壺中の天とグリムガル   作:カイメ

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1-8 死を仰ぐ者達

 ムツは、みちり、と硬いパンを食い千切った。焼きたてのパンの断面から湯気が立つ。

 早朝と云うには遅く、しかし活動を始めている義勇兵も少ない時間。ムツはぶらぶらと散歩をしている。歩きながら食べているのは、道場から10分程歩いた所にある、屋台の集まるちょっとした市場の一角のパン屋で買った一品だ。銅貨二枚。安い。硬くて食べにくいが、一口頬張ると小麦の芳醇な香りが口に広がり、これが美味い。ミルクや茶があれば浸して食べる手もあるが、パサついている訳ではなく、むしろ中身はしっとりとしているので飲み込むのに苦労するような事はない。根強いファンがついている、知る人ぞ知るパンだ。

 武闘家ギルド長クヌギの娘、クラウディアもこのファンで、時折食事に出される。ただこのパンの欠点として、焼き上がりから時間が経つと、さらに硬くなり香りも落ちてしまう。こうなると普通のパンに劣ってしまう。食べる直前に購入することが前提であり、店側もそれが分かっているのか、朝昼夕の一日三回、売れ残りが出ない範囲で少数しか焼いていない。

 安くて美味いが、扱い辛く、時間を合わせて狙っていないと買えない。そんなところも、ファンの心を掴んで離さない一因なのだろうと思う。

 勿論、ムツが手にするそれは焼きたてだ。捨てる神あれば拾う神あり。朝から道場を蹴り出されて朝食を食べ損ねたかと思えば、こんな良い事もある。

 香りにつられたのか、ミルミが足下をちょこちょこと着いてきている。尻尾を振りながら、短い4本足を懸命に動かす姿には、つい顔が綻ぶ。

 足を止め、パンを半分にちぎると、期待したのかミルミが二本足で立ち上がった。器用なものだ。

 

「ああ、ムツさん。奇遇ですね」

 その時、細路地から声を掛けられた。中腰のまま目を向けると、栗皮色のポニーテールを揺らした小柄な女が、わざとらしく笑っていた。髪と同色のグローブをはめた手を顔の横で小さく振り、小首を傾げている。あざとい。

 ちぎったパンを頬張りながら、ミルミに残りのもう半分を与えると、固さなど何のその、石畳の上で器用に噛みちぎって食べ始めた。背中を撫でても食べるのはやめず、尻尾でぺちんと手を叩かれた。和む。撫でる手は止めない。

「ちょ、ちょっと、無視(スルー)ですか!? ミルミも可愛いですけど、こっちも捨てたもんじゃないですよ!」

 否定はしないが、可愛さの方向性が違う。しゃがんだムツとミルミとの間に割り込む様に、顔をのぞき込んでくる。

「あれから大丈夫だったか。大分絞られたみたいだが」

「ううっ。切り込み早いですよ・・・・・・。もうちょっと、今日も可愛いね、とか、私服は初めてだね、とか。構ってやって欲しいんですけど・・・・・・」

「夜が本番の盗賊にしては早いじゃないか。まさか偶然じゃあないだろう。・・・・・・そのワンピースは似合っている。上からエプロンを着けたら文句なしの看板娘だ」

 パメラの地味ながら作りの綺麗な茶色の丈の長いワンピースは、栗皮色の髪と良く合い、盗賊というより完全に町娘のそれだ。前回持っていた無骨なナイフが見えない事も大きい。持っていない事は無いだろうが。足に括り付けているとして、取り出すときにはスカートをまくり上げる必要がある。下着なんかも、それを想定して選んだりしているのだろうか?

「あ、有り難う御座います? 素直に褒められると、照れます。・・・・・・と云うか、下見過ぎですよ! スカート、好きなんですか?」

「好きだが、中身に思いを馳せていた」

「ぎゃああああっ!」

 なんて声を上げるのか。パメラが両手でスカートを押さえて大げさに距離を取った。特別人通りの多い道でもないが、いい加減ちらほら通行人も現れ始めており、衆目を集めてしまった。

「武装しやすそうだと思っただけだ」

 嘘だが。

「嘘でしょ」

 パメラはからかうのは面白いが、若干それすら誘導されている感じもするのは、さすがは盗賊と云うべきか。でもそれなら、素直に楽しんだ者勝ちだ。こちらがからかっているのか、それとも手の平の上で踊らされているのか。判らないのが、また面白い。

 先日の酔っ払い騒動の一件もそうだ。こちらが面倒を見ているようで、そう誘導され動かされている感覚。確証こそないが、直感が普通の酔っ払いとは異なると告げていた。盗賊という職業は甘くない。何かがある、と警戒を厳にして損はないだろうと思う。

 パメラは、両手を腰にあてて怒って見せている。中身がこれでも、整った顔立ちで切れ長の目をつり上げられると、それなりに迫力がある。

 ムツは、なで続けていたミルミに向き直った。パンは食べ終わっており、ムツのマッサージに身を任せ、脱力し、ゆっくりと尻尾を動かしていた。柔らかい毛並みと、高い体温が手に心地良い。軽く筋肉を揉むような動きに変えると、心地良さそうにニャーと鳴いた。実にもふり甲斐がある。

 静かな時間が過ぎる。通行人の興味が薄れ、人の流れが正常に戻って行くのを感じる。やはり、視線は憧憬とか尊敬、驚愕などに限る。好奇の視線は気持ちが悪い。人が人を呼び、この多数の好奇の視線にさらされ続けると、精神衛生に多大な悪影響を及ぼす。知名度の高さの弊害。そう、昔から――。昔?

「見たい?」

 パメラに目を戻すと、腕を組んでドヤ顔でムツを見下ろしていた。何となく臓腑から湧き出るような嫌な気分が晴れていく。会話の主導権を握るべく放たれた挑発。素直に乗ったら負けのじゃれ合い。楽しい。

 ムツは、顔がにやけるのを抑え、しかめ面で応えた。

「見せてくれるのか? ここで? 大胆だな。嬉しいが、痴女は好みじゃないんだ」

「そんな訳ないでしょ! 今すぐだなんて云ってないし!」

「なんだそれは、本気で誘ってるのか?」

 困惑を表に出すと、パメラは嬉しそうに復々とドヤ顔を深めた。

「そうだと云ったら?」

 この手のやりとりは、引いたら負けだ。どこまでも押すに限る。相手も引かなかったら困ったことになる、が。その時はその時だ。

「判った。じゃあ行こう」

 ムツはぬるりと立ち上がりながら距離を詰め、パメラを抱きかかえた。本来は敵を引き倒すタックルの技術と循環気流(オーラ)を駆使した、本気の動きだ。

「えっ!? あ!?」

 一瞬で、小柄なパメラは膝裏を支えられ、ムツの腕の中に収まった。俗に云うお姫様抱っこという奴だ。思考が状況に追いついていないのか、パメラはパクパクと口を開いている。

「大丈夫だ。何も心配する事は無い。全て任せてくれて良い」

「待って。待って待って待って! 話が違う。ごめんなさい。謝るから!」

「謝罪されることはされていない。最初から、最後まで、しっかりエスコートするから安心してくれ」

「何を!? って! 何これ、痛くないのに動けない!」

 パメラが手足をじたばたさせるが、それだけだ。絶妙な力加減。拘束しつつも決して力は入れすぎない。スカートの中に硬いものを感じる。やはり、両足に武器を隠し持っているらしい。それも、1本じゃない。大小複数の準備が確実だ。

「始まる前から傷付けてどうする」

「何をされるの!?」

「いいから、目を瞑って、じっとしていろ」

「本気で!? 本気なの!? ううっ・・・・・・」

 ムツが顔を寄せ至近で告げると、パメラは、赤面を隠すように俯き、目を閉じた。

 良い表情だ。こんな表情を自然とできるのだから、女は怖い。しかし、楽しくて完封しすぎてしまった。どうオチをつけるべきか。考え無しに攻め過ぎた。場合によっては、落としどころを間違えると後で痛い逆襲を受けることになる。何か良い切っ掛けはないものか。

 ムツはパメラを抱いたまま細路地を歩く。丁度西側に向かう通路なのか、背中に上り始めた陽光が暖かい。だが、腕の中はもっと暖かい。いっそ本当に・・・・・・? いやいや、駄目だろ。果たして、この反応まで本当に演技なのだろうか? 少し自信が無くなってきた。

 足下をちょこちょことミルミが着いてきている。暢気で良いな、お前は。

 

 暫く歩くと、細路地が大通りに突き当たってしまった。当然、人通りも多い。この時間、北方面へ向かう義勇兵がよく通る道だ。さて、どうしたものか。堂々と大通の宿へ歩を進めるか。保留を続ける為に通りを一気に突っ切ってまた細路地へ身を潜めるか。

 腕の中のパメラと目が合う。困った。でも表情に出してはいけない。それは最悪だ。いや、そうでもないか? 引っ張った後に衝撃も落ちも無し? やはり嬉しくも楽しくもないのは駄目だ。保留。ニッコリと笑って唇でパメラの額に触れると、声無く固まった。

 まだセーフか? というか、もしも、万が一、演技じゃなかったら? かなり困ったことになるのは確実だが、演技の蓋然性が優勢である以上は今更後には引けない。ハードルがグングン上がっていくのを感じる。

 細路地の端の影で通りを眺めていると、同期の面々が歩いて行くのが見えた。こんな所を見られる訳にはいかない。一歩引いて影に隠れる。ハルヒロ、モグゾー、シホル、ユメの4人だ。リーダーのマナトと、騒がしいランタは見当たらない。顔を確認できたのはハルヒロだけだったが、死にそうな暗い顔をしていた。遠ざかっていく4人の背からも生気が薄く感じられる。何かあったのか? 何故4人? それはそれで気になるが、今そちらに意識を割き続ける余裕は無い。夜辺り奴らの宿舎へ遊びに行ってみるか。

 ハルヒロ達がすっかり遠くまで行ったのを確認した後、ムツは意を決し、通りをパメラを抱いたまま横切り、通行人の驚きの声といくつかの口笛を受けながらまっすぐ細路地へ辿り着いた。あれからパメラは一言も話さず、しかしムツの首に腕を回してきた。演技でも素でも、実に効果的な一手だった。

「うち、近くだから」耳元で囁かれた追撃と併せ、ムツは内心、戦慄した。

 保留、保留、保留。渡った先の細路地をさらに真っ直ぐ進み続けると、辿り着いた先はスラムだった。

 

「ん? あっ・・・・・・」

 スラムの入り口にある涸れ井戸に辿り着いた時、いつかの少年と目が合った。相変わらず汚れた身なりだが、10歳程の見た目に反して力強くたくましい目をしている。

 こちらを認識した後、首に腕を回しながらムツの腕の中に隠れた女の存在に気が付き、少年は顔を赤くした。性の氾濫したスラムに住んでいても、こう露骨だと恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。

「にいちゃん、久しぶり」

 それでも平静を装ってなんでもない様に声を掛けてきた。しっかり目が合ってしまったので、見て見ぬ振りをして子供扱いされるのが嫌だったのだろう。それでも緊張が収まった訳ではなく、不自然に腕の中のパメラには視線を向けていない。こんな所は素直な子供で、かわいらしい。だが、再度口を開いた少年は、爆弾を放り投げてくれた。

「仲直りできたんだな。良かった良かった」

「仲直り・・・・・・?」

 パメラが顔を上げ、発言主の少年を訝しげに見つめた。

「うっ! やべっ!」

「仲直りって、誰と?」

 パメラは抱かれたままムツの肩に手を置きながら背筋を伸ばし、上からムツを見下ろして震える声で云った。

「他にもこんな事してる娘がいたんだ?」

「違う。いない。誤解をしている」

「下ろして」

 逆らえずムツがパメラを下ろすと、有無を云わさず平手が飛んできてムツの頬を叩いた。

腰とスナップがきいており、バチンと盛大な音が鳴り、少年がひっと悲鳴をあげた。

「・・・・・・最低っ!」

 パメラは俊足で走り去ってしまった。あっという間に消えてしまい、後には呆然としたムツと少年、それに数人の野次馬だけが残された。

「ごめん、にいちゃん、本当にごめん」

 ムツはパメラが消えた方を見つめる。

 これは、どうなのだ。ここまで含めて演技の可能性が消えた訳じゃない。でも、これまでと今のパメラを素直に受け取るなら、「気になる異性をからかったら逆襲され、混乱のまま覚悟を決めたのに、相手には実は特定の相手がいた」という図になってしまう。

 逆の立場で考えてこんな事をされたら無茶苦茶傷つくし、ムツは最悪の軟派野郎という事になる。

 演技であって欲しい。それなら、「してやられた馬鹿な男」で済む。演技の可能性。これは、願望か? 時折感じる確信めいた直感でこそないものの、見当違いな想定ではなかったはずなのだが。

「にいちゃん、放っておいていいの? おれが云うのもなんだけど・・・・・・」

「今は、いい」

 ムツは去り際のパメラのキツイ表情と涙を思い出してそう答えた。

 演技だったのなら向こうから必ず接触があるだろうし、そうではなかったのなら、掛ける言葉が見つからない。こちらから接触する方法は盗賊ギルドのあるらしき場所付近をうろうろする事ぐらいだが、今それをして事が良い方向に進むとは思えない。苦渋の保留だった。

 

 少年はバツが悪そうに頭をかき、うつむいてしまった。

「別におまえは悪くない。気にするな」

 ムツは、少年の頭を強く撫でた。それでも少年の表情は優れない。悪いのは完全に自分であり、この少年に責はない。しかし、それをどうやったら伝えられるだろうか。

 少年に掛ける言葉を考えていると、野次馬が不自然に静まりかえったのに気が付いた。何事か。原因はすぐに判った。一人の男だった。暗黒騎士だ。全身黒のフルプレートの鎧で身を包み、2メートルを超える黒槍を持っていた。表情の無い顔というのは、この男のような顔を指すのだと思った。怒りも、悲しみも、喜びも、何も感じられない。ただ、その姿から「強さ」だけが伝わってきた。一瞬先、あの槍で突き殺されるのでは無いかという根源的な恐怖が生まれる。今まで見てきたどの義勇兵、暗黒騎士とも違う。

 黒槍の男は、こちらを一瞥する事無くこの涸れ井戸の小広間を通り過ぎると、静寂を運び去っていった。

「何者だ? あれは」

「そっか。にいちゃんは初めてか。あの人はね、バルクって暗黒騎士だよ。黒槍とか、死神とか呼ばれてる。優しくて、怖くて、すげー強いよ」

「怖くて強いのは判るが、優しいってのは想像がつかんな」

「食べ物くれるし、助からない病人は殺して埋葬してくれる。困っている人がいれば、助けてくれる。うちのねえちゃんにもギルドの仕事を紹介してくれたんだ」

 落ち込んでいた少年は、陰りを残しつつも一転して誇らしげに語った。

「好きなんだな、黒槍のこと」

「勿論。いつか、おれもあの人みたいな暗黒騎士になるんだ」

「暗黒騎士? 兵士志望なのか?」

「嫌だよ、あんな奴ら。おれは義勇兵が良い」

 少年は、憎々しげに語った。なぜ、兵士が嫌いなんだ? 街を守る主戦力は兵士だ。奴らが守っているからこそ、ゴブリンやグール、コボルトにオークなど、街を囲む敵戦力があるにも関わらず、暮らしていけている。そうではないのだろうか? 義勇兵は突然現れた新参者が殆どだ。給料も待遇も安定性も、全て兵士の方が優遇されている。

「あいつらが守ってるのは、金持ちと城だけだよ。あとはおまけ。おれたち貧乏人の事なんて、どうだっていいんだ」

「じゃあ、黒槍は義勇兵?」

「兵士でもないけど、義勇兵でもないと思う。いつもは、ギルドで先生をやっていたり、罪人や賞金首を始末してるらしいよ」

 黒槍について語る少年の目は生き生きとしている。人に好かれると言うことは、本当に良いものだ。今し方盛大に嫌われた蓋然性が高い身の上としては、尚更に羨ましい。

「じゃあ、将来の為に今から強くなっておかないとな」

「そうなんだよなぁ・・・・・・。でも、どうしたら・・・・・・ん?」

 少年のムツを見上げる目が、遠くを見つめる憧憬から、そこに居るムツにピントを合わされた。

「ところで、にいちゃんは義勇兵だよね? 今更だけど」

「そうだな」

「強そうだね」

「まだまだだが、最初に比べればかなり力はついただろうな」

「・・・・・・盗賊?」

「武闘家だ」

 少年は、「武闘家・・・・・・」と呟くと、考え込んだ。ムツの端から見て判る盛り上がった筋肉に、改めて視線を向けた。

「にいちゃん。いや、確かムツさん? おれ、ザックっていいます。少しでいいので、身体の鍛え方を教えてください!」

 真剣な眼差しだ。夢を追う少年の手助け。未来ある少年への協力は、紛う事なき善行だろう。

「急速に強くなりすぎだから、ここいらで強制休暇」とのふざけた理由で道場を追われた苛立ちと、パメラの一件の不安と後悔と、まだくすぶる警戒。「悪意の視線」を受けると腹の中でどこからともなく沸いてくる、どす黒いもやもや。

 少年への手助けは、それらを薄めてくれるかも知れないとムツは思った。

 ムツは、少年ザックに「ムキムキにしてやる」と笑いかけ、道着の袖を肘までめくり、拳を作り、太い腕に浮き出た血管を見せつけた。

 ザックは、「すげ・・・・・・」と純粋に驚き、「ムキムキか・・・・・・」と破顔した。

「当然、きついが、いいんだな?」

「はい! 先生!」

 子供は、良いものだ。大事にしないといけない。痩せて亡くなった小さな少女の事を思い出す。思えば、あの時のパメラは本気で憤っていた。本物の感情だった。例え、その後こちらの事を操ろうとしていた事が杞憂ではなく事実だったとしても、パメラという人間の本質が善良な事に変わりはない。その人間を、多分、俺は大きく傷付けた。

 ムツは、ザックの期待の眼差しを受け、パメラとの関係の修復を図ろうと決めた。

 

「まず、普段行うトレーニングだけど、ザック、お前はまだ成長期だ。だから、身体の成長を阻害する無理な運動は逆効果だ。身体を丈夫にするには、栄養をきちんと取って、適度に身体を動かす事が最善だ。栄養を取るといっても、金には限りがあるだろうから、あまり美味くなくて人気はないが、成長には良さそうな魚と野菜、豆をいくつか教える。これから市場に行くぞ」

「え、ええっ~~!? そういうのは姉ちゃんに教えてやってよ。それよりも、ババーンと強くなれる方法をさ・・・・・・」

「走れ」

「・・・・・・それだけ?」

 ザックは期待外れな目でムツを見つめた。

「まずはそれだけだ。だが、ザック。俺を見ろ」

 ムツは、熊が威嚇をするかのように、手を大きく広げた。影が広がり、小さなザックの身体をすっぽりと被った。

「しっかり食べて、体力をつければ、こんな風に身体は丈夫になる。そうすれば、長く戦えるようになるし、攻撃力も、防御力も上がる。武闘家だけじゃない。暗黒騎士や戦士のような前衛職は、身体が大きいという事は、それだけで絶対の有利だ。強くなりたいのなら、これは信じろ」

「にいちゃ・・・・・・先生の云うとおりに食べて、走れば、本当に強くなれるの?」

「なれる」

 ムツは、大きく頷いた。

 実のところ、記憶を失う前にどんなものを食べて、どんな風にトレーニングしていたかなんて、覚えていない。だが、ムツが話した事は、ムツの根幹(こんかん)に関わることだった。理屈抜きで、間違っていないと確信できる事柄だった。

「判った。教えて下さい、先生」

 ムツは、イマイチ納得していない様子のザックの背を、市場に向けた大通りに続く方向へパンと押した。その方向は、図らずもパメラが消えた方向だった。

 

「う~~、足と頭がパンパンだ~~」

 魚介類の取り扱いがある店を中心に、市場を練り歩いて元の涸れ井戸へ戻ってくると、日が暮れかけていた。ザックは座り込み、涸れ井戸に寄りかかり、足を伸ばしてだらけている。

「何を情けない事を云っている。姉さんに今日覚えたことを伝えて、明日からは1時間はしっかり走れよ」

「うへぇ・・・・・・」

「さて・・・・・・余裕があるなら、戦闘訓練を少しやるか?」

「えっ!? 戦闘訓練!? マジで!?」

「少しな」

「やるよ! やるやる!」

 ザックは泣き言など無かったかの様に勢いよく飛び上がった。

「なら、まずは俺の動きをよく見ていろ」

 ムツは、トントンと軽くジャンプをし、何もない空間に向けて半身で構えた。

 左ジャブを3回。右フック、左アッパー、踏み込んでの右ストレート。最後に、大技の胴廻し回転蹴り。ムツが回転しながら蹴り足が孤月を描き、しっかりと着地をした。全ての動きが連動し、遅滞なく一瞬で連撃が行われた。

「えっ? え・・・・・・ええぇぇ~~~!?」

「どうだ?」

「凄い! 先生、本当に凄い人だった!?」

「身体を上手く扱えれば、スピードが上がって、自ずと攻撃力も跳ね上がっていく。こうなると、楽しいぞ。俺は剣は使えないが、同じ事だ。明日からの訓練、できそうか?」

「やるよ! やるやる! もう一回、もう一回見せて!」

 派手な事をすれば、注目を浴びる。この視線は嫌いじゃない。

 ムツは、いいぞ、とザックを右腕を椅子代わりにして持ち上げた。

「うわわわわっ」

「頭を掴んでいいぞ」

 ザックはおそるおそるムツの頭を掴んだ。増え続ける野次馬も、今度は何をするのだろうと見守っている。大人は皆大道芸人でも見るかのようだが、子供は羨ましげに見上げる者も少なくなかった。

 これから行う技は、未完成。技術の初歩をなんとか形に出来ただけで、実戦投入はまだまだかかる上級技だ。クヌギがこの技を上級技の中でも得意としている為に早めに訓練を開始できたが、正直自力が足りていない為に、完全習得には年単位の時間がかかりそうだ。

 それでも、これぐらいの事はできる。燃費が悪すぎるので、()()()()()()()()ようには本当に気を付けなければいけない。

 ムツは、手近な平屋の家に向かって走ると、飛び上がった。3メートル以上の高度に達し、悠々と石製の家の屋根に着地した。そして、もう一回。この建物の隣の、2階建ての建物に飛び上がり、余裕で着地した。涸れ井戸の広場まではかなりの高さだ。

 ムツは、息切れするのを気合いで我慢をして、余裕顔でザックに「どうだ?」と問いかけた。男は、女と子供の前では特に格好つけたがりな生き物なのだ。仕方ない。

 ザックはパクパクと口を開閉し、「すげええええええええええええええ!」と絶叫した。

 同時に下からも歓声が聞こえてきた。

「俺も、頑張ればこんな事、出来るようになるかな」

「一流の暗黒騎士なら、似たようなことは出来るかもな」

「あの人もできるのかな」

「黒槍?」

「そう」

「多分な」

「そっか」

 下から見えない角度へ移動すると、下からのざわめきも少しずつ落ち着いていった。

「日が沈むな」

「うん」

 オルタナの西側には海が広がる。スラム街はオルタナ西部に位置し、「海に沈む夕日」は割と身近な存在だ。だが、ザックはムツに持ち上げられたまま、ムツの肩に背を預け、物珍しそうに沈む夕日を眺めていた。

「黒槍に憧れてるから、暗黒騎士になりたいのか?」

「勿論それもあるけど、暗黒騎士のギルドには一杯世話になってるから、恩返しがしたいんだ」

「暗黒騎士ギルドに世話?」

「暗黒騎士ギルドは、死に敬意を払ってくれるし、良い死に方が出来るように、手助けしてくれる事もある。だからオレは、姉ちゃんの事が無くたって、何もしてくれないルミアリスの奴らなんかより、ずっと好きだ」

「スカルヘル教徒なんだな」

「うん。多いよ。この辺りじゃ。死んだ時、この首飾りをしていれば、ルミアリスの墓地じゃなくて、こっちのやり方でギルドが埋葬してくれる」

 ザックは、首元から下げていた木片を服の中から取り出した。木片には、髑髏が彫られていた。あの女の子は持っていなかったものだ。だが、これから、また()()()があったのなら、気を付けなければならない。

「スカルヘル教徒であれば、暗黒騎士ギルドに運べば、埋葬してくれると?」

「うん。凄く丁寧にね。オレも死んだら、そうして欲しい。ただ燃やされてゴミみたいに捨てられるのは、嫌だ」

 ムツは、言葉を返せなかった。ムツも、ここ一月の間、死を身近に置いてきた。しかし、この10歳ほどの少年ザックは、この道の先輩だった。死に対する向き合い方が、違う。

「先生さ。パーティー組んでるの?」

「ああ。神官と二人で、この間はオークを狩った。今は修行期間だが、これが明けたらまた闘いに赴くつもりだ」

「二人で? 凄いんだね。でもさ・・・・・・」

 口ごもったザックに、ムツはただ言葉を待った。

「でもさ、死なないで。また、色々教えて欲しいこと、沢山あるからさ」

「死なない。目的があるから」

「うん」

 日が沈み、陽の余韻も消えた。

 ザックの表情は見えなかった。

 ムツも、死を想った。

 

 

 

「ところで、にいちゃん」

「なんだ?」

「相手は一人に絞った方がいいよ。絶対」

 説明には四半時を要した。

 

 

 

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