手に取りガネーシャは言った。

 

「我々の神力(アルカナム)を封じるこれを作り出す勢力といえば──闇派閥(イヴィルス)か」

 

 六年前に滅んだとされる忌むべき勢力。その残滓がオラリオのどこかで今も蠢いている。

 

「奴らめ! どうやら完膚なきまでに叩き潰さなくては、気が済まないらしいな!!」

 

 かつての闇派閥(イヴァルス)の所業を思い出しガネーシャは言った。彼の子も散々な目にあったのだ、中には六年も引きずった者もいる。

 

「とは言え気を急いてはダメよ、ガネーシャ。相手はもしかしたら、ロキの子たちを打ち倒した可能性があるのよ」フレイヤは諭すように言う。そうだ、油断は禁物だ。

「うむ! 取りあえず拘束具(コレ)は……ヘファイストスにでも依頼するか……できれば万能者(ペルセウス)に依頼したいところだが、これは極力、人の手には渡さないほうが良いだろう。後は件の()()()()()()()()だな」

「あら? あの子は貴方のファミリアの子じゃなかったの?」フレイヤは意外そうに言った。円形闘技場の関係者以外立ち入り禁止区域内で助けられたのだ、ファミリアの人間であると考えるのは当然だった。

「ん? いや、我がファミリアにそういった風貌の冒険者はいなかったが?」ガネーシャの様子からは嘘ではないようだ。中には強力な冒険者の存在は隠そうとする神もいるのだが、彼は違うようだ。

「そうなの……私はてっきり貴方の子かと……」

「そうであるならば、この冒険者についても捜索依頼を出すか……どうやら奴らに目を付けられているようだからな。なに、かなり特徴的な風貌だからな、すぐに見つかるだろう」

 

 フレイヤの話からは件の冒険者は、闇派閥(イヴァルス)に狙われているようだ。かなり腕利きの冒険者のようだし、協力するに越したことはないだろう。

 

「い、いえ、それには及ばないわ、ガネーシャ」

 

 だが、意外にも慌てた様子でフレイヤが否定した。

 

「む! どうしてだ、フレイヤ? 君を救ったということは少なくとも味方だろう? ならば居場所ぐらい把握しておく必要があるだろう」

 

 意外な否定の言葉に、どうしてかと問うガネーシャ。

 

「えっと、……そ、そう、彼女は私を助けた後名前も告げずにどこかへ行ってしまったわ。きっと探られたくない事情があるのよ……」特に何も考えていなかったのか、慌てふためきながらフレイヤが言った。くそぅ可愛いじゃないか。

 

 やけに冒険者の肩を持つフレイヤさん。そんな彼女を若干不審に思いながらもガネーシャは納得した。決して彼女の可愛さに負けたわけじゃない。

 

「そうか……まあ、君がそう言うなら、そうしよう、確かに、何か事情があるのかも知れんしな」

「そうよ、そうに決まっているわ。そっとしておいてあげましょう」

 

 畳み掛けるようにフレイヤは言った。どうしても探られたくないらしい。

 

「それじゃあ、もう遅いし私はこれで失礼するわ。これ以上遅くなったら、うちの子たちが心配するだろうし」

 

 そう言いながらフレイヤは、そそくさと逃げ出すように退出の意を告げた。

 

「ああ、そうか、では外まで送ろう。ファミリア内で君を見たものがいたら大変だからな」

「ええ、ありがとう。でも心配いらないわ、こう見えても人影を避けるのは得意なのよ。問題無いわ」

「そうか、ならいいんだが……では気をつけろよフレイヤ」

「ふふふ、ありがとうガネーシャ。貴方も気をつけて。じゃあおやすみなさい」

 

 そう言ってフレイヤはガネーシャの私室から退出する。そんな時彼女はふとガネーシャに聞いた。

 

「そう言えば貴方、私に『魅了』された?」微笑みながらフレイヤが言う。その微笑みは、普段の妖艶な微笑みとは違い、透き通った彼女の素の微笑みのようだった。

 

「馬鹿を言うな、そんじょそこらの神ならいざしらず、このガネーシャは簡単には崩せんぞ!!」

 

 そう言いながら奇妙なポーズを決めるガネーシャ。

 

「そっか……一日で()()にも振られるなんて私もまだまだね」

 

 本当にそう思っているのか、フレイヤは自信をなくしたように笑った。

 

「ごめんなさいね、ガネーシャ。変なことを訊いたわ。それじゃ本当におやすみなさい」

「ああ、おやすみ……」

 

 そう言ってフレイヤは完全にいなくなった。

 残っているのは彼女の甘美な香りだけであった。

 その香りを肺一杯に吸い込みながらガネーシャは思った。

 

(最後の微笑み……アレはやばかった、危うく落ちるところだったぞ。それにしても、アレに抗う()がいるとは……とんでもない精神力だな)

 

 美の神と一対一で話すのはすっごく疲れる。極度の疲労を覚えながらガネーシャは寝転んだ。ああ、今日はこのまま寝てしまおう。

 闇派閥(イヴァルス)に、拘束具、白髪赤目の冒険者にロキ・ファミリア。取りあえず考えるのは明日からにしよう。そう考えながらガネーシャは眠りについた。

 

 

 

 




 今回リチャード君が装備しているのは。

 アダマンナックル、シバルリー・ストライカーコート、クリソライト系アクセです。

 なぜ彼が、レベル60でもないのに装備できるのかなどは次回で説明したいと思っています。


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