デビルサマナー 安倍セイメイ 対 異世界の聖遺物   作:鯖威張る

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第四話 『狛犬』

 水の上に浮かぶ葉のような、あるいは空を飛ぶ雲のような、ふわふわとした感覚が体を満たしていた。

 それはそれは酷く心地の良い感覚だった。

 周りは暗く、何も見えないはずなのに何故だか景色を感じることができた。

 青い空に包まれ、白い雲に囲まれてながらふわふわと浮かぶ自分がいるそんな景色だった。

 

 ピピピ。ピピピ。 

 

 遠くから音が近付いてくる。

 そして、閉じた瞼の裏にまばゆい光を感じた。

 

「ん……」

 

 自身をまどろみから引き離そうとする騒音に、ほんのわずかな苛立ちを覚えながらもなのはは騒音の発生源である自身の携帯電話に手を伸ばした。

 

「ふぁぁ」

 

 電話のアラームを切り、欠伸をひとつした後に凝り固まった自分の体を大きく伸ばした。

 

「おはようございます。なのはさん」

 

『Good morning』

 

「ふぇ!?」

 

 突如として聞こえた声に呆けた意識が一気に覚醒する。

 声のした方にはふわふわとした薄茶色の毛を蓄えた猫とカーテンの隙間から射し込む光で鮮やかに輝く宝珠があった。

 

「あ、そっか。リニスにレイジングハート、おはよー」

 

「はい、おはようございます」

 

 覚醒した脳が、昨日の出来事を瞬時に思い出した。

 ジュエルシードに襲われた事。

 星命やリニスと共に魔法を使ってそれを封印したこと。

 ユーノの手伝いで、そのジュエルシードを回収するようになった事。

 

 思い出したと同時に、いつもと同じ朝がいつになく新鮮に感じた。

 

 幾年か前、父である士郎がボディガードの仕事の最中に瀕死の重傷を負った。

 家族全員が大わらわで、父の看病や開店したばかりの翠屋の経営を安定させるために必死だった。

 

 ――そんな中、自分だけが何もできなかった。

 

 家族とふれあえない寂しさに震えるばかりで、店の手伝いも、父の看病さえもできなかった。

 

 

 だけど、今回は――違う。

 

 自分にも何かが手伝えるかもしれない。ユーノを手助けできるかもしれない。

 いや違う、助けるのだ。何もできないのはもう嫌だから。

 だからこそ、昨夜にあの場で意思表示をしたのだから。

 

 これから始まるであろう新しい日々に不安も怯えもある。

 昨夜のような目にもいくつも遭遇するだろう。

 魔法を始めたての自分と魔法が使えない状態のユーノだけであれば恐れもあっただろう。

 しかし、星命が、リニスが協力してくれると約束してくれた。

 仲間がいる。それは不安を払拭してくれるどころか、自身に勇気さえ滾らせてくれるものであることに少女は自身でも驚きと嬉しさを実感していた。

 

 

「ほらほら、早くしないと遅れてしまいますよ」

 

「あっ、うん!」

 

 耳をピンと立てたリニスが急かすと、なのはは慌ててベッドから降りて洗面台へと向かった。

 できる事を精一杯やろうという決心を、その小さな体躯に背負って。

 

 ○

 

「そんなのダメだよ星命!」

 

 準備を終えたなのはが朝食を取りにダイニングへ行くと、ドアの手前で声がした。

 何かあったのかと不思議な面持ちで、なのははドアを開けた。

 そこにはテーブルについてコーヒーを啜る星命、そしてそれに対面するようにテーブルの上に仁王立ちするユーノの姿があった。

 

「おはよー」

 

「あ、なのは。おはよう」

 

「お早う、なのはちゃん」

 

 なのはが声をかけると、二人ともなのはに気づき、挨拶を返した。

 

「昨日は良く眠れた?」

 

「うん、ぐっすり!」

 

 星命の問いに、元気いっぱいになのはは答えた。

 

「それは良かった」と星命は笑う。

 

 それからユーノに顔を向け直した。

 

「必要なことなんだ」

 

「でも、ダメだよ! 一般人にジュエルシードのことを教えるなんて!」

 

 どうやら星命が、他の誰かにジュエルシードの事を教えても良いか。という許可を取りたいらしいがそれをユーノが渋っているらしかった。

 

「いやいや、何も考えなしに言ってるわけじゃないんだよ」

 

 空になったカップを脇に置いた手を横に振りながら、星命は弁明する。

 

「こちらの世界の悪魔や、魔法の存在を知っている人達には教えておきたいんだ」

 

「一般人よりもリスクは少なくて済むし、何より今は一人でも頭数が欲しい」

 

「ユーノ君だって、回収は早い方が良いだろう?」

 

「それは……そうだけど」

 

 俯いたユーノに星命はさらに諭すように言った。

 

「大丈夫さ、その人達はそう簡単に裏切るような人達じゃない」

 

「むしろ、味方につければ心強いはずさ」

 

「そうじゃなくて、その人たちには身を守る方法はあるの?

 たとえば、星命みたいに悪魔を使役できるとか」

 

「確かに」となのはも思った。自衛の手段無しで捜索のメンバーに加えるのは危険だ。

 考えたくはないが、下手をすればケガでは済まないかもしれないのだから。

 

「いいや、彼女達自身にはそういった能力はない」

 

「なら、なおさら――」

 

「たしかに彼女達にはないけれど、なにもそれだけが身を守る術じゃないんだ」

 

 含みのある言い方だ。どうやら星命にもそれについては何らかの考えがあるらしかった。

 

「……何か、考えがあるんだね。わかった、助けてもらった恩もあるし君の好きにしてよ」

 

「ありがとう。ユーノ君」

 

 そう言って星命は卓上の少年に手を差し伸べた。

 ユーノはその手の指を二つの前足で挟むように握った。

 

「ところでその人達ってどういう人たちなの?」

 

 ユーノの問いに、星命は特に何も言わずなのはの方へと顔を向ける。

 それにつられてユーノもなのはの方を向いた。

 

「へっ?」

 

 当のなのはは困惑したように声を漏らした。

 

 ○

 

「えええーっ!」

 

 鮮やかな空の下で、なのはの叫び声が上がった。

 

「アリサちゃんもすずかちゃんも悪魔のこと知ってたの!?」

 

「しーっ! なのはちゃん声が大きいよ」

 

「ご、ごめん……」

 

 すずかにたしなめられてなのははバツが悪そうに周りを見渡すが、周りの生徒たちは特に意に返さなかったようでそれぞれの箸と口を進めている。

 時刻は昼過ぎ、聖祥小学校の時間割は昼業間へとさしかかり、学校内では様々な学年の生徒たちが思い思いの場所で昼食へと興じている。

 

 星命、なのは、アリサ、すずかの四名も屋上の一画をかわいらしい花柄のシートで陣取り、昼食の最中である。

 

「ごめんね、なのはちゃん」

 

「ナイショにしてるのも心苦しかったんだけど、簡単に言うわけにもいかなくて」

 

「しょ、しょうがないよ。『悪魔が本当にいる!』とか

 いきなり言われても信じきれないかもしれないから……」

 

 申し訳なさそうに言うすずかの謝罪をなのはは苦笑しながらも心良く受け入れた。

 友人二人が、何の理由もなくわざと黙っていたわけではない事はなのは自身もよくわかっている。

 

「でも、どうしてアリサちゃんとすずかちゃんは悪魔のことを知っているの?」

 

「それはだね」

 

 なのはの疑問の声に星命が人差し指を立てた。

 立てた人差し指で眼鏡のブリッジ部分を押し上げつつ言葉を続ける。

 

「二人が悪魔がらみの事件で誘拐されたところを僕が華麗に助けたからさ!」

 

「話盛ってない? 忍さんから聞いたけど

 クルースニクさんを呼べなかったらかなり危ない状況だったんでしょ?」

 

 目立ちたがりの気がある星命の言葉は、横から飛んできたアリサの言葉によって相殺された。出鼻を挫かれ、星命はガクリとうなだれた。

 しかし、負けじと言葉を続ける。

 

「いやでも結果的にべそをかいていた二人を救ったわけで」

 

「別に泣いてないわよ、それ以上盛るとおかず奪うわよ」

 

「わー! 肉団子だけは、肉団子だけはやめて!」

 

 星命の弁当へとアリサが箸を伸ばすと、慌てて星命は自分の後ろへ弁当を隠した。

 

「誘拐って二人とも大丈夫だったの!?」

 

「大丈夫よ、実際いまピンピンしてるじゃない」

 

「危ないところだったけど、星命くんが来てくれたから助かったんだ」

 

 目を白黒させるなのはに呆れたように言うアリサの言葉をすずかが補足した。

 

「それで? なのはの方こそ何で悪魔のことを知っているわけ?」

 

 言いつつ、アリサは視線を向けた。

 対面のなのはではなく、右斜め前の星命の方へ向かって。

 咎めるような、いぶかしむ様なそんな視線だ。

 安穏な雰囲気――話題が誘拐であっただけに安穏と言っていいかは甚だ疑問だが――から一転した場の空気になのはとすずかの目は心配そうに星命とアリサの間を行ったり来たりしている。

 

「アリサちゃん……」

 

「別にケンカしようってわけじゃないわ。納得のいく話を聞かせて欲しいだけ」

 

 心配そうに言うすずかに、アリサは落ち着いた声で答えた。

 それはアリサの本心だった。

 この二年間、散々苦労して隠し通してきたことがある朝まるで常識のようにバレていた事。

 今までの苦労を水の泡にするに足る理由を、アリサは星命から聞き出したいのだ。

 

「昨日、君たちは動物病院にフェレットを預けたよね」

 

「え? そうね、確かに預けたけど」

 

 アリサの答えに対し、星命は続ける。

 

「それじゃあ、昨夜にその動物病院とその周囲が破壊された事は?」

 

「朝ニュースで見たわ。……まさか、悪魔が!?」

 

 閃いた様に言うアリサの言葉に対して、ゆっくりと星命は左右に頭を振った。

 

「じゃあいったい何の関係があるのよ?」

 

 当てがはずれ、口を尖らせるアリサに星命は口に手を添えて声をひそめて言った。

 

「……実はあれ、なのはちゃんがやったんだ」

 

 星命の言葉に、アリサとすずかはきょとんとした顔で顔を見合わせた。

 

「冗談でしょ?」

 

 引きつった笑みを浮かべながらアリサがなのはへと顔を向ける。

 

「それは……その――――」

 

 向けられたアリサの顔になのははもじもじと人差し指同士を合わせながら戸惑った表情を浮かべる。

 それは昨夜の惨状はそのほとんどがジュエルシードのせいではあるが、最後の封印の際に大きなクレーターを道路に開けてしまった自分への負い目からの行動であったのだが。

 

『……えええ――――ッ!!』

 

 アリサとすずかの誤解を加速させるには、充分過ぎる仕草であった。

 

「ち、違う! 違うのっ!」

 

 明らかに二人が誤解していることに気づいたなのはは昨夜の出来事を語り始めた――

 

 

 

「あー、驚いた。まさか本当になのはがやったかと思ったわよ」

 

「そ、そんなわけないよ!」

 

「僕の肉団子が……」

 

「……今のは星命くんが悪いよ」

 

 誤解を解くのにはそれほど時間を要さなかったが、なぜだかなのははげっそりと疲れた顔をしている。

 

「それにしても異世界に魔法だなんてSFなのかオカルトなのか良くわからないわね」

 

 もともと、悪魔の存在を知っているためか二人には魔法や異世界などの非現実的な事についての耐性ができてしまっているようだ。すんなりと昨夜星命となのはに起こった事実を受け入れている。思い描いていた通りに事が進み、星命は内心でほくそ笑んだ。

 

「それで? そのジュエルシードってのはやっぱり危険なの?」

 

「うん、できれば早急に回収したい」

 

「ふぅん、変わった宝石を見つけたらアンタに言えば良いわけね」

 

「いや、僕よりも直接なのはちゃんに言った方が良いと思う」

 

「僕は魔力はあるけど訳あって魔法を使えないんだ」

 

「そうなの? まぁいいわ……それにしてもなのはが魔法少女ねぇ……」

 

 言いながら、アリサは舐めるように座ったままのなのはを上から下まで観察した。

 

「な、何?」

 

「いや、なってみないとわからない苦労とかもあるのかなって思っただけよ」

 

 気恥ずかしそうに身を固くするなのはに、アリサは笑って答えた。

 わずかに憂いを含んだ、そんな笑みだ。

 

「アリサちゃん……」

 

 アリサの言葉に隠された意図がわからず、なのはは不思議そうな顔で固まっているがすずかにはその意味が理解できた。

 この四人の中で、アリサだけが唯一特別な血統や能力を持っていないのだ。

 アリサはそれに対して羨望を覚えこそしなかったが、代わりに能力を持つ友人たちが悩んだり苦しんだりしても、それを共有できないことが何よりも辛かった。

 以前に自身の血筋の事に苦しむすずかの事に気づいてあげることができなかったように。

 

 そのことで悩んでいる事をすずかも気づいてはいたが、どうする事もできなかった。

 

「大丈夫よ」

 

 はっとして、すずかは伏せていた顔を上げた。

 活気に満ちた笑顔を浮かべたアリサの顔がすずかの顔を覗き込んでいた。

 先ほどの憂いはどこ吹く風、といった風体である。

 

「今度は大丈夫よ。まだ先に悩みのタネになりそうなものを教えてもらっただけマシだわ」

 

「それに、事の原因が悪魔じゃないならわたしにも見えるだろうし……」

 

「なのは! 困った事があったら真っ先にわたしたちに相談するのよ! いいわね?」

 

「え? う、うん!」

 

 アリサは少し考える素振りを見せた後、ビシッと人差し指をなのはへと向けた。

 なのはも気迫に押され、こくりと頷いた。

 

「おっと」

 

 星命が声を零した。自然に三人の視線が星命へと集まる。

 

「お茶を入れた水筒を教室に忘れたみたいだ。取ってくるよ」

 

「何でアンタの弁当箱は既に空なのよ」

 

 見れば、女子三人の弁当箱の中身は半分と進んでいないのに対して、星命の重箱のような弁当箱は既に米粒ひとつ無い状態である。

 

「食いしん坊さんに肉団子を取られたからね」

 

「いや、ミートボール一個じゃそんなに変わらないでしょ!?」

 

「というか、アンタに食いしん坊って言われたくはないわよ」

 

「……まぁ、そんなわけで行ってくるよ」

 

 アリサのじとりとした視線から逃げるように、星命はその場を後にした。

 

「そういえば――」

 

 星命が扉の向こうへ消えると、アリサはなのはの方へ顔を戻して思い出したように言った。

 

「あのフェレット――ユーノって言うんだっけ、良くオッケー出したわね」

 

「何が?」

 

「ホラ、やっぱそういう話って他の世界に

 情報を漏らしちゃいけないとかあるんじゃないの?」

 

「ええっと、星命くんが話したらわりとすんなり許可をもらえたよ」

 

「……ねぇ、なのは」

 

「もしかして、あたしたちにこの事を話そうって言い出したのは星命なの?」

 

「え、うん。そうだよ」

 

「ハァ……やっぱりそうなのね」

 

 なのはの返事に、アリサは露骨に溜息を零した。

 

「どうしたの? アリサちゃん」

 

「どうしたもこうしたも、星命のことよ」

 

「きっとわたしたちがなのはちゃんの様子に

 敏感なことを知ってるから先に教えてくれたんだよね」

 

「そうなの?」

 

「きっとそうよ。たぶんわたしたちの事はもともと捜索の人員に入れてないんじゃない?」

 

「普段抜けてるクセに変なところに抜け目がないんだから」

 

 言いながら、アリサは先ほどまで星命が座っていたスペースへと目を向けた。

 そこには、ご飯粒一つ残さず空になっている弁当箱が鎮座しているのみだった。

 

 ○

 

 屋上からのドアを抜け、星命は小気味良く階段を降りて行く。

 階を二つ下った後、次の階段を下りずに目の前を横切る廊下を右へ曲がる。

 教室の連なる廊下、自分のクラスの前を抜け、星命はその奥にある男子トイレへと足を運んだ。

 トイレは無人であった。個室も空いているため人の気配はない。

 別に催したわけではない。ただ、人目に付かない場所が必要だったのだ。

 

 星命自身でも驚くほど上手くいった。

 今の状況を鑑みて、ジュエルシードの封印ができるのはなのはだけだ。

 故に、なのはの体調には心身ともに万全を期する必要があると、星命は考えていた。

 そこで厄介なのがなのはと仲の良い二人の存在だ。

 

 なのはに少しでも変化があれば、二人はなのはか星命を問い詰めるだろう。

 なのは自身も話したいが他言できない状況にジレンマを感じてしまうことは必至だ。

 相手がジュエルシードだけであれば、それでも良かっただろう。

 自分やリニスもサポートできるだから。

 

 だが、昨夜のジェフの件でそうも言ってられなくなった。

 ジェフが何者かはわからないが、どうやら悪魔絡みの事件に発展しそうな気配である。

 できるならば管理局とやらが来るまでは泥沼の戦いは遠慮したいが悪魔は待ってはくれない。

 その上、悪魔の中には強い力に対して惹かれるように集まってくる者達がいる。

 ただでさえ、人柱の結界は徐々に弱まっているのだからいつ悪魔がジュエルシードの魔力に惹かれてくるかもわからない状況なのだ。

 

 

 そうなれば、自分たちのサポートも追いつかなくなる可能性がある。

 なのはが一人でも戦えるようにするために、なのはを支えるための人がひとりでも必要だと星命は計画を練り、実行に移したのである。

 

「さて、次だ」

 

 星命が白い制服の袖から数枚の式符を取り出す。

 それを、開け放たれた窓から外へと投げた。

 ポンっと白い煙を上げて、式符が黒いフクロウへと姿を変えた。

 フクロウとなった式符たちは、散り散りに飛んでいき、やがて見えなくなった。

 

 ○

 

 少しばかり時が経ち、その日の放課後と相成った。

 帰り道で星命となのははアリサとすずかをそれぞれ送り届けた後、自宅へ向かって歩いていた。

 

《ユーノくん、もうすぐ家に帰るよ、少し休憩したらジュエルシードを探しに行こう》

 

《わかった、気をつけてね》

 

 住宅街への近道である商店街を歩きながら、なのはが念話で自宅にいるユーノとのやり取りをする。

 

「じゃあ僕は先に周辺を探ってみ――」

 

 星命がなのはに斥候を申し出ようとしたが言い終わる前に奇妙な違和感を感じて言葉を切った。

 頭の中で鈴虫が鳴いているような、そんな違和感である。

 

《ユーノくん、これって……》

 

《新しいジュエルシードが発動している。すぐ近くだ!》

 

 同じ違和感を感じたのであろう。

 なのはがユーノに念話で問いかけ、ユーノの焦燥した声が返ってきた。

 

《どうしよう?》

 

《一緒に向かいましょう、私も行きます。構いませんね? 星命》

 

《わかったよ、合流しよう》

 

 支持を仰ぐなのはにリニスが答え、星命も同意する。

 

「いこう、星命くん!」

 

 言ってなのはが走り出した。星命もすぐに頷き、後を追った。

 

 半刻後、星命となのはの姿は商店街から少し離れた所にある道路の歩道にあった。

 傍には先ほど合流したリニスやユーノの姿もある。

 

「この上だ」

 

 ユーノが言うと他の三人が頷く。

 四人の目の前には緩やかな傾斜に作られた石段があった。

 十数メートルほど続く石段の先には赤く塗られた鳥居が見えている。

 そこは海と市内の中央商店街の間にある小さな丘を利用して作られた神社の入り口だった。

 周囲には丘を覆うように広葉樹が群生しており、外側からは拝殿の屋根しか見えないようになっている。

 

「行こう」

 

 ユーノが走り出し、星命、リニス、なのはがそれに続いた。

 

 広葉樹が立ち並び通路のようになっている石段を一気に上る。

 石段を登り切ると、林に囲まれ閉塞感のあった石段とは一変し、広く開けた平坦な土地が現れた。

 石段から延長するように平らな地面に石畳の参道が茶色の地面に一筋伸び、鳥居を潜って拝殿へと続いている。

 鳥居を潜ってすぐのところで四人は立ち止まった。

 

 拝殿への参道の途中に一体の異形が立ちはだかっていたからだ。

 その異形は巨大な灰色の犬の容姿であった。

 怒りに濁った赤い眼に口からははみ出した牙が幾本も覗いている。その身の丈は大型犬の二倍から三倍は優に超えそうな巨躯をしていた。

 

「まるで狛犬だね……」

 

 星命が呟いた。

 犬の体の至るところ、眉や足、尻尾などに夏の入道雲のようなもこもことした獣毛が生えていた。

 その姿はさながら神社の守護者である狛犬を髣髴とさせる。

 

「……ユーノ君、昨夜の怪物とは随分違うけど、あれは?」

 

「たぶん原住生物を取り込んだんだと思う。昨日のやつよりも手強くなってるはずだ」

 

「原住生物……」

 

 星命が反芻するように口の中で言葉を転がしながら狛犬の周囲へと視線を移す。

 狛犬の奥、拝殿の前に水色のトレーニングウェアを身にまとった若い女性が倒れているのが見えた。

 女性の手には犬用の赤いリードが握られており、少し離れたところに千切れた首輪が落ちている。

 

 狛犬は牙を剥き、唸りながら星命たちを威嚇している。

 だが、星命にはその行動が主人を護らんと忠義に燃える忠犬の姿に見えた。

 

「主人を護りたいという願いを、ジュエルシードが叶えたのか……?」

 

「悪いけどその力、返してもらうよ」

 

 言って星命が制服の白い袖の内から管を一本取り出し、なのはも服の中から首に下げたレイジングハートを取り出した。

 

「なのは、セットアップを!」

 

「うん!」

 

ユーノが叫び、なのはは手に持ったレイジングハートを高く掲げる。

 

『Stand by ready, Set up』

 

 赤い宝珠型のデバイス、レイジングハートが応えた。

 なのはの体が一瞬の光に包まれた後、昨夜と同じ白いバリアジャケットと玉杖を持った魔導師の姿へと変わる。

 

 狛犬がなのは達に向かって跳躍する。

 

「来るよ!」

 

 ユーノの言葉と共に、星命とリニス、なのはとユーノがそれぞれ左右の方向へと散って避ける。

 狛犬はそのまま、星命達の居た位置に着地した。

 そして、そのままの勢いをを利用して足を曲げると、なのは達へ向かってもう一度跳んだ。

 

『Protection』

 

 なのはの周囲に薄い桜色の半円の防御障壁が展開され、狛犬はそれに真っ向からぶつかった。

 

 障壁によって弾き飛ばされ、体勢を崩した狛犬が空中で宙返りをして着地した。

 標的を変えたのか、その眼はなのはからは外され反対側の星命の方へと向いていた。

 

 前足で地面を引っ掻き、喉を唸らせながら星命に向かって真っ直ぐに駆ける。

 

「星命、来ます」

 

 リニスの声に星命はただ一度頷いて応え、右手の第二指と第三指の間に挟んだ管を、巨犬へと向ける。

 

「陰陽師の式神の真の力、見せてあげるよ」

 

「現れ出でよ――」

 

 星命の呼び声に呼応するように、指に挟んだ管の先が螺子の如く螺旋に回転し、マグネタイトの緑光を放ちながらその中の円筒が顔を覗かせた。

 眩い緑光に眼が眩み、思わず狛犬も足を止めた。

 

「――シキオウジ!」

 

「我を呼ぶ声に応じ、ここに見参す」

 

 星命の声に威厳ある声が応えた。星命の目の前に現れたのは身の丈3メートルにも及ぶ白い巨躯を持つ人型の異形。兜のような頭に武者甲冑のような体躯。

 純白で彩られたその巨大な体からは荒ぶる力と神聖な気配の双方が見て取れ、とても逞しく見える。

 

 

 

 

 

 ……というのは前から見た話である、

 

 横から見ると――

 

「か、紙……?」

 

「ペ、ペーパークラフト……?」

 

「薄い……」

 

 神社の石畳を挟んで反対側にいるなのはとユーノ、そして星命の後ろのリニスが半ば放心しながら目の前の白い異形に対して三者三様の感想を述べる。

 

 ――その異形は驚きの薄さであった。

 

『シキオウジ』

 陰陽師の流派「いざなぎ流」に伝わる強力な式神。その体は式符そのものだともされている。

 その力は病魔を祓う治癒の精霊ともされているが、同時に荒ぶる鬼神としての顔も併せ持つ。

 

 呆けているなのは達の事などお構い無しに狛犬は急に現れたシキオウジに狙いを移し、大きく重心を傾けた後、突進を敢行する。

 

「受け止めろ、シキオウジ!」

 

「応ッ!」

 

 猪突猛進を仕掛ける狛犬とシキオウジがぶつかり合う瞬間、なのはとユーノとリニスは既にシキオウジがまさに紙切れのように吹き飛ばされる瞬間を予見していた。

 

 

 ――しかし、その想像は叶わなかった。

 

「我、破邪顕正の力を以って、主に仇なすものを打ち倒さん!」

 

 怒声上げてその紙の体に不釣合いな質量と腕力でシキオウジは狛犬を受け止めたのである。

 

 

「我が憤怒の一撃、受けてみよ!」

 

 吼えると同時にシキオウジの体が雷を帯び、その電撃をそのまま受け止めた巨犬へとぶつける。

 電撃をまともに受けた狛犬は空気を裂くような悲鳴を上げながらその体を捩り、シキオウジの体から跳び離れた後、軽く頭から体にかけて身震いを一つする。

 

 狛犬が唸り声を上げた。

 それと同時に『しゅぅぅ』という風船を膨らませるような音が聞こえた。

 見れば狛犬の尾が大きく膨らみ、毛並みがイバラの如き刺々しさを纏っている。

 そこだけ見ればさながらハリセンボンのようであった。

 そして、その尾の先端を星命の方へと向けた。

 

 次に狛犬は周囲の空気を大きく吸い込んだ。

 味わうように体内へと溜め込んだ後に一気に吐き出す。

 吐き出された息は、白い煙となり辺り一体を包み込む。星命達の視界が白一色で埋め尽くされ、狛犬の姿はすぐに見えなくなった。

 

「これは煙幕か……?」

 

 一瞬、毒霧かと星命は思ったが少々吸い込んだにも拘らず体には異変がない。

 どうやら本当にただの煙幕であるようだった。

 

「何か仕掛けてくる気だ」

 

 星命が身構えると風船の割れるような乾いた音が周囲に響いた。

 

「ヌンッ!」

 

 シキオウジが力む声を上げた。すると白く濁る中空に突如として幾筋もの稲光が輝き、雷鳴と共に稲妻がいくつも地面へと奔る。

 

 黒い物体が、星命の頬を掠めた。

 

 稲光が収まると、地面には松ぼっくりほどの大きさの黒い円錐の棘が無数に落ち、黒い煙と焦げた匂いを発していた。

 先ほど狛犬の尻尾にびっしりとついていたものと同じものであるようだった。

 目の前のシキオウジの腕や胴と足にも、同じものが刺さっていた。いくつかは貫通したのか、シキオウジに小さく風穴が開いている。

 

 膨らませた尾を破裂させた勢い利用して飛ばしてきたのだと星命は予想した。

 

「シキオウジ、無事かい」

 

「この程度、この身に業火を纏うに比べれば事無し」

 

 案ずる星命にシキオウジは体をペラペラと揺すって針を落としながら答えた。

 シキオウジが盾になっていなければ今頃は星命が逆ハリネズミ状態だったことだろう。

 

 

 

「星命くん! 大丈夫!?」

 

 破裂音と雷鳴を聞き、心配したなのはが叫ぶと煙霧の向こうから「大丈夫だよ」と声が聞こえた。

 その声に安堵したのも束の間、白い視界で黒い影が動くのが見えた。

 

『Incoming!』

 

「えっ!?」

 

 レイジングハートの声に当惑しつつも、体は自然に動いていた。

 杖の先端をわずかに持ち上げ、影の方へと向ける。

 

『Wide area protection』

 

 レイジングハートの先端に円盤状の障壁魔法が展開される。

 煙霧の中から現れた黒い影が、その障壁に激突した。

 

「うわぁ!?」

 

 傍にいたユーノが驚き叫び声を上げる。

 障壁魔法の反対側に貼り付くように爪を立て、牙をむき出し唸る狛犬の姿があった。

 

「たぁ!」

 

 なのはが握る力と共に、魔力を込める。すると障壁に弾かれたように、狛犬の体が吹き飛んだ。

 

「すごい、昨日の今日でここまで魔法を使いこなすなんて……」

 

 驚嘆の言葉が、ユーノの口から零れた。

 

「学校にいってる間、ずっと練習してたんだ」

 

 照れながら、なのはが言った。

 実は登校中からずっと、レイジングハートのシミュレーションの機能を使い、魔法のトレーニングを行っていたのだ。

 魔導師の必須能力である並列的な思考演算能力、マルチタスクを鍛錬するのにもちょうど良く、練習をする思考の一方でアリサ達とも会話していた。

 

 一陣の風が吹いた。暖気を運ぶ春の風がなのはの汗ばんだ頬を撫でる。

 吹き抜ける風に煙霧がかき消されると、そこにはなのはを睨む狛犬の姿があった。

 大きく膨らんでいた尾は、やる気を失くしたかのようにちんまりと縮んでいる。

 

「昨日のに比べて知能も上がっている。これは確かに厄介だね」

 

 内心の冷や汗をわずかに引きつった笑みで隠しながら星命が言った。昨夜の怪物は星命達に対して、突進などの原始的な攻撃しか仕掛けてこなかった。しかし、この巨大な狛犬は敵の目をくらまし、その上で遠距離からの攻撃も仕掛けてくるという搦め手を使ってきたのである。

 

「星命くん! 封印するから、足止めをお願いしてもいい!?」

 

「わかった、任せて!」

 

 投げかけられた声に答えた後、星命は袖から非常用に仕込んで置いた霊符を数枚取り出し、構える。

 

 狛犬も、なのは達が攻撃に転じようとしているのがわかるのだろう。そうはさせまいと身を屈め、再度なのはに跳びかかろうとした。

 しかし、地を蹴ろうとした足は地面から離れず、それどころか体も微細に揺れるのみで前進もままならない。

 

「あれ?」

 

 動きを止めた狛犬を見て、なのはが不思議そうに呟いた。

 まだ星命が霊符を投げていないにも関わらず、まるで縛られたように狛犬が固まっているからだ。

 

「どうやら、僕が手を出すまでもなかったようだ」

 

 そう言って星命は霊符を持った腕を下げた。

 

「なのは! あれ見て!」

 

 ユーノが二の足で立ち、前足で狛犬の方を指差した。

 

「……ツル?」

 

 ユーノの言葉になのはが目を凝らすと、地面から伸びた緑色の線が狛犬の足に巻きついていた。

 それは植物の蔓だった。石畳の地面から伸びた細い蔓が、狛犬の四本の足に巻きついているのである。

 

 しばらく蔓を見つめていると蔓に変化が起きた。

 

 まるで植物が育つのを早送りで見ているかのように、蔓はその体を成長させ急速に狛犬の体躯を登って行くのである。

 ついにはその体を登りきり、すっかりと巨犬を覆ってしまった。

 

「私の境界の内でこれほどの蛮行、身の程を知るがよい」

 

 透き通るように細い男の声が周囲に響いた。それと同時に固まった狛犬のすぐ傍に別の植物の芽が現れた。

 蔓とは違い、その植物は葉が増え、真っ直ぐに茎が伸びていく。

 星命達の肩ぐらいまで伸び、大人の腕よりも太い茎にまで成長していく。

 ピタリと茎の成長が止まり、茎の先端に蕾が現れた。

 大人が中に入れるくらいに大きな蕾だ。

 蕾が裂け、裂けた蕾の内側から黄金の光が漏れ出す。蕾が花開くと睡蓮のような花の上に黄金の体を持つ、若い男が胡坐をかいていた。黄金の体に、植物の茎のような髪を持つ美丈夫であった。

 

「なのはちゃん、封印を!」

 

「う、うん!」

 

 星命の声に、睡蓮の男に見とれていたなのはは我を取り戻した。

 そして、両手で握ったレイジングハートの先端を狛犬のほうへと向ける。

 

「レイジングハート!」

 

『Sealing mode. Set up』

 

 主の声に答え、レイジングハートは自身の先端を収束魔法の扱いやすい二枝の尖った流線型のフォルムへと変化させ、三翼の桜色の大きな翼を広げた。

 

「リリカル! マジカル! ジュエルシード、シリアル15」

 

 レイジングハートの黄金の穂先を三乗の円環の魔法陣が囲い、なのはの魔力を先端へと結集させる。

 

 

「封印!」

 

『Sealing』

 

 なのはとレイジングハートの声と同時に収束された砲撃魔法が解放された。

 放出した魔力は一筋の軌跡を描きながら巨犬へ向かって一直線に向かっていき、

 

 そして、激突した。

 

 桜色の光が狛犬を包み込む。

 みるみるうちに狛犬の体が小さくなり、やがて子犬ほどの大きさになった。

 まるで成長の記録を逆再生で鑑賞しているかのようだった。

 光が晴れると、そこには猫のリニスよりも小さな子犬が一匹気を失っていた。

 

「助かったよ、ククノチ」

 

 星命が子犬の傍で鎮座する黄金の男のそばへと近付き、男へ礼を述べた。星命を追ってリニスとシキオウジ、なのはとユーノが星命の傍へと近付く。

 

『ククノチ』

 古事記においてイザナギ・イザナミが自然の神々を生んだ際に生まれた木の神である。

 大地に木を生やすための根本的な生命力が神格化したものであるとされ、そのため山の神オオヤマツミや野の神カヤノヒメよりも先に生まれたとされる。

 

 

「久しいなデビルサマナー……これが件の?」

 

「そう、ジュエルシードを取り込んで暴走した動物だ」

 

「ふむ……」

 

 星命の言葉にククノチは興味深げに顎に手をやり、子犬を見やる。

 

「ヒトに飼われた獣がここまでの力を得る。聞いていたよりも厄介な物のようだ」

 

 興味深そうに子犬を見ながら放ったククノチの言葉に星命は頷いて応えた。

 

「あのー星命くん、この人……? だれなの?」

 

 隣にいるなのはがレイジングハートを胸元に抱きながら、おずおずと聞いた。

 

「ククノチ、という木の神だよ。この神社の祭神……神社に住んでいる神様って言ったらわかりやすいかな?」

 

 星命の言葉になのはは黙ったままこくりと頷いた。

 

「今言ったとおりククノチは木の神だ。この街の植物とは深く繋がっている」

 

「ユーノ君の話では、ジュエルシードは植物にも取り付くようだから先手を打っておこうと思ったんだ。ククノチの力なら、ジュエルシードの暴走をある程度抑えられると思ってね」

 

「なるほど」

 

 星命の説明にリニスが相槌を打つと、他の二人も納得したように頷いた。

 

「他にも、神社仏閣の神仏や、群れを率いてる悪魔なんかには粗方話を通してある」

 

「それって大丈夫なの?」

 

 ユーノが尋ねた。

 

「今この街に住んでいる悪魔の大半が

 他の悪魔に住処を奪われたり、追われて逃げてるうちにこちらへ迷い込んだ者達だ。

 もちろんククノチ達みたいに大昔からこの地を護っている者達もいるけどね」

 

「その中でも、比較的信用できる輩にのみ話を通してある」

 

「かと言って、安心もできない。

 彼らはあくまでも僕たちの手が回らなかった時の保険でしかない」

 

 

「決して油断してはいけないよ。街を護るのは僕たちの役目なんだから」

 

『うん!』

 

 星命の言葉になのはとユーノは強く頷いた。

 

「ん?」

 

 不意に、足に違和感を感じた星命が自身の右足を見下ろした。

 そこには、星命の靴の靴紐を噛み、倒れた女性の方へと引っ張る子犬の姿があった。

 

「星命くん」

 

「うん」

 

 足元の子犬を抱え上げたなのはが不安そうな表情で星命の方を向いた。

 星命はそれに頷いて答え、傍のシキオウジを管へと戻す。

 そして四人は、倒れている女性のいる拝殿へ向かって走り出した。

 

 ○

 

「ご協力、ありがとうございました。ではこれで……」

 

 夕暮れ時、住宅街に並木のように並ぶ民家の一軒から二人の男が出て来た。

 二人ともに着ている服は似通っているが背丈や年齢には差があるようであった。

 海鳴警察署の刑事、風間と矢佐田である。

 

「似たような証言ばかりですけど……なんだか信憑性に欠けますねぇ」

 

 矢佐田が言った。二人は先日の轢き逃げ事件と動物病院及び道路等の器物損壊事件の関連性について独自に調査しているのである。

 

 歩道に立ち尽くした風間が胸のポケットからタバコを取り出し、火を点けた。

 

「お前は吸わないのか?」

 

「いや……禁煙中なので。っていうか風間さんも奥さんにどやされますよ」

 

 矢佐田の言葉に、風間は沈黙しながら視線を逸らした。

 いつも堂々としている風間が誤魔化す素振りを見せるからには多少の罪悪感はあるようだ。

 

「……だが、これだけ同じ証言があれば無視するわけにもいかねぇな」

 

 咥え煙草から紫煙を上げつつ、風間が話を戻す。

 

「ですけど……」

 

 気まずそうに一呼吸入れて、矢佐田は言葉を続ける。

 

「本当にいるんですか? イタチを抱いた少女と猫を連れた少年なんて……」

 

「さぁな。ああ、でもウチの祖父さんが現役の頃には居たらしいぞ」

 

「イタチを連れた少女ですか」

 

「いや、猫を連れた少年の方だな」

 

「はぁ~、いやでもさすがに時代が違いますよ。

 御祖父さんが現役だったのって大正時代ぐらいの話でしょう?

 今時そんなファンシーな少年少女が居て堪るかってはな――」

 

 ボサボサの頭を掻いていた矢佐田の口と手が、突然止まった。

 

「どうした?」

 

 疑問に思った風間が矢佐田の顔を覗き込む。

 矢佐田は口をパクパクと開閉しながら反対側の歩道を見つめている。

 いつもの細い目はどこへ行ったのか、その目は大きく見開かれている。

 

「いました……」

 

 やっと言葉になった呟きと共に、矢佐田が視線の先を指差した。

 その方向に風間は目を凝らす。通り過ぎる車で途切れ途切れしか見えないが、たしかにイタチのような生き物を肩に乗せた少女と、隣に猫を引き連れた少年がそこにいた。

 

「どうしますか……って風間さん!?」

 

 矢佐田が次の句を言う前に、風間は動いていた。

 携帯灰皿に咥えていたタバコを捻じ込みながら走り、近くの横断歩道から車線を越えて反対側の歩道へと渡る。

 

「すまんがそこの坊主とお嬢ちゃん。ちょっと待ってくれるかい」

 

 肩で息をしながら、道を行く少年と少女の背後から声をかけた。

 

「はい?」

 

「俺はこういうもんだが――」

 

 胸ポケットから取り出した警察手帳を少年少女たちに突きつけたところで、手が止まった。

 その少年と少女に見覚えがあったからだ。

 

「――って、なんだ高町んとこのチビッコじゃねぇか……」

 

 そこには友人である高町士郎の末娘であるなのはと同じく高町家で身柄を預かっている星命の姿があった。

 家族の誕生日ケーキを毎回翠屋で注文する風間には顔なじみの存在である。

 

「こんにちは、風間さん」

 

「こんにちはー」

 

 星命が会釈をすると、なのはも続いて笑顔で挨拶をした。

 

「風間さん、知り合いですか?」

 

 追いついてきた矢佐田が、風間に聞く。

 

「ああ、ツレんとこの子供だよ。ほら、商店街の翠屋って喫茶店の」

 

「ああー! 知ってますよ!

 シュークリームが人気ですぐ売り切れるって婦警の間で噂になってますね」

 

「なるほど、あそこの子ですか」

 

 矢佐田は会得が行ったように、一度頷いた。

 

「あの、僕たちになにかご用で?」

 

 訝しげに、星命が二人の刑事に尋ねる。

 矢佐田が思い出したように口を開いた。

 

「あー、そうだそうだ。昨日の夜、君たち槙原動物病院の近くに居ただろ?」

 

「それでね、あの辺りで起きた器物損壊事件……って言ってもわからないかな」

 

「ようは道路や電信柱を壊した犯人を捜しているんだけど君たち何か知らないかな?」

 

 ビクリ、と体を震わせたのはなのはだった。

 

「え、えぇっと……」

 

 まさか「ジュエルシードが犯人です!」などと言うわけにもいかず、なのはは言葉を濁す。

 動揺を悟られぬよう精一杯表情を取り繕いながら、すぐに念話を隣の星命に飛ばした。

 

《せ、星命くん! どどどどーしよう!?》

 

 星命に向かって、動揺を一気に吐き出す。

 しかし反応が返ってこない。 

 

《……星命くん?》

 

 何度念話で呼びかけても星命から応答が無い。

 なのはが視線を風間たちから外し隣へと向ける。

 星命は俯き、肩を小刻みに揺らして震えていた。

 ユーノとリニスも星命の異常に気づいたのか、星命のほうを向いている。

 

 どうしたのだろう、なのはが疑問に思ったそんな矢先――

 

 

「ぼ、僕たちじゃないです!」

 

 

 ――うわずった大きな声で、星命が叫んだ。

 

「へ?」

 

 間の抜けた声が、なのはの口から漏れる。

 しかし、その声は顔を上げた星命の濁流のような言葉の波に流されていった。

 

「た、たしかに昨日僕たちはあの動物病院の近くにいました……」

 

「で、でもそれはこの子が心配だったからなんです!」

 

「たしかに僕はイタズラとかつまみ食いもよくしますけど――」

 

「――それでも僕は、やってない! 犯人じゃないんです!」

 

 焦燥感が滲み出た表情で、星命は言い放った。

 迫力は満点だが、子供の姿でなければ説得力は皆無である。

 

 ――静寂。

 遠く神社のある丘の方角からカラスの鳴き声が聞こえるほどの静けさが辺りを包んだ。

 なのはは呆然と星命を見ていた。

 二人の刑事も面食らった様子で固まっている。

 

「あ、ああ。いや、別に君たちを疑っているとかでは――」

 

「ほ、本当ですか!? 信じてくれるんですね!」

 

 我を取り戻した矢佐田が弁解をしようとする声をぶった切り、星命が声を張り上げた。

 

 先ほどの陰鬱な表情はどこ吹く風。

 水平線へ沈む夕日よりもさらに眩しく気持ちの良い笑顔である。

 

「ちょっ、わかった。わかったから落ち着いて」

 

 星命の笑顔の押し売りを矢佐田は両の手の平を振って避ける。

 

「別に君たちを疑っているわけではないんだ。

 そもそも子供にあんなことできるわけないし。

 ただ、昨夜あの場に居たっていうなら少しお話を聞かせてもらえないかな?」

 

 矢佐田の言葉に、「おお!」と言う声と共に星命の目の輝きがさらに増した。

 さながら目の中の真珠をダイヤモンドと交換したかのようだ。

 

「これって聞き込みってヤツですよね!? テレビドラマとかでよくやってる!」

 

「いやぁ、一回体験してみたかったんですよ!」

 

「なんでも聞いてください! なんでも答えちゃいますよ!」

 

 嬉々とした表情を浮かべた星命に気圧され、矢佐田がたじろいだ。

 気まずげにちらりと風間を見たが、風間は目を逸らして明後日の方向を向いた。

 どうやら代わってはもらえないようだ。

 矢佐田が小さく肩を落とすと、なのはは「にゃはは」と小さく苦笑した。

 

「あー……それじゃ昨日、なぜあんな夜中に槙原動物病院に行っていたのかな?」

 

「実は昨日ですねなのはちゃんが帰り道でユーノくんを拾ったんです!」

 

 矢佐田の質問に星命は人差し指でなのはの肩に乗っているユーノを指差した。

 

「それで、具合が悪そうなので槙原動物病院へ預けて家に帰ったんです」

 

「けど、夜中に心配になってついついなのはちゃんと様子を見に行っちゃったんですよ」

 

『心配になって』の部分でわずかに矢佐田の表情が曇った。

 

「どうかしましたか?」

 

「……いや、いくら心配になったからって夜中に子供だけで外出しちゃダメだよ」

 

 星命が聞くと、すぐに矢佐田は笑顔を取り戻し諭すように続けた。

 

「ごめんなさい。

 帰ったら恭也さんに――あ、恭也さんっていうのは僕たちのお兄さんの事なんですけど、

 こっぴどく叱られちゃったので勘弁してください!」

 

 星命は大袈裟に頭を下げ、合わせた手の平を頭の前へと出した。

 

「そうか、でも家の人に心配をかけちゃうのはダメだよ」

 

 矢佐田の言葉に星命は「ごめんなさい」と苦笑いを浮かべながら返した。

 

「じゃあ動物病院までで、何か変わったことはなかったかい?」

 

「変わった事だらけでしたよ。地面にいっぱい穴が開いてたり、電柱が倒れてたりとか」

 

「怖かったんですけど、やっぱりフェレット――あ、ユーノくんって言うんですけど」

 

 星命の二度目のユーノの紹介に「星命くんそれはもう言ったよ」となのはが苦笑した。

 

「ユーノくんが心配で動物病院の前まで行ったんですけど

 病院の庭先から急にユーノくんが飛び出してきたんです」

 

「そしたらパトカーのサイレンが聞こえて、

 このままじゃ僕たちが犯人だと思われちゃうって思って一目散に逃げたんです」

 

「ふむ……じゃあ変わった人影とかは見てないんだね」

 

「はい!」

 

「……わかったよ、ご協力感謝します」

 

「いえいえ、犯人見つかると良いですね!」

 

「思い出した事があればまた教えてくれ」と矢佐田が星命に名刺を渡し、二人の刑事はその場を去って行った。

 

「それじゃ、帰ろうか」

 

 刑事たちの姿が見えなくなってから星命が落ち着いた声でなのはに言った。

 

「え? う、うん」

 

 なのはは少々戸惑いながらも返事をした。

 少しばかり歩いたところでなのはが口を開いた。

 

「星命くんすごいね」

 

「何が?」

 

「だって刑事さん相手にあんなにしゃべれるんだもん。

 しかも、なるべくホントのことは言わなかったし」

 

「わたしなら無理だなー」と、なのはは続ける。

 その脳裏には星命に対して「変なところで抜け目がないんだから」と言った友人の言葉と顔が浮かんでいた。

 

「……別に大したことじゃないよ。昔取った杵柄ってやつかな」

 

「きねづか?」

 

 聞き返しながらなのははこてんと首を傾げる。

 言葉の意味がわからなかったのもあるが、一瞬――ほんの一瞬だけ星命が寂しさと懐かしさを混ぜ込んだような複雑な表情になった。そんな気がした。

 

「いや、なんでもない。さてと、今日の晩御飯は何かなぁ」

 

「ハンバーグだって、朝お母さんが言ってた」

 

「おお! いいねいいね!」と、なのはの言葉に星命は心底嬉しそうに言った。

 

 隣には、いつも通りの温和で、食べるのが何よりも好きな男の子がいた。

 それを見ながらなのはは先ほどの表情はきっと気のせいだったのだろうと勝手に納得する。

 他愛のない話をしながら、なのは達は歩を進める。

 やがて、ぽつぽつと街灯がつき始めた夕暮れの街へとその姿は消えていった。




長らく音沙汰がなく本当に申し訳ございません。
しばらく自身の都合で書けないでいたんですが、戻ってきてみると自分の書いた星命が星命でない気がしてしまってどうにも書けなくなってしまいました。
いっそ、自身で納得のいく物をと吹っ切って書いてみましたがあーでもないこーでもないとやっているうちにこんな時期に……
これからは一ヶ月に一回投稿できれば良いかなと考えています。

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