ARIA The SUBMARINER   作:ルナ中尉

6 / 12
作品の方向性としては
シリアス7割 日常3割 あとはちょっと恋愛も絡めます。


第4話 ~その、冷たい距離は~

朝のネオ・ヴェネツィアは、前日と変わらず穏やかだった。

 

水路を渡る風。

ゆっくりと進むゴンドラ。

街は今日も、何事もなかったかのように目を覚ます。

 

だが、火星にとっては違った。

 

ARIAカンパニーの一室。

簡素な客室で、火星は窓辺に立っていた。

 

(……まだ、戻らないか)

 

財布のことだ。

焦りはない――そう言い聞かせてはいるが、

軍人として染みついた“確認できない不安”が、じわじわと残っている。

 

身分証。

ID。

地球での立場。

 

この星では不要なもの。

だが、失っていいものではなかった。

 

特に、火星の身分。

2日前に宿にチェックインした時もそうだった。

宿主の明らかに眉をひそめる動作。

 

この星の歴史や、過去の様々な"事件"によって、この地の人間の

軍嫌いはもはや決定的だ。

 

「……」

 

火星は小さく息を吐き、上着を羽織る。

 

いつまでも部屋に籠っている性分ではない。

考えるなら、動きながらだ。

 

⸻

 

通りに出ると、すでに街は活動を始めていた。

 

市場へ向かう人。

仕事へ急ぐウンディーネ。

観光客の笑い声。

 

その中に――

ひとり、明らかに“違う空気”があった。

 

薄緑色の髪。

小柄で、華奢な体つき。

何より、美人だ。そしてまだ幼い。

だが、背筋は真っ直ぐで、歩き方に迷いがない。

 

(……)

 

火星は無意識に、その背を目で追っていた。

 

すると、少女が足を止める。

 

振り返る。

 

視線が、ぶつかった。

 

一瞬。

ほんの一瞬だったが、火星は確信した。

 

――警戒されている。

 

「……」

 

少女は、何も言わずにこちらを見ていた。

 

好奇心でもない。

恐れでもない。

 

拒絶だ。

 

「……何か?」

 

火星が先に口を開く。

 

声は低く、抑えている。

威圧するつもりはない。

 

少女は、一拍置いてから答えた。

 

「別に」

 

冷たい。

年相応とは思えないほど、感情を切り落とした声。

 

「ただ……」

 

少女の視線が、火星の胸元に落ちる。

そこにあるはずのものはない。

 

だが、彼女は“知っている”。

 

「ここは、あなたが来る場所じゃないと思っただけ」

 

「……どういう意味だ」

 

火星は、問い返した。

 

少女は少しだけ眉を寄せる。

 

「そのままの意味」

 

言い切りだった。

 

「この街は、争わない人のための場所」

「あなたみたいな人が、長くいる場所じゃない」

 

火星は、数秒沈黙した。

 

(見抜かれている)

 

理由は分からない。

だが、この少女は“察している”。

 

「……偏見だな」

 

火星はそう言った。

 

「ここで俺が何をした?」

 

「まだ、何も」

 

少女は即答する。

 

「でも、“何かをしてきた”顔をしてる」

 

その言葉に、火星はわずかに笑った。

 

「よく言われる」

 

「でしょうね」

 

少女は一歩、距離を取る。

 

「……それと」

 

ポケットから、黒い財布を取り出す。

 

「これ」

 

火星の目が、わずかに見開かれた。

 

「……それは」

 

「落としてた」

 

短い説明。

 

「中身は見てない」

「返すつもりも、正直、迷った」

 

迷いなく言う。

 

「でも――」

 

少女は、財布を差し出した。

 

「この街では、返す方が普通だから」

 

火星は、静かにそれを受け取る。

 

重さを確かめるように。

 

「……助かった」

 

「お礼はいらない」

 

即座に返される。

 

「私は、あなたを助けたわけじゃない」

 

そう言い残し、少女は踵を返す。

 

「待て」

 

火星が呼び止めた。

 

少女は、振り返らない。

 

「名前だけ、聞いてもいいか」

 

一瞬の沈黙。

 

やがて、短く答えが返ってきた。

 

「……アリス」

 

それだけ。

 

少女――アリスは、再び歩き出した。

 

その背中は小さい。

だが、どこか頑なで、強かった。

 

火星は、その背を見送りながら思う。

 

(嫌われたな)

 

理由は分からない。この星特有のものか。

だが、確かな拒絶だけが残った。

 

それでも――

 

(返してくれた)

 

その事実が、妙に胸に残った。

 

ネオ・ヴェネツィアの朝は、今日も穏やかだ。

 

だが、

火星とアリスの間には、

確かに“冷たい距離”が生まれていた。

 

それが、

この2人の物語の始まりだとも知らずに。




一旦ここまで。続きはまた近々。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。