入部から早2週間ちょい、僕は吹奏楽部の様式に慣れてきた。楽器の組み立て時間も最初に比べて随分と短くなった。チョロ松は廊下でリードをくわえながら譜面台を組み立てる。
僕のいるクラリネットパートは三学年合わせて25人の吹奏楽部で一番人数が多いパートだ。
音が混ざらないようにパートごとに一部屋づつ練習場所が割り振られているが、25人にもなるとそうもいかない。こうして音が混ざるのを防ぐため毎日交代で廊下に出て練習をすることとなっているのだ。
パート人数が多いことの弊害は他にもあった。
その1、出席確認がしにくい
吹奏楽部の出席確認方法はパートリーダーがそれぞれのパートで確認して、それを出席簿に書っていうものなんだけど、25人もいるとパートリーダーが出席確認をするのも少し時間がかかるじゃん?それを解消するために導入されたのが番号点呼だったんだけどさ……。軍隊がなにかかな……?でもまぁこれが一番合理的で早く済むからいいんだけどさ。
その2、パートの人の名前が覚えれない
一応最初の自己紹介で名乗られたけどあんなの一発で覚えれるわけがない!でも聞き直すのもなんかアレじゃん……。
その3、必然的にパート内でグループができる
もうね、これは最初から分かってた。25人で団子になれるわけがないんだよ。さっきグループって言ったけど要するに派閥だからね?クラリネット内で細かく分けて6つくらい派閥があるんだからね?もうね……。
クラリネット一年生は8人いるんだけど、くっきり二つにに分かれてるんだよ。一つが事あるごとにキャーキャーうるさい女子グループ。ちなみに4人。 もう一つは僕がいるところ。言ってしまえば静か。え?僕が静かなのはらしくないだって?いや〜僕がうるさいは兄弟といるときだけで、それ以外のときはかなり大人しめの普通の男子なんだからね?言っておくけど。
話戻すよ。で、僕は最初はセイヤとしか絡んでなかったんだよ。それで残り6人の女子でグループになってたんだけど、その内の2人が肌に合わないって思ったのかそのグループと距離を取り始めて僕らの方へ来たんだよ。で、今に至るんだ。とりあえずそのよく絡むメンバーを紹介するわ。
セイヤ 2話から登場してる。中学からエスクラ吹いてる。クラリネットパートでは一番の話し相手。
カナ子 アルクラ担当。少なくともキャーキャー系女子ではない。中学はベークラだったらしい。
ヤイ ベークラ。僕と同じで高校から始めた。
いや〜、さりげなく必然的に女子と話せる空間になっちゃう吹奏楽っていいなぁ〜。うんうん。2人は可愛いかって?う〜ん……。で、でもさ!あまりにも可愛すぎて、同じ顔があと5つあるコピペ人間の僕には不釣合いな感じだと僕がポンコツ人になるしいいんだよ!言っておくけどブスではないからね!?
……まぁ、そんな感じでクラリネットやってるます。
チョロ松はロングトーンを吹く。フワァーンとした木の音が広がる。
あ、今日はいいな。
最近ちょっと吹いただけで今日の自分の調子がわかるようになってきた。自分だけでなくリードの調子などもわかるようになり、目に見えて自分が上達しているのがわかって嬉しかった。それも廊下、廊下は音がよく響く。お風呂で歌うと上手く聞こえるように、廊下で吹くと同じように上手く聞こえるのだ。チョロ松はそれを分かっていながらもやっぱり嬉しかった。
”フワァーーーーーーーーン”
”フワァーーーーーーーーン”
”フワァーーーーーーーーン”
”フワァーーー
「チョロ松、めちゃめちゃ音が高いよ。」
ノリノリのチョロ松の横でセイヤが厭わしそうにいかにも不快な顔で言った。彼は温厚な性格でこんな顔になることは少なかったのだが、こうやってチョロ松にピッチ(ヘルツレベルの音の高低)を指摘するときは決まってこのような顔だった。
チョロ松はチューナー(ピッチを確認する機械)のスイッチを入れ吹いてみると針が右に触れ右の赤ランプが点いた。つまり高いということだ。
(ホントだ……。)
彼は上菅を少し抜く。
「あのさぁセイヤ、いっつも疑問に思ってたんだけどさ〜。なんでピッチが分かるの?」
こいつは人間チューナーか。いや、うちの兄弟に早2日で人間メトロノームになったやつがいるんだけどさ。
「え?なんでって聞かれるとな……、感覚で分かるんだ。」
「高い低いが?」
「そう。ズレてるとすごく気持ち悪いんだ。」
「へぇ…僕には全っったくわからないや。」
彼はさっきより菅の抜けたクラリネットでロングトーンを再開する。
”フワァーーーーーーーーン”
”フワァーーーーーーーーン”
”フワァーーーーーーーーン”
”フワァーーーーーーーーン”
視線を感じたので横を見るとセイヤがまたいかにも不快そうな顔をしてこちらを見ていた。
「まだなにか……?」
「まだ若干高いよ。」
そう言われてチョロ松はチューナーの電源を入れる、デジタルの針が真ん中になるようそーっと吹く。
「チョロ松、チューニングしているときとロングトーンしているときの吹き方が違うとチューニングしている意味がないよ。」
「え?吹き方が違う?」
「うん、全然違う。たぶん無意識だけど。だからロングトーンでピッチがずれるんだよ。チューニングでその吹き方するならロングトーンもその吹き方しなくちゃ。」
「なるほど……」
チョロ松はスクラップブックにメモを取る。そこに書いてあるメモたちはほとんどセイヤから教えてもらったものだ。先輩からも色々教えてもらったりするが、同級生のほうが気軽に聞きやすいからそうなっている。彼には音楽知識ゼロの僕にいつも丁寧に教えてくれて本当に感謝している。
「あと、音の出だしが低いから気をつけたほうがいいよ。」
「ありがと、にしてもよくわかるな……。」
そうやってセイヤに感心しつつも、彼は心の中で高くても低くても同じ「ド」の音であることは変わらないんだから別にそこまで神経質にならなくてもいいんじゃないか?と思っていた。確かにヘルツレベルの音の違いを聞き分けれるのはすごいと思うがそれが演奏に大きくは影響するのだろうか?もっと注意すべきなのは音色と技術じゃないのか?そんなことが彼の中で泳いでいた。それを絶対に口には出さないが。
話は変わるが、チョロ松とそこそこ話すことの多いカナ子はアルトクラリネット担当だ。アルクラやバスクラは座って吹くことが多い。そのとき、その二つの楽器は演奏者の股に挟まれる形となる。カナ子は中学ではベークラを吹いていたらしいが、アルクラは初めてらしい。そのため最初の頃は「アルクラを吹くときに足を開くのが恥ずかしい……」と言いながら渋々股を開いてアルクラを吹いていた。そのカナ子の様子にチョロ松はドキリとしたこともあった。
しかし今となっては、なんの恥じらいも躊躇いもなく彼女は股を開く。チョロ松はその様子に興ざめをした。しかも三年生にいたってはそこまで股を開く必要があるか?ってくらいに股を開いている。それはスカートがキーの間に挟まるのを防ぐためらしいが、目のやり場に困るからもう少し閉じてくれよ、というのが彼の小さな願いだった。
練習ではより高度なことを求められるようになった。例えばスケールは色々なテンポやリズムでやるようになり、チョロ松からリードミス(要するに変な音)が増えるようになった。
他にもパートで基礎練を合わせるが多くなった。
「じゃあみんなで基礎練します。」
パートリーダーのヤヨイが24人に指示をだす。24人はヤヨイをぐるりと囲むようにして二列で座っている。それは上から見れば花のようだった。その花の中心に立つヤヨイはクラリネットのパーリー(パートリーダーの略)であり、この吹奏楽部の演奏を取り仕切るコンマスでもある。コンマスは必ずクラリネットの人から選ばれるという伝統がある。こうして彼女のいつも通りの言葉で基礎練は始まった。
「(基礎練ってみんなでやる必要あるの?)」
チョロ松はずっと疑問に思っていた。
チューニングするにしてもどうしても誰かがパーリーに捕まり、そこで他の人に待機時間が発生する。その何もしない待機時間は無駄じゃないのか?それにこうやって椅子を並べたりするのにも少なからず時間がかかる。そのような時間に個人でロングトーンやればいいのに。その方が能率がいいのに。そう彼は思っていた。思うだけで言わないが。
しかし本日、松野チョロ松のそんな考えが全部ひっくり返された。
「あのさー。」
基礎練の途中でヤヨイが珍しく不満に満ちた声を出した。
「ピッチがめちゃめちゃずれてるんだけど。もっと横の人の音を聞いて揃えるように。特に一年生。」
じゃあもう一度と言いながら彼女はメトロノームを動かす。
チョロ松は言われた通り、吹きながら横の人の音を聞く。しかし横の人のを聞いていると自分の音にあまり集中できないし、しばしば運指を間違えそうにもなる。
吹き終わり、ヤヨイがメトロノームを止めると真上に近いの右斜め上を見ながら無言で考えた。そして考えがまとまったら指示を出した。
「☆○ちゃん、△△くん、□☆ちゃん、チョロ松くん。あなたたちだけでやって。」
名指し……。名指しは別に珍しいことでもなんでもないが、緊張はする。今回は複数人だから一人よりはマシだなと思った。ちなみに名指しをされたのは一年三人、二年一人。
またメトロノームが動かされる。
当たり前だが4人の音は24人にでやるよりも音量が小さく、個人が際立つ。
あぁ、さっきまで聞こえなかった外の野球部の罵倒の声が聞こえる……。
吹き終わったらヤヨイがメトロノームの止める。そして静かに「なんでやらされたと思う?」と口にした。
「ピッチ合ってないからだよ。特に。もっとお互いに寄り添って、ピッチ揃えて。もっかいやるよ?」
ピッチが合ってないのでもう一度やる。その指示でチョロ松はチューナーの電源を入れた。しかしヤヨイはそれを見逃さなかった。
「チョロ松くん〜、そういうことじゃないんだよ……。」
「……へ?」
まさかの一人名指し。
「とりあえずチューナーは切って。いや、チョロ松くんがここでチューナーをつけたことは間違ってはいないんだよ?間違ってはいないし、言いたいことはわかるんだけどさ……。」
先輩は顔をポリポリしながら次に言うべき言葉を考える。彼はそれを頭に一つの?マークを浮かべながら待つ。
「……チューナーはあくまでチューニングに使うものであって、みんなでピッチを揃えるには使わないんだよ。んでもってチューニングは基本的に最初しかやらないの。間が空いているなら別だけど。」
チョロ松の頭の?マークが二つに増える。
ピッチを合わせるためにチューニングをする、何が違うのだろうか。小さな黒目をパチパチさせる。
「それに吹奏楽としての演奏を極めるなら最終的にはチューナーはいらないのよ。」
チョロ松の頭の?マークが三つに増える。
モロに「僕、全く分かりません。」という顔をしている彼を見てヤヨイは黒板の方へ行き、チョークを手に取った。
「これは最初のころに説明したような……?してなかったような……?正直曖昧だからもう一度説明するね。説明してなかったらその時はごめんなさい。じゃあ、みんなよく聞いて。」
彼女は黒板に横に波線を書く。
「音は空気の振動で伝わってます。一秒間の振動数が多ければ多いほど音は高くなり、少なければ音は小さくなるの。単位はHz。ここまでは大丈夫だよね?」
ゆっくりと頷く。
「ではまずチューニングの意義からおさらいします。はいチョロ松くん、なぜチューニングするのですか?」
「ピッチを合わせるため?」
「そう、ピッチを合わせ、音を揃えるため。ではなぜそうする必要があるのでしょうか?」
「え……。」
この二週間考えたことがなかった。やれと言われたからやっているだけで、全くの思考停止だった。彼の目が違う方向へ行くのを見てヤヨイは説明を再開する。
「うなりって知ってる?」
彼女は先に書かれた波線の上に違う波線を重ねる。
「周波数が違い音が同時に鳴ると、お互いに作用し合ってウワンウワンウワンって音がするの。」
なんかそれ中学の頃に理科で習った気がする。
ヤヨイは自分のチューナーを取り出し、Aの音を鳴らした。チューナらしいどこか間の抜けた薄っぺらい音が聞こえる。
「これが442HzのAの音。」
彼女は一番近くにいた二年生からチューナーを借り、同じように442HzのAの音を鳴らした。
二つの442が重なる。
「これはぴったり合っている状態。でも…」
二つ目のチューナーの数字を446にした。すると先ほどまでまるで一つのチューナーしか鳴ってないように聞こえるくらいにぴったりと合っていた音がずれ、ウワンウワンと言い始めた。しかしずれているといっても、まだ音が一つになろうとしている感じがする。
「これがうなり。さらに数字をずらすと……」
数字をさらに上げるともう、うなりは聞こえなくなったが『う”ー』と明らかに音と音がぶつかっている音がした。さっきとどちらがいいかと聞かれれば、まだ前の方が聴き心地がいい気がする。
「さらに周波数をずらすと人間には完璧に別々の音として聞こえるようになるよ。」
チューナーを止め、部屋に静けさが戻る。
「音をみんなで鳴らすたびにこんなのが聞こえてきたらたまったもんじゃないでしょ?だからうなりが発生しないようにチューニングをするの。」
なるほど。ポンッとグーの手とパーの手を合わせる。なんでチューニングをしてピッチを揃えなくちゃいけないのかって思っていたがそれはうなりのためなのか。うなりは盲点だった。チョロ松の頭の?マークが一つ消える。
「で、チューナーはチューニングをするために使うものであってみんなでピッチを揃えるのには使わないという件だけど……」
他の一年生も聞き入る。
「問題、チューニングで揃えたピッチは演奏の時にも維持されるか?答えはバツ!」
黒板にバツの字を書く。
「気温や湿度や演奏者の調子やアンブシュアなどで常にピッチは変化します!一年生、これはメモって。」
アンブシュアというのは楽器の咥え方、吹き方のことである。
「ここで練習する分にはほとんど関係ないことだけど、例えばコンクールとかだと色々な部屋を移動することになるのよね……それでずれたりするし、その時々のリードの状態もあるわけで……。」
ヤヨイはチョークを置く。
「じゃあ何故練習の始めだけチューニングをするかというと、チューニングは健康診断のためにやってるのよ。奏者はチューニングだけでその日の調子を自分で把握しなければならないの。さっきと言ってることが違うよね。ピッチは常に変化するのに練習の始めだけチューニングをして健康診断をする……。おかしいよね。でもそういうことなの。私の言いたいことが伝わってる?」
隣の教室からトロンボーンの音がする。
「じゃあどうやって演奏中だろうが休憩中だろ
うが常に変化するピッチを調整するか?」
ヤヨイは人差し指を立てる。
「常にピッチを揃える気でやれってこと。常にチューニングしてると思ってやるの。でも……常にチューナーをつけているわけにはいかないのよ。」
電池切れるし舞台には持ち込めないから、と付け足す。
「じゃあチューナー無しに何を基準にしてピッチを合わせるかというと…………お察しの通り一緒に吹いている人に合わせて揃えるの。お互いをお互いに聞きあって。」
でもそれじゃあ、間違った方に揃う可能性があるんじゃ……。
「それで揃った音はずれているかもしれないけど、全体があってるならそれでいいの。特に冬場なんかみんな顕著にピッチ下がるからその確率は高くなるし。で、要するに何が言いたいかというと、1.常に周りを聞いてそれに揃える意識を持つ。2.チューナーは参考までに抑え、あまりこだわらない。3.最終的にはみんなに合わせる、の三つなの。」
チョロ松は箇条書きにメモを取る。
「ピッチが揃ってないとさっきみたいにうなりが聞こえて下手くそに聴こえるから、強豪校はみんな精神削ってピッチを揃えようとするからね。」
精神削るって…オイ……。
「ちなみに、一人だけで吹くだけならチューニングもピッチも一切にする必要はないよ。だって合わせる必要がないから。でも吹奏楽は全員で音を揃えなくちゃどうにもならないものなの。みんなで同じ音色、同じピッチ、同じ強弱、同じ技術、同じ吹き方が理想形。だけどそんなのは無理。何故なら人間だから。でもできるだけそうなるようにするのが美しい演奏の秘訣。要するに無個性の追求ってことになるの。」
無個性……。
「私はソロっていうものは、その曲の作曲者や編曲者の『ここであなただけの個性を存分に発揮してください』っていうメッセージだと思ってる。無個性から解放されてね。でもソロを吹くみたいにみんなが個性を出して吹いてたらもうお終いだよ。何度も言うようだけど。」
個性……。
「あとさらにくどく言うと、これからレコーダーを使って自分らの音を録音して聞くことがあると思うけどその中で『あ、これ、私の音だ』って分かるのもアウトだからね。そのパートを一人しか吹いてない場合を除いて。『これが私の音!』っていうアイデンティティも合奏では必要ないからね。みんなで揃えることがいい演奏の一歩だからね。そこをよく覚えておいてね。」
アイデンティティ……。
「説明は終わり。じゃあ続き行くよ?」
*****
合わせての基礎練が終わったあと、一年のみの基礎練合わせとなった。みなテキパキと椅子を並べ替えるなか、チョロ松の目はどこか遠い世界に入っていた。そのことに気づいたヤイが声をかける。
「どうしたの?物思いにふけっちゃってさ。まさかさっきのこと気にしてるの?あんなの気にすることじゃないでしょ。」
「え?いや、違うよ。ただぼーとしてただけだから。さ、やろうよ。」
チョロ松は何もないようにとり繕い、クラリネットを構える。
(さっきの話が僕らのことを連想させるのは気のせいなのかな……?)
(いつもなにをするのも一緒だった僕らのピッチはいつから合わなくなったんだっけな……。)