光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ウィリアム・スミス

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イシュタルの場合 5

 私は 哀れな 醜い アヒルの子

 

 のぞむ姿にもなれなければ のぞむ姿に変わる気もない 哀れな 哀れな アヒルの子

 

 飛び立つ勇気もなければ あきらめる勇気もない 卑しい 卑しい アヒルの子

 

 私は 醜い 醜い アヒルの子 

 

 童話のようには羽ばたけない かわいそうな アヒルの子

 

 助けを待ってばかりじゃ羽ばたけない

 

 

 

 *

 

 

 

 闘技場の内に侵入し、暗闇に包まれる通路を抜けるとそこは石畳でできた戦場(アリーナ)であった。

 闇夜に沈むアリーナ内を、満天の夜空に浮かぶ満月と僅かに灯る篝火だけが照らしている。

 炎に照らし出されるアリーナの中央には不気味な意匠の仮面の女が四人、亡霊の様に待ち受けていた。

 

 彼女達の存在を認めた瞬間、僅かながらの動揺がフィンに走る。

 

 見覚えのある者達がいる、この場所に居るはずの無い、居て良いはずの無い者達がここに居る。いくら仮面を被っていて顔が見えないからといって、彼が彼女達の姿を見紛うはずが無い。

 幾度となく窮地をくぐり抜け、背中を預けて戦い、寝食を共にしたかけがえのない仲間達を団長(フィン)が見間違えるはずが無かった。

 

「……確か、()()()()()()()んじゃなかったっけか?」

 

 彼女達には聞こえない声量でリチャードは囁く様に言った。少しばかり責める様な口調になってしまっているのは気のせいではないだろう。

 リチャードも彼女達とは浅はかならぬ関係を持つ者だ。正確には彼女達とではなくて彼女達のコピー体とだが。だからこそ彼も彼女達の正体を一瞬で看破出来た。

 彼も彼女達がロキ・ファミリアのアマゾネス姉妹。ティオネ・ヒリュテとティオナ・ヒリュテである事を瞬時に見破っていた。

 

 流石の団長も団員のあーんなところや、こーんなところは見たことは無いだろう。いや、もしかしたら彼女達は普段から裸に近い格好をしているらしいし、片方は団長にご執心らしいから有り得るかもしれないが、それでも全裸で戦う姿を見たことは無いはずだ。

 そういった意味では、リチャードは彼女達の事についてフィンよりも詳しいと言えた。

 

 ロキ・ファミリアとイシュタル・ファミリアは蜜月の関係では無い。

 どういった経緯でイシュタル・ファミリアとは全く無関係の彼女達がここにいるのかは不明だが、その原因の一端が隣の小人族(パルゥーム)に有ることぐらいはリチャードにも理解出来た。

 

「……正確には、()()()()()()だよ。過去形と未来形じゃ大違いだ」

 

 やや間を空けて、苦虫を噛み潰した様な渋い顔をしてフィンが答えた。彼にしては珍しく弱々しく愚痴を吐く様な口調であった。

 

「そうか、どちらにせよ今から説得するには骨が折れそうだな。まあ、あの様子じゃ一生かかっても納得して貰えそうに無いが……」

 

 リチャードは対面の黒髪ロングヘアの女性──ティオネ──に視線を移して言った。

 顔全体を覆う仮面のせいで表情を窺うことは出来ないが、鼻息荒く敵意を剥き出しにしているところから、相当興奮しているのが見て取れる。

 こちらの言い分を聞く耳は全く無さそうであった。隣の妹ですらそんな姉の様子に若干引いている。

 

「正直言って弁解のしようも無いよ……」

 

 言葉の説得力はその内容よりも『いつ』『どこで』と、そしてなによりも『誰』が言ったのかが重要になってくる。

 

 こっそり行った娼館で大問題を起こし、そこから哀れにも逃走し、最後に逃げ込んだ場所で言い放つ男の言葉ほど心を動かさないものは無いだろう。『時』も『場所』も『言う奴』も、もう何もかも全てが最悪であった。

 

「……でも、だからといってこのままおめおめと捕まる訳にはいかないぞ。大丈夫か?」

 

 そう、彼等の双肩には彼女の未来が懸かっているのだ。別にそんな事わざわざしなくても彼女なら何とかしそうだが、それでも彼等は相応の覚悟を持ってここへとやってきたのだ。今更妥協する訳にはいかない。

 

「あぁ、むしろ同門が加担していることが分かったんだ。尚更退くわけにはいかないよ」

 

 彼等はたとえ相手が神であろうとファミリアの仲間であろうと、立ち塞がる障害は全て排除する所存であった。

 

「……なら良いんだがな」

 

 決意を新たにすると彼等は油断無く敵の様子を観察した。

 

 相対する彼女達から放たれる突き刺さる様な鋭い雰囲気は、少しでも隙を見せれば直ぐさま八つ裂きにするぞ、という強いイメージを彼等に与えてくる。若干一名辛抱たまらんといった感じで鼻息が荒いが気にしてはいけない。心なしか妹すらも一歩退いている様な気がする。

 

 だが、突き刺さる威圧は全て本物だ。

 どうやら、彼女達全員がリチャード達を倒しうる実力を秘めているという事は、疑いの余地はなさそうである。最低でも全員がLv.5以上の実力があると見て間違いないだろう。

 

 そして気になるのはティオネ、ティオナ以外の残る二人の女性だ。

 ヒリュテ姉妹と同じ褐色肌であることからアマゾネスであることが窺い知れるが、その髪は姉妹とは違い砂の様に黄色い色をしている。発せられる雰囲気は正に強者のソレだ。

 

 オラリオではアマゾネスでヒリュテ姉妹以上の使い手は存在しない。なのに、フィン達の戦力分析が正確であるならば、この謎のアマゾネス達からはヒリュテ姉妹以上の力を感じる。

 

 ルララの様に突如現れた新鋭か、あるいは外部勢力の者か。広い情報網を持つフィンは直ぐさま彼女達の正体に当たりを付けた。

 相手に悟られない様に小声でリチャードと意思疎通を図る。

 

「気を付けろリチャード。相手は多分、テルスキュラのアマゾネスだ」

 

 この闘技場の様式や、元・同門であるヒリュテ姉妹が一緒にいる事、そして強力な外部勢力である可能性を鑑みるに、このアマゾネス達はテルスキュラ国の戦士であることは間違いないと言えた。

 そうであるならばヒリュテ姉妹が彼女達に加担するのも、ある程度は納得できる。

 

「あのイカれたシキタリのある国か……確か命懸けで決闘してるんだっけか?」

「ああ、そして噂ではつい最近Lv.6に到達した者がいるらしい」

「それが、あの金髪のどっちかって事か」

「あるいは両方共、だね」

「見た感じ、二人とも“そう”っぽいな」

 

 それはフィンも同意であった。

 どちらにせよ、少なくともあの中にLv.6が最低一人はいることは確定だろう。こちらの貧弱な装備状況を考慮すると旗色はかなり悪いと言えた。

 

「幸いなのは向こうも全員徒手空拳なところだな。黒髪姉妹の方は良いとして金髪姉妹の方が暗器使いである可能性は?」

 

 別に金髪のアマゾネス達が姉妹であることが判明したわけでは無いが、リチャードはおおざっぱに一括りするために彼女達を姉妹であると呼称した。

 

「アマゾネスという種族はそういった小細工を嫌う傾向にあるから心配無いと思うよ。まぁ、その代わり……」

「正面からのガチンコには自信ありってことか。悪くねぇな」

「そういう事。イシュタル・ファミリアの妙な自信の理由はコレだったんだね」

 

 ロキ・ファミリアのLv.6とガネーシャ・ファミリアのLv.6に対して随分と強気であったなと思っていたが、なるほどこれが根底にあったのだろう。

 

「そりゃあ、Lv.6二人に、最高位のLv.5が二人助っ人に来れば強気にもなるわな」

 

 いつ襲いかかられても良いように油断無く警戒しながらリチャード達は会話を続ける。

 

「……リチャード、君には──」

「俺は、パツキンネーチャンといちゃこらしてるわ。黒髪姉妹の方は任せた」

 

 フィンの言葉を遮り、目を金髪のアマゾネス達に向けてリチャードが言った。

 リチャードは皆まで言うなといった感じでこちらに目もくれず佇んでいる。

 

「……すまない」

「勘違いするなよ。俺の好みが黒髪じゃ無くて金髪だったってだけだ。……フィンこそ大丈夫か?」

 

 いちおう建前上は正体不明であるとはいえ、同じファミリア同士が戦うことは決して良い事では無いだろう。

 最悪、一生拭いきれない確執が残る可能性もある。出来るのであれば避けるべき戦いだ。

 

「最悪、全員俺が──」

「いや、この戦いはちょっとしたお痛をやらかしたじゃじゃ馬娘達にお灸を据えるだけの意味でしか無いよ。君が心配する事じゃ無いよ」

 

 そう言ってフィンは黒髪のアマゾネス──ヒリュテ姉妹──の方へと歩き出した。

 

「そうか……いや、残念だな。美女の熱烈な歓迎を独り占めできると思ったんだが」

 

 フィンの背中に向かってそう投げかけ、リチャードも金髪のアマゾネスへと向かう。

 

「悪いが、彼女達は譲る訳にはいかないからね。君の方こそグズグズしていると僕が全部片付けてしまうよ」

「まぁ、そうならないように祈っていてくれ」

 

 そして、それ以上の会話は無く彼等はそれぞれの相手と相対した。

 

 

 

 *

 

 

 

 怒蛇(ヨルムガンド)の異名を持つアマゾネス──ティオネ・ヒリュテ──はその二つ名が示す通り暴れ狂う大蛇の如く怒っていた。

 蛇を模した禍々しい仮面の奥底で嫉妬の炎を燃やしながら、この世の者とは思えないほどの形相をして敵対者であるフィンを凝視する。

 

 この男は彼女の心から愛する人だ。だが今は、ただの障害でしかない。あの女を排除するためのほんの小さな障害でしか無かった。

 

 こんな事になったのは何もかもあの小人族(パルゥーム)の女のせいであった。彼女の運命がこうも滅茶苦茶に狂ったのは全てあの女のせいであった。

 あの醜悪なる姿の小人族(パルゥーム)を思い出すだけで、身の毛もよだつ程に怒りが湧いてくる。

 

 彼女の恋が実らないのも、思い人の心が奪われたのも、古い過去の亡霊が彼女を惑わすのも、愛する人と戦うはめになったのも、そして彼女が一度死にかけた事さえも、きっとあの女があの人の心を奪うために仕組んだ事に違いなかった。

 全ての元凶はあの女にある。

 ならば、取り払わなくてはならない。打ち払わなくてはならない。振り払わなくてはならない。

 平穏を保つために。均衡を保つために。安泰を保つために。そうする必要があった。

 

 これはそう、神が彼女にもたらした崇高な使命であると言えた。

 

 それは全くもって言いがかりの視野狭窄な思考であったが、そんな事に気づけないほどに彼女は激怒していたのだ。

 

 とにかくティオネは怒っていた。それも未だかつて無いほどに、だ。そしてそれは彼女の持つ特有のスキルを最大限に稼働させていた。

 

憤化招乱(バーサーク)

 

 怒れば怒るほどに攻撃力を上昇させるこのスキルは今、絶頂を迎えようとしていた。

 

「さて、どうして君達がここにいるのか教えてくれないかな?」

 

 対峙する小人族(パルゥーム)が今更そんな事を(のたま)ってきた。

 何時もならその声を聞いただけで体中が熱くなり渦巻く怒りが雪の様に溶けていくのだが、今日ばかりは怒りのボルテージを引き上げるだけであった。

 

 頂点に達した憤怒に身を任せて引き絞られた弓矢の如く飛び出し一直線に突っ込んでいく。

 強靱な脚力を持って一瞬で距離を詰め、溜まりに溜まった積怒を込めて愛しい人に向けて拳を叩きつける。

 

「……返答が“ソレ”とは、随分と手荒い歓迎だね。ティオネ」

 

 スキルによって暴れ狂う大蛇の如き一撃へと強化された渾身の一撃は、ただの木の棒で流水の様に受け流されてしまった。

 怒り任せの強襲を簡単に往なされたティオネは体勢を崩し、その隙をフィンが逃すはずも無く、彼はティオネの背中目掛けて一撃を加えるとその勢いのまま彼女を転倒させた。

 

 彼女の勢いと彼の勢いをプラスされた衝撃は、強固に出来た石畳にひびを入れティオネの体に痛烈なダメージを与えた。

 

「ガハァ!」

 

 堪らず彼女の口から苦痛の声が漏れる。

 

「いくら君のスキルが『怒り』に関する事だからといって、怒りに身を任せて攻撃するのはよせと何度も教えたと思ったけど、暫く見ない内にもう忘れてしまったのかな?」

 

 諭す様な憎たらしい声が頭上から聞こえた。いちいちかんに障る甘い声だ。彼女の中で暴れ回る怒りの炎が更に激しく燃え上がる。

 それによって急上昇した力でもって直様反撃に出ようとしたが、彼女の肉体は思う様に動かなかった。的確に彼女の身体に押さえつけられる木棒によって動きが完全に制御されているのだ。

 

 その姿はまるで調教される猛獣の様だ。まるで彼は彼女の弱い所を全て知り尽くしているかの様であった。

 良い様にあしらわれていることに激しい屈辱を覚えるティオネ。怒りのボルテージが益々上がっていく。

 

「それと──」

「うぉおおおお!!」

 

 ティオネに集中しているフィンの背後から、今度は乾坤一擲の気合いをもってティオナが殴りかかってくる。

 

「──奇襲するなら、静かにかつ素早く、だ。ティオナ」

 

 フィンは死角から放たれた拳撃を華麗に回避すると、ティオネに押し付けていた木棒を一回転させた。その時なぜだか分からないがティオネは少し名残惜しい気持ちになった。

 

 木棒はまるであらかじめ決められていたかの様にティオナの下顎へと吸い込まれていき、彼女の顎を僅かに掠めると脳を揺らした。

 刹那の時間、ティオナの意識が忘却の彼方へと飛ばされる。

 その一瞬の隙を突き、フィンはティオナの足を払うと倒れゆく彼女の延髄に強烈な一撃を加え、姉と同様に大地へと叩きつけた。

 

「ぐぅう」

 

 ティオネの時と同じ様な亀裂が再び地面に走る。

 そのまま流れるようにティオナの背中を木棒で押さえつけ、ティオネを座り込んで押さえつけるとフィンは勝ち誇るように言った。

 

「少しは成長したと思っていたけど、まだまだ甘いね」

 

 強い──地面を強制的に舐めさせられたティオネ達は倒れ伏しながらもそう思った。彼女達の団長は想像以上に力を秘めていた。Lv.5としては最高峰であるヒリュテ姉妹をもってしてでも手も足も出ないほどに彼は強かった。

 

 それもそのはず。彼女達がLv.5最高峰であるならば、フィン・ディムナは世界最高峰の冒険者だ。それも長いこと修練を積んだ最高位のLv.6であり、世界最強のファミリアの団長なのだ。

 たとえ、相手がLv.5で多くの戦場を共にした身内であろうとこの程度造作も無い事であった。彼女達がかなわないのも道理であると言えた。

 

 しかも彼はまだその実力の半分も出していない。

 

 あまりにも最近ジャイアントキリングが続いているから忘れがちであるが、Lv.差というのはこれほどまでに絶対的な壁として君臨しているのだ。

 

「さて、そのままで良いから聞いて欲しいんだけど……もう一度聞こうか。君達はどうしてここにいるのかな?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、必死に藻掻いていた彼女達の動きが止まった。

 どうして……どうしてだっただろうか? どうしてこんな事になったのだろうか? そんなの、そんなの決まっている! 全ては、全てはアイツが……。

 

「テルスキュラのアマゾネスに何かされたのか?」

 

 それは確かに一番有り得そうな答えだった。

 ティオネとティオナはテルスキュラ出身のアマゾネスだ。久しぶりに会った故郷の仲間達に当てられて惑わされた可能性が高いと思うのは普通であろう。

 

 だが別にそんな事が理由では無かった。

 

 テルスキュラとは因縁はあるが確執は無い。生まれ故郷であるが執着は無かった。別に彼女達が何をしようが何処にいようが、本当に()()()()()()()()

 彼女にとって大事なのは……。

 

「……だんまりか」

 

 だが、それを言って彼が納得するとは思えなかった。だから彼女達は沈黙を貫いた。

 彼には理解出来ない。理解することが出来ない。ヒトを愛した事の無いこの男には絶対に分かって貰えない。

 愛するという事の意味を。“ソレ”を手にする為には何でも出来るという事を。時には“ソレ”が悪鬼の如き憎悪に変わるという事を。

 

 きっと彼は理解出来ないだろう。

 

「……じゃあ、()()()の目的はなんだ?」

 

 沈黙し続けるティオネ達にこのままでは埒が明かないと思ったフィンは別の質問をした。

 この時、フィンはあえて()()では無く()()()と聞いた。

 君達は無関係なのだろう? ただ協力しているだけなのだろう? と言外に伝える為だ。

 

「……これも、か」

 

 その質問も彼女達に黙殺された。

 彼女達は、一度“こう”と決めたら意地でも貫き通す頑固な姉妹だ。だから、この回答は想定内であるとフィンは己に言い聞かした。

 しかし、答えられないのには理由があったのだ。そもそもティオネ達はその答えを知らないのだ。彼女の頭にあるのはあの女を抹殺する事だけだ。それさえ出来れば他の事はどうでも良かったのだ。

 

 だが、このままではあの女を殺すどころか、相対する事すらも出来なくなってしまうだろう。

 計画の為には愛する人ですら打ち倒さなくてはならない。これも愛故に、である。

 

 ティオネとティオナは彼女達の奥の手を切ることに決めた。

 もう、今更止めることは出来ない。彼の神と密約を結び、あの煌びやかで美しい神に”魅了”された時にはもはや後戻り出来なくなってしまっていた。

 

 きっと、あの時に何もかもが()()()()()()()()()しまったのだろう。

 

「じゃあ最後に聞くけど──」

 

 フィンがそう言ったのをティオネ達はどこか遠くに聞いた。もはやフィンの声すらもどうでも良くなっていたのだ。

 

 ティオネ達は言葉を紡いだ。空に浮かぶ満月と呼応し光り輝く小さな石の欠片を持って、彼の言葉を口ずさんだ。

 それはとても小さな呟き声であったが、それだけで十分だった。

 彼女達が持つ『アラグ式殺生石』の欠片は解放され、その身に宿した魔法(ちから)を彼女達に発現させた。

 

「──これが()()を狙っての事だと知って与したのか?」

 

 その返答は金色に輝く拳であった。

 

 

 

 *

 

 

 

 テルスキュラの熱く過酷な砂漠に似た髪をしたアマゾネス達は、アルガナとバーチェと言った。

 蝙蝠の様な不気味な仮面を着けた長髪のアマゾネスがアルガナで、肩まで伸びる髪を持ち蜘蛛のような禍々しい仮面を着けたのがバーチェだ。

 

 リチャードは勝手に彼女達を姉妹と呼称していたが、偶然な事に彼女達は姉妹であった。

 アルガナが姉で、バーチェが妹だ。

 

 彼女達はテルスキュラ最強の戦士であった。

 幼少の頃から強制的に恩恵(ファルナ)を授けられ、同族同士、同レベル同士で殺し合いを続け、二十を超えるまで生き残った正に戦いの化身であった。

 

 彼女達にとって戦いは生きる事と同義であった。あるいは戦う事しか知らないとも言えた。

 

 そんな彼女達に共通する認識が一つある。男という存在はか弱く情けないものだという事だ。

 テルスキュラにとって、男とはただの『種』に過ぎない。一族繁栄の為のただの道具でしか無いのだ。

 国を出てわざわざこんな辺境の地に来たのも全ては”あの女”と戦う為だ。『神の鏡』を通して見たあの凄惨な光景を作り上げた張本人と死合う為だ。

 

 男になど微塵も興味は無かった。

 

 だが、世界は思っていたよりも広大で未知に溢れていたらしい。初めて訪れた辺境の地で彼女達は思いがけない出会いをした。

 

 雄の強者だ。

 

 最初はあの女と戦う為の前段階なだけで大した事は無いだろうと期待していなかったが、中々どうして歯ごたえのある男であった。

 

 一瞬で距離を詰め懐に潜り込み強烈な一撃を喰らわせてきたり、遠距離から地を突き衝撃波を放ってきたり、羽毛の様に華麗なステップでアルガナ達の攻撃を回避したり、喰らうと動きが緩慢になる攻撃を繰り出してきたりと、アルガナ達が体験したことの無い全く未知の戦法で男は戦っていた。

 

 男の戦い方は変わっていた。特に奇妙なのはその攻撃法だ。何やらぶつぶつと謎の言葉を呟きながら無心になって攻撃してくる。ちょっとしたホラーだった。

 

「踏鳴 破砕 崩拳 崩拳 双竜 双掌 連撃 正拳 破砕 秘孔 双竜 双掌 崩拳 連撃 正拳 破砕 双竜 双掌 崩拳 連撃 正拳 崩拳 双竜 双掌 破砕 連撃 正拳 崩拳 双竜 双掌 崩拳 連撃 正拳 破砕ッ!!」

 

 意味不明である。まるで修行僧が読む経の様だ。共通語をしゃべる事の出来ないバーチェでさえもその異様さに若干たじろいでいる。

 

 だが、その実力は確かなものであった。同族喰らいを続けLv.6へと昇華したアルガナとバーチェを相手に男は一歩も引かず激戦を繰り広げている。

 

 更に不思議なのは男の攻撃が打ち込む度に回を増すごとにドンドン重く、速くなっていく事だ。

 なんらかのスキルが働いているのは間違いなさそうであった。一定の攻撃を一定の周期で何度も繰り出してくる事からそれが発動条件なのかもしれない。

 

 アルガナやバーチェにもそういった自己を強化する魔法が存在する。

 アルガナには『カーリマ』という名の呪詛(カース)が、バーチェには『ヴェルグス』という名の付与魔法(エンチャント)がそれぞれ存在していた。

 

 アルガナの『カーリマ』は別名血潮吸収(ブラッドドレイン)と呼ばれ、恩恵(ファルナ)を持つ者の血を吸う事によって自身を際限なく強化しステイタスを高める事が出来る能力だ。

 だが、反則的効果を持つ反面その代償には大きなものがある。著しく上昇したステイタスの中で唯一耐久(まもり)だけが激減するのだ。

 

 そしてこの拮抗した戦いの中ではそれは致命傷になり得た。

 

 戦闘中に付いた傷口から血を啜り能力を発動させると、直様男はそれを察知しアルガナに執拗なまでの攻撃を仕掛けてくるのだ。

 アルガナの『カーリマ』は見た目や雰囲気に変化を及ぼすものでは無い。にも関わらずこの男はどうやってかそれを感知し(恐らく下がった耐久(まもり)すらも感知して)攻撃してくるのだ。

 

 男の攻撃は減少した耐久(まもり)で耐えられるほど生易しいものでは無い。それどころか強制的に『カーリマ』が解除されるなんていう場面もあった。

 こちらの手の内が全く通用しない。今まで経験したことの無い前代未聞のこの事態にアルガナの精神は大きく揺さぶられた。

 

 そして、バーチェの方はどうなのかと言うとこちらも効果は著しくなかった。

 

 バーチェの魔法『ヴェルグス』は猛毒の魔法だ。彼女が身体に纏う黒紫色の光膜は敵の皮を焼き、肉を腐らせ、骨を侵食する。彼女の魔法は必毒であり必殺であった。

 

 そう、そうで()()()のだ。それはもはや過去の事であった。

 

 必毒であるはずの魔法は肉どころか肌すらも焼く事が出来ず、男には大したダメージは与えられなかった。

 外の世界には耐異常というものがあるらしいが、それにしてもこれは異常だった。まるで男はもっと強烈で強力な“毒”に何度も何度も侵された経験があるかの様だ。

 

 アルガナ達はまさかの窮地に追い込まれていた。

 

「双竜 双掌 崩拳 秘孔 連撃 正拳 崩拳 双竜 双掌 破砕 連撃 正拳 崩拳 双竜 双掌 崩拳 連撃 正拳 破砕 双竜 双掌 崩拳 連撃 正拳 崩拳 双竜 双掌 破砕 連撃 正拳 崩拳 秘孔 双竜 双掌 崩拳 連撃 正拳 破砕 双竜 双掌 崩拳 連撃 正拳 崩拳 双竜 双掌 破砕 連撃 正拳 崩拳 双竜 双掌 崩拳 連撃 正拳 破砕──ッ!!」

 

 謎の言語を呟きながら鬼気とした表情で迫る男にアルガナ達は初めて恐怖した。己の力のみで戦えないのは癪であるが、奥の手を出す必要が有る様に思えた。

 

 アルガナ達は懐に忍ばせていた『アラグ式殺生石』を握ると呪文を紡ぎ出した。それは丁度ティオネ達が魔法の言葉を紡ぎ出したのと同時であった。

 詠唱の為に集中する必要は無い。

 これはただのキーワードであり、魔法の発動のための解除式に過ぎないのだ。

 

『――大きくなれ』

 

 風を切り、轟音を巻き上げながら迫る拳撃を紙一重で回避しながら口ずさむ。

 

『其の力に其の器。数多の財に数多の願い』

 

 共通語を喋れないバーチェもたどたどしい言葉ながら一生懸命に歌っていく。

 

『鐘の音が告げるその時まで、どうか栄華と幻想を』

 

 様々な思いと願いを込めて、彼の敵を打ち倒さんが為に。

 

『――大きくなれ。神撰を食らいしこの体。神に賜いしこの金光』

 

 やがて『アラグ式殺生石』が黄金色に発光し、さらに光の粒となって周囲へと行き渡る。

 

『槌へと至り土へと還り、どうか貴方へ祝福を』

 

 浮遊する光粒が術者へと集中し『アラグ式殺生石』に秘められた力が顕現する。

 

『――大きくなぁれ』

 

 そして彼女達は大きくなった。

 

 

 

 *

 

 

 

 

『アラグ式殺生石』から顕現した魔法は彼女達に劇的な変化をもたらした。

 

「がはっ!?」

 

 押さえつけられていた拘束を強引に振り解き──

 

「ぐはっ!」

 

 雨あられの如く降り注いでいた攻撃を掻い潜り──

 

「ごがぁあ」

「ぐふぅう」

 

 敵対者達に甚大なダメージを与えた。

 

『アラグ式殺生石』に封印されていた魔法の名は『ウチデノコヅチ』。イシュタル・ファミリアの眷属サンジョウノ・春姫が持つ超希少(レア)魔法だ。

 

 その効果は階位昇華(レベル・ブースト)。対象者のLv.をワンランクアップさせる、だ。本来であれば決して超える事の出来ないLv.の壁を突破できる奇跡の魔法である。

 

 防戦一方だったアマゾネス達から嵐の様な凄まじい反撃が繰り出される。

 

 躱され受け流されるだけであった拳撃が面白いほどに吸い込まれていく。

 怒りに身を任せるだけの力任せの攻撃も簡単に決まっていく。

 滴る血を啜っても落ちた耐久を気にする必要はもう無い。

 放たれた毒は肌を犯し、肉を冒し、骨を侵し、全身を蝕んだ。

 

 形勢は一気に逆転した。

 

 防御に使用していた木棒は数撃で粉砕され使い物にならなくなった。

 繰り出していた攻撃は一切当たらなくなり、疾風迅雷の如き勢いは失われた。

 危険を知らせる親指が激しく震え危険を知らせてくる。

 毒に冒された彼に回復手段は無かった。

 

 いわゆる絶体絶命のピンチであった。

 

「まさ、か……まだ、奥の手が、あったとは、ね」

 

 そうぶつ切りに言う小人族(パルゥーム)を、ティオネは万力の様な力で首を握り絞めて宙に浮かせた。

 手の中にいる小人族(パルゥーム)が何か言いたそうにしている。どうでも良いと思う自分と、聞く耳を持つべきだという自分がいた。

 

「ティオネ──」

 

 愛する人が自分を呼ぶ声がした。一応聞く耳を持つべきかもしれない。

 

「もう、止めるん──」

 

 でも、それは望んでいた言葉では無かった。言って欲しかったのは否定や制止の言葉では無かった。

 それは肯定だった。彼のために戦う自分を認めて欲しかった。彼を拐かす魔女を倒す為に戦う自分を承認して欲しかった。

 だから、返答の代わりに受けた仕打ちのお返しとばかりに彼を地面へと叩きつけた。

 

 轟音と共に地面に大きな亀裂が入る。ティオネ達が付けた亀裂よりも遙かに大きい亀裂だ。それは彼女の怒りの程を示していた。

 もう、小人族(パルゥーム)は動く気配が無い。呆気ない。そう蛇の仮面を被ったアマゾネスは思った。

 

「好きな男に対して、酷い事をするのな」

 

 息も絶え絶えといった様子のヒューマンの男がそう言ってくる。必死に抵抗しているが既にアルガナ達に捕らえられ羽交い締めにされている。

 強気な発言だが、情けない事この上無かった。

 

「そんなんで、男のハートを奪えると思ったら大間違いだぞ? だからアンタは()()()()()()()

 

 聞き捨てならない台詞をほざきやがった。────だがそれももうどうでも良かった。

 

「アンタみたいな怒りのままに暴れる女が男は一番嫌いなんだ。知ってるか? フィンはアンタの話を出す度に、こうやって少し困った顔をするんだ。嫌われている証拠だぜ」

 

 そう言ってリチャードはちっとも似ていない不細工な困り顔をして見せた。しかしだれも反応しない。空しい。

 いや、唯一妹の方がプスっと笑ってくれた。だが肝心の姉の方は無反応であった。

 

「あ、あと力尽くで解決しようとしている限りは、誰も振り向いちゃくれな──」

「何を期待しているのか知らぬが、無駄じゃぞ」

「……アンタは誰だ? ガキは寝る時間だぜ」

 

 突如現れた謎の少女に対してリチャードは不躾にそう言った。

 

「ほぅ貴様、“神”に対して随分な言いぐさじゃな? まぁ、良いか。妾の名はカーリー。アマゾネスの聖地、血と闘争の国テルスキュラが主神じゃ。お主の今の状況──絶体絶命──というやつじゃが怖くないのか?」

 

 リチャードの粗暴な態度にカーリーの口が三日月型に開かれる。

 

「生憎、俺は生臭でね。神様に対する尊敬なんてものは随分と前に無くしちまったよ。それに──」

 

 自分よりも遙かに高位に君臨する超越存在(デウスデア)を目の前にしても彼は躊躇無く言い放った。

 

「──悪いが、アンタ達よりかもっと怖い奴等を知ってるんだ。それに比べればアンタ達なんて路傍の石みたいなもんだな」

 

 確かにこのアマゾネス達やカーリーは只者では無かった。

 だが、ここにいる誰かもあの半身半蛇の化け物や、二股に分かれる大蛇の様な圧倒的なプレッシャーは一切感じなかった。

 それにリチャードはそんな化け物達よりも、ここにいるアマゾネス達よりも、そしてこの小さな神様よりも、もっと小さくて、強くて、恐ろしい存在を知っていた。

 それと比較すればこいつらなど恐るるに値しない。

 

 そんなリチャードの言葉を聞いてカーリーはまるで幼子の様に顔を歪ませて笑った。

 

「カッカカ! この期に及んで妾達を『石』と申すか! この戦神カーリーを前にして『ただの石ころ』とは見上げたものじゃのう! なるほど、噂に聞く二階級特進(ダブルランクアップ)という名は伊達では無いようじゃ! 命知らずとは正にこの事よな!! カーカッカッカ」

 

 超越存在(デウスデア)である神々は人の嘘を見破ることが出来る。相手が本心で言っているのか、それとも偽心を持って驕っているか瞬時に判断できるのだ。

 今のところカーリーはリチャードの言葉から疑心や疑念といった負の感情は読み取れていない。つまりこの男は心の底から本心で言っているのだ。どうやら相当なまでに死にたいらしい。

 

 神々が降臨して千数年、人々は神の恩恵を頼りにここまで生き延びてきた。そして、今や人類は神の恩恵無くしては、まともに生きていくことも出来ない程に神に依存している。

 だからこそ人々は神を畏れ、敬い、尊ぶのだ。神々を怒らせないために、逆鱗に触れないために、恩恵を授かるために。ご機嫌を取ってきた。

 そんな『神の時代』とも言えるこの時勢に、こんな神をも恐れぬ行為を行うには相当な胆力が必要になるだろう。吹けば消える様な脆弱で貧弱な、神がいなければ何も出来ない様な『種』の雄にしては、なかなかに肝の据わった奴である。

 

「だがしかし、貴様はその『石ころ』に敗北したようじゃぞ?」

 

 ひとしきり笑った後カーリーはアリーナを見渡してにこやかに言った。

 

「『石ころ』に負けた『石ころ』以下の貴様は一体何者であろうな?」

「……さぁな。少なくとも碌なもんじゃないさ──アンタ、『無駄だ』っていったな? アイツ等は洗脳でもしたのか?」

 

 アイツ等というのがティオネとティオナの事を指しているというのはカーリーには直ぐに分かった。

 

「妾じゃなくてイシュタルが、な。妾は反対したのじゃが、言う事を聞かぬじゃじゃ馬娘を制御するには魅了するのが一番早いとの事じゃ。妾としては傀儡となった人形の闘争なぞ魅力半減じゃと思うのじゃがな。不服か?」

「いや、別に……俺には関係無いしな。……それ以外にも散々小細工していみたいだが、ご苦労なこったな」

「ふむ、まぁ、ほとんどがイシュタルの奴が画策した事じゃが確かにそうじゃな。じゃが、所詮は負け犬の遠吠え。妾の心には響かんよ」

「……いや、そう言った意味で言ったんじゃないさ」

「ほぅ、だったらなんじゃと言うのだ?」

 

 神の詰問に対して不気味に笑いながらリチャードは言った。

 

「いや……随分と、()()()()()()()ってね」

「…………」

「……黙っていることからして図星か?」

「いや、ただ妾は呆れただけじゃ。お主のその脳天気さにのぅ」

「……だろうな」

 

 リチャードは神の言葉にそう応じた。

 

「……じゃが、神を愚弄した罪は重い。このまま捕らえてやろうと思っていたが、気が変わった──」

 

 カーリーがそう言うと静かに控えていた四人のアマゾネス達が前に躍り出た。

 

「──死なない程度に痛め付けよ」

 

 カーリーはリチャードに最後通牒を突きつけた。

 四人の戦士が今まさに襲いかからんとしたその時、最後の悪あがきとばかりにリチャードはカーリーを挑発してみせた。

 

「……なんだ、アンタが直接手を下すんじゃ無いんだな。こんなことまで眷属任せか? 神様はいつだってそうだな」

「……ヤれ!」

 

 闘技場に絶叫が響き渡った。

 

 

 

 *

 

 

 

 人も眠り、草木も眠り、眷属も眠り、神をも眠る時間。

 

 それでも冒険者は眠っていなかった。

 

 寝静まる住人を起こさないように静かにかつ慎重に作業を進める。冒険者としてやるべき事はいくらでも尽きない。

 眠っている暇は無いのだ。

 

 そろそろ夜が明けようとしていた時間、『竈の家』にとある娼婦が訪れた。

 金色の狐耳に簡素な服装をしたこの女性は、冒険者の街には似つかわしくない変わった見た目の少女だった。

 

 必死な様子で懇願するその少女から受け取った折れた木棒と血だらけの布きれ、そしてその言葉を聞いて、冒険者は風の様に飛び出していった。

 

 明けようとしていた“夜”が再びオラリオに訪れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 果たしてルララさんはパッチ4.0が来る前にエオルゼアに帰れるのか? クリスマス前には帰れると良いなぁ。

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