壺中の天とグリムガル   作:カイメ

9 / 13
2-1

 薄暗く広い店内の数少ないランタンの蝋燭が燃え尽き、付近は一層暗くなった。毒イモリの酒場を象徴する、壁に飾られた巨大なイモリの絵画が不気味に陰影を深める。年季を感じさせる店内には静かな一人客が多く、限られたカウンターは埋まり、一人しか座らぬテーブルの空席は待ち人に焦がれている様にも感じる。

 一方、複数人でテーブルを囲む卓は必要以上に騒々しい。静かすぎる酒場というのも不気味なので、これもバランスが取れているとも云えるのかもしれない。両極端だが、どちらの客も、目を合わせてはいけない人種、と云う面では共通している。間違っても、大通りにある義勇兵御用達の酒場の様に日頃の情報収集などには使えない。「やあ、最近のトレンドの狩場はどこだと思う?」などと空気を読まずに懇談を試みようものなら、強制的に口をつぐまされる事だろう。

 マナトが声をかけるまでもなく、絶対に堅気ではない隻腕で髭面の店員がランタンの中の蝋燭皿を交換した。店主だろうか。仲間のハルヒロなら萎縮して小さくなるだろうし、ユメは物怖じしないので注意が必要だ。一緒にいると大変な部分もあるが、心が安らぐ。でも、彼らはこの場に居ない。居ようはずもない。

 席を共にするのはその仲間の一人。不味そうに陶器を傾け強めのエールを喉に流し込む暗黒騎士のランタだけだ。

 店員が吊るされたランタンの新たな蝋燭に指先を添え、ボソリと何かを呟くと、灯がともった。魔法だ。

 この世界グリムガルでは別段珍しいものではない。特にこの人類領域前線の町、オルタナではそうだ。

 かく云うマナトも神官として回復魔法を使えるし、同席しているランタは暗黒騎士固有の能力悪霊招来(デイモンコール)で悪霊を呼び出せる。仲間の魔法使いのシホルは火魔法こそ使えないが、闇魔法を扱える。派手さはないが、敵を拘束妨害する強力な魔法だ。

 良いパーティだと思う。記憶を失い何も判らず放り出された最初の頃から比べると、個々の能力も成長しているし、連携も拙いながら様になってきている。

 実際、オルタナ北のダムローでのゴブリン狩りは、弩持ちにさえ気を付ければ3体までなら苦戦することは無い。デビュー初日、裸の泥ゴブリン1匹にてこずっていた事を思えば、凄い進歩だ。思えばまだ然程の時が過ぎた訳でもないのに、濃密な時間に眩暈がしそうな程だ。

「おっさん、同じの」

 テーブルに突っ伏しながら空になった陶器と銅貨を振って、ランタが蝋で満ちた蝋燭皿を持った店主を呼び止めた。一見、ユメと同じで物怖じしていない様だが、マナトはそれが違うと知っている。己の衝動に素直なのだ。短絡的とも云う。実際、店主の壮絶な半生を窺わせる様相を確認した瞬間、陶器の動きがピタリと止まった。

「おい」と店主が露出の多い給仕の女を呼ぶ。無駄に揺れる胸部に目のやり場を心配する間もなく、女は愛想無く新たな陶器と銅貨を交換していった。客を取る事もありそうなものなのに、その態度はどうなのかとも思わなくもないが、問題はそこではない。

「ランタ、せめて普通のビールにしておいたら?」

「っせぇなぁ。俺はこっちを飲みてえんだよ」

「でも、昨日の今日なんだから……」

()()には残さねぇよ」

 マナトは、ランタから目を逸らした。かける言葉が思い浮かばず、自分の陶器に手を伸ばす。ランタと同じ物だ。ベースはエールであるが、何を混ぜているのか、いつも使っているシェリーの酒場のものと比べ明らかに酒精が強い。香りも味も薄いのに、飲み込むと不快な苦みを残しながら喉が焼けるように痛み、胃は異物に悶えるように蠕動する。悪酔いしそうな安酒だ。普段なら好んで口にするものではないが、確かに今の気分には適しているかもしれない。

 二人無言で吞んでいると、入口のスイングドアを撓らせ、男が一人入って来た。

 長袖の黒い道着に分厚い筋肉を思わせる体躯。がっしりとした長身の戦士モグゾーと体格は似ていても、より戦いに必要な密度を感じさせる。

 奥の空席に向かって歩くだけで、近くの荒くれ者らから鋭い視線を受けている。歴戦の古強者と誰もが信じ、反証など思いもよらないだろう。これで、同期の新人(ルーキー)なのだから反則だ。

 ムツだ。誰かを探しているのか暗い店内に目を凝らしている。この店の常連に用事とは、穏やかじゃない。ランタに教えようと思ったが、それより先に目が合った。既知感。前、一緒に呑んでいたのはハルヒロだったし、場所もこんな危ない店では無かったが。

「珍しい所で会ったものだ」

「あー? なんだ、お前かよ」

「なんだとはご挨拶だな」

余り良い酒じゃなさそうだな、とマナトに向けられた言葉に、ランタが「ああ、糞不味い」と突っ伏しながら応えた。

「うん。まあ、色々あって」

 自然に席に着いて注文を済ませたムツを二人は咎めない。ムツは出会いから同期全員に強烈な印象を残した。デビューから注目の戦士として戦果をあげ続けているレンジと衝突したのだ。結果は痛み分けという形で穏便に収まり禍根も無いようだが、この出来事が第一印象としてマナトを含めた仲間達に与えた影響は大きかった。

だが、縁あって一緒に共同作戦を経験したこともあり、見た目とは裏腹にムツの理不尽とは程遠い穏やかで丁寧な人柄は理解され、今では正式な仲間でこそないものの、気の置けない間柄になっていた。

 見た目と異なると云えば、これでムツは思慮深く、鋭い。それが今は、()()()()

「不味いな。酔っぱらう為の酒だ」

 同じ物を注文したムツは、口に含めるなり顔を顰めた。

「云っただろーが」

「では、どうしてだ?」

 これだ。不味い酒を、ランタと二人で、治安の悪い区域に足を踏み入れてまで呑んでいる理由。異変を察し、遠慮せずに切り込んでくる。空気を読めないのではなく、読まない。噓をついたり、誤魔化したりなどしないと信じた直球。マナトには出来ない芸当で、ズルいと思う。

 真顔で二人に問いかけるムツに、マナトとランタは言葉に詰まった。

「あれだ。ほら、ハルヒロの奴がまたつまんねー事を――」

「ハルヒロか。そう云えば夕方、死にそうな顔で歩いていたな」

「――。嫌な奴だな、お前」

「聞いたの?」

「いいや、遠目で見かけただけだ」

ランタが舌打ちをし、マナトも大きく嘆息した。全てを聞いた上での嫌味ではなかったらしい。考えてみればそんな事をする意味も無ければ、性格でもない。しかし、罪の告白をしろと迫られている気分だった。

マナトは、口唇を持ち上げた。歪んだ笑顔をしているだろうなと思いつつ、もう一口気付けをして今朝のハルヒロの怒声から始まった騒動を思い返した。

 

 

「お早う、モグゾー」

「あっ、おはよう、マナト君」

 マナトが日々肌寒くなる朝の空気の中、顔を洗い、身支度を整えて台所に入るとモグゾーが朝食の準備を整えていた。オンボロ宿舎にしては、風呂とこのダイニングキッチンだけはしっかりとしている。厳しい財布事情の中、隙間が多く端が割れた卓上には、昨日買ったパンが積まれ、既に人数分の皿の上に目玉焼きとゆでた緑の根菜が添えられている。

さらに鼻をくすぐる濃厚な香り。モグゾーは古くなってしまっていたチーズを使ったのだろう、スープを鍋で煮込んでいる。これは以前にも提供されたことがある。ベースは薄味で飲みやすいが、とろみがあり腹持ちも良く、一日の力になる。何より、抜群に美味しい。皆が健康的な美味しい食事に毎日ありつけているのは、このモグゾーの尽力によるところが大きい。

さらにマナトは、戦士であるモグゾーが食事を作る前に毎朝素振りを行っていることも知っている。マナトもなるべく手伝うようにはしているが、昨夜の深酒が祟り、朝の鐘が鳴るまで起きられなかった。

「ごめん、寝坊した」

「大丈夫。昨日は楽しかったから」

 穏やかに笑うモグゾーに、朝食当番含め誰も起きてこない事への不満は伺えない。朝食当番は当初こそ全員の持ち回りだったが、今はなし崩しにモグゾーの手伝いと化している。今日の当番のランタはマナトの起床時まだイビキをかいていた。その事は昨夜から予想できていたのでマナトが代ろうと思っていたのだが、この始末だ。人の事は云えない。

「モグゾーは大丈夫?」

「お酒? 皆、沢山呑んでたからね。でも俺は呑むより食べてたから」

 マナト達新人(ルーキー)パーティの狙いのゴブリンは、貴重品を入れた通称ゴブリン袋を持っている。昨日の狩りでは当たりのゴブリン袋を得ることが出来たのだ。特別強かったり見た目が派手だったりした訳ではなかったので、思わぬボーナスで士気も上がった。そして女性陣のユメとシホルが酒場に行った事が無いという事もあり、慰労を兼ねた酒宴は全会一致で採択された。財布を預かる身としては注文のペースに肝を冷やしたものの、引っ込み思案なシホルから冗談が零れる程に、楽しい宴会だった。

「いい匂いだね」

「今朝は食べやすい方が良いと思って。薄味にしてるよ」

 モグゾーが味見用の小皿に一口掬い、差し出した。チーズは香るが、シチューほどこってりはしておらず、細切れにされた野菜の甘さがあっさりとした旨みを表立たせている。これに浸せば安物の硬いパンだってするりと喉を通るだろう。

 美味しいと云う素直な感想に笑顔が返された時、頭上から怒鳴り声が聞こえた。

『おまっ! ふざけんなよ!』

「ハルヒロ君?」

 寝室でまだ寝ていたはずのハルヒロの怒鳴り声。ランタと口論する事も多いハルヒロだが、声を荒げるのは珍しい。

「見に行こう」

 モグゾーが鍋を火から下すのを待って、二人階段を駆け上がると、丁度シホルとユメも部屋から出てくる所だった。本来は男女が同じ宿舎なのは問題だが、わざわざ別の棟を借りるのは不便だし、掃除等の問題もある。今は自分たち以外に義勇兵宿舎を利用しているパーティも居ないので独占状態。4人部屋二部屋と6人部屋一部屋がある二階で、6人部屋を挟む形の4人部屋二部屋のうち、階段を上ってすぐの部屋を男性陣が、通路奥側を女性陣が使っている。寝巻姿の二人に目礼を送り、部屋に駆け込むと、ハルヒロが二段ベッドの下側に腰掛けるランタの胸倉を掴んでいた。

「ハルヒロ!?」

「ああ、丁度いい。マナト、お前今日俺の看病な。――いつまで掴んでんだ。近ぇんだよ」

 ランタがハルヒロを振りほどき、押し出すと、狭い室内でハルヒロはたたらを踏み、モグゾーに受け止められた。

「――どこまで、身勝手な――」

「ハルヒロ君、落ち着いて」

「朝から、なんなん?」

「けんか?」

 再度ランタに詰め寄ろうとするハルヒロをモグゾーが後ろから抱き留めたところで、パーティ全員が一堂に会した。ふいに、睨み合うランタとハルヒロ以外の視線がマナトに集まった。――判ってるよ。

「ハルヒロ、こっちを見て」

「マナト、こいつが」

()が、聴くよ。いいかな?」

「……判った」 

ハルヒロは前傾姿勢を解き、モグゾーの腕をタップし、放してもらう。後ろへ下がる二人と入れ替わる形で、マナトはランタと向かい合った。

「ランタ、具合悪いの?」

「見て判んねーか? そーだよ。頭は痛いわ、気持ち悪いわ。ったく、病人に何てことしやがる」

「病気じゃないだろ」

 ハルヒロの毒づき。ハルヒロの様子と今の症状から素直に考えれば……。

「……二日酔い?」

「ランタ、二日酔いで休みたいゆーとるん?」

 そう云う事だろう。思ったよりも深刻な話じゃなくて良かった。モグゾーも同感なのか、ほっと大きく嘆息した。

「ランタ君、昨日は凄く呑んでたものね」

「ばかな事ゆってないで、ごはん食べよ。もうユメ達、お腹ぐーぐーやって」

 達。ふっとシホルと目が合う。

「いやっ、あたし、太ってるけど、そんなっお腹なんて」

「え? シホル、お腹空いてないん? あのスープ好きってゆってたやん」

「いったけどっ、鳴らしてはっ」

 音を立てる事など許さないとばかりに、シホルはお腹を隠すように腕を組み、後ずさりした。図らずも薄着の寝巻に恵まれた胸部が持ち上げられ、揺れた。

「っ!」

 モグゾーも、怒り心頭だったハルヒロも一斉に目線をあらぬ方向へ向けていた。その最中、「す、すげぇ」「おぉー」と云う素直な凝視に「ふ、太ってるだけだから」とついに視線を遮るように腕を持ち上げたシホルは部屋の外まで後退してしまった。

『…………』

 こう云う困った“間”も天使が通り過ぎる、と云うのだろうか……。

「あー、だから、何だ。今日はほれ、お前ら4人で行っとけ?」

寝ぐせ頭を搔きながら面倒そうに、マナトを真っ直ぐ見ながらランタは云った。再度、空気が張り詰める。

「ランタ? 本当に?」重篤には見えない。

「もういいって。こんな奴、放っておけばいい。今日は5人で行こう、マナト」

「だから、マナト(こいつ)は俺様の看病。神官だからな。お前らは、せいぜい準備して行けよ」

 意図が見えない。ランタは奔放で、考えなしに行動することも確かにある。でも、これは本当にただの我儘なのだろうか。

「無理に決まってるだろ。本当に馬鹿だ馬鹿だとは思っ――」

「無理? 無理っつったか? パルピロ、いや、バカピロ。モグゾー、お前はどう思う? そっちの女どもは?」

 頭痛を我慢しながら面倒そうに、しかし3人にランタはしっかり目を向けた。なんだろう。ランタらしからぬ強い意志を感じる。滅茶苦茶なのはいつもの事のはずなのに、まるで本気で何かが腹に据えかねているような。

「ぼくも、やっぱりマナト君が居ないのは困る、よ。も、勿論、ランタ君もだよ」

「そやなあ。ランタもいないよりいたほーがええけど、マナト君がおらんかったら、ユメも怖いなぁ」

「……」

「シホルぅ、お前はどうなんだよ」

「……なんでそんなに偉そうなの? ユメと同じ。――ランタはいなくてもいいけど」

「最後の! 小声でもこの距離なら聞こえんだよ! ()()()()()()()()」ランタはベッドに腰掛けたまま足を組み、頬杖をついた。「――お前ら、ヌルいんだよ。やる気が出ねぇのは、お前らのせい。なんでそんなお前らの為に、こんな糞頭痛ぇ中、体張らなきゃなんねーんだよ。冗談じゃねぇ」

「ヌルい?」昨日は戦果を挙げて祝勝会をやった。何が不満? 昨日の酒宴、お開きに近い時間、確かにトイレから戻ったランタの様子が少しおかしい気がしていたけれど、それは酔っぱらったからじゃなかった? 何かがあった? 何が?「ランタ――」

「今度はアイツ、童貞卒業したらしいぞ」

「どっ……」

「シホルぅ、おまえ真っ先に反応したな。でも、そういう意味じゃねーのはわかんだろ」

「オーク討伐?」

「そーだ、モグゾー。オークを殺して義勇兵は一人前。また差がついちまったな」

「ほえー? ムっちゃんが?」

 そうだろう。ほかに居ない。同期のレンジ一行がとっくに果たしているのは周知で、これだけランタがムキになるのはムツぐらいのものだ。しかし、ムツがパーティを組んだという話は聞かない。つまり……?

「まさか、単独で? 無茶な!」

 ハルヒロの思考とそっくり重なる。いや、皆同じだろう。

 ムツ。恵まれた体格を鍛えこみ、技術も高い。今更確認するまでもなく、強い。でも、素手で防具も貧弱の一言。それでオーク相手など、正気の沙汰ではない。

オークは総じて人より大きい。子供サイズのゴブリンとは別次元の相手だ。体格は扱える武器に直結し、大きくて重い武器はそれだけで攻撃力を跳ね上げる。オークが扱う剣は、その剣技をもって一振りで人間を死に至らしめる。それを受け止める武器も、身を守る鎧や盾も無いという事は、鋭利なすべての攻撃を避け続けた上で反撃し、撃破したという事。どれだけの力量差があればそんなことが可能なのか。いや、それだけの力量差など常識の域を超えている。力量差など然程も無いままに、勝敗を覆したのだ。()()()()()()()……!

 

「……で?」静寂を破ったのはランタだった。「どうなんだ? 4人がかりでゴブリン討伐。()()なのか? 俺様はできるぞ、一人だってな。今日はアレだけどな。普段なら余裕だ。お前らは? 4人。どうなんだ?」

「……できる。できるさ! 俺だって、前よりは、強くなってる!」

 モグゾーは発奮するが、残りの3人は後には続かない。困った視線は、いつもの様にマナトへ向かう。

 どう応えるべきか。神官無しの討伐は、リスクを跳ね上げる。自明だ。検討するまでもない。では、リターンは? 得るものとは? 判らない。判らないんだ。いつまでもゴブリン狩りから抜け出せる気配さえ感じられない現状。進むには、何をすればいい? オレだって、何でも知ってる訳じゃない。皆の事を守りたい。だから何でも調べるし、修練も積む。でも、オレは教会の聖人じゃないし、本当は頼れるリーダーなんかでもない。でも、それは云えない。崩れる。致命的に。それが嫌なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()、泰然としていなきゃいけない。考えなくちゃいけない。

 ムツは一人で戦って強さを得た。大変な目に合っているのも知っている。同じことはできない。でも、「神官無き戦闘」程度なら……? 絶対に不可能という訳じゃない。「神官がいる」状況では得られないもの。慎重さ? 戦法? 回復してもらえて当たり前という甘え? 確かに、それはあるかもしれない。でも、それは本当にいけないのか? 治療してもらえると信じてもらえるからこその戦法で、腕を上げてきた。間違ってなどいないはずだ。だが、果たしてこのままで、オークを討伐できる日はやってくるのだろうか? あるいは、間違ってなどいないと、信じたいだけなのか? ――信じたいだけ……?

「……うん、もし、4人が試してみてもいいって云うなら、一日だけなら」何を口にしている? 違うだろう。

「ただし、決して無理はしない事。危ないと思ったら戦果ゼロでも帰ってくる事」求められている言葉は、そうじゃないだろう。ほら、ハルヒロも、シホルも、ユメだって驚いている。

「安全第一を心がければ、良い経験になると思うよ」そんな保障など無い。安全も無い。事故はいつだって起こり得る。確実なリスクに対し、リターンは不透明。合理的じゃない。リーダーらしくない。じゃあ、何故こんなことを……?

「ハルヒロをリーダーに、モグゾーもムツみたいに、なんて思わないように、慎重に。シホルとユメがハルヒロを支えられれば――」願望か。

「――今なら十分に、4人でもゴブリンと戦えると思う」オレに、何でも寄りかかり過ぎないでくれ。頼むから。

 

 結果として、4人は不安を押し殺し足取り重く出発し、帰還した。ハルヒロは統率に失敗し、モグゾーは治療してもらえない恐怖から力を発揮できず、敵の足止めに集中せざるを得なかったユメは増援の察知に遅れた。そして、乱戦。シホルへの攻撃を許し、敗走した。

 顛末の報告を受けながらのシホルへの治療中、マナトがいれば、全て起こらず、対応できた事だった、とは誰も口にはしなかった。

 

 

「それで、ハルヒロは大丈夫なのか?」

「あ? なんで今の話を聞いて怪我したシホルじゃなくてハルヒロ(あいつ)を心配する?」

 ざっくりと今日の出来事をマナトが語った先、ムツが嘯いた。ランタは怪訝な顔を隠さない。ハルヒロがどんな様子だったか? 落ち込んでいた。だが、それは全員だ。

 この失敗の責任はリーダーとして決断した自分にある。でも、誰も責めなかった。じゃあ、皆は、誰のせいだと思っているんだ? 現場で指揮を執っていたハルヒロは?

ああ、どんな顔をすれば良いか判らない。微笑みは適当ではない。後悔していて然るべき事態だ。――それは、どんな顔だ?

「ここに二人がいるという事、俺が見かけた時4人が歩いて帰還していた事を鑑みれば、怪我自体は重篤なものではなく、既に治療は完了しているものと推察できる。一歩間違えれば死ぬ所だったらしいシホルの心のケアは必要になるだろうが、“自分のせいで仲間が死ぬ所だった”というのは、よりきつい」

「はーん。リーダー代理だったハルヒロが一番罪悪感を感じてるはずだ、と。確かに、あのバカ裏で吐いてたな。バレバレだったが。でもその理屈でいやぁ、最終的なゴーサインだしたこいつの方が……おい、なんて顔してやがる」

「え?」そうだ。どんな顔だ?

 口元に手を当てる。口唇が吊り上がっている。顔全体に力は入っていない。表情らしい表情は出ていない。でも、口だけが笑っている。それは一体、どう見える?

「大丈夫」

「そうは見えねぇがな。勘弁しろよ、マナト。お前が折れたら、俺は抜けんぞ」

 抜ける……? 何から? 俺たち(パーティー)からか? そんな、事を、本気で云っているのか? 腹が立つ。許せない。俺も、悩んでるのに。折れたらだって? 元はと云えば、お前が云い出したからじゃないのか。そうだ。そうだろ。

「ランタ、もとを辿れば――」

「怒ったな、マナト! どうすんだ! 首にするか? してみろよ! できるもんならなぁ!」

 できないとでも? パーティへの影響? 一時的に戦力が低下したって、戦士と神官以外で選ばなければ補充の見込みが無い訳でもない。それで良いなら。そこまで云うなら! 

「ラン――うわっ!」「どわっ!」

 マナトがテーブルに手を付き立ち上がると同時に、ムツが陶器をテーブルの中央に叩き付けた。破片と飛沫がマナトとランタを襲い、マナトの手に沿うようにテーブルに広がった酒が隙間と端から滴り落ち、ズボンを濡らす。二人が思わず後ずさると、押された二脚の椅子が同時に倒れた。

「不味い」

 シンと静まり返った酒場にムツの声が響いた。

「こんなものを何杯も飲んでいたら、悪酔いもする」

 ムツは、手に残った取っ手を、テーブル中央の陶器の破片の山へ投げ捨て、険しさを増した店主へ「まともなエール」を注文し、一杯の酒の注文には多い貨幣を支払った。

 立ち尽くす二人を無視するように酒はすぐに届けられ、一緒にボロ布と凹んだバケツが残された。

「うん……? うむ」

 ムツは、陶器ではなく木のジョッキで届けられた酒を口に含み、一瞬首をかしげたが、すぐに幾分満足そうに頷いた。

「うむじゃねーだろ! 何してくれてんのおめぇは! こっちはその糞不味い酒まみれだっつーの!」

「すまない」

「簡単に謝んな! あーあ……パンツまでぐっしょりじゃねーか気持ちわりぃ……」

 ムツは被害の多かったランタをしり目にどっかりと椅子に腰かけたままジョッキを傾ける。そこに、惨事を片付ける姿勢は見当たらない。酒は未だ滴り落ちている。

 マナトはとりあえず、大きな破片からバケツに放り込み、ボロ布を使って残りも片付けた。バケツに絞りながら、ざっと酒も拭く。床も気になるが、テーブルを綺麗にするのが先だ。一枚しかないボロ布は、床を処理した後はテーブルには戻せない。

「いきなりぶちかましやがって。何とか云えよ。張っ倒すぞ!」

「やってみろ」

 ランタの怒りなど眼中に無いとばかりに適当に応じるムツに、ランタが自分のジョッキに手をかけた。マズい。2秒後の大惨事。

「待て! ランタ! ムツもちゃんと説明して!」

 いきり立つランタの腕をつかんで抑止しながら、ムツを睨みつける。とっさに反応してしまったけれど、このまま何も云わないのなら、荒ぶるランタを解き放っても良い。そう視線に込める。

「腹が立った」

「なんにだ! はっきり云え!」

「そうやってマナトはランタを咄嗟に抑えられる。ランタもマナトが前に出れば尊重する。そんな関係性を簡単に捨てると云う。贅沢な話だ」

 贅沢? ランタも困惑している。酒から手を引き、マナトが手を放しても暴れる様子はない。

「信頼して補い合う相手が各々5人もいる。損害無く失敗もできて、問題点を洗い出すチャンスを得た。それでどうしてこんな所でくだを巻く? 理解不能だ。阿呆め。勿体ない。阿呆め」

「おめーは来たばっかで酔っぱらう程呑んでねーだろ。素面で切れてんじゃねーよ。アホ! アホアホアホ!」

「阿呆か。そうだな。そうだ。……そうか? そうだよなぁ……」

「ムツ、大丈夫?」

 明らかに様子がおかしい。目線も泳いでいる。ムツは別に酒に弱い訳じゃない。だのにほんの数口で急に泥酔したみたいな状態だ。

「いや、大丈夫だとは思うのだが、泣いてたからな」

「何の話をしてんだよ。誰が泣いてたって? シホルか? いや、ハルヒロか?」

「シホル? ハルヒロ? 何を云ってる? 関係ないだろ。だってあれは……」

 ピタリ、とムツが止まった。

「大丈夫じゃないのは俺だな。やられた」

 そう云って、首をがくりと落とした。深く座っていたので姿勢は安定しているが、意識を失い弛緩している。脈と呼吸を確認するが、両方少し早いが許容内。

「訳が分からん」 

 その通りだけれど、拙いかもしれない。

「ランタ、武器は、無いよね。警戒して」

 二人とも、今日は武装をしていない。帯刀すらせずに、重い空気から逃げる様に宿を出たからだ。

一見、周囲は様子が変わらない。そう、変わらない。これだけ騒いでいたのに此方の様子を覗う者が居ない。

それが逆に不自然だった。薬を盛ったとしたら恐らく酒場側。理由は? これからどう出てくる? オレとランタが無事なのは何故だ? 薬を盛るまでもないという事? いや流石にそれはない。ムツが目的だから。騒いだ後に注文した酒に混入された。オレとランタは追加注文していなかっただけ? ダメだ。酒で頭が回らない。理由よりも、今襲われたらを考えないと。二人とも、武器は持っていない。武器になりそうなものは、椅子、テーブル、陶器の破片、ランタン――。

「糞っ。狙いはこいつか。騒いでたからって訳じゃねーよな」

「ランタ、走れる?」

「今こいつを支えて走ったら吐く。どこで恨みを買いやがった」

「恨みじゃないわよ。ちょっとオイタが過ぎたから、お仕置きをするだけ」

 いつの間にか、女性が近づいてきていた。警戒していたはずなのに、音もなく意識と視界の合間を縫うように。ムツとの共通の知人だ。露出の高い服装の割に、眼鏡と落ち着いた話し方から知的な印象を与える、美女。ハルヒロも師事している盗賊。

「バルバラ、さん」

「マナト君。大丈夫よ。殺しはしないから。多分」

「うおっ美女。誰だよ。知り合いか。っていうか多分って何したんだ? で、マナト、この美女誰――」

「少し、お黙りなさいな。空気を読むのって大事よ。余計な怪我をしたくなければ」

 ランタは、切れ味の良さそうな刃が湾曲したナイフを前に、はい、黙ります、と素直に倒れていた椅子を起こして座りなおした。

 そこからは止める暇は無かった。隻腕の店主が器用に片手でムツを肩に担ぎ、バルバラと共に店を出ていくのに、フリーズしたランタが再起動する程の時間すらかからなかったのだから。

「あいつ、本当に大丈夫なのか?」

「多分。知り合いで、ハルヒロの先生だから、本当に殺されるとかは無いと思うけど……」

 ハルヒロが、「バルバラ先生は怒ると凄く怖い」と云っていたことを思い出す。ランタも同じだったのだろう。「美人だけど羨ましくはないな」と呟く。

「ムツが? ハルヒロが?」と問うと、ランタはどっちもだ、とぶっきらぼうに答えた。それで、マナトはランタと云い争っていた事を思い出した。すっかり毒気を抜かれてしまったが、これはこれで良かった。

「まあ、何だ。途中からおかしくなってたが、ムツの云ってた事も一理あるかもな」

 マナトは首肯する。ムツは強い。同期なのにずっと先に進んでいて、多分皆大なり小なり劣等感を感じている。でも、羨ましがっていたのは自分たちだけじゃなかったらしい。

「隣の芝生は青いって事だね。確かにオレたちは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そう思うと、悪くはねぇ」

 そう、悪くない。きっと、マナトが心のうちを少しばかり明かしたとしても、ムツの羨望が消える様なことにはならない。

「ハルヒロ、吐いてたって?」

「気付いてなかったのか? まあ、お前だって人間だもんな」

 今日の失敗は、多かれ少なかれ、皆の心に傷をつけた。特に、ハルヒロと、シホル。心優しいモグゾーとユメも責任を感じているだろう。マナトは今、それが少し嬉しかった。酷い話だ。リーダーとしても人としても、褒められた話じゃない。でも、きっと乗り越えて、進んでいける。

 酒を抜いて、明日はみんなとゆっくり話をしよう。少しだけ、正直に。今までの自分らしくなくとも。

 そう、悪くない。

 二人は自然と安酒を置いて席を立った。ランタは上機嫌に哄笑している。立派な酔っ払いだ。酒場の客も給仕の女も、片付けの半端な荒れた席を残しても、止める者はいない。それを後目に確認して、マナトも喉の奥をクツクツと鳴らした。

 




更新再開しました。
毎週日曜日の週1更新予定です。
2章書き終わってからと思っていましたが、ストックを放出しながら補充する投稿スタイルとなりました。
コメントや感想はコンスタントな投稿への強力な燃料となります。

それでは、ハルヒロや大英雄とは違った視点のオルタナの風景にて、相変わらずのムツをお見守り頂ければ嬉しく思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。