光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ウィリアム・スミス

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光の戦士達の場合 3

 メレンで一夜を明かした翌日、朝早くから商人に『新鮮なうまい魚』とエダス村への地図を受け取ると、早速、街を出発した。

 

 オラリオへと続く街道を、朝霧がかかる中物資を運ぶ行商人達と共に都市へと向かう。

 一時間もしない内にオラリオに辿り着くと、市壁の中に消えていく商人達を見送り、そして、巨壁の奥に望む摩天楼施設(バベル)を横目に、更に北を目指して歩いていく。

 

 巨大な市壁と、そびえ立つ摩天楼施設(バベル)を見ても、これといった感慨も、望郷の念も湧いて来なかったのは、オラリオを出たのがまだ昨日の今日の事だったからだろう。

 

 オラリオの北方には見渡すばかりの草原と、それを二つに縦断する街道があり、その先にうっすらと木々が密集しているのが見え、それを悠然とそびえる山峰(さんぽう)が見下ろしていた。

 

 その街道を、オラリオへと向かう人波に逆らう様に、あるいはオラリオから出て行く人と物資に流される様に、北へ北へと歩んでいく。

 街道にひしめきあう程にいた人通りは、街道の分岐点に差し掛かる度に少なくなっていき、ベオル山地の麓にある『ベオル樹海』へと辿り着く頃になると、人影はヘスティア達以外全く見当たらなくなってしまった。

 

 もはや獣道と言っても過言では無い森への入り口を見つめながら、ぽつんと立つヘスティア一行。眼前には目を覆うばかりの木々が生い茂っている。

 

 迷宮都市の直ぐそばにあるこの森々と山々は、『古代』に地上へと進出したモンスター達が棲みつき、今尚根付く太古の魔窟だ。

 天を切り裂き折り重なるようにして伸びる山嶺(さんれい)と、迷路のように複雑に入り組んだ無数の悪路は、オラリオの冒険者でさえも手を焼き、周囲に広がる深き森は太陽の光でさえも拒み、不気味な雰囲気を森と山全体に蔓延させている。

 

 迷宮都市に程近いにも関わらず録な探索や調査が行われていない、魔物達の領域(モンスターゾーン)。『ベオル樹海』を含む『ベオル山地』は、正に秘境と呼ぶに相応しい場所と言えた。

 

「さて、ここから先は『魔物達の領域(モンスターゾーン)』だ。覚悟はいいかい?」 

 

 ヘスティアの言葉に対し、パーティーの面々は無言で頷くと各々の武器を構える。

 

 剣、弓、手甲、呪杖、双剣、幻具。

 

 どれもルララから譲り受け、身体どころか“魂”に馴染むまで使い込んだ愛用の武器達だ。もちろん、着込んでいる防具も同様にである。

 恩恵(ファルナ)を失った今となっては、本来の性能を十全に発揮する事は出来なくなってしまったようだが、それでも全幅の信頼をおける大切な半身と言える武具達であった。

 

 意気揚々と頷いたパーティーに満足そうに顔を綻ばせると、ヘスティアは言った。

 

「──それじゃあ、行こうか」

 

 恩恵(ファルナ)を捨てた冒険者達の、初めての冒険が始まる。

 

 

 

 *

 

 

 

 昼間だというのに薄暗く静まり返る樹海は、領域を侵す者達に敏感に反応した。

 

 己の縄張りを侵略せんとする侵入者に対して、次々と襲いかかってくるモンスター達。

 大中小を問わず、古代の時代から脈々と受け継がれてきた闘争本能に従い、邪魔者を排除せんと己の牙を剥く。

 

 その猛然たる勢いは、まるで久々の獲物に歓喜する獣達の様であった。

 

 ダンジョン内の個体に比べ遥かに能力の劣るモンスター達であるが、恩恵(ファルナ)を無くしたばかりのヘスティア達にとって、かなりの脅威──でも無かった。

 

「おっし、これでラストォ!」

 

 襲いかかってくるモンスター達に俊敏に反応し、冷静に対応していくパーティー達。

 

 盾役(アンナ)が引きつけ、攻撃役(ベル達)がダメージを与え、回復役(リリ)が癒やす。いつも通りの、いつもと変わらない戦法だ。

 

 喩え、恩恵(ファルナ)を無くしたと言っても、それまで死に物狂い──むしろ、文字通り死んで──で覚えたパーティープレイは、未だに彼等の中に確かに健在であった。

 

 飽くほどに繰り返したこのお決まりの戦術は、もはや彼等の脳どころか血肉にまで刻まれていたようで、無意識の内に彼等の手足を突き動かしていた。

『能力を失っても思い出までは失っていない』と言ったベルの言葉は、どうやら真実であった様だ。あまり思い出したくない思い出ではあるが。

 

「思っていたより、楽勝だな」

 

 なるほど、経験が生きたのだなと言わんばかりにリチャードは(うそぶ)く。

 事前に仕入れた情報では、ここはかなりの難所であると聞いていて非常に警戒していたが、どうやらそうでも無かった様だ。

 

 再びモンスターが出現する。

 

 現れたモンスターに目を向けながら、リチャードの言葉に同意する形でベルが言った。

 

「そうですね、それに──」

 

 再び出現したモンスターに、いの一番に突貫するアンナ。

 引き絞られた矢のように突っ込んでいったアンナは、一団となっているモンスター達の中央で一端静止すると、一瞬──()()()()()()()()()()()

 

「──(スキル)を思い出してきたのが、大きいですね」

 

 強烈な閃光に目を焼かれ、強い敵視を抱いたモンスター達は、脅威度が急激に上昇したアンナ目掛けて猛進する。そして、その全てをその身一つで受け止めるアンナ。

 四方八方から縦横無断に繰り出される猛攻に、アンナの体力はみるみる内に削られていく。

 

 そんな傷ついたアンナの体に、癒しの光が降り注ぐ。

 優しく抱きしめる様な淡い光は、まるで逆再生を見ているかの様に瞬く間にアンナの傷を癒やしていく。幾ばくもしない内に、アンナが受けたダメージは完全に回復した。

 

 自分達の猛攻が無駄に終わったことに、本能のまま戦うモンスター達は気付く事が出来ない。背後の警戒が疎かになって、背中ががら空きだ。

 その隙を突いてベル達が背面や側面から攻撃を加え、一体一体丁寧にモンスター達を貪っていく。

 

 正確無比な弓撃、疾風迅雷の如き拳撃、燃え盛る火炎、風を切り裂く双撃。

 

 かつて、彼女から教えられ、彼女と共に鍛えた──そして、恩恵(ファルナ)を失うと同時に無くした──技の数々を、モンスター達へと叩き込んでいく。

 複数いたモンスター達は瞬く間に滅ぼされ、核である魔石を殺して完全に消失していった。

 

 彼等は何も、最初からスキルが使えた訳では無い。

 

 だが、戦いを繰り返していくうちに、経験を積み重ねていくうちに、まるで喪失していた記憶を取り戻すかのように、もしくは、忘れていた思い出を思い出すかのように、本当に徐々にではあるが、彼等は一度身に付けたスキルを、再び修得していっていた。

 

 不思議なのは、再び使えるようになったのはルララから教えられた技ばかりで、リリの変身魔法(シンダーエラ)や、レフィーヤの単射魔法(アスク・レイ)等は、再び使えるようになる気配が無い、ということだ。

 

「──どういった原理なんだろ?」

 

 恩恵(ファルナ)を授ける側であるヘスティアは、次々とスキルを再修得していく眷属達を見て、つい疑問を零した。

 ルララから教えられたスキルや魔法と、それ以外のもの。両者の間にはどんな違いがあるのだろうか?

 

 おそらく、前者は恩恵(ファルナ)のバックアップがそれほど必要で無く、後者は全面的なバックアップが必要なのだろう。

 両者の間にどういった明確な差があるのか正確には分からないが、まがりなりにも神の一員であるヘスティアはそう考察した。

 

 本来一つのスキルを修得するには運と年単位の積み重ねが必要不可欠であるのに、前者の場合はそれを無視して面白い様にポンポン修得出来た事から、当たらずとも遠からずと言ったところだろう。

 

 元々あまり『神の力』に頼らない技術だったのかもしれない。

 それは正に、“人”が“人”の為に編み出した“人”の為の技術だと言えた。

 

 神の力によって得た技ではなく、人の力によって身に付けた技を思い出していく子供達の様子に、親離れというか子離れというか、そんな、巣立ちの時が迫っている事を感じさせられる。

 少しずつ、だが確実に、彼等は“神”を必要としなくなってきている。それを喜べば良いのか、悲しめば良いのか、ヘスティアは良く分からないでいた。

 

 ただ、ヘスティアの目には、彼等はオラリオにいた頃よりも一回り以上に大きく見え、頼もしく映っていた。

 成長出来るのだ。神の恩恵など無くても、「人」は成長する事が出来る。

 神の出現以来忘れ去られていた事実を、ヘスティアは今更ながらに思い出していた。

 

(なんだか、神様としてはちょっと寂しい気もするけど、でも──今は歓迎するべき事だね)

 

 ヘスティアの思いは別にしても、これでパーティーの最大懸念事項が取り払われたのは、疑いようも無い事実であると言える。

 ずっと、このまま恩恵(ファルナ)抜きで旅を続け、もし万が一の事が起きたらどうしよう──そんな事を常々考えていたヘスティアだったが、その悩みはこれで払拭されそうだった。

 

 戦闘に関しては──というか他の殆どの場面において──役立たずで、足手纏いにしかなれないヘスティアは、原因は不明であるとは言えパーティー全体の能力が向上する事は大手を振って歓迎する所存であった。

 みんなの主神であるはずなのに、ヘスティアに出来る事と言ったら地図を読む事か、みんなを鼓舞する事ぐらいしかない。いくら『神の戒律』に縛られている身とは言え、ちょっと肩身が狭いといったどころじゃなかった。

 

 とは言え、戦闘に関してヘスティアは無力であったが、足を引っ張る事は無かった。

 

 ダンジョンに棲むモンスターは往々にして神族に対し猛烈な執念や怨念を燃やしており、目に入るものなら真っ先に神様を狙うものであったが、どうやら地上のモンスター達は“神”にそれほど興味が無いようで、まるで最初から存在を認識していないかの様に完全に無視してきた。

 

 どうやらダンジョンと地上では、モンスターの習性に関してもかなり勝手が違うらしい。

 

 物凄く緊張し、警戒していたのにも関わらず初めから存在しない者みたいに扱われて、拍子抜けというか、それはそれでちょっと釈然としない気持ちもあったが、無力なヘスティアが最優先で狙われない事は喜ばしい事であろう。

 これで、パーティーのみんなが思いっきり戦闘する事が出来ると、前向きにヘスティアは考える様にしていた。

 

 この現象は、疑問に思うことはあれど、歓迎すべき現象であるのだ。

 

 そんな幸運に恵まれたヘスティア達の前では、太古の昔より人(神)類の侵略を拒んでいた『ベオル山地』も大した障害で無く、怒濤の勢いで攻略は進んでいた。

 

「──さて、あの渓谷を抜ければ、もう直ぐ『エダスの村』だよ!」

 

 騒々しかったモンスターの絶叫が綺麗に消え失せ、川のせせらぎが僅かに聞こえ始めた頃、地図と睨み合いを続けていたヘスティアが、顔を上げてそう言った。

 

 次なる目的地『エダスの村』はもう直ぐそこだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「順調そうだな……ウラノスのクリスタルも、上手く機能しているみたいだ」

 

 ベオル山地の遥か上空。使い魔の白梟から送られてくる映像を視認しながらフェルズは呟いた。

 

「……だが、まだ十全では無い──か。ならば、どうする? 黒竜」

 

 ベオル山地よりも更に北方──強力なエーテル力場と雲海に囲まれた理想郷を見つめ、そう囁く。

 幾ばくかして、フェルズの言葉に答えるように、彼の耳に竜の咆哮が響き渡った。

 

「──そうか、だったら、光の使徒に奪還されたばかりの、君の『古巣』なんてどうだ?」

 

 そう言うとフェルズは北から東へと視線を動かした。

 彼の目線の先には、灰色に渇れた山脈と黒鉄に染まった連山、そしてそこから大きく孤立した“はなれ山”が見える。

 

 ややあって、再び竜の雄叫びが聞こえた。

 それに対しフェルズは無言で頷くと、眼下のヘスティア達を見直った。

 

「──光の使徒の旅路もまもなく終わる。急ぐことだ、()()()()()()()()よ……」

 

 黒き衣を纏いし愚者の声は、虚空へと消えた。

 

 

 

 *

 

 

 

 入り組んだ山奥の更に奥底──人目を避ける様な山間部──にその村はあった。

 

 周囲を断崖絶壁で囲まれ、まるで隠れ潜む様にひっそりと存在するエダスの村は、そういった隠れ里特有の余所者に冷たい雰囲気なんて全くなく、突然訪れたヘスティア達を心温かく受け入れ、歓迎してくれた──

 

 

 謎のダンスを踊って。

 

 

 村人一丸一心不乱になって、太陽の如く猛々しく勇ましく踊る姿を見て、ヘスティア達の心は完全に一致した。

 

 あぁ、ここでも()()()()()()()

 

 何でも、この踊りはモンスター達を追い払う魔除けの効果があると同時に、村へ訪れた客人を歓迎する意味があるらしい。

 風の様にふらっと現れた『新鮮でうまい魚』を大量に持った謎の冒険者にそう教わったのだ、と村人が豪語してくれた。

 

 それ以外にも、病に冒され死にかけていた村長を危篤から救ったり、最近めっきり見なくなっていた『良木』を瞬く間に見つけたり、祭りに必要な祭壇や祭具を一瞬で製作したり、貴重な食材を大量に採集し見事な腕前で調理してくれたり、村の平和を脅かす凶暴なモンスター達を指先一つで蹴散らしたり、正に八面六臂の大活躍であったと村人達は口々に語る。

 

 それはまるで、ベオルの山々を隅々まで喰らい尽くさんとする程の怒濤の勢いであったそうだ。

 言葉始めに必ず『私が、村長です』と付ける、やたらと昔話をしたがる変わった村長──ではなく、それを笑いながら片手であしらう彼の孫娘がそう教えてくれた。

 

 より詳しい話を彼女から聞くと、件の冒険者は結局、自分の名前も名乗らずある日煙のように消え去ってしまったそうだ。

 後に残ったのは大量に納品された食材と、製作した祭具などの道具、そして、討伐したモンスターから入手した素材だけであったらしい。

 

「──でも、その白い髪と赤い瞳の小さな冒険者は、忘れたくても忘れられない、私達の大切な恩人になりました」

 

 その冒険者は突風のように村に現れ、嵐の様に村を掻き乱し、そして過ぎ去った後は──清々しい晴天を村にもたらしてくれた。

 

「私達は、世界に絶望し、希望を捨て、人生を失い、死ぬために生きる死人でした。夢も希望も無く、ただ寄り添い合って、傷を舐め合って、慰め合って。でも、あの冒険者様が来て、少しずつ変わっていったんです──」

 

 ヘスティア達が件の冒険者の関係者だと知った村人達は、ささやかながら歓迎の宴を催してくれた。

 もちろん、ヘスティア達は遠慮しようとしたが、村人達の「色々と無駄に余っているから……」の言葉の前には、流石にそれ以上何も言うことは出来なかった。

 

 その宴の席で、孫娘は静かに語る。

 ヘスティアはその言葉をずっと黙って聞いていた。

 

「──あの冒険者様は正に嵐の様な人でした。この村の誰よりも小さいくて可愛いのに、誰よりも常識外れで、唯我独尊で、無茶苦茶で、それでいて、誰よりも優しく、強く、逞しく、まるで光の様な人で、死を待つだけの私達に、生きる意味と、希望を教えてくれました──」

 

 孫娘が、宴の中央で燃え盛る炎の方を見つめた。

 それにつられ、ヘスティアも視線を動かす。そこには村人達の太陽の如き舞に対抗し、紳士的な舞を披露する眷属達がいた。

 

 我が子供達ながら、実に珍妙な光景である。

 それが可笑しくて、孫娘とヘスティアは笑みを浮かべた。

 

「あの踊り、『澄み切った青空に燦々と輝く太陽の様な踊り』だから『太陽の舞』と言うそうです。ふふふ、正直、変な踊りですが、あの踊りが私達に“立ち向かう勇気”を与えてくれたのも、また事実です。そう考えると、本当に太陽の様な踊りですね」

 

 彼の冒険者は、常にモンスターの脅威に怯える村に、モンスターの残した遺物に頼らず、自らの手と足で村を守る意味を、理由を、方法を、勇気を教えてくれた。

 

「神に見捨てられ、竜の権威に縋るこの村は、ただ死を待つだけの終の住処だとずっと思っていました。でも、そうでは無かった様です──」

 

 周囲をモンスターの巣で囲まれるエダスの村は、砂上の楼閣とも言える非常に不安定な情勢の村だ。

 

 村を一歩でも出ればモンスターに狙われ襲われるために、碌な産業や工業が発達せず、代わりに狭い安全地帯の中で細々と農業や畜産を行っているが、それも村全体の需要を補うには全く不足していた。

 危険を冒して狩りや採集に赴く者も中にはいるが、恩恵(ファルナ)を持たない彼等にとってそれは常に命の危機と隣り合わせな危険な行為であり、狩りに出かけてそのまま帰らぬ者になる者も多い。

 

 他の荒れ果てた山や、枯れた森と比べればまだ緑が溢れていてマシであるそうだが、そういった地区ではモンスターもいないので、地獄と煉獄どちらがマシか、といった具合にどっちもどっちであった。

 それにこの辺りも、昔に比べれば木々が減ってきている。何れ枯れ果てるのは目に見えていると言えた。

 今は外部の協力者によってなんとか持ちこたえてはいるが、それも時間の問題であった。

 

 エダスの村は、ゆったりと滅びに突き進んでいる死の蔓延する村であったと孫娘は言う。生きる目的を失った者達が集う村なのだから、そうなるのは必然であるとも言えるが。

 

 でもそれが、あの冒険者によって大きく変貌した。

 

 ただ終わりを待つのでは無く、自分達の力で力強く生へと進み続ける大切さを、村の住民達は思い出したのだ。

 

「──だから、今日を生き、明日を生き抜くため、私達は今日も踊るのです……貴方もどうですか? ヘスティアさん」

 

 そう言って孫娘は立ち上がると、舞い踊る集団の中へ消えていった。

 

 彼女の踊りは実に猛々しく、それでいて淑女的で、そして何よりも美しかった。人生の喜びに満ち溢れた、村一番の舞であった。

 

「……『()()()()()()()()』、か。その神様の前で良く言ってくれる……」

 

 全身で生きる喜びを表現する踊り子を見つめながら、ヘスティアはそっと呟いた。

 

『エダスの村』なんていう村の存在、ヘスティアは知らなかった。いや、きっとオラリオの誰しもが、この村の存在を知らなかっただろう。

 

 直ぐ間近にあると言うのに、存在すら認識していなかった見捨てられた村──エダスの村──神に見捨てられし終わりの村。

 モンスターが我が物顔で闊歩し蹂躙するベオル山地で、孤立するように存在する、世捨て人達が最後に辿り着く終焉の地。

 

 こんな近くにあった筈なのに、誰からも知られず、忘れ去られた場所。

 

(そもそもどうして──僕達は、ずっとベオル山地を放置していたんだろう?) 

 

 オラリオから目と鼻の先にあるというのに。

 モンスター達が好き放題のさばっているというのに。

 ダンジョンに比べれば遙かに格下のモンスターしかいないというのに。

 

 そうと知っていながら、オラリオはベオル山地をずっとそのままにしてきた。

 難易度が高いと言い訳をして、禄に調査も探索もせずずっと放置してきた。

 

 恩恵(ファルナ)の無いヘスティア達が踏破できる程に難易度の低い土地を、難易度が高いと偽って見て見ぬ振りをしてきたのだ。

 オラリオならばやろうと思えば一週間と掛からずにモンスター達を殲滅出来るだろうに、ずっとそれをしてこなかったのだ。

 

 やるメリットが無かったからだろうか? それは、確かに十分有り得る話だ。そして多分、それが真理であった。

 

(神々は、僕達は……ベオルに、いや、『外の世界』に、()()()()()

 

 人と神との不倶戴天の敵であるモンスターが蔓延る土地に、神は興味が無かった。

 神の期待を裏切り逃げ出した人々に、神は興味が無かった。

 世界の中心(オラリオ)に夢中で、神はそれ以外にまるで興味が無かった。

 

 だから、まるで隔離するかの様な巨壁に囲まれて暮らしていても、都市を出る自由を奪われていても、手に入れた遊戯に満足して、何一つ文句も言わずその街に留まっていたのだ。

 

(その事を、オラリオを出てから痛感する事になるだなんてね……もし──)

 

 あの冒険者と出会わず、あのままオラリオで暮らしていたらどうなっていただろうか? そうヘスティアは心の中で思った。

 

 何かの拍子でエダスの村に訪れて、この村の現状を知ったところで何かしたのだろうか? 何か思っただろうか? 

 きっと、きっと何もしなかっただろう。悲惨な現状に嘆くことはあれど、改善しようとは思わなかっただろう。

 

 それは多分、本質的には興味を持てないからだ。

 

 他者の、それも神の下から逃げ出した弱い人間の未来など……神にとってどうでも良い事だった。

 不変で不滅である超越存在(デウスデア)にとって、ヒトの代わりなど幾らでもいるのだから……。

 

(僕達は、僕が思っていた以上に、無慈悲で、無感情で、非情で、冷たかった……)

 

 見たいものだけを見て、知りたいものだけを知ってきた。

 温室の様に整えられた環境に満足し、お気に入りだけが集められた都市でぬくぬくと生活していた。

 

 その結果がこの様だ。神は、神が思っていた以上に思い上がり、神が思っていた以上に堕落していた。

 

 あの街にいたままでは、その事に気付く事は出来なかっただろう。

 

 世界は想像していた以上に広大で、壮大で、膨大で、巨大で、遠大で、そして──神はそれに気が付かない程に、愚かだった。

 世界は神であるヘスティアですらも知らない事ばかりに満ち溢れていたのだ。

 

(オラリオを──都市を出て、本当に良かった……)

 

 炎の周りで楽しそうに踊る人々を見て、心の底からヘスティアはそう思った。

 

 ふと、上を向けば、空には満天の星々が輝いている。

 オラリオの空よりもずっと近いこの星空も、あの都市にいては見ることの出来なかったものの一つだ。

 

 物思いにふけるヘスティアに、空に輝く月光が注がれる。その先では、炎の温もりに暖められている人間達がいる。

 炎の光に照らされる「人」と、月の光に照らされる「神」──そして、その狭間にある漆黒。

 

 その神秘的な光景は、両者の間には超える事の出来ない大きな隔たりが存在している事を暗示している様であった。

 

 その情景を見たヘスティアに、この世界で独りぼっちになったかの様な言いようのない孤独感が襲う。

 

『ヒトとカミは違う』

 

 寿命も、能力も、在り方も、生きる意味も、目的も、その何もかもが違っていた。

 どんなに大事に思っていても、どんなに大切に思っていても、必ず”人”は“神”を置いていなくなる。

 

 分かっていたことの筈なのに、覚悟していたことの筈なのに、それが無性に寂しくて、怖くて、恐ろしかった。

 それが世界の理だと分かっていても、何れ来る別れの時を、何れ来る見送りの時を思うと、とてつもなくいたたまれない気持ちになり、胸が張り裂けそうになった。

 

 でも、それでも──

 

「神様、そんなところに一人でいないで、一緒に踊りませんか?」

 

 一人で佇んでいたヘスティアを見かねて、ベルが手を出し声をかけてくる。

 

(それでも──僕は君を、君達を、好きになって……愛してしまってもいいのだろうか?)

 

 答えは出てこない。ただ、彼女の最も愛しいヒトは、笑顔で手を差し伸べてくれた。

 

「……良いのかな? 僕が、踊っても……」

 

 その手を取るのが少し怖くて、恐ろしくて、ヘスティアは細々と言った。

 人の宴に神が参加する事は、許されるのだろうか? 許されて良いのだろうか?

 

「何言っているんですか、神様。もちろん良いに決まっています! さぁ、行きましょう!」

 

 そんな、ヘスティアの悩みも恐怖も全て吹き飛ばすように、ベルは優しい笑みを浮かべて彼女の手を取り引いた。

 

(あぁ、これだ──これこそが僕が、僕達が、君に、君達に惹かれた理由)

 

 不変である神が持たない、持つことの出来ない、想像を超えるヒトの可能性。

 つい、この間まで神の後ろをおっかなびっくり歩いていた筈の子が、今では神の手を引き前を歩くまでに成長する。

 神を置き去りにするほどのヒトの成長の力。神には無いヒトの可能性の力。

 

 それが美しくて、羨ましくて、輝かしくて、だから──

 

(だから、きっと、僕らはそれを真似て、奪ったんだ……)

 

 神の恩恵が無くても人は暮らしていける、命を紡いでいくことが出来る。人は神などいなくても、生きていく事が出来るのだ。

 それはこの村の人々が、そして何よりも彼女の眷属達がそれを証明してくれている。

 

 何時かきっと、彼等の様に神の力が必要とされなくなる時代が必ず訪れるだろう。

 

 でもその時、悲しむのではなく、恐れるのではなく、憤るのではなく、暖かく微笑み、抱きしめながら受け入れ、人の成長を喜べる神様になりたいと、ヘスティアは最愛の人に手を引かれながらそう思った。

 

「そんなに引っ張らなくても大丈夫だよ、ベル君。僕は、まだ、自分の力で歩けるから……」

 

 ヘスティアは、少し名残惜しいなと思いながらもベルの手を優しく振り解くと、彼の隣に並び立って明るくそう囁く。

 何れその時が来るのだとしても、今はまだ、君達の隣で、君達と共に──そう願わずにはいられないヘスティアであった。

 

 そして、“人”の宴に“女神”が参列する。

 

 ちなみに、『新鮮なうまい魚』は『腐ったまずい魚』になっていて、食えたもんじゃなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 宴も終わり、草木も、人も、神も寝静まった宵の時間。

 

「人と、神の恋路か──」

 

 夜の帳が完全に下りたエダスの村に舞い降りるのは、漆黒の衣に身を包んだ愚者。

 

「去り行く者を思うのはいいが──」

 

 愚者が見つめるのは女神が御座した場所。

 そこには、枯れ果てて、萎れた一輪の花が佇んでいた。

 それを掴み取り、愚者は言った。

 

「いずれにせよ、時間は余りないぞ、神ヘスティア──それは、人よりも、神である貴方の方が……」

 

 僅かに暁が昇り始めた東の果てには、目を覆う程の大軍が蠢いていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 戦いの知らせが鳴り響いた翌日。

 

 古き盟約に従いオラリオの神々は、世界中の同族達へ向かって正式に勅令を伝達。

 それに神族達が応える形で、神聖オラリオ同盟軍は結成された。

 

 それと同じくして、ギルド長である大神ウラノスは、オラリオに住む全ての非戦闘員及び一般市民の避難命令を発令。都市機能に必要な最低限の人員を残し、多くの神々が反対する中、これを強行に敢行した。

 

 続々と集まる神と神の眷属達に比例して、街からは安穏した雰囲気が消え、代わりに物々しい雰囲気が漂い始めている。

 

 

 

 対するラキア王国軍は、オラリオへの道すがら、道行く神々を次々と飲み込み勢力を拡大。更に──

 

 その神滅討伐の旗印に同調した、帝国改め共和国軍。

 聖地巡礼途中であった小人族(パルゥーム)の一団、通称『フィアナ騎士団』

 テルスキュラのアマゾネス軍。

 魔法大国(アルテナ)の魔法騎士団『エインヘルヤル』

 奇跡の奪還を果たしたドワーフの国(エレボーレ)の『髭長騎士団』

 機械という新技術を発明したエルフ集団。

 

 ──等も戦列に加え、着々と西へ西へと進軍していた。偽りと不浄が渦巻く欲望の地を目指して……。

 

 

 

 斯くして──

 

 過去五度行われたラキア王国オラリオ侵攻は、生きとし生けるもの、死に行く全てのものを巻き込んだ神対人の『神人戦争』と発展し、有史以来最大規模となって開始されようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 『腐ったまずい魚』は後でスタッフが美味しく頂きました ( ゜ω゜) 

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