ARIA The SUBMARINER   作:ルナ中尉

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1日に1〜2話投稿できたらいいなぁ。ストックはあります。


第5話 ~その、居心地の理由は~

朝のネオ・ヴェネツィアは、相変わらず穏やかだった。

 

水路を渡る風。

石畳を打つ、軽い足音。

街は今日も、急ぐ理由を持たない。

地球とはまるで違う。そう簡単には慣れなさそうだ。

 

火星は、ARIAカンパニーの桟橋に立っていた。

 

手の中には、戻ってきた財布。

中身も、身分証も、すべて揃っている。

 

(……戻った、か)

 

軍人としては、それで十分だ。

問題は解決した。

 

だが――

 

「どうしたの?」

 

背後から、アリシアの声がした。

 

振り返ると、いつものように穏やかな表情で立っている。

 

「財布、戻ったんでしょう?」

 

「ああ」

 

火星は短く答えた。

 

「それなら、もう宿に戻れるわね」

 

その言葉に、火星は一瞬だけ黙った。

 

合理的だ。

正しい判断だ。

 

だが、口がすぐには動かなかった。

 

「……もう少し、ここにいてもいいか」

 

自分でも、少し意外な言葉だった。

 

アリシアは、驚いた様子を見せなかった。

ただ、静かに続きを待つ。

 

「居心地がいい」

 

火星は、そう付け加えた。

 

「理由は、それだけだ」

 

誤魔化しでも、方便でもない。

本心だった。

 

何もしていないと、落ち着かない。

役割がないと、自分が空っぽになる。

 

だが、ここでは――

何かを“しなくていい”空気がある。

 

それが、逆に心地よかった。

 

「……そう」

 

アリシアは、ふっと微笑んだ。

 

「あらあら、困ったわね」

 

そう言いながらも、拒む気配はない。

 

「じゃあ、正式に延長ね。

 実は、あと10日くらいしたら、新入社員の子が来るの。

 だから、それまでで良かったらだけど。」

 

「ああ…充分だ。世話になる」

 

「その代わり」

 

アリシアは、桟橋に置かれた荷物を指さした。

 

「できることは、手伝ってもらうわ」

 

火星は、少しだけ口角を上げた。

 

「その方が助かる…。力仕事は任せておけ。」

 

「でしょう?」

 

アリシアは、いつもの調子で笑った。

 

 

その日、火星は一日、街を歩いた。

 

ゴンドラの手入れ。

荷物運び。

簡単な雑用。

 

戦う必要はない。

命を賭ける理由もない。

 

だが、体を動かし、街の中にいると、

少しずつ分かってくることがあった。

 

この街は、守られているのではない。

“選ばれている”。

 

争わないことを。

急がないことを。

疑いすぎないことを。

 

(……だから、軍を嫌う。そもそも、"守られる概念がない")

 

火星は、ふと考える。

 

守るために戦う者。

戦わないことで守ろうとする者。

 

どちらが正しいかは、分からない。

 

 

午後、運河沿いの道で、火星は足を止めた。

 

前方に、見覚えのある後ろ姿。

 

薄緑色の髪。

小柄で、華奢な体。

 

「……アリス」

 

名前を呼ぶと、少女は振り返った。

 

昨日と同じ、冷たい視線。

 

「何」

 

「財布の件、改めて礼を言う」

 

「いらない」

 

即答だった。

 

「返したのは、街のルールだから」

 

「それでもだ」

 

火星は、そう言った。

 

アリスは一瞬だけ黙り、視線を逸らす。

 

「……まだ、いるのね」

 

「ああ」

 

「もう用事はないでしょう」

 

「ないな」

 

「じゃあ、なぜ」

 

問いは短い。

だが、核心だった。

 

火星は少し考え、正直に答えた。

 

「ここが、落ち着く」

 

アリスの眉が、僅かに動いた。

 

「……変な人」

 

「よく言われる」

 

「軍人のくせに」

 

その言葉は、刃物のようだった。

まるで氷の様な表情。一体、何が彼女をそうさせるのか。

 

火星は、否定しなかった。

 

「そうだな」

 

アリスは、驚いたように火星を見る。

 

反論が来ると思っていたのだろう。

 

「……分かってるなら」

 

アリスは、一歩距離を取った。

 

「この街は、あなたの居場所じゃない」

 

「それでも、ここにいる」

 

「……勝手にすれば」

 

そう言い残し、アリスは踵を返した。

 

拒絶。

昨日と全く態度は変わらない。

 

火星は、その背中を追わなかった。

 

(嫌われてはいる)

 

だが――

 

(見られてはいる)

 

それだけで、今は十分だった。

 

 

夜。

 

ARIAカンパニーの明かりが、水面に揺れる。

 

火星は桟橋に腰を下ろし、静かに街を眺めていた。

 

戦場ではない。

任務もない。

 

休暇という名目でここまできたが、果たして心から休めているのだろうか。

この星にとって、自分は"異物"だ。

身分がバレなければ、どうということはない。

だが、"異物"はやがて居場所を失う。

なんだってそうだ。それが世の理。

 

あの少女---アリスとの出会いによって、それはより一層自覚した。

 

それでも---ここにいる理由がある。

俺はこの星の"海"をちゃんとまだ理解できていない。

俺が目指すべき"海"があるのかどうか、ちゃんと見極めたい。

 

火星は、ここ数日気が滅入って吸っていなかったタバコに火をつける。

白煙が昇ってゆく。心地よい匂いに包まれる。

男の心中は複雑、

 

だが、確かに――

この街は、火星を拒絶しきってはいなかった。

 

その事実だけを胸に、

火星は夜風を受けていた。

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