光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ウィリアム・スミス
分岐点はどこであったのだろうか?
ミノタウロスの右ストレートか、はたまたアンナの繰り出した斬撃か、僅かな隙をつき懐に入り込むアンナの卓越した体術か、はたまた数々の斬撃を防ぎきった彼の分厚い皮膚だったのかもしれない。
(体が重い……)
顔に張り付いた髪が鬱陶しく感じる。
何度もジャンプし酷使した脚は、燃えるように熱く鋭い痛みを放っていた。
その手に持つ剣の重みが、普段の10倍以上に感じられる。
──もう、手放してしまいたい──
度重なる攻防に疲弊しきっていたアンナは、酸欠で朦朧とする意識の中……。
一瞬、致命的なミスを犯した。
それは、もう何度も何度も行われた、一連の流れの中からやってきた。
何とかミノタウロスの猛攻をくぐり抜け、一撃を加えたのち、飛び上がり、距離をとった瞬間──。
彼女は──。
あろうことか──。
着地に失敗した──。
普段の彼女であれば、絶対に犯すことのないミス。
しかし、それも致し方ないのかもしれない。
一撃でも喰らえば生命に関わる猛攻を、何度も何度も回避し続ける戦闘していたのだ。
その消耗具合は想像を絶するものであっただろう。
着地に失敗し、バランスを崩したアンナは、そのまま、倒れこむように崩れ落ちた。
(しまっ──)
──致命的な隙──
その絶好の機会を逃すはずもなく、ミノタウロスは一瞬で距離をつめ──。
(あっ──)
渾身の力を込め、右ストレートを放った。
崩れ落ち倒れたアンナに、その一撃を防げるはずもなく、彼女はただ振り下ろされる右ストレートを呆然とみつめるしかなかった。
時間が圧縮され、ミノタウロスの動きがまるでスローモーションのようにゆっくりになる。
腹部にゆっくりと撃ち込まれる一撃。永遠とも思える一瞬の後──轟音と共にアンナの腹部に衝撃が伝わり、遅れて、激しい痛みが彼女を──襲わなかった。
「──えっ!?」
呆然とした表情を浮かべるアンナ。
ミノタウロスの攻撃は、アンナの腹部に触れるぎりぎりのところで、不可視の壁に阻まれていたのだ。
渾身の一撃を防がれたことに怒りを覚えたミノタウロスは、今度は、アンナの上に馬乗りになると、彼女の顔面を力任せに殴りだす。
『グゥゥガァアアアアアァァ!!!』
その一撃一撃は、アンナを絶命たらしめるのに十分な威力を秘めていたが、しかし、その尽くが不可視の障壁に阻まれた。
(これは──これはまだいけるかもしれない!)
この不思議な現象に勝機を見出し、戦う気力を取り戻すアンナ。
瞳に、活力が戻ってくる。
思えば、最初の一撃の時も同じ現象が起きていた。
間違いなく即死だった一撃を、意識を失ったとはいえ、彼女は全くの無傷で耐えたのだ。運が良かっただけで済まされる事態ではないだろう。
アンナは思い当たる理由を思い浮かべた。
(もしかしたら、あの一撃がきっかけで、新しいスキルを修得した?)
窮地に追い込まれたことによる新たなスキルの覚醒──それが自身の身に起きたのかと思考するアンナ。
(でも、ステイタスの更新も無しにそんな──『グアァァアアアアア!』──っ!?」
怒りに満ち溢れたミノタウロスの雄叫びに、はっとしたアンナは、ミノタウロスの顔面めがけ咄嗟に拳を繰り出した。
その一撃は、ミノタウロスの左目に決まり、さらにアンナは流れるように右膝を使ってミノタウロスの股間部を蹴り上げた。
──ぐにゃあ──
微妙にやわらかく、気色悪い感触が膝から伝わってくる。
『ガァアアアアア!?』
思いがけない反撃にひるみ、ミノタウロスの拘束が僅かに緩む。
その僅かな隙間を、横転しながら移動し素早くミノタウロスの拘束をすり抜ける。
なんとかミノタウロスから逃れたアンナは、素早く立ち上がって、躊躇なくいまだ悶えているミノタウロスの胸部を斬りつけた。
『ギャアァアアアア!!』
これまでとは違った、苦悶に満ちた叫び声をあげるミノタウロス。
アンナは、今までの地味な作業の成果を実感し僅かに頬をゆるませた。
まだだ、まだ戦える──さぁ反撃開始だ!!
*
──アンナとミノタウロスの攻防に、収束の時が近づいてきていた。
状況は圧倒的にアンナの有利に傾いていた。
彼女を守る障壁はいくら攻撃しても消える気配がなく、ミノタウロスの攻撃は全て無力化されてしまう。
それを十分に理解したアンナは、防御をかなぐり捨てて、猛攻に出た。
全く効果の無い攻撃と、僅かながらに効果のある攻撃は、当然のことながら後者に軍配があがった。
それは、華麗さとはほど遠い泥臭い消耗戦であったが、彼女の一撃一撃は確実にミノタウロスの生命力を奪っていく。
『グゥウウウウ!!』
追い詰められたと認識したミノタウロスが決死の覚悟で最後の賭けにでる。
咆吼と共に一気に後方へ飛び、アンナとの距離を大きく広げるミノタウロス。
そしてミノタウロスは、両手を地面につけ四つん這いの姿勢をとると、アンナにむかって猛烈な勢いで突進した。
あらん限りの力を込めたぶちかまし。
ミノタウロスの巨体を、最大限利用した、最大の一撃。
(──ここだっ!)
その絶望的な攻撃にアンナは勝機を見出していた。
腕力に劣るアンナではミノタウロスに対し、決定打を与えることは出来ない。それは今までの戦いで理解していた。
(だったら──私だけの力で足りないんだったら──
アンナは、迫り来るミノタウロスを迎え撃つために地面を蹴り、疾風の様に駆け出した。
──迫り来るミノタウロスが、やけにゆっくりに感じる。
──心臓の鼓動が大きく聴こえる。
──両者の距離が極限にまで縮まる。
──ミノタウロスの突進が障壁に阻まれる。
──交差した瞬間。
──剣を突きだす。
──剣先がミノタウロスの胸部に、深く、深く、突き刺さる。
──アンナの全身全霊の一撃が決まった。
『ガァアアアアア』
ミノタウロスの苦痛に藻掻く悲鳴が聞こえる。それでも──。
『オォォォォォォ』
それでもなお──。
『ォオオオグォオオオオ!!』
──ミノタウロスは生きていた。
生への執念か、はたまた生きる事への渇望か。
ミノタウロスは最後の瞬間、体を僅かに反らし、彼の弱点である魔石への直撃を回避していたのだ。
紙一重で命を繋いだミノタウロスは、自らの胸に突き刺さる忌々しい剣を、その持ち主ごと抜き取ると、大きく揺さぶり引き剥がしにかかった。
最後の力を込めた一撃をかわされたアンナに、もう抵抗する力は残されていない。
簡単に吹き飛ばされ、アンナは壁に激突する。
ミノタウロスの手には、アンナの剣だけが残されていた。
ミノタウロスは、アンナと、アンナの剣に一瞥を加えると、いやらしく笑い声をあげて、剣の両端をこれ見よがしに握り絞めた。
古来より奪いとった武器に敵対者がすることは、ただひとつだ──。
「……めろ……」
ミノタウロスの両腕に力が込められる。
「……や、めろ──」
力が込められるたびに徐々に剣が軋み、折れ曲がっていく。
「やめろぉおおおおお!!」
叫び声をあげ立ち上がったアンナが、ミノタウロスに向かって猛然と駆け出していく。
だが──もう、遅い。
外部から加えられた力に耐えきれなくなったアンナの剣は、『バギッ』という音と共に、真っ二つに折れた。
「あっ……」
ファミリアの、仲間からの贈り物が。
「あぁぁ、あぁぁ」
両親から贈られた、初めての武器の“イシ”を継ぐ彼女の剣が。
「アアアアアアアアアア!!」
無残にも破壊された。
アンナの心の中で剣が折れる音の他に、何かが折れる音が響いた。
もはや、立つ気力すら失ったアンナは、その場にへたりこむ。その目には涙が流れだしていた。
彼女にはもう近づいてくるミノタウロスを、ただ見ていることしかできない。
ミノタウロスはそんな彼女の息の根を止めるため、両手に持つ折れた剣を投げ捨てて無慈悲な一撃を加えた。
しかしそれも──。
『グヌヌゥウウウ』
彼女を守る障壁に阻まれることになった。
どうやら“コレ”は、彼女の意思とは無関係に発動するらしい。
彼女の命を救ったこの障壁だが、今のアンナにとってはただの邪魔者に過ぎなかった。
(……もう、いい……もう、疲れた……もう……)
絶望し、何もかも諦めたアンナ。
しかしそれに、断固反対するかのように障壁は彼女を守り続ける。
強固な障壁に全くもって手も足もでないミノタウロス。業を煮やしたミノタウロスは、もうアンナを放置することに決めた。
それに、どうやらこの人間はもう力尽きたようだ。見たところ反撃してくる様子もない。これならば放っておいても問題ないだろう。
そう考えたミノタウロスは、もう一匹の獲物──ルララ──に狙いを定めた。しかし、流石のミノタウロスも戦いでかなりの消耗があるのだろう。その足どりは重く、ゆっくりとしている。
(……あっ……ル、ララさん……)
戦闘に集中しすぎていたのか、ルララの存在をすっかり忘れていたアンナは、ミノタウロスが移動する先を見つめ、今日の相棒をみつけると、ようやく、彼女の存在を思い出した。
アンナの目に写る彼女は──。
とても小さく……。
冒険者としてあるまじき服装をし……。
そのくせ何事にも動じず……。
誰にでも優しくて……。
信じられないくらいお人好しで……。
彼女の守るべき……。
そう……あの子は私が守るべき……守るべき──存在だッ!!
アンナの瞳に光が戻ってくる。
疲れ果てた体に活力が湧いてくる。
折れた剣がどうした! そんなものまた新しく買えばいい! 今、一番大切なのはッ……大切なのはッ!!
アンナは立ち上がり、猛然と走り出した。
ミノタウロスまでの距離はまだ遠い。それでも彼女は全力で駆け抜けた。1秒でも速く、1秒でも疾く、彼女を守るために!
*
「──えっ!?」
ミノタウロスとの距離があと僅かと迫った時に、思わずアンナはそう驚きの声を漏らした。
必死に駆けるアンナの目の前に有り得ない光景が広がっていたのだ。彼女はまず、夜空に輝く星々を幻視した。
『星天対抗』
その星々は、ダンジョン内を美しく照らし、広がると、ミノタウロスの自由を奪い取り、まるで夢のように消えていった。
『コンバラ』
僅かな静寂のあと、突如としてミノタウロスを中心として、青白く輝く星々が出現し、周囲を惑星のように公転すると、まばゆいばかりの光を放ち、はじけ飛んだ。
『コンバス』
続いて、澄み切った青く光り輝く大きな一つの光星が現れ、ミノタウロスを飲み込んだかと思うと、集束し、一瞬の輝きのあと消失した。
『マレフィラ』
最後に出現したのは、紫色にきらめく流星だった。
ミノタウロスの頭上に出現した流星は、寸分の狂いなくミノタウロスの魔石めがけ流れ落ちる。
魔石に触れた途端、流星は大きく膨れ上がり、ミノタウロスに致命的なダメージを与えた。
ミノタウロスの体が、崩れ落ちる。
先ほどの流星が、決定打となったのだろう。あれほど、強力で、強靭だったミノタウロスが、こんなにも呆気なく滅び去っていく。
あの激闘が嘘であったかのように静けさが広がる。
後に残されたのは、粉々に砕け散ったミノタウロスの魔石だけであった。
(……あぁ、終わったの……ね……)
張り詰めていた緊張が解かれ、意識が朦朧としていくアンナ。
ようやく終わった戦いにアンナは安堵感と僅かな虚しさを感じながら、眠るように意識を手放した。
やっと、ヒカセンが戦った……。