朝の静謐な空気が道場を満たしている。人々が動き出すにはまだ少し早いこの時間が、ムツは好きだった。この武闘家道場の隅で、ムツは正座で物思いに耽っていた。
板張りの床や壁は手入れが行き届き、何度も修繕されているのが見て取れるが、不細工な凹凸はなく、雑な印象は受けない。どこか神聖ささえ感じる、この天井も高く広い空間を使う人間が、今はクヌギと自分しかいない事が、酷く勿体なくムツは感じていた。
無論、これだけの施設。昔はもっと多くの人間で賑わっていたのだろう。最盛期、戦士ギルドや盗賊ギルドと交流があった頃は、他ギルドからも門弟を取っていた事もあったと聞いている。が、それも今は昔。証左が壁掛けの名札版から見て取れた。
道場の隅、小さな神棚の横には、名札板がずらりと並んでいる。名前が記された表面で吊るされているのは、古ぼけた師範のクヌギの木札と、末席の炭が香る真新しいムツのそれのみ。師範代の一席が不自然に空いている事を除けば、あとは全て裏返しで整列している。これが何を意味しているかは、云わずもがなだった。
ムツは大きく深呼吸をした。冷たい空気が肺に入り、背筋を刺激するが、吐く息は季節柄白く染まることはない。
ムツには迷いがあった。今後の生き方に関わる、重大な選択を迫られている。
原因は昨夜の夕餉の一幕だった。何度も反芻している。命がけのこの稼業、寝なければ体が持たないので寝床には入ったが、結局あまり眠れなかった。
始まりは、ムツの告白だった。
半分ほどに消費された質素ながら手の込んだ夕餉。師範であり武闘家ギルド長であるクヌギと、その娘で今年15歳になると云うクラウディア、そしてムツが食卓を囲んでいた。
クラウディアお手製のパンと、牛乳をふんだんに使ったシチューはどちらも美味で、酒は無くとも笑顔を呼び、皆の口を滑らかにしていた。耳の潰れたクヌギのゴツい顔でも、愛娘へ向ける表情は慈愛に溢れ穏やかで、クラウディアも穏やかに笑っている。クラウディアは肩で切りそろえられた髪こそ父親と同じ黒だが、顔は母親に似たのかぱっちりとした二重瞼の下がり眉で、将来美女となる事が約束された美少女だ。本当に、父親に似なくて良かった。
話を切り出すには、最適なタイミング。ムツは、明日の朝食の希望を告げる様に、今日のマナト達との経験から導き出した話を切り出した。
「クヌギ、パーティーメンバーを募集したいと思っている」
「ほう、そうか。そろそろ
ソロを推奨している節があったクヌギの口から、あっさりと賛意が飛び出し、ムツは拍子抜けした。しかし、その隣の、いくつも年下であるはずのクラウディアの表情にゾクリとした。
「どんな、パーティーを目指すんですか? ムツさん」
彼女のいつもの下がり眉と微笑みは失われ、眉は平行に、無表情になっていた。決してキツイ表情じゃない。ただ、穏やかないつもとのギャップは大きく、平坦な声色と併せてまるで別人を思わせる。
「戦士、神官は必須として、盗賊、狩人、のどちらかも入れて、後は柔軟に決めていきたいと思っている」
敵を支えるモグゾーの様な頼り甲斐のある戦士と傷ついた仲間を癒す神官は必須。敵の発見と増援を警戒できる、盗賊と狩人。これはどちらも入れれば、より不測の事態に備えられる。この基本さえ押さえておけば、安全に、ムツは「敵への攻撃」に専念できる。防具を装備できないという武闘家最大の弱点をカバーできるのは、素晴らしい事だ。生存率は大きく跳ね上がるだろう。
「ムツさんは、武闘家として大成したいのではなかったのですか? それは諦めたのですか?」
「諦めてなんていないよ、ディア。道は長く険しく、鍛練は一朝一夕にはいかない。なら、まず長生きしないと、夢は叶わないだろう」何を反対することがある?
クラウディアは、その大きな眼をクヌギに向けた。
「その構成での活動は、時間の無駄になる」
「なに?」
「仲間を募集するにしても、盗賊か狩人を一人入れるぐらいにしておくのがベスト。現段階でオーク以上を相手にするなら、神官もまあ、有りだ。が、戦士と聖騎士は論外だ」
「まてまて、どう云うことだ。それじゃ、ソロと大して変わらないだろう!?」
「んな事ぁ、無いだろう。手隙の仲間が一人いるのといないのとでは、戦闘中周囲への警戒度に雲泥の差がでる。その意味はとっくに体感したはずだろうが」
クヌギは面倒臭そうに答えると、テーブル中央のパン皿に手を伸ばした。
ムツは、“パーティー”に対する認識に大きな齟齬を感じた。
「もしかして、お父さん、どうしてなるべく一人で闘うのが武闘家の成長に良いのか、話してなかったんですか?」
「どうだったかな。最初に話したような、忘れてたような……」
「どう見てもムツさん、聞いてなかったでしょう! また大事な事を面倒くさがって……。他に話し忘れてることはもうないんでしょうね?」
クラウディアは困った顔でクヌギを叱った。その眉はいつも通りに下がっており、厳しい雰囲気は消え失せていた。しかしムツは、
「何から話したもんかなぁ……。ムツ、お前、今日の戦闘、調子が良く無かったか?」
「確かに、
「それはな、別に特別な事じゃない。成長したんだよ。死にかけて」
「死にかけて、成長した?」
「そうだ。切られて、射られて、血が足りなくてフラフラになっただろう。死ぬかも知れない、これは死んだ。そうやって最大の“危機感”に身を浸らせた。それが、身体に強制的な成長を促した。気は、“危機感”を餌に、成長するんだ」
危機感? そ、そんな馬鹿な。聞いていない。それだと――。
「――それだと、パーティーを組んで、
ムツがテーブルを叩いて立ち上がった。シチューの入った平皿が揺れた。
「そうだな。だから、探すのが大変なんだ、これが」と、クヌギが笑った。これは、断じて
「仲間は一人。狩人、盗賊、神官が良いだって? どれも身を守れる職じゃない! 敵に囲まれでもしたら、俺達武闘家以上に危険だろう。そんな横暴が許される訳がない。そもそも、どこのもの好きがそんな自殺行為に手を貸すって云うんだ!」
「世の中、もの好きや、頭の足りない奴、金が欲しい奴、脛に傷がある奴。結構色々いるもんだ。探すのは簡単ではないが、居ないことはない。本気で探せば、あっさり見つかるんだな、これが不思議と。それに、代わりに敵の攻撃を受けてくれる戦士や聖騎士は入れられない以上、まず矢面に晒されるのはお前だ。いざとなったら真っ先に逃げられる後衛に文句を言われる筋合いはないだろう」
いざという時は仲間に見捨てられるのが前提なのか。
「でもムツさん、繰り返し
「仲間は、補充品じゃないだろう・・・・・・!?」
「ムツ。誰も未踏の気の神髄。武闘家の果てが、何の代償もなく手に入るものだと、思っていたのか?」クヌギは心底不思議そうだ。
仲間の信頼を裏切る行為。あの暖かい充足感と対極に位置する、信用を前提としない関係。だが待て。普通のパーティーに武闘家が加わっていた例もあったはずだ。
「ある程度強くなった後なら、戦士と神官がいる一般的なパーティーに参加しても戦力になれる。そこでも、他の職に比べて成長が遅くとも、全くしない訳ではないし、情が生まれれば、完全に置いて行かれるまでは組んでもらえるだろう。その後はまた格下のパーティーに乗り換えればいい。別に、上を目指さないのであれば、武闘家としてでも生きる方法はいくらでもある」
「それに、強い敵にどんどん挑戦していく、勇敢なパーティーに入れてもらえれば、強くなりつつパーティーも組めますしね」
完全にいつもの二人だ。特別でないことに、恐怖を覚える。二人にとっては、日常を脱しない、常識を語っているに過ぎないのだ。
暖かいシチューは、すっかり冷めてしまっていた。
一晩経った今でも、結論は出ない。武闘家の神髄を目指す。それは修羅の道だ。選べる選択肢は3つ。修羅の道を征く、転職する、どっちつかずのぬるま湯で停滞する。いや、もう一つあるか。一人で死ぬまで闘い続ける。一人でも挑戦し、成功さえし続ければ、理論上最速で強くはなれる。これなら失敗しても、失うのは自分の命だけだ。
生きたい。仲間と分かち合いたい。そして、気の神髄を感じたい。どれを選び、どれを捨てるのかを決めなければ、次へは進めない。どれもこれもは得られない。
ギシリ、と背後の床が鳴った。安普請という訳ではないが、修繕を繰り返した為に軋む場所が多々ある。その一つが、道場と奥の住居を繋ぐ短い渡り廊下に続く敷居周辺だった。
「早いな」
ゆっくり立ち上がり、振り返ると、ムツと揃いの黒い道着に袖を通したクヌギが居た。
「お早う御座います」一礼。道場では師範と門弟の関係だ。普段のギルド長と唯一の構成員という関係とはまた違う。
「一手指南しようか」
「願っても無い事。お願い致します」
答えは見つからない。だが、それでも朝は来てしまう。闘いに身を置く立場である以上、知る限り最高の強者であるクヌギの指導を断る理由は、ムツに持ち合わせて居なかった。
ムツとクヌギは道場の中心へ移動する。
「ムツ、お前が
クヌギの瞳に揺らぎはない。狂気に満ちている様にも、理性的にも見える。あるいは、どちらでもあるのかもしれない。
「俺は、お前が門下に入ってくれて嬉しかった。体格に優れ、地力があり、たった数日で
気持ちは嬉しい。この上ない言葉だ。クヌギの実力は心から尊敬している。だが、まだはいそうですか、頑張ります、とは云えない。
「生き残れれば、大成は俺が約束する。その為に必要な教授は惜しまない。だが、強制もしない。ここで辞めるというなら、それも止めない。・・・・・・無論、気の誘惑は強い。転職しても、ずっと苦しむだろう。一度辞めて戻ってくる者も多かった。だが、そうやって中途半端でどっち付かずだった者は、例外なく死んだ。辞めるのならば、もう戻ってくるな」
重い言葉だ。クヌギは、命を軽んじている訳ではないのだ。目的のために、人として大事なものを自らの意志で捨て去っただけ。それが判った。
「では、始めよう」
はい、と一礼してムツは構えた。今は、悩みを忘れて、身体を動かそう。
「もうディアも起きている。音を気にする必要はない。まだ気は使うな。必殺のつもりで同じ攻撃を3度打ち込んでこい。気の
「参ります」
クヌギは全く構えていない。だらりと腕を下ろし、身体の中心を通る正中線ががら空きだ。だが、無防備じゃない。底知れぬ圧力を感じる。ホブゴブリンや、レンジなど比ではない。相対しているだけでじっとりと汗をかく。踏み込んだ。
「セオッ!」
ムツの前蹴りがクヌギの腹に吸い込まれた。しかし、ガツっとおよそ麻布を纏っただけの人間に命中したに似つかわしくない音が響いた。
「くっ・・・・・・」
足先が痺れる。なんという堅さ。間違いなく、気による強化だ。
「次。力を抜くなよ。同じように全力で来い」判ってる。必殺のつもりで、だろう。
ムツは、軽くジャンプをし、足の具合を整えた。行く。
「セオッ!!」
さっき以上の威力で。せめて、一歩後退させてやる。
前蹴りが先程と同じ場所に突き刺さる。しかし、発する音が違っていた。
「ぐあッッ」
恐ろしく硬い。ゴッ、と云う重い音だった。打ち込んだ右足をすぐさま引き戻しながら、ムツは声を上げてしまった。残った左足で距離を取り、右足をかかとから床に付かせる。それでも、ビシッと鋭い痛みが走った。
「折れたな」クヌギが云った。間違いない。打ち込んだ右足の指の付け根の関節部分が、根こそぎ衝撃に耐えきれなかった。親指以外の4本の脱臼と、根本の骨折だ
クヌギにダメージを与える所ではない。岩だってここまで硬くない。こんなもの、例え
「治してやる。
クヌギがしゃがみ、手をかざした患部の痛みが急速に消えていく。10秒程で、完治してしまった。殆ど神官の魔法と変わらない。外れた脱臼すら手を触れる事無く完治した。自分の
「さて、最後の一撃だ。臆するなよ、先の二撃を上回れ」
怖い。どうなってしまうんだ。治してもらえるとしたって、痛みを感じない訳ではない。だが、躊躇はできない。指示に従うには最高の攻撃のつもりだった先の一撃を上回らせねばならない。やるしかない。
先程よりもクヌギと距離を取る。
「はあああああッッ!」気合いを充填させる。行く!! 助走の勢いに、体重を乗せた一撃。
「セオッッ!!」
右足はクヌギの腹へとめり込み、キュッと両足を地につけたままのクヌギを後退させた。
無強化にしては文句なき一撃。そして今度は、確かな肉の感触。
「むう。流石に強化無しだと効くな」
顔を顰めたクヌギだが、5秒ほどで顔色を戻した。やはり驚異的な回復速度だ。それにしても、この3回の攻撃の意味はやはり・・・・・・。
「そう。最初は
「まさに云うは易し、ですよ」
「すぐには無理だろう。武闘家はその気の扱いを状況に合わせて使い分けてこそ、真価を発揮するという話だ。・・・・・・まずは、今はまだ全力強化しかできない
とりあえず、今は悩む余裕はなさそうだ。
「あれあれあれ? これはこれは。ムツさんじゃないですか」
早朝から昼過ぎにまでノンストップで続けられた地獄の特訓の後。オルタナ西に広がるスラム街をムツが歩いていると、見覚えのない女に声をかけられた。栗皮色の髪を後ろでポニーテールに束ねた、軽装の義勇兵だ。いかにも素早しこそうで、その小柄で可愛らしい様相とは裏腹に、分厚く大きなナイフを腰に差している。バルバラやハルヒロと同じ盗賊だろう。決して友人知り合いの多くないムツの人物リストには挙がってこない女性だ。
小柄で可愛いという意味では神官のメティスに通ずる所があるが、少女を脱したばかりであるメティスとは違い、眼前の女は20代前半だろう。化粧っ気の無い童顔ながら、切れ長の目に大人の女性としての黎明期を忍ばせ、バルバラからも感じる盗賊独特の狡猾な雰囲気も併せ持っている。
特徴ある美女。間違いなく、一度でも会っていれば印象に残っているだろう女性だ。
「バルバラの関係者か? 面識は無いはずだが」
「おおっと。私としたことが。バルバラさんの部下で、パメラと申します。ハジメマシテ。いやー、ムツさん。初めて会った気がしませんね! まあ、一方的に私が知っているだけなんですが。ほら、しがない一盗賊に過ぎない私とはちがってムツさんは、有名人ですからね。一方的に知られている事なんて珍しくないでしょ」
口数の多い女だ。会って1分経たず、もう疲れた。
「少し目立つだけの
「あれあれあれ。細かいところを気にしますね。もてませんよ。女性がうやむやにしようとしていることは、スルーしてあげるものです。ほらー。聞こえてくる武勇伝。ファンになっちゃったんですよねー。私。うひゃー。恥ずかしい!」
ハイテンションで、全く恥ずかしくはなさそうにパメラは云った。本当の所を話す気はないらしい。
バルバラの関係者で俺の事を一方的に知っている女。そう云えば、バルバラの情報網はこちらの事を掴むのが早すぎる気がしていた。情報収集担当者? だが、それにしては迂闊で口数が多すぎる。成り立つのか? 謎だ。
「普通、スパイってのはその事を隠すものじゃないのか?」
「ありゃ? うーん? あー。ムツさん、カンが鋭いですねぇ。どうしてっていうか、私はスパイじゃないですよ! 色仕掛けは得意じゃないので! いやー、ほら。そっち担当の人達は色気むんむんだから。あっ、バルバラさんは違いますよ! ちなみに!」
「じゃあ、何なんだ。バルバラの事じゃないぞ」
「うーん・・・・・・。まっ、いっか。私は、ただのストーカーなのでした。ムツさんの事を、初戦闘から昨日の集団戦までの期間、お早うからお休みまでの間、ずっと見張ってました! ぽっ。好きです、付き合って下さい!」
「全く気が付かなかった。じゃあ何か、ゴブリンに囲まれて死にかけてたのも見ていたのか」
「うわっスルー!? 酷い。乙女の純情を踏みにじって! うっうっうっ・・・・・・あっ。それも全部見てましたよ! あれは危なかったですねぇ。何度もう駄目だなぁ、と思ったか。手に汗握りました! 興奮した!」
このパメラという女盗賊。見ていたのならどうして助けてくれなかった、なんて問いは意味の無い事だろう。
それにしても、頬を染めたり、怒ってみたり、涙を流して見せたり。百面相過ぎる。ついて行けない。盗賊としてどうなんだ。本当にバルバラの部下なのか。
「ところで、こんな所で何を?」
「バルバラと連絡を取る手段が無くてな。この辺りまで来れば、向こうから出てきてくれるのではないかと」
「正しい手段です! でも、ここで話していてまだ出て来ないって事は、お忙しいか外出中なのでは? お急ぎですか?」
ムツは首を振った。
「暇なら茶でも一緒しないか誘いに来ただけだ」
「それは良かった! なら、私のお仕事をすこぉし手伝ってはもらえませんか? いやなに、簡単な荷物運びです。多分20キロないかな。でも、私にはいい加減重くて。報酬は私の好感度プラス5です! 屋台の串焼きもご馳走しちゃいましょう! 嬉しいでしょ?」
パメラはあざとく、小首を傾げた。保護欲をかき立てられるが、間違いなく計算尽くだ。こちらがそう看過する所まで含めて。
うるさいが、意外と面白い奴なのかも知れない。答えのでない悩みに疲れていたところだ。普段つきあいのないこういうタイプと過ごすのも、気分転換になるかもしれない。
「構わない。近いのか?」
「すぐそこですよ! じゃあ、チャキチャキ行きましょう! 仕事終わりのビールが待っている!」
「さあ、さあ、
スラムは、石造りと木造りの建物が入り交じり、道は入り組み、狭い。それでも、人通りの多い太い道は何本か走っている。その片隅に、少女が倒れていた。違う。少女だったものが、か。5,6歳。薄汚れて、がりがりに痩せている。餓死か、病死か。判別に意味は無いだろう。小さいボロ切れで何とか身体を隠しているが、靴も髪留めもなく、足には無数の傷があり、髪は伸びるに任せてボサボサに広がっていた。細い身体に血管と水疱が浮き出始めてしまっている。
「
「そうですねー。悲しいですねー。でも、良くあることですから。あっ、死後硬直が解け始めてますね」腕関節を折り曲げようとしたパメラが云った。「死後早くて三日、遅くても五日で、死体はゾンビになっちゃいますからねー。丸二日は過ぎてますから、そろそろ危ないです」
良くあること。道行くスラムの住民も、気にはしている様だが足を止めず、近づく者も居ない。
「焼き場に運ぶんだったか?」
「そうですねー。袋に入れて引きずる回収屋も多いですけど、可愛そうだから抱っこしてくれると嬉しいですねー。今日は子供一人ですしね!」
「盗賊ギルドも色んな仕事をしているんだな」
「本当は、見回りは兵士の仕事なんですけどね。あいつらまともに仕事しませんから。義を重んじる盗賊ギルドの出番って訳です」
盗賊ギルド。人の懐から財布を盗むだけではないらしい。
「運んで、どうする」
「この子の場合は、すぐ火葬炉に直行ですね。本当は死後時間が経ってしまった死体は祝福してからの方が良いのですが、お金なんて持って無いでしょうから省略です」
「祝福?」
「万が一、焼いてる途中でゾンビ化しちゃうと、悲惨なんですよ。まあ、炉からは出られませんから、どうせ灰になる事に代わりはありませんが」
「いくらかかるんだ、それは」
「・・・・・・やめておきなさい。義勇兵には関係の無いことです。正規の義勇兵が死んだ時、祝福が必要な状態なら無料でやってくれます」
漏れ出す様にパメラが声色を変えた。
「だから、いくらかかると――」
「くどい! この子の分を払う事自体は簡単だ。額など、端金に過ぎない。だが、
言い終わって、パメラは、「ちょっと八つ当たりしちゃいました。ごめんなさい」と頬をかいた。
「こちらこそ、悪かった。さあ、運ぼう」
ムツが少女を抱え上げようとすると、パメラが布を渡してきた。何度も洗濯をして使っているのだろう。かなりくたびれてはいたが、白く清潔な大きな布だった。少女の小さな身体を包めるのに支障はない。
ムツは、受け取り、少女の身体を丁寧に被った。持ち上げる。なんて、軽い。
自分に訪れかけた死も、この少女の死も、同じ死だ。遠いものではない。いつだって、すぐ横に存在するものなのだ。
足早に向かった教会へは、時間はかからなかった。そこで知人に会わなかったのは僥倖(ぎょうこう)だった。きっと酷い顔をしていたから。
「直接殺したでも無い限り、隣人の死に責任を感じるべきではない。それは、その者の人生への冒涜ともなり得る、か」
「さっきのやたらでかい神官が云ってたやつだね。教会のお偉いさんは、なんでも小難しく云えばありがたみが出ると思ってる」
ムツは
酒はビールに似ているが、ずっと度数が高い。その分、キリっとした味わいが強く、つまみが無くとも杯が進む。パメラも飲んでいる時は口を閉じるらしく、静かだ。
「それにしても、ムツさん。アレはだめだよ、アレは」
「アレ?」
「ほら、昨日の初心者パーティ-。
「俺は娯楽か」
「仕事とは云え、人生の一部ですから。楽しいに超したことはありません」
ふざけた話だ。だが、こうも正直に云われると毒気を抜かれる。
「で、どうして監視なんかを? 今はもう解かれているんだよな」
「ええ。昨日までで。――盗賊ギルドは、有望な新入りや協力者を常に探しているのであります!」と、パメラはビシッと敬礼をした。栗色のポニーテールが揺れる。普段からテンションは高いが、判りやすく酔うらしい。頭をゆらゆらと揺らしている。
パメラは4杯目のジョッキに手を出した。ムツはまだ2杯目の途中だ。小さい身体でよく飲むものだ。
「んふー。でもねー。代わりの任務でねー。初の籠絡任務! 実際余裕でしたー」
籠絡? いやまさか・・・・・・?
「ムツさんねー。私が魅力的過ぎるのがいけないんだからねー。気にしない方がいいよ! 本当! ウス!」そう云うと隣に座るパメラが肩に頭をもたれさせて来た。
何もかもが酷い。情報を引き出すか? 流石にこの状態でそれをするのは卑怯な気もするが・・・・・・。
「籠絡したら、どうするつもりだったんだ?」
「そりゃー盗賊ギルドに入ってもらって、色々と。それに、一緒に仕事できたら、楽しいよ! まあ、武闘派の盗賊って意外と少ないから、大事な仕事が沢山! 結構大変かも!」
「ギルド所属の仕事ってそれ、武闘家ギルドだけじゃなくて、現役の義勇兵も引退が前提になってないか?」
「義勇兵を引退? オルタナでそれはないよー。私だって、義勇兵だしね!」
パメラが腰のナイフを抜いた。肉厚で、見るからに切れ味がよさそうだ。
隣の卓の義勇兵がぎょっとこちらを睨んだので、「抜くな抜くな」とナイフをもぎ取り、腰に差し戻した。
「じゃあ逆に、俺のパーティーに参加する事も可能なのか?」
「パーティ-? んー。どうだろ。バルバラさんが許してくれれば、出来るかも知れないけど、時間はかかるかもー」
パメラは机にうつ伏せて、顔だけこちらに向けて云った。眠そうだ。
「パメラ個人としては、参加の意思があるってことでいいのか?」
「あのつまんないパーティじゃなくて、近くでムツさんの闘いが見れるってことでしょ? ・・・・・・それは、楽しそう、かも・・・・・・」
俺が危険ならメンバーも危険って事、判ってるのか、この酔っ払いは。
「まあ、なら、聞いてみてくれ」
「んー」
駄目だ。寝た。当てにならない。
ムツは、パメラの右手に持ったままのジョッキから指を剥がした。
「さて、どうしたものか」
酔っ払いを放っておく訳にもいくまいが、仮にも引き抜きをかけてきた者を道場に連れて帰る訳にもいかない。まあ、適当な信用できそうな宿の個室にぶち込んでおけば良いだろう。
それにしても、確かに飲み代はパメラが出してくれたが、その宿代を考えるとため息が出る。件の治療費が嵩みすぎて、決して懐に余裕がある訳じゃないのだが。
抱き上げると、やはり相応には重い。同じ体で運んだ少女の事を思い出す。しんみりと運ぶ。
そのとき、すぐ近くで怒声が鳴った。
「首だっっ首っっ」
「いいわ。ただ、今日の分け前はしっかり貰う」
「この期に及んで図々しい! ちょっと顔が良いかと思ってふざけたことを!」
誰だ。うるさい。顔を向けると、帰ってきたばかりの義勇兵のもめ事だ。5人が、1人を囲んでいる。手を出すか。いや、人事か。囲まれているのは確かに美女だった。ただ、酷く冷たい目をしていた。周囲のメンバーを、家畜の糞を見るかのように蔑んでいた。
一瞬、目が合い、腕の中のパメラにも視線が行くのが判った。だが、すぐに逸らされた。
周囲の人々も、口を出すか迷っているようだった。
「まあまあ、何があったかは知らねーが、よってたかってはちと酷いんじゃねーか?」
酔っ払いだ。それも、さっきパメラのナイフにびびってた奴だ。目線が、冷たい目の美女の顔と胸元と下半身を彷徨っている。下心が露骨だ。
だが、それに鼻白んだのか、汚い捨て台詞と、地面に銀貨と銅貨をばらまいて、囲んでいた者達はどこかに行ってしまった。
酔っ払いの男は、恩着せがましく拾うのを手伝おうとし、女に断られ、面白くなさそうに飲みに戻っていった。
確かに文句の付けようがない整った顔立ちをしているが、近づくだけで不幸になりそうな女だ。好みじゃない。
「うーん・・・・・・」
寝苦しそうに、腕の中のパメラが動いた。
「宿に放ってやるから、少し待ってろ」
「わかったー・・・・・・」
しかし、フリーの神官か。選択肢としては・・・・・・。
「はやくー・・・・・・」
「はいはい。酔っ払ってるのは嘘じゃないだろ。良いから寝てろ」
返事はない。本物の酔っ払いにしろ、狸寝入りにしろ、面白いが面倒な女だった。
前後編です。
後編も執筆中。
投稿目標は3月10日の木曜です。