「んぐっ」
目が覚め、まず感じたのは閉じた両目を押されているかのような圧迫感と、目の奥を起源とする頭痛だった。強く目隠しをされている。半開きの口は異物を噛んでおり、閉じられない。
冷たく硬い鉄製の椅子に座らされたまま、両手は縄で縛られて後ろ手を背もたれに固定されているようだ。
ムツは、口に詰め込まれた布を、舌を使い吐き出して、大きく空気を吸い込んだ。淀んだカビの臭いと、高い湿気。幸い足は固定されていなかったので立ち上がろうと試みると、椅子側が固定されているのか、縛られた手の縄を軋ませるに留まった。ギシリと音が反響した。
狭い部屋。地下。拷問器具を想わせる固定された頑丈な椅子。
拉致された。誰が。目的は。どうやって。最後の記憶は何だ。マナトとランタ二人と呑んでいた。泥酔する程ではない。薬を盛られた。
その時、背後でスルっと音がした。鋼と革の擦れる音。ナイフを革鞘から引き抜く時の擦過音。誰かいる。ムツは背後に向けて、全身の感覚を耳に集中させた。ズキンと断続的に頭痛が襲うが、気にしていられない。
こちらが目を覚ました事は気づかれている。第一声が大事だ。こちらは完全に無防備で、命を握られている。次の瞬間首を掻っ切られる可能性もある。ただし、蓋然性は高くない。
ゆっくりと、静かに、しかし大きく深呼吸をする。そうだ。落ち着け。痛みに惑わされずに、考えろ。心臓が全力疾走でもしたかのように脈打っている。リラックスだ。焦りを見せるな。第一声。これが全てと云っても良い。言葉だけじゃない。間違いなく一挙手一投足を観察されている。
そうだ。殺すことが目的なら毒殺されていた。殺傷が目的ではない。薬の副作用以外には痛みが無いので拷問もされていない。
犯人は誰か? 直感。バルバラ、パメラ、盗賊ギルド員。特定はできない。保留。
拉致された理由は? パメラ関係。その他に考えられない。誤解はあった。だが、拉致されるほどの事ではなかったはずだ。保留。
呑んでいた毒イモリの酒場はスラムに近い。盗賊ギルドの庭とも云える。店主と協力関係にあっても不思議はない。そう考えると、この事態を全く想像もしていなかったのは問題だ。警戒心不足。だが、反省は乗り切ってからだ。
ここまで、盗賊ギルド員にパメラ関係で予想以上の不興を買い、拉致された、と仮定する。パメラ本人とは考え難い。腹時計から考えて、拉致からそれほど時間は経過していない。パメラ本人が主犯と考えるには、反応が早急過ぎる。本人ではなく、関係者だ。よし。
「パメラは知っているのか?」
返答はない。しかし、頬に冷たい感触。背後から刃で頬をぺちぺちと叩かれた。堪えろ。ビビるな。眉をしかめるな。これはパフォーマンスだ。こちらの反応を見ている。怒り主体の行動じゃない。茶目っ気だ。それにしては洒落にならない蛮行だが、こんなことをしでかしそうな、またしでかせる知り合いは一人だけだ。仮に間違っていても、この名を出して事態の悪化はしないだろう。
「もういいだろう、目隠しを外してくれ、バルバラ。きつくて敵わん」
「あら。もう少し楽しませてくれても良いのに。付き合い悪いのね」
やはりバルバラだ。その声に判りやすい怒りの色は感じられない。だが、バルバラだ。油断はできない。
バルバラとは友人。又はそこまで呼べないにしても知人以上の間柄ではあった。だが、一般的に、友人も知人も拉致拘束して脅さない。普通、それをやれば関係は崩壊する。確認するまでもなく自明であるが、バルバラはそれをやった。
こちらをどうでも良いと思っているか、関係悪化の原因足りえないと認識しているか、あるいは他に想像できぬ理由があるか。
「どんな話をするにしても、目を見て話をした方が建設的だと思うが」
「それはそうね。でも、耳に集中していると、何故だか素直になってくれる人も多いのよ。ムツ、貴方はどちらかしら」
「成程、悩ましいところだ。美声に浸るのも悪くはないが、やはり美女とはその姿を拝んでこそ口も軽くなる」
「あらあら。いけない男ね。ついつい乗せられたくなっちゃうわ。そうやって何人の女の子を泣かせて来たのかしら」
バルバラは、つつ、と首の頸動脈を指で撫でた。優しく、触れるか触れないかの力で、何度も。ムツが意思とは関係なくブルリと震えると、耳元で妖艶に笑った。
「最近はどうなのかしら。生娘に手を出して、恨みを買ったりしていない? 例えば、スラムに落ちて尚、気高く生き抜き、盗賊に身をやつしながらも真っ当に腕を磨き。でも更なる不幸でどん底に落ちながらも健気に頑張っていた女の子、とか」
ぴたり、と指が固い感触に置き換わった。ぐっと刃が首に押し付けられる。目隠しされていても、いつもの薄い微笑みをバルバラが深めたのが判った。
「ね、どうなのかしら?」
「確かに誤解はあった」
「誤解。どんな?」
ここだ。間違えちゃいけない。客観的に状況は最悪で、意味なくここで散る事もあり得る。嘘はダメだ。虚構なくとも望まれる答えから離れすぎてもいけない。誤魔化しは見通され、愚者は葬られる。問われている本質を回答することが肝要。
「違和感があった。それを確かめずにはいられなかった」
ピクリ、とバルバラの手が震えた。背筋が凍るが、首は切れてないらしく痛みはない。刃が離れた。無言の催促を感じる。
「パメラは中堅以上の盗賊だ。初戦。武闘家としての緒戦から、監視されていたのに、全く気が付かなかった。一人で戦場に赴き、警戒は厳にしていたのに、だ。いくら隠密行動が得意な盗賊であっても、それなり以上の実力を持っていないと不可能な芸当だろう」
真実。続いて、違和感を語れ。何に違和感を感じた? ここまでは
「なのに、パメラの言動にはちぐはぐさがあった。スラムの子供の死体の処理に手を貸した時、突然感情を爆発させた。
バルバラは聞き入っている。相槌もないが、目隠しされていても視線を痛いほどに感じる。
「酒を飲んでいる時、心の防壁が壊れたように見えた。酒で口が滑る事は誰にでもある。しかし、それとは明らかに異なった。
妄想。狂気。酒だけが原因だったとは、とても考えられない。
「別に篭絡しろとは命じていないわよ。盗賊ギルドは自由なギルド。命令はシンプルに。過程は各々に任せることが多い。有望な新人をスカウトできるのなら、手段は論じられない。勿論、外法を用いて下手を打ち、問題が公になれば然るべき対応をとるけれど」
「――最後に、今日会った時。話して数秒で、恋する女の子を演じているように感じた。相手は盗賊だ。警戒はする。だが、向けられた好意は直球で、ひねりが無い。簡単に乗ってはこないだろうという前提に、挑発。優秀な盗賊らしくない。予想外の一手ならばどうかと攻勢に出ると、あっさりとなすがまま。腕の中のパメラは間違いなく恥ずかしがっていた。顔を真っ赤にして細かく震えて、あれは演技でできる範囲を超えている。いくら盗賊とは云え、それをできる擦れた女には思えない。そのはずなのに、
ムツは感じていたものを語った。饒舌とは言い難いムツの、しかも考えながら話した説明は、決して理路整然とはしていなかったが、バルバラもその邪魔をしなかった。
「――それで、誤解とは?」
「バルバラが俺への伝言を頼んだ少年。彼がバルバラと俺が恋仲であると誤認しており、それがパメラに伝わった」
興味深い誤解ね、と短く感想を述べ、バルバラは押し黙った。
ムツの前方でカツンと何かを置く音。椅子だろう。見えずとも判る。2~3メートル前方にバルバラは腰掛けている。ゆっくりとした呼吸だけが聞こえる。静寂が辛い。あの違和感を解消したいという好奇心と、現実にある危機感。ムツは、言葉を選ばず、沈黙を選択した。ただじっと、バルバラの次の言葉を待つ。
ヒュッと風切り音。鋭い風が鼻先を撫で、一拍置いて、ピリピリと目隠しの布が破れ落ちた。
思わず仰け反らなかった自分を褒めてやりたい。ランタンの小さな蝋燭の光がまぶしい。目隠しに抑えられていた血が一気に流れる解放感。想像通りの部屋。土の上に雑に敷き詰められた石畳。カビとコケで覆われた石壁と天井。窓はない。部屋の隅の大樽からは入りきれず縄が溢れている。随分と多い。溢れた縄は腐ったもの、茶黒く汚れたもが大半だが、縄本来の色彩がまだ残る新品に近いものも樽の周りには混じっている。これらの正体はすぐに判った。天井から先端が人の頭程度の円に結ばれたて吊るされており、一度目をやった後は易々と逸らせない圧倒的な存在感を放っていた。
しかしムツの視線はすぐに眼前に足を組み背もたれのない簡素な椅子に座るバルバラに固定された。露出度の高い軽装だからではない。かつてない程に真剣な表情だったからだ。ムツは、沈黙を保った。
普段、バルバラは飄々とした女性だ。薄い微笑みを絶やさず、常に余裕を保ち続ける。盗賊の見本だ。そのバルバラが、ただ無表情で思考を巡らせている。一体、パメラには何がある? 自分には、何を求めている?
「依頼を」
「唐突だな。それに、この状況では拒否権はなさそうだ」
「あるわよ。この状況とは?」
「勿論、監禁拘束されていることだ」
「監禁? 拘束? 人聞きが悪いわね。そんな不作法していないわよ。私はただ、なじみの酒場で知人が酔いつぶれてしまったと聞いたから、うちへ招待しただけよ」
いけしゃあしゃあとよく云う。後ろ手はしっかり縛られたままだし、鉄製の椅子は頑丈で壊せそうもない。でも、バルバラは拘束していないという。これが拘束でなければ何なのか。ムツが腕に力を込めると、幾重にも巻かれた綱がギシリと音を立てた。
拘束とは何か。行動の自由を奪う事。行動の自由を奪っていない。――まさか、そういう事か。
「
ムツは、全身に気を満たしながら、力を込めた。気の密度を高めていく。
全力強化と比較してまず3割。それでも、生身の時びくともしなかった綱はピチピチと異音を出し始めた。
4割、5割。長期戦を前提としたときの巡航強化。少しずつ綱が切れ始め、気持ち隙間ができ始めたように思う。
6割、7割――。長期戦では考えなしには取りづらい強化率。
――8割。全力強化の手前で、ついに手を拘束していた綱はその役目を終え、勢い良く吹き飛んだ。
ムツが軽い疲労感を感じながら足の縄も解き立ち上がり、縄目のついた手首を摩りながら部屋を見渡すと、丁度背後に頑丈な鉄製の扉があった。格子状の窓がついているが、先は吸い込まれそうな暗闇だ。
それにしても酷い部屋だ。あるのは
「絞殺の間。基本的に、応接間兼客室ね。意外と
ムツは吊り輪を流し見ながら、申し出を丁重に遠慮した。
背後の重厚な鉄扉も
どうするべきか。君子危うきに近づかず。リスク分析を重視するのなら、さっさと鉄扉を押し開け立ち去り、今後スラム付近には近づかないのが正しい。しかし、実際のところムツは迷わなかった。
ムツは、頑丈な椅子に座りなおした。足を組み、深く背もたれに体重をかける。戦闘態勢に移行するには些か時を要する座り方だ。
まさに、バルバラの望むがままに。
すると、バルバラは粗末な丸椅子に座ったまま、上半身を揺らし、反動でわずかに飛び跳ね、ムツとの距離を詰めた。バルバラもムツと同様に足を組み、両者の太ももが触れ合う。
バルバラがムツの胸に手を伸ばす。鍛え抜かれた胸筋の奥、心臓の鼓動を確かめるように添えた後、道着の上を徐々に鎖骨へ滑らせる。首から頬を一撫し、首裏に腕を回すと、するりとムツの上へスライドした。腿の上へ腰掛ける形になり、座高が逆転する。バルバラを至近で見上げる形となったムツに、バルバラは妖艶にほほ笑んだ。
「いいわ。素敵よ、ムツ。ちょっと味見をしちゃおうかしら?」
「そんな気もないくせに」
間をおかず回答した。仏頂面を崩さずに。それはそうだ。無様は見せられない。内心、このスキンシップにどんなに動揺していても。太腿と胸板に感じる柔らかな感触は確実な罠だから。
「外面はこんなに立派。全然動じていない様に見える。でも、ほら、心臓は嘘をつけない。ああ、いいわ。こんなに鼓動を高鳴らせて。我慢してるのね?」
バルバラはムツの耳元で囁いた。
「どうしたい?」
少しムツが横を向けば唇が触れ合いそうな距離で、バルバラは問うた。
どうしたいだと? いいのか? いいんだな? これでその気にならない男はいないし、心拍数でバレている。本能のままにがっついていいはずだ。いかんはずがない。罠でも吶喊しなければならない時がある。だが待て。もう少し我慢しろ。脳を冷やせ。相手も本気なら焦らすのは悪い手じゃない。本気じゃないなら、詰める必要がある。正念場だ。
「遠慮する」
「へえ? 駆け引きのつもり?」
「理由は3点」
「聞きましょう」
バルバラはスッと背筋を伸ばし、ムツを見下ろした。
「バルバラ相手に前払いで報酬を受け取る程命知らずじゃない」
「味見程度でごちゃごちゃ云わないのに。次は?」
「攻められるより攻める方が趣味なんだ」
「本質的にその二つは同じもの。どっちかだけじゃ片手落ちなの、教えてあげるわ。――最後は?」
「まず依頼を解決させないと、味見で終わってしまうだろう?」
「――そうかもね」
バルバラは少し、目を見開き、ムツの顎をグイと上げた。
「生意気」
これは、良いのでは。ずっと心の中では「バルバラだ、気を付けろ!」と警鐘が鳴りっぱなしだったが、それも遠のき、薄らいできている。狩りにおいて獲物への襲撃はタイミングを早まると仕留め損なうが、遅すぎても失敗する。前者は未熟者だが、後者は特にチキンと呼ばれる。どちらも、駄目だ。
バルバラは忌々し気にムツを見下ろし、ムツが口唇を持ち上げると、口を塞ぐように鍛えた握力を持って顎下からムツの頬を押し潰し、繰り返した。
「生意気」
甘噛みの様な暴力に、ついに無抵抗を装っていたムツも思わずバルバラの腰に手を回した。バルバラの笑みが深まった。
ムツより幾分体温の高いバルバラの熱がムツに伝わる。露出の高いバルバラの腰から背中を撫でると、バルバラもムツの頬を潰すことを止め、頬に手を添えた。目が至近で合う。近づく。バルバラが目を閉じるのを確認して、ムツも瞼の力を抜いた。
「あ?」
ムツの困惑が口をついたのと、バルバラがムツの肩に手をかけ倒立、そのまま伸身の宙返りを決めたのは同時だった。
野生動物を思わせるしなやかな身のこなしには素直に見惚れる。気まぐれな猫のようで、行動の予測がつかない事もイメージを同調させる。
どう攻めるかを組み立てていたムツにとって、それは不意打ちであり、戦闘時のピンチの際にも通じる猛烈に嫌な予感が駆け巡っていた。
背後に消えたバルバラを振り返る事無く、この行動の意味を考える。結論は一つだった。
バルバラは、背後からムツの視界に戻り、いつの間にか倒れていた丸椅子を片手に拘束時に対面していた当たりの距離まで離れると、トン、と座りながら着地した。足を組んだ若干の前傾姿勢まで、先ほどと同じだ。
「聞きたくないが……」
「なら省きましょう」
さぞ、苦虫を嚙み潰したような顔をしていることだろう。
溜息混じりのムツに応えるバルバラは、既に多少なりとも荒んだ呼吸の気配は無く、当然着衣の乱れも無い。
「意思は尊重しないとね」
「意思?」
「前払いは嫌なんでしょう?」
「味見は構わなかったのでは?」
「だって、味見で終わらせたくないのでしょう?」
酷い女だ。口には出さなかったが、バルバラのいつもの薄い微笑みを見るに、徹頭徹尾掌の上だったらしい。現在進行で。
心を落ち着かせる。燃え上がる焚火に砂をかけるイメージ。炎が消えればそれで良い。赤熱した炭が残っていても、仕方ない。
「さて、依頼の交渉をしましょう。今ならとても有意義な話し合いができそうだし」
有意義。有意義ね。なんだか、短い時間に色んな状況・感情が目まぐるしく入り乱れた上にフッ飛ばされて、力が抜けた。さっさと帰りたい気分。というか、帰るぞ、バルバラ。
実際にムツが立ち上がろうとすると、バルバラは座るように手を振った。
「餌で釣るわけじゃないけど、依頼と報酬は対等であるべきと私達盗賊ギルドは重々心得ている。長期的に友好関係にありたい相手なら尚更ね。ムツが望むなら、つまみ食いとは云わずご馳走を用意するわ」
「馳走ね。具体的には?」
「あたしの自宅で、あたしの手料理を。味は保証するわ」
「――自宅。随分と奮発している様に聞こえるが」
「そうね」
紆余曲折はあったが、本題に入るらしい。バルバラの眼は真剣であり、誤魔化したり騙したりする気配はない。
だとすると、ここまで場を整え、ギルドと個人の能力を誇示した理由をこちらも考える必要がある。
主導権が相手にある以上、交渉が受け身になるのは仕方がない。不利であっても、まずは話を聞かないと始まらない。人参をぶら下げられた馬であっても、目的地を聞いた後であれば、取れる選択肢は黙って走るだけだとは限らない。
それに、依頼は十中八九パメラに関する何か。戦うしか能のない自分に何を依頼するのか見当もつかないが、聞かずに帰る選択肢はない。
ムツが頷くと、バルバラは組んだ足の、膝の上で両手の指を組んだ。
「パメラには疾患があるの。それは心に起因していて、本人も自覚している。症状への対処によっては暴走や昏倒を起こす危険を抱えているわ」
「待て! 待ってくれ」
「ええ。ごゆっくり」
いきなり核心過ぎる。逃げられないように囲い込まれている? 同情を買おうとしている? 断らないという確信がある? どれも違う気がする。
「パメラにこの依頼の同意を得ているのか? 勝手に第三者へ話して良い内容ではなかろう」
「同意は得ていない。バレたらどうなるか。その時の状況によるでしょうね。盗賊ギルドを辞めたりはしないでしょうけど、あたしと
合理的。人間の感情とその影響を、冷静に損得勘定に入れる。嫌悪感を抱く者も多い考え方だ。ムツにもこの手法は思考の根幹にあった。だが、それでも他人がしているのを見せつけられると、異様だ。それが判らないバルバラじゃない。信頼ゆえか、心を開いているというアピールか。
「……続けるわね。ムツに頼みたいのは、あの子と行動を共にし、
つまり、パメラとパーティーを組んでいる限り、半身内として便宜を図ってくれる、と。しかしやはり目的が見えない。何の意味がある? 流れを考えればパメラの症状の回復の一助を目指しているのだろうが、ムツは医者ではない。では、どうしてこんな依頼を持ち掛ける?
「察しの通り、望むのはパメラの快方。でも別に、貴方に治療を望んでいる訳ではないの。ただ貴方は、パメラの症状を心の隅に留めながら、普通に義勇兵として活動してくれればいい」
「それが快方に繋がると?」
「保証はないけどね」
やはり見えてこない。情報が単発的で、最低限の事だけ答えている印象。話し過ぎる事に不都合がある……?
ムツの義勇兵活動がパメラの心疾患回復の一助になる理由。心疾患の症状。発作の条件、頻度、深度。疾患の発生した理由。バルバラがパメラの事を気に掛ける理由。依頼の達成条件と確認方法。報酬。
ざっと考えただけでこれだけ聞きたい事が思い浮かぶ。依頼を成功させたいのなら、情報が必要なのは自明。何を治療すればいいのか判らなければ、対策できない。――まて、治療?
「治療されているとパメラにバレてはいけない?」
「理想的には。でもあの子はバカじゃない。鈍くもない」
「最初から隠し通せると思ってないから、バレることを前提としている、と」
「
情報は必要だが、情報そのものが足枷になる、と。
「だが、それでは出来る事が限られるし、不測の事態に対処することが難しい」
「後者は確かに。でも、前者はそうでもないわ。普通にしていてくれる事に、まず意味があるの」
バルバラが、一呼吸おいて足を組み替えた。健康的な太腿。視線誘導だと気づいた時には、バルバラのキツイ表情に妖艶な微笑みが戻っていた。だが、それも一瞬。すぐに表情を引き締める。
「感情の逓減」
「感情の逓減……?」
「そう。それが症状の根幹。原因は伏せるけど、あの子は感情の振れ幅が極端に小さくなってしまった。上手く怒れなく、喜べなく、そして悲しめなくなってしまった。でも、その状況を嫌だとは思ったのでしょうね。自分の症状に自覚的だった彼女は、以前の自分を演じるようになったの」
「元の自分の通りに、怒ったり、笑ったりする演技をするようになった?」
「そう。大事な記憶をなぞる様に。最初はつたなかったけれど、徐々に上手くなっていった。それが、私たちは、たまらなく堪えた」
バルバラは、当時を思い返したのか、珍しく視線を揺らした。
「まるで完治したかのように
「どうなった?」
「ふらふらと無表情で独り言を零して、ゼンマイの切れた人形のように倒れたの。倒れていた時間は短かったけれど、起きた後しばらくの間、上手く演じられていなかった。都合よく記憶喪失になったりすることもなく、事実誤認をしてしまったことを正しく自覚していて、申し訳なさそうな表情を作ろうとしてできず、ひきつった表情で謝罪をしてきたわ。――それが、彼女」
「思い当たる節もある。状況も判ってきた。だが、普通に義勇兵として活動し、そこにパメラを同行させる事そのものが回復の一助になる、というのは何なんだ?」
バルバラは答えない。ゆったりとした微笑みのままに、ただムツを見つめる。目を。そして、フッと全身を俯瞰するように視線を広げた。
「……俺? いや、武闘家か?」
武闘家に同行させたい? 武闘家は危険で、リスクが高い。それでも。いや、それだから?
「まさか、ショック療法で死ぬのを見せたいって事じゃないだろうな」
「――は? あっはっはっはっは!」
バルバラは一瞬キョトンとした後、思いもよらない事を云われたと失笑した。
「ムツ、貴方卑屈になってるの? そんな訳ないし、その時はパメラも危険でしょ。でも方針としては近い所もあるかもね。危険を感じれば、否が応でも感情は刺激される。特に貴方の活動は頻度も質も一級品よ。自信を持っていい」
「褒められているようで、無駄に危険に身を投じている阿呆、と云われている気分だ」
ムツのぼやきに、バルバラは「そう云ってるのよ」とあっさりと肯定した。
でも、これで最低限の疑問は解消した。
バルバラはパメラの心疾患を回復させるため、通常の義勇兵より無茶をする自分に同行させ、身の危険という根源的な恐怖によって感情を刺激させたい、と云う事らしい。
「信用されている様で、光栄なことだ」
「応えて頂戴」
バルバラにとってパメラは大事な存在。その命を預ける事は、容易い事じゃない。
バルバラがムツに手を伸ばす。ムツもそれに応え、契約の握手を交わした。
「明日からね」
「明日!? 数日は活動の予定は無いのだが。メリイも修練中で――」
「いいから」
女性とは思えない握力。ムツの手が軋む。
「明日から。承知?」
ムツは大きく嘆息すると、手にグッと力を入れ縦に振り、降参とばかりに脱力させた。
打ち合わせを済ませ、ムツが出ていった絞殺の間には、二つの息遣いが残っていた。大樽に入りきれない古縄がさらに盛り上がり、バラバラと零れ落ちていく。そして、栗皮色のポニーテールが顔を出した。
「どういうつもりなんですか? 私に
怒り心頭という様子のパメラは、バルバラの目から見ても演技とは思えないものだった。
服の汚れを払うのも程々に椅子に座るバルバラに詰め寄り、牙を剥いている。意識的に行われている感情の所作。しかしバルバラには
「それよ。いい顔してる」
「怒ってるんですよ!」
「そう。怒っている。パメラ、貴女今、怒っているのよ。やっぱりこの治療方針は試す価値がある」
パメラからふっと表情が抜けた。そして困惑する表情となった。
「バルバラさん、何を――」
「それは作った表情ね。上手にはなってるけど、このあたしを欺くには10年早いわ。鬱陶しいから、いい加減治してあげる」
「私は――」
「ムツと関わる事で、確実に変化が生じている。それが何故なのか。目撃した戦闘がショックだったからとあたしは見ている。そのショックの種は成長して、止まった心を強制的に動かす心臓マッサージの様な効果を生み出した。ムツと活動してみる事は、回復の一助になる」
パメラは困惑の表情を張り付けたまま固まっている。本人は気が付いていないだろうが、頬に赤みがさしてきている。
「恋愛感情の誤認だったとしても、それは結構なことよ。そこの真偽はどちらでも良い。結果としてパメラが回復して、より一層盗賊業を邁進してくれるなら過程の解釈にはゴシップ以上の興味はないわ」
「……バルバラさんは、ムツさんの事が好きなのでは?」
パメラは無表情だ。でもそれは、表情が抜け落ちた無表情ではなかった。
「まあ、正直なところ、味見に興味はあるわね」
「じゃあ、どうして……?」
「これでも男を見る目はあるつもりだからね。でも、興味がある。それ以上でも以下でもないの。妹分が気になってる男を掻っ攫って喰ってしまう程餓えてない。これに関して余計な心配は不要よ。――でも!」
明らかにほっと一息ついたパメラは、続くバルバラの強い口調に眉をひそめた。
「
「他に……? 誰です?」
「パメラ、貴女盗賊でしょう? 自分で調べなさいな……と云いたいところだけど一人だけ。紹介した神官。根暗だけど美人だから、ムツの好みによってはどうなるかは判らない。特に今は男と女の二人旅だったわけだし、ね」
「二人旅。……それは危険ですね。頑張らないと!」
鼻息荒く意気込むパメラだが、ナチュラルじゃない。まあ、こんなものだろう。少しずつ良くなっていけばいい。
「そうしなさい。差し当たって明日は二人きりの様だし、チャンスね」
「はい! じゃあ、明日の準備をしてきます!」
有難うございます、とお礼の言葉を残して、パメラは笑顔で絞殺の間から
バルバラも今の一幕で追及すべき点や、明日について確認しておくべきことは多々あるだろう、と呼び止めはしない。パメラが逃げの手を打つ時、追い詰めてはならない。そもそも、考える余裕を奪ったのは自分だ。
今度こそ本当に一人きりになる。
ムツを拉致して、パメラに話を聞かせて、今後のムツの行動に盗賊ギルドとして介入も果たした。
ムツの盗賊ギルドへの勧誘は、諦めたわけじゃない。武闘家のスキルと、盗賊との親和性は高い。成功の暁には得難い人材となるだろう。 人生は何が起きるか判らない。一途に初志貫徹できる者は一握りで、第二第三の人生を歩む事は悪い事じゃない。パメラの存在は、盗賊への道の架け橋となり得る。移転まで至らずとも、強力な外部協力者としてでもムツは充分に有用だ。
バルバラは、盗賊だ。企み、唆す。身内でも例外ではない。
パメラの快方と、ギルド発展の布石。その為ならば。
音もなく立ち上がり、まだ多少の温もりを残す椅子に手をやった。絞殺の間の象徴を見上げ、一度だけ荒んだ吐息を溢した。