メリイは朝の身支度を調えて部屋を出た。周辺の建物は石造りが多い中、この宿も例外ではないが、木でしっかりと内装を整えられているので暖かみがある。義勇兵の宿舎を出てからはずっとお世話になっている女性限定の宿だ。男性の目が無くなると、多かれ少なかれズボラな部分が出てくる者は多いものだが、女将さんのお陰でこの宿は少なくとも共用部分にその気配はない。常に整頓され、綺麗だ。こうなると、目の届かない個室も綺麗にしておかなければならないと云う心理が働く。疲れて戻った義勇兵でも、気を付けている者はきっと多いはずだ。メリイも例外ではなく、部屋を散らかしたまま就寝したり出かけたりする事はない。
まだ朝食の時間には早い時間。多くが就寝中で、静かだ。ただ、キッチンからは灯りと音が漏れていた。丁度、女将さんであるパムおばさんが朝食の下ごしらえをしている時間だった。
ふと、音が止まり、パムおばさんが顔を覗かせた。扉の音で誰か起きたのに気が付いたのだろう。手招きをされる。メリイは、小声で挨拶しながら足音を忍ばせて近づいた。
「お早う御座います」
「はい、お早うさん。早いじゃないか」
パムおばさんはどっしりとした身体を小器用に使い、繊細な料理を作る。キッチンに近づくとあっさりとした魚介系のスープの良い香りがした。
「目が覚めてしまって。朝ご飯の前に豆茶を一杯頂けますか?」
「あいよ。持って行ってあげるから、くつろいでおいで」
パムおばさんはまだ何か話したい事がある様だったが、就寝中の者が多い部屋の近くで長話をする訳にはいかない。メリイはお礼を云って、ラウンジを通り過ぎ、テラスの椅子に腰掛けた。
朝の空気は少し肌寒いが、朝日が上り始めており、日差しが暖かい。
「・・・・・・そう云えば、昨日手紙が来ていたみたいだけど」
男からかい、と冗談めかして、パムおばさんが豆茶を陶器のカップに入れて持ってきてくれた。両手で抱えて湯気立つカップに口をつけると、苦みと酸味と深いコクが喉と鼻を抜けていく。朝を感じる。
「いえ。盗賊ギルドからのパーティー紹介でした。今日紹介してくれると」
「・・・・・・盗賊ギルド!? 大丈夫なのかい? いくら困っているって云っても・・・・・・」
パムおばさんは言葉を切り心配そうに見つめてくる。パムおばさんにはずっとお世話になっていて、メリイの事情も知っている。面倒見が良くて、お母さんがいたならこんな感じなのだろうと密かにメリイは思っていた。
3日前、メリイはパーティーを首になっていた。元々浪費をする質ではないので、貯金はそこそこある。だから解雇されてもすぐにお金に困ると云うことはない。だが、ずっとそのままと云う訳にいかないのも現実だった。
最悪でも手段を選ばなければ、生きる手段はある。だがそれは、考えるだに鳥肌が立つものだった。
義勇兵は続けたい。しかし最近はパーティーを転々とし続けている悪評が広まり、声がかかり辛くなってきている。性悪だの、冷血だのと評されている事は知っているし、聞えよがしに口にされる事だって少なくはない。
だから、怪しくはあれども、盗賊ギルドからの提案は歓迎すべきものだった。
大丈夫。私が私であり続ければ、神官としてどこでだってやっていける。やっていく。
「有り難う御座います。気をつけて、話を聞くだけ聞いてきます」
突然、メリイはパムおばさんにぎゅっと抱きしめられた。ふくよかな胸に、顔が埋まる。優しい良い香りだ。
「本当に気をつけなよ、メリイちゃん。あんたみたいな器量良し。義勇兵以外にだって、いくらでも道はあるんだから。変な意味じゃないよ。神殿に勤めても良いし、何ならうちで働いても良い。結婚の相手だってよりどりみどりだ。メリイちゃんが望むなら、いくらだって探してやるんだよ」
パムおばさんは、メリイの頭を優しく撫でた。メリイもパムおばさんの腰に手を回した。
「有り難う、御座います」
胸の中、メリイの脳裏に
メリイに義勇兵を辞めるという選択肢は無かった。
メリイは神官だ。一人では、とても街の外へは出られない。街という牢獄に捕らわれた罪人なのだ。罪人は、罪を償わなければならない。それは、メリイにとって絶対だった。
「本当に、有り難う、御座います・・・・・・」
胸の中、大きな溜息を感じた。
メリイも少し、苦しくなった。
約束の場所は義勇兵団の事務所前だった。ここもまた、この町の至る所にある思い出の場所の一つだ。普段、パーティーの募集の確認をする事以外で自分から近づく事はない。
今日も一日、これといってすることは無かったので街を散策していたが、時間を持てあましてかなり早めに付いてしまった。
待ち人の盗賊の名はバルバラ。面識は無い。酒が目的だろう義勇兵がぽつぽつ事務所へ入っていくが、それ以外に待ち人らしき相手の姿はない。
メリイは錫杖を手に、通り過ぎる義勇兵を見送る。皆一様にこちらに視線を向けるが、声を掛けに来る者はいない。ここの常連の間で、度々パーティーを首になるメリイは有名なのだ。それでも少し前までは酒の席に誘われる事が多かったのだが、断り続けた結果、最近はそれも殆ど無い。首になり続ける神官として、酒の肴にされているのは知っている。
もはや慣れてしまって、そういった視線を受けても何も感じない。どうでもいい。
「随分待たせちゃったみたいね?」
気が付くと、露出の多い眼鏡の女性がすぐ近くに来ていた。視界には入っていたのだが、声を掛けられるまで不思議と意識できなかった。
「いえ。お手紙を下さった、盗賊ギルドのバルバラさんですか?」
バルバラは、団証を出して肯定した。
「メリイさん。まず最初に謝っておきますが、貴女の背景は調べさせて貰いました。過去に何があって、今どんな状況にあるか」
バルバラは、盗賊を思わせない穏やかで理知的にそう断って、継ぐ言葉にはそれを引っ込め強かさを押し出した。
「結果、この紹介相手は、今、貴女に必要な相手でもあるとあたしは確信している」
メリイは、結構な事です、と頷き、話の先を促した。こちらの事情を説明しなくて良いのは面倒が無くて良い。する気も無いが。
「紹介するパーティーは、正確にはまだパーティーとは云えない。武闘家たった一人の個人。暫くは貴女を含めて二人で活動することになると思うわ」
「はい?」
素の声が出た。しかしバルバラは、訝しげなメリイを気にせず説明を続けた。
「武闘家は知ってるかしら? 知らないわよね。武器も防具も着けずに戦うアタッカー職。一撃良いのを受ければ即死という状況で前に出続ける、狂人の為の職よ。貴女には、彼を救って貰う」
「待って。ちょっと、待って」
何を云っているのか、この盗賊は。おかしい。今の話におかしくない部分がない。
「何から何まで本気を疑いたい話だったけど、一つずつ確認させて。まず、紹介してもらえるのは
「そこは受け取り方によるわね。実際、一人残して全滅したパーティーでも、パーティーとして扱うでしょう? なら最初から一人でも組む意志があるのなら、既にパーティーであるとも云えるわ」
「詭弁だわ」
「まあ、そうね」
バルバラは、飄々として次の問いかけを待っている様子だった。
「それに、武闘家って何? 聞いたことがない。それに二人で活動とは? それ以上募集しないって事?」
「武闘家は、今はもう殆ど残っていないからね。“気”っていう力を使って、素手だけど、瞬間的な攻撃力は他のアタッカーに引けをとらない。でも、その使用にはリスクはあるし、一歩間違えばすぐに致命となる。でも、一番の問題は、危ない、怖い、痛い、そんな負の感情こそが武闘家を成長させるという事。つまり・・・・・・」
「何それ。人数が多くて、パーティーとして安定して、安心してしまうと成長しなくなるって事?」
信じられない。どうしてそんな職が存在していられるのだろう? そんな職の人と二人だけでパーティーを組む? 相手は危機を感じる相手? 考えるまでもなく論外だろう。そもそも一時的に強くなる事ができるにして、武器も防具も無しで、それ以外の時間はどうすると云うのか。自殺に付き合う軽い命の持ち合わせは無い。断ろう。
「このオルタナで、彼以上に救いがいのある義勇兵はいない」
「救いがい?」
「決して死にたがりじゃない、僅かな助けがあれば救える命。貴女、“戦場で義勇兵の命を救う”事に餓えているのでしょう?」
メリイはあまりの言葉に頭に血を上らせた。怒りのあまり、言葉が出ない。
「仲間を救えなかった罪悪感に苦しむ貴女は、
一瞬で、血が引いていく。メリイは、顔を真っ青にして唇を振るわせた。贖罪。否定できるか。パーティーを首になっても、平気だった。いくらメンバーから嫌われようと、神官として危険に備えた動きをして、余力を残し、過ちを繰り返さないようにできていると思える事こそが、大事だった。その他の些事はどうでも良かった。助けを求める声に応えられない事が怖い。息絶えつつある仲間をただ見つめ、何もできない事が怖い。
でも、もし、命の危機に瀕する者を自分が助けることで、前に進んでいけるとしたら? それは、本当に贖罪になるのではないだろうか・・・・・・? 救われたこの命の使い方として、これ以上適したものは無いのではないだろうか・・・・・・?
「それにね、大丈夫。男と二人組とは云え、その武闘家、ムツって云うんだけどね。彼は顔に似合わず、奥手の小心者だから。例え挑発したとしても、そう易々とは手を出してこないわ」
バルバラが何か話している。相づちを返すが、頭に入ってこない。訊きたいのは、そんな事じゃない。そのムツと云う義勇兵は、今、どんな活動をしているのか。どれくらいの強さで、何を相手にしているのか。
「ま、時々忘れそうになるけれど、アレも一応まだ
「
待て。そういえば、最近目立つ
「――ホブゴブリンをデビュー初日、素手で殴り殺した大型
「それね。実際、その噂に一切の誇張はないわ。デビュー以降、死闘を繰り広げ続けている。オルタナを出て、何事もなく帰って来たことが無い。このままだと、近い将来、確実に死ぬわ」
「私に、その
「逆に、こんなに救いがいのある義勇兵が他にいて?」
バルバラは見透かした様に笑っている。腹が立つ。メリイは黙ってバルバラを睨んだ。
「無理よ。私には荷が勝ちすぎる」
「そう? なら、彼は死ぬわね」
「他の神官に頼めば良いでしょう!」
「そんな神官が他に居ると思って?」
・・・・・・。居ないだろう。
「だからって、何で私に・・・・・・」
「ぴったりでしょう? 互いに、得るものがある」
バルバラがいつの間にかメリイの至近に接近しており、耳元で囁いた。
メリイは俯き、立てた錫杖を両手で強く握りしめた。
「そんな職。転職するなり、義勇兵を辞めるなり、なんでも他に道はあるじゃない・・・・・・」
「転職はあたしも勧めているのだけれど、首を縦に振らない。それに貴女自身、義勇兵を辞めろと云われて、辞められるのかしら?」
メリイが顔を上げると、バルバラが真っ直ぐに見つめていた。
「それは、でき・・・・・・ない・・・・・・」
「あとは、本人と話して決めなさいな。ほら、丁度来たみたいだし」
まだ遠いが、男が近づいて来ている。一目で事務所という名の酒場が目的じゃない事は判る。汚れが目立ち難いはずの黒い服を、土埃と血で汚しきっている男が歩いて来る。見覚えがある。先日首になった現場に居合わせた、酔い潰れた女を抱きかかえていた男だ。恵まれた体躯に加え、無骨な顔と表情からは、
近づいてくる。はっきりこちらを目的に見定めている。
怪我の様子は伺えない。血は、返り血なのだろう。
メリイの目には、男が血と一緒に死を纏っている様に見えた。メリイは鳥肌が立ち、背筋を振るわせた。怖い。
彼から死を遠ざける? そんな事が可能なのか。私は死にたくない。まだ、死ぬわけにはいかない。
怖い。死ぬのも。なにも成せぬまま、無為に時間が過ぎるのも。
男が、少し距離を残して止まった。視線を上げられない。必死の思いで、錫杖を持ったまま腕を組み自らを抱き、バルバラを見る。
「彼が?」
「そうよ。どんな人間か、どんな戦い方をするか。説明はしたけど、やっぱり実際に見て貰うのが手っ取り早いと思ってね」
メリイは邂逅してしまった。差し出される手に応える事も出来ず、迷いを残したまま、デビューから1月経っていないのに、オーク三匹を単独撃破してきたと云う男の要請を受けてしまった。
男には、危なくなったら逃げさせてもらうとは断った。命は粗末に出来ない。心中してあげる事はできない。例え自分も命をかけて戦線に踏ん張ることで、勝利を手にする事ができる
かつての死地。「逃げろ」と決死の覚悟で足止めしてくれた仲間の顔が浮かぶ。救われたこの命を、無為に捨てる事は、彼らへの最大の裏切りなのだから。
でも、出来るのか? 見捨てて、自分だけ逃げられるのか。あるいは、新たな同行者、ムツを助けられもせず、自分も逃げられもせず、最悪の結末になりはしないか。
それだけは避けなければならない。危ないときは、逃げる。これは、絶対に守る。
ムツは、パーティーの登録に事務所の中へと姿を消している。
「頑張ってね」
残されたバルバラからの激励に、メリイは震える手を隠すのに懸命で気の利いた言葉を返せなかった。帰り道の事は良く覚えていない。パムおばさんの目を避けて部屋に戻った事は覚えている。なにもかも全てを忘れるように、ベッドに入り、丸まった。服を脱ぎっぱなしにしたのは
新たな協力者、ムツが少し前を歩いている。オルタナから北へオークを探しながらの行軍だ。なるべく岩に身を潜ませながら道無き道を進んでいるので石や小岩が多く歩きづらい。最初に簡易な自己紹介をし、条件の確認と今日の方針を説明され、「
ムツからは、「目的はあるか」と問われた。彼には「強くなりたい」という目的があるらしい。その為に、戦っている。メリイに目的があり、協力できる事があるなら、一緒に組んでいる限り、力を貸すのを惜しまないと云う。
急に目的はあるかなんて訊かれても、答える気にはなれない。死してきっとアンデッドのままでいる、仲間達の弔い。いつか絶対に何とかするが、それはメリイの問題だ。答えずにいたら、そこで会話が終わってしまった。
振り返れば確かに自分も態度が悪かったかも知れないが、いきなり問いかけるべき質問でも無い。無礼はお互い様だと思う。
それにしても、その背中は本当に前線で戦う格好じゃない。身につけているのは道着と左手の手甲のみ。鎧を着ていないのは同じでも、そこそこ頑丈で1メートルを超える錫杖を持っている分、下手をすればメリイの方が重武装なぐらいだった。
本当にこれで戦えるのか。戦績と昨日の様子を見れば間違いないのだろうが、どうにも自分の目で見てみない事には信用しきれない。
「いたぞ」
小声での忠告。ムツが手近な岩に隠れたので頭を低く付いていく。大きな岩じゃない。メリイ一人なら兎も角、大柄なムツではしゃがんでもはみ出てしまっている。杜撰だ。
顔を覗かせて確認すると、走って10秒ほどの至近に岩陰にオークが1匹、ぼうっと空を見上げていた。寝ている訳ではないらしい。
「笛持ち。斥候だ。吹かれたら逃げろ。弓は持ってないが、投げナイフには注意しろ」
「判ってる」
メリイの返事を聞くとムツは頷き、走り出した。オークがビクリと反応する。
ムツはあっと云う間に接近すると、オークが吹こうとしていた丸い貝笛を蹴りで弾き飛ばした。
「ぐうっ」とオークは唸ったが、判断早く笛を拾う事を諦め、剣を抜いた。ムツも距離を取る。
オークがこちらにも視線を向け、辺りを見渡した。2対1という状況を確認したらしい。動きに余裕が現れた。よく見れば、このオークは一般的なオークの体格だが、緑の表皮に皺が見られ、年を重ねている事が判る。剣も使い込まれており、熟練の戦士なのかも知れない。
「ぐっぐっぐっ・・・・・・」
老オークが剣をムツに向け、笑った。素手で何をするつもりなんだ、との意が伝わってくる。
「油断してすぐに死ぬなよ、オーク」
世間話をする様にムツが返した。背中からは表情は見えないが、老オークが笑いを引っ込めた。きっと声の通りの穏やかな表情という訳ではなかったのだろう。
老オークが剣を中段に、ムツが左半身の構えに腰を落とした。老オークの鎧の擦れる音だけが鳴った。
メリイは退路を確認しつつ、離れた場所にいる者を回復できる
老オークが踏み込みながら剣を振り下ろし、ムツが回避すると同時に更に半歩進みながら切り上げた。しかし、ムツはこれも回避。僅かな身体の動きで、鋭い剣筋から身体をずらしていく。そこには、確かな余裕が伺えた。
「これなら・・・・・・!」「オオッ」
ムツのつぶやきに被せ、老オークが再度剣を振る。首を狙った横薙ぎだ。それを、ムツは
「早いが、軽いッ!」
ムツは剣を受け止められた驚愕の表情の老オークの懐に入ると、斬られたはずの右手で顎を突き上げた。真下からの衝撃に、老オークは顔を打ち上げられた。猪の様な牙が折れ飛ぶ。
ムツは左上段蹴りと、さらによろめく老オークの追撃に右足を浮かせて体重の乗った大振りのパンチを顔面に集中させた。
ハンマーで殴りつけた様な打撃音の後、老オークが崩れる。剣を地面に突き立て、倒れ伏すのを堪えているのがやっとの有様だ。
すかさずムツが、頭よりも高く足を上げる。余裕無くキツイ表情でムツを見上げる老オークのそれが、絶望の色に染まった。
「ニラッ!」
老オークが抑止の悲鳴をあげきる間もなく振り下ろされたムツの足は、兜に守られた頭ではなく、首後部に、まるでギロチンの様に振り下ろされた。硬い何かが折れる音が、離れたメリイにまで届いた。
老オークは地面に吸い込まれ、剣がガランと音を立てて転がった。戦闘が終わった。
終わってみれば圧勝だった。損害無く。
――損害?
「ちょっと、腕は!?」
メリイはムツに駆け寄り、血に湿った道着の腕をめくった。だが腕は、重傷とは云えない裂傷があるだけだった。出血こそそれなりにあるものの、鋭剣を受けたにしては傷が浅すぎる。骨に届いてすらいない。
「ど、どうして!?」
「全力の
「――光よ、ルミアリスの加護のもとに」
あきれて言葉が出ない。とりあえず回復させる。
「試してみたって云うけど、駄目だったらどうなっていたと思っているの? 腕の無い首切り死体になりたかったのなら、先に云っておいてくれる?」
「・・・・・・? 心配してくれているのか?」
ムツはキョトンとしている。
失礼な男だ。同行者を死なせたいと思っている神官はいない。私にどんなイメージを持つのも自由だが、腹が立たない訳ではない。
「でも、やはり神官がいてくれると心強い。一人では取れない戦法だった。相手によっては左手の手甲以外でも攻撃を受けられると判ったのはとても大きい」
「そんな無茶を続けるつもり? 本当に死ぬわよ」
「死にたく無いからこそ。首を刈られたら問答無用で死ぬが、腕で受けられるのなら、例え使用不能になってもとりあえずその一撃は防げる。直後の反撃で勝利できたなら、万々歳だし、そうでなくとも仕切り直す間に治してもらえたなら、戦闘継続に不利さえなくなる。とても期待している」
「・・・・・・どんな傷でも瞬間的に治せる訳じゃないのは知っているわよね?」
「勿論だ」
ムツは肯定した。
メリイは、歯車の合わない違和感に襲われ、その正体に思い至った。ムツは、勝率を上げる為に必要な損傷を受け入れているのだ。痛いのは嫌だとか、なるべく無傷で勝ちたいとは考えていない。我慢できる事は全て我慢して、「生き残って勝利」する為にはあらゆる代償を支払うことに躊躇しない。心が凍った熟練の義勇兵に見られる精神構造だ。大切なのは自分の命が続く事のみ。
きっと、この男も「大事な目的」とやらの達成の為にいざという時には自分をあっけなく見捨てる。使い捨てる。ベテランの割り切りをあっさりと実行するだろう。
メリイは、暗く瞳を沈ませた。
「・・・・・・なら、良いの。好きに戦えばいい。回復できそうなタイミングがあれば、
「助かる」
メリイはムツから離れ、老オークに鎮魂を行った。歴史を物語る顔の皺を、絶望の色で更に深くし、事切れている。ムツによって魂を奪われたそれは、自らの未来を暗示している様にも思えた。
初戦の後、運良く単独2匹目のオークも難なく始末した。
戦利品の一部、剣はメリイが持っているが、貴重品を含めた他の物は全てムツが持っている。いつもの事だが、
中天も2時間以上前に過ぎ、本日最後の獲物を探している途中、昨日の狩り場だという辺りでメリイは珍しい光景を発見した。オークが花束を捧げていたのだ。
メリイは、日の傾きに合わせて岩陰から様子を覗くのにも慣れてきていた。
身なりも体格も良いオークが1匹、うっすらと血の跡が残る地に花束と、近くの赤い実のなる草を纏めて置き、跪き祈りを捧げている。
メリイは、一目で今日の2体とは格が違うと感じた。鎧は満遍なく赤鱗が敷き詰められ光り輝き、傍らに置かれた剣はその鞘からして装飾に凝りつつも無骨な実用品としての重厚さを表現していた。そして本人。鎧の下には若く脂の乗った、上質な筋肉の壁を備えている事が、僅かに覗く首筋などから見て取れる。斥候などとは違う。完璧な現役の、それもかなり高位の
嫌な汗が背筋を伝う。メリイはムツに首を振った。アレに近づいてはいけない。手を出したら、返り討ちに遭う。ムツも首肯した。
ゆっくりと後退する。距離はあるものの、安心はできない。風もなく、時間が止まったような静けさ。足音を立てれば、即座に気付かれてしまうだろう。
敵との進路上に岩を挟む様に移動を開始しなければならない。慎重にルートを選択しつつ、急ぐ。その時、震える声が響いた。決して大きな声ではない。だが、メリイとムツを震撼させるに足るものだった。
「ニガサナイ。オマエダロ?」
稀に人間の言葉を解する亜人が居るという話は聞いたことがあった。そして、例外なく高位のそれであるとも。
赤鎧のオークがメリイの頭程もある小岩を投げた。まるで雪玉を放るかの様に飛んだ小岩は、隠れていた大岩に当たって砕けた。驚異的な腕力。破片が飛び散り、メリイは身を竦ませた。
赤鎧のオークは投げナイフに手を伸ばしている。ただの力自慢でも無いらしい。迂闊に背中を見せられない。どうする。ムツに視線を送る。ムツは、余裕な表情で「やるしかないな」と呟いた。ただ、額からは汗が滲んでいた。
ムツが、大岩から姿を出して赤鎧のオークと対峙した。
戦闘が開始したら逃げるべきだ。強敵だ。勝てる見込みはどれだけあるのか。しかし、ムツも実際に強い。どっちに転ぶか判らないのではないか。協力すれば、勝てるかも知れない。様子を見守ってからの方が良いかもしれない。「かもしれない」ばかりだ。未来は判らない。
形勢不利な状況で見捨てれば、当然ムツは助からないだろう。そうなれば、悲しむ人が出る。初めて見たときに抱いていた女の子は勿論、紹介者のバルバラもそうだろう。彼女からは復讐すらされるかもしれない。最初から「危なかったら逃げる」事は断っていたことだから、恨まれるのはお門違いだ。でも、感情は理屈じゃない。
どうすべきか。判らない。どうしたら良い?
「話せるのか。墓参りか? 邪魔するつもりはないんだ。悪かったよ」
「キノウ、ココデ、ミウチガ、コロサレタ」
両手を上げるムツに対して、赤鎧のオークは剣に手を掛けた。手は震え、今にも飛びかかって来そうな憤怒の表情だ。
「昨日? いや、知らないな。あんたのお仲間とは何度か戦ったことがあるが、最近は全然だよ」
「――キノウ、ココデヤラレタ、ヒトリハ、オトウトダ」
「それは・・・・・・」
心臓に手を当て、哀悼の意を示そうとしたムツは、重ねられた言葉に口をつぐんだ。
「ブキハ、イッサイ、ツカワレテイナカッタ。メズラシイコロサレカタダ」
赤鎧のオークの視線は、ムツの装備に注がれている。
これは、言い訳に意味は無い。どんなに説得力のある言葉でも、怒り狂っているオークには届かないだろう。
ムツは、大きく嘆息した。
「でかい、オークだな? 顔が似ている」
「ソウダ」
「強かったよ。本当に。今までで最強の相手だった」
「クロウシテ、ヤットツイタ、ニンムダッタ」
赤鎧のオークが剣を抜いた。恐ろしく美しい直剣。刃は薄紫に彩られ、まるで血の色が残っているかに感じられる。きっと、ただの剣じゃない。
「呪いか魔法が込められているかもしれない! 注意して!」
「キョウ、ココニキテ、ホントウニヨカッタ・・・・・・」
赤鎧のオークが姿勢低く、臨戦態勢に入った。ムツも備えるが、勢いがない。受けの構えだ。
「ヤツノソウギニ、キサマノクビヲ、ソナエテクレル!!!」
赤鎧のオークがムツに、一目散に飛びかか――らず、止まった。
目が合う。赤鎧のオーク激高しつつも冷静だった。ナイフを既に手に持っている。放たれる。動けない。避けられない。次の瞬間、眉間に、きっと。嫌――。
瞬間、ムツが軌道に飛び込んで、ナイフをはたき落とした。無理な体勢だったが、すぐさま赤鎧のオークに向かい直す。だが、その時には突進が再度行われていた。
飛び込みながらの袈裟切り。凄まじい速度。ムツは、斬撃こそ辛うじて後ろに飛ぶ事で避けた。しかし赤鎧のオークは突進を止めず、そのまま赤鱗にびっしり被われた、いかにも硬そうな鎧の肩部でムツに衝突した。
「ぐはッッ!」
ムツの巨漢が宙を舞い、転がった。
「ぐふっ・・・・・・ぐ・・・・・・」
蹲るムツが吐血した。鮮紅色の血を、咳と共に吐き出した。拙い。肺か気管支の損傷。
一瞬で窮地。駄目だ。どうにもならない。勝負にならない。怖い。逃げないと、二人とも殺される。神官を先に狙うのは集団戦の鉄則だが、敵の標的はムツ。すぐに逃げれば、追ってこないかもしれない。急がないと。
メリイは走り出した。
「――光よ! ルミアリスの加護のもとに!」
光がムツへと集まり、顔色が回復していく。
涙が溢れる。逃げるべきだった。でも、駄目だった。出来なかった。
私は、ここで死ぬ。無意味に。ごめん、ミチキ、オグ、ムツミ。
オークがまたナイフを取り出し、振りかぶった。
避けられるか? 最悪でも、致命傷は避けないと、終わる。
しかし、ナイフは投擲されなかった。
「セオッ!」
ムツが、赤鎧のオークの突進速度を上回る勢いで起き上がりながら地を這い、太槍の様な蹴りを放ったのだ。
蹴りは見事にオークの腹に命中し、鎧の表面の赤鱗がいくらかはじき飛ばされた。
「グウ・・・・・・」
赤鎧のオークは思わぬ攻撃からの痛みに顔を歪ませた。
「メリイ! 勝てるぞ! 二人ならば!」
距離を取り直したムツが叫んだ。敵から目を逸らす余裕は無い。だから表情は判らない。絶望的な状況が何か改善した訳でもない。虚勢だった。しかし、メリイもムツに叫び返した。
「ムツ! 何度だって回復してあげるから、致命傷は避けなさい!」
嘘だ。回復できる回数には限度があるし、深い傷を治す余裕があるとは限らない。でも、口に出すと、僅かに勇気が沸いてくる。錯覚かもしれない。それでも良かった。
「武闘家は、危機の中で成長する! 今この瞬間も! 長期戦は、望むところだ!」
馬鹿な男だ。そして私も。
メリイは、涙を流しながら、微笑んだ。99%の嘘の中の、小さな真実。その希望が、頼もしかった。こうなったら、最後まで諦めない。生きてオルタナへ帰ってみせる。
赤鎧のオークの気配が変わった。刃の薄い紫色が、濃くなっていく。そして、パシパシと光を放ち始めた。
「火花? 違う。紫の雷? ――魔剣!? そんな・・・・・・」
魔剣。文字通り、魔力を秘めた剣。滅多にお目にかかれない、秘宝。
「メリイ! あの剣は何だ!?」
「魔剣! 絶対に受けないで!」
「それは見れば判る!」
ムツの焦りは尤もだが、メリイも的確なアドバイスを送れる程、魔剣に精通している訳ではなかった。それこそ、実物を見るのはこれが初めてだった。
「オトコ。ムツ、トイウノカ」
赤鎧のオークが魔剣をムツに向けた。
「ムツ、ヨ。オトウトノウラミ、ワガヤノヒホウデ、ハラシテクレル」
ムツの首を狙った横薙ぎ。ムツは、姿勢を低く回避した。魔剣は、ムツの頭上を通過した。そう、完全に回避したはずだった。
「ぐああああッ」
ムツが、悲鳴を上げながら転がった。膝建ちで、立ち上がれない。電撃。紫色の雷が、回避の瞬間ムツを襲ったのが見えた。回避不能の攻撃・・・・・・!
「光よ、ルミアリスの加護のもとに!」
ムツがよろよろと立ち上がる。
「状態は!?」
「痺れが残ってるが、大丈夫だ!」
「振らせないで! 出来なければもっと余裕をもって回避して!」
「・・・・・・無茶を云うッ!」
無茶は承知だけれど、それ以外に対策が判らない。だが、こんな時、対策を考えるのは後衛の務め。よく見て、考えなければいけない。
赤鎧のオークの様子はどうか。変化は無い。魔剣をムツにじっと向けている。
じっと・・・・・・? 動いていない? もしかして、動けない? リスクがある・・・・・・?
「その魔剣、オーク自身にも影響があるみたい! 連発できるものじゃない!」
「良い情報だ!」
ムツと赤鎧のオークが向かい合う。敵は中段の構え。避けきれないのなら、一瞬でも早く回復させないといけない。メリイはムツに向けて走り出した。
「ズアァッ!」と赤鎧のオークは
「光よ――違う!」
剣に強い雷光が纏われていない。ただの、突き!
赤鎧のオークが、剣から手を離した
至近まで近づけていても、一瞬で重傷を回復させる手段など無い。
――終わる。ムツが斬られて、次いで私。オークの動きが、スローモーションに見える。
(メリイ、君に目的はあるか?)
今朝訊かれたムツからの問いが脳裏に浮かぶ。生きる目的。なんとしても叶えたい願い。
オークの魔剣の影響だろう苦しみと、それを上回る憎しみがこもった顔。強さの源泉は、復讐心? 強い、感情だ。判る。とてもよく分かる。
ああ、なんだ。あるじゃないか。生きる目的。
「私の! 生きる目的は!」
メリイは叫び、ムツの前に割り込んだ。錫杖と魔剣が交差する。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっ・・・・・・」
バリバリと電撃が飛び散り、赤鎧のオークとメリイの身体に容赦無く降り注ぐ。特にメリイには、錫杖を通して電流が流れ込んできた。視界が、紫色で満ちる。
メリイは、ドサリと倒れた。指一本動かない。でも、目と耳は不思議なぐらいクリアだった。
「メリイを! 貴様ァ!!」
ムツの足が赤鎧のオークの顎に伸びていった。
「ゴアッッ」
今日最初に戦った老オークは、顎を狙った拳で勝敗が決した。だが、それよりも何倍も威力がありそうな蹴りが繰り出され、眼前のオークの顔を跳ね上げ、吹き飛ばした。赤鎧のオークは、ズズン、と背中から受け身も取れず地面に叩きつけられた。
「大丈夫か、メリイ!」
「生き・・・・・・てる・・・・・・」
「運んでやるから、休んでいろ」
「そう・・・・・・させて・・・・・・」
ムツは、メリイを抱きかかえて、走り出した。
視界の端、ムツの道着の先に、赤い実の草が揺れていた。
目を瞑る。全身が痛い。指一本動かすだけで、激痛が奔る。
「揺らさ・・・・・・ないで」供えられていた復讐の象徴の実。
「気を付ける」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
背後、立ち上がろうとし、失敗し、再び転倒した赤鎧のオークの怨嗟の叫びが、遠のいても、いつまでも続いていた。
目的。達成するためには、強くならないといけない。ムツを守って、私も願いを叶える。
なんとなく義勇兵を続けているだけでは、ずっと叶わない。
まずは、
待ってて。ミチキ、オグ、ムツミ。
救ってみせる。そして、無念は絶対に晴らしてみせる・・・・・・! この手で・・・・・・!
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魔剣のオークの地の文での表記を修正しました。