光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ウィリアム・スミス

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イシュタルの場合 4

 リチャード・パテルにとって今日の一夜は全くもって災難続きの夜であった。

 

 真っ昼間から仲間達と祝杯をあげて、有名ファミリアの団長と密会し、その席で出された『sóma』とか言う酒をたらふく飲み、同年代の新たな友人を得て意気投合し、夜の街へと繰り出してナイスバディのアマゾネスに当たったまでは良かったのだが、そこからは最悪の一言だった。

 

 ボン・キュッ・ボンのお姉ちゃんがボンッ・ボンッ・ボンッのヒキガエルに変貌し、性的にではなく物理的に襲いかかられ、そのファットアマゾネスをイシュタル・ファミリアお膝元の娼館で思いっきりぶっ飛ばしてしまったのだ。

 そして終いには──

 

「──ぶぅはぁ!」

 

 新たに出来た友人に殴り飛ばされる始末である。一体全体なにがどうなってこうなったのだろう。とてつもなく理不尽である。

 

「い、一体、な、なぜ……」

 

 少なくともリチャードにはいきなりぶん殴られる心当たりは無かった。

 

 相当なまでに酔っ払っていたが娼館(ここ)に来たのは双方の合意の下であるし、未経験な若葉マークの小人族(♂)を優しく導いてあげたり、ある一部の界隈で少し話題になっていた狐人(ルナール)の少女を快く彼に譲ってあげたりもしたのだ。

 感謝される事はあれど恨まれる事は無いはずであった。

 

 もし、あるとすればそれは──そう考え、リチャードはフィンを見つめた。

 リチャードの瞳には、大変けしからんお胸の金髪美少女を大事そうに抱えているフィンが映っていた。まるでおとぎ話に出てくる王子様とお姫様の様だ。

 

 それを見てリチャードは全てを察した。これはこれはつまり()()()()事なのだろう。

 

「もしかして、()()()()の最中でしたか?」

 

 なるほど、確かに“ソレ”ならば問答無用で殴り飛ばされても文句は言えないだろう。むしろ、ここから更に土下座して地面についた頭で再び穴を作って下へ帰るべきレベルである。

 

 娼館に行くために戦闘服から私服に着替えていたとはいえ、Lv.6が殴ったにしては大した威力が無かったのは、その可憐なお姫様を抱いているせいであったのは間違いないだろう。

 それほどまでに彼女が大事という訳だ。神に身を捧げるとか意気込んでいたわりには中々どうして隅に置けない奴である。

 

「殺すぞ?」

 

 世の女性のハートを射殺しそうな微笑みを浮かべてフィンが言ってきた。同性であるリチャードには無効のはずの笑顔だが、なぜかマジに殺されそうだ。どうやら彼の憶測は見当違いであったらしい。

 

「だったら何で……」

「それよりもリチャード、()()はどういう事だ?」

 

 リチャードの追求を無視してフィンは潰れたアマゾネスガエルに目を向けた。

 歓楽街を牛耳るイシュタル・ファミリアの(見た目はどうあれ)最強の娼婦を傷物にしたのだ。このままただで済むはずは無いだろう。巻き込まれたフィンには事の顛末を聞く権利があった。

 

「いや、それが俺にも何が何だか分からん。むしろこっちが聞きたいくらいだ」

「どうせ君の事だから何か粗相をしたんじゃないのか?」

 

 短い期間であるがフィンはリチャードの人となりを性格に見抜いていた。この男は調子に乗って舞い上がると、とことん調子に乗って失敗するタイプの人間だ。

 その証拠にリチャードは「そんなはずは無い!」と自信満々に言った後に、弱々しく「……多分」と続けた。

 

 確かに、似たような経験なら幾らでもリチャードにはあった。パーティー随一の火力職(ファイター)だからといって調子こいてやらかした経験は枚挙に暇がない。

 

「大体、娼館(こんなところ)に来たのがそもそもの──」

「いやいや、歓楽街に行くのはアンタもノリノリだっただろ。そこは責任転嫁なしだぜ、このムッツリスケベ!」

「ム、ムッツリスケベ……?」

「だって、何やかんや言って結局その娘とよろしくやってたんだろ? だったら文句は言いっこなしだぜ! 俺達、同じ穴のムジナじゃないか!」

「い、いや、僕は別に、彼女とそんな事は──」

「えっ!? じゃあ据え膳食わずにそのままでいたのか!? なにそれお前童ピーかよ!!」

「ど、童ピー……」 

 

 その悪魔の言葉は、一族復興の為に清廉潔白で純潔清浄を貫いているフィン・ディムナにとって禁句の言葉であった。

 世の中にはたとえ真実であっても言って良い事と悪い事があるのだ。

 

 彼はただ、そう……一途なだけなのである。そんな純粋な彼の心を侮辱する事は断じて許されない残虐非道の鬼畜行為だ。

 

「やーいやーい、童ピー野郎! ピー貞野郎!」

 

 しかし、それを知ってか知らずかフィンをさらに煽るリチャード。

 だが、彼を責めないで欲しい。彼自身も良いところで寸止めされて色々と溜まっていたのだ。

 

 リチャードが煽る度にワナワナと震えが強まるフィン。

 そして、その震えが頂点に達したかと思うと今度は空気の抜けた風船の様に急速に(しぼ)んでいき、抱いていた春姫を優しく床に寝させるとフィンは幽鬼の様に微笑んだ。

 

「上等だッ!! 最近“Lv.6”になったからと言って調子に乗りやがって!! ぶっ飛ばしてやる!!」

「ハッ! こっちこそ、そのスカしたイケメン顔は前々から気に入らなかったんだッ!! その綺麗な顔をぶっ飛ばしてやるぜ!!」

 

 ここに来るまでにフィンにもリチャードにも言いたいことがごまんとあった。ごまんとあったのだがこの状況ではどうやっても言葉で語り尽くせそうにも無かった。

 

 そうであるならば、肉体言語で語るまでである。

 人知を超えたLv.6同士の大喧嘩がほんとしょうもない理由で始まろうとしていた。

 

「オォマァエタァチィィィィ、サッキカラアタイヲ無視シテェェェ!! 隙ダラケ──」

『っるせッ!!』

 

 一瞬即発の状態であったにも関わらず彼等は綺麗に声を合わせて、いつの間にか目覚め、金色に発光していた巨大ヒキガエルを見事な連携で返り討ちにしぶっ飛ばした。

 行き場を失っていた二人の憤怒を全力で叩き込まれたアマ(ゾネス)ガエルは、この場に来た時とは比べ物にならないスピードで今度は真横に吹っ飛んでいった。

 

 アマガエルは、とある理由のためにやたらと分厚く造られた花柄模様の壁をまるで薄い障子を突き破るかの如き勢いで何枚もぶち抜いていき、娼館の端から端まで大穴を開け最後は外へと飛び出し夜の闇へと消えていった。

 

「…………」

「…………」

 

 空いたその大穴からは隣の部屋だけでなく外の様子までもがよく見渡す事が出来た。その大穴の向こう側からは唖然とした娼婦とその客がこちらを見つめている。

 そこから吹き抜ける冷たい夜の風が彼等の頬を撫で、頭に昇っていた血を冷まし冷静さを取り戻させる。

 それと同時にリチャードとフィンの卓越した聴覚がこちらに迫りくる大量の足音を捉えた。それが、イシュタル・ファミリアが誇る戦闘娼婦達の足音である事はわざわざ確認するまでも無いだろう。

 

「…………」

「…………」

 

 ぶん殴ったモーションのまま固まっているリチャードとフィン。

 その姿勢のままお互いの視線を合わせ、大穴を見つめると再び視線を通わせお互いの目を見合った。

 目は口ほどに物を言うとはよく言ったものであるが、彼等はお互いの意図を正確に読み取り無言で頷いた。

 

 暫しの静寂の後、ある一人の娼婦から悲鳴が上がった。

 その娼館全体に轟く悲痛な叫びが合図となり、彼等は疾風の如きスピードで駆け出し空いた大穴から夜の街へと飛び出した。

 

 もちろんその時飛び降りた先にいた潰れたカエルを、再び踏み潰したのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 *

 

 

 

「──それで、どうしてこうなったんだっけ?」

 

 欲望渦巻く夜の街で、大量に湧いてくる追っ手を時には躱し時には撃退しながらフィンは聞いた。

 

「どうって、それは娼館に来た事か? それとも絶賛大量の追っかけから逃亡中の事か?」

 

 壁際に寄りかかり先の様子を窺いながらリチャードは問い返す。

 

「そうだね……取り敢えず前者の方からにしようか。僕達が追われている理由は、まあ、“モテる男は辛い”って事にしておこう」

 

 こんな事態になった原因の中でも最も重要な部分をあえて見て見ぬ振りをしてフィンは答えた。

 

「さいですか──でも、大した理由なんてないぞ? 酔っ払って、盛り上がって、その勢いのままに娼館にレッツらゴーって感じだ……回想シーンいくか?」

「いや、それはいい」

 

 キッパリとフィンは断った。どうせ碌でも無いことになっていたのは容易に想像できる。

 

「それにしても、まさかこの僕が記憶を失うほどに酔っ払うとは……」

 

 Lv.6であるフィンが我を忘れるほどに酔っ払うなんて事は通常では考えられないことだ。多くの耐異常を持ち、あらゆる毒に耐性があるフィンがただのアルコール程度でへべれけになるのは不可解だ。

 

「あー、俺の記憶が確かなら『sóma』とか言うラベルの酒を大量に飲んだ気が……回想シーンいくか?」

「いや、それはいい」

 

 そういえば戦争遊戯(ウォーゲーム)の賭けで大敗したとあるファミリアが、困窮した財政を立て直すために大量に神酒を製造し販売したという話を風の噂で聞いたことがある、とフィンは思い返した。

 それがまさか巡り巡って彼等の胃に収まるとは彼自身も予想だにしていなかったが、どうやらそういう事になったらしい。

 

 いつ、どれだけ飲んだのかは全く記憶にないが、フィン達が飲んだ酒の中にソーマ・ファミリアの主神ソーマが作った神酒(ソーマ)が紛れ込んでいたのは間違いないだろう。

 確かに、神酒(ソーマ)ならば彼等がここまで酔っ払ったのも納得がいく。

 

「……僕達の服装が変わっているのは?」

 

 いくら密会であったとはいえ、あまり面識のない相手に丸腰で会うほどフィンは無能ではない。所持していた武器類は両者とも密会前に信頼できる『豊穣の女主人』のミア女将に預けていたが、衣類などの装備に関してはそのままだったはずだ。

 

 なのに、彼等の今の服装はただの良くある庶民的な服装に変わっている。リチャードに至っては半裸だ。

 これまではあまり気にならなかったが、こと戦闘状態になったとなれば話は変わってくる。今のところステイタスの暴力でなんとかなっているが、気になるものは気になるのだ。

 

()()()()()()さんは娼館に戦闘しに行くタイプか? まあ、ある意味“戦い”にいくことには違いないが、それは野暮ってもんだろう?」

 

 高Lv.冒険者が完全武装で歓楽街に乗り込むなんて、今からそこに殴り込みに行くと宣伝している様なものだ。まあ、結果的にそれ以上の事になっているのであるが、最初からその気があった訳では無い。

 

「そのディルムッドっていうのは……」

 

 頭が頭痛で痛いといった感じで額に手を当てながらフィンは聞いた。

 

「もちろん俺が考えた偽名だ。格好いいだろ? アンタにピッタリだ、似合ってるぜ」

 

 そう言ってリチャードはフィンの背中を叩いた。

 その偽名には浅はかならぬ因縁を感じるのだが何故だろうか。似合っていると言われても全く嬉しくないのはリチャードが付けた偽名だからだと思いたい。

 

「はぁ……じゃあ僕達の装備は──」

「もちろん『豊穣の女主人』に預けてきた……そんな事まで覚えてないのか?」

「……むしろ君は良く覚えているな」

 

 嘘偽りない本心でフィンは言った。どうやら毒物(アルコール)、あるいは神の力(神酒)に対する耐性はリチャードの方が上の様だ。

 

「まぁ、鍛えているからな……それにしても、俺に比べてフィンの方は随分上手い事いったみたいだな。あのエロい姉ちゃんはお持ち帰りでもする予定だったのか?」

 

 結局置いてきちまったが、あの「お姫様抱っこ」はそういう事なんだろう? とリチャードが鼻の穴を大きくしながらニヤけながらそう言った。

 

「い、いや、あれは違うんだ! あくまで不可抗力であって、別にそんなつもりじゃ──」

「なんだなんだ、恥ずかしがるなって。良いじゃないか、それが男のサガってやつだ」

「だから違うんだ! っていうかあれは君のせいだろう!?」

「……はて、何のことやら?」

 

 なんの事かさっぱり分からないという風にリチャードは両手を上げるジェスチャーした。

 

「しかし、それに比べて今の状況といったら──」

 

 ちらりと横目に視線を移し悲しそうな表情をしてリチャードは呟いた。

 

 彼の視線の先には丁度褐色肌の女性が存在していた。

 やや薄い褐色肌と赤みがかった髪が印象的で大人しそうな女性であったが、彼等の存在を確認した途端燃えるような激しい敵意を剥き出しにしてこちらに迫って来た。

 

「見つけたわよ、リチャード・パテ──カハァッ!」

 

 そう叫ぶ女性にリチャードは目にも留まらぬスピードで接近すると、その勢いのまま鳩尾に一撃を加え気絶させた。

 自分が倒されたという事を認識する暇すら与えられずその場に崩れ落ちるアマゾネス。

 半裸状態であるとはいえLv.6であるリチャードとこの名もなきアマゾネスでは実力差は歴然であった。

 

「──これだもんなぁ」

 

 気絶したアマゾネスと自分の拳を交互に見つめながらそう言うリチャードの背中には哀愁が漂っていた。

 

「良かったじゃないか、リチャード。女性にあんな情熱的に迫られるなんてモテモテな証拠だ。いわゆる、『ハーレム』ってヤツだ」

 

 ポンと肩を叩きながらフィンが励ましてくる。

 

「こんなハーレム、望んじゃいなかった……」

 

 悲しみを背負った表情でそう言うリチャード。世界はいつだってこんなはずじゃない事ばかりだ。

 これが彼の下半身のタマの中身を奪うために殺到していのであれば万事オッケーの熱烈歓迎なのだが、全力全開で(タマ)を奪いに来られては全身全霊を以ってお引き取り願う次第である。

 

 こんなハーレムなんてまっぴら御免であった。

 

「しっかし、随分としつこいな。いっそのこと全員倒しちまうか?」

「おい、バカやめろ。そんな事したら大問題になる事が分からないのか!?」

 

 これまでフィン達は極力戦闘を避けて、出来るだけ被害が出ないように逃げ回っていた。

 確かにこの窮地から脱出するため()()ならば手当たり次第にぶっ倒していくのが一番手っ取り早い解決方法なのだろうが、そうは問屋がおろさないである。

 

 彼等が所属するファミリアはオラリオでも有数の巨大勢力だ。しかも片方は“団長”という超重要ポストに就いている。

 そんな彼等がイシュタル・ファミリア勢力圏内で大それた事をすれば、更に大それた事態に発展する事は容易に想像出来た。

 

 最悪、イシュタル・ファミリアVSロキ・ガネーシャファミリア連合の全面戦争なんて悪夢の様な事態になりかねない。

 もし、そんな大戦争が勃発したら戦火は戦火を呼び、その戦いの炎は瞬く間にオラリオ中へと燃え広がり、各勢力や派閥の人間だけで無く全く無関係な人間をも巻き込む事になってしまうだろう。

 それだけは確実に避けなくてはならない。

 

 しかもその原因が娼館で起きたしょうもない小競り合いであるとか、絶対にあってはならないことだ。

 歴史に名を残す大戦争の中にはそういったアホみたいな原因で起きた戦争も意外に多くあるらしいが、そんな事で歴史に名を残すのはあまりにも情けなさ過ぎで末代までの恥である。

 

「大丈夫だ! ちゃんと偽名を使ったし変装もしていた! バレる心配はほとんど無い!!」

「じゃあ、さっきのアマゾネスがもろに君の名前を叫んでいたのはどう説明するつもりだ?」

 

 フィンの記憶が確かなら、さっき倒したばかりのアマゾネスはばっちりリチャードの名前を叫んでいたはずだ。

 彼等の──少なくともリチャードの──正体は完全にバレバレであると考えるべきであった。

 

「そ、そんな、馬鹿なッ!? うわぁ、そういえばそうだった。……なぁ、どうしようフィン?」

「はぁ、君ってやつは……」

 

 フィンはリチャードに呆れ返りながらも、この状況を打破する為の手段をその聡明な頭脳で模索した。

 だが、彼の頭脳を以てしてでもここまであからさまに敵対行動を取り、敵のホームグラウンドでの逃亡劇となっては思いつく手段は多くはなかった。

 

「……戦闘はこれまで通り極力避けていくしかないだろうね。後は、ほとぼりが冷めるまで隠れる、かな? あ、君を生け贄にするっていうのがあったね。これが一番良さそうだ。きっと誠心誠意“身”を捧げれば許して貰えるんじゃないかな?」

 

 実際には素直に捕まって全力でごめんなさいをするという選択肢もあったが、フィンはそれをあえて提案しなかった。

 

 むしろ、その選択肢こそがこれ以上の被害も禍根も出さずに綺麗にまるっと解決する最も冴えたやり方であったのだが、リチャードの言葉を信じるのであれば先に手を出したのは向こうである。

 それなのにこちらが謝ってしまっては、まるで負けを認めた様な気がしてなんだか癪であった。だからこそフィンはその選択を破棄する事に決めたのだ。

 

 なんだかんだ言ってフィン・ディムナも他の冒険者と同じで負けず嫌いな男であったのだ。

 

「最後の“ヤツ”以外ならどれでも賛成、だなッ!」

 

 再び集まってきたアマゾネスを軽くあしらいながらリチャードは自分の意思を伝えた。

 

「そうか、それは残念だな……じゃあ、取り敢えず今までどおり逃げ回って、なんとか脱出する方向でいこうか。分かっていると思うけど、できるだけ建物などには被害を出さない様にね」

「オッケー、了解だ!」

 

 既に娼館一つに大穴を何個も開けて大損害を出してしまっているが、だからといってこれ以上いたずらに被害を出す必要は存在しなかった。

 逃げ切るにしろ、捕まるにしろ、後で謝るにしろ、出した被害は少ない方が良いに決っているのだ。

 

「……じゃあ行こうか」

 

 瞬く間に集結する戦闘娼婦達をなんとか対処しながら、フィン達は再び夜の闇の中へと消え駆け出した。

 

 

 

 *

 

 

 

 複雑に入り組んだ歓楽街の中を縦横無尽に逃げ回っている内にフィン達はあることに気が付いた。

 

「……多分、誘導されているね」

「……あぁ、どうやらそうみたいだな」

 

 疾走しながらもフィン達はそう会話した。

 

「確実に『罠』だね」

「あぁ、確実に『罠』だな」

 

 フィン達を襲う戦闘娼婦達は、ある時は執拗なまでに苛烈に攻めてきて、そうだと思ったら呆気ないほどすんなり退却し、またある時はあえて逃げ道を作るなどをして、良く良く観察してみるとかなり不自然な行動をとっていた。

 それが何回か繰り返される内に、この一連の行動は全て何らかの意図があって行われている事をフィン達は読み取っていた。

 

 おそらく、いや、間違いなく“これ”は『罠』だ。

 

「やっこさん、相当に自信があるみたいだな……」

 

 顔を(いぶか)しめながらリチャードは言った。

 

 さっきまでぽこじゃかと湧いていた戦闘娼婦達は今では鳴りを潜め、辺りは静寂に包まれている。

 不気味なまでの静けさだ。それが余計に不安と不審を煽ってくる。

 

「みたいだね、僕達(Lv.6二人)相手に勝算があるみたいだ。信じられない事だけど」

 

 敵の目的は彼等を“ある”ところに誘い込むである事は間違いだろう。そこで待っているのが何であるかまでは分からないが、Lv.6二人を相手にして打倒し得る“何か”が待っているという事は簡単に推測できた。

 

 このまま進むべきか、多少の被害を出してでも強引に脱出するべきか、フィン達は選択を迫られていた。

 

「俺達の実力を見誤っている可能性は?」

 

 いくら碌な装備をしていないとはいえ、Lv.6二人に対して勝ち目があると思うのは流石に計算違いであるとしか思えない。その証拠に、彼等は初っ端からイシュタル・ファミリア最強の戦士を倒している。

 彼女以上の隠し玉がイシュタル・ファミリアにあるとは考えられない。

 

「……多分、だけど、多少は()()と思う」

 

 だからこそ、少し考えたのちフィンはそう答えた。

 

「向こうは君が『リチャード・パテル』だと知っていた。つまり、L()v().()()の冒険者だと知っていたんだ。だから同じLv.の男殺し(アンドロクトノス)を寄越したんだろうけど──今の君はL()v().()()だろう?」

 

 疑問形での発言であったがフィンはそうであると確信していた。

 

「なんでそれを──あぁ、レフィーヤか」

 

 リチャード達のランクアップは今のところ部外秘の極秘情報であるが、彼女(レフィーヤ)の団長であるフィンがその事を知っているのは不思議な事ではない。

 

「あぁ、そうだ」そう短い言葉でフィンは肯定した。

「でもそれは、イシュタル・ファミリアには知る由もない事だ、だから少なくとも相手は君の実力を──」

 

 そこまで言ってフィンは言葉に詰まった。自分で言っていてこの事態の不自然さに気が付いたのだ。

 

「どうした?」

 

 固まるフィンを不審に思ったリチャードが周りを窺いながら問いかけた。今のところ敵影は見えない。

 

「どうして、リチャードのところに()()()()()()?」

 

 そう、フィンが疑問をこぼした。その問いは隣にいるリチャードよりも己自身に向けられていた。

 

「そりゃあ、俺の溢れんばかりの魅力が──」

「いや、それは違う」

 

 フィンはリチャードの言葉を最後まで聞かずに至って真面目に一蹴した。

 

「ここは娼館だ。よっぽど特殊な性的嗜好が無い限り男殺し(アンドロクトノス)を希望する者はいない」

 

 フィン達がぶっ飛ばしたヒキガエル、もといフリュネ・ジャミールの二つ名『男殺し(アンドロクトノス)』という異名は決して比喩や例えで無く、文字通りの意味である。

 彼女は何度も言葉の通り男性を殺しているのだ。物理的にも性的にも。

 そんな男にとって見た目も性格も最悪とも言える醜悪な娼婦を、あえて好き好んで選ぶ豪の者は存在しないだろう。

 

「君も当然そうだったはずだ」

「当ったり前だ!」

 

 彼女と遭遇した時の事を思い出したのかリチャードは不快そうに言った。

 彼が、『特別サービス』と聞いて期待に胸を膨らませていた時の気持ちと、その思いを裏切られた時の心境の落差は筆舌にし難い事だろう。

 

「そう……なのにイシュタル・ファミリアは『特別サービス』だなんて言い訳をしてまで()()()彼女を君のところに寄越した。……何故だ?」

 

 イシュタル・ファミリアは少なくとも彼が『Lv.5のリチャード・パテル』だと知っていたはずだ。そして、そんな事をしてはまず間違いなく争い事に発展するというのも分かっていたはずだ。

 

 それに加え、リチャードの証言では男殺し(アンドロクトノス)は性的ではなく物理的に襲い掛かってきたらしい。

 最初から争いを引き起こすことが目的であったとしか思えない。

 

「……賠償金目的か?」

 

 考えうる可能性を考慮し、最もあり得そうな可能性を口にするリチャード。自らの支配領域で無理矢理戦闘させる目的としてはそれ位しか思いつかない。

 適当な因縁を付けて金を掠め取るには絶好の機会であったと言える。

 

「もしくは、身代金目的だ。強引に捕まえて後は煮るなり焼くなり、ってね。で、僕が思うに有り得るとしたら身代金(そっち)だ。Lv.5とLv.5なら本拠地だし何とかなると思ったんだろう、でも──」

 

 そう言って一度深呼吸するとフィンは続けた。

 

「──でも、だったらどうして“僕”じゃなくて“君”だったんだ? どちらの目的にせよ、普通だったら君じゃなくて僕の方があらゆる面で都合が良かったはずだ。君の正体がバレていたのに僕の正体がバレていなかったと考えるのは流石に無理があるだろう」

 

 高Lv.冒険者とは言え一般団員であるリチャードと、オラリオ最強の片翼であるロキ・ファミリアの団長であるフィンとでは人質の価値がまるで違う。

 身代金にしろ、賠償金にしろ、金銭目的で狙うのであればリチャードでは無くフィンの方が妥当であるはずだった。

 

 でも、それをイシュタル・ファミリアはしなかった。

 

「……あんたじゃ手に負えないと考えたのかもしれないぞ?」

 

 当然考えられる選択肢をリチャードは指摘した。

 

「その可能性は低いと思う。確かに僕達(ロキ・ファミリア)と敵対するリスクはかなり高いが、僕はここに来た時は完全に酔い潰れていて正体を無くしていた。記憶も飛んでいたから無理矢理攫うにしても監禁するにしても、君より僕の方が容易(たやす)かったはずだ。なのに──」

「フィンじゃなくて俺の所に来た。……つまり、狙いは“俺”か?」

「おそらくね」

 

 イシュタル・ファミリアの行動の意図を読めば彼女達の狙いがリチャード・パテルであると推測することが出来た。

 

「そして、多分、彼女達の目的は『金』じゃない……」

 

 フィンの言う通りイシュタル・ファミリアの目的が賠償金や身代金であるならばその行動に一貫性が無さ過ぎだ。

 金が目的であるならば狙うのはフィン一択で、それをイシュタル・ファミリアはしていない。つまり彼女達には金以外のなんらかの目的があるのだ。

 そして、目的を達成するためにリチャード・パテルが必要という事なのだろう。

 

「何やら嫌な予感がするぜ。多少、被害を出してでも無理矢理脱出するべきじゃないか?」

 

 周囲の様子を慎重に窺いながら狙われた張本人であるリチャードは提案した。

 彼の選択は“緊急脱出”だ。明らかに罠だと判断できる誘いに乗る必要は無いし、その狙いが自分というのであれば当然の選択であろう。

 

「……僕は、反対だな」

「……どうしてだ?」

 

 当然自分と同じ結論に辿り着いていると考えていたリチャードは冷静に理由を聞いた。

 脱出という選択をリチャード(自分)が考えついたのに、フィン()が考えつかなかったとは思えない。

 何か自分には考えつかなかった理由がフィンにはあるのだとリチャードは考えた。

 

「敵の目的は金銭じゃないのは確実だ。でも、なんらかの目的があるのは確かだ」

 

 でなきゃこんな大騒動を引き起こしたりしないだろう。

 最初は仲間を傷つけられた事によるちょっと過剰な報復行為であると思っていたが、そんな考えはもはや微塵も無い。

 

「敵の目的は間違いなく『君』だ。じゃあ具体的には君の何だと思う?」

 

 それは、リチャードに有ってフィンに無いものを考えれば容易に考えつく事であった。それが即ち敵の目的という事だ。

 リチャード・パテルにあって、フィン・ディムナに無いものそれは──

 

「身長かッ!?」

「……もしかして君は馬鹿なのか?」

「え、いや……じゃあ、漢としての魅力か!?」

「もしそうだとして、敵は君を捕まえてどうするつもりなんだと思う? ここまでするメリットなんて無いだろう! もっと具体的な“モノ”で考えてみろ。君が持っていて僕が持ってない“モノ”を、だ」

 

 だが、リチャードにはあらゆる面に関して自分に(まさ)っていると思っているフィンは持っていなくて、彼だけが持っている“モノ”なんて思い当たらなかった。

 地位、名誉、財産、権力、名声、どれをとってもリチャードはフィンには敵わなかった。俺が持っていてフィンが持ってないものなんてこの世に無い──そう考えていたリチャードの脳裏にある人物が浮かんできた。

 

「……もしかして嬢ちゃんか?」

 

 何時になく真剣な表情になってリチャードは言った。

 確かにルララとの関係はリチャードにはあってフィンには無いものだ。その考えに至ってみるとそれ以外の回答は考えられないと思えるほどに、謎に包まれていたパズルのピースがピッタリと嵌った感覚を受けた。

 

 リチャードとルララが仲間であることを知っている者はあまり多くは無いが、別に秘密にしているということでも無い。

 一体どこからその情報を入手してきたのかは分からないが、どうやらイシュタル・ファミリアはリチャードとルララが浅はかならぬ関係にある事を知っている様であった。

 

「多分、十中八九そうだろうね」

 

 リチャードの言葉に対しフィンはそう肯定した。

 

「おそらく、君を捕まえて彼女を誘い出そうとしているんだろう。それで何がしたいのかまでは分からないが……どうせ碌でもないことだろう」

 

 イシュタル・ファミリアの悪名はフィンもリチャードもよく知るところである。かのファミリアには黒い噂が後を絶たないし、最近注目の的であるルララ・ルラを誘い出して何か良からぬことを企んでいる事は容易に察せられた。

 

「だったら尚更さっさと離脱するべきじゃないか?」

 

 敵の真の目的がルララならば今直ぐここから脱出して彼女に危機を知らせるべきであろう。

 イシュタル・ファミリアがルララにちょっかいを出したとしても、心配するべきは彼女では無くイシュタル・ファミリアの方であるが、だからといってこのまま放置して何もしない訳にはいかない。

 悠長にこんなところでダラダラと悩んでいる暇は無さそうであった。

 

「いや、僕はむしろこのまま相手の誘いに乗るべきだと思う」

 

 だがフィンの考えはそうでは無く、リチャードとは全く逆の『前進』であった。

 何故だ、と自分とは正反対の意見を言ったフィンに対し問い詰める様な顔をして無言で睨みつけてリチャードは続きを促した。

 

「そんなに睨まないでくれ……さっきも言ったけど敵は君の実力を見誤っている。だったらこの先にある『罠』もどうにか出来る可能性が高い。しかもこの騒動は決して綿密に計画されたものではないはずだ。僕達がここに来ると決めたのはつい数時間前の事で、そこから計画されて実行された急造の作戦だ。故に万が一が起きても対処は容易いと言える。それに──」

 

 睨みつけてくるリチャードに対し、フィンはにやりと笑いドヤ顔で続けた。

 

「──彼女に危害を加えようとしている輩を未然に潰すのも守護者(ガード)としての務めではないかな?」

 

 そうニヒルに笑いながら言ったフィンを否定する要素は、そのムカつく笑顔以外にはリチャードには無さそうであった。

 

 

 

 *

 

 

 

 イシュタル・ファミリアの誘いに乗ることを決めたフィン達が辿り着いたのは、人気が全くなく暗闇に包まれた歓楽街のとある一画であった。

 夜の時間こそが最も活気溢れる歓楽街内部であるにも関わらず、その場所は照明など全く無く、華やかな歓楽街には不釣り合いの無骨で荒々しい石造りの異国風の建物がそこにはそびえ立っていた。

 

 なるほど確かにこれはいかにも罠を張っていそうな感じの建物だ、とフィン達はその建物を見て感想を抱いた。

 

「テルスキュラ国の建築様式に似ているね」

 

 フィンは彼の知識の中にあるこの建物に類似した建築様式である国の名前を出した。

 この建物は彼が文献で見たテルスキュラ国にあるという闘技場に酷似していた。

 

「あの、アマゾネスの聖地って言われている国か……ある意味この街にピッタリと言えるのか?」

 

 テルスキュラ国はかなり好戦的で物騒な国である事で有名な国家だ。そしてそれと同時に、アマゾネスの、アマゾネスによる、アマゾネスだけの国である事でも超・有名であった。

 イシュタル・ファミリアに所属する戦闘娼婦の多くはアマゾネスである場合が多い。その事を考えれば確かにこういった建物がこの歓楽街にあるのは不思議では無い。

 

「テルスキュラ国のアマゾネス達は、闘技場の中で神の名の下に命を賭けて決闘と言う名の殺し合いを行うそうだよ。それを日常的に行っているそうだ。己の能力を高めるためにね」

 

 それは文献で得た知識ではなく、とあるアマゾネスから教わった知識だ。

 

「……そいつは、なんともイカれてるな」

 

 自分達も似たような方法でステイタスを上げている事を棚に上げてリチャードはそう言った。

 そして、「そんじゃあ目的地は“あそこ”で間違い無さそうだな」と続けた。

 

「そうだね。それで、武器の方だけど……君の方は心配なさそうだね」

「まぁな。久々の俺式戦闘スタイル(徒手空拳)だ……アンタの方は?」

「僕の方も……まぁ、これで良いだろう」

 

 そう言ってフィンはここに来るまでにいつの間にか入手していた木の棒をリチャードに見せた。

 フィンの身の丈以上の長さを誇るその木の棒は、彼の主武器である槍と同じくらいの丁度良い長さであった。

 

「随分とイカした武器だな。伝説の武器か何かか?」

「まぁね。その名も突き穿つ木棒の槍(ゲイ・ボルグ)ってね」

「なるほど、格好いいな」

 

 光ってないのでILは80か? と謎の電波をリチャードは受信した。

 

「まぁ、弘法は筆を選ばずってことだね」

 

 くるくるっと突き穿つ木棒の槍(ゲイ・ボルグ)を回転させながらにやりと笑うフィン。

 

「俺は筆すら持ってないけどな!」

 

 そう言って笑い返すリチャード。

 

 そうやって彼等はお互いを見合って、どちらにも碌な装備が無い事をガハハハと笑い飛ばした。

 この先にはかなりの高確率で彼等を殺しきる事のできる『罠』が待ち構えている。そうであればこんな装備じゃ心許無さ過ぎてどうにかなりそうであったが、そうだとしても彼等には一歩も退く気はなかった。

 たとえ、どんな鬼畜な罠が待ち構えていようとも、それを乗り越えてみせる自信が彼等にはあったのだ。

 

「ハハハ……さて、それじゃあ──」

「あぁ、行くとするか!」

 

 そうして彼等は自ら罠の中に飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 

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