壺中の天とグリムガル   作:カイメ

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1-3 洗礼

 どうしてこんな事になっているのだろうか。ムツは、レッド―ムーン義勇兵団の事務所で、所長兼ホストのブリトニーと差し向かいで二人、まだ朝から抜けきらない時間だと云うのに酒を馳走になっていた。

 手元には硝子のグラス。ずっしりと重く、透明とはいかないが、オルタナでは珍しい。しかし、中身はもっと珍しい。シェームと呼ばれる蒸留酒だ。灰色に近いグラスをして、黄金色が美しい。

「どう? 美味しいでしょ? お祝いだから、遠慮しなくていいのよ」

 もう一口味わう。ムツがシェームを僅かに口に含み、舌の上で転がすと、アルコールの強烈な刺激と共に、穀物由来の僅かな甘みと強い旨み、そして熟成に用いた樽の芳醇な香りが広がった。文句なしに美味い。

「シェームは、スコッチっていう神の酒を模して本土で作られているの。模しているって云っても、実物が存在するかなんて眉唾だし、シェームの製法自体が秘伝らしくって流通は限られてる。勿論、のシェームの模造品はいろんな所で作られているけれど、本家には遠く及ばないものばかり。それは模造品のさらに偽物だから仕方無いとして、大元になったっていうスコッチって酒は一体どれだけ美味しいのかしらね」

 じっくり味わう様にグラスを傾けるブリトニーは、初めて会った日から髪の色が変わっていた。緑から赤髪へかわり、一部毛先には紫のメッシュが入っている。

「ん? 髪? 戻したの。地毛は赤に近い茶色なんだけどね。アクセントが良い感じでしょ?」

 確かに印象は変わるが、所長から受ける危機感には何ら変わりはない。

 ムツは、黙ってグラスを傾けた。

 本当に、どうしてこんな事になっているのだろうか。ただ、昨日の儲けで正規の団章を買いに来ただけだと云うのに。事務所に足を踏み入れた途端、席に着かされて“お祝い”と酒を振る舞われてしまった。一体何の祝いだと云うのか。

 だが、「美味いな」と素直に感想を告げると、「そうでしょ」とブリトニーが笑った。

「武闘家になったんだってね」

 ブリトニーは虚空を見つめながら云った。返事を期待した言葉ではないらしい。

「活動初日でホブゴブリンを単独撃破。本当に大したものよ。流石にアタシのナイフを避けただけの事はあるわ」

 レンジの方は今何をしているのかしらねぇ、とこぼす。

 そうだった。そういえばこの所長には一度殺されかけていたのだった。あれから数日間、色々ありすぎて忘れていた。武闘家ギルドの地獄の特訓、討伐初日の死闘、さらに昨日の夜の一悶着もそこに加えられるだろう。

 昨日は道場に戻ると道場主のクヌギとその娘のクラウディア、そして何故か盗賊ギルド員のバルバラが待っていた。クヌギとクラウディアは帰還を祝福してくれたが、バルバラは盗賊ギルドへの引き抜きを主張して止まなかった。

 だがそんな重大事は本人の意志を無視しては進められない。目の前で引き抜きを打診されているのに、クヌギは余裕顔。それがまたバルバラの癪に触るらしく、激しく詰め寄られた。

 だが、断った。あの死闘を超えて、武闘家は自分に合っていると確信した。なにより、循環気流(オーラ)の成長するその先を体感したいという気持ちが強い。クヌギが余裕なのはその気持ちを共感しているからだろう。

 はっきり拒絶されると、バルバラはどうにもならないと悟ったのか、無言で踵を返してしまった。引き際を見誤らないのは盗賊の美徳か何かなのだろうか。しかし、これだけ自分のことを思って目をかけてくれている彼女を拒絶するだけなのは本意ではなかったので、その背中に翌日の酒席の誘いをかけた。

 結果、振り返ってはくれなかったが、約束を取り付けることができた。

 ――そうだった。今夜は楽しみが待っているのだった。それなら、この謎の時間にも耐えられるというものだ。

「それで?」

 ブリトニーの目線が戻っていた。

 それでとは何だ? 本題か? 何を聞きたい?

「昨日はどうだったの?」

 それが本題? どう云う意図だ? 個人的に興味を持たれる間柄では無いはずだが。何を知りたい?

「ホブゴブリンの討伐の事か?」

「それもあるけど、全体的に。武闘家はどうかな、と」

 ああ、所長の興味の矛先は武闘家についてか。確かに珍しい職だから、義勇兵団の長としては話を聞きたい気持ちは分かる。

「やはり、正直なところ装備がきつい。攻撃は兎も角、防具は実質左手のこの手甲だけだから、避けるしかない」

 手甲は鉄製で、中古の防具の宿命として傷は多いが、機能の保証をずしりとした重さがしている。が、命を預けるには余りに軽い。

「そうね。パーティーの中衛ならともかく、正気じゃないと思うわ。それでも転職は考えていないみたいだけど、それは何故?」

「所長、随分踏み込んだ質問をするじゃないか。酒の代償とでも云いたいのか?」

 ごめんなさい、そんなつもりじゃないのよ、お酒は本当にアタシからのただのお祝い、とブリトニーは苦笑した。

「そうね。こっちも胸襟を開くと、武闘家に興味があるの。アタシがなりたいって事じゃ無くって、どうして武闘家は武闘家である事を止めないのか、って、不思議で。だってそうでしょ? あんたの云う通り、危ないでしょ。命が惜しくないの?」

 惜しいに決まっているだろう。だが、そんな回答は求められていない。

「何だ、武闘家に知り合いでもいるのか? いや、いたのか?」

 今、この街にはクヌギと自分しか武闘家は居ない。他の場所へ行った可能性やこの町由来じゃない武闘家も居るかもしれないが、話の流れ的にはそうではないだろう。

「・・・・・・そう。察しの通り、アタシは、アタシ達は、昔、武闘家の仲間を失っている。彼もまた、あんたの様に、転職を勧めてもガンとして聞かなかった。実際彼は強かったし、パーティーの主砲として申し分無かった」

「でも、軽装で身を守る武器も無かったから、死んだ?」

 ブリトニーは酒を口にした。そして、噛みしめるように口を開いた。

「・・・・・・そうね。そうよ。オークの集団だった。突然の襲撃で、防衛準備が間に合っていなかった。乱戦だった。傷を負いながら最前線で一人で何体ものオークの足止めをして、死んだわ。強かった。

――最後の瞬間まで闘っていた。忘れない。大柄なオーク。紫の鎧を纏っていたわ。分厚い装甲だったのに、貫通させて絶命させた。そして彼もまた、手を突き入れたまま力尽きたわ」

 ねえ、どうして武闘家はそこまで戦い続けられるの? とブリトニーはその目を真っ直ぐに、問うた。だが、こう答えるしかない。残っていた酒を煽る。やはり美味い。

「知らん」

「ちょ、ちょっと、あんた、真面目に答えなさいよ。それはないでしょ!」

 ブリトニーはこの返答は予想外だったのか、期待を躱され、テーブルに手を突いて立ち上がった。ブリトニーのグラスの酒が揺れる。

「そいつが何を考えて闘って死んだかなんて、俺が知る訳がないだろう。面識があるでもなし。所長、いや、()()()()()。あんたの仲間が何を考えていたかなんて、今はもう知る術はない」

 途端、ブリトニーは正気を取り戻したかのようにストンと椅子に座り直した。視線を揺れる黄金色に向け、そうね、と呟いた。

「アタシとした事が、ちょっと酔っ払っちゃったみたい」

 ムツが20シルバーの入った袋を差し出すと、ブリトニーはそれを数え、終わると団証を差し出した。

 ムツが団証を受け取る間も、そして席を立っても、ブリトニーはまた、まだ残っている黄金色に目を向けていた。

「だが、俺は今、力の先を見てみたいと思っている」

「――力の先?」

 ブリトニーの似合わない静かな瞳に、ムツは言葉を続けた。

「武闘家は気を操る。その発動中の万能感は、病みつきになる。身体能力が跳ね上がるだけじゃない。この道を極めると何が待っているのか。それをこの身で体感したいという衝動は、多分、多かれ少なかれ、全ての武闘家共通の願いだと俺は思う」

「極み・・・・・・? 壮大な話ね」

「大げさな話じゃない。壁に光刺す穴があったら、向こう側に何があるのか見てみたくなる。その程度のことだ」

「じゃあ、あいつも・・・・・・?」

「だから、それは知らん。常人を遙かに超える強さを持っていたというなら、その欲なくしてそこに辿り着くというのは想像ができんが」

 ブリトニーは椅子にもたれ掛かり、手の中でクルクルとグラスを回した。波立つ黄金色に光が反射した。ムツは事務所の扉をギイと開けた。

「ムツ。今日もダムローへ?」

目線だけこちらに向けたブリトニーの声は心なしか明るい。首肯する。

「なら、帰りに寄りなさいな。他にも良い酒があるの」

「生憎、今夜は本物の美女と先約がある」

「本物の、ですって? 失礼しちゃうわ。ん? 美女?」と閉じる扉の隙間から嬉しげな声が聞こえてきた。間違っても深読みしないでくれよ。酒の礼の、軽いリップサービスだ。

 

「うーん、無いな」

 午前中意外と時間を取られてしまったが、ムツは事務所を出た後すぐにダムローに足を運んでいた。瓦礫に隠れながら単独のゴブリンを探し、集団からは息を潜める事数度。日が傾くこの時間まで4体のゴブリンを狩っていた。

 道を意識するとはなしに、北部には近づかない様にダムローを徘徊していたところ、昨日のホブゴブリンの戦場へまたやってきていた。だが、死体が無いのだ。

 身ぐるみを剥いでおいて偽善も甚だしいが、一応綺麗に並べておいたホブゴブリンも含めた3体の死体が見当たらない。そういえば、死体はどうなっているのだろうか。

 人間は死ぬと不死の王(ノーライフキング)の影響により、死んだまま徘徊して人を襲うゾンビになると云う。だから必ず焼かないといけない。ゴブリンはどうなるのだろうか。答えは出ないが実際死体は無い。ゴブリンは兎も角、もしホブゴブリンがゾンビになっているのなら目立つはずなのだが。他のゴブリンが回収したのか。まさか一日で腐敗して消滅はすまい。

 それにしても、昨日は4体分の収益で大きな黒字が出たというのに、今日は同じ4体でも酷く実入りが寂しい。穴の空いた銀貨と牙がいくつか回収できたのみだ。昨日、錆びてボロボロな剣では殆ど金にならなかった。だから今日はそもそも重くて邪魔になるだけなので回収していない。甘く見ても5シルバーはいくまい。落差が激しい。

「ん?」

 廃墟に隠れながら様子を伺う。軽装のゴブリンだ。一般的なゴブリンと比べても軽装で身体が小さい。きょろきょろとせわしなく、強そうには見えない。金になる物も持っている様には見えない。

「まあ、一応狩っておくか」

 正直面倒だが、口に出す事で決心がつくことは多い。ムツは一気にゴブリンに奇襲を仕掛けた。

「イイイイイイイイイイイ! オオオオオオオオオオ!」

 こちらを確認したゴブリンが吼え、ナイフを構える。もういい加減慣れてきている。対応は造作もない。

 ムツはゴブリンの初撃を避け、リーチのあるミドルキックを放つ。

 人間相手では銅狙いになるこの蹴りでも、小柄なゴブリン相手では頭部狙いとして機能する。蹴りは見事に命中し、ゴブリンは地をゴロゴロと転がった。

「ぐう! イイイイイイイイイイイ! オオオオオオオオオオ!!」

 脳震盪を起こしたらしい。片手を地についたまま、とにかく絶叫し続けるゴブリンに、ムツは接近し、立たせない。ゴブリンは膝立ちのまま、ナイフを腕だけでぶんぶん振る。遅いし、力もない。狙って手を蹴り上げると、あっさりとナイフを取り落としてしまった。

「ぐううううううううう・・・・・・」

 ゴブリンは絶望の声を上げる。さあ、止めだ。思い切り足を頭の上まで振り上げ、一気に落とし、踏みつぶす。ゴブリンは頭を破壊され、息絶えた。

 瞬間、避けられたのは偶然だった。頭をのけぞらせると、何かが通り過ぎ、後方の廃墟の壁に突き刺さった。金属の小型矢。クロスボウ用のボルト。弩兵。増援。いや、こいつの仲間か。

「ぐううううううううううううう!」

「イイイイイイイイイイイイイイ!」

 さらにドタドタ、ガシャガシャと近づいて来る剣と斧を持ったゴブリン2体。どちらも鎧で武装している。剣持ちは軽鎧。斧持ちは重鎧に兜も着けている。弩ゴブリンと併せて3対1。不味い。さっきのは斥候か? するとあの絶叫は仲間を呼ぶ合図? どうして考慮しなかった? 油断。

 剣を手甲で受け流すと、ギギッと嫌な音を立てた。刃が通らなくても、剣は鉄の塊には違いない。その振り下ろしを受ければ当然衝撃は腕に残る。手甲の下の腕の痛みは、痣ぐらいにはなっているだろう。完璧に受けても、何度もやられればいずれ腕が壊される。

 続いて、斧を避ける。こちらは刃がゴブリンの顔ほどもありそうで、振りが遅い代わりに当たったらただでは済まない。手甲での防御も避けるべきだった。

「糞。糞、糞、糞ッ!」

 剣持ちがどんどん打って出て、斧持ちが後ろに回り込もうと動いてくる。冗談じゃない。後ろの斧持ちが振りかぶった。ムツは剣を避ける軌道で前に出て、同時に後ろの斧も躱す。反撃をと思った瞬間、右肩に激痛が走った。

「ぐッッ!」

 右肩に細長い金属の棒、ボルトが刺さっている。弩ゴブリンだ。冗談みたいに痛い。当たり前だ。肩の根本、骨に深々と刺さったボルトが、物理的に動きを阻害している。僅かに動かそうとしただけで、激痛が走る。指と、何とか肘は動くが腕は上がらない。利き腕をやられた。

 とにかく弩ゴブリンを視界に入れたまま、剣持ちと斧持ちから距離を取る。しかし、二匹は即座に左右に分かれて襲いかかってきた。もう、駄目なのか。

 諦めかける思考を余所に、身体はまるで自動人形の様に避けてくれる。まずは向かって右から来る素早い剣の初撃を避け、斧の軌道を予測。左手から迫る鈍重な斧持ちに背を向け、もう一度振るわれた剣と併せて、ムツは同時に避けた。曲芸的な回避だ。さらに剣持ちの腹に、「ドスッ」と至近から膝蹴りを加え、距離を取った。顔に入れば鼻を折るほどの衝撃でも、鎧に衝撃を吸収されてしまい、然程のダメージもない様子。剣持は少しふらついただけで、けろりとしている。リスクとリターンが全く釣り合っていない。さらに悪いことに、弩持ちの再装填が完了してこちらに弩を向けるのが見えた。

 じり貧だ。なぶり殺されるのを待つだけだ。今背を向けて逃げても射られるだけ。ならば。

循環気流(オーラ)ッ!」

 肉体強化し、弩ゴブリンを何としても先に倒す。リスクは踏み倒す!

 体勢低く、走り出す。接近ゴブ2体がこちらの意図に気付くが、もう遅い。ここから数秒間は1対1だ。ボルトが放たれる。一歩の半分の半分にも満たない一瞬でムツの顔を狙い、飛来する。だが、循環気流(オーラ)で強化された肉体は、脳が命じた対処を間に合わせた。ボルトは手甲に弾かれた。あと3歩、2歩、1歩。弩の再装填はおろか、他の武器も抜かせない。

「セオッ!!!」

 伝家の宝刀、強化された前蹴りが弩ゴブリンの顔面に突き刺さり、10メートル以上も吹き飛ばし、弩ゴブリンは力なく慣性のままに転がった。確実に殺った。あと2匹。問題は、暫く強化の反動が残ることだ。時間経過で徐々に回復するが、今、それは致命的だ。できれば30秒、最低15秒時間を稼ぐ。

「おい、ゴブ」

ムツはあえて胸を張り、尊大にゴブリンに話しかけた。言葉が通じないのは判っている。だが、ゴブリンはわめきながら、近づいてくる足を止めた。

 その目には仲間を殺された怒りがみなぎり、同時にとてつもない攻撃力を見せつけたムツへの恐怖が混在していた。

「逃げるなら、見逃してやるぞ」

 時間を稼がなければならない。強者の余裕を見せろ。手負いの弱気は欠片も出すな。

 ムツは、左手を見せつける様にわきわきと開いたり閉じたりしながら、ゆっくりと接近し始めた。剣持ちゴブリンは動揺している。だが、斧持ちは怒りが勝ったらしい。

「がああああっっ!」「ぐうっ、ぐうっ」

斧持ちの鼓舞に、剣持ちも剣を構え直した。

――駄目か。なら逃げよう。ムツが逃走を図った瞬間、斧持ちが斧を投擲した。ひゅんひゅんと斧は不規則な回転で飛んできて――ざくり、と走りだそうと踏み出したムツの左太ももを抉った。

「ッッッ!」

 掠っただけだ。だが、機動力は落ちた。何より、出血が多い。逃げられない事よりもこちらの方が問題だ。早く止血しないと勝敗以前に失血死する。どちらにせよ、短期勝利しないと命はない。

 もう後がない。ゴブリン達もここが勝機と、鎧をがしゃがしゃと鳴らして駆けだしてくる。斧持ちだったゴブリンはナイフを抜いている。どうする。鎧に覆われた部分に攻撃を加えても、先ほどの膝蹴りの様に効果は薄い。右腕は上がらず、軸となる左足の負傷は蹴りの威力を落としている。まともなのは左腕のみ。それで、どうにかするしかない。

「はっ! ははははははははははははは!!!!!」

 笑いとは、追い詰められた時にも自然と出るものだと知る。ある意味開き直らないと、圧倒的不利な状況から勝利に命をベットできない。

 まずは剣持ちを対処する。ナイフは最悪死なない位置なら喰らっていい。

循環気流(オーラ)

 静かに、次の一瞬に備える。鈍足の元斧持ちよりも、剣持ちの方が一瞬早く接近してくる。縦の斬撃から派生してくるつもりだ。何度も見た。だが、二撃目は打たせない。

 裏拳。ムツは、剣を、真正面から手甲で殴り飛ばした。剣は大きく弧を描いて飛んでいく。

「ぐうっ!?」一瞬、硬直する剣持ちだったゴブリンの首を左手一本で掴み、持ち上げ、そのまま後頭部を地面に叩きつけた。目玉が飛び出る程の衝撃を与えた。こいつも確実に戦闘不能だ。万が一死んでなくてもまず起き上がれない。

 しかし、鈍足ゴブリンのナイフが迫っている。叩きつけた体勢で、避けられない。腹を狙っている。受ける場所を調整するぐらいしかできない。覚悟を決めるしかない。

 ムツは、無理矢理姿勢を回転させ、肘のみの動きで前腕にナイフを迎え入れた。こちらには手甲はない。突き刺さる。この世のものとは思えない痛み。信じられない。循環気流(オーラ)が切れる。連続2回の循環気流(オーラ)使用の代償は、大きい。まるで50キロの荷物を背負っているようだ。立っていられても、跳んだり跳ねたりは身体が十全であってもきつい。いわんや、今の状況では・・・・・・。だが、もう一度、使う。3回目は、循環気流(オーラ)を使ったとしても、通常時の戦闘力までも回復しないし、効果時間も2秒も無い。実験済みだ。戦闘継続の限界点。しかし、やるしかない! その後の事は考えない。

 ムツはナイフが刺さったままの右手で、ゴブリンの手首を握りしめた。これ以上、右手は何も出来ない。でも、この手首だけは、絶対に離さない。左手を振りかぶり、右耳の辺りまで持ち上げる。同時に、体勢を地面ギリギリまで下げる。足が焼けるように痛み、出血が増えるが、気にしない。準備は出来た。

循環気流(オーラ)ッッッ!!!」

 手刀。低い体勢から繰り出されたそれは、手首の拘束から逃れようと必死のゴブリンの首の下に吸い込まれた。兜と鎧の隙間だ。ゴブリンの顎下は手を固定されている事でその衝撃を一点に受け止めた。ゴブリンの身体がブワリと浮き上がる。

「おおおおおッッッ!!!」

ムツは、そのまま掬い上げるように振り抜き、勢いのままにくるりと一回りすると、何かに引っ張られ、膝をついた。そして、首をだらりと背中に落として崩れたゴブリンを確認した。右手はまだゴブリンの手首を握ったままで、それに引かれたからだった。

 身体が重い。傷が痛い。眠い。疲れた。全身が生命の緊急事態を主張している。だが、とりあえずは血止めだ。血止めをしなければならない。しないとどうなる? どうなるのか。頭が重い。考えるのは後だ。気付けば、バックパックを背負ったままだった。下ろし、足と脇腹の止血をする。満足に動くのは左腕のみ。そういえば、右腕にはナイフが、右肩にはボルトが刺さったままだ。だが、抜いたら死ぬだろうな、と思った。そもそも抜く力があるのか、微妙なところだ。

「勝った・・・・・・んだな」

笑う膝を押しやり何とか立ち上がり、見渡せば、確かにゴブリン4体の死体が転がっている。だが、弔ってはやれないし、勿体ないが戦利品も回収できない。床に降ろしたバックパックも、拾うのが億劫だ。ここに置いていく。

「帰ろう。オルタナへ」

 そうだ、帰ろう。

 

 オルタナが北区、ルミアリス神殿。その入り口前の階段で、見習い神官メティスはぼうっと夕暮れに照らされる神殿前広場を行く人々を、頬に手を突き座って眺めていた。

「メティス、どうしたの? 何か考え事?」

ふと、声をかけられる。上級神官のアルメナだった。日暮れの光に上級神官の白地に青のラインが入った正規神官服を照らされている。メティスの神官服とデザインこそ同じだが、材質は明らかに正規神官服の方が上等だ。

「お疲れ様です。アルメナさん、遅かったですね」

「帰りにヨロズさんの所に寄ったんだけどね、これが混んでいて。日暮れになっちゃったわよ。・・・・・・で? メティスはこんな所で何をしていたの?」

 何をしていた、と問われても、実際何をしていた訳でもない。

「もしかして、この間の義勇兵の事でも考えていた? 昨日派手にデビューしたって云う、例の?」

 色んな事を考えていた。自分の才能の無さ、将来。今日の患者さんの治療についてや、教徒の皆さんの励まし。それに加え、噂話。一週間ほど前に治療を担当したムツさんと云う義勇兵の、昨日の戦果の話。純粋に凄いな、今日はどうしているのだろう、とは思っていたので、彼の事は考えていなかった、と云えば嘘になる。

 アルメナはメティスの答えあぐねた様子に、首を振った。

「メティス、義勇兵は止めておきなさい」

 やはり誤解された。アルメナさんは、色恋の話が好きだから、そう解釈されてしまうと思った。確かにムツさんは怖そうに見えて実は丁寧で優しい所が面白いし、凄く年上に見えて、多分アルメナさんとそう年は変わらなくて親しみやすいけれど、恋とか好きとかそういう人じゃない。そもそもまだ1回しか話した事がないし。

「違うんですよ。そう云う特別な事を考えていたんじゃないんです。ただ、昨日の噂話を聞いて、一人は寂しくないのかな、って・・・・・・」

「そうなの? でもまあ、恋ってのはどこから始まっちゃうかわからないからね」

 どうしてもそっちに話を持っていかれてしまう。アルメナさんは腕も良くて頼りになって、助けてくれて、とてもお世話になっている4つ上の先輩だけれど、ここだけは少し困る。この間も、アルメナさんの担当の患者さんと、その弟さんとのダブルデートを提案されて、困った。

「ほら、大きな声では云えないけど、義勇兵はいつ死んじゃうか判らないでしょ。いっくら好きになって結婚して、子供ができても、勝手に死なれちゃったら一人で育てないといけない。それって、凄く不幸なことよ。女にとっても、勿論子供にとっても」

 話はわかる。でも、それって誰かを好きになる前に考えなきゃいけない事なのかな。好きになるってもっと純粋で良いもの・・・・・・な気がする。

「不満そうね。メティスはすぐに顔に出る」と、アルメナは朗らかに笑った。メティスはこの笑顔は大好きだった。

「でも、本当に特別な何かがある訳じゃないんですよ、アルメナさん」と苦笑すると、アルメナは「じゃあ」と言葉を続けた。

「今度の休みでいいかな? ダブルデート」

 しまった。そう話をもっていく? もの凄く断りづらい。

「まぁた困ってる。本当に嫌なら断ってくれていいけど、一回ぐらい遊んでみても良いと思うわよ。兄弟揃って城務めで家もしっかりしていて、真面目。間違っても最初のデートで手を出してきたりはしないわ。気軽に試してみればいいのよ」

 お兄さんの方とは少しお話ししたけれど、弟さんの方とは会ったこともない。それでデートと云われても、怖い。困る。

「そんなんじゃ、いつまで経っても恋人なんて出来ないわよ、この仕事。あたしを見なさい。こんなに美人なのに、万年男日照り。もう21だってのに――ん?」

 アルメナが広場の先に視線を向けた。広場の人々も、足を止め、皆一方に視線を向けていた。視線の先には、男が一人、歩いてくる。

「ムツさん!?」

 云うや否や、メティスは階段を一足飛びに駆け下り、広場を走り出していた。近づくに連れ、ムツの状態がよりはっきりと見えてくる。全身酷い出血で、汚れの目立ちにくいはずの黒い道着は赤黒く変色している。肩と腕には矢とナイフが刺さったままで、引きずる足の付け根からは、止血のために縛っただろう白い布が真っ赤に染まっていた。

「メティス。また頼む」

 言葉はしっかりしているが、ムツはふらついている。当たり前だ。出血の量が多すぎる。時間の問題で、本当に死んでしまう。

「ムツさん、これ、一体・・・・・・。これは私の癒し手(キュア)じゃっ・・・・・・」

 そうだ。アルメナさんなら。光の奇跡(サクラメント)なら。

「あー。これは治療室で矢と刃を抜いてからの方が良いね」

 振り返る必要もなく、アルメナさんは付いてきてくれていた。なら、早く、治療をしないと。神殿までなんて待てない。一刻を争う傷に見える。

「アルメナさんっ!」

「落ち着きなさい、メティス。こんな公衆の面前で、神官が声を荒げるものではないわ。――丈夫そうなお兄さん、そこの神殿までまだ歩けるかしら?」

「問題無い」

「大丈夫そうね」

 ちょっとまって。アルメナさん、本気? ムツさんに何か恨みでも・・・・・・!?

「メティス、そう睨まないの。ここじゃ道具が無いでしょ。冷静になりなさい。死にはしないわ。心配に思うなら、すぐに始められる様、先に行って治療の準備をしておきなさいな」

「なら、私が付き添います!」

 メティスは、ムツの腰に手を回し支え、無事な左脇に肩を入れた。

「メティス、汚れる。それに重いだろう」

「神官は意外と力持ちなんです。だからムツさん、体重を預けてくれて、大丈夫!」

 メティスは気弱そうでいて、強く、頑固なところもある。アルメナは、仕方ないわね、と神殿に向かった。背後、小柄ではないが恵まれた体格でもない後輩が大柄な男を支える為に顔を真っ赤にして、泣きそうな顔で杖代わりになっていた。

「特別じゃない、ね」

血に汚れた神官服。一度三つ編にした上で綺麗に編み上げられた美しい金髪のシニョンも血にべっとりと濡れてしまっている。神官としては非常に好感の持てる姿ではあるが、どう見てもただの患者に対する反応には見えない。

「デートは、お預けね」

 了承してしまった約束のキャンセルには、ため息が出る。しかし、可愛い後輩を本当に困らせるだけならば、仕方ない。だが・・・・・・。

「――メティス、義勇兵は、止めておきなさい」

 呟かれた憂慮は届かない。

 




オリキャラが増えてきたので簡単な情報まとめ。
後書きで情報を増やさない様、注意します。

ムツ
主人公。
同期の中ではモグゾーと並び、大柄な体格を持つ、強面の青年。
後述のメティスからは21歳ぐらいだろうと見られている。
外見に似合わず論理的・緻密な思考を得意とする。
他人に決定を委ねることを恐れる、小心者な側面もある。
武闘家ギルドに所属する。
得意技は前蹴り。

クヌギ
武闘家ギルド長。
四十手前。
一目で鍛えて居る事が判る、鋼の肉体を持つ。
潰れた耳が特徴。
優秀な後継を得るためなら、弟子の死も許容する狂気を持つ。

クラウディア
クヌギの娘。
料理が得意。
クヌギと共に道場に住んでいる。

メティス
17歳。北区のルミアリス神殿に仕える見習い神官。
金髪を三つ編みにしてさらに綺麗なシニョンに編み上げており、実は髪はとても長い。
慎み深く、心優しい。
癒し手(キュア)は使えるが、光の奇跡(サクラメント)は使えない。
神官としての資質に悩んでいる。

アルメナ
21歳。北区のルミアリス神殿に仕える上級神官。
後輩のメティスを可愛がっている。
恋人を欲しているが、非常に現実的。
美女。
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