「
ムツの肘打ちで突き出た鼻と口を横から刈られ、犬顔のコボルドはたまらず体勢を崩した。すかさずムツは朽ちかけた楔帷子をひっつかみ、力任せに振り回す。
「ギャウーーン!!」「ガォン!」「ギャン!」
抵抗を許されず鈍器と化したコボルドが、もう一匹の粗末な装備のコボルドと、まともな鎧を纏った指揮官を同時に弾き飛ばした。ムツはそのまま一周、二周と回転し、手を離した。
少し距離を取っていたパメラからは、その振り回されるコボルドの表情が良く見えた。武器だったつるはしは手放し、両手は頭を守り顔の半分以上は隠れていたが、揺れる瞳は恐怖を示しており、さらに「ヒィン」という鳴き声は数瞬先に起きるであろう惨事を予感し震えていた。
コボルドは飛んだ。そして指揮官の前に居たもう一匹の労働者コボルド、ワーカーと衝突し、もんどりうって転がった。打ち所が悪かったのか投げられたコボルドは動かず、その下敷きになったワーカーは転倒時にぶつけたのか頭を押さえて悶えている。
残り、一匹。
ムツが指揮官に向き直った。指揮官は後ずさる。倒れているワーカーを見捨てて逃げるべきか。指揮官のワーカーに流れた視線からその逡巡がパメラには見て取れた。しかしそれは、許さない。
指揮官はパメラが視界から消えた事に気が付かない。音を立てる砂利を回避し、ゆらゆらと流れる川に浮かぶ木の葉の如くパメラは移動し、指揮官の背後に回り込んだ。手にする湾曲したククリナイフの白刃が、壁に生えるヒカリバナの鈍いエメラルドの光色に染まった。骨の隙間に差し込むための武器ではなく、重量で叩き斬る事を目的とした凶悪な武器。
指揮官は動きを止めた。しかし噴き出すのは赤い鮮血ではなく、冷や汗だった。
パメラのククリナイフは、その柄が指揮官の鼓動を感じる様にピタリと添えられている。指揮官の鎧の保護部分は前面に限られており、背後の守りは限られていた。攻撃を想定していない背に感じる圧力。指揮官の緊張はここに極まった。
「武器を捨てろ」
ムツの言葉とジェスチャーから、指揮官は剣を捨て、そのまま両手を上げ降伏した。ムツと目が合う。パメラはククリナイフを持ったまま、器用に刃が誰にも当たらない様に指揮官の首に腕を回し、がっちりと固定する。
「見事な技だ」
「どういたしまして」
パメラは脱力した指揮官の鉄鎧を掴み、引きずって壁際へ運ぶ。指揮官は良いものを食べているのか平均的な成人男性ほどの大きさがある。さらに装備した鉄鎧は造りも構造も雑だが厚みはあるので、パメラの様な小柄な女性が運ぶには本来大変な重さだ。しかし、戦場でそんな弱みは見せられない。特に、
「さて……」
ムツは投げ飛ばしたコボルドの首筋に手をやり、頷いた。気を失っているだけらしい。良かった。作戦に影響が出るところだった。
そのままコボルドを抱き抱えたムツは、壁際に運び、既に並び意識を消失させている
そのコボルドとパメラが運んだ指揮官とで追加2体。
「20体目。君で21匹目だ。どうするね? まだ戦うか?」
ムツは悶えていた最後のワーカーに問うた。言葉は通じていない。通じるのならもっと他に良い方法があるものだが、言語でのコミュニケーションが取れない為にこんな回りくどい方法を取っている。パメラの提案通りだ。
「誰も死んでいない。全員生きている。お前も殺さない。静かにしていれば
静かにとジェスチャーをしながらムツが座り込んでいるワーカーに声静かに近づいていく。ワーカーは頭部から血を流してはいるものの傷自体は深くなく、衝撃からは回復している様に見える。だが失禁しながら必死でムツから距離を取ろうともがくも、不自然な体勢でつるはしが重いのか上手く行っていない。怯えぶりから言葉が通じていない事が判るが、「静かにしろ」と云っている事は伝わったのか、吠えて助けを呼ぶ様子は見られない。
ムツがワーカーの眼前に迫る。ジェスチャーを続けたままのムツが、震える手で持ち上げられているだけのつるはしをそっと奪い、地面に置いた。そしてかがみ込みウエストバッグから取り出した布をコボルドの頭部の傷口に押し付けた。
「静かに、あの20匹の手当てをしてやれ。起きて騒ぐようなら黙らせろ。静かに、静かにさせろ。判るか?」
静粛の意を示すムツの鼻先に立てられた人差し指が、倒れたコボルド達に向けられ、釣られたコボルドの視線も誘導される。
「わぉん……?」言葉は通じない。コボルドの犬の様な口は人間の複雑な言語を話す為には作られていない。だが、その消える様な鳴き声の意味は伝わる。皆、生きているのか? 自分は殺されないのか?
「そうだ。骨が折れてる奴はいるし、打撃で昏倒している奴もいるが、皆生きている。それ程時間はかからず起きるだろう」
ムツは立ち上がり、ワーカーに手を伸ばす。意味を察しかねている様子だったが、「立て」のジェスチャーで理解したのかその手を取り、立ち上がった。
ムツはその手を取ったままゆっくりとコボルド群の壁際にゆっくりと近づく。そしてポンポンと壁を叩いた。
「壁際だ。壁際で静かにしていれば、何もしない。だが――」
ムツはコボルドの手を握る手を強め、空いている手で通路の中程にいるパメラを指さした。
大小二対の視線が注がれるのを待って、パメラはゆっくりと刃をしまった。
「――壁際から離れたり、騒いだりすれば、また攻撃する。」
言葉の通じない相手に配慮した、効果的な脅しだと思う。距離をとっているパメラの視点から見ても20体のコボルドが整列して気を失っているのは異様な光景だ。これを至近にしながら脅されれば、嫌でも相手の意図を窺う。
言葉こそ通じないが、コボルドは野生の獣とは違い高い知性がある。道具を使い採掘を行い、取れた石炭と鉄鉱石を選別し、精錬し、鉄資源から剣や鎧を鋳造する。種族柄不器用であり、決して完成した製品の出来が良くなくとも、人類に類する知性を持っている事に間違いはない。やり方によっては、意思の疎通は図れるのだ。
頷くという動作がコボルトにとっても肯定を意味する事を確認した。
「どうだった?」
「もう近くに誘引できそうな個体はいませんね」
「なら、もう少し範囲を広げるか?」
サイリン鉱山3階層。現在コボルドが占拠するサイリン鉱山において、採掘が活発に行われている階層だ。入口に近い1層・2層はあぶれ者のコボルドの巣窟となっているが、3層は通常のコボルド、ワーカーが多数と、それを監督するエルダーが3~4体一組で仕事をしている。2層から3層へはロープで昇り降りできる縦穴が五か所あり、ムツとパメラはそのうちの一か所近くの小広間を拠点に選定した。
この小広間の安全を確保しながら、周囲のコボルドを誘引し、撃破昏倒を繰り返す事6度。緑光を放ち鉱山内での光源となっている藻、通称ヒカリバナが少なく薄暗い壁際に、数を重ねる毎にコボルドが並べられることとなった。
2層に続く縦穴側からの敵の広間への侵入を警戒しつつ、既に何匹か目を覚まして簡易な手当てを行っているコボルド達を監視していたムツは、行動の指針を独断せずにパメラの考えを求めるようになっている。
パメラは多数のコボルドの視線を受けながら、部屋中央に転がる岩に腰かけていたムツに笑顔を作り、ゆったりと近づいた。
サイリン鉱山奪還。突拍子もない話だ。ムツは今まで無茶を通してここまで来た。その胆力は確かに素晴らしいし、発想を現実のものにする為に力をつけた事は称賛に値する。しかし今回の目的の達成には、発想と戦闘力だけでは足りない。戦略を練り、状況に合わせ修正し、冒したリスクはしっかりと目的達成の糧にしていかなければ、無茶をするだけで何も得られない。
パメラは鉱山への道すがらムツから聞かされた鉱山奪還へのざっくりとしたプランに対し、ダメ出しと提案を行った。武闘家としての強大な武力は前提となるが、希望的観測に基づくごり押しは却下し、目的達成までの3工程を提示した。①打倒、②接触、③交渉だ。どの工程も危機の山で、ほぼ失敗即、死である事には変わりないが、実現性は増したと自負している。
実際提案は受け入れられ、パメラは作戦参謀としての立ち位置を獲得することとなった。
そして、明らかにムツのパメラを見る目が変わった。「厄介ごとを抱えた協力相手」あるいは「バルバラとの繋ぎ」「庇護対象」。そこに、「頼りになる知恵者」が加わった、ように感じる。
悪くない。ムツとの関係性の進展は派遣盗賊としては勿論、ギルド・バルバラからの密使としてのパメラにとっても好都合だ。
「範囲拡大。そうですね。今日は様子見のつもりでしたが、ここまで順調なら拠点誘引ではなく侵攻殲滅に移行するのもありです。しかし、体力は大丈夫ですか?」
言外に負傷具合を尋ねると、ムツは反射的に大丈夫、と云いかけて口をつぐんだ。
「実は昨日と今朝、血を流してしまっていてな。貧血気味で少々疲れが強い。ここでの戦闘では打撲が数か所程度で活動に支障はないし、
「血。武闘家の師範に傷は治してもらったとは聞きましたが、回復魔法と同じで失った血までは戻らないんですね。それにしても、異常があるならすぐに云って下さい。運命共同体なんですからね!」
距離を詰め、
改めてムツを見るとその道着には多量の血液が付着しており、特に袖と首元は酷い。時間経過で乾いて茶黒くパリパリになってしまっている。この血にコボルド戦での返り血や出血は含まれていないのも可笑しな話だ。
本当は見ての通りに出血があったのは明らかだったので、怪我自体の治療はされていても万全にまでは至っていない可能性がある事は認識し、それを前提として予定を組んでいたのだが、ムツからの申告は無かったので釘をさしておく。
「それで、実際どの程度の疲れなんですか? 今後を考えれば初日のインパクトは大事なので、戦闘継続して噂の種はできるだけ蒔いておきたいのが本音なんですが」
「強化効率と速度が1割減という所。今までと同じ3割出力程度の巡航強化であれば、もう1~2時間続けても戦闘能力の減少は限定的だと思う」
「強化効率と速度ですか。表現が難しいかもしれませんが、具体的にその3割出力でどの程度の強化が普段ならできて、今はどうなっているんです?」
「そうだな……好調時の3割出力は、一般人のナイフ程度であればかすり傷程度で済むけれど、剣だと重症は免れない。剣を受け止めるには7割出力は必要だね」
「コボルドの相手はずっとその3割で? その割には力強く見えましたが」
「いや、3割をベースに5割ぐらいまでをゆったり行ったり来たり、という感じ。
「5割まで。確かに、スコップは腕で受け止めても、つるはしや剣は受けないで避けてましたね」
「5割なら受けても大出血にはならないかもしれないけど、博打になるからね」
「武闘家は軽装で武器も防具も無し。攻撃力と防御力を補える
「俺たち武闘家の最大の弱点は装備の制限なんかではなく、この継戦能力。これはもう、地道に基礎能力を高めていくしかないから、日々のトレーニングと義勇兵活動の質を高めたい。でも今日も含めて活動の質を高めようとすれば、生存率を高める為に最重要なのは継戦能力になってしまう。……本当に、ままならない」
はあ、と二人で嘆息する。
「それで、この3層の奥まで手を伸ばすとして、実際ここのコボルド達はこのまま大人しくしているかね?」
「そう願えれば楽ですが、そこまで甘くないでしょう。離れれば様子を覗い、近くに居ない事が判ればじっとしていられない。せいぜいが20分って所では?」
「進んで処理能力を超えた数のコボルドに接敵してしまったり、増援が来てしまって逃げる事になった時、挟み撃ちになるかもしれない」
ムツの至極真っ当な可能性の提言は、パメラがどう答えるか窺っているのが明らかだ。これまでのムツの戦歴を考えれば、“その時はその時で突破すれば問題ない”ぐらいに思っているのだろうし、実際不安の色は無い。容易い事ではないはずなのだが。失敗したり最悪を想定したりはしないのだろうか? しかし間違っている。試すのはこちらで、そちらじゃない。
「索敵を私が担当する以上、侵攻時の増援はコントロールします。でも確かに、挟み撃ちの危険はゼロになりません。しかし、
「判った。調整は任せる。進もう」
望んだ答えが得られたとばかりに、ムツは勢いよく立ち上がった。ちょろい。
その勢いは不安気にこちらを窺っている意識を取り戻したコボルド達を警戒させるには充分で、静かにしろという指示に違反することを恐れながら色めき立った。
再度、“静かに”“座っていろ”と指示をおくり、ムツは奥に歩き出した。
パメラはその後を追う。二人が広間から出ていく様子にコボルドらは露骨に反応するが、一度ムツが振り返るとピタリと静まり返った。
そのままムツを追い抜き、小広間を抜け通路に出る。緩やかなカーブの通路は先が見通せないが、遠くからは採掘音に交じってコボルドの吠え声が聞こえる。この騒がしさゆえに侵入がばれていない訳でありがたい事ではあるのだが、同時に複雑に反響するために距離を図り難い。接近する足音などにもより注意を払わねばならない。
壁を背にカーブの先の様子を覗う。この鉱山は石炭も採れる事もあり、触れると汚れる事が多い。綺麗な濃緑のマントも自慢の栗色のポニーテールも、後で落とすのが厄介な汚れで黒ずんでしまっているが、仕方ない。通路の先にはとりあえずコボルドの姿はない。
この通路をさらに進んでいくと、小広間と4層に続く縦穴への分かれ道に続き、小広間の方はさらに複数の通路に続いている。誘引してきたコボルドらは主にこの小広間周辺での採掘を行っていた。この周辺はもうもぬけの殻だが、警戒は怠れない。もし新たなコボルドが居れば、それは他のコボルドが居ないという異常事態に警戒しているはずだからだ。
4層へと続く縦穴は静かだ。ワーカーが普段使いの穴だが、3層と4層を行き来する事は少ないらしく、穴の下からも気配はない。小広間側も近くからは大きな音はしない。しかし、パメラの耳は複数の足音を感知した。近づいて来ている訳ではない。距離もある。
パメラは懐から鏡を取り出し、身を隠したまま小広間を窺った。薄暗い坑内で細部は見えないが、動く個体が複数いる事は判る。幸い、こちらを注視している様子はない。
後ろを振り返るとムツが背中で手を組みながら歩いてきている。右手を肩側から、左手を腰側から回す、肩関節のストレッチ。呑気なものだ。敵の存在を知らせると、静かに壁際に寄った。パメラは小部屋を覗き込み、すぐに戻った。
目を瞑って、高鳴る心音を平常に戻そうと試みる。人間、予想外の出来事には体を固くするものだ。それは感情の起伏が大きい小さいは関係ない。本能による反射だからだ。2秒。異常を感じたムツの表情も真剣だ。
パメラとムツは、サイリン鉱山奪還に向けて、一つの方針を打ち立てた。“殺さず、奪わない”だ。奪還への工程はシンプル。力を見せつけ、交渉相手を引きずり出し、現状変更させる。いずれ交渉をしたいのであれば、無駄な恨みを買うことは望ましくない。殺さず力を見せつける事は簡単ではないが、実際今のところは上手くやってのけている。これを続ければ、コボルド側にも「普通の敵じゃない」事は伝わるはずだ、との思惑だ。
工程の第一段階、「打倒」。何を打倒するのか? どうやって力を見せつけるのか? 数多くのコボルドを殺さず無効化し続ける。それも大事な基礎となるだろう。だが、衝撃が足りない。どうすればコボルドに畏怖を蔓延させられるのか? 強大な個の打倒だ。うってつけの相手がいる。採掘を目的とせず、鉱山内の見回りに専従し、数多くの義勇兵を屍に変えて来た賞金首。メリイの敵。2メートルを超える巨躯に特徴的な白と黒の斑模様を宿す、死の斑。通称、デッドスポット。こいつを「方針」を守ったまま打倒する。“殺さず、奪わない”!
交戦すべきか。厳しい。デッドスポットの攻撃力は他のコボルドとは一線を画す。神官の回復は必須。攻撃の要となる武闘家ムツと盗賊。神官。さらに防御能力に優れた聖騎士と攪乱能力の高い暗黒騎士、汎用性に富む戦士。あといずれか一人でもいれば総合的な戦闘う能力は格段に向上する。勿論魔法使いや狩人の支援攻撃を望めるのなら前衛の攻撃の機会はぐっと増える。理想として厚い前衛を後衛が支援し、盗賊が戦域管制をする6人組となれば、安定性も最大火力も最も高くなる。これは無いもの強請りだ。しかし出直せば神官の支援は得られる。
まして敵はデッドスポット単体ではない。デッドスポットには3体のエルダーが同行している。装備も充実したこちらも精鋭。理想的な6人編成でも躊躇する敵戦力だ。確かに今、敵はデッドスポットの一行以外は存在せず、特に後20分程度は増援の危険も低い。それでも、やはり見送るべきだ。目標を見据えた時無茶は避けられないが、今はその時じゃない。今日の経験を神官とも分析共有した上で、万全を期してデッドスポットには当たれば、厳しくはあっても勝機はある。ムツならばそのわずかな勝機を引き寄せる事も可能かもしれない。引くことは悪い事じゃない。
「デッドスポットと精鋭3匹か?」
「はい。お付きのエルダーも今日戦った監督官とは別物と考えるべきです」
「4対2。厳しいな。この状況にメリイがいれば、迷う事は無かったのだが」
パメラはほっと嘆息した。考えている事は同じだったらしい。ムツは馬鹿じゃない。無茶はするが、考えた上での行動なのだ。そう、機会はこれから作っていける。お金の問題こそあるが、まだ1日目で焦ることは無い。
「ちなみに、盗賊は正面からの接近戦をする職じゃないが、パメラならその精鋭相手に1対1で時間稼ぎはできるのか?」
「打倒でなく時間稼ぎなら、オークだって問題ありませんよ。だから先制攻撃で一匹を無力化できれば、私と神官で一匹ずつ受け持ち、ムツさんにはデッドスポットに集中してもらえます」
神官も前に出られる前提となるし、これは守るべき神官が前に出てしまうというセオリーを無視した戦術になり、さらに増援への警戒が薄くなる危険も冒すことになる危険な作戦ではある。だが、博打ではあっても勝機はある。
「よし。頼む」
――頼む? 頼むって、何を?
ムツは良い笑顔で立ち上がった。瞬間、否定したい理性がムツを捕まえようと手を伸ばすが、空を切った。高速回転するパメラの頭脳は、一つの結論を導き出している。制止を叫びたい。でもそれが許される状況じゃない。いつから
「加減出来ないから、ある意味運任せになるが」
ムツは飛んだ。いや、飛ぶように駆けた。丸太の様な脚は濃密な気により爆発的な推進力を生みだし、ムツの巨躯を投げ飛ばした小石の如く運ぶ。まばたき程の時間であっという間に距離を詰めたムツは、そのまま精鋭コボルドの一人を蹴り飛ばした。完全な不意打ちは鎧の上から行われ、吹き飛ばされた精鋭は放物線を描いて壁に衝突した。
さらにムツは止まらない。勢いを殺さぬままに次の精鋭に向かう。ターゲットにされた精鋭は盾を構えるが、ムツはその盾に体当たりを行った。今度は吹き飛びこそしなかったがゴロゴロと地面を転がりった所をムツが馬乗りになった。両膝で剣と盾を持った腕を抑え、両手で顔を殴りつけた。2発、3発、4発。拳が振り下ろされる度に何かが割れる音が響き、精鋭の頭がバウンドする。5度目の拳を最後にムツが立ち上がる。精鋭の突き出た鼻や顎はあらぬ方向へ折れ曲がり、無残な状況だ。
この世界には様々な職があり、それぞれに特徴がある。攻撃力が欲しければ、大きな武器を選ぶとよい。接敵する職なら頑丈な鎧や盾の防御力が頼もしい。武闘家はその利点を捨て去っている。身体強化は制限が大きく、継戦能力に欠ける。代替できる強さに、大きな弱点。しかし武闘家には他の職に無い圧倒的な強みがある。爆発力。特に、機動力だ。軽装であるということは、動きを阻害されないという事だ。そこに爆発的な移動力の強化が行われれば、他の職の追随を許さない圧倒的な機動力を得る。
ムツは、精鋭二体を速やかに排除した。運任せ。それはそうだ。これで殺さずにおけたかは、怪しい。二体目は痙攣して気絶しているだけに見えるが、最初に吹き飛んだ方はピクリとも動いていない。
パメラも遅ればせながら走る。独断で先行したムツを責める気持ち――不快さは、この一瞬で吹き飛ばされていた。鮮烈すぎる。予想を遥かに超えている。後先考えなければこれほどに武闘家はこれほどのパフォーマンスを発揮するのか。だが同時に、強烈な不安が湧き上がる。これほどの攻撃を、いつまでも継続できるわけがない。実際、ムツの攻撃は止んでいる。デッドスポットに向かってはいるが、攻撃する気配はない。できないのだ。休まないと、満足な強化ができない。それはどれくらいの時間か? 判らない。情報が足りない。今日が組んで初日なのだ。殺される。ムツが殺される。
しかし、何ができる? どうしたらいい? 走りながら投げナイフを取り出す。デッドスポットを攻撃するべきか? それとも予定通りもう一匹の時間稼ぎに務めるべきか? どちらだ?
「パメラ! 頼むぞ!」
ムツの声に反応する。最後の精鋭はもうムツに駆けだし始めている。数舜後の予測位置を把握。投げる。ナイフは誰も居ない場所に向かって進み、精鋭に命中した。
「!?」
鎧にはじかれたものの思わぬ攻撃に精鋭の意識がパメラに向く。同時にもう一本投げナイフを取り出す。だが投げない。それよりも走って距離を詰める。強制的に警戒させられた精鋭は、パメラに向かわざるを得ない。これで良い。これでムツはデッドスポットと向かい合える。これがパメラにできる事。すべき事。走りながら、ムツを視界に入れた。ムツにデッドスポットの刃が振り下ろされる所だった。
無防備に棒立ちのムツの頭上に無骨で巨大な出刃包丁が迫るが、ムツはデッドスポットの股下に飛び込む形で回避した。前転し、立ち上がる。
「
思わずパメラも立ち止まる。精鋭を視界に入れてはいるが、そちらもデッドスポット側の戦況が気になっている様だった。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫じゃない! 地面が固くて平らじゃないから手が切れて血まみれだ!」
「真面目に!」
「真面目だ! よし、反撃行くぞ、
ムツがふざけている訳でないのは判る。今のも危機一髪だった。恐怖が無い訳が無い。掠っただけでも神官が居ない現状、致命傷になる。奮い立たせているのだ。ならパメラも役割を果たなければ申し訳が立たない。
「よそ見していていいのかな?」
精鋭に向かって歩く。役割は時間稼ぎ。盗賊は戦士や聖騎士とは違い、軽装だ。真正面から敵と戦う職業じゃない。精鋭コボルドは今日戦った他のエルダーよりもさらに大きい。ムツよりは少し小さい程度で、身長180センチ近くはあるだろう。小柄なパメラと比較すれば一回り以上も大きい。近接戦において、体格差は絶対的なアドバンテージだ。他の条件が同じなら、体の大きな方が勝つ。なら、この差は他の何かで埋めなければならない。
例えば武器。精鋭の武器は片手剣。切れ味は良さそうには見えないが、なかなかの重さがありそうだ。対してパメラの武器はククリナイフ。重さで叩き斬る、ナイフと云うより鉈の方が近い武器。だが重さでは敵の剣に劣る。当然リーチも及ばない。
では、何で差を埋めるのか。
精鋭が突きを繰り出した。なかなかの鋭さ。でも、安易だった。
「ゲアッ! グォン!」
差を埋めるのは、技術だ。力が無い分、一撃必殺はなかなか狙えない。でも手数で補完するのが盗賊流の正面戦闘術だ。
ククリナイフの重さに任せて一振りすると、血が飛んだ。手は残念ながら浅かったようだが、
精鋭の剣が刃を身に寄せた防御の型になる。パメラは集中して無感情となっていた表情に笑みを作った。目立つようにククリナイフをぶらぶらと揺らし、同時に手で掛かってきなさいと挑発するも、精鋭は動かない。だが、これでいい。
パメラの目的は時間稼ぎであり、増援要請の防止であり、不測の事態への警戒だ。眼前の敵を倒す事ではない。警戒して膠着するならそれで良し。無理に強攻して倒し切る必要はないのだ。
「セオッ!」
「ヴォン!」
ムツが繰り出した前蹴りはデッドスポットの剣で防御され、反撃にムツは距離を取った。
衝突音は大きかった。
デッドスポットも終幕が近い事を感じたのか、小刻みな剣筋を止め、再び大上段に構えた。今度は下に逃げられる事のないよう、重心を下げているのが伺える。
「行くぞ、
ムツが距離を詰める。早い。だが最初程じゃない。回復しきっていない!?
剣が振り下ろされる。油断なく、必殺の意思をもって。瞬間、ムツが加速した。刃の根本がムツの肩を切り裂くが、至近に取りつくことに成功する。そこでムツは拳も蹴りも振るわなかった。ムツがデッドスポットの右腕にしがみついたと思うと、ゴリッと音がした。デッドスポットはムツを反対の左手を伸ばし捕まえ、噛みつかんと大口を開き牙を剥いた。
「片手で抑えられるものならば!」
ムツがデッドスポットを振り払う。触れ合うような顔の距離。両手を跳ね上げられたデッドスポットに、ムツは上段蹴りを放った。綺麗な足の軌道が、デッドスポットの鼻先と顎を横から叩き、斑の大コボルドは膝をついた。
「でかくても効くだろ? 弱点だものな、お前らの」
身長の逆転したデッドスポットの肩を掴み、ムツは飛び膝蹴りを顎下にかち上げた。巨体が、後ろに沈んだ。
「オオオオオオオオッッッ!!」
ムツが吼える。勝敗を示す雄叫びに、最後の精鋭は蒼白になった。決着だ。
「ムツさん」
「ああ、悪い。――
ムツが吹き飛ばされた精鋭に近づいていく。
「おおッ、白目向いて泡吹いているが――生きてるな。良かった。吐血もしてないし、呼吸も安定しているから内臓も無事なはず。多分」
「何よりです。じゃあ、帰りましょう」
「そうだな。……しかし、これだけ戦っても実入りはゼロっていうのは、流石にどうなんだろう? 多少の――例えば斑の包丁なんかを――」
「ムツさん」
「しかし、パメラ」
「殺さない」
ムツは嘆息して「奪わない」と言葉を重ねた。
パメラは満足そうに、流石に演劇調が過ぎるかなと思いながら、大げさな身振りで「それで良いのです」と仰ぎ、傷だらけのムツと合流し握手した。
出口。2階層へと続く拠点にしていた小広間へ足を向けると、丁度そちらから吠え声が響いて来た。
「あれれ。もう少しもってくれたら良かったのに。残念」
「最後に一仕事増えたな」
「そうですね。あと3分我慢していたら、怖い目にこれ以上逢わなくて済んだのに」
然程の時間もかからず、大きな騒ぎになるだろう。でも、急がない。示し合わすことなく、二人は一斉に振り返った。
最後の精鋭コボルドを、二対の視線が射抜いた。硬直していた精鋭が、剣を取り落とし、首を激しく横に振った。最後に、首を横に振るという動作がやはりコボルドにとって否定を意味することも確認できた。パメラは一番重症な精鋭を指さす。
「治療をしてあげると良いよ。早くね」
返事は期待していない。言葉の意味が通じていなくても、拠点広場での対応が情報として伝われば、こちらの云わんとしていた事は後から判る。話しておくという事が大事なのだ。
パメラは名残惜し気に武器を見つめるムツを引っ張って、騒めきが広がる帰路に就いた。
お説教が色々と必要だな、と思う。ムツの手は暖かい。足取りは軽い。
ご覧いただき有難う御座います
これよりストック貯めに入ります
再開は6月中旬~7月上旬で、また週1投稿をする予定です
また感想、評価、メッセージ、誤字報告を有難うございます!
感想などは頂けるとマイページに表示されるのですが、その素敵な赤表示が、ついついやりがちな新作掘りや更新チェックの時間を執筆に当てる原動力になっています!
7月8日追記
更新遅れます……