息が出来ない。 身体は酸素を求めて懸命に手足を動かすが水を吸った衣服は想像以上に重たく、身体はちっとも浮き上がらない。
苦しくて苦しくて、死んでしまうと解っていても反射的に息を吸った。 直後に体を満たしたのは酸素ではなく大量の海水だ。
あんなに激しく動いていた手足は嘘のように動きを止め、力を込めようとしても込め方を忘れてしまったかのように動かない。
死んだ、間違いなく死んだ。 意識さえも曖昧になっていき考えることさえ億劫になっていく。
何でこんなことになってしまったんだろうか? そう思い出そうとするが何も思い出せない。 思い出した記憶は思い出したそばからバラバラに解けていってしまう。
どうやらこういうモノはもっと早くに思い出すべきものだったようだ、考えさえも纏まらなくなっていく。
視界は変わらず海面を見続けているというのに光はゆっくりと黒い影に覆われ、もう何も見えない。
もう......なにも............。
波の音が聞こえる。
「............ぁ...?」
誰かの掠れた、小さな声も聞こえた。
意識せず持ち上がった瞼、視界に映ったのは見渡す限りの海と砂浜だった。
自分は確か海で溺れていて......それからどうやら浜辺に流れ着いたらしい。
「た......す............」
助かった、そう言いたかったのだが喉をやられてしまったようだ。 上手く声が出せず変な声が口から漏れた。
全身を疲労感が襲い腕一本ですら動かすことが億劫だ。 しかし、生きている、生きているのだ。
人間という生き物はよほど頑丈に出来ているに違いない、何せあんな海のど真ん中で溺れても死んでいないのだから。
自分の顔はきっと笑みを浮かべている事だろう、疲労感さえなければこの砂浜を走り回りたいとすら考えていた。
「......!? ......!!」
疲労感に身を委ね、このまま少し眠ってしまおうかと考えていた矢先に声が聞こえた。
救助隊、それともこの辺りに住んでいる人達だろうか? 力を振り絞って顔を上に向ければ此方に大急ぎで走ってくる人影が見えた。
「大丈夫か!? 提督! 漂流者だ! 場所は――」
力強い意思を感じさせる女性の声、その声に安心して自分は意識を手放した。
◆◆◆◆◆
溺れて死にかけた何日も前の日だ、俺はあの日学校で友達と他愛もない話をしていた。
話題は最近の勉強の話から始まって、次に苦手な科目、好きな科目、いつの間にか話題は脇道にそれゲームやマンガといった趣味の......勉強とは全く関係ない趣味の話になっていったんだ。
「つまり島風ちゃんが一番可愛いってわけよ!」
「ロリコン乙」
「解らないかなぁ......あの造形美! 可愛いだけじゃない破格の高性能! 男の欲望とロマンが入り交じった島風ちゃんの完璧さが!」
「解らんでもないが、お前ほど島風が好きな訳でもない俺からするとそこまで」
目の前で熱く、熱苦しい程に島風というゲームのキャラクターについて語るコイツは
彼の性癖がなければ。
要には致命的な欠陥がある、それは『艦隊これくしょん』というゲームのキャラクターでしかない『島風』に異常なまでに惚れている事だった、
そして更に問題だったのは『島風』の容姿だ。
『艦隊これくしょん』というゲームは簡単に説明すると軍艦を擬人化させたキャラクターをプレイヤーは提督となって指揮をとり悪い敵を倒しましょうというゲームだ。 擬人化した軍艦は基本的に元々のモデルとなった軍艦の姿に似せられて描かれている。
大きな軍艦の種類である戦艦はお姉さん系といった容姿で反対に小さな潜水艦や駆逐艦は小学生やギリギリ中学生に見えないこともないという位の小さなお子さまだ。
そして『島風』は駆逐艦。 更に服装は犯罪臭しかしない露出度で明らかに大きなお友達を狙っているモノだった。
しかも要はその性癖を隠そうともせず、バックには島風缶バッチ、携帯には島風キーホルダー、島風クリアファイルに島風財布............何から何までが島風島風島風づくしで彼女何て出来る訳がなかった。
「要、周りが引いてる。 いくら好きといっても限度が―――」
「いーや! ■■! 俺の愛に限度なんてモノはないのだ! 島風ちゃんを愛でるためなら例え火の中、海の中、嵐の中!」
............え?
要の声にノイズが被さるように邪魔をした。
聞き取れなかったという事じゃない、聞こえている、聞こえている筈なのに解らない。 解る筈なのだ、誰よりも解っている筈なのに解らなかった。
解らない解らない解らない解らない。
ジブンノナマエガワカラナイ。
◆◆◆◆◆
「............あぁ、いつ起きても可笑しくないそうだ。 捜索願いも出されていない、完全にフリーの状態だよ彼女は............提督、はやる気持ちは解るが節度ある行動をだぞ? 憲兵とて暇じゃないんだ」
誰かが電話をしているのだろうか? 女性の声で私は目が覚めた。
病室のような清潔さ溢れる白い天井を考えのまとまらない寝ぼけた頭でぼんやりと見つめた。
「心配のし過ぎだ、盗られなどしないさ。 何よりこの長門が近くにいるんだ、要望とあれば例え戦車だろうと............丁度今起きたようだ」
目についたのは綺麗な黒髪、烏の濡羽色と比喩されても良い位の綺麗な髪.......目は強い意志を感じさせ、大和撫子を体現したような人だった。
「ここ......は......?」
「鎮守府内の病院だ、意識はハッキリしているか? 酷い目にあったみたいだな......身体中傷だらけで浜に流れ着いていたんだ」
「そう.......ですか」
私の意識がはっきりとしてきた事に安心したのか、セーターを着た彼女は携帯に耳をあてながら誰かと再び話始めた。 換装、艦隊、演習.......彼女は自衛隊にでも所属しているのだろうか? 専門用語だらけで私には全部は分からない。
「.......そうだな。 確かに可能性は否定出来ないが.......まて、今外にいるだと? 今日は上から誰か視察に来るんじゃ.......抜け出して来たのか!?」
電話に向かって彼女が大声を出したかと思えば私にすぐ戻るとだけ告げて出ていってしまった。 会話の様子からすると彼女の知り合いか何かが近くまで来ているらしい。
何があったかは知らないが、抜け出して来た.......という事はあまり真面目な人ではないのかも知れない。
私が勝手に彼女の知り合いについて想像を膨らませているとドアの向こう側から彼女の声と男性の声が聞こえてきた。
「提督.......第一印象は大事だからな?」
「わかってるって長門.......俺はこう見えてアッチの学校の劇ではいっつも主役を張っていたんだ、容姿だけは良いと友達にもよく言われてたからな」
「.......嫌な予感しかしないんだが」
カチャリ.......とドアが開かれる。 現れたのは先程の綺麗な女性と白い軍服のようなモノを着た男性だった。
男性の、ソイツの顔を見た瞬間に私は安心感を感じ.......そして何故か残念な気持ちになった。
「えー.......俺は一応此処の鎮守府で提督をしている者だ.......あー.......お前が.......貴女が無事な事を喜ばしく.......」
女性は何処か残念なモノを見るような表情でソイツを見ていたが私もきっと同じような顔をしてソイツを眺めていただろう......キャラクター説明以外で難しい事を言おうとすれば口が回らなくなるのは何時もの事だった。
「要、あなた.......なにしてるんだ?」
「は.......?」
偉く驚いた様な顔をしたソイツ.......荒崎要はまるで信じられないモノを見たような目で私を見ていた。
信じられないというよりは信じたくないという方が正しいかも知れない、とにかく動揺しているのが一発でわかるような酷い表情だ。
「長門.......俺の名前オシエタ?」
「教えていない筈だが、提督の知り合いではないのか?」
「知り合い.......知り合い!? いや!希望は捨ててはいけない! キミィ!通っていた高校は!?」
半狂乱気味に聞いてきた彼に盛大に引きながら私は答える。
「何処って.......■■■■高校でしょ.......忘れたの?」
要は私が言葉を言い終わった瞬間に笑顔になった、フラリフラリと後ろに下がり壁に当たって漸く止まる。 異常を感じとった女性が心配そうに要に駆け寄ろうとするがそれを要は右手で制した。
「名前は.......■■様ではゴザイマセンデシマショーカ」
「.....そうだけど.......大丈夫?」
名前が聞き取りヅライが何故か自分の名前だと判断出来たので肯定した。
そして突然である、頭にあった帽子を顔に押し当て―――
「ジィィィィィイィイザァァァス!! 神様ありがとう!そしてくたばれぇぇぇえ!!」
―――悲痛な叫びをあげはじめたのだ。
私は流石に心配になりベットから起きて駆け寄ろうとするが解りやすい位に逃げられた。 どうやら彼は前を見ずとも動けるという特技を身に付けたらしい。
「大丈夫か!? てか何で逃げるの!?」
「うわぁぁぁあぁぁあ! 喋るな動くなちかづくなぁぁああ! 微妙に口調が入り雑じった言葉で心配するなぁぁぁぁ!」
今まで見たことの無い位に取り乱した彼は部屋の角で蹲りぶるぶると震え始めた、尋常では無い様子に遂に彼女も動き要に呼び掛けた。
「提督! しっかりしろ! 一体何が.......!?」
「長門ぉ.......」
消え入りそうな小さな声が聞こえ、要は何かを彼女に耳打ちする。 彼女は急いで自分のバッグの中から四角い何かを取り出すと私に渡してきた。
「自分の姿を見ろ.......との事だ」
「え.......?」
よくわからない言葉に戸惑うがそれで要が落ち着くなら.......と思い四角い何か、手鏡を覗きこむ。
覗きこんで.......思考が停止した。
自分とは似ても似つかない可愛らしい女の子が其処にはいたからだ。 声が出せず、目の前の女性に鏡を指差した後に自分を指差しジェスチャーで問うた。
これ、私?
不思議そうな顔をしながら頷いた彼女が全てを物語っていて頭の中が真っ白に染まった。
やがてダムが決壊したように塞き止められていた言葉が溢れ出す。
え?なに?え.......?
「なにこれぇぇぇぇえぇえぇぇぇぇえぇえ!?」
「俺の島風がぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
叫び声に共鳴するかのように再び要も叫び出す。
要が叫んでいた理由はコレだったのだ。
鏡の向こう側に写った私の姿は服装こそ違うものの、彼が.......要が愛した艦娘の姿にそっくりだったのだから。
そう........私は駆逐艦『島風』の姿になっていたのだ........。
エタを克服したい(切実)