――まだかなぁ
宇佐見菫子は待ちわびる。父が運転する自動車の後部座席で1人景色を眺めながら。
5月、ゴールデンウィーク。彼女は両親とともに母方の実家へと向かう。親戚が集う母方の実家に。
――ええと、一昨年はどんな話をしていたんだっけ
宇佐見菫子は思い出す。一昨年、ある親戚に話してもらった奇妙な話。
――そう、宗教戦争の話だったわ。
《すみちゃん、今回は宗教戦争のお話をしましょう》
宇佐見菫子の脳裏にめぐるのは金髪で長い髪の綺麗な女性。とても40代半ばとは思えない容姿とその取り込まれそうになる様な紫色の瞳を持つ彼女の名前は小泉縁(こいずみゆかり)。
《小さい頃からお話してるけれど、この世界の端の端、忘れ去られた土地でも宗教は存在したの》
小泉は母方の旧姓。宇佐見は父方の姓。小泉縁は宇佐見菫子の母親の兄と結婚した帰化外国人。宇佐見菫子は知らない昔の名前を捨てて、この日本で最後との時を迎えることを望んだ人物である。日本語も達者だ。
《3つの宗派がメインとなってその土地の希望を導こうと争ったわ。
けれど、宗教家たちの意志とは違って、その土地の人々は宗教の素晴らしさよりもその争いの派手さに心惹かれたの》
思い出の中の小泉縁は、2年前の宇佐見菫子の頭を撫でながら流暢な日本語で優しく話す。
理由は分からないが、小泉縁は宇佐見菫子に話をする時、必ず膝枕をして頭を撫でながら話をするのだ。
《派手なら何でも良かったみたいね。宗教家の争いの勝敗を賭けの対象にしたり、酒の場の見世物として楽しんだり、中には宗教家でもないのに混ざって人気をかっさらっていく人もいたわ。
人々は宗教ではなく、その争い自体に希望を探していたのかもしれないわね》
宇佐見菫子は彼女の話を黙って聞いている。膝枕の心地よさで意識はぼんやりしていたはずなのに、その話ははっきりと明確に思い出せる。
《けれど、ある日を境に宗教家たちの争いは落ち着くわ。細々とした争いはあったものの、人々はまるで希望を取り戻したかのように普段の生活に戻っていったわ。
その名残はあったけれどね。それから少しした時に無表情だけど滑稽な演劇者がその宗教戦争を題材にした演目が流行ったわ。
・・・と、宗教戦争のお話はこれでおしまい。どうだったかしら?》
小泉縁に感想を聞かれ、宇佐見菫子はあくびをしながら応える。
――ふぁぁ・・・っ、縁さんの話は本当に面白いわ!まるで本当にそこに居たみたい。宗教に思想が縛られないでいられる素敵な世界・・・はあ、現実はなんでこんなにも醜いのかしら
《神や仏とはお話ができるくらい身近な場所だから、病的な信仰を持っている人というのは少ないのかもしれないわね。意外とフランクだし、神様って》
――へ~、神様ってフランクなのね~。ねぇ、縁さん!他には何か無いの?
《ふふふ、すみちゃんには何でも話しちゃいたくなるわね~それじゃあ、違う話を。膝に頭を乗っけて・・・》
「・・・こ、すみれこ」
「ん・・・」
「菫子、着いたよ」
父に声をかけれ、宇佐見菫子は目を覚ます。車に揺られて眠りに落ちてしまっていたのだ。
「もう着いたんだ・・・ん~~~っ」
両腕を上げ体を伸ばし、眠たい体を目覚めさせる。
「ほら早く下りて。お祖父さんたちが待ってるから」
「は~い」
父に急かされた宇佐見菫子は、おさげを揺らして車を降りる。
「縁さんはどんな話をしてくれるかな」
小泉縁に会えると心を踊らせていた宇佐見菫子は、駆け足気味で母親の実家に入っていった。
「ゆ・・・行方不明?」
小泉縁が行方不明。その知らせを聞いて宇佐見菫子は思わず声が漏れる。
「す、すまない・・・4日前から行方不明で・・・」
小泉縁の夫は痩せこけた顔で親族全員の前で打ち明ける。
「な・・・」
「それでもあなたは彼女の夫ですか!!」
宇佐見菫子は絶句し、親族の一人は小泉縁の夫を怒鳴りつける。
「警察には届け出を出した!!私だってこの3日間探し続けたさ!!だけど、目撃情報は愚か、彼女の部屋にいた痕跡すら何もない・・・唯一の手がかりはこれだけ」
徐々に声の力がなくなっていく彼は、宇佐見菫子のもとに歩み寄る。
「・・・これは?」
手渡されたのは一枚の紙。手書きの手紙のようだ。
「間違いなく彼女の直筆だ・・・蝶のようなリボンのマーク、彼女と文通でやり取りしていた時から手紙には必ずそのマークを書くんだ、彼女。
その手紙は昨日、彼女の部屋に何故か置かれていた・・・僕も目を通したが、どうやら君宛のようだ、菫子ちゃん」
――ど、どういうことなの?縁さんが私に?なんでいなくなったの?
戸惑う思いが頭のなかに巡る。会うことを楽しみにしていた小泉縁の行方不明、手紙の理由、こんがらがる思考のまま宇佐見菫子は手紙を開く。
【 すみちゃんへ
お別れも言えずに突然いなくなってしまってごめんなさい。どうしてもやらなければいけないことができたの。
この手紙もあなたに直接渡せればよかったのだけれど、郵便に頼むのは不安だったから愛する夫にこの手紙を任せることにしたわ。この手紙が無事あなたの下に渡ったというのなら、あの人にあなたからありがとうと言っておいてね。
さて、多分すみちゃんは私のお話を楽しみにしているはずだから、最後にとっておきをここで話させてもらうわ。
私がお話している物語の忘れ去られた土地。妖怪と人間が暮らす神秘の秘境。その場所の成り立ちについてよ。
妖怪は知っているわね?今やアニメなどで可愛らしく描かれている妖怪も、その昔は人間の恐怖の象徴だったわ。そんな妖怪の正体は人間の心。恐怖心から妖怪を生み出した者、妖怪から恐怖を感じた者、そういった人々の恐怖心が妖怪の存在理由だったわ。
けれども、明治期初頭、妖怪はその存在が脅かされる。日本は鎖国を解き、それまで一部にしか伝わっていなかった科学が日本全土に広がっていった。日本人は科学を知ることで、論理的に物を考える人が増えていく。科学的な論理で何事も考えるようになっていったの。
それが何を意味するか。簡単な話、妖怪の存在自体が危うくなった。つまり、人々は妖怪を信じなくなったわ。非科学的な存在の台頭である妖怪は科学を知った人間にとっての恐怖心にはなれなかった。
人間の恐怖心は妖怪の命そのもの。妖怪への恐怖が消滅するということは、妖怪が死ぬ事と同義。妖怪たちは焦ったわ。
そこで、妖怪の賢者たちが立ち上がったの。彼らは自らの力と知恵を振り絞ったわ。
そして、山奥の山里を最後の砦に選んだ。その地はその昔から妖怪たちの楽園として知られてきた、日本最後と言ってもいい誰も知るものはいない幻の里だった。
その地の名前は『幻想郷』。科学が広まった世の中でも妖怪が信じられ、本当に存在していた世界の片隅。妖怪の賢者はそこに2つの結界を張った。
ひとつ目はその里全部を覆うほど大きな結界で、現世と『幻想郷』の境界を大きく切り離した。これが衛星や航空写真からでもその地が感知されない大元の仕組み。『幻想郷』はその結界により物理的にも、人々の記憶からも、現世から切り離されたのよ。
もう一つは、『幻想郷』への関門の役割を果たす結界。夢と現の境界とでも言えばいいかしらね。『幻想郷』は忘れ去られたものの楽園。現実には存在し得なくなった幻だけが自動的に入ることを許される。不用意に現実のものが迷い込まないように、そして、消えかかった幻が救われるように。この結界はそういう役割を担ってるわ。
その2つの結界により、外の世界と遮断されたことで形成された『幻想郷』。すみちゃんに以前まで話していたお話は、ここで起こったことなの。それも、つい最近のね。
・・・そして、『幻想郷』は確かに存在する。
私のお話はここまで。すみちゃんは頭がいいからね。これだけ知っていたら、もしもこのお話の世界に迷い込んだとしたら、幻想郷に行く方法を見つけちゃうかもしれないわね。
今まで私のお話を聞いてくれてありがとうね、すみちゃん。もうひとつあなたにプレゼントがあるわ。あなたの部屋に置いておいたから、お楽しみにね。
それじゃあ、またいつか。ごきげんよう。
小泉縁】
手紙は最後にリボンのマークが描かれて終わっている。
「これはまるで・・・嘘よ」
宇佐見菫子は手紙を読み終わって肩を震わせている。まるで遺言書のようにも取れる手紙。もう小泉縁には会えないのか、話が聞けないのかという悲しみが押し寄せてくる。
「随分と君のことを気に入っていたみたいでね・・・僕がたまに嫉妬してしまうくらいだった。縁のその手紙は君が持っているのがふさわしい」
「・・・・・・」
叔父からの言葉にも反応することができない。宇佐見菫子は半ば放心状態だった。話が面白いというだけではなく、小泉縁という人物に対しても安心感を無意識のうちに覚えていたのだろう。もう会えないと思うと体の力が抜けていく。
しかし、それだけではなかった。
――この手紙・・・本当に私に最後のお話を伝えるためだけに?なにか引っかかるわ
叔父の言葉に反応しなかったのは、宇佐見菫子が食い入るように手紙を見ていたのもある。彼女はこの手紙の内容、存在に疑問を感じていた。
「・・・お父さん、私、先に帰っていていい?公共の交通機関で帰るから」
「・・・いいのかい?まだ縁さんについての話が出るかもいれないよ」
「そうよ、菫子。まだいなくなったと決まったわけじゃ・・・」
「いいのよ。この手紙だけで十分だわ」
両親から心配されるも、宇佐見菫子は親戚から逃れるかのようにその場をそそくさと後にする。
「・・・菫子」
「そっとしておいてやろう。縁さんのことは僕達で話し合ってなんとか探しだそう」
――この手紙、絶対に何か裏がある
宇佐見菫子は考える。最寄りの駅に向かうバスに揺られながら、小泉縁が残したメッセージを読み解こうと思考を巡らせる。
――縁さんは一体私に何を?それに、私の部屋にプレゼント?私がおじいちゃんの家に出かける直前までそんなものはなかった・・・
不可解な手紙の内容から小泉縁の意図が読み取れずに頭を抱える宇佐見菫子。しかし手がかりとなるものが一つだけある。
――・・・私の部屋にあるとか言うプレゼントとやらをまずは確認しよう。まずはそうするしか無い。
宇佐見菫子は帰路につく。手紙に隠された真実をあばくための始まりの一歩。それは『幻想郷』へと続く道。
これが、秘封倶楽部(ひみつをあばくもの)の最初の倶楽部活動。運命を狂わせる禁断の宝庫に、宇佐見菫子が手を触れてしまった瞬間だった・・・
思いつきで書いているところが多いので、つたないところが多いかもしれません。